令和3年3月
覚りの旅 令和3年3月度 浜松月次祭を終えて

三救責任者挨拶

皆様、月次祭おめでとうございます。
先週令和3年3月3日はメシヤ降誕本祝典を執り行いました。
平成30年3月3日以来初めての3並びの日に記念祭を執り行わせていただきました。
そしてメシヤ様の御神格を認識させていただくための重要な祭典であるとお話しさせていただきました。より多くの人がメシヤ様の御神格を認識させていただける事が許されるよう、
『主神様とメシヤ様』を編纂し研鑽させて頂いているのだと思いますので、また来年の3月3日に向けて学んだことを伝えることができるように、そういう姿勢で本日のテーマ2『主神様とメシヤ様』『霊と体』を学ばせて頂きます。
それでは117ページの拝読、どなたかお願いできますでしょうか。

参加者
『霊と体』拝読

三救責任者
はい、ありがとうございます。
何が書いてあったでしょう。 復習ですけども、一切万有は 何 が原則だと書かれてました?

霊主体従ね。霊主体従が原則であると。

資料1
1


そうすると、 何々 は不思議ではない。

参加者
奇蹟

三救責任者
そうですね。奇蹟ですね。  書いてあることですね。
ポイントが分かるようにと思って。

資料2
2

肉体は服を着ますが、霊は何を着ていますか?

参加者
霊衣

三救責任者
はい、霊衣ですね。

資料3
3
善を思い善を行うとどうなって、悪を思い悪を行えば・・
今のそこに書いてある内容は、善を思い善を行えば晴れると。悪を思い悪を行えば曇ると。そこに書いてあることね。

資料4
4

神と言ってもどういう神様の方が多いでしょう?

参加者
邪神

資料5

三救責任者
邪神の方が多いんですね。
弱神、弱い神様とか邪神の方が多い。

資料5
5

光が増すと霊衣がどうなります?

参加者
厚くなりますよね。

三救責任者
そうですね。はい、厚くなります。

資料6
6

救世主となると 何々 を光で包みます。
救世主くらいになると、どのぐらいの光でしょう。

参加者
人類全体・・

三救責任者
救世主ですから人類全体ね。

資料7
7

釈迦とかキリストは一宗教一民族とか、・・もっと大きいかな、キリストは。
で救世主となると人類全体を包むという事で、地球全体を包んでいるというのは、こういうところから来てるんですよね。救世主とはメシヤ様ですから人類全体、地球全体をメシヤ様の霊衣、御光が包んでくださっているのだと昭和28年に御教えくださっているわけです。ここが、後に繋がってきてるわけですね。こういう御教えがあるよって。
で、霊衣はその人の心がけ次第で、厚くもなり薄くもなると。

資料8
8

人間はこのことを信じて大いにどうしたらいいでしょう。

参加者
善徳を積む

三救責任者
はい、善徳を積む。

資料9
9

霊界は総計何段になってますか。

参加者
180段

三救責任者
そうですね、180段。

資料10
10

一番この上に主神様がおられると。主神様を入れて181段って事ね。
それから、上段 中段 下段、これ何段ずつですか。
180を3で割るだけですから60、60、60ですね。

資料11
11

一番上の上段は天国、善を行ってる人はこの天国。
下段、悪人というのは地獄におちますよ、ということが今ここに書かれてる話ですね。 
現界と違って霊界は至公至平にして、些かの・・?

参加者
依怙(えこ)もないから

三救責任者
依怙(えこ)がない。えこひいきの えこ ですね。平等だということです。

資料12
12

このことが信じられる人にしてどうなりますか。

参加者
真の幸福が得られます。

三救責任者
そうですね。真の幸福者となる。

資料13
13

人間の運不運は、 何々 の如何(いかん)による。何に関わっておりますか? 

参加者
霊界の地位

三救責任者
はい、さっきの180段の内のどこにいるかですね。霊界の地位による。

資料14
14

ほとんど人間は中有界という真ん中の60段のどこかにいるということです。
善行次第で霊界の地位が向上する結果、いつかは幸運者となる。これは厳として冒すべからざる 何々 である。

参加者
神律

三救責任者
神律ね。神様の法律、神律です。

資料15
15

このことを諭してるのが宗教本来の・・・。

参加者
使命。 

三救責任者
使命ですね。

資料16
16

今まで徹底しなかったのは経典と説教を主とし、実力即ち 何々 が伴わなかったから。

参加者
奇蹟が伴わなかったから。

三救責任者
そう、奇蹟。

資料17
17

主神様は今や絶対力を発揮され給い本教を 何々 として驚くべき奇跡を表します。

参加者
機関

三救責任者
機関ね。

資料18
18

この機関っていうことが大事になってくる。本教機関っていうのが、 これは、この時だから、メシヤ様と、メシヤ様が書かれてるのでご自分の事なんですけど、メシヤ様を機関としてということです。
メシヤ様に繋がる人は、今は、私達もそのメシヤ様に繋がって、機関、メシヤ様が地球全体を覆う機関となって、この頃の世界救世(メシヤ)教のこと言われてますけども、メシヤ様自体が機関ですから、全体に。だから誰でもメシヤ様に繋がれば浄霊ができるということの意味の機関、機関として。
これは、何を書いたかというと。
上、中、下、霊界3段階になってる。一番上に主神様が乗って、ビューっとその力が及んでく。そうすると、主の字になっていくんだなと思って書いたんです。

参加者
ほおー!

三救責任者
なるほど、と思って書きました。

今回のテーマ2の 『霊と体』 の御教えを繰り返し拝読研鑽させて頂いて人々に伝えていければ宗教本来の使命を担えるわけですが、色んな話し方があると思いますので霊と体をキーワードに御教えとメシヤ講座から編集したのが『天恩地惠』3月号15ページ以降です。
ということで、小見出しを見て行きますと、その小見出しが今回のテーマにそぐわない時は小見出しをちょっと変えてありますので、テーマに合うように。小見出しを見ていけばだいたい分かると思います。

人間らしく生きるために宗教がある。
603行のところで、宗教をやるということが実は人間の証だということで、これはメシヤ講座でお話くださっております。花を手向けたのが宗教の始まりですよということからきています。

それから、606行のところ、 御論文の拝読の仕方 ということで、
『現代医学の欠陥は、霊と体で構成されてゐる人間を、霊を無視して体のみを対象とする事と、人間と動物を同一に視てゐる点で、之が主なるものである事を知らねばならないのである。』という風に書かれております。
それから、618行で、『文明の創造』を一通り勉強した、というのではなくて、繰り返し最初から最後まで読み返すという、そういう学びの仕方をしていってくださいっていうことで、先生は仰っておられるという事で。
『文明の創造』自体も最初からだと、もう3回ぐらいやりましたね。
メシヤ講座としてね。大事だと思ったので、本にしてからもまた始めからやるという事をやってきたわけです。
621行のところで、学んで、人間は人間らしく生きていくことができるのだと。それを認識しなかったり学ばなかったりすると、人間らしくは生きていけないとうことです。認識というのが本当にキーワードになってきますので、ここのところを・・先生の言い方でいけば 二重線を引いておいて下さい。(笑)
で、特に若い人はっていうことで、 当時私達もまだ若い部類だったかもしれませんけども、人に聞かれたら答えられるようにしっかり拝読して訓練しておいてくださいねってことを言われてます。
伝えていくというのはそういうこと、自分の言葉にしないとなかなか伝わらないっていうことがあると思いますので・・「これ読んどいてね」だけだと、「そんなの読むか」となるので、やっぱり自分がまず読んで納得して、納得しないことは話せないのでね。
だから人に伝えるという、話をするということを念頭に、先生はご教導くださっているんですよということですね。ここでわかるかと思います。答えられるように訓練してね、ということです。

で626行は、 霊と体の二面性 ということで、
629行、浄霊と浄化論、薬毒論を『神科学』と言いますと。神様が示された科学で病気を治していくのだと御教え賜っているんだと。
で、637行のところ、二面性というのは、人間は霊と体でできている。医学は体だけを見てきた。両方見なければならないんだと。二面性を認識して・・ここでも認識って出て来ますね・・取り組まなければならないんだということです。これは、僕が言ったことでした。「認識」を注意してやっています。

それから、 『見えないものを明らかにしながら人類は進歩していく』 。
644行のところで、科学ではその霊が見えないのでそれが問題で、霊と体の体しか見えていなかったので・・だけどだんだんと発展してくると、顕微鏡とかその見えないもの・・。逆に進み過ぎて細かいウイルスのかけらでも見つけられるので・・、それはマスコミの方が悪いんですけどね、そういう見つけたことで恐怖心を煽ってしまうというのもありますけども、そういうのを明らかにしながら進んで行くんだということです。
で、神様は霊、人間は体であるから、霊と体と調和すべきだと。
ちょっとここを読ませてもらいますと、

神智之光 より
分らせようとする事、(教師心掛け)、神と人間力、霊体調和、小乗信仰戒意、振不振と御神意
私は教導所の責任者として御用をしておりますが(・・教導所の責任者と書いてありますが、世話人、人をお世話しようとする人に対してという気持ちで見て欲しいんですけども・・)、私の村は八百余戸、入信者現在百余名、光明如来拝受者十五名、大光明如来四体を奉斎させて戴いており、五、六人の方が熱心に協力しております。しかし私も時々困難に突当り、一生懸命御用したくも思うに委せぬ苦しみをしております。主人も現在教導師の御資格を戴き、大工仕事の裡にも懸命の努力をしております。夫は養子ではありませんが、私と母と同居しており、母も余りに熱心のため、非常識な位にまでなり、時々御浄化を頂きます。この母の行為についてとかく周囲の人より妨害され、日夜頭を悩まし、自分の未熟な行為のため寝つかれぬ事も御座います。いかにしたら周囲の人々を分らせ、出来るだけの御用が出来ましょうか。御伺い申し上げます。
  分らせるという事が間違っている。分らせるというのは人間の力を過信する事になる。神様が分らして下さるのである。この人の信仰が狂うのは小乗的であるからで、(熱心のために非常識というのは嘘である)飽く迄、常識的でなくてはいけない。
人間は何の力もない。人間の心で決めてはいけない。どこまでも神の道具で、神様がやらして下さる気持にならなくてはいけない。(浄霊でも心静かにしてやらないと神様の霊気が通らない。力を入れ一生懸命にどうかして救おうとすると人間的だからいけない)
・大乗的になるべきである。
・(無理に分らすのはいけない。神様にお任せし、自分はやらしてもらってるという気持である)発展するか否かは神様の思召しである。人間の力が強くなると反って成績が挙がらぬ。(浄霊も静かな気持でやらなくてはいけない。一生懸命やると治らぬ。力を入れずにした方がよい)宣伝も一生懸命扱うという気持はいけない。(時期が来ぬうちはいくらやってもいけない)といって、お任せしっきりでもいけない。その区別を調子よくやる。

・・神様にやらせてもらっているという事ですね。

神様は霊、人間は体であるから、霊と体と調和すべきである。
・・これは神様との、メシヤ様との共同作業という事に繋がります。

小乗的信仰は最もいけない。咎めや憎しみは極くいけない。(S24. 8.27)

という風に書かれております。
で、次の 霊が主で体が従となっているのが万有の法則

絵にしてみると、 

資料19
霊と体 図

これが霊で、これが体。
毒素が体にあるので、 これが移写して霊の方の曇りになる。この曇りが自然浄化作用を発生させて、溶解排除していく。だから、薬とか入れて毒があった場合に、移写して霊の方に曇りが発生する。それを浄化作用で溶解していくと、それが苦痛を伴うんですね、苦痛。この苦痛を病気と言うんです。鼻水が出たりというのも、これが起こってるわけですね。
これが 霊体一致の法則 と言います。
これでいう、元というのは曇りなんですね。ここが真の病原であるので、この霊の曇りを解消すれば病気が治るんですよと。それをする方法が浄霊なんですよと。その方法が浄霊です。浄霊ということを説明するのにね、今のここのところが一番わかりやすいかなと思って。だから浄霊が真の医術ですよということで、この浄霊というのは今の話、元が霊のところの曇りでこれを解消すれば体の方も治ってくという事ですね。これを霊主体従の法則。だから、霊体一致と霊主体従という一番重要な御教えがこの浄霊というところに関わって。浄霊を説明すれば、この霊体一致、霊主体従の説明にもなるという。
それで、絵を描いたんですよ。
今のところ678行のところを読みますと、

霊が主で体が従となっているのが万有の法則
【御教え】「浄霊は科学療法なり」 栄光二百四十三号、昭和二十九年
以上の如く人間は霊と体との両面から成立っており、霊が主で体が従となっているのであって、これが万有の法則である。そうして病気なるものは体にある保有毒素が霊に移写して曇りとなる、それへ自然浄化作用が発生して曇りが解消すると共に、それが又体に写って毒素は溶解し排除されるので、その苦痛を言うのであって、つまり前者は霊体一致の緯の作用であり、後者は霊主体従の経の作用であるのであって、この理を充分知る事が肝腎である。では一体曇りの本質は何かというと、これこそ無色透明である霊に不透明な部分が発生するそれをいうのであって、これが真の病原であるから、これを払拭すれば病気は治るに決っている。この方法が浄霊であるから、浄霊とは読んで字の如く霊の曇りを浄める手段で、これが真の医術である。従ってこれ以外の療法は悉く非医術である事を知るべきである。以上が病原と治療との根本原理であって、一言にしていえば病気とは外部に現われた症状であり、病原は内部にある曇りである以上、この解消こそ真の治病法である。処がその理を知らないが為医学は現われた症状さえ除けばいいとしているので、仮令効果があってもそれは一時的で、必ず再発するのは医師も常に経験している筈である。

今のところをこの絵にしたという事です。
 
で、病気とは 何 に現れた症状 って、書いてありました?

参加者
体の毒素。

三救責任者
うん、病気とはね、外部に現れた症状ね。
で、病原は内部にある 何?

参加者
曇り。

三救責任者
そうですね、曇り。
この曇りの解消こそ真の治療法であるので、医学は現れた症状さえ除けばいいとしていますが、効果は一時的です、だから再発してしまうんですよと。ということが書かれてます。根本的治療では無いという事ですね。
こういう話を、気になる人に自然ときっかけを見て、無理に言おうとしなくても、何かのきっかけがあったらそれは神様の方から話をしろということだと、そういう風に受け止めて話しできればいいかと思います。
次に、江ノ島の片瀬におけるご講話 というところで、
710行目のところは、「この療法の治るという意味を根本的、徹底的に知っておかなくてはならぬ」、浄霊で治るということね。今の話の所の浄霊の原理を知っておいて欲しいよということ。
で、714行のところなんですけども、「今後迷ったり判らなかったりする、それは根本的認識ができていないからである。」
こういう事を学んでいても、迷ったりしてしまうのは、もうちょっと学ばないといけないよねという話ね。
それから728行のところ。
クイズです。ここに入るのは同じ言葉です。どんな漢字一文字?
音・電・光、 同じ一文字を入れると・・こんなクイズよくあるよね。(笑)
728行のところを見ていて思ったんです。
「霊は物質ではない。霊の存在するため、いま、音楽で音波など言う。あれは霊で、霊をはっきり知らぬが、音楽、電気、光など霊の一歩手前へ入ったもので、もっと進めば霊へ入る。私のほうはそれを早く知った。」  
ここに、一つ出て来ましたよね。音波って。なみ(波)、音波ね。電波、光波、霊波。全部「波」っていう字が入りますよね。ここに出てくるのを見た時に、波っていうのは波長とか周波数とか、だから、神様と波長が合うとか、周波数。
面白いなと思うのは、例えば電波。電気って電気信号ですよね。電気信号と言うとその神経、脳から神経に行くのは電気信号ですよって習いましたよね。
今度、光になってくると、例えば電話なんかでもこれは無線の電波を使いますし、光ファイバーケーブルも使うんですね。光ファイバケーブルの仕組みというのは、光のオン・オフです。光を発する・閉じるというか、1と0 、全部 1と0 に置き換えて、声を、音波だね、人間の声を 光のオン・オフに置き換えて相手のところでまた戻して、今度は電気に戻して使われてるのが今の携帯電話の仕組み。
光ファイバーケーブルの両端に、装置があって、光のオンとオフを使ってるわけです。
で、音というのは言霊にも通じるわけです。声を発すると空気が波長になってね、空気の波になって聞こえる、鼓膜を振動させて聞こえるわけです。そういうのが音波。そこには霊が乗るんですね。言霊(ことたま)というのは言霊(げんれい)、言葉に霊が乗るわけですね。乗りやすいんですね、電気信号とか乗りやすい。だから、ビリビリくるというのも関係してるかなと、御教えには書かれてないけど。浄霊を受けるとビリビリしますよとかありませんか?

参加者
浄霊させていただく人もね。

三救責任者
させていただく人もね。
家でも御神書なんか、ピシっとかって。よく先生と話してると、祭典とかあったりすると、その神霊が知らせてくれてるとか、喜んでるとか、そういう話をよくしていましたね。
そういうのは、音で知らせてるのね。
目に見えるというのは光ですよね。太陽の光とか、光がなければ見えない、形というのはね。そういうのに霊が乗りやすいのではないかということを言いたかった。
755行のところ、「人間は霊が主で体が従ですと。霊主体従、霊主物従、これが森羅万象の原則ですと。故に病気というものは霊が主ですと。薬を服むと薬の霊が霊体のほうへ溜まる。霊の毒をとれば体の毒がとれる。霊の曇りがとれると体の毒もとれる。霊の曇りがとれると体の膿は死んでしまう、すると痛みはなくなる。」
薬の霊にも霊と体があって・・あるんですねぇ、ここに書かれてあるね。霊と体があるんですね。で、その薬の霊が体の方へ溜まるんですよと。ということが書かれています。
その次のところ、病気の楽屋、薬の話を主とした説き方が表の話であって、楽家というのは裏の話、「病気の楽屋を話す」って760行のところに出てます。
「いっさいのものは霊と体で成り立っている。霊と体というと、例えば人間は肉体のほかに霊体あり、霊が抜けると死ぬ。霊が入ってるから生きてる。万物はすべて霊と体で成り立ってる。いっさいのものは霊あり、物体でも霊が抜ければ崩れる」ということが云々書かれていて、772行のところで、昼間になったからこの浄霊の治療ができるんですよと。以前、太古の昔にもあったというのは、国常立尊様の昼間の時代ですね、きっと。浄霊、昔もあったという話があったりしますけども。だから、メシヤ様は国常立尊でもあったので、その時代にも浄霊って、ちょっと形は違うかもしれませんけどね。
昼間になったから出来る、神の指名により、これは、主神様の指名によって、私(メシヤ様)がやっているんだという事が書かれています。ここ大事ですね。で、霊界と物質界との関係が判ればいいんだと。
だから押して力を入れる必要はない。奥のほうへ霊を入れるほうが光が出るんですよという事です。
そこで、『入門と奥座敷』の方にも掲載されておりますけども、浄霊法が変わり、手の力を抜いて取り次ぐんだという事、離してやりなさい、力を入れるなということがここに書かれています。今まで霊と体の両方が加味されていた。霊を入れるんであって、一生懸命になるんじゃなくて、力を抜きなさいっていうことが書いてあるわけです。絶対体的力を抜き、霊のみを放射するんですよと。だから、こういう『入門と奥座敷』をしっかり読まれてない人が、今までのやり方を引きずってきて、〇〇っていう事をやられるわけですけども、そうじゃないんですよという、浄霊法って。

参加者
私達は〇〇ってね・・・

三救責任者
ここは知らないよね。

参加者
先生が最後の方に〇〇して頂いたって書いてあったので。

三救責任者
あれは、そういう風に浄霊を受けたので全部を否定してはいけないという配慮だとは思うんですけども、その配慮が、読み方によっては、間違える人が出てくるんだよと。これからは〇〇の浄霊だ、〇〇浄霊だとか言って、それを推進していくべきだと思うと言って、平気にそういう事を言うっていう人は今までの流れを完全に無視して。あそこに書かれてあったのは、メシヤ教に来る人というのは色んな自分達の集団の癖を引き継いできているので、それを頭から否定してはいけないよと、ちゃんと書かれています。ちゃんと書いたうえで、言われた。
きちんと言われてるのは、色んな癖を持って来てるので、頭から否定してしまったらそこから話は進まないので、きちんと、ある程度受け入れつつ正していく、それを修正してあげる、癖を修正してあげるという事をしなければいけませんよという話ですから。〇〇の浄霊が先生が本当にいいと思ってるなら、ここに書きますよ。これは一般の人に分かりやすいように、色んなやり方があるけども、これだって言ってやったわけですから。結果的には先生が伝えたかったのは、この『入門と奥座敷』の浄霊であるということを、最後ですし、これがね。

827行のところに、「出来るだけ御神書を拝読してください」と。

今までの話をまとめてみるとですね、
霊と体は根幹となる御教えです。万有の法則、森羅万象の原則である霊主体従、霊体一致の法則によって浄霊をお取次ぎさせていただくことにより奇跡という恩恵にあずかることができるからです。病貧層の一番根本の病について、浄霊で病が治る意味を根本的徹底的に知らねばならないと、この『霊と体』に関する御教えを研鑽させていただき改めて突っ込んで学ぶことができました。メシヤ様は学んでいながら迷ったり判らなかったりするのは根本的な認識ができていないからだと御教えくださっております。迷ったり判らなかったりしたら繰り返し繰り返し学ばせていただければ良いのです。そして学んだなら人に伝えていきましょう。浄霊をさせていただきましょう。「浄霊とは何ですか?」と聞かれたら・・これちょっと僕の書き方ですけど・・「霊の曇りを止める手段なのです。病気というのは外部に現れた症状であって病原は内部の曇りなのです。その曇りを解消する手段が、浄霊なんですよ。だから浄霊すれば治っていくのです。」と、今回学んだことをもとにお話できるではありませんか。昼間になった、夜昼転換の時期になったから火素が多くなり病気が治り良いのだと学びました。治りが良くないとか奇跡が出ないとかいうのも、先ほどの迷ったり判らなかったりする根本的な認識ができていないとメシヤ様がご指摘くださっている通りなのだと思います。主神様の指名によってメシヤ様が機関となって地球を救う、人類を救う機関となってこの大業を推進なされているのです。体があると邪魔だからということ言われましたね。体があると邪魔だからというのは、世界人類を救うには体があると邪魔。目の前の人を救ったり、メシヤ教に寄って来る人を救うには全然ですけども、世界人類となった時には人間の体を持ってたんでは地球大にまで光がいかないのでっていうことだと思います。
世界人類を救うために神界から地球全体を包む大いなる光を無限に授けてくださっているのです。あとは私達がそのことを認識してメシヤ様と共同作業ができるか否かなのです。『霊と体』を学ぶことは、メシヤ様の御神格を認識させて頂き、大いなる恩恵にあずかる大いなる恵みであると言えるのではないでしょうか。私達はこのメシヤ様の御神格を伝えていく、話していく、霊と体の根本的治療である浄霊を実践し、奇蹟を賜って、確かに霊はあると、霊主体従が世の中の根本原理だと、宗教をするのが人間であり、このことを伝えていくのがメシヤ様の機関としての働きと、しっかり認識させて頂いてこれからの御神業にで取り組んで参りたいと思います。皆様どうぞ宜しくお願い致します。

今回の話というのは、非常に布教していくうえで重要な御教えですし、浄霊の根本の事が書かれていますし。
この絵もブログに載せてあります。

質問があれば・・。
では、終わらせて頂きます。

司会
以上をもちまして月次祭を終わらせて頂きます。

参加者一同
ありがとうございました。