令和5年12月1日

覚りの旅  令和5年12月 月次祭を終えて

本日の御教えは『伊都能売神』です。拝読をお願い致します。

 参加者 『文明の創造 伊都能売神』 拝読

 三救責任者

今月の御教えは『伊都能売神』です。

平成27年2月にメシヤ講座で学ばせて頂きました。どんな学びだったのか、振り返ってみます。 

〇仏教がインド発祥なのになぜ日本人にここまで取り入れられていったのか。

日本の神様の教えがお釈迦様に伝わって、そして仏教ができた。元々は日本の神様の教えなので、日本人が容易に受け入れることができたということが分かるのではないか。では、この日本の神様とは?

参加者 伊都能売神様

三救責任者 伊都能売神様ですね。

 〇三千年来の罪穢れの本質は何か?

徳によって治めていた日本の統治者が素戔嗚尊に変わる時に、素戔嗚尊は武力によって押し寄せてきます。日本人はそれを受け入れてしまったということが三千年来の罪穢れのスタートです。

伊都能売神皇様は受け入れなかったのです。

 

〇 紀元節の紀元とは何か。

素戔嗚尊が日本を統治するも、酒色によって治世が乱れた。そのすきをついて、瓊瓊杵尊の孫に当たる後に神武天皇になられた方が遠征に出て(神武東征)統一、即位したのが紀元節の紀元です。

一説に、この神武東征は宮崎の海岸から出発しております。

そして、北九州→山口→広島→岡山→大阪→三重から太陽を背にして西へ向かって成功します。

以前宮崎に行った時に、この東征の日が10月26日だと宮崎神宮の由緒の立て札にありました。毎年例祭を執り行っておられます。以前にもお話をさせて頂きましたが、この東征ルート上にメシヤ教の支部、布教拠点があったことと、12月26日は岩戸観音堂で毎年大祭を執り行っておられた日と同じですので、深い御神意を感じた次第です。

高千穂から日向の海岸を出たのが10月26日と言われています。それで宇佐へ行っています。宇佐というのは先生が若い頃、国東半島をまわって、・・五輪塔からあいうえお(五輪塔とホツマの考え方)、伊都能売神皇との関わり合いを感じとったということがメシヤ講座に出ています。

神武天皇は稲作、治水工事、製鉄技術を教えたとする学説があります。

東征の時、米の作り方、かんがい工事・治水工事、製鉄技術その3つの技術を教えた。かんがい工事というのは、農業のために河川、湖などから水を引いてくる工事ですね。治水工事というのは、洪水から人や家、畑を守る工事。

伊都能売神皇の時代というのは縄文時代だと思われますね。それが神武東征によって弥生時代へと変っていく。稲作をしてお米を食べるようになった。神武天皇の祖父、瓊瓊杵尊が中国から持ち込んだお米を広めていった。300年余り高千穂に潜んでいて東征したという事ですね。

3つの技術によって物質面が豊かになっていく。だから、日本人は受け入れていった。

東征というのは武力で従えていくので、元々の土着の神や人と戦うのですね。国津神が元々居られたわけです。

御神縁、土地の縁、私達の三千年前の祖先の縁が絡み合って現在にも影響しているのではないかと考えられるかと思います。

そういう因縁、良い因縁は受け止めて、悪縁は解消しつつ、3つの技術を受け入れたように、良いものは取り入れ、融合されようとなさっていたのではないかと慮ります。

神武東征の出発と、メシヤ教の布教拠点、10月26日の祭典日からそのように考えた次第です。

 

メシヤ講座の話に戻ります。

〇 日本には昔から文字があった。

ホツマ文字。

「安」という字は「あ」を、以上の「以」から「い」、「う」は宇佐神宮の「宇」、「え」は「衣」、「お」は「於」からです。

元々文字があったからこそ漢字が来て当てはめた。漢字があってではなくて、漢字が来た時に元々あった文字を当てはめていったという事が言えます。

漢字を当て嵌める元々の文字がなければ平仮名は作れないですよね。

昔から五十音に相当する文字が日本にはあったのです。

○にゝ(チョン)、これはホツマの文字で言う「ア」にあたるわけです。

ここで先程の国東半島の五輪塔が出てきます。

空・風・火・水・地、

読み方としては 「ウツホ」 ・ 「カセ」 ・ 「ホ」 ・ 「ミツ」 ・ 「ハニ」、

形としては 空が宝珠 ・ 風が半月 ・ 火が三角 ・ 水が円 ・ 地が方形、

これが五輪塔ですね。(五輪塔という考え方と、ホツマの考え方をその時にくっつけて整理されたんですね。)

 

空 「ウツホ」 ― 気体、大空のように目に見えないもの、始まっていないこと

風 「カセ」 ― 温度の低いエネルギーが生み出されていること、風のように太陽の熱で空気が動くこと、始まったこと

火 「ホ」 ― 熱いエネルギー、炎のようにエネルギーが生み出されていること、動いていること

水 「ミツ」 ― 液体、水のように様々に変化すること、影響を及ぼすこと、変化したこと

地 「ハニ」 ― 固体、大地のように安定した状態になったこと、成熟したこと

五輪塔、お墓とかにありますよね。

仏教の教えも元は日本の言葉の構成とかを伊都能売神皇様がお釈迦様に教えられた内容だったと拝察されます。だから日本に入ってきても精神が日本の内容だったのでスーっと受け入れることが出来たのでしょう。

ホームページからですけども、日本で最初に考案された五輪塔の墓は空海のアイデアであって、密教の五大体を表すもの。宇宙の根本を象徴していると言われています。

この五輪塔の話もメシヤ講座三重の中でも、浜松の中でも出てきております。

 

〇 仏壇の御位牌は仏教ではなく儒教。

仏教を受け入れる時に、インドから中国を通って入ってきていますので、儒教を拾って来ています。

(仏教に含んで儒教の考え方も入ってきていると。)

御位牌は仏教ではなく儒教なのです。黒塗りに金泥(きんでい)、これが儒教の形式なのです。元は日本は神道で、木札に黒い墨で文字を書いた位牌だったわけです。木札よりも御位牌の方が豪華に見えますので御先祖を祀るのには良いということで日本人がスーっと受け入れたわけです。

本日の伊都能売の神様の御論文を読みますとインドで生まれた仏教がどうして日本に定着したのかということが良くわかるのではないかと思います。

 

〇 道法禮節

伊都能売神皇様のお話の中から『宗教改革』をしていく時に、この内容が分かれば仏教のことが理解できる。そして御釈迦様に教えた内容は、日本が元々積み上げてきた教えを御釈迦様に教えたのではないかと。

これは、『観音講座 第二講座』 内 『道法禮節』 (昭和十年七月二十五日より)の御教えですけども、
これが日本の伊都能売神様が御釈迦様に教えた基礎だと思われます。

そういう風に教えたという御教え自体は無いんですよ。メシヤ講座で先生はそういう風に推察されてお話下さっておりますという事です。

この『道法節』ということも、平成27年1月のメシヤ講座でも学んでおります。

 

伊都能売神皇様の教えの中心は〝絶対平和主義″なのです。〝和を以て貴しとなす″と聖徳太子が説いた基となる教えです。

和の大きいものとして〝調和″ということがあります。そして、その上には『順序礼節』ということがあります。観音講座に『道法礼節』が出てまいります。これをインドの人に解るように教えられたのではないかと思われますと。

 

『道法礼節』の、

『道(どう)』は道(みち)です。全てのところに道はあるので、道に沿った生活、或いは対処の仕方をしましょう。

 『法』というのは水が去ると書きますので、炎ということになります。炎というのは触れると熱いので〝触れてはいけない定めがこの世の中にはある″ということなのです。そういうことを理解して弁(わきまえ)えて曲げてはいけないことがこの世の中にはあるのだと。それが現代では法律だということです。ですから〝法律は違反してはいけない″ということになっていくのです。

 『礼』ですが旧字で行きますと『禮』。豊かさを示すと書きます。本当の豊かさというのは礼を重んじることなのです。物が豊かなのではなく心に礼節を守る、礼を尽くしていくことが豊かさの中にはあるのです。

まず最初にここに入ってきた時に「お早うございます」と挨拶、神様にまずはご挨拶をして、○○家の御先祖様にご挨拶して、そして皆様にご挨拶します。

こういう礼を尽くしていく、それから感謝でいえば何かしていただいたら「ありがとうございます」と必ず口にしていくとか、そういうことが具体的な話になってくると思います。

 

『節』は読んで字のごとく節目節目を大事にしていかなければいけない。生活上でもそうですし、〝竹″というのは〝節目があるから強いのだ″と〝強くなっていくためには節が必要なんだ″ということを含めて『節』をお説きになられております。

そうした教えを中心にして長い間通ってくる悉達(しった)太子に伊都売神皇様が〝日本ではこういうことを中心にして生活を営んできたのだ″とか言うような話をされたのではないかと思います。

 

「道法禮節は苦集滅道と合わせて使われることが多いと思いますが、婆羅門の難行苦行を諌めているのではないでしょうか。」と、私が先生に質問したのですが、

 

「ですから〝インドではこのようにしているのですが・・″と言った時に〝そういう難行苦行はやめて・・″というようにお説きになられたのではないかなと思います。

インドの人たちを日本の神様がそうしてお救いになった・・それがお経になっているわけですので、日本に入ってきた時にはスーっと受け入れることができたわけです。

インドにはお供の二十八部衆と御苦労なされてたどり着かれたのではないかなと思います。時々三十三間堂へお参りに行って二十八部衆に尋ねてみてはどうですか。その後ろには左甚五郎が彫った大黒様がお祀りされていますので、大黒様にも御守護お願いができますね。

三十三間堂に行ったらそれぞれの仏像に謂れがあるから、自分に一番近いのを見つけて力をいただきながら御神業に臨むという方法もありますね。

我々もそれぞれの役割を担っているのです。二十八部衆もそれぞれの役割を担って伊都能売神皇様についていかれた訳ですからね。私も30代の頃はそういうところへ行って考えながら仏像を見ていました。

 

結跏趺坐(けっかふざ)というのは、

「結」とは趺(あし)を交差すること。

「跏」とは反対の足の太ももの上に乗せること。

「趺」とは足の甲のこと。

「坐」は座ること。

目は鼻の先を見る。半眼と言います。

習い事というのは道のついたものを学ばれるといいですよと。

 

『メシヤ講座三重 (地の巻)』 73頁に 「苦集滅道 道法禮節 (昭和26年5月2日)」 が書いてありますので、またお読みいただけたらと思います。

 

三救LINEにN先生の講義内容を先般お送りしております。
実は、神界・霊界よりのメッセージに対しての受け取り方、受け止め方を誤りますと、頭・脳・魂を何者かに支配されてしまう恐れがあると思います。(中略)

私達はどんなメッセージがあろうとも全て御教えに求めれば良いのです。御教えの生活全般へのおろし方をメシヤ講座で学ばせて頂いているのです。

何事もバランスが大切です。霊的なことばかりに片寄りすぎてはいけないのです。

私の考察にはU先生と出会う前のN先生の御教導も深く関わっています。N先生のこうしたご講話等の話はU先生と話す機会はありませんでした。

それ故に、御神体に関してはN先生の講義・教えとの違いをどのように融合論立てすべきか、ずいぶん悩んだものです。

機会があれば『覚りの旅』でお話させて頂きます。組織は変革しようとも、教えは不変です。
御教えに求めて研鑽を続けて参りましょう。

 それから、浜松神界通信につきましては御神縁・因縁・地縁を大切にしたいとの想いでしばしば取り上げております。内容を見て頂ければお分かり頂けると思いますが、“教え”としては御教えに明かされているのです。

今でこそ、全集を手にとって読む・学ぶことが出来ます。

昭和60年(浜松神界通信の背景を考えると)の宗教体制下では95%の御教えが読めなかったのです。

それ故に、メシヤ様は○○を霊的聖地とし、御教えを手にとることが出来ない人達に、少しでも教えをと思われたと拝察申し上げます。

体的、本として読めないからこそ、霊的学び(慰霊を中心としての)を重要視しての教えとなっていたのだと思います。

そういう背景を踏まえての浜松神界通信であって欲しいと私は思っております。

 

それから、これは先生が居られる頃の体験発表です。

「阿弥陀様が観音様に変わった。」

これを改めて読ませて頂きますと、「大光明の御神体の“大”の字がよく光る」と最初ありましたね。

“大”というのは一人と書きますね。“大”とは一人と書くのであって、主神様御一方が主宰され給う意味であると。これは、『文明の創造 仏滅と五六七の世』、10月に学ばせて頂きました。

それから、中央の「阿弥陀様が観音様に変わる」とありましたね。

その時の話の中で、メシヤ講座では、

「それは、Sさんに教えるために、お母さんに見えたのです。仏壇とかそういうものが変わったのではなくて、この御用をするという事自体が「阿弥陀様が観音様に変わる」位の、これが根底から変わるということです。メシヤ様が御在世当時、いろんな所に行かれた時に、阿弥陀様が「これからインドに帰りますので・・・」と言って帰られた、という御事蹟があるでしょ?

それと全く同じことが我が家で行われたという事。“その御用に携わるということはそういう事なのだ”という風に受け止めて頂きたいと思います。」と。

その後、霊壇用御神体を御奉斎されたわけですね。

仏滅の事について、お母様を通じてS家には絶えず知らせて来られた。ここで御用に携わることの尊さも教えて下さっているわけですから、頭であれこれ考えなくて、素直に受けとめさせて頂くのが良いのではないかと思います。

 

「これからインドへ帰りますので・・」というのは、メシヤ様が善光寺に行かれた時の話です。

この体験はLINEで送らせて頂きましたが、共振と言いますか、浜松の信者さんの娘さんが、霊感の強い方なんですが、善光寺へ先月参拝されると聞いた後に、この話が出てきて、びっくりしました。

 

先程出てきた話ですね、「これからインドに帰りますので・・・」、仏滅という事ですよね。西方浄土という事で、阿弥陀様は西の方・・お釈迦様は現界を救う、阿弥陀様は霊界を救う、ということで西の方。

お釈迦様というのは東洋であって、報身弥勒。阿弥陀様は西洋、月であって法身弥勒。観音様は応身弥勒。これを三尊の弥陀と言うんですね。報身、法身、応身で弥勒三身でもあるわけですね。キリスト教でも三位一体と言いますね。

三尊の弥陀ということで、「観世音菩薩即大弥勒神の御活動で被在(あら)せらるるのである。」ということが、昭和初期の御教えにあります。だから、この大弥勒神という時には阿弥陀様・お釈迦様・観音様、三尊ですね。その御活動と言われていますので、そういう三尊の一体的な働きの事を言われているのではないかと思いました。

御教えの、私なりの解釈を言っています。

それで、キリスト、空海、日蓮、釈迦の時代というのは、交通、印刷、無線、文化施設がありませんでしたね。一生を通じてようやく一区域、一地方の教化をされたんだと。だから、想い半ばでなかったのかと。仏教、キリスト教も2000年以上費やしているわけです。主神様は時代相応の聖者をその地域に出現させてきた。現代に至っては全て世界的で聖者の予言が敵中する時であると。

来るべくして来る。現るべくして現る。それが、万教帰一。

神様方が働かれていくので、仏から神様になって働かれていくので、万教帰一となっていくということが、この御教えで分かりますね。

 

ここで帰一という事が出てきますので、帰一について、

「主神の御目的と天地経綸の真相」 ということで、観音講座 第一講座 に

「帰一、一とは元の神様、即ち主神の事である。それに帰する、主神に帰することであります。」

とあります。

主神様の仕事、お働きを地球でなされておられるメシヤ様の元で、その地上天国建設の御用にお使いいただく事が全ての神様、八百万神様、人間の使命であると拝察いたします。

神様をお迎えするには、御神前を整える。神様は居場所は御自分で選ばれるとメシヤ講座で学びました。

この御神体ですね、教義に基づいて主神様の御神名を奉唱させていただくには、この〇にゝ(チョン)の御神体で、初めて教義と主宰神が一致したのだと思わせて頂きました。参拝の姿勢、あり方、想念を整えるために御苦心されてたどり着かれた結果であると思うのです。整えることなくして安易に御神名奉唱は許されないのだろうと思わせて頂けます。

例えば、岩戸観音堂では、ずっと「伊都能売大御神様」と参拝を続けられ、メシヤ様御直筆の御揮毫の観音像、さらには「日之出観音」との立て札、「日之出観音」は後に「メシヤ観音」と呼ばれるようになりますね。

国常立尊様の御鎮まりの芦別岳と一体と、幾重にも主神様の御神名の奉唱を許される想念、姿勢、形態が整っていたと言えます。

メシヤ講座を学び続けて来られた皆さまであるからこそ許されるわけです。

もう一つ、座行観音様について、私事になりますけども、最初の世界○○教時代、当時御神体も御光も御下付されない時代でありました。信仰していく上において、御神体が許されないのはおかしいと反発し、『○○○○○』の御神体を秘かに別の教団に申し込み、しばらくして、申し込んでから御下付されるまでに、当時の所属教団の御神体が変るという発表がありました。だから、寸前のところで正された、救われたと言えます。この頃は自分の思いだけで突き進んでいたのですが、九分九厘までいって神様から止められて軌道修正していただけたと思いました。

それで、小の『五六七大神』様の御神体を、その当時は床の間が階下でしたので、床の間の上を使わないようにして、御奉斎していました。

次に、2階の洋室二間をぶち抜いて和室にして、御神床をこしらえ、大きい方の『五六七大神』様を御奉斎させて頂いた。この時には、御教えを拝読させて頂いて、N先生のところの『御神体』という御教え集がありまして、それを読ませて頂いていて、二身一体形式がメシヤ様の仰っておられた御奉斎形式であると・・二身一体というのは向かって左に御神体、向かって右に御尊影・・私は当時から御教えに基づいて、当時の布教所長に「二身一体との御教えがあるので、そういう形式にしたい」ということで、当時の教団では御神床ではなく横に御尊影を掲げていたわけですけども、私は御神床の中にという事で話をさせて頂いて、了解を得てさせてもらっていました。

そういう風に自分なりに御教えに基づいて整えてきたわけです。

それで、先生と出会って1回目のメシヤ講座の中で仏壇を整えましょうという話をお聞きし、仏壇を整えて、屏風観音様を・・これは先生から言われたわけではないわけです。この頃は先生は霊壇用御神体は無しで良いと、昔はT先生というお坊さんの信者さんの勧めで始まっているんだという事で・・ただ、御下付できないところが多かったんですね、それで、無しでいいんですという事を聞いていたけれども、自分としてはやはり観音様をと、どこのお寺との繋がりも無かったので、こういう形式にさせてもらいました。こういう経緯があります。

それで、2回目のメシヤ講座で階下の御神床に御奉斎させて頂いていた『座行観音様』を先生にお見せしたら御奉斎しようとなって、『五六七大神』様の御神体を御巻き上げさせて頂き、『座行観音様』を御奉斎し、先生先達で参拝させて頂いて、御神名を『主之大御神様』と奉唱されたわけです。

その時に、○にゝ(チョン)が観音様の光背と白毫で浮かび上がるので、御奉唱させて頂いてよいと。

この時に、「奥様の思わぬ行動により、ご主人が決心し、「座御観音様」を奉斎した。これも夫唱婦随だと思いました」と御教導賜っております。

御巻き上げをさせて頂いたという事は、布教所の先生には来ていただけなくなると・・U先生に来ていただいた時から方向性は決まっていたわけです。

だから、『○○○○○』の時には神様から止められましたが、この時は○にゝ(チョン)のこの御神体がかかるという後押しがあって、自然に『座行観音様』に御奉斎となったわけです。それで、御神床を整えるという話ですので、その後、二間床、これは床の間を畳にして三重支部を発足しています。

この時には御神体を真ん中、御尊影を向かって右、向かって左にメシヤ観音様を御奉斎しています。

自分からそのようにお話ししました。この形式で良かったなと思います。

そして、疥癬の大浄化の時に、駐車場の広いところがあったらいいねという話があって、二週間程でとんとん拍子に現在の所が決まっていきます。

ここが一間床だったので仮遷座祭をして、今の形式の二間床にして遷座祭を行って現在に至っております。

こういう風に御神床を整えるという事では、色々自分なりに御教えに求めつつ、先生方に相談しつつ、今に至っているわけです。

主神様の御神名を奉唱するために御神床を整えて、参拝の形式を整えて来られたのが先生ですよということね、そこを頭に置いておいていただければと思ってお話ししました。

 

帰一ということを辞書で調べると、「いくつか違ったものが一つに帰着すること。」

全ての神様が、主神様から命令を受けてやっているわけだけども、全ての神様が主神様ではないですよね。

命令で御用をしている。私達人間もメシヤ様の元で御弟子として御用をさせて頂きたいということですから、それは神様方も同じ事です。

「私は真理を書く」(昭和26年9月25日)、『主神様とメシヤ様』から抜粋しています。

色々の御名はあるが、勿論立派な神仏には違いはない。稲荷や天狗、龍神など、低俗な信仰は別として、其根本に遡(さかのぼ)れば、独一真神即ち主神一柱で在す事は論のない処である。

全ての神々は主神様、メシヤ様の元に集い、地上天国建設のために働かれるのである。
帰一とはメシヤ様を信仰し、御弟子として御用にお使いいただく事だと拝察申し上げます。

 

「浄霊と幸福」(昭和27年3月25日)の中に、

一は主神であるから、主神以外は如何なる神様でも、百八十の中のどれかの段階に居られるのである。

 

世界救世(メシヤ)教奇蹟集「序文」の中で、昭和28年9月10日です、

「宇宙の主宰者たる主神の御目的」という言葉が出てまいります。だから、主神様は宇宙の主宰者なんですね。

 

それから、昭和27年9月27日に、

「私は主神の仕事をさせられている」と。

「いろんな神様が、お祝いお慶びにずいぶん出てきます。天照大御神様もお祝いに来られたのです。天照大御神は日本では最高の神様としてますが、主神ではないのです。つまり太陽神です。宇宙というものは太陽ばかりではない。月もあるし星もあるし地球もありますから、その全体を握っているのが主神なのです。それで、私は主神の仕事をさせられているわけですから、偉い神様も、これからこのメシヤ教のために大いに働くわけです。そんなような意味のことをしきりに言ってます。」

 

天照大御神様はじめ、色んな偉い神様もメシヤ様の元に来られて、働きたいと言っておられるわけです。

「これから本当に現界的に始まっていくのです。」と。

そういう、帰一という事から、今朝、考えていったわけです。

 

参加者

ありがとうございます。

 

三救責任者

少し横道に反れたかもしれませんけども、今の伊都能売神皇様と悉達太子、伊都能売神皇がインドに渡られて教えられたという事から、『善言讃詞』から見ても、最初に出てくるのが「世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ・・」で、観音様中心だという事ですね。それで、最後に今まで入れていなかった「救世主(メシヤ)とならせ」とメシヤ様御自身が入れられたわけですから、途中の応身弥勒の場合は「化し」ですからね。化ける。「応身弥勒と化し」ということの言葉の意味もしっかり考えて、そういう働きも、全てが主神様の命令というか、元で地上天国建設のために働いているんだということで考えていけばいいのではないかと。だから、善言讃詞からいっても「救世主(メシヤ)とならせ」とメシヤ様ですね。私達の信仰の的はメシヤ様であると。主宰神、主之大御神様であると。『世界救世(メシヤ)教教義』が重要になってくるかなと思います。

 

参加者

ありがとうございます。・・勘違い。

 

三救責任者

いやいや、いいんです。そういうので自分も考えるので。

 

参加者

祭典が始まる前に、勘違いしているんじゃないかって仰ってた意味が分かりました。勘違いしてたと思いました。

 

三救責任者

あの時には分からなかった?

 

参加者

あの時には・・。数日前に伺ってから自分なりに考えて分かってきていたつもりでいたんですけど。今のお話しで勘違していたんだなって思いました。ちょっと、恥ずかしいですけど(笑)。

 

三救責任者

同じ事を言われるのでも、違う言葉で言われている時があるので、それは本当はどういうことなのかと、広い視野で見ていかないと、自分の都合のいいとこだけとらえてしまうと、御教えの捉え方が違ってしまうかなという風に思うね。

 

参加者

分からないまま、迷っていて、そのままでした。(笑)

 

三救責任者

メシヤ講座でもそうですけども、人によって違う説き方をすることがあるので、あの時にこう言ったじゃないかと言っても、その状況を絶対考えないと分からないことがあるので、だから、ある事象だけとらえて質問がきて、全体を、言われていないことを知らないので、周りの事を知らずに、言ったことだけで考えて答えているのと、背景を何でこういわれたのかなと考えてからしゃべるのとでは違ってくるので・・そのように思います。

 

参加者

はい、ありがとうございます。

 

三救責任者

何か質問等ございましたら・・。

よろしいですか?

 

参加者

はい。

 

三救責任者

また何かありましたら、電話でもメールでも大丈夫ですので。

では、終わらせて頂きます。

 

司会

以上を持ちまして12月度月次祭並びに一日祭を終わらせて頂きます。

ありがとうございました。

 

参加者一同

ありがとうございました。