2021年5月13日木曜日

令和3年5月度 三救浜松月次祭『覚りの旅』

テーマ2 『主神様とメシヤ様』「結論」世界救世メシヤ教奇蹟集 

「結論」 世界救世(メシヤ)教奇蹟集

結 論   世界救世教奇蹟集  昭和二十八年九月十日

 私は以上の如く百二十に上る色々な奇蹟の実例を載せたが、これを見たら如何なる人でも驚異の眼を瞠らない訳にはゆくまい。一言にしていえば、これこそ最高神威の表現であり、空前の救世的福音である。成程小奇蹟は昔からその時代々々の宗教によって示されている事は文献等によっても明らかであるが、これ程超奇蹟が数多く、然も普通人でも短時日の修得によってその力を与えらるるとしたら、この事自体が已に大なる奇蹟である。即ち凡人であり乍らキリストと同様の奇蹟を顕わし得たり、何等医学の素養のない者でも、医学博士以上の治病力を発揮出来るとしたら、到底真実とは思えないであろう。只私が憂慮する点は私という人間を通じて行われる以上、余りの不可解さに反って一種の疑問が起り、躊躇逡巡する人もなきにしも非ずと思うからである。

 次にこの著を読んだ人々が、最も知りたいと思う事は私という人間の本体であろう。私と雖もこれを詳しく知らしたいのは山々だが、時期尚早の為今暫くは発表出来ないのが遺憾である。そうして特に言わねばならない事は客観的にみてこれ程偉大な神力を発揮されるとしたら、救世主以外にない事は推察されるであろう。これに就いては昔から俺は救世主也と自分自身そう思うのかも知れないが、堂々と名乗りを挙げた者も幾人かはあったが、何れも一時的でいつしか消えてしまったのは知る人は知っているであろう。然もキリストの予言にもある通り、後世偽キリストが現われるから注意せよとの警告さえあった程で、今日では最早それに惑わされる者は一人もあるまいから今更自分は救世主などと言ったところで仕方がないであろう。

 然も文化の進歩した今日智性の発達した現代人に向っては、只嘲笑を買うのみに過ぎまい。併し乍ら厳乎たる事実を見せられるとしたら、何人と雖も信じない訳にはゆくまいし、私が現わす奇蹟そのものは、如何に冷静に見てもメシヤ的価値は充分認め得る筈である。この意味に於て私を以て救世主又は再臨のキリスト、下生の彌勒としても敢えて不思議はないと思うが、それはその人の自由に委せるとしても、最後に至れば万人に分る筈である。それは世界人類は私の救いによって真の幸福を得られ欣喜雀躍は勿論、既成文明は百八十度の転換となり、病貧争絶無の地上天国は愈々出現の順序となるからである。       


(三救責任者)
改めて拝読させて頂きますと、

『厳乎たる事実を見せられるとしたら、何人と雖も信じない訳にはゆくまいし、私が現わす奇蹟そのものは、如何に冷静に見てもメシヤ的価値は充分認め得る筈である。この意味に於て私を以て救世主又は再臨のキリスト、下生の彌勒としても敢えて不思議はないと思うが、それはその人の自由に委せるとしても、最後に至れば万人に分る筈である。それは世界人類は私の救いによって真の幸福を得られ欣喜雀躍は勿論、既成文明は百八十度の転換となり、病貧争絶無の地上天国は愈々出現の順序となるからである。』

百二十にも上る奇蹟を掲載された上でのお言葉が非常に力強く迫ってまいります。

「救世主」「再臨のキリスト」「下生の彌勒」どう受け止めようと自由ですが、メシヤ様の救いによって病貧争の絶無の地上天国が出現するのは間違いない事なのです。そして、『順序となる』とありますので、メシヤ様の救いの御力である、浄霊実践と、御教えを宣べ伝える。ことを真摯に取り組み続けることが私達に課せられた使命なのです。

この世界メシヤ教奇蹟集についての「結論」ではありますけども、その結論は一つの論文として捉えれば、その論文の「結論」というのが、一番最後の個所だと思います。

『併し乍ら厳乎たる事実を見せられるとしたら、何人と雖も信じない訳にはゆくまいし、私が現わす奇蹟そのものは、如何に冷静に見てもメシヤ的価値は充分認め得る筈である。この意味に於て私を以て救世主又は再臨のキリスト、下生の彌勒としても敢えて不思議はないと思うが、それはその人の自由に委せるとしても、最後に至れば万人に分る筈である。それは世界人類は私の救いによって真の幸福を得られ欣喜雀躍は勿論、既成文明は百八十度の転換となり、病貧争絶無の地上天国は愈々出現の順序となるからである。』  

『メシヤ様の救いによって、病貧争絶無の地上天国は愈々出現の順序となる。』ですからね。
 出現するのである」と書いてないね。
『順序がある』のです。メシヤ様の救いを出して・・・、救いというのは勿論、浄霊であって、御教えであって、メシヤ様のことを、伝えていくことになるわけです。
そうしてから、『地上天国出現』となるわけです。

薬毒五十年
今、ワクチンのことで世の中は騒がしいのですが、その様子を見ていて気付いたことがあります。
掲載したブログから引用します。

薬毒五十年と言いますが、私の疥癬の浄化作用の原因は幼き頃の予防接種だったのかもしれません。
五十年経過しての排出作用とすれば御教え通りなわけです。
世界中ワクチンを早くと大騒ぎですが、五十年後は??????????????


メシヤ講座no.142浜松(平成24年11月)
「だから今、『昼の時代』がきたから、地上天国ができるというわけではないです。薬を人類すべてが海に投げ捨てたときから、何十年かかかるということです。それはなぜかというと、体の中に残存した薬を外へ排泄する期間が、やはりメシヤ様の御教えの中に、『薬毒五十年』という教えがあるように、やっぱり50年経っても、メシヤ様が自己浄霊はされていたわけですが、歯痛とか時々出られたので、やはり薬毒は、50年は溜まっているなという話を御論文のなかでは御書きになっていますので、どこまでも地上天国実現というのは、薬剤をすべてなくしてから何十年か後ということになるわけです。」



 掻 痒 苦                                      (天国の福音  昭和二十二年二月五日)
  掻痒苦は痛みに比して侮り難い苦痛である事は誰も知る処である。原因は勿論薬毒、然毒及び食餌中毒の三種であり、一般に知られてゐるものとしては彼の疥癬及蕁麻疹である。此原因は主に前者は然毒後者はカルシュウム注射、ヨード剤等である。疥癬は種痘に因る陰化然毒の浄化作用であるから、天然痘が急性なるに反し、之は慢性天然痘ともいふべきもので、短きは数ケ月長きは数ケ年に及ぶものさへある。又蕁麻疹に対しよくカルシュウム注射を行ふが、一時的効果はあるが、時を経て必ず増悪再発するのである。又他の目的によってカルシュウム注射を行ふ場合も、時を経れば必ず蕁麻疹が発生するが、此病気は放任しておけば必ず治癒するのである。蕁麻疹にも種類があり、普通は無数の微粒が皮膚面に表はれるが、斑点、地図型等のものもあり、最初は紅色を呈するが、治癒するに従ひ黒色に変ずるのである。勿論紅色時掻痒苦があり黒色になるに従ひ掻痒苦は消滅する。之は疥癬も同様である。
  次に、或種の注射及びアンチピリン中毒、魚肉中毒等何れも蕁麻疹的症状を呈するが、之等は一時的で軽きは一二日重く共数日にして治癒するのである。但しアンチピリン中毒のみは予後黒色の斑点を貽(ノコ)しそれが数年に及ぶものさへある。


私の疥癬の浄化作用の原因は幼き頃の予防接種だったのかもしれません。

五十年経過して排出されるとすれば、御教え通りなわけです。
世界でワクチンを早くと大騒ぎですが、50年後はどうなっていることでしょう。
というより、もっと早く副作用があるという報告もあります。(詳細省略)

私達は浄化の仕組みを御教え賜っています。
だから世の中に振り回されずに、安心を得ております。
これこそメシヤ様の救いであると思うのです。

御教え通りの浄化を確認させて頂いたところで
厚労省HP発表によると、2020年の死亡者数は138万4544人で前年より9373人減っています。
主な死因(1月~9月)の状況ですが、
肺炎  約1万6千人 減少
心疾患 約8千人 減少

脳血管疾患 約8千人 減少
インフルエンザ 約2千人 減少
不慮の事故 減少
癌増加
新型コロナ 3千5百人 
老衰 5千人以上増加

肺炎、心疾患、脳血管疾患、インフルエンザというコロナに似た症状の死因が減って、コロナと老衰が増加した。
コロナが蔓延したにも関わらず、全体としては死亡者数は減少した。

2021年5月4日現在 コロナにかかっていない日本人 99.517%
         コロナで死んでいない日本人 99.992%
数字の表現によって受け止め方はずいぶんと変わってくるのではないでしょうか。

PCR検査ではもともとコロナウイルスを発見できないそうです。
これは発明者が言われていることです。

新型コロナウイルスの「陽性」と判定された1500人のサンプルから、新型コロナウイルスを1つも見つける事が出来なかったそうです。
サンプルの殆どは、インフルエンザA型、インフルエンザBだったそうです。

PCR検査値が正しいものとして、対策や方針が決定されていくのは、国民全体が詐欺に巻き込まれているような思いに駆られます。


情報が錯綜して何を信じて良いのかわからない。迷える人が増えているのではないでしょうか。
『入門と奥座敷』の最後に先生が記載されましたように、私達は決して医療を否定しているのではありません。すべての人に【選択の自由】があるのです。

それから、5月5日には時間の関係でお話しできなかったのですが、ブログに掲載しました、

の内容を読ませて頂きます。(上記リンク先を読む)

令和の時代の今こそ、人間らしいスケール(尺度)を模索すべきなのです。


最後になりましたが、
『メシヤ講座・浜松』の次に『メシヤ講座・三重』を編纂いたします。
そして、特選集・三重・浜松のメシヤ講座の索引(重要語索引)を作ろうと思っております。
索引を作ることで、テーマ別資料編纂の整理に役立つと思うからです。
やみくもに作成するより、体系立てていけることと思っております。

それでは、終わらせて頂きます。

令和3年 『主之大御神様御神体御出現記念祭』を終えて

 

令和3年 『主之大御神様御神体御出現記念祭』を終えて

(三救責任者挨拶)
本日は地球上に初めて『⦿』の大御神様の御神体がご出現された事を寿ぐ祭典です。二十二年前、平成十一年(西暦1999年)二十世紀末、正に終末の世の世界を救う鍵となる御神体の御出現であると拝察申し上げます。
浜松の方々の多くは1999年という世紀末より『⦿』の大御神様の御神名を御奉唱され、この地球にその言霊を響かせ続けて下さっていることに感銘し、敬意を表したいと思います。
そうして前の教団の支部としての発会は平成十五年という事ですので、今年で十八年となります。結んで開く観音様の数であり、メシヤ648(・・・先生の車のナンバーも648ですね)、648も合計は十八ですから、神様の数の年を『⦿』の大御神様の御神体と共に迎える大きな意義ある年だと思います。
また三重では平成二十四年四月発会と御神体御奉斎が同時で今年で十三年となります。三で結ぶ、三重で結ぶ年なんだと考えることが出来ると思います。
西暦の2021年は20世紀から21世紀へ繋いでいく教えなんだと受け止めることができるかと思います。
『⦿』神様の御神名の御奉唱を許されていることが最も尊く意義あることなのだと本日の祭典の機会に確認して頂けますならば大変ありがたく思います。
平成十一年三月二日~三日に京都で初めて主神様の御神名を御尊影に対し奉り御唱えさせて頂きました。その後の展開を考えますと、御神名、先生、皆様との御神縁に驚かずにはおられないと共に、縁(えにし)ということを大切にしていかなければならないと思わせて頂きました。
祭典というのは神様と真釣り合うこと、神様との面会の場でもあると思います。百八十段のその上に鎮座されます、主神様はただ御一方であられます。
祈る事、御神名を奉唱をさせて頂くことを許された私達は、焦点ブレることなく、一点に祈りのポイントを定めて信仰生活を送ってまいりたいと思います。
言霊
本日は『主之大御神様御神体御出現記念祭』ですので、言霊学から考えてみたいと思います。
先生は春日言霊学から考察され、御教導くださいましたが、春日言霊学に関する著を探すことが出来ませんでしたので、島田正路著「言霊」「続言霊」からお話しさせて頂きます。
古事記に出てくる神様は言霊五十音とその操作方法五十を表していて、古事記は言霊原理の参考書なのだという考え方です。

それで 天の御中主神 ウ
図―1
5-1

広い澄んで何ものもない宇宙に何かが生まれる動く、何かわからぬがあるという意識の高まり、生む、動き、有(う)る、広い広い宇宙の中の一点「われ在り」、ということで一点、ウアワというのは、造化三神と言いまして、老子の話ですと「一は二を生じ、 二は三を生じ、 三萬物を生ず」と。この ウ が 『⦿』この主神様と拝察できるのではないかと思います。
だから、天の御中主神は主神様と考えることができるのではないかと思います。古事記に出てくる神様の話をしています、今。

次に、 天地初発の時
古事記の冒頭に「天地初発の時、高天の原に成りませる神の名は、天の御中主の神」とあります。先天十七神、後天三十三神と続きます。
この後天十三番目の言霊が「ス」になります。
先ほど三重では御神体御奉斎十三年と言いましたが、13年目にこのことに気づかせて頂けたのだと思います。
言霊「ス」の発現・自覚を見た現在「天地初発の時、高天の原・・・」とあるその場所、その所こそ、この「ス」(巣・澄)なのだそうです。
スは何もないのではない。現象としては何も発言してはいないが、その根源エネルギーが満ち充ちていて、然も澄み透っている状態です。
これを図にすると

図2
5-2

図3

5-3

スをローマ字で表記するとS と U ですね。 S というのは、父の音、父音。 U というのは母音ですね。
これは順番が大切ですよということを言いたいのです。
例えば、カ (Ka)。父が先で母が後で カ (Ka)になります。日本語になります。
これを逆にすると、 Akだと発音出来ませんね。日本語っていうのはそういう仕組み。古事記はそういったことを表してるのだそうです。
伊邪那岐神、伊邪那美神が最初子生みに失敗したように順序は大切なのです。
Kaの父音が初めに来るとAkになって、日本語にはなりません。父が先、母が後で父と母から子が生まれるわけです。
ちなみにこの岐美二神(イザナギノミコト、イザナミノミコト)の子生みの失敗については、人間の行為としてはこういうこともあるのだと。実相を生むべき時に、自己の安心を求める立場にこだわって救われとか空ばかりを求めること。実相が出現してくる以前の母音にのみ気を捉われていては創造は起こりようがない。という教えなのだそうです。
御神体のお文字の言霊について言霊学の著書より考察させていただきました。

善言讃詞
次に善言讃詞ですが、
図4
5-4

善言讃詞の『世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明如来と現じ 応身彌勒と化し 救世主(メシヤ)とならせ・・・』を文法で考えると、
天界から観音様が地上に天降らせ → 現じで、光明如来と現じ → 彌勒と化し → 成らせ 。
この「らせ」というのは文法上使役ですね。何々させると。させているのは誰かというと主神様ですよね。天界から観音様をお降しになられ、命じたどなたかがおわします。使役する立場の御方がおられます。
それは主神様です。善言讃詞がこう始まってるわけですね。
現界に現じてきたというのは 光明如来という御神体が最後でした。メシヤ様が居られた時の御神体としては、光明如来、この現じのところです。
応身彌勒と化し。光明如来も如来ですから仏と言えますよね。神様が仏様になってるんだと。だから、「私は化けているからな」というのは、ここでもあるわけです。ミロク大御神様とメシヤ様は最後の方で言われていたわけで、メシヤ様がお亡くなりになられてからもずっとミロク大御神で来ていますので、このミロクと同じわけです。
で、成らせというのも使役されてるわけです。
ここまで(図4の天降らせ~成らせ)が、現界なわけですね。現界で、メシヤ様は、「メシヤと言う名前は人間の名前です」という話がありましたね。だから、ここまでが地上ですので、その最高のところが「救世主(メシヤ)」。僕が思うに、これが上がっていくという事が、大ミロクの働きと言えるのではないかと思ったわけです。
「全人類待望の炬光 大聖観音力の顕現 併而(あわせて)仏説の開扉」に大ミロク様の活動の話を、観世音菩薩即大弥勒神の御活動 という事が出て来ます。二つしか無い御教えの中に、御活動なんですよと。それから、「主神の救済委任神で被在らる伊都能売之大神即観世音菩薩が・・」だから、伊都能売之大御神様は即ち観世音菩薩なんですよと。「即」というのは、言いかえれば、そうなる時にはという事です。伊都能売之大御神様を言いかえれば観世音菩薩ですよと。元は伊都能売之大御神様ですね。仏説の開扉のところでいくと、観世音菩薩即大弥勒神の御活動となっていますから。本体は観音様なんですね。大弥勒神の御活動というのが、仏滅の世の時に化身していた、神様が仏様になっていたのが、上がっていくと。それ自体の事を大弥勒神の御活動、と僕は読みました。
それで、メシヤ講座・三重の文字起こしされていない中に、
善言讃詞で『救世主(メシヤ)とならせ』をお入れになられた時にはもう『ミロク様』から『メシヤ様』に上がっておられるのだ。
という箇所がありました。
「化し」の言葉は、神様が仏様に化けている化仏と受け止めるのがしっくりくるのではないかと思います。
世尊観世音菩薩此土に天降らせ  と同様に、
救世主(メシヤ)とならせ  も主神様によって地上での最高最貴の位まで上がられたのだと拝察申し上げます。そして、主神様の御意志を感得し実行されることとなられたわけです。
もう少し、テープ起こししてなかったところで、
 メシヤ講座・三重のテープ起こしされていない音声を偶然に聞いたのですが、御神体に関する重要な内容でした。オフレコで紹介させて頂きます。(省略)
善言讃詞『メシヤと成らせ』と入れた時にもうミロクから上がっている。
そういう事を聞いていました。テープ起こしするには微妙なところであったので、多分しなかったんだと思います。

認識
そうしてここでも認識ということが非常に重要なのだとわからせて頂けると思います。
それでは、認識するということはどういうことなのでしょうか。ここでも先ほどの「言霊」「続言霊」より私なりの解釈で説明してみますと、
物事を認識するにはそのものの名前が必要です。
御神名とか名前、名前というのは、これは何々ですよと認識する上に一番重要なわけです。名前というのは。「ナ」というのは。言霊の「ナ」は名前と受け取ることができます。初めに先天が振動して天名(あな)の活動となり真名(まな)が頭脳内に生成して組み合わされ・・難しいね、ここは。

図5
 5-5

頭の中で考えて、口で発して空気を振動して、波。
電磁波とか光波とか音波とかあるんですけども、そういう波になって大気中を伝わって鼓膜の振動をさせて、頭脳の中で震えたのでもって何々だとその名前を認識する作業がずっとあるわけです。この本に書いてあったことね。だから、名前というのはそれを認識する上で重要ですよ、ということで。空気中、言霊っていうことで振動していく、そういう意味合いがあるんですよということがここに書かれていました。
そのことが、頭脳内で生成して組み合わされ口腔より口から有音の神名(かな)となって・・「かな」というのは神の名前と書いて「かな」と読む。平仮名というのは本当に尊いという事なんです。発生したり空中を飛んで人間の耳に入り、復唱され了解されて物事の「名」となる。
ここにおいて霊と体であり、気と音として糾われてきたものが完全に結びついて父母から独立した実相子音が形成されてくる。
こういう天名―真名―神名―真名―天名の循環がここにおいて成就する。
事物が言葉で発生表現され、それが人間に聞かれ了解されて初めて実装は完成する。
本来人は救われてある者である。しかしその救われてることを自覚認識し、それを言葉として表現して初めて救われは完成するんだと。この認識され了解された内容が名前なんですよ、「名」なんですよと。
「名の名とすべきは常の名に非ざる名」 というのは弘法大使が言っております。
「道の道とすべき」万象の名 ということは老子が言っておられます。
「神の口より出ずる言葉」であるmanaである。これはキリスト教の聖書に出てきます。
Mana、と言うのだから「ナ」が出てきますね。
さっきの「マナ」って、真名というのもありますし、これはだから西洋の方とも同じような言葉もあるという事ですね。
かく表現されたものの実体が言霊であり、実相子音である。
読んだ著書から、紹介させていただきました。

「クスツフムヌル」についてはですね、何度も出てきておりますのでここでは省略させていただきたいと思います。
春日言霊学、先生が引用された春日言霊学というのは春日大社に伝わる言霊学であります。色々、古史古伝(こしこでん)、色々ありますね。ホツマツタエもそうですし、九鬼文書(くかみもんじょ)というのもありますね。九鬼水軍の九鬼ね。ずっと伝わっていたのが、綾部の方へ、御家分解されて綾部の方と三田の方へ行っていますので、元に伝わるのが「九鬼文書」というのがあります。
そこから竹内文書という竹内宿禰が何百年も生きたって言われてる・・そこには、五色人というのが出てくる。
要は昔から伝わってきたのがあって、古事記というのは神武天皇を一番とする為に出してきたような話もあるわけじゃないですか。そういう変えられたところがあるかもしれませんけども、その日本の元々のね。侵略されてますから。それのもっと大元のところがあるということで、実際には、宗教じゃなくて、言霊学の方から言えば、そういう五十音の言霊の勉強の参考書として古事記というのは編纂されたという説があって、今そういう話をしたわけです。
その中でも特に「ア」とか「ス」とかというのが重要かなと思って、古史古伝というそのホツマの文字を頂いてるわけですから、そこのところを調べたのが今の話ですよということです。
ここのところのそのまとめとしてはですね。
ブログにもちょっと掲載させてもらいましたけども、

主神様からメシヤ様を通して出られた御教え実践普遍化
ということで、
これは、メシヤ講座特選集の番外編に掲載してありますので、読みますと。
メシヤ講座no.14 番外編(平成22年1月その4)より

 楳木先生   そうすると、増々、「九分九厘と一厘」の、「一厘」というものをわかっておかなければなりません。例えば、「一厘の力」というと、「メシヤ様の力」ではないかとか、人によっては「大メシヤ」だとか、あるいは「大弥勒」だとか、このような表現を使ってイメージを膨らませる様な人も多い。

しかし、これは御教えをそのまま読めばいい訳で、要するに、「主神様の」と書かれている。だから、先程の話と共通するのだけれども、「主神様」から出る力だから、浄霊力が最高であるという事。これを神科学ともおっしゃる。そういう力を出す事が出来るから、そこから頂く教えは、「真理」なのだという捉え方をして、この「真理」を以て行く事が、実は「一厘の力」なのだという捉え方をしないといけません。

「大メシヤ様が出て来るんだ」とか、「いや大弥勒だ」とか、あるいは「国常立尊」だとか、そういう世界ではないという事です。主神様からメシヤ様を通して出られた御教えを、我々は如何に実践して、普遍化して行くかという事が、実は「一厘の働き」なのだという姿勢を持っておかないと、いつまで経っても人を当てにしてしまう。「自分ではない」という事になって行ってしまう。この点を、取り違えない様にして頂きたいと思います。
こういう事が書かれていますけども、これは「悪と守護霊」 、『文明の創造』の御教えの中にですね、
「邪神の方が九分九厘まで勝ったのが現在であってここに主神はいよいよ一厘の力を顕現され、彼らの大計画を一挙に転覆させ給う。」と書いてある。
だから、「主神は」と書かれていますので。色んな神様の名前がでてきますけども、迷わずに、「主神は」ということですので。今日は主神様の御神体の祭典でありますので、そのような話をさせていただきました。

それで引き続きまして、今日は月次祭でもありますので、『文明の創造 科学篇』の「栄養」のところを行きたいと思いますので○○さん読んでいただけますか。115ページです。

『文明の創造 科学篇』の「栄養」  拝読
(三救責任者)
ありがとうございました。
非常に事細くメシヤ様は述べて下さっておりますので、分かりやすかったと思います。
メシヤ講座ではどのような話があったかと言うと、
『生活力』とは『消化機能』のこと
今話があったわけですけども、『生活力』とは『消化機能』のことですと。普通に食べ物を食べて体の中で栄養素を作り出す力これが生活力なんだということで、お金を稼いで、しっかり大学へ行けるようになって、立派になるためにとか、そういった良いところに就職してとか、そういうことを生活力っていうんじゃなくて、メシヤ様の仰っておられるのはこの消化機能のことだよっていうことで話をしていただいております。

食事の西洋化が『根気』『集中力』『持続力』を低下させる
ここは、判断ミスに繋がるんだよということが書かれています。この〝判断ミス″というのは今回の栄養と非常に繋がりがあるのですと。食事の西洋化、肉類を多くとるようになってきて、持続力がなくなって判断ミスとかにも繋がっていくんですよということが述べられています。今も出てきましたけども、苦力(クーリー)などはパンだけで他のおかず等は一切食べないでも、素晴らしい栄養素を自分の中で生産して、元気に仕事をこなしています。こういうところをもっともっと研究しなければいけないに関わらず、間違った考え方が未だに横行しています、という話がありました。 

『人間の体の構造』『肉体の機能』をもっと研究しなければならない
(三救責任者)
胃に血液が集中しにくい状態になるのです。この時にあまり消化の悪いものを食べていると、血液が胃に集中していないために消化能力が劣ってくるのです。ここで餅を食べますと餅は消化が良いので、血液が少なくても吸収できるのです。
餅って消化がいいんですか?
(参加者)
消化、あんまりって言うけどね。
(三救責任者)
ちょっと気になったので今朝調べました。餅米の主成分はでんぷんです。でんぷんを蒸してすりつぶして作られているので、非常に消化が良い食べ物なんです。消化が悪いと聞いていたのは間違いでした。
(参加者)
一般的には消化が悪いとよく言われるけど・・それは間違い。
(三救責任者)
それは間違いですよということ。
メシヤ様の為されたように『人間の体の構造』『肉体の機能』ということをもっと研究しないといけません。現代の医学でも当てはめて考えないといけないことだと言えます。これは、先生方がずっと伝えてきたことであります。

〝人類を弱体化して支配力を増す″企み
 ということで、〝人類を弱体化して支配する側がさらに支配力を増していく″のが、大まかな支配する側の企みであるわけです。これは、サプリメントのことについて、今までもコマーシャル、テレビのことを丸呑みしているとですね、物を売りたい側の企みというのがありますので、よく考えないといけませんねという話です。
牛乳が一年中同じ味なのは不自然です
ということを教えてくださいました。
季節ごとに食べる草が違うから牛乳の味が変わるのが普通なんだと。これが一年中同じというのはですね、海外とか輸入した穀物や飼料、肥料で食べさせているからということで、結局味も不自然になってくるんですよということで、きちんとした牛の飼い方をしてるところの人たちが気づいたんだよという事をここで教えてもらっています。
栄養剤は小腸を弱くする
それから、栄養剤のことが書かれてます。サプリメントですね。
栄養剤は小腸を弱くする ということで、直接栄養をとると小腸が働かなくなるのです。ですから粗食の方が理想的なのです。現代人は栄養を取りすぎて大腸癌になるのです。添加物をやめる・・極力排除していくことが大切です。と教えていただいております。
自分の体に依存が起きないようにしていくことが大事 
薬のいけないところは何でしょうか。それは肉体が薬に依存してしまうということです。栄養剤を飲み続けると体が退化してしまうのです。サプリメントは栄養そのものですので小腸が働かなくなるんです。『退化』してしまう恐れがあるので、身体のバランスが却って崩れています。それを常食にさせようとしていることがいけないのです。病院にかかること、薬を飲むことも緊急の場合には仕方のないこともあるのです。依存してしまうことが良くないのです。化学肥料をやると作物が化学肥料に依存してしまいます。病気の場合とそこが共通しているところです。自分の体に依存が起きないようにしていくことが大事なのです。ですから信仰生活においてもいつまでも依存していてはいけないのです。自立した信仰を求めて行かなければいけません。

浄化作用が起きた時の食事療法
ということで教えて頂いております。具合の悪い時には植物性いわゆる野菜を中心にした食事にするということが大事だということです。それで健康を回復して仕事なり学校に行くようになった時に、動物性タンパク質を食べさせるようにするのです。この時の、浄化作用が起きた時の食事療法というのを我々は忘れがちなのです。ということを教えて頂いております。

(三救責任者)
本日のテーマは栄養です。御教えとメシヤ講座で体内で栄養素を作り出す力が生活力であり消化機能が生活力なんだと学びました。
苦力(クーリー)はパンだけという単食でも力があって働けます。現代は飽食の時代です。空腹状態の時間を作った方が消化機能即ち生活力が発揮できると思いませんか。
ここで「空腹こそ最強のクスリ」という本と、この内容にマッチした御教えを紹介いたします。何でも自然が一番ということに繋がってくることをわからせて頂けるかと思います。
ということで、「空腹こそ最強のクスリ」という本を買って読みました。
要約したことを書いておきましたけども、
「1日3食」「食べ過ぎ」が疲れやすい体を作る。
内臓が休めません。疲弊します。老廃物を排出できなくなって免疫力が低下します。食べ過ぎはね。
解決策として、「ものを食べない時間(空腹の時間)を作る」ことですよと。
数字としては16時間超過でオートファジーが働くんですよと。オートファジーというのは細胞の古くなったタンパク質が新しく作り替えられることです。
細胞の飢餓状態は低酸素状態に陥ると活発化するんです。
こういうことが書いてありまして、こういうことは御教えではどうなんだと言うと、昭和18年に御教え頂いているわけです。

【御教え】胃疾患・病患と医学の誤謬二
『明日の医術(再版)第二編』昭和18)年2月5日発行
今一つの原因である食事の方法の不適正とは、近来、医学が唱える食物の量と、食事の時間を規則正しくせよという事で、これが非常な誤りである。何となれば人間は機械ではないのと、食物なるものは不同であるからである。それはどういう訳かというと、食事と食事との間の時間中、運動をする事もあれば、運動をしない事もある。それによって食物の消化に差異が生ずるのは当然である。又、食物においても、その種類によって、消化に遅速あり、一時間で消化する物もあれば、三時間以上費す物もある。故に、規則正しくするにおいては、食事の時、空腹である事もあれば、未だ空腹にならない事もある。空腹ならば食欲旺盛で消化は良好であるが、未だ食欲が起らないのに、時間であるからといって無理に食物を摂れば悪いに定(き)まっている。それは、前の食物が停滞して居る上に、新しく食物を入れる場合、前の食物は腐敗醗酵しているから、その毒素の為に、新しい食物の消化は、妨げられるのである。しかもそれが又消化しきれない内に、又時間が来たといって仕方なし食うという具合で、漸次消化不良となるのである。故に正しい食事の方法とは、前の食物が充分消化し尽してから食事をとるのである。そうして、前の食物が消化したか否かは、食欲といういとも正確な指針があるから間違いないのである。故に空腹即ち食欲があれば食い、なければ食わないというようにするのが本当である。従って、正しい食事法とは食いたい時に食いたいものを、食いたい量だけ食う――という、言わば自然である。そうして食いたいと思う物は、その時何らかの必要上、身体が要求している為であるから、それを食えばいいのである。又量も同一の意味で、必要なだけ即ち食いたいだけ食うべきである。又食いたくない物を薬になるとか、栄養になるとかいって我慢して食うのも間違であると共に、食いたい物を我慢して食わないのも不可である。又食欲があるのに喰べ過ぎるといって中止するのも不可であり、満腹して食欲がないのに、無理に詰込むのも勿論不可である。要は飽くまで自然でなければならないのである。
 しかし、右の方法が良いからといって、境遇上、何人も行う訳にはゆかないので、食事時間の一定している人は、その場合、量によって加減すればよい訳である。そうして食物は、空腹でさえあれば、いかなる物も美味であり美味であれば、栄養満点である。故に、右のごとき食事法を実行すれば、消化不良など絶対あり得べきはずがないのである。
(三救責任者)
『空腹ならば食欲旺盛で消化は良好であるが、未だ食欲が起らないのに、時間であるからといって無理に食物を摂れば悪いに定(き)まっている。』
『故に正しい食事の方法とは、前の食物が十分消化し尽してから食事をとるのである。そうして、前の食物が消化したか否かは、食欲といういとも正確な指針があるから間違いないのである。』とあります。
しっかりお腹が空いてから食べた方がいいよ。ということが書かれています。自然にということですね。
紹介した本では16時間空けて空腹にしてオートファジーを働かせるとありますが、このように時間を決めなくても自然で良いのです。要はお腹を空かして食べたいものを食べる。自然な食事方法が一番良いという事です。しかし仕事がありますので、食事時間を決めなければならない場合は量で加減をすればよい。
正午だから昼食を食べないといけないのではなく体の欲するようにすることが一番良いという事ですね。
ところで、なぜ現代は一日3食になったのでしょうか。
「江戸時代初期の明暦の大火(1657年)の際に復興に当たった大工や職人に、江戸幕府が朝と夜だけでなく昼食も提供したから」
「江戸時代後期に明かりが普及して一日の活動時間が延びたから」
「明治維新後、政府が軍隊に一日3食提供したから」
と、諸説あるのですが、江戸時代までは武士や大工などの肉体労働者以外は一日2食が一般的だったようです。

ウイルスによって胎盤に進化
次に、NHKでもやっていましたけども新聞記事がありまして、2020年4月8日の朝日新聞に IPS 細胞から胎盤になる細胞を作ることに成功したという記事がありました。 IPS 細胞を図示して(・・丸にチョンだね。)丸にチョンで表しています。もはや神様の領域に踏み込んでいますね。あるいは宗教と科学は限りなく近づいたということでしょうか。
先般 BS でウイルスの役割の話をしていました。 そこで面白いと思ったのがウイルスは1億6000万年以上前から存在していたそうで、元々卵からしか子孫を増やせなかった動物が、ウイルスを体内細胞に取り込んだことでそれが胎盤に進化して、卵によらず体内で胎盤によって子孫を増やせるようになったのだそうです。このウイルスはペクテンと言うそうです。垂直進化の歴史にウイルスという外的要因によって水平進化が起こったということね。
歴史をさかのぼると、人間になる前というか、卵でしか子孫を増やせなかった時代があったと。その頃に、こういうウイルスが入ってきて、そのウイルスを体内に取り込むことによって、だからウイルスと共存することによって、胎盤というものが出来上がっていったんだ。
それで、人間は卵じゃなくて、体の中に胎盤を持って子孫を増やすことが出来るようになったんですよと。これはウイルスというのは、敵であったり、体に取り込んで共存することによって子孫を増やす進化であったりするんですよということです。だから、垂直進化の歴史に外的要因の横の水平進化が起こったということです。
例えば赤潮プランクトン大量発生の解消のプロセスにウイルスが関わっているということが分かってきたそうです。ウイルスには生態系の調整役という役割も担っています。ですから必要があって人類よりもずっと以前から存在しているのです。恐竜のように役割が終われば絶滅するように神様は仕組まれておられるわけですから、ウイルスも人間も必要があって存在しているのです。
インフルエンザも元々は水鳥の体内で安住していました。健康な人間でも今分かっているだけで39種類のウイルスを持っているのだそうです。ウイルスは自分だけでは活性化できず宿主が必要です。
コロナウイルスも元々はコウモリの体内で悪影響を及ぼすことなく存在していたそうです。文明社会がパンドラの箱を開けてしまったのかもしれないと BS では言っていました。
インフルエンザも絶滅したわけでなく共存しています。現状を見るにコロナウイルスも絶滅するとは思えないのではないですか。過度に恐れることなく、ともに存在していけば良いのではないでしょうか。それが自然なあり方だと思いませんか。もし多くの人がお亡くなりになる、それが自然死や既存の病より多いのであれば、長い長い人類進化の歴史の中で、肌を守るとか胎盤を作るとか脳を進化させるというウイルスによる、これもウイルスによる水平進化が起こったらしいです。この肌を守るためのウイルスによって進化したんだと、胎盤を作るというのもそう。順番に書いてあります。肌を守るウイルスの方が早かったみたいですね。で、脳を進化させるっていうのが一番後で。水平進化が起こったように再び垂直水平、経緯を結んで進歩発展する兆しなのかもしれません。しかし物質文明の発展にストップをかけ精神魂の覚醒が地上天国建設には欠かせないのです。霊的向上を目指せと神界から呼びかけてきていると思われてなりません。

研鑽資料の作成について
最後にですね、研鑽資料の作成についてということで先日お話しさせていただきましてブログでもお知らせしましたように、今月から『天恩地惠 「覚りの旅」』の事前配布を取りやめました。
これからは半期に1回とか、1年に1回などの形で、特選集のように要約して作成を考えています。
メシヤ教当時の季報は、法人化を目指しての大祭議事録、記録という目的がございましたが、三救で編纂している『天恩地惠』は、研鑽のための資料でございます。
それを、せっかく学べる資料を作成したので、「三救ではこのような学びをやっている。」ずっと『覚りの旅』を続けているのだ。ということを、元メシヤ教の人にも、もし信仰に迷っている人がおられるのなら知っていただきたい。
という想いを持って、三救以外の何人かの人にも送らせていただいておりました。
もう3年以上もこのような方法で続けていました。
それで、五月号も早くから作成を始めておりました。
今回は、5月5日が、『主之大御神様御神体御出現記念祭』ということで挨拶文を考えていて、メシヤ教の時に、竣成祭を前面に出しておりましたが、本来初めて御神体を玖珠の旧本部に御奉斎した日であるわけです。
主神様の御神体を御奉斎され、主之大御神様御一柱の御神名で、その意義を求めて祭典を行われるところは、果たしてどれだけあるのだろうか。どれだけ残っているのだろうか。と祭典の意義を求めていて、考えさせられたのです。
先生に御教導を賜った御神名、祭典のあり方で、継続して行い続ける。
この想いというのは、意義を求めれば自然と湧き上がってくるものだと思います。
しかし異なる意見を持って、異なる祭典を、異なる御神名で執り行おうと、何ら、私共から意見するものではないわけです。それこそ自由であるのです。
ということは、「私たちがこのように祭典を執り行いますよ」と事前に知らせるものでもないわけです。
そういう想いに立った時、『天恩地惠』で挨拶文を含めて、祭典前に送らせていただくのは失礼なことをしていたのだ。と、赤面いたしました。
異なる祭典のあり方に疑問を持つならば、質問があるはずなのです。
それがないというのは、疑問を持たないか、上の人の、あるいは、何々さんの言うことだからと、何も考えておられない。流れに任せている。ということだと思います。
という想いに至りましたので、3年を過ぎたこの機会に、目の前にいる皆様方に集中して参りたいと思います。
そのように、思考の転換を行った途端に、
元メシヤ教の人や、世界救世(きゅうせい)教の人がどう思おうと、気にすることなく、
目の前の皆様に私が今伝えられることを伝えていけば良いのだ。
自分の学びたいことを学んで伝えていけば良いのだ。
そう思った途端に次々と作りたい、研鑽資料が思い浮かんできました。
やはり、これが自然なあり方なのだと思いました。
ということでこれからの研鑽資料を編纂していきたいと思っています。
(三救責任者)
よろしいですか?また何かありましたら・・。
(司会)
以上をもちまして、主之大御神様御神体御出現記念祭を終わらせて頂きます。
(参加者)一同
ありがとうございました。

覚りの旅  メシヤ降誕本祝典記念祭

 令和6年3月3日 覚りの旅  メシヤ降誕本祝典記念祭 祭典意義 メシヤ降誕本祝典記念祭は平成27年3月3日より始まり、今年で10回目です。 『十とは、〇は地球であり、大地の事である。十の字は経(たて)と緯(よこ)の棒の結んだ形で、経は火で緯は水である。火と水はカとミであるからカ...