2021年12月23日木曜日

令和3年12月 メシヤ様御降臨祭を終えて

 


 令和3年12月23日
令和3年12月 メシヤ様御降臨祭を終えて
三救責任者
皆様、メシヤ様御降臨祭おめでとうございます。 
先ほど司会からメシヤ様御降臨祭の意義を読んでいただきました。
主神様は天地創造の時に、現代に照準を合わせてメシヤ様を人間(現身)を持ってこの地球に、地球を救うためにおつかわし下さいました。 
そして、その使命を全うすべく主神様直接の御啓示をお説きになられ、救いの御力を弟子にお授けになられました。 
本日はこのことを改めて認識させていただいて、認識させていただいたからこそ、
メシヤ様の御教えを伝え、浄霊という救いの業を実践していく気持ちを持って、新しい年を迎えさせていただきたいと思います。 
私たちの御神業の根幹でありますので、令和3年年報 『覚りの旅』を振返って を先日お配りしましたが、そこに書いてありますように、昨年と同じ話をさせていただきました。 

この続きのところにですね、今年の漢字ということで、話を去年もさせていただきましたけども、その続きということで、 

先般、今年の漢字が発表されました。 ご存知でしょうか。 

参加者
「金」

三救責任者 
はい。 今年の漢字は「金」。 

図1
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発表されているのがですね、
令和元年が 令
二年が 密
三年が 金
『覚りの旅』を振返って の年報でも書きましたように、私共の方では
元年に 生
二年に 程
今年は 靈 かなと思うんです。
これは私が思うことで、靈かなと。靈というのは、こういう字を書きます。

図2

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図3

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図4
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これはですね、 漢字の成り立ちのところで調べるとね、 雲から雨がしたたり落ちる形。 
これは口の象形文字。ここのところは神を祭るとばり。とばりとは区切り。区切りの中で祭具(神様の御神具)を捧げる象形、 ということで成り立っています。 
だから、祈りの言葉を並べて雨乞いをする巫女を意味し、そこから神の心巫女を意味する霊という感じが成立ったそうです。 
ですから霊という字には祈りという意味もあるように思います。 
それがこういう漢字になったと。 
ということで、発表された「金」と「靈」について話をさせて頂こうかなと思います。


図5
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「靈」ということで、ちょっと考えてみたんですけども、幽霊病床って聞いたことあります?聞いたことあるよね。 
今の新聞に出ている話ですね。 
コロナの関係で病院がベッドを空けてよ、ということで政府がお金を払っているわけですね。それで、空床補償対象なのに稼働していない状況があると。それで、入院できずに自宅で亡くなってしまうことがあったということで、幽霊病床。
これ21年12月17日の朝日新聞ですけども、補償をもらいすぎかもと病院が言っています。 
今まで慢性赤字の病院がコロナで黒字化になったんですって。 
2019年まで数年間は7億円の赤字が続いていたけども、20年度は9億円の黒字になったという話がありました。皆さんが病院に入りたがるということで、それに政府が対応しようととった政策の結果がこういうことになってきているのかなという風になります。 

今度は「金」ということで、悪銭身に付かず。 金ですね。
悪銭身に付かず という御教えがございます。 
例えば株等の話で、これは『光』14号、昭和24年6月25日の御教えですけども。 

相場なるものは、まず百人損をして一人儲かるという事をよくいわれるがその通りである、一時は一獲千金の儲けによって成金となっても、それが長く続く者はまず一人もあるまい、しかも大儲けをする者程大損をするものであって、儲かれば儲かる程その人の前途は断崖が口を開けて待っているようなものである、まず霊的にみればこうである、・・・

これは、「霊」と「金」 ということについて検索して引っ掛かってきました。引っ掛かってきたものは皆さんに伝えた方がいいかなという私の思いでこれを話しています。

・・・まず霊的にみればこうである、損を蒙(こうむ)った大多数者は、口惜しい残念だどうかして損を取返したいと思うのは人情である、従ってその怨みの想念がどこへ行くかというと、自分の金を吸いとった人間に行こうとするが、それはどこの誰だか判らないので、自然取引所を目がけて集中するばかりか、それが紙幣に集まるという事になるのである、この際霊眼によって見れば取引所にある紙幣の面には怨みの人間の顔が何千何万となく印画されており、その一つ一つの顔と、その本人とは霊線で繋っているから、取返そうとする想念がそれを常に引っ張っているという訳で、その紙幣は所有主の金庫には決して永く安定してはいない、いつかは引っ張られるから大損をし一文なしになってしまうのである。右は投機ばかりではない、金銭上のあらゆる事に共通するのである、いわば不正によって得た富や与えるべき金銭を与えなかったり、故意に減らしたり、借金を返さなかったりする場合、先方は怨むから矢張り前述のごとく吐き出さざるを得ない事になるのである。

それから、ここに献金の事が書いてあります。

例えば信徒または末寺に対し一定の額を定め強要する事があるが、これは自然ではない、信仰的献金としては本人の自由意志によって任意の額を決めるのが本当である、気持よく献納する事こそ真の浄財になるのである。

自由意思ということですね。それから、

相場をとる目的でなく、金利すなわち配当をとる目的で買うのは結構であって、これは何ら怨みを買うような事にはならないのみならず、むしろ産業発展のため有要な事であって大に奨励すべきものである。

ということが、ここに出ておりました。

それから次の御教え。 
金。 
金(きん)は かね とも読みますね。

図6
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金が錆びる。 
鉄も金の字が入って。
金が錆びるのは霊が脱けて表面が屍になったから錆びるのだそうです。 
それでもう一つ金について。 
今度は光ということで考えると、金にも色々あって、金色っていうのも金ですね。 
色でいくと金色というのは位が高いですよね。 
『栄光』 222号。昭和28年の御教えですけども。 
小学5年生の子供が光を見たということで、大人が見たよりも潜在意識がないだけ余計信を措かれるというものですね。

ということで、これはどういうことかというと、「御守護を戴いてからの二カ年」三重県中京教会ですって。 61歳。 
これは、壁や板等は勿論、鉛の板でも何等妨げにならず、透き通って進む事を確かめました。この御光は御神体からは、先が判らぬ程遠くまでも照らされておりますそうで、・・・ということで。 

それから日光殿で見られたのは、メシヤ様がお出ましになられると、御神殿中が金色の御光に満ちたということで、小学校の5年の子が見られたそうです。 

もう1つ、 「光が見える」、 というのが。 
言葉によって光の色が違う。 
ということで、そのまま読むとですね、『栄光』112号。昭和26年です。 
光が、見える話は、今までにもチョイチョイ御蔭話中にも見るが左記の話は光、色、霊衣等色々の種類が見え、しかも潜在意識などのない九歳の少年であるから、特に面白いと思うのである。この事は私の書いたものにことごとく出ているから、信者は知っているであろうが、その中で言葉によって色が違うという事は面白いと思う。これは確かにある事で、よく言われる黄色い声とか、白々しい事をぬかすとか、そんな話を聞くと暗くなるとか、そんな言い草はまだ青いよ、などの言葉もあり、実に面白いものだと思う。

という事で、 「言霊から御光が出る」。 兵庫県の人ですけども。
天津祝詞ですね。ちょっと読みますと。

やがて先生が天津祝詞を奏上されると、その口元を不思議そうに眺めていたその子は、「おじさんの口からも金色の光が出る」と申すではありませんか、並み居る一同唖然としていると、先生が「では今度はどんな色ですか」、と「馬鹿!阿呆!」と怒鳴られました。すると、「あー、薄黒い色になってしまった」 そして先生の話される言葉の内容、調子によって、絶えず言葉の色はあるいは黄や白や種々の色に変化していくのだそうです。 
私共は、常に言霊ということを伺っております。そして、人の発する言霊のいかんによっては、霊界や、いう人聞く人の魂を曇らせたり、浄めたりするのだから、すべからく美しき言葉、人を褒め讃えたりすべきで、悪口雑言、愚痴、泣き言を慎むべきだとのご注意をいただいておりましたが、今目前にこの奇跡を見せられて、今更に一同感じ入った事でした。 

それから、霊衣の事かな。 

各人の輪郭の上に厚いのは一尺近くから数寸、更に一寸位迄に白い色の影が見えると申します。勿論熱心な信者の方で、その熱心の信仰の度合に順じ、更に未入信の方は、熱海参詣勤労奉仕した方から、順次中教会本部、教会への参詣の度数に応じて厚薄が歴然とあり、不熱心な方、更に未入信の方は、ほとんどあるかなきかで、その判然さに一同感激また一入のものがありました、霊衣とは魂の光で、敬虔なる者、善を考え、善を為し、健康なる者程厚く、その反対の者程薄く、霊衣が厚ければこそ、種々の危難危急を免れる実例の御話等で、その夜の講話会は一入感銘深きものとなりました。

これは、昭和26年7月11日発行の『栄光』です。
それから、もう一つ。
全ての物質は霊と体から成立っている。 
これはですね。「病気の本体は魂なり」 ということで、『日本医術講義録』の昭和10年。 
87年前の御教えからです。

この現象界におけるあらゆる物質は悉(ことごと)くが霊と体から成り立っているのであって、物質が腐敗したり、腐朽したりするのは、霊が抜けてしまうからなのである。金(かね)が錆びるというのは、矢張り、霊が抜けてその表面が屍になったからなので、錆は、金の死骸とも言えるのである。しかし、よく磨いた刀や昔の鏡が、錆が少ないのは、その工作者の霊が加わっている為である。 
人間は、精霊許(ばか)りかというとそうではない。精霊ばかりなら、物質と違わないのであるが、すべて動物は、精霊の外に、否、精霊の中に心があり、魂があるのである。即ち、精霊の中心に心があり、心の中心に魂があるので、その大きさは、心は精霊の百分の一で、魂は心の百分の一の大きさが本当である。 

図7
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であるから、最初、魂が動いて心が動き、心が動いて精霊が動き、精霊が動いて肉体が動くのであるから、
人体の運動は因より、あらゆる肉体現象の本源は、魂そのものから出発するのである。これを善悪に分ければ、肉体が悪であって心が善であり、心が悪であって魂が善であるのである。この善悪、善悪、善悪の軋轢が調和となり、それが、活能力となって現われるのである。
 
魂、心、精霊ということですね。 
それで、この一番元の魂にさえ曇りが出来なかったら、絶対に病気には罹らない。
魂に曇りが生ずるのは、それが罪穢れですよ、ということが、ここの御教えにありまして、この頃、指圧療法で、

我指圧療法は、観音の光に依って、この精霊の曇を解消するのであり、その曇が解消すると同時に、膿汁が溶解し、病気が軽減または消失するのであるから、この精霊の浄化が肉体へ映って病気は治癒するのである。魂が全く浄化されなければ、真の安心は出来ない訳である。魂の浄化とは、その人が正しい信仰を把握し、その行を実践するのでなくては徹底しないのであって、その行が観音行であるのであるから、そこまで行けば罪穢の発生は全然無くなり、反対に徳を積む人となるにより、無病息災所か、歓喜法悦に満ちた生活が出来、福徳長寿の幸を得て、一家弥栄(いやさか)える事になるのである。

それと、

能(よ)く物に驚き易い人や、いつも不安状態で、何となく、そわそわしている人とがある。これらは、その魂が弱っているので、外界の衝動に対する抵抗力が、薄いからである。現今非常に多い、神経衰弱というのはこういう人である。この原因は、矢張り魂に曇があるから弱るので、こういう人は多く首筋に毒血の凝血が必ずあるので、これを溶解すれば治るのである。これが激しくなれば不眠症を起すのであって全快後も、再発の患(うれい)を無くするには観音信仰に入り魂が光に照され曇の生じない様にするのが、最良の方法である。

図8
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だから今は、魂の浄化。 
正しい信仰の把握。 
行の実践。 
行の実践というのは観音行ですよと。

そうすると、観音行。

図9
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観音行というのは難しいように思うけども
常識的 偏らない。 
本来行うべき事を行い、為すべきを為す。 
当然の事を適切な行為によって遂行する。 
ということですね。
普通にしていたら観音行なんですね。 
突飛なことしなければ。普通にしていればいいという。 
難しくないですよね、観音行。 
だけど、偏ってしまうんですね。偏らないっていうことです。 
私たちはだからこの観音行をですね、もう一度初心にかえってですね、実践していけるように心掛けていきたいと思います。 

図10
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最後にですね、『天恩地惠』の年報が36号ですね。 
ちょうど ミロクの号 でした。
今印刷していますけども、37号が メシヤ講座三重1~46号。 
それで、38号が、メシヤ講座三重 47~77号。
39号、サンキューですけども、これは今作成中です。 
ページ数が、37号のメシヤ講座三重が表紙を含んで330ページになりました。 
それで、38号が表紙を含むと336ページ。表紙は4ページあるよね。表裏表裏で。4ページあるので、332ページです。

図11
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1ページ足すと333だなと思っただけで・・・。332に1を足すと333ですね。 
残りの1ページは私達の「覚りの旅」かなと。

図12
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ということで、 想いを繋いで いけたらなと思いますので、また来年、令和4年、よろしくお願いしたいと思います。 

「靈」と「金」
について話をさせていただきました。 
ありがとうございました。 

司会
以上をもちましてメシヤ様御降臨祭を終わらせて頂きます。

三救責任者
どうもありがとうございました。

参加者一同
ありがとうございました。 

2021年12月21日火曜日

覚りの旅  令和3年12月 月次祭を終えて

 



 令和3年12月1日
   覚りの旅  令和3年12月 月次祭を終えて

月次祭、おめでとうございます。

参加者一同
おめでとうございます。

図1

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三救責任者
突然ですが、高齢化社会の三大スター。
この中で誰か知っています?瀬戸内寂聴さんは知っていますよね。
日野原重明さんも知っていますよね。

参加者
知っています。

三救責任者
金子兜太(とうた)さん。

参加者
分からないです。

三救責任者
日経の夕刊をこの前見ていましたら、金子兜太氏について書いてありました。
金子さんというのはね、俳句を作る人です。この人は、毎朝起きると畳の上に佇立(ちょりつ)して、近しかった人で今は亡くなった人を一人ずつ脳裏に呼び出すそうなんです。父、母、にはじまり家族、親戚、友人、知人と呼び出していく。顔と名前とが連れ添って出ないとだめだというルールにしてある。こうして毎朝100人ぐらい呼び出すんですって。「アタマの鍛錬ににもなるし、供養にもなる一石二鳥ですナ」と言っておられたということで、金子流「立禅」であると。
それで、ここに、この金子兜太さんに加えて、4年前に105歳で没した医師の日野原重明さん、この度99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんの3人を高齢化社会の三大スターと言った人がいるということで、今、あげたんすけども、この金子兜太さんは埼玉県出身の人で、どんな歌を作っていたかというと、
〔 癌と同居の妻よ太平洋は秋 〕
人の死を「消滅でなく他界」、この世とは違う他界、消滅していくんじゃないよと、そういう風に信じているという事で、肉体は消えても精神は永遠だという考え方の人だそうです。
それから福島の被爆、福島原発の関係ですけども、被爆福島と題して
〔 魂のごと死のごと福島紅葉(もみじ)して 〕
魂も死も紅葉のように一つのものとして捉えているみたいな、紅葉になっていくんだみたいな感じ・・深い事は分かりませんけども。
もう一つが、
〔 毛越寺(もうつうじ) 飯(いい)に蠅(はえ)くるうれしさよ 〕
ご飯、おにぎりにハエが来るうれしさよ。変わった歌ですけども。毛越寺はご存知ですか?中尊寺と並んで平泉に毛越寺があるんですけども、慈覚大師円仁開山で、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されたということだそうです。

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             2020.11

平泉に関係があるなと思って見ていたのですが、平泉は松尾芭蕉の奥の細道で、
「夏草や 兵どもが 夢の跡」 という句碑。

yumenoato
      2020.11 松尾芭蕉 句碑

yositunedou
gikeidou
         2020.11 義経堂
  
この俳句を書いた芭蕉の句碑が建っているのが、この毛越寺の敷地内である、敷地内とは言っても飛び地になってる高館というところ、高館というのは源義経が藤原泰衡に最後に焼き討ち・・高館の焼き討ちといって、その場所に義経の碑もあるんですけども、そこに松尾芭蕉の句碑がある。
この人が自分の句を言うには、
梅雨半ば晴れていた。みちのくの古刹の青葉越しの日差しの中の座敷にいてゆっくりと昼ご飯をいただいているときの充実感はなんともいえない。そこにかなり大きいハエが一匹、元気よくとんできたのである。来たな、来たな、という嬉しさでそれを見ていた。その嬉しさは日頃愛好している小林一茶の句「人一人蠅も一ツ家大座敷」を呼び出して同じように緑濃い北信濃寺にわたしを連れて行ってくれた。
ただしわたしはもっぱらハエが来たことへの嬉しさにとらわれていたわけで、一茶のように一人を噛み締めていたわけではない。
と、この意味をご自身でこのように話しています。
呼び出すということが出てきて、この御自身の説明でも一茶の句を呼び出して、だから一茶の魂、一茶の霊を呼び出して、みたいな感じ。それで、私を北信濃の自分の故郷ですけども、寺に連れて行ってくれた。だから、これは想念で繋がっている、霊と交信しているとか、霊的交流とか、供養とか、想念でどこでも行ける、意識を飛ばすということが・・この人はやっていたんだなと。そういう風に捉えたんです。
それで、先ほどの日野原重明さん、瀬戸内寂聴さん、この二人は対談をしているんです。2002年にね。二人の対談本というのが出ていて いのち、生ききる (光文社文庫)という。
寂聴さんが対談したのを出したんですけども、この二人の特徴というのは、日野原さんはクリスチャン、寂聴さんは僧侶。日野原さんは医師、寂聴さんは作家。全く異なった分野で活躍する二人がお互いの生き方に共感し生老病死の人生について語り合う本がこの 『いのち、生ききる』。
また読んでみようかなと思っています。まだ読んでいないんだけどね。
日野原さんはちょっと変わった経験をされていまして、日本赤軍がハイジャックした「よど号」に乗っていた。それで人生の大きな転機になったそうです。それからボランティアとか社会奉仕の考え方が芽生えてきたんだということを言われております。長生きされて、105歳ですからね。どういう風なことをされていたかというと、エレベーターを使わずに階段を使うとか、ちょっとした事なんですけども、椅子から手を使わずに立ち上がるのを20回というのを何回かする。そういった運動を繰り返していた。それで、健康の定義ということを言われていまして、一般には検査をして病気がないということですけど、しかし何かしら見つかるものです。最近の検索は精密なので何かしら見つかるものです。日野原さんも脳に僅かな梗塞があるんです。だけど中枢から離れているのであまり気にしないようにしています。何か病気があっても、ある程度の生活の制限はやむを得ないと諦めて、もっとポジティブなことを考えるんだと。
だから、健康というのは病気があるにもかかわらず健やかな気持ちを保つことなのだと、上手に生きている姿なのだと、そういう風にお話をしておられます。

図2
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ということです。

それでは、 『文明の創造』 『腎臓病と其他の病』 に入りたいと思います。159ページですね。読んでいただけますか。

参加者

『文明の創造』 『主なる病気(一) 腎臓病と其他の病』 拝読

三救責任者
はい、ありがとうございます。

『主なる病気』の最初のところに、「私は人体の重要なる三大機能のだいたいをかいたが、之から主なる病気について・・」ということですので、
人体の重要なる三大機能の復習。 覚えています?
人体の重要なる三大機能のだいたいをかいたが、之から主なる病気について解説してみよう、と前置きがあって 『腎臓病と其他の病』 を御執筆されております。そうすると三大機能とは何でした?と読み返してみることが大切かと思います。
三大機能というのは、三元素を吸収すべき主要機能で、心臓、肺臓、胃のことであると。心臓は霊界から何を吸収するんでしたっけ?

参加者
火素。

三救責任者
そうです。肺臓は空気界から?

参加者
水素

三救責任者
胃は物質界から?

参加者
土素

三救責任者
これによって人間は生きているんだと。
心臓の役目というのは、病気とは毒素の排泄作用で、固結毒素を溶解する場合熱が必要となる。その熱を霊界から吸収する役目が心臓である。病気の原因の殆んどが薬毒であって、胃の病気はことごとく薬で作られていると言っても良い。薬をやめて気長にすれば治る。流動食から普通食に漸次していけばいいんだと。
病気の諸因は感冒だと。浄化作用、毒素排除の作用なのに、薬剤とか氷冷で止めようとするから体力を弱らせようとする。ということで、再び固まってしまうんだと。薬を入れる事によって、新しい薬毒も追加される。感冒の都度、毒素が増加していく。その増加がある程度になると一時に浄化作用が起る。それが肺炎。そうするとまた強い薬を使う。強い浄化、強い浄化停止の猛烈な摩擦が起きる。
安静法というのも曲者で、運動不足で衰弱を増やす。運動不足とか薬とか動物性たんぱくをとるというのは衰弱を増やす方法である。浄化力が減退していって、症状が咳とか痰もなくなるので、浄化以前の状態にこれは還元させただけ。ようやく固めた毒素がにわかに溶け始める、これは再発。現代医療がいかに誤っているかということ、医学医療が結核を増やしている。ということが書いてありましたね、三大機能のところで。
そういうことは、コロナについてもですね、医療がコロナを増やしているということですね。それでちょっとここで厚生労働省のホームページを確認してみました。

ワクチンについて、
接種後体内で免疫ができる過程で様々な症状が現れることがある。
注射した部分の痛み、発熱、倦怠感、頭痛、筋肉や関節の痛み、寒気、下痢。
この症状はさっきの感冒の症状と一緒ですね。感冒の症状と同じだと思いませんか?即ち予防接種という毒素を体に入れ、その毒素を排泄しようと浄化作用が発生しているということです。
続いてホームページでは、
数日以内に回復していきます。2回目の方が副反応の発現する頻度が高くなる傾向も確認されています。それは1回目の接種により体内で新型コロナウイルスに対する免疫ができる事によって、2回目の接種時には1回目より強い免疫応答が起り、発熱や倦怠感などの症状がより出やすくなるためです。
これは厚生労働省のまとめですね。
医学、科学が感冒の解明も未だに出来ていないからいつまでも誤った解釈をしてしまうのです。これは私の言っている事です。2回打てば体内に入った毒素が増えるので、またより強い浄化作用が起こるのは当然です。今までどれだけ薬を飲んでいたか、毒素を体内に入れていたかで人によって症状は変わるのでしょう。3回目を接種したらさらに毒素が増えますので、許容値を超えてしまう人が増え、深刻な状況になるかもしれません。自然に生活し、自然の免疫をつけるのが一番良いのです。
浄化作用ということ、病気というのは浄化で毒素を体外に排出してくださるありがたい神様の恵みなのだと、毒というのはほとんど薬なんだ、体内に異物を入れてはいけないのだということを知らせていくべきかなと思います。
ここで最初にお話ししました日野原先生の健康の定義を思い出してみてください。
「健康というのは病気があるにも関わらず健やかな気持ちを保つこと、上手に生きている姿です」と日野原さんは言っておられます。
私たちにとって人類にとって、病というのは浄化作用で健康を保つための最大の恩恵です。日野原先生のようにポジティブに捉えることができる、私たちはね、浄化作用というのが分ると、日野原先生のようにポジティブの捉えることができます。大変ありがたいことだと思います。

それではですね今回、メシヤ講座三重の平成25年1月分がですね、そのままこの腎臓の話をまとまってお話ししてくださっておりますので、ここをちょっと読んでもらおうと思います。お願いします。

参加者
◎『腎臓萎縮を起こさない生活』を心がける
まず最初に、メシヤ様が『三大機能に次いで重要な役目がこの腎臓だ』と位置付けられておりますので、まさに腎臓は我々の体の中では非常に重要なところであるということと、最後のページに
『右によっても分る如く、最初に述べた寒冒の原因である肩から上に固結する毒素は、凡て腎臓が元である事は明かである。としたら寒冒も結核も肺炎も殆んどの病気は腎臓萎縮が原因である事が判ったであらう。処がそればかりではない。肋膜炎も、腹膜炎も関節リョウマチも神経痛も婦人病も勿論そうであり、カリヱスも、肝臓病も、黄疸も、糖尿病も、胆嚢、腎臓、膀胱内の結石も、喘息も、中風も、小児麻痺も、精神病もそうである。としたら実に腎臓萎縮を起さないやうにする事こそ、健康の第一条件である。』
とメシヤ様は仰っております。そして、
『此理によって、腎臓を完全に働かせる事が肝腎で、それには腎臓萎縮の原因である固結を、溶解除去すると共に、作らないやうにする事である。処が現在の如何なる療法によっても不可能であるが、独り本教浄霊によれば可能であるから、此一事によっても、病なき世界は期待して誤りないのである。』
最後にこのようにまとめておられます。
そうして、メシヤ様御在世時代の日常生活を見つめさせていただきますと、『腎臓萎縮を起こさない生活をされておられる』ということが拝察されます。
『景仰』を拝読させていただきますと、メシヤ様は最低一時間、散歩をされておりました。散歩の場所と言いますと、熱海と箱根ですので、平坦な道はほとんどございませんので、上り下りを毎日早足で一時間ほど歩かれておられました。
その理由は『腎臓萎縮』をさせないように〝腎臓をほぐされておられた。″ということです。
しかも一つのことだけでは時間が勿体無いので、側近奉仕者の方が後ろからラジオを持って歩いておりました。ニュースを聞きつつ散歩をなされたのです。
しかも聖地建設の進捗状況のチェックもなされました。
このように我々が拝察させていただけるだけでも最低3つの目的をお持ちになって歩かれておられたのです。他にもメシヤ様は様々なことをお考えになられながら、お歩きになられたと思います。このように幾つものことをなされながらご自分の腎臓をほぐされておられたのです。
◎メシヤ様を神習うような生活を心がけることが私達の信仰生活である
そのように受け止めさせていただいて、我々はそのメシヤ様を教祖として仰いでおりますので、我々の日常生活も〝メシヤ様を神習うような生活を心がけることが私達の信仰生活である″と考えておかないといけないと思います。

三救責任者
続いて54行のところに、『リンゴは見てくれば良いが中身がないのでね』 とお話をされております。実はリンゴを出してきた奉仕者に話をされたわけです。〝お前はお化粧をして綺麗にしているけども中身はないぞ″ということをリンゴに-例えて御指摘されておられるのに、〝リンゴがお嫌いだったのだ″と話が膨らんで行ってしまっているのです。
景仰の読み方についてもここでお話くださっております。
『きりょうはいいが、中身が悪い』のところ、63行から65行まで読んでもらえますか。

参加者
これはメシヤ様を取り囲んでいる人たちがメシヤ様の御日常をつぶさに見てどういう意味があるのか。どういう御意図があるのだろうかということを求めて生活をしていないためにうっかりしたミスを重ねて行ってしまってきていることです。

三救責任者
はい、ありがとうございます。
サツマイモの話があって、りんごの話があって、景仰の事からね。景仰の読み方の話をして下さっております。そういうことと、メシヤ様の日常生活をしっかりと見つめていかなければいけませんということのお話しと、本来のメシヤ様が御示し下された内容を我が物にしていく取り組みということで、
78行のところにいくと、「メシヤ様は時間さえあれば自己浄霊」、メシヤ様であっても自己浄霊なされておられましたということ。それで、腎臓をほぐすということでなされておられましたということと、
それから飛びますけども、中国の大気汚染のことで118行のところで食料として汚染物質が入ってくる量と、飛来してきたのを吸った時に入ってくるこの入り方の恐さというのは、やはり直接吸い込むことによって入ってくる方が恐ろしいという分析結果が出ております。飛来する汚染物質は非常に恐いなあと思います。
ここで言いたかったのはマスクの事で、122行のところ。
向こうから飛んでくる飛来物質は非常に小さい物質なので、よほど良いマスクをしても突き抜けて小さい微粒子が入ってきてしまいます。
だから、細かい微粒子はマスクしていても意味がないというのはこの頃元々分かっているわけです。今ちょっと別のことで、ウイルスになると違うように思っているかも分かりませんけども、ああいうもので防げるものではないんだと。エチケットとしてはする必要がありますけども、そういうこともこの時から、中国のPM2.5の話から既に学んでいるよという事。それから、今の状態で言うと、マスク、換気じゃないですか。換気の事が134行。
家の中にいたら換気扇を回して空気を対流させて外へ出るようにしておけば良いと思います。
という、換気の事をね、既にこの頃から私達は学んでいるわけですね。応用できるかどうかの話ですけど。それから、掃除を怠らないことです。窓周りとかは特に掃除怠らないことです。
これは、アトピーとかその話の事だったかな。空気のことでね。
それから158行のところ、読んでもらおうかな。

参加者
我々の日常の中で使用しているものでもそういう化学物質を排泄するものはできるだけ除去して自分の住環境を守りつつ、腎臓萎縮につながるようなことはできるだけ排除していっていただきたいと思います。
それからメシヤ様に神習って散歩とか体操とかを取り入れて、自分の体をほぐしていくということに取り組んでいただきたいと思います。

三救責任者
はい、ありがとうございます。
それからちょっと飛びますけども、腎臓移植の恐ろしさということで170行のところへ行くと、
長時間かけて移動しましたので、その頃から腎臓の周りが固まってきまして、腎臓の働きが悪くなって行きました。
これは、先生が雪道を車で走っていてのことです。
182行のところに、
御教えを実証するような御浄化だったのです。
ですから自己浄霊しながら運転しまして、夜もホテルに入ってから一晩中浄霊しまして、やっと腎臓の周りの固結が取れました。ですから腎臓の重要性を痛く感じられた出張となりました。
自己浄霊ということと腎臓が重要だということをですね、自分の身をもって体験でお話くださっております。
それから、月次祭の光というのは強いんだと。188行のところね。
月次祭は光が強いので気持ち良くなります。ですから眠くなるでしょうね。
とあります。眠たい?(笑)

参加者一同
(笑)

三救責任者
195行のところは、
今日の御教えを読んで自分でできることを心がけてやって下さい。
とあります。だから、御教えを読んだり、こういったメシヤ講座の話を聞いたりしたら、自分のできることが何かということも考えて心がけてやってください。冬はどうしても寒いので、腎臓が疲れぎみになります。腎臓の周りを押さえてしまいますのでね。それから寒いと味覚が塩分を採りたがるので、塩を余計に入れてしまいがちになって、濃いめの料理になってしまいますので、気をつけて置いてください。
冬になると温まろうと思って味付けがしょっぱくなるのです。
そういったことまでご指導下さっております。ということと、それから、
(質問者)
症状で腎臓萎縮なのかそうでないのかという判断が自分ではできませんので。
(先生)
腎臓をしっかり浄霊しておけば大丈夫です。

分からなくても腎臓をしっかり浄霊していけば大丈夫ですよと。そういうお答えでした。
それから、

(質問者)
今に始まったことではないですが、一昨年くらいから食べても太れず、体重的にも痩せてきたのです。
(先生)
肩と腎臓をしっかり 浄霊していけば大丈夫です。
それから過去の治療の薬毒が溶けてきているということもありますので、そこも根気良く浄霊をして、排泄することが終わればまた太り始めて行きます。排尿も変わってきますからね。
根気良く焦らずにやってください。
(質問者)
先ほどの浄霊と食事と運動という取り組みで良いでしょうか。
(先生)
時間を見つけて自己浄霊をしてね、支部に定期的に浄霊をいただきに参拝してください。そういうことを重ねて行けば良いですからね。

これは平成25年なんですけど、続けてきていて何か変化はありました?
この時に質問して、答えとしては、参拝、浄霊ということを根気よくやって下さいという事ですけど。根気よくやっていますよね?

参加者
引き続き。(笑)

参加者
あの時からは生活的にも変わってきてるよね。今は仕事もしてるし、仕事上トイレに行くこともままならないことがあるから、それは腎臓に来ているだろうし。

三救責任者
考える時に、さっき言っていたようにポジティブに。

参加者
そうですね。

三救責任者
学んできたことをやりつつ。考え方としては、日野原先生が105歳まで生きられたのは、自分に何も病がなかったわけではなくて、病があってもそこのところはポジティブに考えて年を取ってくれば徐々に悪いところは出てくるので、それをポジティブに考えて、病もあるものだと。僕らから言えば、浄化でまた次良くなるんだから有難いものだという考え方ができるかどうかですよ、これは。

参加者
こんな感じ(波)だと思うよ。
私達は子供らを見てきてそれを充分感じてる。一気に良くなったわけじゃなくて、波があって、今があるから。今でも色んなことが出てくるけど。それはそれで・・。

参加者
年と共にもあるし。そことどう上手く付き合っていくかという・・。

参加者
そうそう。

三救責任者
この信仰で一番大事なのは、浄化の受け止め方だと思います。

参加者
でも一つは無理をしないことだね。
無理しきってしまうと結局。

参加者
無理っていうことに気付かなかったんですよね。出来る出来る、何とかなるわっていう思いでやっていたけど、やっぱり体に無理はきていた。

参加者
そうそう。程々ってやつだね。

三救責任者
危険サインだから。

参加者
そこに気付かずにずっとやっていたし、受け止め方も極端だった。
そこが大分変わったというか・・。

三救責任者
信仰にのめり込む人というのは極端になってしまう。
絶対に御教え通りって。御教えが正しいので、御教え通りなんだけども、神様の言われることと、人間界のここの範囲内で出来るだけ・・出来るだけだから、完全は望むべくもないがって書いてあるのに・・、一歩一歩近づくことが大切ですよ、そういう人の集まりが地上天国ですよと言われているのに、完全じゃないといけないと思い込んでしまうと捉われみたいになってしまうので。

参加者
そうそう。その辺も大分気付きました。(笑)
まだまだですけど。

参加者
大きく大きく。みんな一緒だって。

三救責任者
ここから進歩しているということで。(笑)

それで、223行。「親子共同で浄霊に取り組もう」と。
身内だから隠れず堂々としたらどうかというような話があったんですね。
238行のところで、
非常にありがたいのは〝薬を飲むと危険だ″ということを医者が意識して薬を最小限にしてくれているから、そういう場合は浄霊をすると効くからね。医者が全面的に薬をいれてやっていると、浄霊しても返って『浄化と固め』が一緒に来てしまいますので、うまくいかないことが多いのですが、今回のように「薬は危険だから入れません」という時には、良いのでね。

という話があったわけです。
この通りだと思います。いい医者を見つける事も大事だということね。
医者と付き合わざるを得ない時もあるかと思うので。
それから248行のところは、

まずは出来ることを一生懸命やってくださいと。
まずは出来ることを一生懸命。出来ることをね。

それから、252行のところに、
「身内ですので、そんな浄霊を隠れてしないで、堂々とやってください」という。
「じゃあ、子供も浄霊力伝授を受けてるので、子供に任せるわ」と言って。そうしたら先生に「ダメダメと神様にお任せしても人に任せないの」ということを。

それから、「御浄化は『排泄作用』の活発化である」ということで、270行のところですけども、
熱が出るということは非常に良いからね。熱が出ないと、この子も母親の胎内にいたわけですので、毒素を随分受け継いでいますので、具合の悪い時は休ませて浄霊をしっかりしてあげれば良いからね。
それでマイコプラズマとか言われても、それは浄化を引き起こしてくれているものなので、病気という認識を持たないようにしてください。そういうことによって熱を出してくれて、この子の『排泄作用』を活発化してくれているのだというように受け止めて、さらにこの子の体力が維持されるように浄霊をして行けば、ますます良い子になって行きますよ。

排泄作用とか浄化作用ということね。
それから病名をつけたがるけども、当然医者に行けば病名を付けますけども、そういうのにとらわれる必要はないんですよと。浄化作用ですよと。

それから、279行のところ。
(質問者)
私の腎臓の浄化とこの子の浄化を節分祭、立春祭と関連付けて、やはり〝治療の薬毒が出ているのだろうな。″というように考えてしまいます。
(先生)
その考えで良いですね。

祭典の時に浄化していたということかな。
303行のところで、
その時に徳があれば、改善できた可能性はありますけどね。それはそのときの〝自分の霊籍の高さ″ですので、仕方がないので、これからそのようなことが起きても良いように対処できるように、これから〝自分の霊籍を高める″ということを積み上げていっていただいて、メシヤ様が示されておられます『心言行』を実践するのと身体については先ほどの話を注意して過ごさせていただければ良いかと思います。

人に対しての浄化作用の話をきちんと話出来なかったということで、その時の指導体制もあるので、仕方のない事なので、これから自分の霊籍を高めていって話を出来るようにしていって下さいねということですね。

それから311行のところ、
腎臓を良く浄霊をして行けば、ホルモンがまた出るようになりますから。ホルモンは腎臓でも抽出をしていますのでね。できる限り浄霊をさせていただくようにしていきましょう。

それから、317行のところが
指導的立場にある人が、〝きちんと道筋をつけてあげなかった。″ということが〝最大の罪″なのです。〝的確なアドバイスをしなかった″という罪が発生いたします。役割を担った人間にはそういう事が発生してきます。
これから『徳積』を一生懸命させていただこうという姿勢で行けば良いと思います。

だから、私達は人に話すということです。そういう時にはこういう気持ちを持って行かなければいけないかなと思います。
そのように腎臓の体験、実際の話とか、アトピーの人とかも全部腎臓が急所という事があって、そういうことの話がありましたということと、
12ページのところでは、
アトピーの急所は肝臓・下腹・小腸・腎臓そして痒いところですよということです。
あと、産後は腎臓を良く浄霊してくださいと。
結構、腎臓が本当にほとんどの病気の急所になっていくんですよという話があります。
それで実際の体験談ということで 「石が出た!3時間30分で復活」。

参加者
昨夜のことである。
午後7時ごろ
○○が急にお腹から脇腹あたりに激痛が走り苦しみだした。
ソファーにも寝ておれず床に転げ落ち、「痛い、痛い、アーアー」とのたうちまわる。
娘は孫の世話をしている。私は片手で赤ちゃんをあやしながら浄霊を取り次ぐ。
赤ちゃんが泣き出す。なかなか集中できない。
赤ちゃんを抱いたまま御神前へ、御祈願をさせていただく。
そして御神前に○○を寝かせ、浄霊を取り次ぐ。
娘は赤ちゃんに授乳し、赤ちゃんは泣き止む。
午後9時過ぎだったと思う。「痛い、痛い、アーアー」とズーっと激痛が走っていたのが、急に楽になったのか、突然眠りに落ちた。
そして1時間くらい眠ったのだろう、10時30分ごろ目を覚ましたら「あ、全然痛くない。」とトイレへ向かう。そして写真の石が出たのである。今は何ともない。
3時間半の浄化終了でありました。
5月5日の祭典前に浄化を頂いたのだと思わせていただきました。
主神様、メシヤ様に感謝申し上げます。

三救責任者
はい、ありがとうございます。
この浄化も日常の生活習慣について『腎臓移植を起こさない生活』を心がける。ことで、未然に防止できただろうと思います。

そういうことで、腎臓のこと、先生の痛風の話とかね、ピックアップしてここには掲載してありますので、結石もそうですね。自分の結石の話もありまして、そういったところはちょっと省略させて頂きますけども。
それに引き続いてここに載せておきましたのは、腹部疾患ということで浄霊法講座をまるまる抜いてつけてありますので、参考にしておいてもらえたらいいかなと思って。腎臓の事ね。

腎臓のことは大丈夫ですか。

話を変えてもいいかな?(笑)

最近読んだいろいろの本の中で、僕のアンテナに引っかかってきたことね。
神功皇后(じんぐうこうごう)は知ってるかな? 神功皇后の出産した子供は誰?
応神天皇ね。
生れた子は15代の応神天皇になります。
父親が仲哀天皇。仲哀天皇って、哀しいって書くんですね。
天皇の名前というのは、諡号(しごう)と言って、「忌み名」の号と言って、死後に贈られる天皇の名前、亡くなってから呼んでる名前。
聖徳太子というのも亡くなってから。厩戸皇子だったわけ。
名前というのは大事だよと。昔は特に天皇陛下の名前というのはお呼びするものではないと。だから、○○宮 とかという話で、本当の名前は呼ばないんですよと。

参加者
うんうん。

三救責任者
ちょっと話がそれましたけども、生まれたのが応神天皇だったから書いているわけですけども。
仲哀天皇の崩御から15か月後に生まれたんですって。
古事記だと15ヶ月後、日本書紀だと10ヶ月と10日後に出産したことになっています。いわゆる十月十日。人の妊娠期間ですよね。というのは、実は9ヶ月と実際のでいくと9か月と10日なので、通常の妊娠期間より1ヶ月も長いことになりますと。
十月十日と出てきたのでね、要は応神天皇の出産したの・・、十月十日をこれは暗号的に示しているのかなというのがあって、応神天皇、十月十日。
伊都能売観音様のところも、きちんと数えると十月十日と違うんじゃないのという話もありましたけども、実際、出産期間と考えれば月の考え方が違うので、だいたい十月十日じゃないのという話があったよね。
よく似た話だなと思って見ていたんですよ。
それで、もう一つ、古事記では応神天皇は130歳まで生きたと。日本書紀では応神天皇は110歳まで生きたと。間をとったら120歳だよね。
メシヤ様は120歳まで生きるって言われてたよねって・・気になったのね。
さっき言われた応神天皇っていうのは「神」という字が付いているよね。諡号に「神」の字がついている天皇は少ないんですよ。
初代の神武天皇、十代の崇神天皇(すじんてんのう)、十五代の応神天皇だけです。
それで、天皇じゃないけども皇后、先ほどの応神天皇の母親は神功皇后。「神」が付いているね。親子で「神」が付いているんですね。特別ですね、応神天皇というのはね。
「神」の文字をいただく人物であることの意味は大きいんじゃないかと。
それから、初代から十代の人物、神武、崇神というのは同一人物じゃないかと言われているということもあります。何故かと言うと、尊称が、諡号ではなく普通に呼んでいた尊称が、「ハツクニシラススメラミコト」と言うそうです。神武天皇も崇神天皇も。「ハツクニ」です、「初めて国を作った男です」という名前が付いているということは、十代から本当は始まったんじゃんないかということを言われてる。だから、二代から九代は欠史八代と言われている。
これは八代とばして神話とくっつける為にね。実際には、本当の天照の系統と攻めてきた神武の系統と物語をくっつけて全部天照の系統にしたんじゃないかというのもあるし、それは分からないことだけども、御教えでいくと攻めてきて・・というのがあるので、そっちの方が正しいとは思うけども。
日本は尊いんだと。男系天皇である・・、今ちょっと色々ぶり返したね、女性天皇の話ね。
日本では一度たりとも神武天皇の男系子孫ではない天皇は即位しておりません。女性天皇は歴史上8人(十代)存在しています。二人は重複しているんですね。全て男系の女性天皇です。父親をさかのぼると必ず天皇に行き着くんですよ。
分かりやすくするために、サザエさんで例をとると、磯野朝というのがあって、磯野波平が天皇だとすると、奥さんはフネですね。波平とフネの子供がサザエ、カツオ、ワカメですね。
例えばサザエさんが波平の後に天皇になったとしますね。これは男系の女性天皇。
カツオがなったとしても男系。
ワカメも男系の女性天皇になる。
だけどサザエさんのお婿さんのマスオさんがなると、これはもうこの時点でフグ田朝になるんですね。フグ田朝に変わる。そういう意味合いです。
男性は染色体でいったら、これは分かってきたのは近代の事ですけども、 XY の染色体ですね。女性は XX の染色体ですね。 
Y 染色体は父親から息子にしか受け渡すことができないんですね。
日本はこの万世一系の皇統によって「世界最古の王朝」です。世界から畏敬と驚異の念で見られています。
この今の議論をどう捉えるかですよね。女性でいいんだという話もあるけども、これだけずっと続いてきて、これがあるからこそ世界から認められた、一番古い王朝であると認められているんですよということです。愛子様でも男系の女性天皇だけども、その次が問題ですよね。
日本の歴史において皇室の血統を継がない者が自らがそれに代わる存在になろうとした人物は皆無です。今まで中国とかは戦いで一番の皇帝を殺して成り変わってきている。そこで血統を取られるからね。日本は違うんです。例えば「長屋王の変」とか「藤原広嗣の乱」とかあったけども、あくまで天皇の側近になろうとか、あるいは天皇を操ってやろうという目的でなされたものであって、自分が天皇になろうとした者がいないんですよ。
自ら「新皇」と名乗った「平将門の乱」というのがありましたけども、これは桓武天皇の男系の子孫五代目なんですよ。だから皇室の系統を継いでる人が「私は天皇だ」と起こしたのが「平将門の乱」であって、何もその資格のない者が成り変わろうとしたのは日本には無いよと。平清盛以降、武士が権力を握るけども時の権力者でも天皇にとって代わろうとした者はいません。
結果1500年以上続く世界最古の国となったんです。
天皇が弱くても、その周りが補佐している。

神道の話。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)なきや」というのは、聖徳太子が隋の皇帝に送ったものです。隋の皇帝は煬帝(ようだい)と言うんだけども、怒ったそうです。何で怒ったのか。これは天子という言葉を使ったから。天子というのは中国の皇帝を指す言葉で世界に唯一の存在だったからです。
対等の国であることを示したのです。聖徳太子は。その後でも遣隋使を送っているんですけども3度目の遣隋使「東の天皇つつしみて西の皇帝にもうす」と言っているわけです。
「冊封」って知ってる?中国の臣下になりますって、貢物をして私はあなたの国の臣下ですって中国にへつらうという。冊封を求めてきても拒否していた、日本は。ずっと拒否していた。他のアジアの国、東アジアの国々は全部中国の・・今の状況と似ていません?全部へつらっているという・・ということなんですよ。中国の権力に「ハハァー」てやって、貿易してもらいたいが為に、中国の法律とかも全部受け入れて、人を処刑するとかいろんなことも全部受け入れてきたのが他の国々。法律自体を受け入れている。日本は17条の憲法というのを作って、これも聖徳太子ね。今、応神天皇とか聖徳太子とかメシヤ様の前世の時代の話をしていますけども、東の天皇、天皇という言葉は聖徳太子があみ出したんですね。「東の天皇つつしみて西の皇帝にもうす」という風に言っているわけですので、最初は「日出づる処の天子・・・」と言って、向こうは気を悪くしたけども、そんな冊封なんかを受けるかと言って、臣下ではないと言って突っぱねてやっていたけども、貿易はしたかったので、日本は繁栄するのに貿易はしなくてはいけなかったので、「東の天皇つつしみて・・・」と、向こうは皇帝なので、そういう言葉の・・・天子に対して怒ったので、今度は「東の天皇つつしみて西の皇帝にもうす」と。賢かったんですよね。
十七条憲法
「和を以って尊しと為す・・」でしょ。
中国の冊封を受けていた国々、朝鮮の新羅とかベトナムの王は中国王朝の法を遵守する義務があったんですって。それで、日本は中国周辺国の中で特異な存在だった。東アジアで日本だけが唐の冊封を受けない、臣下にならない、唐の文化制度を輸入するけれども、日本にとって不要、害在りと判断したことは受け入れなかった。だから、貿易の仕方も外交が上手だったんですね。
例えば、受け入れなかった、拒否して入れなかったのは、宦官とか科挙制度。科挙制度というのはいいように思われているけども・・科挙は試験、全国模試とかそんな感じ、そういう試験で登用する、それは一般の人まで採用できていいんだけども、それによって賄賂を生んでるわけですね。
それから、凌遅刑(りょうちけい)。肉体を少しずつ切り刻んで殺していく刑罰。
表には出てないけども「食人」。中国では古代から近代に至るまで食人文化があったことはあまり知られていない。
そういうのは受け入れてこなかった。
もう一つ、受け入れなかったのが、「易姓革命」。
日本がシャットアウトした何よりの大きなものとしては、中国の伝統である「易姓革命」。
「天は王朝に地上を治めさせるが、徳を失った王朝は天が見切りをつけて『革命』を起こさせ、別王朝を立てる」ということ。これに基づいて、皇帝を殺してという事が正当化される世の中になってきた、そういう文化になってきたのが中国。それで、大量虐殺というのは、そういう殺してもいいんだよと、皇帝が治める権利がもうないんだから、それは天が言っているんだと言って大量虐殺をして入れ替えようというようなことを正当化する為の思想になっているので、これは受け入れなかった。だから、日本は天皇がずっと残ってきた。そうしないと、頼朝は自分が天皇になろうとするでしょ?だから、日本が「易姓革命」の思想を受け入れていたら万世一系の天皇は存在しなかったでしょうと。
朝鮮というのは中国文化のそういった制度を全部受け入れていたので、自らを「小中華」と名乗ったりすると、そういう事には相応の理があるんですよということ。
今読んでいる[新版]日本国紀〈上〉 (幻冬舎文庫)に書いてありました。

参加者
韓国の昔の歴史のドラマを見てると、そんな感じだね。

三救責任者
そういうのを見ていて、読んでいくと、韓国の南の方の百済というところというのは、日本の勢力、日本が治めていた時代があったみたいで、土器とか遺跡が出て年代が確定されようが、日本がそこを治めていた時代があるということが分っても壊してしまうからね。文化的価値よりも自分とこのメンツの方が大事な国ですから、だから歴史というのは歪められたまま、皆嘘を教えられてやっているのが向こう。
参加者
まずいものには蓋をして。

参加者
無かったものにして、全くわからなくなってしまう。

参加者
今、例えたらテニスの人の話なんかそんな感じだよね。
 Twitter とか全部消されて、行方不明ということでもめてるよね。

三救責任者
何でも蓋をされていく。都合の悪い事は。
一部の権力者や偏った報道には、日本でも知らずに騙されて来てるいという事があるので。
全世界騙されてきていますよね、今回のコロナについては。
騙されてるみたいな感じじゃないですか。そこは、何が本当に正しいかという事をきちんと。
分からないでしょ?情報が。次から次へと出てくるのに。
浄化作用と捉えたら、普通に解釈できるけども、そういう思想がまだまだ全然行き渡っていないので、みんながみんな分からないように・・。だから、新しい何かができると警戒してしまうよね。そのような状況だと。
私達は御教えと照らして真実を見極めて、伊都能売思想、メシヤ様思想を述べ伝えていきたいと思います。
では、終わらせて頂きます。

司会
以上をもちまして月次祭、ならびに一日祭を終わらせて頂きます。

参加者一同
ありがとうございました。

覚りの旅  メシヤ降誕本祝典記念祭

 令和6年3月3日 覚りの旅  メシヤ降誕本祝典記念祭 祭典意義 メシヤ降誕本祝典記念祭は平成27年3月3日より始まり、今年で10回目です。 『十とは、〇は地球であり、大地の事である。十の字は経(たて)と緯(よこ)の棒の結んだ形で、経は火で緯は水である。火と水はカとミであるからカ...