平成26年12月23日
御降臨祭おめでとうございます。
三重支部 濵口です。
このたび母の浄化に御守護を賜りましたので、御報告させていただきます。

○順風満帆
平成26年は3月に娘が結婚式を挙げ、5月には息子の子供、初孫を抱くことができました。そして10月に入って娘夫婦の新居を着工の運びとなり目出度いことが続いておりました。

○突然の母の浄化の知らせ
しかし、10月12日に実家のある○○市の病院から電話があり、母が「食事が喉を通らない。食べても戻し、どんどん痩せていく。」と来院し、検査をしたところ、カメラも通らないかな?と思うくらいの2cmほどの大きなポリープが、食道と胃の境のところにあり、食べ物がこのポリープを通過する時に出来た傷が原因で下血しているので貧血状態になっている。念のためにポリープの組織を採って検査したら考えにくい結果だが組織が壊死していた。
しかし、今の状態だと2ヶ月程で何も食べられなくなるだろう。大きな病院で再検査して手術を受けることをおすすめする。「検査結果を10月25日に聞きに来てください。と言ってありますので一緒に聞いてください。」との内容でした。

○脳裏をよぎる父の帰幽
この時私の脳裏によぎったのは14年前の平成12年に肺癌で亡くなった父のことです。
父は当初肺炎だと診断されて2ヶ月入院するも一向に治る様子がなく、担当医が替わって再検査を受けた結果、悪性のポリープがあるので、「医者の話を一緒に聞いて欲しい」との母からの電話で初めて知りました。父は地元を離れたくなかったようで、私に連絡するのを嫌がっていたそうです。
父の手前、「手術すれば助かるのですか?」と聞いてみると「そんなことはわからない。手術してみないとリンパ腺に転移しているかもわからない。リンパ腺に転移していれば助かる可能性はずっと低くなる」と言い、「手術しなくて良い方法はないのですか?」と聞くと「選択肢などない。手術しかない。あなたどんな病気だと思っているのですか」と末期癌であることを父の前で告知されてしまいました。
私は手術をお断りし、「津へ行って浄霊をいだだこう」と父の了解を得て、その日のうちに津へ連れて行き、私の家で浄霊を続けていたのですが、尿が出なくなり、無理な治療はせず、宗教行為に寛大なホスピスの病院に救急車で運ばれました。「できるだけ薬を使わないでください、尿が出るようになったら家で療養させたい」と主治医に話し浄霊に取り組みました。
しかし、私の仕事が超多忙の時期であり自分の父でありながらほとんど浄霊は家内や当時所属していた教団の地区の方々や所長にお任せしてしまっていました。
ある日、「腰に転移しており歩けるようにはならないだろう良くても車椅子の生活です。」と主治医は直接父に告げてしまいました。なぜ、直接話すのか。心ない主治医の言葉に言いようのない憤りを覚えました。その日からしばらくは、お粥しか食べられなくなってしまいました。
しかし、みなさんに御浄霊をいただくうちに何でも食べられるようになり、さんまのさしみや、鰻のひつまぶし弁当なども平らげました。
また、急に「リハビリをしたい」と言い出しました。ホスピス病棟でリハビリを受けている人などありませんでしたが、「父はまだ生きる希望を持っている」と私は嬉しくなりました。
〝これから良くなっていくのだろう″とみんな思っていました。ところが左の肺だけでなく右の肺も悪くなり、父は「もうあっちへいくわ。博幸を呼べ」と母に言い、母から電話を受けて子供達と駆けつけました。痰がからんで話はできないものの元気にしているのです。ですので、学校に行かせるために家内が家へ子供たちを送っていきました。
私が会社に休暇の連絡をしているわずか2分ほどの間に父は、知人から浄霊をいただきながら全く苦しむことなく、昇天しました。
眠るように息を引き取ったのです。わずか2ヶ月の療養生活でした。
同じホスピス病棟にいる人たちと父の状態は大きく異なっていたことがあります。それは亡くなる当日の朝まで食べることが出来たことです。魚が好きで週に何度も出前寿司を頼みました。病院食は母が食べていました。大好きな天ぷらを病院のキッチンを借りて揚げたてを食べさせたこともありました。
母は「精一杯やったから全然悔いはない」と言ってくれましたが、父はどうだったのでしょうか。もしかしたら私に母が知らせなければ医者の言うとおり手術を受けていたのではないでしょうか。そして何より大好きな海の見える町を離れて療養したくはなかったのではないか。私の決断で津へ連れて行ったものの結果して故郷に生きて帰ることの出来なかった父の本音を〝霊と交信できるならば聞いてみたい″とズーッと思っていました。

○今後のことを母と話し合う
そんなことを考えながら、2時間かかる実家へ、家内と向かったのです。母は医者が私に連絡すると思っていなかったので、驚くと共に〝余程悪いのではないか″と思ったようです。「組織検査の結果が出て組織は壊死していたとの連絡があったので様子を見に来た」と話しました。
そして母としては、どうしたいと思っているのかを尋ねました。
「手術しないと食べられなくなる」と思い込まされていました。
しかし、「手術はしない。もうカメラを飲むような検査も嫌だ。実家からは離れたくない。」と言いますので、「1週間に2回津から実家に通って浄霊をする。自分でも浄霊をすること。」と話しました。そして通い始めたのですが、すぐに母から「仕事を終えてから遠くへ浄霊に通ってもらうのは申し訳なく逆に心配なので、津へ行って浄霊を受けることにしたい。万一のために入院の用意もしていく」との提案を受け、それに応えることにしました。
母は医者に10月18日に検査結果を聞きに来るように言われたのですが、その日は孫達と二見へ宿泊する予定があり、とても楽しみにしていましたので、「家族旅行があるからその日は駄目だ。1週間後にしてください」と言ったそうです。その時は〝もしかしたら家族がみんな揃っての最後の旅行になるのかもしれない″と思ったそうです。
このころ私も正直不安だったことが先生に差し上げた次のメールからお分かりいただけると思います。
10/13日のメールです。
土曜日に仕事を終えてから実家へ行きました。母は、胸のあたりが重苦しくムカムカし、時々胸で遣えて食べ物が通りにくく、もどしてしまうことがあります。
私がいる時でも数回もどしました。透明のヌラのような液体が出てきています。
脚力も以前より大部落ちてきているようです。体重も落ちて来ています。
癌の症状と言えますが、「癌の組織が壊死している」という結果がありますので、
壊死した癌が排出される時のヌラなのでしょうか。
月末には医者と面談してきます。
それにしても母がかかったのが田舎の病院で良かったです。
大病院でしたら直ぐに手術されてしまったかもしれません。
母も「手術はしない。もうカメラを飲むような検査も嫌だ」と言っておりますので、しっかりと浄霊に取り組んでいきます。
母の希望で、月末から津へ来て一ヶ月を目処に養生をすることになりました。
「週二回実家へ通って浄霊する。」と言ったので逆に心配して津へ来る気になったようです。
自然と次回の月次祭には参加できるようになりました。
『文明の創造』などの書籍が引き出しにしまわれていましたので、読むように話してきました。自己浄霊にも取り組むように話しました。
先生から返事もいただかないうちに14日には、続いて次のようにメールしています。
「壊死した癌が排出される時のヌラなのでしょうか。」と質問しましたが、『文明の創造』で学んだばかりでした。
『然(しか)し稀(まれ)には胃癌でなくて、ヌラを吐く場合もあるが、此(この)ヌラは頗(すこぶ)る稀薄であるから、よく分る。先(ま)づ濃いヌラを吐く症状が真症胃癌と思えば間違ひないのである』と『霊的病気 癌病』で学びました。
私も母のヌラを見ましたが透明でした。ですから
『頗(すこぶ)る稀薄』なヌラに該当する希(まれ)な症状ということになります。組織も壊死(えし)していますし、〝真症胃癌ではない″ということになります。
そして、先生から
「お母さんの取り組む姿勢も明確になったようですので、自己浄霊に徹していただきたいと思います。」との指導をいただいております。

○検査結果を聞く
10月25日は仕事が入っていたのですが日曜に仕事をすることにして、母と検査結果を聞きに行きました。「組織が壊死している。」ということを聞き少し安心したようです。
そして、「高齢で体力が持たないだろうから手術はしません。検査も体が辛いので受けたくありません。」と母は、医者に自ら話しました。

○食べてさえいれば戻しても少しは栄養になる
後から詳しく話を聞いてわかったことですが、
食べた物を戻してしまうとかの症状は、2年前の息子の結婚披露宴での食事が一切食べられなかったその少し前から始まっていたそうです。最近は症状が進み、お茶も飲めなくなることがあったようです。
病院へ行くと点滴されるのが嫌で誰にも言わず、食べては戻す。食べては戻す。を繰り返したと言います。〝食べてさえいれば戻しても全部が全部戻してしまうことはないだろう。少しは栄養になるだろう″と考えたそうです。〝これからどうなるのか″と考えると不安で堪らず、〝もうどうにでもなれ″とも思ったそうです。
しかし私に知らせると父の時、その日のうちに津へ連れて行きましたので、住み慣れた町を離れなければならない。と知らせなかったのだそうです。

○食生活を改善、浄霊をいただきみるみる回復
津に来た当初は、頬が痩(こ)け、目が窪(くぼ)み、目の下が黒く面貌(めんぼう)はハッキリと病人でした。
「運動もしなけりゃ」と犬の散歩をしてくれたのですが、10分も歩くと疲れて2~30分も休憩をしていたそうです。浄霊を徹底するとともに、毎日野菜中心の食生活にしました。支部で浄霊を受け始めてから食事をしても戻さなくなりました。便に混じっていた血も徐々に混じらなくなり、一週間くらいで全く正常な便になりました。そして体重も増えだし、散歩もおよそ一時間も出来るようになりました。当初〝1ヶ月浄霊と食養生で様子をみよう″と決めたのですが、本当に一ヶ月ですっかり元気にしていただきました。
一ヶ月が過ぎて実家へ帰りました。田舎に帰ることができた母は「ああ、うれしい、うれしい。帰って来れた。こうして食事が普通にできることが本当にうれしい。津へ食養生に行ってよかった。一人暮らしで魚が好きで魚中心の偏った食生活だった。野菜を育てているのに食べ方を知らなかった。津で良く教えてもらったので、これからはバランスのとれた食生活をします。浄霊もきちんとします。」と言ってくれました。
近所の人から「行く時は顔色が悪かったのでもう帰ってこやんのとちゃうか。と思っとったけど、帰れてよかったな。顔色ようなったやん」と言われました。周りの人にもわかるほど顔貌に変化があったのでしょう。
母が懇意にしている魚屋さんが「おばさん、魚ばかり食べやんと野菜も食べやなあかんで」と商売そっちのけで心配してくれたそうです。魚屋さんに心配されるほど魚ばかり食べていたのだと思います。
そして11月の月次祭の時に、先生より「月に一回の月次祭の時には、耳が遠くて聞こえなくても座っているだけでも良いので、できるだけ参拝するように」と御指導いただき、月一回の参拝を決意しております。もちろん12月も参拝できました。
目標を持って生活できることは素晴らしいことだと思います。

○父と母の御守護のいただき方の違いを比較する。
ところで、父の時と母の御守護のいただき方の違いは何だったのでしょう。
比較をしてみました。
まず、〝どれだけ医療を受けたか″ということです。
父は当初肺炎と診断され入院して検査、治療、投薬を繰り返し、私が連絡を受けたときには既に末期の肺癌でした。私は元々は本当に肺炎だったのだと思います。それを検査治療を繰り返した結果肺癌にまで進行してしまったのだと思っています。
 
母は、2年以上前から症状があったのでその頃から食道癌か胃癌だったと思われます。しかし、薬も一切飲まず、戻しても食べ続け、水も喉を通らなくなってやむを得ず、病院で検査を受けたときには2cmの大きさになっていた癌細胞は既に壊死(えし)していました。『何もせず、放っておけば治る』の御教えの通りだったのです。
浄霊をいただいて治った。との体験はよく聞きますが、『放っておいて治った』という体験談はあまり聞きませんので非常に貴重な体験ではないかと思います。
次に、〝どのように浄霊をしたか″ということです。
父は自己浄霊はできませんでした。○之光教団所属でしたので、自己浄霊をする人はあまりいませんでした。家内や当時の地区の方々が浄霊をしてくれましたが、時期的に仕事が多忙な時で、息子である私の関わり度が少なかったのです。
一方、母は素直に自己浄霊に取り組んでくれました。また、家内が主に浄霊をしてくれ、私も父の時と同様多忙な時期だったのですが、時間を見つけては浄霊をさせていただきました。自宅にいたからこそできたことでした。
母の時には自然米がありました。自然米のお粥は何とか食することができたそうです。3年程前より無農薬・無肥料で野菜を育てておりますので、野菜はスーパーでは買わなくて良いそうです。また、最近は調味料にも気を遣うようになり料理にも興味を持てるようになりました。
母は納得して故郷を離れましたが、父の心の内は故郷を離れたくなかったことでしょう。良く家族で話し合って納得の上方針を決めるのが最善であると思いました。

○「食」は生きる希望になる。
最後に、「食」は生きる希望になる。ということです。普通に食事をとれることがいかにありがたいかということです。
母は食事の時間を非常に大切に思っていました。田舎ではひとり暮らしでついつい簡単にすませてしまいがちです。〝家族で一緒に食事をする″時間をとりたかったようで、津で生活している間中私は忙しくて帰宅して食事をするのが夜10時ころでしたが、「先に食べて」と家内が言っても私が帰るまで待っていました。
父も亡くなる直前まで食べていましたが、病院の部屋で食事をするのとでは、大きな違いがあります。病院では食事を栄養と考えるでしょうが、〝家族で一緒に食事をする″食事の空間には温かみがあるではありませんか。
母は田舎でひとり暮らしにもどりましたが、無農薬・無肥料の野菜を育てて自ら食べ、私たちに提供するという御用に励んでくれることと思います。また、「月次祭に参拝する」という課題をいただき、これからの母の目標ができたと思っております。

○信仰を伝えていく原点
メシヤ講座で先生より、
信仰の話・・・色々教えを取り次いだり、色んなことをするんだけども、信仰が伝わっていく一番の原点はやはりメシヤ様からいただいたその恩恵を、そのままありのまま、みんなに話すということが、信仰を伝えていく時の一番の原点であると。
 これを欠かしてはいけないということが、まず第一としてありますね。だからそういうことを我々が確認していかないと、いけないことではないかなと思います。
と御教導いただいております。
体験発表というのは、話を聞いたより多くの人が発表者を通して信仰をより身近に感じることができますので、みんなに幸せをま配っていくことになりますので非常に意義深いことだと思います。
今回の母の体験発表で皆さまが少しでも感じ取っていただけることがありましたならありがたく思います。本来なら母がこの場で発表すべきではありますが、遠方へ出かけることにまだ自信が持てないようですので、私が代わりに発表させていただきましたことを、お許し願いまして、発表を終わらせていただきます。
ありがとうございました。