2023年7月13日木曜日

覚りの旅  令和5年7月 月次祭を終えて

 令和5年7月1日

   覚りの旅  令和5年7月 月次祭を終えて


三救責任者

皆様、月次祭おめでとうございます。


参加者一同

おめでとうございます。


三救責任者

万障繰り合わせて参拝が許されましたことをお喜び申し上げます。

人はオギャーと生れくると、万の霊障りがあると言います。

このような月次祭をはじめとする祭典へ心より嬉しく楽しく参加が許されることにより、その万の霊障りが一つ一つ取り除かれていくのです。

暑さをものともせず、本当に諸々の障りを克服され、参拝されましたことを感謝申し上げます。

祭典に人が集えるか否かというのは、メシヤ様が神々に命じられ、神々はそれぞれの先祖、祖先に命じ、子孫へ伝達いたします。いわゆる霊線の伝達網なのです。だから、メシヤ様にご守護いただいている、私たちは案外易く、参拝が叶えられるのです。平成元年7月11日、浜松神界通信の言葉を借りまして、冒頭の挨拶をさせていただきました。

それでは、 『文明の創造、精神病と癲癇』 を学ばせていただきましょう。


拝読をお願いします。


参加者

『文明の創造 精神病と癲癇』 拝読


三救責任者

はい、ありがとうございます。今までで一番長かったかな?

次にメシヤ講座からです。

 

信仰することの意義


本日は比較的長い御論文でしたけれど、タイトルの『精神病と癲癇』に囚われて読むと、せっかくの御論文をしっかり受け止めることができなくなります。メシヤ様が我々に、人間の想念界を説明してくださっているのです。

生まれてくるときに、神様の分霊である魂が入ります。本守護神です。

人間の使命に応じて役割をきちんと果たしていく、あるいは危難から免れるために、先祖の中で修行を終えて資格を得た人がついて守護してくれます。これは正守護神です。

それと同時に、欲望を司る動物霊が副守護神としてついてきます。

この三位一体的な人間の想念界になっているのだと理解しておいていただきたいと思います。

それから先祖が危難から免れる事例として、広島での土砂災害を取り上げられました。

守護している正守護神の力が強かったか、強くなかったかということで運命が分かれていくのではないかなと思います。


と御教導いただいております。

今出てきた、本・正・副ということと、正守護神に力を。そして副守護神の力を抑え込む。

メシヤ講座からです。


正守護神に力をつけていただくためにしっかりとした信仰を培おう


ということで、

日航機墜落の事故がありましたが、世界○○教の信者さんであの飛行機に乗る予定だったが乗れなくなって助かった人がいたそうです。教習や浄霊を受けていた方で助かった人がいるそうです。

そういうことを考えますと、浄霊をいただいたり、メシヤ様の教えを学んだりするということで正守護神が力を得ることができて、〝危難から救って行く″ということが出来ると思いますので、私たちの正守護神に、より一層力をつけていただくために、月次祭を中心にしてしっかりとした信仰を培っていただきたいと思います。

それから信仰の意義について、メシヤ様は正守護神に力をつける為に正しい信仰に子孫が入信して神様から力をいただくことによって正守護神が力をつけてくるという一面と、人間を育てるために使命のある人間ほど正守護神が鍛えるということがあります。

不幸なことに出会ったり、大きな課題にぶつかるということは〝使命が大きいのだ″と受け止めていただきたいと思います。


そして、

副守護神の力を抑え込んでいける人間になろう


ということで、

次に動物霊が副守護神としてついておりますので、この副守護神が幅をきかせないように、副守護神の力が10%から20%くらいまでにいつも抑え込んでいけるような人間になっておいていただきたいと思います。

副守護神が幅をきかせてきたかどうかの簡単な見分け方としてきちんと挨拶できているかどうかということがあります。

「おはようございます」と挨拶しても相手を真っ直ぐに見ているかどうかということです。よく目の前の人を見ながら斜めの人に挨拶する人がありますが、これが副守護神が幅をきかせてきているのです。軽い精神病になっているのです。


奇跡 

ということが出てきました。

浜松神界通信の方でも日航機事故の話がありました。前にLINEさせてもらいましたね。

災難にあったけれど、奇跡的に助かるよりも、災害、危難に遭わない方が良いのは勿論であります。常日頃より神様に手を合わせて、光に浴し、魂を太くしていく。正守護神に力をつけていただく、ということが大切かと思います。

浜松神界通信の方では、昭和60年8月15日10時4分から10時40分。

事故の3日後に浜松のある方に通信がありました。

この内容を要約すると、

4人の生存者がいたのは前代未聞の奇跡。

九分九厘で助けられる人間はかくのごとく助かる。

忘却も神が人間に与えし慰み方法。

全てを忘れないと過ぎ去りし事が充満してしまいます。悲しみが薄れていくから、人間が保てる。生きていける。いつまでも悲しむと執念になってしまう。死者の足を引っ張ります。そうすると、幽界でさまよわせることになります。だから、日と共に忘れ去るように仕組まれております。

その時々の流れに沿って供養をしていく。そうすると多くの霊が救われていきます。

お経や経文より、善言讃詞が救霊に繋がっていきます。

善言讃詞を求めてさまよえる霊が沢山いるわけです。

霊を救わせてもらえる時の喜びというのは、救う方、救われる方とが一致して、想念の一致で完璧となっていく。それが救霊で、霊界並びに三界万霊の救いになっていきます。


というような内容が神界通信の方で書かれていました。

それで、奇跡 で思い出したのが、○○さんに送ってもらったお母様のマムシの話。

前にも紹介させていただきました。


メシヤ様にいただいたご守護報告をさせていただきます。

当時、主人の実家の稲刈り作業の手伝いをしておりました。稲刈り機で刈り取ることのできない石垣の横を鎌で刈り取っていましたが、途中疲れたため立ち上がろうとしました。私の胸のあたりの高さに蛇がいました。蛇の頭には赤い線が入っており、「これがマムシか!」と、とても驚き、私は生まれて初めてマムシの姿を見ました。

私は、恐怖でいっぱいになり、とっさに「明主様、明主様、明主様!」と、何回も、何回も明主様の御名前を御唱えしました。その瞬間、私の後ろの襟を誰かが掴み、それと同時に一瞬ですが、意識がなくなりました。意識がはっきりと戻った時には、なぜかマムシから数メートル離れておりました。

私は、刈り取り作業中の誰かが襟を引っ張って助けてくれたのだと思い、「誰、私を引っ張った人は」、と大きな声で叫びましたが、誰も引っ張った人はいません。

義母は「やっぱりおったか、そこはマムシがおるんだわ」と言いました。

後で、数人の男性がそのマムシを捕まえて、川の中でマムシのお腹を開けたら子供が7匹おりました。子供がいるということは攻撃性が強いそうです。

今でも襟元をつまんで引っ張る感触が残っております。

私は、メシヤ様の御教えで、「咄嗟の時は私の名前を呼びなさい」と頂いておりましたので、何度も何度もお呼びしました。そして瞬時に御救い頂くことが許されました。

本当にメシヤ様より大きな御守護をいただき感謝いたしております。


本日の学びそのものでもありますので、取り上げさせていただきました。

「奇跡の解剖」という御教えがございますが、そこにもきっちり合ってきます。

奇跡というのは奇跡ではなく、必然であるということもありまして、常日頃の信仰で霊の衣、霊衣が厚く魔物が退散したともいえますし、正守護神が守ってくださったということでもありますし、何よりも“メシヤ様(明主様)”という言霊で一瞬にしてメシヤ様につながり、お救いをいただけたということかと思います。非常に良い体験談であると思います。


それで、さっきの

「奇跡の解剖」

というところです。


○実は有り得べからざる事は、本当はないのである。

○あると思うのは、それは誤解以外の何物でもない。

○その既成観念が、既に錯覚。

○表面に現われた、現象そのものだけを観て、決めてしまうから。

○唯物的社会通念を通して見るから、変った事があると、不思議に思える。

○奇蹟の元は、実は霊界にある。

○奇蹟にも自力と他力がある。

自力というのは霊衣。他力というのは自分を守ってくれている正守護神。

自力 

・人間には霊衣と言って霊の衣がある。

・身体の形の通り、白色の霧のようなものに蔽われている。

・厚い薄いは、魂の清濁による。

・魂の清い程、厚い。

・自動車が人間に衝突しようとする刹那、自動車にも霊があるから、人間の霊衣が厚いと、突当る事が出来ないで、横へ外れてしまうので助かる。

・高い所から落ちた場合、霊衣が厚いと地面や石の霊に打(ぶ)つかってもフンワリ軽く当るから、怪我をしない。

・家にも霊があり、主人が有徳者であると家の霊衣が厚い。

・火事の時など火の霊はそれに遮ぎられて、燃え移らない。

・熱海大火の際、本教仮本部が不思議に焼けなかったのもその意味。

・稀に焼ける場合は焼ける必要があるから、神様の経綸のため、滅多にない。

他力

・人間には本、正、副の三つの守護神がある。

・正守護神とは、祖霊の中から選ばれた霊

・危急の場合助ける。重要な事は夢で知らせる。

・特殊の使命をもつ者は神様(大抵は産土神)がお助けになる事もある。

・神様はどんな遠くでもよく知られる。

・一瞬にして汽車の霊を止めてしまう。

・一秒の何十分の一の速さでその場所へ到着し救われる。

○奇蹟なるものは、立派に理由がある、奇蹟は不思議でも何でもない。

メシヤ様は奇蹟があるのが普通であると仰っています。

○人間は善を思い、善を行い、徳を積み、霊衣を厚くするよう心掛けていれば、不時災難など決してないのである。

○霊衣の厚い人程接すると何となく温味を感じ、慕わしい気持が起る。

・よく人を惹きつけると言うのはそういう人である。

・こういう人には自然多くの人が集ってくる。

・仕事も旨くゆき、発展するようになる。

・以前から私(メシヤ様)が行き始めると、その家は必ず繁昌する。

・また私(メシヤ様)に接近する人は、必ず発展し幸福になる。

・これは私(メシヤ様)の霊衣の幾分でも貰うからである。


そういう内容が、「奇跡の解剖」という御教えです。


それで、「悪人は病人になり」という御教えがございまして、

○悪人とはすなわち霊の曇りが原因。

○その霊の曇り通りに血液も濁る。

○信仰に入り、常に神に向かうと、霊線を通じて神の光が魂に注入され、光が増えるから曇りが減る。

○すると、動物霊は苦しみ、居候の方は早速逃げ出す。

居候というのは、副守護神でも元から居る副守護神と臨時についてくる副守護神、動物霊がいて、居候の方の霊は苦しんで逃げていく。

○元からいる副守護神は縮んでしまい、悪は出来なくなる。

○神に手を合わさない人は、いついかなる時、何かの動機に触れて悪人になるかも分らない危険がある。

○無信仰者は危険人物といってもいい。

○現代社会はこの危険人物が多い。

○全く社会悪が一向減らないのも右の理に因る。

○いかに善人であっても無信仰者である限り、真の善人ではない。

○悪人の素質をもっている善人に過ぎない。

○無信仰者には絶対気は赦せない。

○今の偉い人も政府当局者も、全然判らない結果、宗教を否定し、法のみに頼って悪をなくそうとするのであるからいかに間違っているかが分るであろう。 


「悪人は病人になり」 昭和26年の御教えです。


それと「戦争の原因も精神の病気」 

今もって戦争は絶滅しておりませんけども、戦争の原因も精神の病気。

これは『文化の創造』 という御教えがございまして、昭和25年の9月です。

これによると、

○原子核破壊の発見、これは一瞬にして何百万の生霊を奪い去る。

○戦争の兵器に使用すると、恐るべき悪鬼。そうでなければ素晴らしい平和の天使である。

○この理によって、実は原爆を問題視するには当たらない。

○問題は戦争そのものである。

○戦争絶滅より以上、重大問題はあり得ない。

○兵器の進歩の脅威が極限的に現れたのが原爆である。

○原爆の発見こそ、もはや人類から戦争に終止符を打つべき運命が近づいたことの示唆である。

○キリストのいわれた、最後の世とはこの事であると私は信ずる。

○既成文化失敗に目醒めてしかる後画期的新文化の創造に乗り出すべきが本当である。

○地上天国建設の大偉業を神命のまま遂行せんと世界○○教はしておりましたけれども、基本的条件は、人類から病を除去する事である。

○言うまでもなく、戦争の真の原因は病気である。

○病気といっても肉体の病気のみではない、精神の病気である。

○それは狂っていない精神病者である。

○人類からこの狂わない精神病者を健全に導く事こそ根本的解決策であろう。

○これ以外戦争絶滅などは痴人の戯言(たわごと)にすぎない事を信ずるのである。

『文化の創造』は昭和25年、『文明の創造』は昭和27年ですから、『文明の創造』を書く前ですね。

『文化の創造』 と題して原爆のこと、戦争の原因のことについて書かれております。


先ほどのメシヤ講座の続きの中で、最後の浄化は精神病ということも学んでおります。

(質問者)「浄化が厳しくなるから一日30分は御教えを拝読しなさい」という御教えがありますが、30分拝読しますと浄化というのはどのようになるのでしょうか。

(先生)これはね。浄化というより今回の御教えに当てはめた方が良いと思います。

御教えを拝読することによって、副守護神に支配されなくなるのです。

本守護神は充実してきます。そうしますと、副守護神にのさばらせることなく、適度な状態に抑え込む事が出来ます。

(質問者)それは精神的なことですか。

(先生)そうです。最後の浄化というのは精神病ですから。今は癌とかを大きな浄化だと捉えていますが、最後の浄化というのは精神病です。

何が正しくて何が間違っているのかがわからなくなってくるのです。

よく吟味しないと精神病だとわからない人が増えている時代を迎えてきていますので、その時に必要なのが御教え拝読だということです。

これから精神戦争が始まってくるわけです。

これでもういいやと思ったら、精神の戦いは終わってしまうわけです。


三救責任者

結局は潰しているわけです。

これは余談ですが・・。最近話題になっている市川猿之助さんの一門の名前は? テレビで澤瀉屋(おもだかや)と言っていましたね。

澤瀉という名前が猿之助さんのひいおじいさん。初代市川猿之助の生家が副業として薬草の沢瀉(たくしゃ)を扱っていたことが由来。薬屋さんだったんです、副業が。沢瀉(たくしゃ)という字が澤瀉(おもだか)の字なんですね。沢瀉というのはサジオモダカの球根のことで、薬として用いられています。排尿異常に用いる薬だそうです。

オモダカ科の植物で薬となるタクシャは沢や湿地帯などに生えています。沢の水が瀉(そそ)ぐ(水が去る)場所に多くはえるところからタクシャと呼ばれるようになったそうです。薬として用いれば水を排出する作用があります。

薬屋が副業で、薬草の名前を屋号に持つ一門。

それで、服毒心中をはかった。

自殺というのは、軽いうつの時に起こしやすいそうです。これはネット上で見つけたものですが、重い時はパワーがないので、動けなくて行動に移しづらい。よって、治りかけの時期は気を付けないといけない。

周囲は色々と言ってるけども、今の学びの副霊が50%を超えた時にまだ活力はあるけども、思わずやってしまったということかなと思ったんです。だから、常識では考えられない行動を起こしてしまうという事ですね。50%を超えた瞬間に副霊に支配されて思いもしなかった行動に出てしまうのかもしれません。御教えでいけばそういう事ですね。

私たちは、参拝、浄霊、御教え拝読を通じて、メシヤ様の御光をいただいて、正守護神に力をつけていきたいと思います。


癲癇の話、最後に少しだけありましたね。

癲癇は死霊がつくので、死んだ時の有様をそのまま見せております。脳溢血で死んだ人のひっくり返る有様が、癲癇に見ることができる。水で死んだ人は泡を吹き、水癲癇ならば水に落ちて死んだ人であり、火癲癇は火で焼け死んだ人の霊がついている。これは観音講座に出てまいります。


それから、特別講習会の御講和で、昭和15年です。

西洋医学は霊を全然知らない。

否認めぬ故に癲癇、狂人などみんな脳が問題だとしている。

肉体は霊体を入れたサックの如きもので、使用に堪えねば霊は出ていく。

霊はふつう、死んでから49日まではその家におり、50日目に行くべきところへ行く。

ふつうはお寺へ行き、神道ならば産土神社、または信仰している団体へ行く。

お寺で葬られれば一時お寺にいなくてはならない。そして間もなく自分の信ずるところへ行く。ところが、信仰するところがなければ、お寺に長くいることになるのである。人間が死ねば煙のようになると思う人は、お寺にもおれず宙に迷うのである。中有界に迷うので六道の辻ともいい、ここは辻のようなもので、四方八方どこへでも行けるのである。

この世で死んでも邪神界へ行くものもある。

仏界にも地獄、極楽あり、神界でも天国、地獄(根底の国)あり、そこで修行する、というのは浄化作用が行われる。

罪は苦しまねば取れない。

これを迷信という人こそ迷信である。ある程度浄化が行われると生まれ代わる。

霊魂はどしどし殖えつつあり、天国、地獄でも生まれる。

霊界でできるだけ長くいた方が幸運である。

思い続けた想念は滲みついているもので、また死の時の想念も続く。

非常な美人は、前の世はまずい顔だったかもしれない。だから女の方は死ぬ前に美人に生まれてこようと思った方が良いであろう。

輪廻転生、人間は霊が主で、霊は不滅。肉体は滅びて土となる。50年とか80年とか霊の衣を脱ぐだけと言っていい。

人間は霊体が実体である。


人間は霊体が実体なんだと。ここが大事かと思います。

救霊ということが大事になってきます。救う方と、救われる霊が一致して、想念の一致で完璧になっていく。

それが救霊で、霊界並びに三界万霊の救いになっていく。

先ほどの神界通信でも出ておりましたことです。

天の数歌と『夜昼転換』の歴史観 ということを、ちょうどこの回にメシヤ講座で学んでおりまして、


『天国の福音書(二)』では歴史観をまとめようと思っていますが、そうした時に『夜昼転換』の御教えが中心になってきます。

『夜昼転換』というと波のように『夜昼転換』があるように教修を受けたりしますと、『昼の時代』から『夜の時代』になった時に夜というと逆戻りしたようなイメージを植えつけられてしまっています。

それで一番わかりやすいのでは、と思っていることは、

『天の数歌』を唱える時に低く出て「ひとー ふたー みー よー いつ むゆ なな やー ここのたりやー」と段々上がって行きます。これを『昼の時代』になっていくと考えた時に、次にまた1オクターブ上げるような感じで、「ここのたりやー」の高さから「ひとー ふたー みー よー いつ むゆ なな やー ここのたりやー」と唱えて行きます。そういうように時代を捉えていかないと、三千年前に『夜の時代』になった時に悲惨な戦争とかがありますので、悪くなったように錯覚してしまいます。しかし物質的には発展しているのです。ですから物質的には進み続けているのです。

その中で精神的に退化したというよりも欲望が大きくなったというふうに受け止めていきませんと『夜昼転換』の捉え方が間違ってしまうところがあると思います。

時代がズーッと進んできているのです。その中で植物の種類や生き物の種類も無限大に広がってきています。


ちょうど慰霊祭で天の数歌も唱えられますので、そういう意味合いも分かっておくのに、ちょうどぴったりと天の数歌の話が出てきたということです。


最後に一宮の場所というのは尾張ですよね。なぜ尾張だと思います?

ある説によると、古事記から付けているかもしれないんですね。

天之尾羽張(あめのおわはり)から来ているのではないかという説があります。これはイザナギが所有する神剣で、別名が伊都之尾羽張(いづのおわはり)なんですよ。

これはどういう剣かというと、イザナギノミコトがヒノカグツチを斬った剣。

ヒノカグツチというのは、浜松の秋葉神社の御祭神であります。

鏡と剣と勾玉で三種の神器になっているように、鏡、剣、勾玉というのは非常に御神業的に大切なものであると思います。色々意味があるんですね。

地名を調べていて検索に引っかかってきたのでお話しさせていただきました。


何か質問がございましたら、お受けいたします。

また、意味がわからないことがあったらいつでもいいので言ってください。

では、終わらせて頂きます。


司会

以上を持ちまして、月次祭並びに一日祭を終わらせていただきます。

ありがとうございました。


参加者一同

ありがとうございました。 

覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて

  令和6年7月1日 覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて   三救責任者 月次祭おめでとうございます。   参加者一同 おめでとうございます。   三救責任者 令和六年七月度 覚りの旅の資料を最初に拝読していただけますか?   参加者 令和六年七月度 覚りの旅 資料 1 は...