2019年12月29日日曜日

『覚りの旅』令和2年1月度 資料


 
令和二年一月五日
『覚りの旅』令和2年1月度
三救責任者
みなさま、新年祭おめでとうございます。
今年の最初の『覚りの旅』のテーマは
『私のことを「主神様」と言っています』御教え集十六号 昭和27年11月15日 150P
です。それでは拝読をお願いいたします。

はい。ありがとうございました。
本日は初めに今までの学びを振り返っておきたいと思います。
学んだ項目を挙げて見ます。

「世界救世教教義」・・・18  https://39tpos.blogspot.com/2019/06/blog-post.html
「本教の誕生」・・・20  https://39tpos.blogspot.com/2019/07/7.html
「悪と守護霊」・・・30 https://39tpos.blogspot.com/2019/08/8.html
「仏滅と五六七の世」・・・38  https://39tpos.blogspot.com/2019/09/blog-post_11.html
「最後の審判」・・・42  https://39tpos.blogspot.com/2019/10/10.html
「人間と病気」・・・47  https://39tpos.blogspot.com/2019/11/11.html
「救ひ主と贖罪主」・・・51  https://39tpos.blogspot.com/2019/12/12.html
メシヤ講座no.192三重(平成29年2月)http://takaamahara.blog.jp/archives/11272121.html
「天国篇」・・・66
メシヤ講座・特選集no.176(平成27年9月分)http://takaamahara.blog.jp/archives/15976448.html
「五六七大祭」救世五十三号・・・68
「真の大乗宗教」・・・72 http://takaamahara.blog.jp/archives/13551025.html
平成29年6月「一人が百人」・・・76  http://takaamahara.blog.jp/archives/11272263.html
平成30年
8月「法律と人間の野蛮性」・・・79 http://takaamahara.blog.jp/archives/11572638.html
9月「救世教とはなにぞや」・・・83 http://takaamahara.blog.jp/archives/12380672.html
10月「私の名称に就て」・・・90 http://takaamahara.blog.jp/archives/12143865.html
11月「私は真理を書く」・・93 http://takaamahara.blog.jp/archives/13655788.html
12月「邪神活躍」・・・98 http://takaamahara.blog.jp/archives/14180580.html
平成31年
1月「時局と霊界」・・・103  http://takaamahara.blog.jp/archives/14769922.html
2月「浄霊と幸福」・・・107  http://takaamahara.blog.jp/archives/15385874.html
3月「本教と文化革命」・・・110  http://takaamahara.blog.jp/archives/15209961.html

4月「巻頭言」・・・114  http://takaamahara.blog.jp/archives/16636136.html
令和元年
5月「霊と体」・・・117  http://takaamahara.blog.jp/archives/16661289.html
6月「序文」奇蹟集・・・121  http://takaamahara.blog.jp/archives/17722746.html
7月「結論」奇蹟集・・・126  http://takaamahara.blog.jp/archives/18255177.html
8月「浄霊とは何か」・・・130  http://takaamahara.blog.jp/archives/18845274.html
9月「 (ス)の文化とユダヤ文化」・・・136
10月「神仙郷完成兼美術館開館記念祝賀式典御講話」・・・140
11月「あらゆるものを簡単に表(あら)わしている」・・・146
12月「私は主神の仕事をさせられている」「秋季大祭御講話」・・・147

令和二年
1月「私のことを〝主神様〟と言ってます」御教え集十六号・・・150
2月「伊邪諾(いざなぎ)尊が主神の代表神」御教え集十六号・・・158
3月「浄霊の力の元は太陽の黒点」御教え集二十四号・・・161
4月「明主様(メシヤ様)御言葉」・・・177
5月「メシヤというのは人間の名前です。神様は、主の神・・・エホバですね。」                
御垂示録九号・・・179
6月「中島氏帰幽に関するお言葉」・・・192

こう見てきますと、ずいぶん学んできましたね。
6月で『主神様とメシヤ様』の25年以降の御論文の学びは終了します。7月以降については引き続き25年以前の御教えも学ばせて頂くのか、『文明の創造』の序文から学ばせて頂くのか、皆さんのご意見をお聞きした上で進めてまいりたいと思っております。
三救ではなぜ『主神様とメシヤ様』を順番に学んでいるのでしょうか。自分たちで何を学ぶのか決めたわけですが、毎月『覚りの旅』で2項目ずつ学ばせて頂いていますと、良く世の中の状勢と学びの内容が一致していて驚かされますね。神様の目に見えない働きという事を感じないではおられないわけです。学んでいるからこそ気づかせて頂けるのだと思わせて頂いて継続して学んでまいりたいと思います。
『主神様とメシヤ様』編纂のキッカケ ということを知っておくと、学びの視点がまた変わってくると思いますので、テーマに入る前にお話しさせて頂きます。

『主神様とメシヤ様』編纂のキッカケ
編纂のキッカケは『主神様』と『メシヤ様』をキーワードに検索して纏めた資料を先生に送らせて頂いたことでした。ブログに掲載した内容を引用します。2009年ですから11年前になります。
Date:  Aug 2009
「主神様」についての御教えを検索して私なりに纏めてみました。
『帰一、一とは元の神様則ち主神の事である。それに帰する、主神に帰することであります。
 観音講座 昭和十年七月十五日』
万教帰一とは、「主之大御神様」に帰する事である。と御教え下さっておられることは私たちが歩んで来た御神業にお墨付きを頂いたようで、嬉しくなりました。
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「主神様」についての御教え(要約)
本教の主宰神は最高神である「主之大御神様」であり、大千三千世界は、主神様御一方が主宰遊ばされる。各民族各国家でそれぞれの名で最高神を称えて来たが、その根本に遡れば、独一真神即ち主神様一柱で在す事は論のないところである。

帰一、一とは元の神様則ち主神様の事であり、主神様に帰することである。

メシヤ教の力は、主神様の力であり、ポチである。
丸にチョンを打って、我々は「ス」と読んでますが、これはあらゆるものを簡単に表わしている。
 
根本というのは力の根原で、それは太陽の黒点であり、宇宙の支配力の中心である。
それで○ヽのヽが太陽の黒点で、浄霊の力の元は太陽の黒点から来る。
火力は太陽よりか黒点の方がもっと強く神秘なものである。
その黒点の代表者が主神様である。
そこからメシヤ様の体に光が来ている。
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○主神に対しては、これを表現し奉る言辞もなく、文字もなく、ただ無限絶対の力徳の中心であり、
一切の根源である。 信仰雑話 昭和二十三年
○大千三千世界は、主神御一方が主宰され給う。 文明の創造 昭和二十七年
○最高神とは何ぞやというと、主神に外ならない。 世界救世教早わかり 昭和二十五年
○その根本に遡れば、独一真神即ち主神一柱で在す事は論のないところである。
地上天国 二十八号、昭和二十六年
○主神が今回伊都能売大神に命ぜられて日本を基点として、大光明世界を作らせ様となさって居られるのである。
帰一、一とは元の神様則ち主神の事である。それに帰する、主神に帰することであります。
観音講座 昭和十年七月十五日
○時期来たって地上天国建設の大任を負わされた私としては、ある程度主神の真意が感得されるからで、読者はこの点よく心に止めて読んで貰いたいのである。文明の創造 昭和二十七年
○一は主神であるから、主神以外は如何なる神様でも、百八十の中のどれかの段階におられるのである。地上天国三十四号、昭和二十七年
○我救世教こそ、最高最貴の主神が経綸し給うところの神科学の具体化である。
医学革命の書 昭和二十八年
○主神の救済委任神で被在らるる伊都能売之大神即観世音菩薩が、人間の生命の延長即ち不自然死滅消をなさしめ給う事は、敢て不思議ではないであろう。 昭和十一年
○本教の主宰神は主神である以上、揮われる力は絶対力である。
何よりもすべての宗教が病院を作っているに関わらず、本教のみは作っていないにみてわかるであろう。  栄光 百九十二号、昭和二十八年
○メシヤ教というのは、主神の力ということがあるんです。ポチですね。 御講話 昭和二十七年三月五日
○それから○ヽの文化、主神とか主と言いますが、丸にチョンを打って、我々は「ス」と読んでますが、これはあらゆるものを簡単に表わしているのです。  御教え集 十三号、昭和二十七年
○天照大御神は日本では最高の神様としてますが、主神ではないのです。つまり太陽神です。
宇宙というものは太陽ばかりではない。月もあるし星もあるし地球もありますから、その全体を握っているのが主神なのです。それで、私は主神の仕事をさせられているわけです。
秋季大祭御講話 昭和二十七年九月二七日
御講話 昭和二十七年十一月十五日
○伊邪諾尊が主神の代表神です。ですから非常に力が強いのです。
御講話 昭和二十七年十一月十七日
○根本というのは力の根原です。それはなにかというと太陽の黒点なのです。
太陽の黒点が宇宙の支配力の中心なのです。あそこから力が出るのです。
それで○ヽ(ス)のヽが太陽の黒点なのです。これがたいへんなものなのです。
ですから浄霊の力の元は太陽の黒点から来るのです。
(中略)
それで太陽の熱というものは、太陽の黒点から放射されている一つのエネルギーですが、火力というものは太陽よりか黒点の方がもっと強いので、それは神秘なものです。その黒点の代表者が主神です。
そこから私の体に光が来ているのです。御講話 昭和二十八年七月二十五日
○観音様は神の化身であり伊都能売大神ですがその上に主神がおられる。
私のは主神の力が伊都能売大神を経て、さらに私の体を通してみんなに行くんです。
御光話 昭和二十三年四月八日
○罪穢を赦し給う権能を有ち給う神は、天地間、只柱より在さないのである。それは、宇宙の支配者たる主の神にして、その主の神の表現神で被在らるるのが、畏くも天照皇大神様で被在らるるのである。
 天照皇大神様は、独一真神にして、最尊最貴の御神格に被在らるるを以て、直接、人間への御救いの業は不可能の御事が神律なのである。 新日本医術書 昭和十一年
○あらゆる既成文化を超越した破天荒的な力が現われなくてはならないのは言うまでもあるまい、ところが喜ぶべし、その力こそ主の神としてのエホバから吾らに与えられ、今現に発揮しつつある事実で、これが本教の真髄である。  栄光 百十八号 昭和二十六年
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次の御教えが気になっております。
昭和十年ということで「天照皇大神様」を讃える表現とも思えますが観音講座で敢えてお話ししておられますので。
この御教えを元に系図を作ってみました。(省略)

世界御統治の為に、天照皇大神は別な神になられるのは前述の通りな訳であります。それでは何の様な神様と御成り遊ばすかと言うと、前記系図のごとく国常立尊及び伊都能売大神となられるのであります。
 古事記の眼目は岩戸開きであります。神代時代に天照皇大神は岩戸隠れをなされたのであります。天照大神様が岩戸隠れ遊ばされた為に、今まで代々天皇陛下が御稜威を犯され遊ばされて御苦労遊ばされたのであります。この岩戸隠れの時国常立尊は艮の鬼門へ御隠退遊ばされて居られたので、一方又幽界に入られては閻魔大王となられたのである。
 天照大神様が御隠退遊ばされたことも一方においては天地経綸上色々の意味のあった事は申すまでもない事である。 観音講座  第一講座 昭和十年

○昭和25年8月1日
国常立尊はメシヤであられ、閻魔大王であられる。「神は此世の閻魔と現はれるぞよ」ともある。
○「メシヤ様」と称える間、大変厳しくあられ、後ほど側近奉仕者の方に『国常立尊様のお働きをしていたのだよ』と仰せられた。
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以上から世界御統治の為に天照皇大神様は、伊都能売大神様となり当初は観音様としてメシヤ様を通じて御救いをなされたので、善悪すべてのものに大慈大悲をもってお救いになられた。
最後の審判が迫り、「メシヤ様」との尊称のもと「国常立尊様」のお働きとなったので非常に厳しく悪を許されなくなった。
「メシヤ降誕仮祝典」のとき「天照皇大神様」の御尊名で祝詞を奏上したのは『岩戸開きの型』押し込められていた「天照皇大神様」を世にお出しする型お詫びをする型でもあったように思われます。

主神様は「主神は体はもたれぬがただその表現神はある。 」 地上天国三号、昭和二十四年
との御教えにあるようにその表現神として           
伊弉諾尊様、天照皇大神様、国常立尊様、伊都能売大神様、観世音菩薩様
に命じて、「メシヤ様」のお体を通じて御経綸なされた。
ですから、「メシヤ様」は伊弉諾尊様であり、天照皇大神様であり、国常立尊様であり、伊都能売大神様であり、観世音菩薩様であられた。が、時至って今まで人間にはお懸りになったことがない「主神様」がメシヤ様の腹中に直接に宿られた。
がこれは神界から直接大神力を揮われる準備であった。
神界においてメシヤ様は「主神様」であり直接に私たちに救いの力、御光を注いでくださっているように思います。
下記の御教えで主神様から吾ら(本教・・・メシヤ様の教団)に力が与えられている。ということが分からせていただけます。
『あらゆる既成文化を超越した破天荒的な力が現われなくてはならないのは言うまでもあるまい、ところが喜ぶべし、その力こそ主の神としてのエホバから吾らに与えられ、今現に発揮しつつある事実で、これが本教の真髄である  栄光 百十八号 昭和二十六年』

御教えでメシヤ様がたくさんの神様のお働きをされていることが記載されていますのでこのような考えを持った次第です。

11年前に、主神様とメシヤ様のご関係、メシヤ様の御神格を求めるために検索した御教えと、その時に思考し、先生にお送りしたメールですからね。不適切な内容もあろうかと思いますし、その後の『メシヤ講座』『覚りの旅』で学んだ内容とも異なるところもあることをお含みおき願います。

研鑽させて頂くうえで昭和25年以前と以降の御教えを区分して掲載するよう編纂方針の指示を先生より頂いたのも、メシヤ様の光の玉にチョンがお鎮まりになられる前と以降では、御教えを拝読させて頂く姿勢もおのずと変わってくるからだと思います。

21年前に『主神様』の御神体が地球に出現して初めて『主之大御神様』の御神名の奏上が許されるようになりました。日々『主神様』の御神名を奏上させて頂ける私達はなんと恵まれている事でしょう。
尊い御神名を奏上させて頂ける御神縁を頂けたからこそ、何気なく奏上するのではなく、地球上に言霊を響かせるのはどういう想念で参拝し、奏上させて頂くのか、学び続けてきました。そして、これからも学び続けていくのです。神様を求める研鑽に終わりはないのです。

前置きが非常に長くなりましたが、今月のテーマに入らせて頂きます。

テーマ1 「私のことを〝主神様〟と言ってます」御教え集十六号・・・150
テーマ2 「善悪発生とキリスト教」・・・57
ですね。

三救責任者
『この間○○さんの奥さんに天照大御神様が懸って、私のことを“主神様”と言ってます。』
先月は、『私は主神の仕事をさせられている』でしたね。
ですから、先月も学ばせて頂きましたが、メシヤ様は地球における主神様の体のお働きをするんですね。体がないと地球上で活動できませんね。メシヤ様は主神様であられるわけですね。
ですから、天照大御神様が「主神様に御祝い願いたい」「主神様に御守護をお願いしたい」というのは、地球上のキングオブキングス、最高の位のメシヤ様の御神格にお成り遊ばされたことをお祝いされておられるのだと思います。そして御守護をお願いされておられます。
全文を掲載しておりますので、ポイントをおさらいしていきますね。
最初に御守護お願い電報のことが書かれています。今なら『祈願書』ですね。

〇急所がわからない→急所を見つける修行をする。
原因は、ほとんど首のまわりの熱だと延髄にグリグリがあるはずだと書かれています。そこで昭和27年の死亡原因を調べてみますと、
    脳血管疾患 ⓶全結核 ③悪性新生物 ④老衰 ⑤肺炎及び気管支炎
となっていました。脳の病気が一番多かったわけです。
そして、浄霊法講座を確認しますと、
【御教え】浄霊法講座
それからみんな頚の廻りに固まりがあります。これがいろんな病気の原因になりますが、これは一旦肩に固まった物が頚の方へ行くのですから、肩をやると頚の廻りの固まりも非常に溶けやすくなります。ですから肩こそあらゆる病気の急所です。ただし中風だけは駄目です。中風の人はかえって肩が柔らかいのです。  その代わり頚に固まるから、それが溶けて脳の中にはいって行くのです。 (七月六日)
【御教え】浄霊法講座
中風の人は頚の廻りに必ず固まりがあります。それは右か左です。それから後頭部ですが、これも右か左にあります。つまり毒素が下に行くべきが、上に行ってそこに固まってしまうのです。これはその人の職業的の体の使い方によってそこに固まるのです。そうしてこれが急に溶けて来て頭の中に入るのが脳溢血です。そうして右が凝っている人は左の手足がブラブラになるのです。中風だけは肩でなく、今言う頚の固まりです。そういう人はごく少ないので、一番多いのは結核──肺、心臓病、胃、腸それから今はやっている赤痢です。(七月五日)

〇『グリグリ論』
この資料を作成中、「グリグリ論」の話題が出たメシヤ講座を見て作成してみました。
(質問者)
面白いのは、グリグリという表現が非常に的確だなあと思います。グリグリだけで御教えを検索してもものすごくたくさん出てきます。グリグリという表現で固結を教えて下さっておりますので、大変勉強になります。
(先生)
副読本として『グリグリ』というのを出しても良いかもしれないね。(笑い)
そういう本はもう少し薄く、簡素にしてね。真ん中に『グリグリ』と書いてあったらなんだろうと手に取るかもしれないですね。同時に作って行ったら良いですね。(笑)
(質問者)
一般の人にもわかりやすい面白い表現だと思います。
(先生)
そういうのもシリーズで出して行くと良いかもしれないですね。「グリグリ論」という題名も良いかもしれません。(笑)
(質問者)
校正を始めて御教えをチェックしていますと、気になる御教えがありますとドンドン横道にそれて行ってしまいます。
(先生)
それは素晴らしいことですよ。

50頁くらいになります。ご要望があれば『天恩地惠 グリグリ論』として冊子にすることも考えたいと思います。

それで、2位の結核についてですが、
【御教え】浄霊法講座
ですから私は結核というものは頚の病だと言った方がよいと思います。又頚の廻りに溜まった毒というものは必ず熱が出ます。それが溶けて痰になるのです。だから人間、頚は非常に肝心な物です。借金も首、サラリーマンも首で心配してます。よく首ねっこを押さえる、首が危ない、バッサリと首を切る、と言って首が一番肝心なものです。それで首の中にも急所があります。喉頭結核はここのが溶けて、溶けた物が肺にはいって行って、肺から出る場合に痰に毒があるから、その刺激で咽喉が痛んだりいろいろするのです。それで物が呑み込めなかったり、声が枯れたりするのは、みんな咽頭結核と言いますが、これは頚の廻りの毒が一旦肺に入って、その痰に毒があるというものです。又頚自身の毒のために、喉頭結核になるという人もあります。

昭和27年の死亡原因の1位と2位の浄霊の急所が首のまわりだということを踏まえてこの御教えを拝読させて頂くとより分かり良いのではないかと思います。

ちなみに、現在の日本人の三大死因は順位は
   悪性新生物(ガン) ⓶心疾患(心臓) ③脳血管疾患 ④老衰 ⑤肺炎
厚生労働省の人口動態統計によれば、現在、日本人の死因で最も多いのが「がん」で、昭和56年に死因のトップになってから常にトップを維持し、三人に一人はがんで亡くなる状況が続いています。第2位は「心臓病」で、第3位は「脳卒中」です。この「がん」「心臓病」「脳卒中」の3疾患は、全死因の約6割をも占めており、日本人の三大死因と呼ばれています。

癌についてはメシヤ講座で幾度も取り上げてご教導頂いておりますので、ご確認いただければと思います。
ご要望があるならば、癌をテーマに『天恩地惠 御教えとメシヤ講座に学ぶ~癌~』というのを纏めて見ても良いかなと思います。

〇浄霊に力が入る→力をグンと抜く癖をつける
メシヤ講座・特選集no.133(平成24年2月分)で、『利他行』『下座行』『手の力を抜く』のが修行なんだと、ご教導賜りました。
引用しますと、「我々が信仰していく上においての日々の修行ということを少し考えていきますと、自分たちの信仰は一体何かというと、御教えからするとメシヤ様は『修行というものはあまりない。強いていえば浄霊の時に手の力を抜くということが修行なんだ』というふうに仰っておられます。御教えを拝読させていただくと、『挨拶をする』とか『嘘をつかない』とか『人に迷惑をかけない』とかいうお言葉がしょっちゅう出てきます。
 それから、一番大事なことは『利他愛』なんだということですので、これは人のことを先にするということは非常に修行的な部分がありますので、『利他行』に努めていただきたい。
 それからもう一つは、「稔ほど 頭を垂れる 稲穂かな」という句を引用されて『下座行』に徹するべきだということを仰っておられます。
 我々はですね、メシヤ様の御教えを日々いただきながら、大変なことに日々気づいていて、そして大きな悟りを開いています。しかし、いまだにそういう立場にない人たちが大勢いらっしゃるわけです。
 それでは大変お気の毒でありますので、どこまでも『下座行』で接していくという姿勢を貫いていただきたいと思います。
 ですから、信徒として修行していくということにおいては、いつも『利他行』『下座行』浄霊の時は『手の力を抜く』そうしたことを、自分の中に言い聞かせていただきたいと思います。

 このように拝読させて頂きますと、『利他行』『下座行』『手の力を抜く』ということは一体的な行なんだと言えると思います。相手を思う、謙譲の精神、我を去るそういう日常の行を心掛けて行っていれば、浄霊における『手の力を抜く』ということが癖となっていくのではないでしょうか。

年齢を忘れるな
それから御守護電報に『年齢を忘れるな』ということが書かれています。御神前において対象者を特定できる「名前、年齢」ということは必須条件になってくるのですね。
ここをもう少し詳しくしてお願いしているのが、『浄霊力拝受』ということになって来ます。
住所、氏名、年齢、職業、既往歴 の欄を設けてあります。私達がお世話をさせて頂く上で必要な事であるわけですけども、メシヤ様の御指示なんです。神様は何でもご存知ではあるのですが、素早く特定する上で必要なんですね。

車のお祓い
これを応用したのが、車のお祓いですね、車検証を読み上げて車を特定致します。車の製造過程において製造する人間の想念が入るのでそれを払拭するのですね。
「また、お祓いは製造者や販売者、もろもろの想念による曇りを祓うものであり、交通事故から護られるものは霊衣の厚さです。普段から運転手が霊衣の厚い状態を許されるように努めることが重要です。そのように、お祓いの後に訓示してください。」とご教導頂いていることを忘れてはいけないと思います。


元だけにお願いすればそれで良い
次に、
それからお願いする場合に、よく「光明如来様」と「明主様」と両方にお願いしますが、あれは「明主様」だけで良いのです。というのは、私が光明如来様としてのその働きをするのですから、元は私の方だから、元だけにお願いすればそれで良いのです。

ここは、非常に重要な御教えです。
善言讃詞で、『敬しく惟るに 世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明如来と現じ 應身彌勒と化し 救世主(メシヤ)とならせ』とありますように、メシヤとお成り遊ばされたメシヤ様は、この当時の御神体は『光明如来様』で光明如来のお働きをするのもメシヤ様なのだ。だから元のメシヤ様にお願いすれば良いのだとおっしゃったわけです。
そうすると、メシヤ様が元です。根源です。主宰神です。メシヤ様=主神様ですね。
宇宙の根源であられる主神様の御神名を奏上させて頂くわけですから、他の御神名を奏上することはないということになります。
このことは、御降臨祭でもお話しさせて頂きましたが重要ですので繰り返させて頂きます。

三救では、楳木先生御在世当時の祝詞奏上を行っております。
先生は、『ミクラタナの神様』について何度となく祭典やメシヤ講座で取り上げられお話しされたわけですが、〇チョン の御神体に対し『ミクラタナの神様』の御神名を御唱えされたことなどありません。20年前に御奉斎されてより一貫して『主之大御神様』であります。一神であります。
主神様御一方であります。
〇チョン の御神体に対しては、『主之大御神様』の御神名以外ありえない。
ということを御降臨祭でも取り上げさせていただいた下記のメシヤ講座ではっきりしてきたと思います。
「もうメシヤ様という御存在になられたので、ややこしい言い方をしなくて良いのです。
もう主神様とメシヤ様は御一体であるし、大きさこそ違うけども同一神霊であられるのでね。だから主神様だけの御神名を唱えれば良いのです。」

伊弉諾尊の仕事
それから「今私がやっている仕事は伊弉諾尊の仕事なのです。」という箇所ですが、先ほどは『私が光明如来様としてのその働きをする』と出て来ましたね。先月は「仕事」ということにスポットを当ててお話ししました。御神名は神様のお働きを表しています。神様の仕事を表してもいるわけですね。
それで伊弉諾尊様の仕事ということで、古事記を例に御教えくださいました。
天の御柱の回り方ですね、妻の方が先に右回りをして失敗した、それで伊弉諾尊様の方から先に左回りをしたら天下が治まった。これは、右進左退ではだめで左進右退が本当のやり方なんだと、体主霊従ではだめだ、霊主体従が本当のやり方なんだということを古事記を通じて古代から教えてくださっているわけですけども分からなかったんですね。それで、霊主体従の一番わかりやすいのが『浄霊』なんだと。医学で治すのは体主霊従で浄霊で治すのが霊主体従で本当のやり方なんだと、古事記に出てくる伊弉諾尊様の仕事を通じて御教え下さったわけです。

そのように御神名を『仕事』という視点で受け止めた場合、昭和29年6月15日に『メシヤ降誕仮祝典』が行われました。そして『天照皇大御神様』とメシヤ様に奏上されました。
三千年に一度の『天の岩戸開き』の仕事をなされたのですね。ですから『天照皇大御神様』の御神名だったということだと思います。それで救世主(メシヤ)様が新しくお生まれになられた。
救世主ですから人類が待ち望んでいた神様であり主神様のお仕事をなされるわけです。
 
『善悪発生とキリスト教』
それでは、次のテーマですが、
『善悪発生とキリスト教』文明の創造 昭和二十七年 57P ですね。
メシヤ講座でも学ばせて頂いたわけですが、改めて拝読させて頂きますと、善悪の問題は主神様の権限であり、宇宙意志であり、主神様以外あらゆる神でも分からないのは当然で、ましてや人間に分かるはずがない。ということをはっきりと書かれています。
その善悪ののことをメシヤ様が『文明の創造』にお書きになられたのは何度も出て来ましたように、メシヤ様が主神様の仕事をされておられるからです。『地上天国建設の大任を負わされた私としては、或る程度主神の真意が感得されるから』とここにも書かれていますね。
それで、主神様の御目的である真善美完き理想世界を造る。―――地上天国ですね。この御目的のために物質文化の進歩発展が必要だったわけです。そして、御目的に必要な程度にまで発展させれば良いわけですので、昭和27年の時に『最早時期の来ていることに気づくであろう』と仰っておられますので、令和になった今、発展しすぎているのではと言えるのかもしれません。
それで今までの歴史においても悪を容認してきたが、無制限に許すわけにはいかないから、統制や調節の役目として宗教を主神様はおつくりになられたのですね。そしてその役目をキリストが担われたのだと書かれています。それでキリスト教の根本には人類愛があるのだという事です。
だから白人社会が魔の世界とならずに進歩発展を遂げたのだと書かれていますね。
そして、善と悪の観点から宣べておられますので、無神論も進歩発展のために今までは必要だったということです。しかし、もう時期が来ているからいい加減目覚めて神様を認めなければいけない。もはや無神論は有害であって無用の存在なのだ。地上天国建設という主神様の御目的の前に御神業の妨害となれば、絶対的力によって、彼の原始時代のマンモスや恐竜のように自然淘汰されるのだと書かれています。そして、人間にとって自然淘汰されるものは何かというと、『もちろん人間に内在する悪である』と書かれています。悪は有害無益な存在となる以上、悪人は淘汰されてしまうのですね。
そして善の人間が大多数となった世界が地上天国であるという事です。

ですから私達は日々拝読させていただいている『神格を頂く道』の御心に求めて生活し、神性の向上に努めさせて頂くとともに、今回の御教えの内容を特に頭に入れて頂いて、世の中の悪人に、無神論者に述べ伝えていく、悪人を悔い改めしめ、犠牲者を少なくする救いを実践していく。
それが神の大愛なのだと繰り返しお伝えしていく。
そういう御神業を皆様と共々進めてまいりたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


2019年12月21日土曜日

令和元年メシヤ様御降臨祭挨拶



令和元年12月23日
令和元年メシヤ様御降臨祭挨拶
三救責任者

 みなさま、三救として二回目、令和になって初めての『メシヤ様御降臨祭』おめでとうございます。今年もこの三救で祭典を執り行わせて頂けますことを、メシヤ様に感謝申し上げます。

〇生
昨年、「三救」の今年の漢字は「生」で、メシヤ様が現界に新しく生まれ、三救は10月に新しく生まれた。私たち人間は、神様から使命をいただいて生まれてきました。使命とは、「三救」の理念であり、天職使命を遂行できるようこれからの御神業に共々努めてまいりたい。」と挨拶させて頂きました。

〇令
新しい時代が始まり、令和元年は、『令』という漢字で表わされました。この漢字は、「頭上に頂く冠の象形」と「ひざまずく人」の象形から人がひざまずいて神意を聞くことを意味し、そこから「命ずる、いいつける」というのが「令」という漢字の成り立ちで、人々を集めて神様や君主の宣告を伝えるさまをあらわす。清く美しいの意を含む。元は、神々しい神様のお告げのこと。と辞書にあります。

〇額づく
私達、人類が額づく神様とはもちろん主神様であり、メシヤ様ですね。
「額づく」という言葉には皆様も思うところがおありかと思います。
一昨年、メシヤ様の御歌を今年の指針として、おみくじのように、引かせて頂きました。
その時の御歌が、
『全人類やがて我前に跪(ひざま)き 命を乞ふる時近まりぬ』 
『八百万神も仏も我前に 額づき救ひを求むる今はし』     
でした。この御歌は本当にその年の指針となりました。
そして、一昨年は、人類も、仏様も、神様もメシヤ様の御前に跪(ひざまづ)いて額づいてお詫びを申し上げる型を示したような年になりました。
5月「令和」の幕が開け、『令』の漢字が今年の漢字となりました。型が反映していくというのはこういう事なんだなあ。と神界と現界の繋がりに感じ入った次第です。

〇最高最貴の主神様、メシヤ様に真向かう姿勢、参拝の在り方
さて、「メシヤ様は主神様のお仕事をなされる最高最貴の御方なのですが、人類を救済するために、現身(うつそみ)の姿を持って地上に降りてこられました。そして、人類がおおよそ経験するであろう苦労を御自らなめられて、観音様として観音行から始められ、私達に人を救う力と人を救う方法を授けてくださいました。そして、順次御神格が上がられ、最後は救世主(メシヤ)とお成り遊ばされました。
最高最貴の主神様、メシヤ様に真向かう姿勢、参拝の在り方を先生は求め続けておられました。本日はメシヤ様を求める想念を確立させていただく良い機会でございますので、「祝詞奏上について 参拝する時のイメージ作り メシヤ講座・特選集(№128・平成239月分)について確認させて頂きたいと思います。
旧の三重の御神前を作り変えて御神体をお迎えする前に拝した事について、
【発表文(2010年立春祭体験発表)を抜粋します。】
「後は御神体を迎えるだけ」となった4月4日に、御神前で、御浄霊をいただきに見えたある方と参拝をさせていただいている時に、御神体を御奉斎するその白壁に、光輝く階段、そして階段上には丸い輝く光々しい物を拝しました。その時、感じたのは、六十段の神界のそのまた上段ではないのかということと、善言讃詞の中の一節『光明如来と現じ 応神弥勒と化し 救世主(メシヤ)と成らせ・・』で、まさしく我家にお迎えさせていただくのは、最高の御神体なのだと、強く強くわき上がる喜びに、胸に熱いものが込み上げてきました。
その情景と御教えをくっつけると、御神前はどうなるかとイメージを膨らませていただきたい。想像して見てください。
主神様が頂点におられて、見えた段は霊界全部の段ではなくて天国界の段です。その段数にそれぞれの役割を担った神様が、御神格に応じて整然とお並びになってくださって居られる。その中に皆様方の氏神様もお並びになって居られます。その前に皆様方は座って礼拝をするのです。そうして、『祓戸大神等 諸々の枉事罪穢を 祓ひ給へ浄め賜へと申す事の由を 』と唱えると 祓戸大神様がサーッと出てきて、祓うのです。それが皆、主神様の許可によって執り行われるのが、この月次祭なのだ、と、そういう気持ちでズーッと祝詞奏上を聞いていただけると有難いです。(御降臨祭などの祭典も基本的には同じだと思います)
そういうような気持ちを膨らませてこの御神前に額かなければ祝詞の意味がさっぱりわからないということです。
その形として、主神様は半径150億光年の宇宙総てを主宰されておられるので、その主神様の地球をお救いになる部分だけがメシヤ様として正面に出て来られているのですが、縦に(重ねて)御奉斎すると主神様が見えないので横に(御尊影を)御奉斎させていただいているのです。
それで御神業上必要なお金を運んでくださるのが大黒様です。大黒様は元々人間だったのですが、神格を得た人格神ですのでズーッと下の辺りです。この間にいろんな役割を担う神様とか氏神様の御神霊が我々の霊統に応じて整然と並ばれているのです。そして、月次祭を今か今かとお待ちしているのがこの御神前なのだということです。
その御神前に対してまず天津祝詞を奏上することによって、我々の日常の枉事罪穢をまず祓っていただいて、それから、メシヤ様がおつくりになった善言讃詞を奏上して、その善言讃詞によって天国が作られて行く形が詠みこまれているのを響かせて、そして、我々の霊界をズーッと天国に引き上げていただけるのがこの天津祝詞、善言讃詞なのだという意識を持って月次祭に来ていただきたい。
そういう尊い月次祭だから参拝を絶対欠かしてはいけない、そういうものなんだ、という意識を持って、毎月毎月意識を高めて足を運んでいただきたいと思います。(また、その際の服装も、自ずから在り様が定まってくるものなのです。)
善言讃詞の前に天津祝詞を奏上する。天津祝詞を奏上する時の御神前の姿ですね、それを今日を境にさらに意識作りをしていただきたい、と思います。
『文明の創造』を中心にしてズーッと学びを積み上げてきたからこそ、こういうお話をする事が出来たのです。
それから、「おしえみおやぬしのかみ」というのは、一般的に教祖様です。教祖の祖はおやと読みます。遠津御祖(とうつみおや)と一緒です。
もうメシヤ様という御存在になられたので、ややこしい言い方をしなくて良いのです。
もう主神様とメシヤ様は御一体であるし、大きさこそ違うけども同一神霊であられるのでね。だから主神様だけの御神名を唱えれば良いのです。
メシヤ様は『信者たるもの常に魂を磨き言葉を練り・・・』と仰っていますね。
言葉を練り、と言われた以上一番大切な参拝の言葉がおかしければ信仰自体どうにもなりません。「そう思って私は言っているのよ」と言うのと同じなのです。子供が「思っているのはこういうことだけど口を衝いて出ちゃったの」と言った時に「何馬鹿なことを言うの」と叱るでしょう。
だから我々の信仰姿勢も「言葉ではこう出ているけども、心はこうなんです」と言うことはね、神様からすればね、親と一緒だから、『何馬鹿なことを言っているんだ』ということになるからね。その点を一つ一つ正して行かないといけないということです。
まずは参拝する時のイメージ作りからきちんとしていただきたいと思います。
参拝の想念作りがより明確になったかと思います。私達が月次祭へ臨む姿勢も含めて、日々、月々、向上を目指す上で参考にしていただきたい内容ですので、繰り返し確認していただくようにお願いいたします。

〇『仁愛(メシヤ)の御手に帰一され』
次に、参拝の想念つくりということに関わってまいりますので、『仁愛(メシヤ)の御手に帰一され』と善言讃詞を改められた時のメシヤ講座も再確認させて頂きたく思います。
『仁愛(メシヤ)の御手に帰一され』と善言讃詞の文言を改められましたのは、2012年の御降臨祭からでした。今年で7年になります。七は、土ができて完成する。「ナリナル」などと、できあがること。ですので、唱え続けて完成させることを求められた年であったわけです。来年は、八年目ですから自然と開けていくわけです。
それでは、2012年の先生の想いに立ち還って、本当に先生がお望みになられたことが何であったのかと、想いを馳せながら聞いていただきたく思います。

2013年1月の浜松でのメシヤ講座

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「それから、御降臨祭の時にもお話ししましたように『仁愛(メシヤ)の御手に帰一され』という風に文言を改めましたので、この仁愛と書いて『仁愛(みろく)の御手に帰一され』という表現は、この”みろく”は大本教からきている部分があります。大本教の教典の中とか、それからお歌の中にもこの御文字をもって”みろく”と読まされているところが多く出てきます。
それから次の「仁慈(じんじ)」、この仁慈ということも仁慈の神とかいう表現を使って、仁慈というのも非常に大切な文言であります。それから「仁愛(みろく)」の前に「一天四海観音の」という風に言って観音の後にまた「仁愛(メシヤ)」という神様が続くのはどうかというような、そういう質問も来る途中多くありましたけども、これは最初に、「敬しく惟るに 世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明如来と現じ 応身弥勒と化し 救世主(メシヤ)とならせ」という、これを凝縮したものだというふうに考えていただきたいと思います。そこをもう一度「一天四海観音の」、それから続けて「応身弥勒と化し」というようなことまで入れていくと、二重に表現を使ってしまうことになって祝詞としての格調が非常に下がるので「観音の 仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」というこの言葉の中に「応身弥勒と化し」という言葉などが全部詰まっているというふうにお考えになって、これから善言讃詞を奏上する時にはそういうお気持ちで奏上しいただければ大変ありがたいと思います。」
「一天四海観音の
敬しく惟るに 世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明如来と現じ 応身弥勒と化し 救世主(メシヤ)とならせ・・・想念で御唱えする。
仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」―――三救補筆
善言讃詞はメシヤ様の御神格の向上そのものを顕しており、その時々のお働きでもって、地上天国を建設していく様相を、日々私たちは祈っている、想念を一つにしているのではないかと思うのです。
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先日三救に、来客があったのですが、三界万霊 の書を見て「素晴らしい文字」だと感嘆されまして、「どなたのお文字ですか」と尋ねられましたのでメシヤ様のことと、「三界万霊の三界というのは神界、幽界、現界のことです」。とお話しさせて頂きました。

【御教え】光明分会『会報』5月号、昭和2455
「三界万霊救はせ給ふ」との三界の意味を御教えお願い申し上げます。 神、幽、現、の三界。 神、仏、現界。 経(たて)は天国、中有界、地獄。 緯(よこ)は現界、空気界(地獄、中有界)。 のことを言うのであります。

【御教え】『結核信仰療法』昭和27121
この世界の構成であるが、それは一次元の物質界と、二次元の空気界と、三次元の霊気界との三段階から成立っている。

実はこの来客は仏具屋さんです。幽界(仏界)のお仕事をされているわけですね。
その方と御神前(神界)で、現界の話や慰霊の話、そしてメシヤ様の話をしたわけです。型のように思えてなりません。

五六七教教義(光号外  昭和二十四年五月三十日)に、
『主神の分霊たる観世音菩薩は、大光明如来又は応身彌勒の御名によって千変万化の御活動をなし給ひ、末法濁世を浄め三界万霊を救はせ給ふ事を信ず。』
とあり、
御讃歌集(改訂版) 昭和26年5月28日 で、
三界万霊 洩(もれ)なく歓喜に浸(ひた)るらむ 大神光(おおみひかり)の隈(くま)なく照らせば』との御歌をお詠み下さっております。
私達の使命というのは『三界万霊』を救う大きな仕事なのだと、メシヤ様の御光を三界に届けていくのだと、そういう大きな想念をもって、御教えを伝える事と『浄霊』に取り組んでまいりたいと思います。

〇2020
令和二年2020年は
二・・・陰陽 東洋西洋であり、
二十・・・王となり、その上に最高の神様がお乗りになって世界を御経綸になる。という意味が(2020で)重なっておりますから、東洋と西洋にメシヤ様が降誕遊ばされて王となられ、最高の神様(主神様)が世界を御経綸になられる。
そういう年に霊(ひ)の本(もと)の国、日本で五輪(オリンピック)が開催されるのですから、メシヤ降誕本祝典でメシヤ様が現界にお出まし遊ばされ、その御力を存分に世界にお示しになられるのにこれほど相応しい年はないのではないかと思います。 

〇まとめ
本日、 参拝する時のイメージ作りを再確認させて頂きました。『主神様とメシヤ様』を学び、メシヤ様の御神格の認識の向上を求め続けているからこそ、最高最貴の神様に真向い、参拝させていただく想念つくりを再確認すべきことに気づかせて頂けたのだと思います。
御教えもメシヤ講座も尊敬の気持ちをもって拝読させて頂くならば、常に新たな「気づき」をお示しくださいます。語りかけてくださいます。
令和という新たな時代になり、昭和は二昔前になりましたが、それは日本の天皇の歴史観です。釈迦の教えや聖書は2千年の時を人々を導かれました。
メシヤ様降誕がなった今、メシヤ様の御教えがこれからの時代を導いていくのです。
メシヤ様の御教えをもとに、どのように導いていったらよいのかという型を先生はご教導くださいました。
今年の冬至は昨日でありますが、古より冬至を「一陽来復」と称し、その翌日を「陰が極まって陽に転じた日」、「善い方に向き始めた日」としてお祝いする慣しがありました。
御教えに、『二十二日は日が一番短いんでね、二十三日に生まれたっていうのは、これから春になるっていうそこに働きがあるわけです。』とありますので、これから春になります。良い方向に向かうのです。ですから、御教え、浄霊、メシヤ講座の実践を気持ちを新たに、本日より出発させて頂きましょう。本日はおめでとうございました。

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令和元年の最後の祭典でもありますので、
令和始まって直ぐに「梓(あずさ)」というタイトルでブログに投稿した内容をもう一度聞いていただきたいと思います。アンコールですね。アンコールの語源はフランス語で、再び、もう一度、の意味だそうです。

梓(あずさ) 20190507

令和の時代が始まりました。
皇室にはお印と言ってシンボルマークのようなお名前の代わりとなるものがあります。徳仁天皇陛下は梓(あずさ)です。本を出版することを上梓と言ってこの梓(あずさ)の字を使いますね。建築や出版に使われる日常生活に欠かせない貴重な材木だそうです。

この梓の字を考えてみますと
木は国の霊返しだと御教えにあります。
立の下の十は経(たて)緯(よこ)を結んで立つ国が日本なのだという意味になるかとも思います。
そして、徳仁陛下のお名前はつくりは十と四と心、そして行人偏ですね。
四つの心を結んで行する。
四魂を結んで(調和して)行するのが徳だということが言えるかと思います。

四魂

四魂については御教えに『四魂の調和した働きを伊都能売の働きと言い、観音行である』とありまして、

荒魂(あらみたま)ーーー勇気  強盗はダメ        勇
奇魂(くしみたま)ーーー智慧  叡智〇 奸智× 才智×  智
幸魂(さきみたま)ーーー慈悲  人を幸せにする気持ち   愛
和魂(にぎみたま)ーーー人と親しむ 怒らないこと     親

徳というのはこの四魂を結んで(調和して)行う。
伊都能売の働きを令和の時代は行っていくのだと。
その働きを日本という国は霊の国なのですから他の国の規範となって霊主体従の活動を私達御教えを学んだものが行っていくならば、必ずや地上天国は建設されるのだと思います。

楳木先生がご帰幽されしばらくしたころ、妻が三救の御神前で「モノではない」「楳木は儂の元で働く」というお言葉を聞きました。
先生がメシヤ様の元で働かれておられることは明らかだと思います。
「モノではない」ということを二年間問い続けてまいりました。
「モノではない」ということは組織運営や建物ではないという事ではないかと思うのです。

「メシヤ様の御精神を現代に伝えていく」ことが先生のご精神を現代に伝えていくことであると思うのです。

歴史は繰り返します。
昭和においてメシヤ様がご帰天あそばされ、二代様が世界救世(きゅうせい)教の教主として立たれ、御教えの95%が非公開になされるということが起こりました。
当時いくつかの教団が離脱しました。
私が楳木先生と出会う前の平成11年に私は京都のN先生の御教え研鑽会に学びましたが、そのN先生も離脱され、このままでは御教えが隠され、メシヤ様のお言葉を神様のお言葉と認識できる人、伝えていける人が皆無になってしまうと危惧され、御教えを収集され、御教えの編纂に努められました。
御教えを隠すことはメシヤ様を隠してしまうことだと、若い皆さん方が(当時私は30代でした)御教えを学んで伝えて行かなくては地上天国は成りませんよ。と熱く語っておりました。
平成11年ですからちょうどその年ですね、楳木先生は玖珠の地に初めて主神様の御神体を奉斎され、浄霊力伝授活動とメシヤ講座に取り組まれ始めたのです。
先生が生涯をかけて各地に細目に足を運ばれ、インターネットで発信されたメシヤ講座は180号に及びます。
霊層界の段数も180段ですね。メシヤ講座の一回一回の積み重ねが霊層界の階段を上っていくように、天国への道しるべをお示し下さっておられたのかもしれません。
現界から霊界へ籍を移してもなお、私達を誘ってくださっておられるのだと思います。

「メシヤ様の御教え」「メシヤ講座」は隠すことなく伝え続けていくことが私達メシヤ様の信者、そして楳木先生に御縁を頂いた者の使命ではないかと思っております。
メシヤ様を再び押し込めてはならず、先生もお隠ししてはなりません。
学びたい、伝えたい、取り次ぎたい そう思いませんか。
どうしたら御教えを、メシヤ講座を伝えていけるのだろうか。
議論の中心はそこになくてはならないと思っています。

というのが、投稿の内容です。
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180段 という階段の話は、本日学ばせていただいた主神様に真向かう姿勢に通じます。その上、最上段に鎮座されますのでね。

そして、メシヤ降誕本祝典記念大祭(平成293月)で、「四魂の調和を目指す」として体験発表があったのを覚えていますか。
自分の性格を分析され、「悪を否定するのではなく自分も含め皆悪い部分を持っているので、話し方一つをとってみても、言葉を練って、共感を得られるように努めていきたいと思います。」
「花鳥風月、百鳥の声、紅白梅の老木向かい合う、恵まれた環境に住まわれ、メシヤ様に日々感謝の生活の中で今まで以上に自分を見つめ、魂の癖に気付いて直していく努力をしていきつつ、四魂の調和を目指して神性が蘇って、充分に御力をいただけるような道を歩ませていただきたい。神性を取り戻す努力をしながら、メシヤ様の御神意に適うご神業の場として、たくさんの人が許されるように願いつつ、今日新たな出発をさせていただきたい。」
と発表されました。
「梓」のお印を持ち、四魂を結んで(調和して)行するのが、徳の名をお持ちの徳仁天皇の令和の時代なのです。令和の時代の目指す望ましいあり方を先取りされた素晴らしい発表であったと思います。

今まで幾度も学ばせて頂きましたように、善悪を司るのは主神様であり、メシヤ様です。人の善悪をとやかく言わず、『四魂の調和した働きを伊都能売の働きと言い、観音行である』との御教えの通り、私達は観音行に徹してまいりたいと思います。

2018年より三救での御神業を始めましたので、2020年は3年目を迎えます。

御講話 昭和10811
『観音会がだんだん発展する上においても、観音様は非常にやわらかくて厳粛で、たくさんな人を呼び寄せては、一人も残らずお試しになり、すぐりにすぐりこの人はという人だけ残し、そういう人達で固めて建設されるので、実にその点は大磐石で、ただパッと拡げない。世間ではよく形だけ見せるようにするが、こういうやり方は非常に観音様は嫌われる。場当たりのいい、ある一時的の仕事などはなさらない。要するに真実で飾り気のないこと、人間のように衒(てら)いもなにもない。本当のお試しとは、自己というものをぜんぜん見ない。本当に世界人類を救わなければならぬというやむにやまれぬ状、またこの世の中の状態を見て、実に哀れだ、かわいそうだ、見てはおれぬ、しかし人間の力ではどうすることもできぬ、しかし観音様が観音力を揮われるにつき、その一部にも加えてもらって、そして力限りやらしてもらうというそれだけで、そこに名誉心などがあると、反対の結果になる。』

と今月の『覚りの旅』で学ばせていただいたばかりです。
人間の力ではどうすることもできないのですから、パッと拡がらずとも、メシヤ様の御神業の一部に加わりたいと集う人たちと共に力の限りやらせていただきたいと思います。

さあ、気持ちを新たに今日よりの御神業に出発しましょう。

本日はおめでとうございました。

覚りの旅  メシヤ降誕本祝典記念祭

 令和6年3月3日 覚りの旅  メシヤ降誕本祝典記念祭 祭典意義 メシヤ降誕本祝典記念祭は平成27年3月3日より始まり、今年で10回目です。 『十とは、〇は地球であり、大地の事である。十の字は経(たて)と緯(よこ)の棒の結んだ形で、経は火で緯は水である。火と水はカとミであるからカ...