2022年9月12日月曜日

覚りの旅 令和4年9月 月次祭を終えて

 覚りの旅 令和4年9月 月次祭を終えて

三救責任者
皆様月次祭おめでとうございます。

参加者一同
おめでとうございます。

三救責任者
今日は(天恩地惠を)読んでもらってあるものとして。
読んでいただきました?
読んで来ていただいているものとして説明させていただくと、先月お話しさせていただきましたので。

その前に、今日は何の日でしょう?

参加者
防災の日。

三救責任者
防災の日だね。
昨日テレビを見ていましたら、富士山の気象観測所の話をしていまして、剣ケ峰というのかな、富士山の1番高いところ。そこに1936年に当時、世界最高所、アメリカのあるところを抜いて1番高いところになったのですが、そこに観測所を作ったそうです。
その後、1959年に伊勢湾台風があって、台風の予測が不十分であったために大災害となりました。
1964年に、日本に接近する台風の観測を目的としてドーム型のレーダーを富士山の山頂にヘリコプターで据えた。ドーム型のレーダーを吊るのにヘリコプターのパイロットが元零戦のパイロットだったそうです。ドアも取って、椅子も取って、ヘリコプターを軽くして、非常に危険な状態、今だったら絶対しないよね。そういう状態で、燃料の関係でわずか4分間しか頂上に居れないと。そのように非常に苦労されて、防災の意味も込めて。半径700キロの積乱雲をとらえることが出来るようになったと放送していました。
この時にやっていたんですけど、この写真何か分かります?

参加者
虹?輪に見える。

三救責任者
富士の火口に太陽を背にして拝むとですね、観音様が現われることがあると。

参加者
えー。(移動して写真を見る)
最初、光背みたいだなって思ったんですけど・・。

三救責任者
観音様が現われることが稀にあると。
世界最大の御賽銭箱だったんだね、火口が。

参加者
はーぁ。

三救責任者
今は、かわらけ みたいなのを年齢が70になった人だけはやってもいいよということで、そういう風にしていると。
これは実際は、科学的に言えば、霧状のものが出た時に太陽を背に・・要は自分が写っているわけですけども・・、昔の人は観音様だと。これは御来迎(ごらいごう)と言うらしいです。観音様を迎える。自分自身が観音様ということなのかもしれません。昔の人は分かっていなかったかもしれませんけども・・。
稀にしか、滅多に見れないということです。
富士山と言いますと、その下図のラインを覚えていますか。

図1
1

玖珠と津と富士山と日枝神社、そこまでの話を最初の時に御神業をずっとして一直線ですねと。それを突き抜けていくと香取神宮まで行きます。それは、ここに移っての時に、神様が経津主(フツヌシ)ですので、フツヌシの話をさせてもらったんですけど、覚えています?
ホツマツタエに出てくるフツヌシです。
真っ直ぐの線ということで、クスツフムヌルのフとして捉えると富士山ということも言えるかなと思ったんですよ。
それと、香取という話はですね、香取の神様というのはホツマだけの話でもなくてですね、御歌を調べると、

図2
2

「大やまと島根の鎮めと経津主の尊を祀る香取の宮かな」

という御歌をメシヤ様が読まれております。
昭和16年6月22日に鹿島神宮、香取神宮。先に行かれたのは香取神宮ですが、御留守だったらしいです。御留守だと分かるのはメシヤ様だからお分かりになるわけですね。
それで、鹿島神宮に行かれた。鹿島神宮に行かれた時に、神様からお言葉・・鹿島の神様は武甕槌大神(たけみかづち)という戦の神様でもあるわけです。
突如、無声の声がした。(メシヤ様の頭の中に聞こえてきたという事かな。)
「貴下はいよいよ重大な御役をされることになったことをお祝い申す。ついては諸々の神様が御守護さるるが、私もその一人である。今日、お参りに来られた事を御礼申す。」
という意味で、もちろん神様は武甕槌(かけみたづち)の命である。その帰途、駅へ立ち寄ったところ、号外が貼ってあった。みるといよいよ独ソ戦が始まったという事がかいてあった。

戦いの神様なのですね。諸々色んなこと起こってきます。
この頃、何でこういうところを巡業されて回るようになられたかと言うと、治療目的として浄霊に取り組んでたけども、色々なところがやかましくなってきたんですね。そういう事があって、御用が変わったと。だから、第一線でメシヤ様がされていたことが、第一線を退いてもっと大きな観点からの御神業になったのです。「運命の転換」という御教えに書かれていることです。
元伊勢へ参られて天照大御神様をお迎えして、実際には伊勢神宮には神素戔嗚尊が居られて、七月一日尊はお帰りになったと。そういう事が書いてある御教えのところにこの話があった。
だから、香取神宮も鹿島神宮も参拝されておられるのです。
遡ってみれば、昭和6年に鋸山で天照皇大御神様をお迎えして、3年後の昭和9年に日枝神社に御鎮座なされる。(図1を見ながら)そこ真っ直ぐの線のところに日枝神社があります。
下の線は浜松の線です。玖珠、伊勢神宮、浜松、鋸山と一直線になっています。
鋸山で天照皇大御神様をお迎えして日枝神社へということで、上のラインと下のラインは関係あると思いました。
今回東北の方に行ったのは全く別の事で行ったわけですけども、たまたま寄らせてもらったところに、塩釜神社というところがございまして、そこの神様は武甕槌尊神と経津主神という神様でした。
それともう一つ、さっきの御歌の中で、 大やまと島根 というのは、島根県のことではないんですね。 大やまと島根 は 日本 のことです。日本を治めなさいという意味になりますね。
メシヤ様の御歌にそういう事が出ていまして、もう一つはホツマの方ではですね、経津主を香取の神と言います。「カグ山を司とれ」、カグ山というのは富士山であって、ホツマの国のことです。だから、ホツマの国を治めなさいという名前を「カグ山を司とれ」、カグ山の「カ」と司とれの「とれ」でかとり(香取)の・・これはホツマに出て来ます。そういう神様です。だから、「大やまと島根の鎮めと・・」というメシヤ様の御歌と、古代の事、そして参拝されてるという事には理由があるという事かなと思いました。
塩釜の神というのは、
「胎(みご)もれるこれの身魂を安らかに守らせ給へ塩釜の神」と言うように、最初、そういう御歌だったそうです。それが、観音様の方が位が高く、御利益があるので、
「胎(みご)もれるこれの身魂を安らかに守らせ給へ伊都能売之神」と、そういう風にされたという事です。
これは今回、妊娠の話とか、つわりの話とか、婦人病のことが学びのテーマですので、偶然に参拝させていただいた神社と繋がってたので、お話しをさせて頂きました。
ということで、「婦人病」の御教えは読みませんけども、皆さまの感想、報告、体験等ありましたらお聞かせいただけたらと思います。

参加者
自分の経験とそのままだなと思いました。

三救責任者
今回の婦人病についてはですね、15項目ほど細かく御教えくださっております。ご自身やご家族、知人友人の経験と今回の御教えを照らし合わせつつ、浄霊に取り組んでいただければよろしいかと思います。
この御教え全体を通して纏めてみますと、薬毒が下降して下の方に溜まると、女性は婦人病になって、男性は痔になっていくんだと。夫人病は全部薬毒です。だけど、今は薬を飲むから治らないんです。コシケというのは毒素の排泄作用であって、有難いんですよと。コシケで出すのはありがたいけど、コシケではなく出ると、毒が下がって、お腹から足にかけて溜まってくると。お腹に溜まってくると毒素が膀胱を圧迫すると、尿が近くなってくる。それから、尿路の出口の方に毒結が溜まると、今度は尿が遠くなってくる。
足にかけて溜まった場合ですね、腰がふらつくとか、痛いとか、力がないとか、くたびれるとか、足が重いとか、不精になってくる。
下半身の病気というのは、全て毒が下がって溜まる。女性というのは月々の生理があるから、その都度毒素排泄ができていてありがたいんです。新陳代謝が活発ですね。だから、女性の方が長生きできますよ。
これも数字にも現れてきていますよね。
新陳代謝が上手くいかないと、更年期障害になってくる。それはホルモンのバランスが大きく変化しているから。
ホルモンということで考えると、腎臓がホルモンを分泌するので腎臓の浄霊をしっかりしていかないといけないということで、腎臓が重要になってくる。それから腎臓というところで捉えるとですね、卵巣、子宮、不感症の浄霊の急所も腎臓である。
それで、卵巣の場合ですね、余剰尿として出るので、その経路をよく浄霊していくことが大事です。
それから、これも卵巣のところで、萎縮腎となる場合は腎臓全体が急所となってきます。
腎臓が大事かなという事がありますね。ホルモンバランスが関係しているのでね。
そういうことを御教え下さっております。

そのホルモンということで、これは御教えではなくて、ダイオキシン環境ホルモン対策国民会議の水野さんという学者の方が、「環境ホルモン問題は終わっていなかった」ということで、グリーンウォッチというところに発表されていまして2018年6月の発表です。
「ますます進む日本の少子化」ということで、
不妊症の増加、5.5組に1組のカップルが不妊に悩み、検査や治療体験をしている。
未婚率が上昇して晩婚化になってきている。
2017年の出生数としては94.6万人で過去最低。

これは、今回のテーマは婦人病ですが、妊娠というところで見ると、

「精子減少の衝撃」
ということで、環境ホルモンが男性への攻撃をしていると。
プラスチックから溶け出す環境ホルモンが、河川を汚染
農薬などが、男性の生殖機能を低下させています。
「奪われし未来」ということで、1996年にコルボーン博士が、
ホルモンをかく乱する化学物質によって精子数減少してきてるんですよと。
2017年CNNニュースになるとですね、
欧米の方の男性の精子の数を4万人以上の調査をしていまして、過去40年間で半分以下になってきているそうです。すでに男性の5人に1人は生殖能力がないという結果がでているそうです。
30年後には先進諸国の男性は生殖機能を失う恐れがあると、言われています。
人間とマウスは一緒ではありませんけども、マウス実験の結果によると、その環境ホルモンの暴露ということで、3世代目には生殖能力がなくなるよ、という実験結果がでています。
それから、NHKクローズアップ現代、2018年2月に放映されたようですけども、「男にもタイムリミットがある!?精子“老化”の新事実」ということで、取材班は、20代から50代の日本人男性9人の精子濃度などを測定して9人中5人が基準値を下回った。
半分以上が基準値を下回った。
それで、「精子を守る7か条」というのをNHKの番組でしていました。
・禁煙すべし
・禁欲は間違い
・ブリーフよりトランクスを
・妊活の時期はサウナは控えよ
 (睾丸は33度が適切。上昇すると、精子とか精液に悪影響があるそうです。)
・膝上のパソコン操作はダメ
・自転車に注意
 (これは血行が悪くなって前立腺の影響を招く恐れがあります。1時間以上乗っていると。)
・育毛剤(飲み薬)に注意
 (男性ホルモンを抑えるタイプの育毛剤があるそうで、精子の質が下がる。)
ということを言っております。

そういう研究結果によって、EUの方ではですね、抗男性ホルモンの農薬を規制してきている。だけど、日本はまだ大量に使っています。EUは環境ホルモン作用がある農薬は原則使用禁止だそうです。最近はネオニコチノイド農薬の環境ホルモン作用という事で疑われているのが、日本のスーパーで売られているほとんどの野菜、果物、お米にはネオニコチノイド農薬が使用されています。
EUは、ネオニコチノイド農薬3成分の屋外での使用は禁止してます。2018年4月に決定したそうです。
ミツバチの話。
何がミツバチを苦しめているのかということで、ミツバチ減少の原因というのが今言ったネオニコチノイド系農薬。これはヘリコプターでの農薬散布などで使われているそうです。あと、ダニ駆除剤の乱用とか、水田でカメムシ防除のためにネオニコチノイドを散布したりとか。
それが、ミツバチにストレスを与えて、人間も同じようなことだと思いますけども、免疫力が低下して神経異常になって、複数の農薬や化学物質で汚染されて免疫力が低下。農薬で神経がおかしくなる。ミツバチは帰巣本能も低下する。だから帰ってこれない。ミツバチの大量死とか失踪に繋がっているそうです。
それで、今のネオニコチノイドというのは住宅建材にも。これは、前々から指摘されてますよね。
新しいシックハウスの原因?ということで、
新築の家に引っ越してまもなく体調が悪くなるのは、合板、合板フローリング、壁紙、壁紙接着剤などに使用されるVOC(揮発性の有機化合物で、常温で揮発しやすい有機化合物の総称。ホルムアルデヒドとか。床暖房も床暖房用の合板フローリングから揮発する可能性)によるシックハウス症候群が疑われる。
今、環境上の問題点を、精子の面から見ました。婦人病の話からは少しズレてしまいましたが、
そういうことに注意しましょう。

参加者
女性も同様に影響を受けていますよね。精子ではなく・・ホルモン・・。

参加者
どちらにも影響はしてるということね

参加者
精子だと状態が見れるから分かってくるというだけで、女性の場合は分からない・・

三救責任者
そういうのが原因かもしれないよ、更年期とかホルモンに関係することは。だから、腎臓が大事です。

参加者
スーパーに売ってるお弁当もそのまま電子レンジで温めると、容器が溶けて、それが身体の中に入るから、それは良くないってテレビでやってた。

参加者
普段使っているタッパーとかはどうなんでしょう?
やっぱりそうなのかも・・。

参加者
だから、容器に移して電子レンジを使う。

参加者
陶器とか?そういう器で・・。

三救責任者
流産とか精子減少の原因に環境ホルモンが影響していますので、注意ですね。
それから、若い子とかは、冷たいところに座ってはいけない。
体を粗末に扱うな、大切にしよう。

図3
4PNG

そういった事をですね、若い子にも教えてあげて下さいねということの話がございました。

話は戻りますけども、メシヤ様が鹿島神宮、香取神宮に行かれた時にですね、昭和6年のときの歌でしたので、その中にですね、
「鹿島など詣でしを非難する人よ あまりの言に吾言ふべきを知らず」
という御歌も詠んで下さっております。
非難する人が居るのですね。特に○○教の頃の話ですので。もう非常に大きな御神業をされているわけであって、メシヤ様の御神格を求めないと、分からない人は分からないだろうな、と思います。
行かれたところには意味があったのだと思いますね、タイトルが「運命の転換」ですからね。

浅草の観音様
浅草の観音様の話もあって、浅草の観音様、仙台にあるという、昭和27年8月1日の御教えがあります。
大河ドラマは見てる?大河ドラマの頼朝の髷の中に観音様が入っていたという場面があったと思います

質問者 「戦国時代にはそういうのを用いたのでございましょうか。御守護をいただくためでございましょうか」

メシヤ様 「そうです。良いのは純金なんかが入ってます。浅草の観音様はそれが御神体だったのです。浅草の観音様というのは頼朝が作ったのですから、最初は頼朝の護持仏だろうと思います。」

ずっと肌身離さず持っているという事で髷に入れていたんですね。

メシヤ様 「それが明治になってからなくなったが、売ったのです。それは何時か話したが、私の曽祖父が質屋をしていた。そこに質に入れた。浅草の長昌寺という始終遊びに行った寺です。一年に一回御開帳といって、観音様のお供をして行き、済むと長昌寺に帰ってくる。ところが、長昌寺の坊主が道楽して金を使って、私の曽祖父のところに質に入れたのです。で、私の所にしばらくあったのです。ところが私の曽祖父は子供がなかったので養子をしたが、ごくお人好しで財産をつぶされて、そのときに離した。
一寸八部の観音様というのはたくさんあるのです。あれが仙台にあるとかよく話がありましたが、みんなその時代の大将の使った護持仏です。純金ですが、だんだん位が下になると十六金、十四金、ごく下になると六金というのがある。六金というのは銅が多いから錆びて黒くなっている。磨いているとピカピカ光ってきますが、銅みたいな光です。」

こういう御教えをたまたま見つけました。

質問者「今も浅草にはございますのでしょうか」

メシヤ様「あります。今あるのは木彫りに金箔を塗ったのです。木彫りの一尺くらいのはほうぼうのお寺の御神体になってます。観音寺の御神体もそうです。白布に巻いて御厨子に入れて、一年に一回管長でなければ開けてはならない。それを普通の人が見たら目がつぶれるとか言ってます。誰も見た人はないでしょう。私は神様のお知らせで分かったのです。」

メシヤ様は見たことはないけども、神様のお知らせで分かったという事です。

まだ少し時間がありますので。

「負けるが勝ち」

これは秀吉の話とよく似ています。秀吉の後の話で、瑞巌寺の中興の祖の和尚さんの逸話
昭和28年2月15日の御教えです。

私が今度の判決で控訴しなかったので、この間そうとう偉い人が“どういうわけか、した方がいいではありませんか”と言うのです。それで私は、控訴したところで駄目だし、万一勝ったところで小さな問題であって、それよりかほうっておいた方が、仇討ちにしろかえって大きい。それはどういうわけかと言うと、私がいまに世界的の偉い人になったとすれば、あのときにあんな酷い目に遭わせて、とんでもない間違ったことをした。実に相すまなかったと言って、どのくらい後悔して、くやむか分からないから、そのほうが大きいではないか。それならやり方がきれいで、かえって効果が大きいから」と言ったところが、「なるほど宗教家らしい考え方ですね」というようなことを言ってました。
それでまた話してやったのです。

という事で、瑞巌寺の話ね。仙台から1時間くらいのところにあります。

有名な話ですが、松島に瑞巌寺というお寺がありますが、あのお寺を開いたのは、これはそうとうに知っている人もあるでしょうが、昔伊達様に足軽で奉公していた若者で、草履取をしていたのです。ところがある雪の降る寒い日に、殿様の草履を温めてあげたいと思って、懐に入れておいたのです。それで外出されるときに草履をはくと温かいので、「貴様がはいたに違いない」と、けとばされたというのです。そうして追い払われたので、悔しいので、なんとかしようと思ってもどうにもならないので、死んで証をたてようと思って自殺しようとしたところが、そこを偉い坊さんが通りかかって、お前はなんのために死ぬのだと言うので、自分はこうこういうわけで悔しくてしょうがないから、死んで仇を討つと言ったところが、「それはつまらない、それよりかお前がうんと出世をしなさい。そうして見返してやれば、それが一番大きな仇討ちだ」と懇々と言われて、自分もなるほどと思ってその坊さんの弟子になって修行して偉い坊さんになって、それから支那に渡ってまた修行して帰ってきたのです。そうして有名な坊さんの第一人者になったわけです。そうするとたまたま伊達の殿様がそれを聞いて、そういう名僧ならぜひ御招待したい、しかもやはり仙台のほうの人間だそうだし、自分の領地からそういう偉い人が出たということは、なおさらたいへんな名誉だからぜひお招きしたいと、会われるのです。それで殿様はたいへんに優遇していろいろ話を聞いて、帰りがけに坊さんは自分は土産を持ってきたが、これをぜひ殿様に上げたいと言って、立派な包みから恭しく出して殿様の前に置いたのです。見ると草履なので、どうしてこういうものをくれるのかと言うと、これには謂れがある、実は私が若いときにあなたの草履取をしていた、それである一日こういうことがあったのです。と、すっかり話をして、それだからしてこの草履のために自分はこれだけの出世をすることになったのだから自分としてはたいへんな宝物だ。それもこれも殿様のお蔭だから、その記念としてこれをお土産に持ってきたのだ、ということを話したので殿様は恐縮したのです。そうかといって悪い気持ちはしないのです。そこで大いに面目をほどこしたとともに一つの仇討ちをしたのです。それでは一つ寺を寄進しようと言って造ったのが瑞巌寺というお寺です。そういう話があります。ですから私はそういうような気持ちで控訴はしなかった、と言ったのです。なるほど、そう伺ってみるとそのほうがいいかもしれない、と言ってました。
 これは一つの例ですが、すべて人に酷い目に遭わされたり、人からいじめられたりしたときは、それをすぐに仇を討とうという気持ちを起こさないで時日を待つのです。それは自分が悪くてはいけませんが、自分が正しかったら必ず良い結果になるのです。昨日も偉い人たちの集まりがあって話をしたときに、戦の話になって、日本が戦に負けたということの話から私は言ったのです。とにかく人間は勝とうとしたり、勝ったりすると負けるのだから、戦で勝つには逃げるに限るのだ、逃げるくらいな人ならきっと勝つのです。ところが日本兵は逃げないのです。どこまでも進みますから戦に勝てないのです。
そういうようで人間は勝っては駄目です。負けて逃げるくらいならまず勝つのです。ですから裁判なども、控訴して勝ったらやっぱり駄目なのです。だからこっちが正しくて負けるというのは、非常に割の悪い、業腹なことですが、それを我慢して負けると、それ以上大きく自然に楽に勝てるというわけです。これは大きな話ですが、小さなことでもそうです。家庭的のことでも、負けておくのです。そうするとその人はきっと勝ちます。勝った人が必ず謝ることになります。だから昔から言う「負けるが勝ち」ということは真理です。その話はこのくらいにしておきます。

「負けるが勝ち」ということは真理ね。
これは仙台の話を調べていて出てきました。

松阪にも瑞巌寺があるのはご存知? 岩内(ようち)というところにあるんですよ。
こちらは空海(弘法大使)が開いたとされています。随分さびしくなっています。
反対に、時の将軍とか、権力者によって庇護されてきたというのが松島の瑞巌寺ですね。
松島の瑞巌寺は、御本尊は聖観世音菩薩です。828年に創建しています。
天台宗から禅宗になって、臨済宗になって。
北条政子から手紙が残されているとか、それから、伊達の殿様とか。
時代が良く分かるんですけども、天台宗延福寺であって、鎌倉時代に禅宗になっています。
1189年に頼朝が義経を追討しますね、義経が平泉に逃げて頼朝に義経を討てと泰衡に命じて・・という話の時にですね、松島の寺辺りも仙台ですから、その当時の藤原泰衡の方の味方をしていて当然なんですけども、お寺のお坊さんが義経を呪詛したという風なことが伝わっているそうです。
これが、鎌倉時代になると、当時の北条時頼に対しても呪詛したという事が伝わっています。
この頃、お寺と神様が一体ですね。伊達の殿様のことを「大神主」と言っていたんですね。
それで、「上上の段の間」 というのがあったんです。伊達の殿様が座るところと、そのもう一つ高いところに天皇陛下をお迎えするところが作ってある。これは、仙台城にも作ってあるそうです。伊達政宗が江戸幕府を滅ぼして天下を取ったあかつきには天皇を招き入れる予定で作られたんだとされているそうです。
東北地方というのは、中央から独立出来るような国でもあった訳ですね、ずっと昔から。
瑞巌寺というのは、時の権力者の厚い保護を受けていたことが伺えますね。ずっと続いてきたというのがあるんでしょうね。

話を飛ばしてしまったんですけど、今日は、防災の日でした。全部繋がってるんです。
こっちの話しから行くんだったんだけども、
「一人で作った避難所」 というのがあって、松島の話です。
「一人で作った避難所」(東松島)というのがあって、大震災の起こる前から、近くの30メートルくらいの岩山の一つに避難所というので、定年後に10年かけて築いた人が居るそうです。
そこに、70人ほど避難して助かっております。

参加者
70人も入れる?

三救責任者
ちょっとした小屋も造って。

台風、高潮、津波、地震などの災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備するというのが防災の日ですね。
東日本大震災において「津波なんてここまで来るわけない」。そう言われながら、退職金をつぎ込んで10年がかりで岩山に避難所を作った人がいます。
700人以上が死亡した宮城県東松島市で、その場所が70人の命を救いました。
「まさか津波」 に、たった1人で造り上げた手造りの避難所が多くの人命を救ったのです。
ということが、ネットを見れば出てくると思います。

人にも「ここには大きな津波は来ないよ」と言われながら、だけど造って、市の方にも、「大きな津波は建物ではダメ、高台に逃げるのが鉄則だよ」と、これを非難所にと訴え続けたんだけども認められなかったと。
認められなかったけども、造っているのを見ていた人が、震災の時すぐそばまで来たのでそこへ逃げて助かった。流されてきた人も救い上げて。ということがあって、造って良かったと。だけど、もっと皆に知らせておけたらなということを言われています。

参加者
こういう方がいらっしゃるんですねぇ。

三救責任者
だから、自分たちに置き換えて、例えば安濃川が決壊したらどうするのかとか、そういうことをシシュミレーションしておいてね、行政も間違うし、完璧ではないので、自分のところの一番近くはどこかと、その行政の指定したところが安全で行けると分かっていればそこへ行けばいいんですけども、もっと短い時間でしか行けない時があるので、そういう時は、これは建物が2階でも助かることがあるので、時間がどれだけだったらどこへというのを、しっかりと自分のところの場所で考えておかないといけないよ、ということですね。
だから、避難場所は家からすぐの場所にないと、ということを市に訴えたと。
だから、まさかの時の行動を家族で話し合っておかれると良いかと思います。

それで、松阪の瑞巌寺の話をしましたけども、あそこは十一面観音様なんですね。空海が開祖という事で、浄土宗知恩院派だそうです。
空海は真言宗ですから、やっぱり寺というのは変わっていくんですね。中興の祖が現われたらそこの人の宗教になっていくんですね。どんどん変わってきていますよね。
空海の時は真言宗で観音様だったという事ですね。

パキスタンで洪水がありましたよね。国土の3分の1が浸水しています。首都はイスラマバードです。名前で分かるように、主な宗教は・・

参加者
イスラム?

三救責任者
そうそう、イスラム教ですね。
だけど、パキスタンはパキスタンという国になる前はどこだったでしょう?

参加者
・・・

三救責任者
こういう事、気にしないでしょう?
洪水があったので、気にして調べてみました。インドだったんです。
パキスタン・イスラム共和国と言うんですね。
インドはヒンズー教、イギリスに占領されていて独立するときに宗教が、インドだとヒンズー教で、一部西の方がイスラム教だったので、虐げられるといけないからとイギリスから独立するときに分かれるわけです。それが、パキスタン・イスラム共和国。元々はインドという国だったんですね。
ここは、人口2億2千万人。中国、インド、アメリカ、インドネシアに次いで第5位。
世界で2番目にイスラム教徒が多いところです。昔はインダス文明が栄えたところです。イギリス領インド帝国の分割を経て独立しました。
東パキスタンはバングラディシュになったんですね。国が結構分かれているんです。宗教の問題が大きいのですね。
これで、何か御教えを調べると、パキスタンの首相は暗殺されているんですね。正神系だそうです。霊がかりの人にかかってメシヤ様のところに出てきて、色んな国の元首が挨拶に来たり、お詫びに来たりしているという霊界通信というのがありましたよね。そこの中に出てきます。
アリー・ハーンが1947年から1951年のパキスタンの首相だったが、暗殺されております。
メシヤ様がアリー・ハーンの霊に言ってるんですけども、
「霊界の御用、しかと頼むぞ。哀れであったが(暗殺された事)霊界に御用がある。そちは正神じゃ。なかなか正神はああいう曇ったところに体は置けんから。ご苦労であったのう。霊界からしっかりインドの民、救ってやってくれ。」

パキスタンだけど、元々はインドだったのでね。

「インドの民、救ってやってくれ。そちの肩にそれがかかっている、頼むぞ。また参拝に来いよ。そちの苦しみ、だんだん楽になるからの。」

参拝に来たらだんだん楽になるから来いよと、また浄霊を受けに来いという事をね、メシヤ様が言われている。
それから、ジンナーという人が初代パキスタン総督。この人も正神系ということで、この時はまだ亡くなられていなくて、生霊として来られていたんですね。

「正神系は大人しいのう。ちょっと大人しくせずとパキパキやってくれよ。それでは御用が立たんぞ。」

これ、パキスタンだからパキパキって、メシヤ様はシャレを仰ったのでしょうか?わかりませんね
・・。

参加者
(笑)

三救責任者
それで、ジンナーが 「はい、萎縮していました。」
メシヤ様 「これから霊界のアリー・ハーンと協力してやれよ。千人力、万人力でやれ。力強い気持ちでやれ。今までのように弱い心を出すな。」
ジンナー 「はい、申し訳ございませんでした。」
メシヤ様 「共産党もみな明主が言いつけてやらせた。役じゃ。同じ役だから萎縮するな。力強い言霊で救っていけよ。」
ジンナー 「はい、やらせて頂きます。後日、明主様のところに御参拝にやらせて頂き、御礼言上させて頂きます。本日はこれにて失礼いたします。」

こういう御教えがございました。
暗殺・・色んな起こってくることも神様の仕組の中の一端だと思って、またそういう災害も然りかなと思ったので、この時(昔)の状況を説明させてもらいました。

参加者
安倍さんの銃撃も・・

三救責任者
それもあったので。

政教分離
「政教分離」ってどういうこと?
「政教分離」というのは中世・近世ヨーロッパの信教の自由が認められず、迫害を受けた。
キリスト教と一体になっていて進めていて、キリスト教でもカトリックとプロテスタントといろいろあるじゃないですか、日本でも昔ありましたよね、キリスト教の迫害とかあったわけで、宗教の自由を認めるが為に「政教分離」ってあるので、自由なんですよ。
「政教分離」のことをきちんと分かって批判するなら批判しないとね。
日本は明治憲法で信教の自由は認められていたわけです。ただ、神社神道を実質上国教扱いして突き進んでいったというのがあるので、ちょっと日本もね。
この時代に官憲とか入って自由に浄霊の出来ない、宗教の出来ない時代があったと、そういう時代の話ですね、先程の話は。
だから、現行は信教の自由は認められていて、「政教分離」の原則なんです。
昔から、伊達の話でも、明治維新があったので廃仏毀釈が起こったと。寺と神様とは一緒のところにあって、同じように運営していたわけです。それが、神様でいくと政治に利用したという事です。
だから、伊達の殿様は大神主であって、政治であって、政教分離じゃなくて一体で上手くやっていくのが・・。現代のは宗教が生活そのものが宗教に分離していったことの原則があった訳です。宗教の考え方としては。みんな宗教なんですから、芸能も、政治も、生活全般が宗教なわけですから。

「負けるが勝ち」という風には思えれない。独裁者というのも色々現れてくるけども、大きなものが付いた時にはそういう力を発揮するけども、抜けたらへなちょこになってしまうというのが前に御教えで出てたよね。そういうので、コロッと変わる可能性はあるかも知れませんね。
何かがあって、こういう事になっているんでしょうね。
まぁ、元は薬を入れてきた事にあるかと思います。

参加者
うん。

三救責任者
ちょうど時間になりましたので、終わらせて頂きます。

司会
以上を持ちまして9月度月次祭ならびに一日祭を終わらせて頂きます。

参加者一同
ありがとうございました。

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