2009年1月新しい年を迎えて御神業に向かう姿勢を明確にする

新しい年を迎えて御神業に向かう姿勢を明確にする

<体験記>
三重支部 濵口博幸
 今年の新年は、大海原を覆った雲を突き破り太陽の光が光柱となって天に届くという、何とも荘厳な太平洋に昇る初日の出を拝することができました。
 これから始まる今年の御神業に気持ちを新たに取り組まなければならない、と身の引き締まる思いがいたしました。「メシヤ講座・三重」のトップページに掲載させていただいたのがその初日の出でございます。
 さて、年明け早々現世界救世(きゅうせい)教の動きを耳にし、その内容に驚きを隠せませんでした。そして、自分が今まで研鑽してきた内容を振り返り御神業に臨む姿勢を整理をすべき必要があると感じました。
 私は、以前の教団に在籍していたころより、何事もメシヤ様の御教えを元に解釈していかねばならないと思っていました。それは縁あって、御教えに造詣が深い先達の元で学ばせていただけたことが深く影響しております。
 重要な学びを改めて振り返ってみますと、
○御教えは神様のお言葉である。したがってメシヤ様のお言葉を信仰の規準とすべきこと。
○御教えの研鑽によって私たちすべての信仰の統一が保たれること。
○メシヤ様は主神様(天地創造の神様)の代行者であられ神様として最高の位をお持ちになられていること。
○メシヤ様のことが分かれば力をいただけること。
○浄霊は魂を浄めて命を助け救いへの入り口となること。
○メシヤ様は神様であったが人性もお持ちであられたこと。
などがあげられます。
 私が研鑽させていただいた内容を土台にし当時のグループの人たちと「御教え勉強会」を平成十四年から十五年にかけて毎月行いました。勉強会をする中で感じたことは、皆が「浄霊の急所」について貪欲に知識を求めておられること、「癒しの浄霊」を求めておられるということでした。
 この頃の勉強会を顧みますと、当時はせっかく御教えを学んでもなかなか「真理を生活に取り入れて実践する。」という具体的な方策を示せず、御教えの研鑽に偏りすぎてしまい、現実に世の中に起こっている出来事、身の回りの問題を疎かにしていたのではないか?と反省しております。
 楳木先生より、「御教え拝読は、真理を学ぶ、ということであるが、最大の願いは学んだ真理を生活に取り入れて実践し、幸福になっていく、ということである。何故なら『生きている人間を幸せにしなければ何にもならない』とメシヤ様は断言されているからである。『信仰即生活』という観点から御教えというものを拝読する場合、その内容を全て自分に置き換えてゆく、ということがもっとも大切な作業である。」【メシヤ講座より抜粋】と教わりました。メシヤ講座ではその具体的作業を皆で学びあえるのです。これこそ私たちが求めていたことではないでしょうか。
慰霊(祖霊祭祀)について
 私がメシヤ講座で学んで最初に取り組んだのが仏壇とお位牌を整えることでした。
 当時我が家には仏壇はなく、「みたまや様」をお祀りしていました。「みたまや様」には御霊璽(ごれいじ=仏教でいうお位牌)がありますが、そこには「○○家遠津(とおつ)御祖(みおや)神」「○○家代々(よよの)祖(おや)等(たち)神霊(のみたま)」「○○家親族(うから)家族(やから)神霊(のみたま)」と記されています。
 平成十二年に父が亡くなっており「みたまや様にお祀りいたしましたが、御教えでは『面識のない先祖は先祖代々之霊の中へ入れていい。面識のある人のは位牌を作って祀る。』とあります。すると父の霊はかかる御霊璽がないわけです。「○○家親族(うから)家族(やから)神霊(のみたま)」の御霊璽にかかれるのです、とは聞いてはいましたが、気になっておりましたので、楳木先生に御伺いしたところ、「みたまや様でお祀りするなら、お父様の御霊璽を拵えた方が良いですよ。」とお教え下さいました。しかしそのようにさせていただくにはあまりにも「みたまや様」の御霊舎は小さいのです。
 楳木先生にご指導いただいた慰霊についての内容は、要旨は同じですのでメシヤ講座より紹介いたしますと、『絶対的救済力の言霊である善言讃詞を、神様から力をいただいて奏上する祭事が家庭慰霊祭です。真心を込めることを表現する一つに、自分達でお供え物を準備するということがあります。準備に誠を込めれば込めるほど時間がかかります。面倒臭がる人がいる中で、滞りなくできるようにお世話することは大変な手間がかかります。「祭祀料を納めれば本部で慰霊祭をしてくれる」というお世話は楽です。私は「救霊」を心掛けていくことが宗教の使命の一つだと思います。それから「慰霊祭」というのも人任せにせぬ方が良いですね。それぞれの宗教で、慰霊祭の斎行方法を知り得たならば、自分の霊性を高めつつ真心を込めて自分で取り組んでいくことも大切です。』ということです。
 私たちは、かつて本部へ私たち夫婦それぞれの御先祖の「慰霊祭」を毎月、七、八年近くお願いしておりました。そして、家庭でも毎月家庭慰霊祭を執り行っていました。「御先祖様は自分の子孫が心を込めて慰霊を行うのを一番喜ばれる。」というお話から、自分達で真心をこめて慰霊祭を行えば毎月本部へお願いしなくても良かったのだと思いました。
 そして、面識のある御先祖様をお祀りし慰霊を行うため、またメシヤ様に御縁のなかった古い御先祖様も迷わないように先祖代々の宗派と戒名を調べ仏壇とお位牌を整えさせていただきました。
 また、毎朝夕拝に参拝される喜多さんは、仏法に興味を持ち勉強された方で、仏壇を拵えたいが前の教団の時は「みたまや様」であり、御神体を奉斎していないと御祀りできなかったので悩んでおられたそうです。そのような時に我家の仏壇を見てすぐに決心され、仏壇とお位牌を整えられました。更に、もうお一方(ひとかた)もお位牌を整えられました。「信仰の共時性」と楳木先生より教えていただきましたが、自分が先に経験し学んだことを「この人にこのことをお伝えできるようにとのメシヤ様のお計らいだったのだ。」と思わせていただきました。
言葉を練る
 今までも「言霊」については御教えを学んで来ました。たとえば、『よく病気の苦痛はもちろん、諸々の苦痛に対して、祝詞または善言讃詞によって、偉効を奏することがある。これこそ言霊(ことたま)の偉力であって、善言讃詞を奏上するや、その周囲の霊界は大いに浄まるのである。特に今一つの重要事がある。それは言霊を発する人間の霊の清濁が大いに関係がある。すなわち、魂の清い者程、言霊の偉力は発揮されるのである。したがって、信者は常に魂を磨き、言霊を練り、上魂の人間たることを心掛けねばならぬ。「言霊の偉力」(昭和二十五年)』の御教えで、私は「善言讃詞」の言霊(ことたま)の偉力ばかり意識しておりましたが、メシヤ講座では、私たちが日常使う言葉についても言霊を練って話をすることに心がけること。
 また、「主之大御神守り給へ、幸倍賜へ」と唱えていくと、霊界が整えられていくこと。「メシヤ様」と正しい御神格でおよび申し上げることでお力がいただけること。練り上げられた言霊が天津祝詞であり善言讃詞であること。言霊を大切にし家庭の霊層界を整えていくこと。などをご教導いただきました。
万教帰一
 世界救世(メシヤ)教の誕生について『開教の辞(昭和二十四年二月四日)』で、メシヤ様より『地上天国こそ最後の目標であり、大規模な世界的破壊と創造に際し一人でも多く滅ぶるものをお救いになられるために神様の代行者として救世の大業を行われるのがメシヤ様でありその使命達成の機関が本教である。そして、どうしても全人類を救わねばならず、その救いは世界的に拡充する必要がある。したがって救いの力も決定的でなければならない。・・』(要旨)と御教え賜りました。
 どうしても全人類を救わねばならず、その使命達成の機関として行動するのがメシヤ様を仰ぐ教団なのですから、心あるすべての人たちが、今この激動の時期に際し、一部の幹部の人の意見を鵜呑みにすることなく、自分達で情報を収集し何よりもメシヤ様の御教えを信仰の規準として万教帰一とは何かを一人ひとりが考え行動することを切に願います。
 今まで学びを重ねてきて私なりに考えてみますと、『表現し奉る言辞もなく、文字もなく、ただ無限絶対の力徳の中心であり、一切の根源であると申すよりほかはないのである。(昭和二四年一月二十五日)【宗教と科学】』と、メシヤ様は主神様をすべての存在の根元とおっしゃっておられます。
 そして、この原稿を草稿している際に改めて拝読した御教えに大変感銘を受けました。「地上天国祭」の始まりともなった箱根神仙郷の雛型完成の際に、メシヤ様は次のように御講話されているのです。
 『見らるる通り地上天国の、大体箱根の模型はできたわけなんです。特にあの通り美術館も思い通りできたので、私は非常に満足しているわけです。大体メシヤ教というものは、地上天国を造るという意味で、最初の―つまり地上天国の模型を造るんです。で、世界の経綸は、すなわち神様の御経綸というものはおもしろいもので、ちょうど果物の種のようなものでして、まあ梅なり桃なりが、実そのものは世界なんですが、種がつまり中心になるわけです。中心ということは、今はっきり言うことはできませんが、種の中心にまた種の元があるんです。そういう具合でして、そうして世界をいろいろするには、一番小さい種が変わるんです。そうすると、ちょうど池に石をほおり込んだようなもので波紋を起します。そういうようなもので、世界を天国にするには、ごく中心の中心の小さい―そこをいろいろに変えるんです。いろいろ変えるというのは、天国を造るんです。で、天国を造るその本尊様がつまり私なんです。ですから私というものは、世界のごく中心なんです。その中心というものはポチ(ヽ)なんです。で、丸(○)にチョン(ヽ)ですね。これが宇宙の形なんです。丸(○)が宇宙でして、チョン(ヽ)が肝腎なのであります。それが私の救いの仕事になるわけなんです。それは非常に神秘ですから、精しく話するとおもしろいんですが、まだ時期がそこまで行っていませんから、時期を待っているのです。なかなか、神様のことは深いんです。そこで地上天国を造るということは、それがちょうど石を投げて波紋を起すように、だんだん広がって行って世界が天国になるということになるんです。ですから、小さくても―単にこれだけのものでいても、これが非常に大きな意味になるんです。(以下略)』(昭和二十七年六月十六日)【神仙郷完成兼美術館開館記念祝賀式典御講話『御教え集』11号・昭和27(1952)年7月15日発行】
 昭和27年というご晩年のそれも神仙郷完成の時の御講話だけにより深く受け止めさせていただきたいと思います。天国を造る本尊様がメシヤ様で、○が宇宙でチョン(ヽ)がメシヤ様の救いの仕事である・・・極小さな教団メシヤ教がメシヤ様の救いの仕事を進めている。いずれ世界大の大きな波紋となっていくのでは・・やはり素晴らしい御神体を私たちはいただくことを許されたのであると思います。
 また、メシヤ講座で紹介のあった岸本英夫著「宗教学」には、一神教の神観について「神は宇宙の一切を無から創り出した創造者である。(略)神は人間が直接には見ることも触れることもできない超絶対的存在である。神は時間を超え空間を超えた超絶者である。」と書かれていますので、神観には共通するものがあります。
 「メシヤ様御降臨祭」で楳木先生より「施徳の最高位に浄霊を捉えていくならば万教帰一の在り方が見えてくる。浄霊があってこそ、それは実現するものである。浄霊の概念の広がりを意識しましょう。」と学ばせていただきました。
 浄霊を特定の教団の宗教行為に留めることなく、あらゆる人々がそれぞれの宗教、それぞれの生活の場で施徳の最高位と受け止め実践する。そして、一切の根源の主神様に心を一つにして真向かう姿勢ができた時に万教帰一が実現するのではないかと思わせていただきました。
 それでは、具体的にはと申しますと、私たち一人ひとりが、メシヤ様のご精神を学びお伝えしていく。御縁をいただいた方が「メシヤ様とより太く繋がらせていただけるように精一杯お世話させていただく」こと以外ないと思います。
 今年は新たな取り組みとして「ミニ・メシヤ講座」を出来る限り開催したいと思っております。これは御教えを学んでいただく機会を少しでも増やしたい、「メシヤ講座・三重」の学びを再確認し、また疑問点を洗い出す場を設けたい、との思いからです。
 幸いなことに昨年十月十日に開設したホームページ「メシヤ講座・三重」には、毎月の三重での学びをアップさせて頂くことができております。ネットを通じてたくさんの方々と学びを共有することができれば、嬉しく思います。
 これも、私に与えられた使命と自覚し今後も発信し続けたいと思いますので、皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。