2020年8月7日金曜日

霊界叢談

 霊界叢談

 自観叢書第3編『霊界叢談』昭和24年8月25日


序文


 この著は私が二十数年間にわたって探究し得た霊界の事象を、出来るだけ正確を期し書いたもので、もちろん作為や誇張などはいささかもないつもりである。

 そもそも今日学問も人智も進歩したというが、それは形而下の進歩であって、形而上の進歩は洵(まこと)に遅々たるものである。文化の進歩とは形而上も形而下も歩調を揃えて進みゆくところに真の価値があるのである。文化が素晴しい進歩を遂げつつあるに拘わらず、人間の幸福がそれに伴わないという事は、その主因たるや前述のごとく跛行的進歩であるからである。これを言い換えれば体的文化のみ進んで、霊的文化が遅れていたからである。

 この意味において私は、霊的文化の飛躍によって、人類に対し一大覚醒を促がさんとするのである。とはいえ元々霊的事象は人間の五感に触れないものであるから、その実在を把握せしめんとするには非常な困難が伴うのである。しかしながら無のものを有とするのではなく、有のものを有とする以上、目的を達し得ない筈はないと確信するのである。

 そうしてこの霊的事象を信ずる事によって、いかに絶大なる幸福の原理を把握し得らるるかは余りにも明らかである。故にいかなる信仰をなす場合においても、この霊的事象を深く知らない限り真の安心立命は得られない事である。それについて稽(こた)うべき事は、人間は誰でも一度は必ず死ぬという判り切った事であるに拘わらず、死後はどうなるかという事はほとんど判り得なかった。考えてもみるがいい、人間長生きをするとしてもせいぜい七、八十歳位までであろうが、それで万事お終いであっては実に儚ない人生ではないか、これは全く死後霊界生活のある事を知らないからの事で、この事を深く知り得たとしたら、人生は生くるも楽しく死するも楽しいという事になり、永遠の幸福者たり得る訳である。

 以上述べたごとき意味においてこの著をかいたのである。


霊界の存在


 そもそも、人間は何がためにこの世に生まれて来たものであろうか。この事をまず認識せねばならない。それは神は地上経綸の目的たる理想世界を建設せんがため人間を造り、それぞれの使命を与え、神の意図のままに活動させ給うのである。原始時代から今日のごとき絢爛(けんらん)たる文化時代に進展せしめたのも、現代のごとき人間智能の発達もそれがために外ならない。そうして人間なる高等生物は素より、他のあらゆる生物否植物、鉱物、その他形体を有する限りのあらゆる物質は霊と体の二要素によって形成されたものであって、いかなる物といえども霊が分離すれば亡滅するのであるが、ここでは人間のみについて説明してみよう。そもそも人間の肉体は老衰、病気、大出血等によって使用に堪え得なくなった場合、霊は肉体を捨てて離脱し、霊界に赴き霊界人となり霊界生活が始まるのである。これは世界いかなる人種も同様で、その例として第一次欧州大戦後英国において当時の紙価を高からしめたオリヴァー・ロッジ卿の名著「死後の生存」であるが、その内容は著者ロッジ卿の息子が欧州戦争に出征し、ベルギーにおいて戦死し、その霊が父ロッジ卿に対し種々の手段をもって霊界通信をおびただしく贈った、それの記録であって、当時各国人は争って読み、それが動機となって霊界研究は俄然として勃興し、研究熱が盛んになると共に、優秀なる霊媒も続出したのである。また彼の有名なるベルギーの文豪青い鳥の著者故メーテルリンク氏も心霊の実在を知って、彼の有名なる運命観は一変し、心霊学徒として熱心な研究に入ったという事は、その方面に誰知らぬ者もない事実である。しかもその後フランスのワード博士の名著霊界探検記が出版され、心霊研究はいよいよ盛んになったという事である。ワード博士に到っては霊界探究がすこぶる徹底的で、同博士は一週に一回一時間位、椅子に座したまま無我の境地に入り、霊界へ赴くのである。その際博士の伯父の霊が博士の霊を引連れ霊界のあらゆる方面に対し、つぶさに霊界の実相を指示教導されて出来た記録であるが、その際友人知己の霊も種々の指導的役割をなし、博士の霊界知識を豊富にしたという事である。これはなかなか興味もあり、霊界生活を知る上において大いに参考になるから、読者は一度読まれん事を望むのである。もちろん西洋の霊界は日本とは余程相違のある点はやむを得ないが、私は最後において、日本及び泰西(たいせい)における霊界事象を種々の実例をもって解説するつもりである。

 十数年前、英国よりの通信によれば同国においては数百の心霊研究会が生まれて盛んに活動しつつある事や、心霊大学まで創設されたという事を聞及んでいたが、その後大戦のためいかようになったか、今日の実状を知りたいと思っている。

 さて霊界の種々相について漸次説いてみよう。


霊界と現界


 そもそも、宗教に関心を持つ場合まず徹底的に理解するには、どうしても霊界と現界との関係を知らねばならない。何となれば宗教信仰の対象は神仏であり、神仏とは霊であるからで肉眼では見る能わざる以上、理論のみによって実態を把握せんとしてもそれは木によって魚を求むるの愚である。しかしながらこの世界には神も仏も立派に実在している以上、否定し去る事ももちろん不可能である。ちょうど野蛮人に向かって空気の存在を認識させようとしてもすこぶる困難であると同様現代人の大多数に霊の実在を認識させる事の困難さはもちろんである。私はまず前提として霊界の構成、霊界人の生活等にわたってなるべく深く説明してみよう。

 そもそも人間とは肉体と霊体との二原素から成立っており、人間が死するや霊肉離脱し霊は直ちに霊界に入り霊界生活が始まるが、離脱の場合極善者は額から、極悪者は蹠(あし)の爪先から、一般人は腹部の中央臍部辺から霊は脱出するのであって、仏教においては死ぬ事を往生というが、これは霊界からみれば生まれ往く訳だからである。また死ぬ前を生前といい神道にては帰幽といい転帰というのも同様の理である。そうして、霊界人となるや昔から言われている通り、まず三途の川を渡り閻魔の庁に行くのであるが、これは事実であって私が多数の霊から聞いたそれは一致している。閻魔の庁とは現界における法廷と同じである。しかも三途の川を渡り終るや屍衣の色が変化する。すなわち罪穢の最も少なきものは白、次は各薄色、青、黄、赤、黒というように、罪穢の軽重に従い右のごとき色彩となるのである。ただ紫だけは神衣としてある。閻魔の庁においては祓戸(はらいど)の神が主任となり、各冥官が審問に当たり、それぞれ相応の賞罰を決めるのであるが、その際極善人は天国または極楽に、極悪人は地獄へ堕つるのであって、普通人は中有界(ちゅうゆうかい)、神道にては八衢(やちまた)、仏教にては六道の辻と称する所に行くのであるが、大多数はこの中有界に行き、ここで修行するのである。修行を受ける第一は教誨師の講話を聞くので、それによって改心の出来たものは天国へ行き、しからざるものは地獄行きとなるのである。右の修養期間は、大体三十年を限度とし行き先が決まるのである。教誨師は各宗教の教師が当たる事になっている。 

 ここで霊界の構成についてかくが、霊界は上中下の三段階になっている。その一段はまた三段に分けられ合計九段階である。すなわち上段が天国、中段が中有界、下段が地獄となっており、現界は中有界に相当する故に、仏語の六道辻とは極楽の三道、地獄の三道へ行く訳で、神道の八衢とは右のほかに、上は最高天国、下は根底の国が加わるのである。そうして天国と地獄の様相を端的に説明すれば、最高天国に昇る程光と熱が強烈になり、ほとんど裸体同様の生活であって、昔から絵画彫刻に見るごとく至尊仏は裸体である。これに反し最低地獄に落つる程光と熱が稀薄となり、極最低は暗黒、無明、凍結状態である。故にこの苦しみにあうや、いかに極悪非道の霊といえども改心せざるを得ないのである。以上はごく大体の説明であるが、現代人が見たら荒唐無稽の説と思うかも知れないが、私は二十数年にわたり多数の霊から霊媒を通じ、または他のあらゆる方法によって調査研究し、多数の一致した点をとって得たところの解説であるから、読者におかれても相当の信頼をもって読まれん事を望むのである。彼の釈尊の地獄極楽説も、ダンテの神曲も決して作為的のものではない事を、私は信ずるのである。

 右のごとく、上中下三段階へ往く霊に対し、死人の面貌を見ればおよそ判るのである。すなわち、なんら苦悶の相がなく鮮花色を呈しさながら生けるがごときは天国行きであり、陰欝なる淋しき面貌をし蒼白色、黄青色、つまり一般死人の状態は中有界行きであり、苦悶の相著しく、暗黒色または青黒色を呈するものは、もちろん地獄行きである。

 以上は、霊界における基礎的知識を得るためのものであるが、順次各面にわたっての私の経験によって得たる霊的事象を書いてみよう。




祖霊と死後の準備


 そもそも死に際し霊体離脱の状態は如何というに、これについてある看護婦が霊視した手記が相当よく書いてあるから記(しる)してみよう。

 これは西洋の例であるが人によって霊の見える人が西洋にも日本にもたまたまあるのである。私はくわしい事は忘れたが、要点だけは覚えているがそれはこうである。「私はある時、今や死に垂(なんな)んとする病人を凝視していると、額の辺から一条の白色の霧の様なものが立昇り、空間に緩やかに拡がりゆくのである。そうするうちに、雲烟(うんえん)のごとき一つの大きな不規則な塊のようなものになったかと思うと、間もなくしかも徐々として人体の形状のごとくなり、数分後には全く生前そのままの姿となって空間に起ち、疑(じ)っと自己の死骸を見詰めており、死体に取ついて悲歎にくれている近親者に対し、自分の存在を知らしたいような風に見えたが、何しろ幽冥所を異(こと)にしているので諦めたか、暫くして向き直り窓の方に進んでゆき、いとも軽げに外へ出て行った」というのであるが、これは全く死の刹那をよく表わしている。

 右手記は一般人の生から死への転機の状態であるが、西洋の霊界は平面的であり、東洋の霊界は立体的である。これは日本は八百万の神があり、大中小上中下の神社があり、社格も官幣、中幣、県社、郷社、村社等、種々あるによってみてもいかに階級的であるかが知らるるのである。これに反し西洋はキリスト教一種といってもよいのであるから、全く経と緯の相違である事は明かである。故に前者は多神教で後者は一神教というのである。

 次に人の死するや、仏教においては四十九日、神道においては五十日祭をもって一時打切りにするが、それはその日を限りとして霊界へ復帰するのである。それまで霊は仏教にては白木の位牌、神道にては麻で造った人形の形をした神籬(ひもろぎ)というものに憑依しているのである。ここで注意すべきは、死者に対し悲しみの余りなかなか忘れ得ないのが一般の人情であるがこれは考えものである。なぜなればよくいう「往く所へ往けない」とか「浮ばれない」とかいうのは、遺族の執念が死霊に対し引止めるからである。故にまず百ケ日位過ぎた後はなるべく忘れるように努むべきで、写真なども百ケ日位まで安置し、その後一旦撤去した方がよく、悲しみや執着を忘れるようになった頃また掛ければよいのである。

 次に仏壇の意義を概略説明するが、仏壇の中は極楽浄土の型であって、それへ祖霊をお迎えするのである。極楽浄土は百花爛漫として香気漂い、常に音楽を奏し飲食裕かに諸霊は歓喜の生活をしている。それを現界に映し華を上げ、線香を焚き、飲食を饌供(せんぐ)するのである。また鐘は二つ叩けばよく、これは霊界における祖霊に対し合図の意味である。これを耳にした多数の祖霊は一瞬にして仏壇の中へ集合する。しかしこの事は何十何百という祖霊であるから、小さな仏壇の中へいかにして併列するか不思議に思うであろうが、実は霊なるものは伸縮自在にして、仏壇等に集合する際はその場所に相応するだけの小さな形となるので、何段もの段階があって、それに上中下の霊格のまま整然と順序正しく居並び、人間の礼拝に対しては諸霊も恭(うやうや)しく会釈さるるのである。そうして飲食の際は祖霊はそのものの霊を吸収するのである。しかし霊の食料は非常に少なく、仏壇に上げただけで余る事があるから、余った飲食は地獄の餓鬼の霊に施すので、その徳によって祖霊は向上さるるのである。故に仏壇へは出来るだけ、平常といえども初物、珍しき物、美味と思うものを一番先に饌供すべきで昔から孝行をしたい時には親はなしという諺があるが、そんな事は決してない。むしろ死後の霊的孝養を尽す事こそ大きな孝行となるのである。もちろん墓参法事等も祖霊はすこぶる喜ばれるから、遺族または知人等も出来るだけ供養をなすべきで、これによって霊は向上し、地獄から脱出する時期が促進さるるのである。

 世間よく仏壇を設置するのは長男だけで、次男以下は必要はないとしてあるが、これは大きな誤りである。何となれば両親が生きているとして、長男だけが好遇し、次男以下は冷遇または寄付けさせないとしたら、大なる親不幸となるではないか。そういう場合霊界におられる両親は気づかせようとして種々の方法をとるのである。そのために病人が出来るという事もあるから注意すべきである。

 今一つ注意すべきは改宗の場合である。それは神道の何々教に祀り替えたり、宗教によっては仏壇を撤去する事があるが、これらも大いなる誤りである、改宗する場合といえども、祖霊は直ちに新しき宗教に簡単に入信するものではない。ちょうど生きた人間の場合家族の一員が改宗しても他の家族ことごとくが直ちに共鳴するものではないと同様である。このため祖霊の中では立腹さるるものもある。叱責(しっせき)のため種々の御気付けをされる事もある。それが病気災難等となるから、この一文を読む人によっては思い当る節がある筈である。

 ここで霊界における団体の事をかいてみよう。霊界も現界と等しく各宗各派大中小の団体に分れている。仏教五十数派、教派神道十三派及び神社神道、キリスト教数派等々それぞれ現界と等しく集団生活があって死後、霊は所属すべき団体に入るがそれは生前信者であった団体に帰属するのである。しかるに生前なんら信仰のなかった者は所属すべき団体がないから、無宿者となって大いに困却する訳であるから生前信頼すべき集団に所属し、死後の準備をなしおくべきである。

 これについてこういう話がある。以前某所で交霊研究会があった際、某霊媒に徳富蘆花氏の霊が憑った。そこで真偽を確かめるため蘆花夫人を招き鑑定させたところ、たしかに亡夫に違いないとの証言であった。その際種々の問答を試みたところ、蘆花氏の霊はほとんど痴呆症のごとく小児程度の智能で、立合ったものはその意外に驚いたのである。それはいかなる訳かというと、生前において死後を否定し信仰がなかったからで、生前トルストイの人道主義に私淑(ししゅく)し、人間としては尊敬すべき人であったに拘わらず右のごときは全く霊界の存在を信じなかったからである。




死後の種々相


 死にも種々あるが、脳溢血や卒中、心臓麻痺、変死等のため、突如として霊界人となる場合があるが、何も知らない世人は病気の苦痛を知らないからむしろ倖せであるなどというが、これらは非常な誤りで実はこの上ない不幸である。それは死の覚悟がないため霊界に往っても自分は死んだとは思わず相変らず生きていると想っている。しかるに自分の肉体がないので、遮二無二肉体を求める。その場合自己に繋っている霊線をたどるのである。霊線は死後といえども血族の繋りがあるから、霊はそれを伝わり人間に憑依しようとするが、憑依せんとする場合衰弱者、産後貧血せる婦人、特に小児には憑依しやすいので多くは小児に憑依する。これが真症小児麻痺の原因であり、また癲癇(てんかん)の原因ともなるので、小児麻痺は脳溢血のごとき症状が多いのはそのためであり、癲癇は死の刹那の症状が表われるのである。例えば泡を吹くのは水死の霊であり、火を見て発作する火癲癇は火傷死であり、その他変死の状態そのままを表わすもので夢遊病者もそうであり、精神病の原因となる事もある。

 次に変死について知りおくべき事がある。それは他殺自殺等すべて変死者の霊は地縛(じばく)の霊と称し、その死所から暫くの間離脱する事が出来ないのである。普通数間または数十間以内の圏内にいるが、淋しさの余り友を呼びたがる。世間よく鉄道線路などで轢死者が出来た場所、河川に投身者のあったその岸辺、縊死者のあった木の枝等よく後を引くが右の理によるのである。地縛の霊は普通三十年間その場所から離れない事になっているが、遺族の供養次第によっては大いに短縮する事が出来得るから、変死者の霊には特に懇(ねんご)ろなる供養を施すべきである。そうしてすべての死者特に自殺者のごときは霊界に往っても死の刹那の苦悩が持続するため大いに後悔するのである。何となれば霊界は現界の延長であるからである。

 この理によって死に際し、いかなる立派な善人であっても苦痛が伴う場合中有界または地獄に往くのである。また生前孤独の人は霊界に往っても孤独であり、不遇の人はやはり不遇である。ただ特に反対の場合もある。それはいかなる事かというと、人を苦しめたり、吝嗇(りんしょく)であったり、道に外れた事をして富豪となった人が霊界に往くや、その罪によって反対の結果になる。すなわち非常な貧困者となるので大いに後悔するのである。これに反し現界にいる時、社会のため人のために財を費やし善徳を積んだ人は霊界に往くや分限者となり、幸福者となるのである。またこういう事もある。現界において表面はいかに立派な人でも、霊界に行って数ケ月ないし一ケ年位経るうちにその人の想念通りの面貌となるのである。なぜなれば霊界は想念の世界で肉体という遮蔽物(しゃへいぶつ)がないから、醜悪なる想念は醜悪なる面貌となり、善徳ある人はその通りの面貌となるのでこれによってみても現界と異なっている事が知らるるのである。全く霊界は偏頗(へんぱ)がなく公平であるかが知られるのである。

 以前こういう例があった。その当時私の部下に山田某という青年があった。ある日彼は私に向かって「急に大阪へ行かなければならない事が出来たから暇をくれ」というのである。見ると彼の顔色挙動等普通ではない。私はその理由を質(たず)ねたが、その言語は曖昧不透明である。私は霊的に査(しら)べてみようと思った。その当時私は霊の研究に興味をもちそれに没頭していたからである。まず彼を端座瞑目させて霊査法にかかるや、彼は非常に苦悶の形相を表わしノタ打つのである。私の訊問に応じて霊の答は次のごときものである。「自分は山田の友人の某という者で、大阪の某会社に勤務中、その社の専務が良からぬ者の甘言を信じ自分をクビにしたので、無念遣る方なく悲観の結果服毒自殺したのである。しかるに自分は自殺すれば無に帰すると想っていたところ、無になるどころか死の刹那の苦悩がいつまでも持続しているのであまりの予想外に後悔すると共に、これも専務の奴がもとであるから、復讐すべく山田をして殺害させようと思い、自分が憑依して大阪へ連れて行こうとしたのである」この言葉も苦悶の中から途切れ途切れに語った。なお彼は苦悩を除去してもらいたいと懇願するので、私はその不心得を悟し苦悩の払拭法を行うや、霊は非常に楽になったと喜び厚く謝し、兇行を思い止る事を誓い去ったのである。

 右憑霊中山田は無我であったから、自己の喋舌(しゃべ)った事は全然知らなかった。覚醒後私が霊の語ったままを話すと驚くと共に、危険の一歩手前で救われた事を喜んだのであった。

 これによってみても人間はいかなる苦悩にあうも、自殺は決して為すべからざるものである事を識るべきである。

 特に世人の意外とするところは情死である。死んで天国へ行き蓮の台に乗り、たのしく暮そうなどと思うがこれは大違いである。それを詳しくかいてみよう。

 抱き合心中などは霊界へ往くや、霊と霊とが密着して離れないから不便この上なく、しかも他の霊に対し醜態を晒すので後悔する事夥(おびただ)しいのである。また普通の情死者はそのその際の想念と行動によって背と背が密着したり、腹と背が密着したりしてすべての自由を欠き、不便極まりないのである。また生前最も醜悪なる男女関係、世にいう逆様事などした霊は逆さに密着し一方が立てば一方は逆さとなるというように不便と苦痛は想像も出来ない程である。その他人の師表(しひょう)に立つべき僧侶、神官、教育者等の男女の不純関係のごときは、普通人より刑罰の重い事はもちろんである。


(注)師表(しひょう)、人の手本となる事、人。




天国と地獄


 天国はさきに述べたごとく上位の三段階になっており、第一天国、第二天国、第三天国がそれである。第一天国は最高の神々が在(おわ)しまし、世界経綸のため絶えず経綸され給うのである。第二天国は第一天国における神々の補佐として、それぞれの役目を分担され給い、第三天国に至っては多数の神々が与えられたる任務を遂行すべく活動を続けつつあるが、もちろん全世界あらゆる方面にわたっての活動であるからその行動は千差万別である。第三天国の神々は中有界から向上し神格を得たのであるから人間に最も近似しており、エンゼル(天使)ともいわるるのである。

 右は神界構成の概略であって、神界は今日まで約三千年間、仏教の存在する期間ははなはだ微々たる存在であった。何となれば神々はほとんど仏と化現され、そうでないのはほとんど龍神となって時を侍っておられたのである。また神々は仏界を背景として救いの業に励(いそ)しみ給うたのでその期間が夜の時代であって昼の時代に転換すると同時に神界は復活するという訳である。

 次に、極楽浄土は仏語であって仏界の中に形成されているが、極楽における最高は神界における第二天国に相応し、仏説による都〔兜〕率天がそれである。そこに紫微宮(しびきゅう)があり、七堂伽藍(しちどうがらん)があり、多宝塔が整え立ち、百花爛漫として咲き乱れ、馥郁(ふくいく)たる香気漂い、迦陵頻伽(かりょうびんが)は空に舞い、その中に大きな池があって二六時中蓮の葉がうかんでおり、緑毛の亀は遊嬉(ゆうき)し、その大きさは人間が二人乗れる位で、それに乗った霊の意欲のまま、自動的にどこへでも行けるのであって、何ともいえぬたのしさだという事である。また大伽藍があってその中に多数の仏教信者がおり、もちろん皆剃髪で常に詩歌管絃、舞踊、絵画、彫刻、書道、碁、将棋、等現界におけると同様の娯楽に耽っており、時折説教があってこれが何よりのたのしみという事である。その説教者は各宗の開祖、例えば法然、親鸞、蓮如、伝教、空海、道元、達磨、日蓮等である。そうして右高僧等は時々紫微宮に上り、釈尊に面会され深遠なる教法を受け種々の指示を与えらるるのである。紫微宮のある所は光明眩(まばゆ)く、極楽浄土に救われた霊といえども仰ぎ見るに堪えないそうである。

 極楽の下に浄土があって、そこは阿弥陀如来が主宰されているが、常に釈迦如来と親しく交流し、仏界の経綸について語り合うのである。また観世音菩薩は紫微宮に大光明如来となって主座を占められ、地上天国建設のため釈迦阿弥陀の両如来補佐の下に、現在非常な活動をされ給いつつあるのである。しかしながら救世の必要上最近まで菩薩に降り、阿弥陀如来に首座を譲り給うたのである。

 そうして近き将来、仏界の消滅と共に新しく形成さるる神界準備のため、各如来、菩薩、諸天、尊者、大士、上人、龍神、白狐、天狗等々漸次神格に上らせ給いつつ活動を続け、すこぶる多忙を極められつつあるのが現状である。

 次は地獄界であるが、これは天国とはおよそ反対で光と熱がなく下位に往く程暗黒無明の度を増すのである。地獄は昔から言われるごとく種々雑多な苦悩の世界で、私はその概略を解説してみよう。

 まずおもなる種類を挙げれば針の山、血の池地獄、餓鬼道、畜生道、修羅道、色欲道、焦熱地獄、蛇地獄、蟻地獄、蜂室地獄等々である。

 針の山は読んで字のごとく無数の針が林立している山を越えるので、その痛苦は非常なものである。この罪は生前大きな土地や山林を独占し、他人に利用させないためである。

 血の池地獄は流産や難産等出産に関する原因によって死んだ霊で、この種の霊を数多く私は救ったが、それはすこぶる簡単で祝詞を三回奉誦し、幽世の大神様に御願する事によって即時血の池から脱出し救われるので、大いに喜ぶのである。血の池地獄の状態を霊に聞いてみるとこうである。その名のごとく広々とした血の池に首の付根まで何年も漬っている。その池の水面ではない血の面に無数の蛆が浮いており、その蛆が絶えず顔面に這上ってくる。払っても祓っても這上ってくるので、その苦しみは我慢が出来ないという事である。この原因は生前無信仰者にして、その心と行に悪の方が多かったためである。

 餓鬼道はその名のごとく飢餓状態で、常に食欲を満そうと焦燥している。それ故露店や店先に並んでいる食物の霊を食おうとするが、これは盗み食いになり、一種の罪を犯す事になるので止むなく人間に憑依したり、犬猫等に憑依し食欲を満そうとする。よく病人で驚く程食欲の旺盛なのがあるが、これは右に述べたごとき餓鬼の霊が憑依したのである。また犬猫に憑依した霊は漸次畜生道に堕ちる。その場合人間の霊の方が段々融け込んでゆく。ちょうど良貨が悪貨に駆逐されるように、ついに畜生の霊と同化してしまうのである。この意味において昔から川施餓鬼などを行うがこれは水死霊を供養するためで、水死霊は無縁が多いから供養者がなく、餓鬼道へ堕ちるので、餓鬼霊に食物を与え有難い経文を聞かせるので大きな供養となるのである。

 餓鬼道に堕ちる原因は自己のみが贅沢をし他の者の飢餓など顧慮しなかった罪や、食物を粗末にした等が原因であるから、人間は一粒の米といえども決して粗末にしてはならないのである。米という字は八十八とかくが、これは八十八回手数がかかるという意味で、それを考えれば決して粗末には出来ないのである。私も食後茶を呑む時茶碗の底に一粒も残さないように心掛けている。彼のキリスト教徒が食事の際合掌黙礼するが、これは実によい習慣である。もちろん食物に感謝の意味で、人間は食物の恩恵を忘れてはならないのである。

 畜生道はもちろん人霊が畜生になるので、それはいかなる訳がというと生前その想念や行為が人間放れがし、畜生と同様の行為をするからである。例えば人を騙す職業すなわち醜業婦のごときは狐となり、妾のごとき怠惰にして美衣美食に耽り男子に媚び、安易の生活を送るから猫となり、人の秘密を嗅ぎ出し悪事の材料にする強請(ゆすり)のごときものや、戦争に関するスパイ行為等、自己の利欲のため他人の秘密を嗅ぎ出す人間は犬になるのである。しかし探偵のごとき世のために悪を防止する職業の者は別である。そうして世の中には吝嗇一点張りで金を蓄める事のみ専念する人があるが、これは鼠になるのである。活動を厭い常にブラブラ遊んでいる生活苦のない人などは牛や豚になるので、昔から子供が食後直ちに寝ると牛になると親がたしなめるが、これは一理ある。また気性が荒く乱暴者で人に恐れられる、ヤクザ、ゴロツキ等の輩は虎や狼になる。ただ温和(おとな)しいだけで役に立たない者は兎となり、執着の強い者は蛇となり、自己のためのみに汗して働く者は馬となり、青年であって活気がなく老人のごとく碌な活動もしない者は羊となり、奸智に長けた狡猾な奴は猿となり、情事を好み女でさえあれば矢鱈(やたら)に手を付けたがる奴は鶏となり、向う見ずの猪突主義で反省のない者は猪となり、また横着で途呆けたがり人をくったような奴は狸や狢(むじな)となるのである。

 しかし以上のごとく一旦畜生道に堕ちても、修行の結果再生するのである。人間が畜生道に堕ち再び人間に生れまた畜生道に堕ちるというように繰返しつつある事を仏教では輪廻転生というがそれについて心得なければならない事がある。例えば牛馬などが人間からみると非常な虐待を受けつつ働いているが、この苦行によって罪穢が払拭され、再生の喜びを得るのである。今一つおもしろい事は牛馬は虐待される事に一種の快感を催すので、特に鞭で打たれたがるのである。右のごとく人間と同様の眼で畜生を見るという事は実は的外れの事が多いのである。その他盗賊の防止をする番犬、鼠をとる猫、肉や乳や卵を提供する牛や羊、豚、鶏等も人間に対し重要な役目を果すのであるからそれによって罪穢は消滅するのである。

 またおもしろい事には男女間の恋愛であるが、これは鳥獣の霊に大関係のある事で、普通純真な恋愛は鳥霊がすこぶる多く鶯や目白等の小鳥の類から烏、鷺、家鴨(あひる)、孔雀等に至るまであらゆる種類を網羅している。恋愛の場合、この鳥同志が恋愛に陥るのであるから、人間は鳥同志の恋愛の機関として利用されるに過ぎない訳であるから、この場合人間様も少々器量が下る訳である。また狐霊同志の恋愛もすこぶる多いがこれは多くは邪恋である。狸もあるがこれは恋愛より肉欲が主であって世にいう色魔などはこの類である。また龍神の再生である龍女は精神的恋愛は好むが肉の方は淡泊で、むしろ嫌忌する位で、不感症の多くはそれである。従って結婚を嫌い結婚の話に耳を傾けなかったり縁談が纏(まと)まろうとすると一方が病気になったり、または死に到る事さえあるが、これらは龍女の再生または龍神の憑依せるためである。よく世間何々女史といい、独身を通しつつ社会的名声を博す女傑型は龍女が多く、稀には天狗の霊もある。

 以上のごとく霊界の構成や霊界生活、各種の霊について大体述べたつもりであるが、以下私の経験談をかいてみよう。


(注)

迦陵頻伽(かりょうびんが)、梵語kalavinka極楽にいるという想像上の鳥。その声は仏の声のような妙なる泣き声を持つとされる。




広吉の霊


 私は霊的研究と治病の実験を併(あわ)せ行なおうとした最初の頃である。それは十九歳になる肺患三期の娘を治療した。二回の治療でいささか効果が見え第三回目の時であった。私が治療にかかると、側に見ていた娘の母親であるM夫人(五十歳位)が突然起上って、中腰になり、その形相物凄く、今特に私に掴みかからん気勢を示し「貴様は……貴様はよくも俺が殺そうとした娘をもう一息という所へ横合から出て助けやがったな。俺は腹が立って堪らねえから貴様をヒドイ目に合わしてやる」というのである。もちろん男の声色で私は吃驚(びっくり)した。私は「一体あなたは誰です。まあまあ落着いて下さい」と宥(なだ)めたところ、彼は不精不精に座りいわく、

彼「俺は広告という者だ」

私「いったいあなたはこの肉体とどういう関係があるのです?」

彼「俺はこの家の四代前の先祖の弟で広吉というものだ」

私「では、あなたは何がためにこの娘に憑いて取殺そうとしたのですか?」

彼「俺は家出をして死んだ無縁のものだが誰もかまってくれない。だから祀って貰いたいと今までこの家の奴等に気を付かせようと病気にしたり種々の事をするが一人も気の付く奴がない。癪(しゃく)に触って堪らないからこの娘を殺すのだ。そうしたら気がつくだろう」

私「しかしあなたは地獄から出て来たのでしょう」

彼「そうだ俺は永く地獄にいたが、もう地獄は嫌になったから、祀ってもらいたいのだ」

私「しかし、あなたはこの娘を取殺したら、今までよりもモッと酷い地獄へ落ちるが承知ですか?」

と言ったところ、彼はやや驚いて、

彼「それは本当か?」

私「本当どころか、私は神様の仕事をしているものだ、嘘は決していえない。またあなたを必ず祀って上げる」

 と種々説得したところ、彼も漸(ようや)く納得し共に協力して娘の病気を治す事になった。彼の挙動及び言語は、江戸ッ子的で気持の好い男であった。幕末頃の市井(しせい)の一町人であろう。そうしてM夫人は神憑り中無我で、いささかの自己意識もない。実に理想的霊媒であった。その後娘の病気は順調に治癒に向かいつつあったが、ある日突然M夫人が訪ねて来た。

「私は二、三日前から何か霊が憑ったような気がしますから、一度調べてもらいたい。」

 というので、早速私は霊査法を行った。まず夫人が端座瞑目するや、私はまず祝詞を奏上した。夫人は無我の状態に陥ったので質(たず)ねた。

私「あなたはどなたです。」

M「こなたは神じゃ。」

私「何神様ですか。」

M「こなたは魔を払う神じゃが名前は言えない」

 私は思った。(かねて神にも真物と贋物があるから気を付けなくてはいけないという事を聞いていたから、あるいは贋神かも知れない。騙されてはならない。)――と警戒しつつ質ねた。

私「あなたは何のためにお出になりましたか?」

M「そなたが治している娘は、今魔が狙っているから、その魔を払う事を教えてやる。」

私「それはどうすればよいのですか?」

M「朝夕、艮(うしとら)の方角へ向かって塩を撤き、祝詞を奏上すればよい」

 私は他の事をきいたが、それには触れず、

「それだけ知らせればよい」と言ってお帰りになった。M夫人は覚醒し、驚いた風で私に聞くのである。

M「先生御覧になりましたか」私は、

「何をですか、別に何にも見えませんでした」と言うと、夫人、

「初め先生が祝詞をお奏げになると後の方からゴーッと物凄い音がしたかと思うと、いきなり私の脇へお座りになった方がある。見ると非常に大きく座っておられて頭が鴨居まで届き、お顔ははっきりしませんでしたが、黒髪を後へ垂らし、鉢巻をなされており御召物は木の葉を細く編んだもので、それが五色の色にキラキラ光りとても美しく見えたのです。間もなく私に御憑りになったかと思うと、何にも分らなくなりました」

との事で私はこれは本当の神様に違いないと思い、その後査べた所、国常立尊という神様である事が判った。その事があってから二、三日後、M夫人はまた訪ねて来た。「また何が憑りそうな気がしますから、御査べ願いたい。」と言うので早速霊査に取かかると今度は前とは全然異(ちが)う。私は、

「何者か」と訊くと、

「小田原道了権現の眷族である」と言うので、

「何のために憑ったのか?」と訊くと、

“お詫びをしたい”と言うのである。

「それは、どういう訳か?」

「実はこの婦人は道了権現の信者であるが、今度娘が荒神様の御力で助けられたので腹が立ち、邪魔してやろうと思った。所がそれを見顕(あら)わされて申訳がない。」と言うのである。そう言い終るや夫人は横様に倒れた。瞑目のまま、呼吸せわしく唸っておったが、五分位で眼を瞠(ひら)き、

「アア驚いた。最初黒い物が、私の身体に入ったかと思うと、また誰かが来て最初の黒い物を鞭のような物で打擲(ちょうちゃく)すると、黒い物は逃げて行った。」

 というので、私は――「二、三日前の神様の警告された魔というのはこれだな。」とおもった。それから娘の病気は日一日と快くなり、遂に全快したのである。そこで私も広吉の霊を祀ってやった。これより先ある時広吉の霊が夫人に憑っていわく、「自分はお蔭様で近頃は地獄の上の方にいるようになり大きに楽になった」と言って厚く礼をのべ、次いで「お願がある。」といい「それは毎朝私の家の台所の流しの隅へ御飯を三粒、お猪口(ちょこ)にでも入れていただきたい。」というのでその理由を訊くと、彼は、

「霊界では一日飯粒三つで充分である。また自分は台所より先へは未だ行けない地位にある。」と言う。

 その後暫くして彼は、「梯子(はしご)の下まで行けるようになった」と言った。それはその頃、私の家では二階に神様を祀ってあったからで、その後「神様の次の部屋まで来られるようになった。」と言うので私は、「モウよかろう。」と祀ってやった。それから二、三日経って、私が事務所で仕事をしていると私に憑依したものがある。しかも嬉しくて涙が溢れるような感じなのだ。直ちに人気のない部屋に行き、憑依霊に訊いたところ、広吉の霊であった。彼いわく、

「私は今日御礼に参りました。私がどんなに嬉しいかという事はよくお解りでしょう。」といいまた「別にお願いがある。」と言うのである。

「何か?」と訊くと、

「それは、今度祀って戴いてから実に結構で、いつまでもこのままの境遇でありたいのです。娑婆はモウ凝りごりです。娑婆では稼がなければ食う事が出来ず、苦しみばかり多くて実に嫌です。再び娑婆へ生まれないようどうか神様へお願いして戴きたい。」

 と言い終って厚く礼を述べ帰った。これらによって察すると死ぬ事は満更悪い事ではなく、霊界往きもまた可なりと言うべきである。そうして霊界においては礼儀が正しく助けた霊は必ず礼に来る。その手段として、人の手を通じて物質で礼をする事もある。よく思いがけない所から欲しいものが来たり貰ったりする事があるがそういう意味である。M夫人は理想的霊媒ですくなからぬ収穫を私に与えたが、こういう事もあった。ある時嬰児の霊が憑った。全く嬰児そのままの泣声を出し、その動作もそうである。私は種々質(たず)ねたが、嬰児の事とて語る事が出来ない。やむを得ず「文字で書け。」と言ったところ、拇指で畳へ平仮名で書いた。それによってみると「生まれるや間もなく簀巻(すまき)にされて川へ放り込まれ溺死し、今日まで無縁になっていたので祭ってくれ。」というので、私が諾(うべな)うと欣(よろこ)んで去った。右の文字は霊界の誰かが、嬰児の手をとって書かしたものであろう。またある時憑依霊へ対し何遍聞いても更に口を切らない。種々の方法をもって漸く知り得たが、それは松の木の霊で、その前日その家の主人が某省官吏でそこの庭にあった松の木の枝を切って持かえり、神様へ供えたのであったが、その松に憑依していた霊で、彼の要求は「人の踏まない地面を掘り、埋めて祝詞を奏げてもらいたい。」というので、その通りにしてやった。




化人形


 以前私が扱った化人形という面白い話がある。ある時私の友人が来ての話に、「化ける人形があって困っているから解決して貰いたい。」と言うのである。私も好奇心に駈られともかく行く事にした。その当時私は東京に住み霊的研究熱に燃えていた時なので、早速友人と同行して赴いた。所は深川の某所で、その家の二階の一室に通された。見ると正面に等身大の阿亀(おかめ)の人形が立っている。実に見事な作で余程の名人が作ったものらしい。年代は徳川中期らしく十二単衣を着、片手に中啓(ちゅうけい)を翳した舞姿である。家人の話では、

「連日夜中の、世間が寝静った頃になると、中啓の骨の間からニタニタと笑う顔が透けて見えるかと思うと歩き初め、その家の主人の寝所に来、腹の上に馬乗りになって首を締めるのである。そのような訳で転々と持主が代る。」――というような話を聞き私の興味頂点に達した。早速阿亀の前に端座瞑目して祝詞を奏上し神助を乞い、人形に憑依せる霊が自分に憑依するよう祈願した。すると忽ち私に憑依したらしく、急に私は悲哀感に襲われ落涙しそうである。直ちにその家を辞し家に帰り、翌朝例のM夫人を招いた。直ちに昨夜より私に憑依せる人形の霊に

「前にいる婦人に憑り、化ける理由や目的を語れ」といったので、早速霊は霊媒に憑依したその語るところは左のごときものである。

「自分は約四十年前、京都の某女郎屋の女郎であったが、その家の主人と恋仲となり、それが妻女に知れたため、大いに立腹した妻女は自分を虐(いじ)め始めた。それだけならいいが、ついには当の主人までが自分に対し迫害をするようになったので、口惜しさの余り投身自殺したのである。人形は客から貰ったもので、非常に愛玩していたので、一旦地獄で修行していたが我慢しきれず、怨みを晴らそうとして地獄から抜け出し以前の女郎屋へ行ってみると、主人夫婦はすでに死亡していたので、その怨恨を晴らす由もなく、その代わりとして縁もゆかりもない人形の持主になる主人を苦しめ怨みを晴らそうとした。」――というのである。これは現界人が聞くと不思議に思うが、常識からいえば怨みを晴らすべき相手がいなければそれで諦めるべきで、他人に怨みを持って行くという事は理屈に合わない話だが、このように霊の性格は現界人とちがう事を、私はしばしば経験したのである。というのは霊が一旦何らかに執着心を起すと、それを思い反す事がなく、一本調子に進む癖がある。話は続く、

「自分の本名は荒井サクといい、生前京都の妻恋稲荷の熱心な信者であったが、自分は怨みを晴すについて狐の助力を懇請(こんせい)したところ、その稲荷の弟狐とその情婦である女狐との二孤霊が協力する事を誓い、援助する事になったので、人形の化けたのは右の孤霊の仕業である事が判った。

 いつも荒井サクの霊が憑る前、M夫人の眼には見えるのである。夫人が、

“今サクさんが来ましたよ”というので

「どんな姿か?」ときくと

“鼈甲(べっこう)の簪(かんざし)を沢山頭に挿し、うちかけを着て隣へ座りました。”という。またこういう事もあった。私は霊友に右の話をしたところ「自分も一度霊査してみたい」と云うので、十人位の人を集め心霊研究会のような会をした。その時右の友人がM夫人に対し霊査法を行ないながら、侮辱するような事を言ったので狐霊は立腹し、いわく、「へン馬鹿にしなさんな、これでも妾(わたし)は元京都の祇園で、何々屋の何子といった売れっ子の姐さんでしたからね、その時の妾の粋な姿をお目にかけよう」と言いながらいきなり立って棲(つま)をとり、娜(しな)を作りながら座敷中あちらこちらと歩くのである。私は「モウよい、解ったから座りなさい」と言って座らせ、覚醒さした。M夫人に質(き)けば「何にも知らなかった」と言う。覚醒するや私に対(むか)って「今ここに狐が二匹おりますが、先生に見えますか」というので、私は「見えないが、どんな狐か?」と訊くと、「一方は黄色で一方は白で本当の狐位の大きさで、ここに座っている」というかと思うと「アレ狐は今人形の中へ入りました」というので「人形のどこか」と訊くと、「腹の中央にキチンと座って、こっちを見て笑っている」と言うのである。私は実に霊の作用なるものは不思議極まるものと、つくづく思った。

 それなら私は、孤霊とサクの霊とを分離し孤霊は古巣へ帰らせ、サクを極楽へ救うべく努力しついに成功したのであるが、その期間中の参考になる点をかいてみよう。ある時M夫人を前にして私は小声で、

「サクさん御憑りを願います。」というとM夫人は合掌した手がピリリッと慄えたが、これは霊の憑依した印である。種々の問答の後覚醒するやM夫人いわく、「サクさんが今日来た時は襠裳(うちかけ)を着、鼈甲の簪を沢山髪に飾り、花魁姿でよく見えた。」というのである。またこういう事があった。私がサクと問答していると言葉が野卑になり態度もちがうので、

「誰か」と訊くと“自分は狐だ”という。私は「お前は用がないから引込んで、サクさんと入れ替れ。」というと、今度はサクの霊になるという具合で、人間と狐と交互に憑依するのである。そうこうするうち狐は“京都へ帰る”と言い出し狐の要求をを快く満たしてやったので、ついに満足して帰った。サクの霊は私の家の仏壇に祀り、今でもそのまま祀ってある。かくして化人形問題は解決したのである。

 次に前項広吉の霊が憑いて病気になった娘は一旦は快くなったが、一年位経てついに死亡したのであった。死後一ヶ月位経った時不思議な事が起こった。それは右の娘の兄に当る者で非常に大酒呑みがあったが、ある一日部屋に座していると、数尺先に朦朧として紫の煙のごときものが徐々として下降するのが見えた。するとその紫煙上に人間のごときものが立っている。よく見ると死んだ妹が十二単衣のごときものを着し、美々しき装いをなし、その崇高き風貌は絵に書いた天人のごとくである。と思うかとみれば娘は口を開き、「私は兄さんに酒を廃めて貰いたい事をお願いに来た。」というのである。語り終わるや徐々として上昇し消えたという事である。そのような事がその後一回あり、次いで三回目の時であった。その時は例のごとく紫雲が下降し、その上に朱塗りの楷〔階〕(きざはし)が見え、その橋を静かに渡って来た妹は、「今日は最後に禁酒を奨めるために来たので、神様の御許しは今回限りである。」といい、それ限りそういう事はなかった。

 この兄は、平常から信仰心などは更になく、もちろん霊的知識などは皆無という人物であったから、潜在意識などありようはずはないから、確実性があり、霊的資料として大いに価値があると思うのである。

 因みに右の娘は全く天国に救われたのはもちろんで、私は信仰生活に入って間もない頃であったから、年若き肺病の娘などを短時日に天国へ救う事が出来たという事実に対し、神の恩恵の厚きに感謝したのである。


(注)

中啓(ちゅうけい)

 儀式の際に用いる扇。親骨の先を外側に曲げ、閉じた扇の先が中びらきになっているもの。




狐霊と老婆


 私が実験した多くの中での傑作を一つ書いてみよう。これは五十余歳の老婆で、狐霊が二、三十匹憑依しており、狐霊は常に種々の方法をもって老婆を苦しめる。それで私の家へ逗留させて霊的治療を施したのである。その間五六ケ月位であったが、この老婆は狐の喋舌(しゃべ)る事が判ると共にまた狐の喋舌るそのままが老婆の口から出るのである。ある日老婆いわく、「先生、狐の奴が“今日はこの婆を殺すからそう思え、今心臓を止めてしまう”というと、私の心臓の下へ入り掻き廻しているので、痛くて息が止まりそうで直に死ぬから、その前に家族に遇いたいから呼んで貰いたい。」と苦しみながら言うので、私も驚いて、急ぎ電話で招び寄せた。老婆の夫君初め五六人の家族が、老婆を取り巻いて、死の直前のごとき愁歎場が現出した。しかるに時間の経つに従い、漸次苦痛は薄らぎ、二三時間後には全く平常通りとなったので、家族も安心して引揚げたという訳でマンマと一杯食わされたのである。その後二三回同様の事があったが、私も懲りて騙されなかった。

 ある日の夕方老婆いわく「先生、今朝狐の奴が“今日はこの婆の小便を止めてしまう”といった所、それきり小便が出ない。」というので、私は膀胱の辺りへ霊の放射をした所、間もなく尿が出、平常のごとくになった。またある日老婆いわく、「この頃食事中狐が“モウ飯を食わせない”というと胸の辺りでつかえて、どうしても食物が人らない。」というので私は、「それじゃ私と一緒に喰べなさい。」といって一緒に膳に向かい、共に食事をした所、果して「今狐が食わせないといいます、アヽもう飯が通りません。」という。早速私は飯に霊を入れ、また老婆の食道のあたりへ霊射をすると、すぐに喰べられるようになったがその後はそういう事は無かった。また私が治療を行う時、首の付根、腋の下等を指頭をもって探ると、豆粒大の塊が幾つもあるので、それを一々指頭をあて霊射すると、その一つ一つが狐霊で、その度毎に狐霊は悲鳴を上げ、老婆の口をかりていわく「アッいけねえ、見つかっちゃった。アア苦しい、痛い、助けてくれ 今出る今出る。」というような具合で、一つ一つ出てゆく。その数およそ二三十位はあったであろう。

 ある朝早く、私の寝ている部屋の方へ向かって廊下伝いに血相変えて老婆が来るので、家人は私を起こし、注意を与えてくれた。私は飛起きてみると、今しも老婆は異様な眼付をし片手を後へ廻し何か持っているらしく、私にジリジリ迫って来る、私は飛付いて隠している手を握ると煙管を持っているので、

「何をするか。」と言うと

「先生を殴りに来たんだ。」――という。私は抱えるようにして老婆の部屋へ連れ行き、そこへ坐らせ、前頭部に向かって霊射する。と、前頭部には多くの狐霊がいたとみえ、狐霊等声を揃えて“サァー大変だ大変だみんな逃げろ逃げろ、アア堪らねえ、痛てえ、苦しい”というので、私は可笑しさを堪え、数十分治療すると、平常のごとくなったのである。またある日老婆は私に向かって「先生姜(わたし)には頭がありますか?」と質(き)く、私は頭へ触りながら「この通りチャントあるじゃないか。」というと、老婆は「実は狐の奴が“今日は婆の頭を溶かしてしまう”というので、妾は心配でならないのです。」という。この事以来常に手鏡を持って、映る自分の頭をみつめている。訊ねると、「狐に溶されるのが心配で、鏡が放せない。」という。

「そんな馬鹿な事はない。」と私は何回言っても信じないので困ったのであった。以上のごとき種々の症状はあっても、他は別に変っていない。もちろん精神病者でもない。従って、「貴女は正気の気狂だ。」と私はよく言ってやった。しからばこの原因は何であるかというと、この老婆は前世において女郎屋の主婦のごときもので、多くの若い女を使って稼がしたが、それら若い女の職業が客を騙す狐のごとき事をさせたため、霊界に往って畜生道に墜ち狐霊となったもので、その原因が老婆にあるから怨んだ揚句、老婆に憑依し悩ましつつ復讐を行っている訳である。この意味によって現世における職業、たとえば遊女は狐、芸妓は猫、というように、相応の運命に墜ちるのである。従って人間はどうしても人間としてはずかしからぬ行為をなすべきである。




グロ的憑依霊


 これはすこぶるグロで興味のある憑霊現象であった。確か昭和八年頃だったと思う。当時四十二歳の男、仙台の脳病院へ入院加療したが、更に効果がないので東京の慶応病院に診療に来たのであった。ところがこの男の症状というのはすこぶる多種多様でグロ極まるものである。特に最も著るしいのは普通人には見られない高熱で、体温計を挟むやたちまち体温計の最高である四十三度に昇るのである。それだけならいいが、体温計の破裂する事が、しばしばあるので、脳病院でも実に困ったという事である。もちろん四十三度以上の超高熱であったからで、最初慶応病院では解熱剤の注射を三回行ったが少しも効果がない。これ以上は危険だからと注射をやめたという位で、そこで医療を諦め他の療法を求めていたところ、個々私の事を聞き訪ねて来たのである。

 私の前へ座るや五尺七、八寸位の大男で、物凄い悪寒が起った。ガタガタと慄(ふる)え出す状(さま)は嘗て見た事もない猛烈さである。私は体温計破裂の熱はこれだなと思った。早速彼の背後に廻り、抱えるようにして全身の霊を彼に向かって放射するや、たちまち効果が現われ、身慄いは五分位で全く治まり、軽熱位になったので、彼は暗夜に光明を認めたごとく欣喜雀躍し、是非とも私の家へ置いてくれというのである。彼の語る種々の話を聞くと霊的研究にはもってこいの相手なので私は快諾し、彼の言う通りにしてやった。これから起る霊的現象こそグロ的興味の深いものであった。

 時々彼は無我に陥り、頭が痛い痛いと叫ぶのである。私が霊射をすると、十分位で常態に復すので聞いてみると、彼は以前狩猟が好きで、ある日一匹の狐を射った。傍へ近寄ってみると未だ生きていて、イキナリ起上って彼に向かって来たので、彼は銃を逆に持ち、台尻を振上げ、狐の眉間目がけて一撃を加えたので狐はそのまま死んでしまった。その狐霊が憑依するので、憑依中頭痛の外に精神病的症状もあった。

 また彼は無我に陥ると共に、「木を除(の)けてくれ、木をのけてくれ」と連呼するのである。これはどういう訳かと聞くと、彼が北海道にいて樵(きこり)をした事があった。ある時大木を伐り倒した時にその倒れた木の下の凹所に人間が一人寝ていて気絶したのである。それを彼は知ってか知らずにかそのまま山を下った。後で気絶者は息を吹きかえしたところ、負傷の身体で木を押除ける事が出来ずそのまま死んだ。その霊の憑依である。

 また彼が殺した熊の霊も時々憑いた。その霊が憑ると非常に物を喰いたがる、ある時のごときは一度に鰊(にしん)十一本喰った事がある。

 また彼には蛇の霊が二匹憑っていた。これも彼が殺したその霊で、一匹は腹にいて時々蛟〔咬〕まれるごとき痛みで苦しみ、一匹は首に巻き着いて喉を諦め、呼吸を絶やそうとする。その都度私は霊の放射をしてやるとジキに治ったのである。

 次にこれは霊的ではないが、彼は最後に全身的浮腫を生じ、時々廊下で倒れる事があった。何しろ大男が浮腫と来ているので特に大きくなり、男子三人掛りでやっと部屋へ引ずって運んだ事も度々あった。その際睾丸が小提灯大に腫れ、浴衣からハミ出て隠す事が出来ず随分人からわらわれたものである。これを最後として全快し、健康者となったのである。




憑依霊の種々相


 その頃小山某なる三十歳位の青年があった。この男も霊媒として優秀なる資格者であった。この男は大酒呑みで酔うと精神喪失者同様、物の見境もなく、一文の金も持たずして近所の酒屋を一軒一軒飲み廻るのであるが、その尻拭いを親父がいつも、させられるという訳で、その悪癖を治して貰いたいと頼みに来たのが動機であったが、おもしろい事にはその男に種々の憑霊現象が起り、私に価値ある霊的資料を提供してくれたのである。その中の興味あるものを選んでかいてみる。

 ある日憑依した霊は数ケ月前死亡した近所の酒屋の親父で、非常に角力が好きであったとみえ、憑霊するや肘を張り、四股を踏み、「サア、どいつでも掛って来い。俺に敵うものはあるまい」といって威張るのである。私の家の書生は癪に触って打(ぶ)つかってゆくとたちまちに投飛ばされて肱(ひじ)の関節を折られ治癒に一年以上かかったのである。ある時は屈強の男が三人掛りでやっと抑えつけた事もあった。

 またある日の事である。老人のごとき霊が憑依したので、聞いた所、「俺はこの肉体の伯父に当たる者で、埼玉県の百姓であるが、俺は酒が好きで堪らないからこの肉体に憑いて酒を飲むんだ」といい酒を要求するのである。私は、「酒を飲ませるからこの肉体を出るか?」と言うと「ジャア、なるたけ大きいので一杯呑ましてくれろ、そうすればすぐ出る」と言うので、その通りしてやった所彼は、「もう一杯」という。またその通りしてやると「また一杯」と言い、都合三杯飲んで肉体を去ったのである。この霊が最初憑った時部屋中を見廻し、怪訝な顔をしていた。私は質(たず)ねたところ、彼は「ここはどこだんベ」と言う。私は、「東京の大森というところの私の住宅である」と言ったところ、「俺がいる彼世(あのよ)とは余程異うなア」と言い、「煙草が喫みたい」というので巻煙草を与ると、「こんな煙草はいけねえ。煙管(キセル)で吸いてい」というのでその通りしてやると、彼はヤオラ腰を上げたが、その姿は老人そのままである。やがて縁側へ出て庭を見廻しながら、うまそうに煙草を喫んでいる。私は聞いた。「彼世には煙草はありますか?」と言うと、「煙草もねえし、銭もねェので喫む訳に行かねえがら、人間の身体に入ェって喫むんだよ」という。「なる程――」と私は思った。

 右の老人が出ると入れ替ってまた何かが憑依したらしくすこぶる慎ましやかな態度である。聞いたところ「妾(わたし)は近くの煙草屋の娘で○○という。今から二月ばかり前に死んだものですが、竹ちゃんが好きだったので(この男の名は竹ちゃんという)今晩来たのです。」というので、「何か用がありますか?」と訊くと、「喉が涸(かわ)いて堪らないから水を一杯頂戴したい」というので私は、「まだ新仏であるあなたは毎日水を上げてもらうんでしょう」というと「ハイ、上げてはもらいますが呑めないのです」というので私は不思議に思い、再び訊ねたところ、彼女いわく「水を上げる人が私に呑ませたい気持などはなく、ただ仕方なしお役で上げるのでそういう想念で上げたものは呑めないのです。」との事で、「なる程霊界は想念の世界」という事が判った。故に仏壇へ飲食を上げる場合、女中などにやらしたり、自分であってもお義理的に上げるのでは、何にもならない事が判った。彼女の霊に水を呑ませると、うまそうに都合三杯のんだのである。





精神変質症


 大体狂人は皆変質であるが、これはまた珍しい型である。この男は四十幾歳で、発病後五、六年経た頃私のところへ来たのであるが、その態度も話しぶりも普通人と少しも変っていない。精神病者とはどうしても受取れないが、この男の語る所は次のごときものである。

 私の腹の中には○○○という神様がおられ、神様の仰有(おっしゃ)るには、「お前はトコトンまで修行をさせるから、いかなる苦痛も我慢しなければならない。まず第一金を持たせない。貧乏のどん底に落すから、その積りでおれ」との事である。彼は元相当大きな石炭屋の番頭であったが、不況時代転業し不遇数年に及んだ頃発病したので、発病当初は何ケ月間ほとんど寝たきりで、しかも全身硬直し、便所と食事以外は身体が自由にならず床縛り同様であった。その時腹中の神様は「お前は修行のため寝ていなければならない。こなたがそうしているのだ」と言う。それから一ケ年位経た頃漸く身体が自由になり、外出も出来る様になった。しかし神様の御指図以外自己の意志ではどうにもならない。例えば、「今日はどこそこへ行け」と神様が言うので、その通りにするが、それ以外の方へはどうにも足が動かない。つまり神様の操り人形に過ぎないのである。そのため多少蓄えのあった彼も漸次生活困難に陥り、遂に妻君の内職や子供の工場通い等で辛くも一家を支えていたのである。その内病気もやや軽快に赴いたので、元の主人である石炭屋へ再勤する事となった。これからがおもしろい。

 彼の友人である某会社員がコークスが欲しいとの事で、彼はそれを世話してやった。友人は非常に感謝し御礼のためと一日彼を某料亭へ招き、労をねぎらった。その時謝礼として金一封を出されたが見ると金五百円也と書いてあった。貧乏の彼は喜んで受取ろうとした刹那、腹の中の神様は、彼の意志と全く反対な言を喋舌(しゃべ)らしてしまった。「僕は礼など貰うつもりで骨折ったのではない、こんな事をするとははなはだ失礼ではないか、人を見損うにも程がある」と言うので、先方は驚いて大いに詫び、それを引込めてしまった。彼は非常に残念だが仕方がなかった。それから別間で芸妓に戯れようとすると、全身硬直して一言も喋舌れない、それから便所へ行き、用を済ませ出るや否や突然縁側で転倒した。神様は、「お前は金を欲しがったり、芸者に戯れようとするから、懲しめのためこうしてやったのだ」と言う。

 ある日主人が彼に向かって、「君は成績が良いから給料を増し、支配人格にしようと思う」というので、彼は非常に喜び受諾しようと思うや否や、神様はまた逆の事を喋舌らせる。「僕は給料なんか問題にしていない。増す事は御免蒙る、また支配人もお断わりする」と言うので主人も不思議に思い、撤回してしまった。またある時二十余歳になる主人の令嬢と面接し、世間話なとしていると、神様は突如思いもつかぬ事を喋舌らした。それは、「お嬢さん、僕とキッスしませんか?」と言うので、これには彼自身も驚いた。もちろんお嬢さんも仰天して部屋から逃げ出した、これらが原因となって店はクビになったのである。

 その後、職業紹介所や知人などに頼んで、やっと職業にありついたかと思うと、必ず先方を立腹さしたり、厭がらせるような事を喋舌るので彼も就職を諦め、家に閉籠るのやむなきに到った。そんな事を知らない近所の人達は妻君に向い、「お宅の御主人は何もなさらないようだから、町会の役員になって欲しい」と言われる。神様は、「そんな事はならぬ」と仰有(おっしゃ)る。それに叛けば全身硬直という制裁を加えられるからどうする事も出来ないで毎日ブラブラしている。神様に訴えると「お前はもっと貧乏で苦しまなければいけない」と言うので、いよいよ赤貧洗うがごとくになったのである。

 以上のような訳で、症状からいっても精神病者とは受けとり難く、普通人と違わぬ思想も常識も備えているが、ただ意志通りの言葉や行動が出来ないだけである。この原因は多分前生時代、深刻に苦しめた相手が再生の彼に対し、その復讐をしているのであろう。最近彼は全快して私の家へ礼に来たのである。




夢と邪霊


 昭和七年四月のある日午後三時頃電話が掛って来た。すぐ来て貰いたいというので、私は早速その家へ赴いた。その家は相当の資産家で、そこの妻女の難病を治してから間もない頃であった。その妻女に面会するや彼女は口を開き「実は先刻ウツラウツラ居眠りをしていると不思議な夢をみた。それは真黒な人間のごときものが私に向かって強い言葉でいうには「お前は岡田を近づけてはいけない、アレを近づけると今にお前の家の財産を捲上げられてしまうから今の中はなれてしまえ」と言うので、私は「否、それは出来ません。私が十数年来悩んだ病気を治して下さったのだから、絶対放れる訳にはゆかない」というと黒い影は怒って「ヨシそれではこうしてやる」と言って喉を締めつけたので、私は吃驚して眼がさめたところが驚いた事には、喉を締める際、指の爪で強く押したため、目が醒めた今でも爪の痕が痛い」というので見ると驚くべし、アリアリと爪の痕が着いており、赤く腫れているのである。考えるまでもなく夢中で押されたそれが現実に肉体に傷ついたという事は何と不思議ではないか。これは霊が体と同じ働きをした事になるので、私は身震いしたのである。これと同じような実例が今一つある。

 ある日の早朝電話がかかって、すぐ来てくれというので早速その家へ駈つけた。見るとその家の二十歳位の令嬢が臥床していた。この令嬢は非常に弱かったのを私が健康にしてやったのである。訊いてみるとこれも不思議な話である。令嬢いわく、「朝まだき夢をみた。それは以前ちょっと知り合っていて、数ケ月前死んだ某青年である。夢の中でこの青年がイキナリ自分を目がけてピストルを放ったので眼がさめた。すると不思議や身体中が痙(しび)れて動けない。しかも心臓の中に弾丸が入っている様に思われ、多量の出血があるような感じであるから胸を見てくれ」というのである。私は見たが何ともなっていない。早速霊的治療を施し、心臓から弾丸の霊をつまみ出してやったので大分快くなったが全治はしない。私は時間が経てば治るといって帰った。その夕五時、私宅で祭典があったので、「治ったら来なさい」と言ったところ、幸いにも五時頃平常の通りで参拝に来たので、私も安心したという事があった。

 右両例とも邪神の妨害であったのはもちろんである。前者は私から離反させんがため、後者は祭典に参拝不能にさせようとしたためである。



生霊


 こういう事もあった。某大学生に霊の話をしたところ仲々信じない。「それなら僕に何か憑依霊があるか査(しら)べてくれ」というので、早速霊査法に取掛った。間もなく彼は無我に陥り、若い女らしい態度で喋舌(しゃべ)り出した。その憑依霊というのは、当時浅草公園の銘酒屋の女で時たま遊びに来るこの大学生に恋愛し、生霊となって憑依したものである。霊の要求は、「この人はチッとも来てくれないので、逢いたくて仕方がないから来るように言って欲しい」と言うのである。私も生霊とは言いながら惚れた男の言伝(ことづて)を頼まれたという訳で、洵(まこと)に御苦労千万な次第である。そうして覚醒するや彼は怪訝な顔をしている。私は、「どうでしたか?」――と聞くと、彼「無我に陥ったのか全然判らなかった。」と言うので、私はその女の話をしたところ、彼は吃驚して恥しそうに頭掻きかき畏れいって霊の存在を確認したのである。

 次に、ある所で若い芸者を霊査した事があった。すると旦那の霊が出て来たので、私は種々質問したところ、左のごとき事情が判った。その生霊は某砂糖問屋の主人で、「今晩この芸者に会う約束がしてあったところ、よんどころない用が出来、遇う事が出来ないから明晩遇うという事を伝えてくれ」というのである。その言葉も態度も、まず四、五十歳位の男性の通りであったから疑う余地はない。その話をすると、彼女は吃驚した。自分は無我に陥って何を喋舌ったか全然判らなかったので、私の話により、右の生霊の言う通りに約束がしてあったというのであった。

 二十歳位某家の令嬢、私の所へ来て訴えるには、「自分は近頃憂鬱症に罹ったようで世の中が味気なくて困る。」というので、私は、「あなたのような健康そうでしかも十人並以上の美人でありながら理屈に合わないではないか、何か余程の原因が無くてはならない」と種々尋ねたところやっとそれが判った。というのは近所にいるある青年がその娘に恋慕し、「手紙や種々の手段で、自分を承知させようとするけれども、私はその青年が嫌いで何回も断わったところ、その青年は始終私の家の付近に来るので、恐ろしくて滅多に外出も出来ない」という。私は、「その男の生霊があなたに憑くのだ」という事を聞かしたため、彼女もなる程と納得し、それから漸次快方に向い全快したのである。それは病気でないという事が判ったので安心したからである。

 現代人に死霊の存在を認識させるのさえ余程困難であるが、生霊に到っては猶更(なおさら)困難である。しかし疑う事の出来ない事実である以上そのつもりで読まれたいのである。生霊においてはまだ種々の例があるが、右の三雲だけで充分と思うから後は略すが、生霊は総て男女間の恋愛関係がほとんどである。そうして右の令嬢の憂鬱症はいかなる訳かというと、相手の男が失恋のための悲観的想念が霊線を通じてそのまま令嬢に反映するからである。右のごとく生霊は相手の想念が反映する訳である故に、右と反対に両者相愛する場合は相互の霊線が交流し、非常な快感を催すもので、男女間の恋愛が離れ難い関係に陥るのはこの快感が大いに手伝うからである。また死霊が憑依する場合は悪寒を催し、生霊が憑依する場合は温熱を感ずるものである。

 次に右のような他愛もない生霊なら大して問題ではないが恐ろしい生霊もある。それは本妻と妾等の場合や三角関係等で、一人の男を二人の女が相争う場合その嫉妬心が生霊となり闘争するのであるが、大抵は妻君の方が勝つものである。その理由は正しい方が勝つのは当然であるからで、その場合妻君の執念によって妾の方は病気に罹るとか死亡するとか、または情夫を作って逃げるとか結局旦那と離れるようになるものである。

 人間の生霊はそれ程でもないが、ここに恐るべきは管狐(くだぎつね)の生霊である。これは昔から飯綱(いづな)使いといい、女行者が使うのであって、人に頼まれ、怨みを晴らす等の事を引受けるのであるが、管狐というのは大きさはメロンの少し小さい位の大きさで、白色の軟毛が密生したすこぶる軽くフワフワとしたもので、その霊は人間のいう事をよく聞き、命令すればいかなる悪事でも敢行するのである。この飯綱使いは昔から関西地方に多く、その地方では飯綱使と縁組するなというそうであるが、これは少し感情を害しでもすると返報返しをされるがらである。

 また狐霊の生霊も多く、肉体だけが稲荷や野原に棲居し、生霊だけが活動するのである。




地獄界の続き


 次に他の地獄界は総括的に書く事にする。

 修羅道は、俗に修羅を燃やすという苦悩で例えば闘争に負け、復讐しようとして焦慮したり、自己の欲望が満足を得られないために煩悶したりする心中の苦しみが生前からあったまま持続し、修羅道界に陥るのである。これらは現界でも霊界でも信仰によって割合早く救われるものである。

 色欲道は読んで字のごとく色欲の餓鬼となったもので、男子にあっては多くの婦人を玩弄物視し、貞操を蹂躙する事を何とも思わず、多数の婦人を不幸に陥れた罪によって陥るのである。このため地獄においては生前騙され、酷い目に遇った女性群が責めたてる。その苦痛は恐ろしく、いかなる者といえども悔悟せざるを得ないのである。そうしてこの苦痛たるや、生前罪を造っただけの女の数と、その罪の量とを償うのであるから容易ではないのである。これによってみても世の男子たるもの、自己の享楽のため女性を不幸に陥らしむるごとき行為は大に慎しまなければならないのである。右に述べたごとき罪は男子に多い事はもちろんであるが、稀には女性にもあるので、自己の享楽または欲望のため貞操を売ったり、姦通をしたり、男性を悩ましたりする事を平気で行なう女性があるが、これらももちろん色欲道に堕ち苦しむのである。

 焦熱地獄は放火をしたり、不注意のため大火災を起こし、多くの人命財産を犠牲に供する等の罪によって落ちる地獄である。

 蛇地獄は無数の蛇が集って来るので、その苦痛たるや名状すべからざるものがある。この罪は自己の利欲のため、多くの人間に被害を与える。例えば大会社の社長、銀行の頭取等が自己利欲のため不正を行い、多数者に損害を与えたり、政治家が悪政によって人民を塗炭の苦しみに陥したりする怨みや、戦争を起した張本人に対する犠牲者の怨み等々が蛇となり復讐をするのである。

 蟻地獄は殺生の罪であって、例えば虫、鳥、小獣等を理由なきに殺生する。それが蟻となって苦しめるのである。それについてこういう話がある。その目撃者から聞いた事であるがある時木の上に蛇が巻き着いていた。見ていると数羽の雀が来て、その蛇を突っつき始めた。遂に蛇は木から落下して死んでしまった。そのままにしておいたところ数日を経て、蛇の全身が無数の蟻になったのである。その蟻が群をなして幹を這い上り、その巣の中のまだ飛べない何羽かの雀の子を襲撃した。もちろん雀の子は全部死んだのであるが、実に蛇の執念の恐ろしさを知ったと語った事がある。

 蜂室地獄は無数の蜂に刺される苦しみで、その例として左のごとき話がある。以前私の弟子であった髪結の婦人があったが、その友達がある時霊憑りになったので、ある宗教家の先生を頼んで霊査をして貰ったところ、こういう事が判った。その友達の御得意であるある芸者が死んで蜂室地獄に落ちて苦しんでおり、救って貰いたいため憑ったというのである。その霊媒にされた婦人は、その頃某教の信者であったからでそれに縋ったのである。霊の話によれば人間一人入れる位の小屋に入れられ、その中に何百という蜂群が、全身所嫌わず襲撃するのだそうで、その苦痛に堪えられないから助けてくれというのである。この罪は芸者として多くの男子を悩まし、大勢の妻君が霊界に入ってから嫉妬のため蜂となって復讐したのである。

 次に地獄界は伝説にあるごとく、獄卒として赤鬼青鬼がおり、トゲトゲの付いた鉄の棒を持って、規則に違反したり反抗したりする霊を殴るのであるが、これは肉体の時打たれるより痛いそうである、何となれば肉体は皮膚や肉によって神経が包まれておるからで霊ばかりとなると直接神経に当たるからで実に堪らないそうである。そうして地獄の幾多の霊がよく言う事に、何程苦痛であっても自殺する事が出来ないので困るそうである。なる程自分達は既に死んでいる以上、この上死にようがないからである。この点霊界は厄介な訳である。また地獄界を亡者が往来する場合火の車に乗るのだそうである。地獄界の霊は自身の苦行または子孫の供養によって漸次向上するのであるから、子孫たるもの供養を怠ってはならないのである。

 私がある霊を救い鎮祭してやると、間もなく私に憑って来た。その霊いわく。「今日御礼と御願いに参りました。御蔭で極楽へ救われ嬉しくてなりません。私の嬉しい気持はよくお判りでしょう」という。なる程その霊が憑依するや、私は何とも言えない嬉しさが込み上げて来る感じである。次いで霊の御願というのは、「どうか再び人間に生れて来ないように神様に御願して頂きたい」と言うので、私は不思議な事を言うものかと思いその理由を質(たず)ねると、「極楽は生活の心配がなく実に歓喜の世界であるに反し、娑婆は稼いでも稼いでも思うように食う事さえ出来ずコリゴリしたこと言うのである。これによってみると、霊界行も満更悪いものではないらしく、死ぬのも楽しみという事になるが、それには生きている中に善根を積み天国行の資格を作っておかなければならないという訳である。

 次に人霊以外の他の霊の状態を概略書いてみよう。




天狗界


 霊界における特殊存在として天狗界と龍神界とがあるからかいてみよう。

 まず天狗界とは、各地の山嶽地帯の霊界にあって、天狗なるものはそれぞれ山の守護としての役を掌(つかさど)っている。天狗界にも上中下の階級があり、主宰神としては鞍馬山に鎮座まします猿田彦命である。

 天狗には人天及び鳥天の二種があり、人天とは人間の霊であって、現世における学者、文士、弁護士、教育家、神官、僧侶、昔は武士、等で、死後天狗界に入るのである。また鳥天とは鳥の霊で、鳥は死後ことごく天狗界に入り、人天の命に従って活動するのである。

 鳥天の中、鷲や鷹のような猛鳥は、天狗界においても非常な偉力を発揮している。以前私は小田原の道了権現の本尊がある婦人に憑依したのを審神(しんしん)した事があったが、それは何千年前の巨大な鷲であって、鷲の語る所によると「昔は大いに活躍したが、近年扁翼(へんよく)を傷め、思うように活動出来ぬ。」と歎声を漏らしていた。

 烏天狗はもちろん烏の霊で、天狗界では主に神的行事を行い、特に神聖なる階級とされている。また木ッ葉天狗といわれるものは小鳥の霊で通信、伝令や使者の役目をしている。

 昔から天狗は鼻高と唱え、絵画や面など非常に鼻を高く表わしているが、これは事実である。また赤い顔になっているが、天狗は酒が好きだからである。

 次に天狗の生活であるが、彼等が最も好む行事としては議論を闘わす事で、それは論戦に勝てば地位が向上するからである。従って現世において代議士、弁護士等の業務に携わるものは天狗の再生または天狗の憑霊者である。議論の次に好むものは碁将棋で、私は天狗から天狗界の将棋を教わった事があるが、現界のそれとはよほど異(ちが)っている。また書画、詩文等も好むが、何といっても飲酒は彼等にとって無上の楽しみである。天狗界の言葉は、現界の言語とは余程異りサシスセソの音が主で、その長短抑揚の変化によって意志を交換するのである。天狗の語る所を見ると口唇を最も動かし、舌端を尖らせ、音声をほとんど出さず、上下の口唇の盛んに活動させて意志を交換するので見ていると面白いものである。

 また天狗の空中飛翔は独特のもので、よく子供等を拉(らつ)し、空中飛翔によって遠方へ連れ行く事がある。彼の平田篤胤の名著「寅吉物語」中の寅吉の空中飛翔は奇抜極まるもので、また秋葉神社の三尺坊天狗の事跡もおもしろい記録である。天狗は人に憑依する事を好み、人を驚かす事を得意とする。彼の牛若丸が五条の橋上で弁慶を翻弄したり、義経となってから壇の浦合戦の時、船から船へ飛鳥のごとく乗り移ったという事跡なども全く天狗の憑依したもので、彼が鞍馬山において修行の際、猿田彦命より優秀なる天狗を守護神として与えられたものであろう。その他武芸者などが山嶽に籠り修行の結果天狗飛切の術などを得たり、宮本武蔵の転身の早業などはいずれも天狗の憑依によるのである。

 次に修験者などが山へ籠り、断食、水行等の荒行をなし、神通力または治病力など種々の霊力を得るという話がよくあるが、それらも天狗が憑依するのである。こういう天狗は一種の野心を持ち、その人間を傀儡(かいらい)として現世において名誉または物質を得て、大いに時めく事を望むのであるが、これらは正しい意味の神憑りではないから、一時は相当の通力を表わし社会に喧伝(けんでん)せらるる事もあるが、時を経るに従い通力が鈍り、元の木阿弥となるものである。そうして人間が断食や病気等によって心身共に衰弱する場合霊は憑りやすくなるものである。

 また目に一丁字ない者が突如として神憑りとなり、詩文や書など達筆に書くという例なども天狗の憑依である。

 天狗の霊について私の体験をかいてみよう。以前私は武州の三峰山に登った事がある。その夜山頂の寺院に一泊したが、翌朝祝詞奏上の際私に憑った霊があるので訊いてみると、二百年位前天狗界に入った霊で、駿河国三保神社の神官であったそうである。なぜ私に憑依したかと訊くと、その頃私が愛読していたある宗教のお筆先を読んでもらいたいと言うのである。そこで私は出来るだけ読んでやったが、約半年位いて彼は厚く礼を叙(の)べ帰山したのであった。天狗の性格は、理屈っぽく慢心をしたがり、下座が嫌いで、人の上に立つ事を好み、言い出した事は飽くまで通したがり、人の話を聞くより自分の話を聞かせたがるものである。また鳥天の憑依者は鳥の特色を表わしており、口が尖り声は鳥のごとき単調音で、性質は柔軟で争を好まないから人に好かれる。また空中飛翔の夢を見る人がよくあるが。これは鳥天の憑依者である。




龍神界


 龍神界などというと現代人は荒唐無稽(こうとうむけい)の説としか思われまいが、実は立派に実在しているのである。それについて私の体験から先に書いてみるが、私が宗教や霊の研究に入った初めの頃である。ある日精神統一をしていると、突然異様の状態となった。それは口を大きく開くと共に、口が耳の辺まで裂けてるような感じがし、眼(まなこ)爛々(らんらん)として前額部の両方に角の隆起せるごとく思われ、猛獣の吼えるがごとき物凄い唸り声が自然に発するのである。私は驚くと共に、予(か)ねて霊の憑依という事を聞いていたので、これだなと思ったので私は、この霊は虎か豹かライオンのごときものではないかとも思ってみたが、右の獣は無角獣であるからそうではない。そこで当時先輩であったある指導者格の人に質(き)いてみたところ、それは正(まさ)しく龍神の霊であると言うのである。その頃の私は龍神などというものは実際あるかどうか判らないと思っていたが、そう聞くとなる程と思った。しかも神憑りの場合、脊柱上方部の骨が隆起するような感じがしたのも龍の特徴である。そのような事が何回もあったが、その中に私以外のものが私の身体の中で喋舌(しゃべ)るのである。それは右の龍の霊であって、私に憑依した事によって人語を操れるようになったと感謝し、種々の物語りをした。その話によれば「自分は富士山に鎮まりいます木之花咲爺姫命(このはなさくやひめのみこと)の守護神であって、クスシの宮に鎮まりいる九頭龍権現(くずりゅうごんげん)である。」と言うのである。しかるにその後数年を経て、私は初めて富士登山を試みたが、それまでは龍神から聞いたクスシの宮は山麓であると思い、尋ねたが見当らない。遂に富士山頂へ登った。頂上の登口右側に大きな神社がある。見ると久須志神社と書いてある。あヽこれだな、全く龍神の言は偽りでない事が判った。

 右の龍神については種々神秘があるがいずれ他の著書で発表しようと思う。この事よって私は龍神の存在をまず知り得たのである。私は種々の点から考察するにこの大地構成の初め、泥海のごとき脆弱な土壌を固め締めたのは、無数の龍神群であったが、龍神が体を失った後、その霊が天文その他人間社会のあらゆる部面にわたって今もなお活動し続けつつある事も知ったのである。龍神がこの大地を固めた。次が科学者の唱えるマンモス時代で、これは巨大なる象群が、大地を馳駆し固めたものであろう。今日満州の奥地からたまたま発見される恐龍の骨などは最後の龍と想う。

 また龍には種類がすこぶる多く、おもなるものを挙げてみれば、天龍、金龍、銀龍、蛟龍、白龍、地龍、山龍、海龍、水龍、火龍、赤龍、黄龍、青龍、黒龍、木龍等である。伝説によれば、観世音菩薩の守護神は金龍となっている。浅草の観音様を金龍山浅草寺というのもそのためであろう。また白龍は弁財天ともいい、赤龍は聖書中にある、「サタンは赤い辰なり」という言葉があるが、それであろう。黄龍及び青龍は支那の龍であり、黒龍は海の王となっている。木龍は樹木に憑依している龍である。そもそも龍神なるものはいかなる必要あって存在するかというに、皆それぞれの職責を分担的に管掌の神から命ぜられ、それによって不断の活動を続けているのである。なかんずく天文現象すなわち風雨雷霆(らいてい)等はそれぞれの龍神が、祓戸(はらいど)四柱の神の指揮に従い担掌するので、天地間の浄化作用が主である。その他一定域の海洋湖沼河川や、小にしては池、井戸に至るまで、大中小それぞれの龍神が住み、守っているのである。従って、池、沼、井戸等を埋める場合、その後不思議な災厄が次々起こる事は人の識る所である。

 龍神の性質は非常に怒りやすく、自己の住居を全滅せられた場合非常に怒るのである。それは人間に気を付かせ、代りの住居を得んとするのである。故に初めから小さくとも代りを与え、転移の手続をすればよく、龍神は水がなくてはいられないから小さい池か甕のごときものに水を入れてもよい。元来龍神は霊となっても腹中熱するため非常に水を欲しがるのである。人間の死後龍神に化するという事は既説の通り執着心によるので、これらは霊界における修行によって再び人間に生まれ替るのである。彼の菅原道真が死後、生前自己を苦しめた藤原時平はじめ讒者(ざんしゃ)等に対し、復讐の執着から火龍となり、雷火によって次々殺傷し、ついには紫宸殿(ししんでん)にまで落雷し、その災禍天皇にまで及ばんとしたので急遽神に祭る事となった。それが今日の天満宮である。それ以来何事もなかったという事で、これらは歴史上有名な話であって科学ではちょっと歯が立たない代物であろう。次に明治から大正へかけての話であるが、今の霞ケ関にある大蔵省の邸内に彼の平将門(たいらのまさかど)の墓があった。それに気の付かなかったため、大蔵省関係者に不思議な災厄が次々起こるので、種々調査の結果、将門の霊のためではないかという事になり、盛大なる祭典を行ったところ、それ以来何事もなくなったという事で、これらも将門の霊が龍神となって祟ったものである。そうして龍神に限らずあらゆる霊は祭典や供養を非常に欲するものである。何となればそれによって執着心が軽減され霊界における地位が向上するからである。

 龍神は大体画や彫刻にあるごとき形体であるが、有角と無角とあって、高級の龍神はすこぶる巨大でその身長数里または数十里に及ぶものさえある。彼の有名な八大龍王は古事記にある八人男女(やたりおとめ)すなわち五男三女神である。伝説によれば彼の釈尊が八大龍王を海洋に封じ込め、ある時期まで待てと申渡したということである。私の考察によればその時期とは夜の世界が昼の世界に転換する時までである。ちなみに八大龍王は人間に再生し光明世界建設のため、現在活動しつつある事になっている。

 昔から龍神の修行は海に千年、山に千年、里に千年という事になっている。これらも相当根拠はあるようである。しかしながらこれも関係者の供養や善行等によって期間は短縮されるのである。龍神は修行が済むと昇天するが、その場合雲を呼び暴風を起し、いわゆる龍巻といって海水湖水等を随分高く上げ、天に昇るので、これを見た人は世間に数多くある。それについて私は一弟子から聞いた話であるが、ある時松の木に霊ではない本物の蛇が絡んでいる。じっと見ていると蛇は段々木の頂上に昇り、ついに木から離れて空中へ舞上った――と見る間にずんずん上昇し、ついに見えなくなったというのである。これは実物であるからおもしろいと思うと共に、有り得べからざる話のようで、またあり得べき話でもある。

 龍神が再生した人間はその面貌によっても判るのである。龍神型としては顴骨(かんこつ)高く、額部は角型で、こめかみ部に青筋が隆起しており、眼は窪んだものが多く、顎も角張っており、特徴としてはよく水を飲みたがる。性質は気位が高く人に屈する事を嫌い、覇気に富むから割合出世する者が多い。龍系型を熟視すれば、龍という感じがよく表われているから、何人も注意すれば発見する事は容易である。


(注)

顴骨(かんこつ)頬の上、目の斜め下に左右一個ずつある骨。頬骨




神霊と仏霊・人霊


 私はここで日本における神界仏界の、種々相をかいてみよう。まず神霊は高級なる程巨大であって、人間と同じ御姿である。ただ御位により相違はある。普通は衣冠束帯で、最高級の神は紫の上衣に紅色の下袴、冠は纓(えい)を垂らしている。模様も花鳥模様、雲形、龍等を主なるものとし、あらゆる種類があり、中位の神は青竹色の上衣、緋の下袴、纓のない冠であり、下位の神は白の上衣白の下袴であり、冠は烏帽子型である。女神は十二単衣のごときもので限りない美わしさである。しかし右は公式の場合で平常は想念のまま種々の服装をする。そうして家屋は日本においては檜(ひのき)材を用い、神殿造りにて居間は簾(すだれ)を垂れ、大神の居所へ行くには数段の階(きざはし)を昇り、幾部屋の前を長廊下を伝い通り抜けるが、臣下は縁側から行くのである。縁側の外側は高欄を廻(めぐ)らし、総体が清々しき様相で、庭も宏く樹草の外石水をあしらい、清楚にして善美である。

 仏霊は開祖教主等の居所は数百人または数千人を容るる大伽藍の高き所に美々しき御座を設け、きらびやかな袈裟衣を纏(まと)い、時々説教さるるのである。仏界に往く霊はことごとく男女共剃髪するのはもちろんである。常に詩歌、管絃、碁、将棋、音楽、舞踊等を娯しみ、戸外に出づれば大池がありそこに蓮の葉が浮いており、ちょうど二人乗る位の大きさで、意のままの方向に行けるのである。そうして極楽と浄土はいささか異なっている。極楽は白色の光線にて明るいが、地域も狭く仏霊も少数であるに反し、浄土は金色の軟き光線にて、極楽が朝なら浄土は夕方に相当する光である。寂光の浄土というがその通りである。そうして神仏の霊が他に転移する時は玉のごとく円形となって、空間を非常な速度をもって反射的に移行する。しかも高級霊程光は強く、速力が迅(はや)いため、人間の眼には映ずるどころではない。しかるに人霊においては光は薄く朦朧(もうろう)たる灰白色で速力も遅いから、人間の眼に映ずるのでこれが人魂である。すべて霊は伸縮自在にて針の穴からでも出入自在である。そうして低級霊程小型で、地獄の霊などは普通五、六寸から一尺位までである。よく肩の辺に立っている人霊写真を私は数回見た事がある。




霊層界


 霊界の構成はさきに述べたごとく、天国、中有、地獄の三段階が三分されて九段階となっており、一段はまた二十に分かれ、一段階二三ンが六十段となり、三六(さぶろく)十八すなわち総計百八十段となる。私は名づけて霊層界という。その上宇宙の主宰者たる主神が坐(ましま)すのである。主神の主の字は一二三本の横線を縦の棒一本を通し、上にヽが載っている事はおもしろいと思う。そうして人間と霊の関係を詳しく説明してみるが、人間の肉体そのままの形体である精霊があり、その中心に心があり、心の中心に魂があるという具合に、大中小の三段否三重となっているが、その魂こそ神から与えられたるもので、これが良心そのものである。この魂の故郷すなわち本籍地ともいうべき根源が、右の百八十段階のいずれかに属しており、これを名付けて私は幽魂という。この幽魂と人間の現魂とは霊線によって繋がれており、絶えず人間の思想行動は幽魂に伝達され、それが神に通じており、また神よりの命令は幽魂を経、霊線を通じて人間に伝達さるるのである。この例として人間が種々の企図計画をなし、目的を達成せんと努力するも事志と違い、思わぬ方向に赴いたり、意外な運命に突当ったりする場合つくづく顧みる時、何等か自分に対し見えざる支配者があって、自分を操っているように想われる事を大抵の人は経験するであろう。すなわちこの支配者なるものが右の幽魂から伝達さるる神の意志である。故に神意に反する場合何程努力するといえども、努力すればする程逆効果になるものであるから、人間は常に自己の考えが神意に合致するや否やを深く省察しなければならない。しかしながらこの場合私欲邪念があるとすれば、それは神意の伝達を妨害する事になるから、一時は良いように見えても、ついには必ず失敗するものである。この理によってなんらかの計画を立てる場合、よくよく自己を省み、その目的が善であるか、社会人類に役立つべきものなるや否やを深く検討しなければならない。ここでおもしろい事は、邪念のため神意に添わずために失敗苦境に陥る場合、その苦難によって、邪念の原因である罪滅が滅減する事になるから、そのため魂が磨かれる結果となり、今度は神意と合致するようになり、成功する事になる。世間よく一度失敗しその後成功する例がよくある事や、特に失敗の度数の多い程大成功者となる例があるが、右の理によるのである。

 以上のごとくであるから霊層界のより上段に霊魂の籍をおく事が幸運者たり得る唯一の方法である。元来霊魂の位置は一定してはいないもので常に昇降している。なぜかというと軽い程上方に昇り、重い程下向するのであって、この軽重の原因はいかなる訳かというと、人間の行為の善悪によるもので、善事を行ない徳行を重ねれば罪穢が減少するから軽くなり、悪事を行ない罪を重ねれば罪穢が増すから重くなるという訳で、昔から罪の重荷とはよく言ったものである。故に善悪の心言行そのままが霊線によって神へ直通するのであるから、この理を知ったならどうしても善徳者にならざるを得ないのである。

 前述のごとく人間は神の命によって、運命は疎か生死までも決定するのであるから、人間の生命の命の字は命令の命の字である。故に死とは神よりの命令解除である。それは世の中に害毒を与えたり生存の価値なきためであるから、人間は命令を解除されぬよう神に愛され社会有用なる人間にならなければ、長寿と幸福は得られる筈がないのである。

 霊層界の上位へ行く程病貧争のごとき苦はなく、溌剌たる健康と、饒(ゆた)かであり善美である衣食住を与えられ、歓喜の生活を営まれるから、そこにいる幽魂の幸福は、霊線によって現界の人間に直通し幸福になるのである。その反対に霊層界の下位にある幽魂は、霊通〔線〕によってその人間に反映し、常に地獄的生活に喘ぎつつ一生不幸におわるのである。

 世間よく家相方位などに関心を持つ者があるが、霊層界の上位に在る者は、移転や建築等をなす場合、自然良方位、良家相に移住する事になり、反対に霊層界の下位にある者はいかに努力するといえども、悪方位悪家相に移住する事になるのである。また結婚の場合、良縁も悪縁も右と同様の理によるのであって、これは霊体一致の原則による以上、この絶対力はいかなる人間といえども抗する事は不可能である。

 ここで宿命と運命について一言するが、宿命とは生れながらに決定せるもので、それは霊層界の上中下三段のどれかの一段の圏内に限定され、それ以外に出づる事は不可能であるが、運命は右の宿命圏内の最上位に行くも最下位に行くも努力次第であるから、宿命の不変であるに対し、運命はある程度の自由を得られるのである。

 したがって人間は常に善徳を積み、罪穢を軽減し霊層界のより上位に吾が幽魂を住せしむべきで、それによる以外幸福者たり得る道は決してない事を知るべきである。


覚りの旅  メシヤ降誕本祝典記念祭

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