2020年11月11日水曜日

覚りの旅 令和2年11月度 を終えて

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令和2年11月
覚りの旅 令和2年11月度 を終えて

三救責任者挨拶
皆様、一日祭ならびに月次祭、誠におめでとうございます。

本日のテーマの一つに「病気とは何ぞや」ということで、メシヤ講座から浄化作用の事を多く取り上げました。平成28年11月メシヤ講座三重で先生より指導を賜った「これが本当の浄化作用」と小見出しの箇所を最初に引用いたします。私の浄化の話です。

これが本当の浄化作用

「これが本当の浄化作用」 ということで、

早くからメシヤ様と御縁を頂いた方々というのは、メシヤ様と御縁を頂いた自分であるからこそ、今、三重支部の支部長代理が報告してくれたように、「責任があるのだ。」という風にお互いに思って大勢の方々に御教えを伝えつつ、浄霊の素晴らしさをお伝えして行っていただきたいと思います。
今日は『天恩地恵』という季刊誌を持ってきましたので見て頂いたと思いますが、あの支部長代理の写真は大変好評で・・・。(笑)去年の10月26日に『伊都能売観音様』が御奉斎されている札幌定山渓温泉・岩戸観音堂の玄関に支部長代理が奥さんと一緒に立っている所をみんな、支部長代理と親しい人たちも素通りして、「おはようございます。」とお堂の中に入ってくる訳です。それはもう、奥さんが恐らく“お舅さんを連れて来たんだろう”と、奥さんは今日“義理のお父さんを連れて来ているんだろうな”と思ってみんな通っていたのですけれど、よくよく見ると支部長代理だった、と。「大体82歳位に見えた。」とみんな言っていましたけれど、それくらい、疥癬の浄化を頂いて、皮が何回剥げ落ちるかという位の浄化を頂いて、奥さんも毎日シーツの洗濯をしないといけないくらい大変だったと思います。
これは正にメシヤ様が御在世中・・・、御神業を許される人たちはその当時の先達は殆んど疥癬をしておりますので、「疥癬の浄化を頂かなければ、本物の布教師ではない。」と言われるくらい、その当時は疥癬をされていた様です。それと同じように支部長代理がその浄化を許された後ですね、ずっと願っていた、“もうちょっと大きい所に支部を移転したい”と思っていたことが実現しました。そして、ここに移って来ると同時に「ミクラタナの神様」の御垂示も始まったので、大きく御神業が進展して参りました。そういう姿を見た時に「これが本当の浄化作用」というのが良く分かるのではないかと思います。
世界救世(メシヤ)教から世界〇〇教になってしまってから・・・
「浄化を頂いたらお赤飯を炊け。」と昔の先生は仰っていたのですけれど、段々と“浄化というものは怖いもの”と受け留められるようになりました。指導者がそういう方向に持っていったのか、或いは組織運営に重きを置いたために成果第一主義になっていった中に専従者が巻き込まれていったため、成果を出すためには浄化というのは脅し文句にして信者さん方をコントロールするように押しやられた為なのか・・・。例えば献金なども、「あなた、そんな程度では浄化してしまうわよ!」とかいうようなことを口にしてしまうことが専従者にも出てしまった訳です。段々と浄化作用というのが有難いものよりも、怖いものとの受け留め方をしてしまうような教団になってしまった所があります。
しかし、本来の浄化作用というのはこのように素晴らしいものだという事に、支部長代理の浄化中と浄化後の写真の変化が教えてくれるのではないかと思うので、少し余分に『天恩地恵』はここに持って来ております。大いに活用して頂ければ有難いと思います。

というお話。覚えてますかね?三重での話です。
平成28年10月の定山渓参拝の時に一番酷い浄化の状態の顔をお見せしたのだと、今ではこんなに良くしていただきました。
ここにも書かれていますように浄化作用を怖いものと受け止めるのではなく、素晴らしいものだと受け止めて頂きたいと改めて紹介いたしました。
それでは、覚りの旅に入らせて頂きます。


デカルトの二元論
『天恩地惠』の1ページの最初には『文明の創造』の『病気とは何ぞや 感冒』に書かれている御教えを受けて、デカルトの二元論で肉体と精神を二つの実体に分けて物質面だけを見て発展させてきたのが現代の医学なのです、と説明しています。
デカルトって習いました?覚えてないよね?
先日、本を整理しておりましたら、「人は死なない」、先生が紹介された本ですけども・・

参加者
先月も紹介されてた本?

三救責任者
そうそう。
矢作直樹「人は死なない」という本で、東京大学大学院医学系研究科の教授であります。この本を紹介して頂きながら最後まで読んでいなかったことに気付きました。
この本にデカルトの二元論のことが書かれていました。
デカルトの二元論というのは現代の自然科学の手法。すなわち、現象をきたす要因を分析的 解析的に抽出し、それを組み合わせることで当該現象を再現するという研究手法はルネ・デカルトやガリレオ・ガリレイによってその有効性が明らかにされた。こうした手法は高次の概念と低次の概念で全体を部分によって説明しようとする試みで還元主義と呼ばれる。

高次の概念を低次の概念で、全体を部分によって説明しようとする試みが二元論ですので、デカルトは高次・神科学 を 低次・現代科学 で説明しようとしているわけです。
なかなかこの本は鋭いことが書かれているのです。
もう少し紹介しますと、理論物理学者のデヴィッドボーム・・この人はアインシュタインがアシスタントとして来て欲しいと求めた人です、と、その同僚で脳科学者のカール・プリグラムは「21世紀には科学と宗教が一つのものとして研究されるであろう」という仮説を提唱しています。
メシヤ様が『宗教と科学の一致』と御教え下さった同時代、その時代に生きた研究者が提唱しているのですから、真理を悟った科学者は確かにいたのです。

そして、生命の誕生と進化の謎を解き明かせるという可能性とともに、すべての存在はつながっているという事実を科学の側から説明できる、と世界賢人会議の「ブタペストクラブ」の代表アーヴィン・ラズロは言っています。
このように、古代ギリシャ哲学や東洋の宗教思想において直感的に理解されていた万物の合一性という概念は20世紀の量子力学発展により、科学的なアプローチがなされるようになってきました。
ここまで科学と宗教が重なって来たのは驚くべきことです。と、この書に書かれています。

『科学と宗教の一致』という御教えに示された真理の概念にまで迫っていた科学者は実際にいたのだということに、改めて驚かされました。


主神様の御意図により御浄化の形が決まるという説

それで、次、1ページの25行目のところです。
主神様の御意図により御浄化の形が決まるという説 ということがありますけども、内容は飛ばしまして、3ページの91行から読みますと

薬毒を出すには大変な手間暇がかかるのです。その手間暇が現代人には耐えられないのです。瞬時に治したいと思うのです。
ですが、考えてみてください。子供が生まれるのには十月十日という手間暇がかかっているのです。そういうことをわからなければいけません。
現代の子どもと昔の子供が違うのは日常的に洟(はな)がでないということです。今の子供は美しすぎて、すぐに切れてしまう子に育つのです。
熱を出してぐずぐすしているのは有難いことだと思えるようになって頂きたいのです。

手間暇が耐えられないんですね、今の人は。ぐずぐずしているのは有難いと、思えるようになって頂きたいということです。(メシヤ講座・三重)

参加者
先日の子供の御浄化の時にここを読み直して「あぁ、これだぁ」と思いました。やっぱり焦ってくるんですよね、学校も休んでるし。でも、「これだ」って思って、子供にもここだけ読んでみてって言ったんです。有難かったです。

三救責任者
先生は子供が生まれるのに十月十日(とつきとおか)かかって生まれてくると、そういうことを考えると10月10日(じゅうがつとおか)という数字とかって、伊都能売観音様とかを認識する上ではですね、ちょうどいいタイミングだったのじゃないかなと。だから、グズグズ、時間かかるでしょというという事です。

参加者
そこへ行くまでにも時間がかかってるからね。

参加者
そうですよねぇ。

三救責任者
まぁ、グッドタイミングと。

夫(奥様)の毒素が集溜する場所を常に意識しておくこと

次に100行のところね。
夫(奥様)の毒素が集溜する場所を常に意識しておくこと ということで、
『そうして毒素は、最初一旦人体の各局部に集溜する。其(その)場合神経を使ふ処程多く集まる、人間が最も神経を使ふ処は、言ふまでもなく、上半身特に頭脳に近い程そうである。』

107行目、神経を使う人は後頭部、積算で前頭部に毒素が溜まる と。
これはだから、私の話ね。積算っていうのは・・予算の仕事をしていて頭を使うからという話を先生にした時に、そういう積算で前頭部に毒素が溜まるんだよと。まぁ、当時、円形脱毛症になったんだよね。僕の話ね。うつ病で厄介な人が居りまして、色々あったんだよと話をする時に、なかなか理屈で対応してもどうにもならない人が居りますので、会社とか世間にはね。そうしたところで頭を使うんだよという話の中で、人それぞれどういう仕事をして、どこを一番使っているかとそういうことを考えて浄霊をしていきましょうと。
目を使うと後頭部に毒素が集溜しやすくなりますよと。

毒素集留個所をリサーチ
体系化


137行目のところには、毒素集留個所をリサーチしましょう ということが書かれていまして、例えばメシヤ講座に出てくる浄霊の急所とかですね、そういうことは、どこに毒素が溜まってどこを御浄霊したらいいかって出てきますので、これはもうメシヤ講座を読んで、気付いたことをですね、自分なりに整理してみてですね、まずは自分で取り組んでみる。で、自分でピックアップしてメシヤ講座のここにこういうことが書かれてますよっていう事をですね、教えて頂ければですね、最終、皆の話を本まとめることは私の方で出来ますので、それが索引を作っていくっていうことであり、後の方で出てきますけども、体系化、御教えの体系化、メシヤ講座の体系化、ということに繋がっていくのかなと思います。
例えば、先達のN先生の『伝導の手引き』の作成について、N先生は目次や索引づくりを非常に重要視されていました。楳木先生の頭の中ではですね、色んなことが整理できていましたので、メシヤ講座で話が出来たんですね。私達はその頭の中の引き出しをいつでも取り出せるようにすること、御教えにおいても全集は年代順に並んでいます。自分達が人に伝えることが出来るように、体系化することが必要なんだと思います。体系化されてないので、自分達が使えるようにするのが体系化。だから、『主神様とメシヤ様』というのは、僕が「主神様」とメ「シヤ様」の御神格ということを求めて、それをピックアップして、そのピックアップした中で最初はこの文字の入ってるところだけの薄い冊子だったけども、全文をということでまとめたら、こういう本になったということですので、これが先生としては「神観」と。当時の先生は、「主神様」と「メシヤ様」、ここの御神格が一番大事でありますので、そこを求めるという事が「神観」ということですね。 「神観を体系化した」 ということです、これは。ここをしっかりと学んでいかないと、主神様に全て帰一していくんだよという事がなかなか分からずに、色んな御神名の話が出てくるとそっちにフラフラ行ってしまうんじゃないかなって思います。
そういう体系化というのは大事なので、今度は浄霊ということで行けばですね、メシヤ講座で現代に降ろした話をして頂いてるので、そこをピックアップして体系化しないといけないよね。ここの時はここだよって。先生は頭の中に入っているから喋れるけども、僕等は頭の中に入ってないから、聞かれても検索するわけですから、そういうことを、自分達が検索する手間暇を惜しむんじゃなくて、そういった気付いたことを教えてくれれば、こういう形にしていけばですね、皆がスッと調べられるようになる、と思います。

参加者
うんうん。

浄化作用

三救責任者
で、浄化作用ということで、「浄化作用」・・一杯出てきますね。
浄化作用は自然の恩恵
浄化作用は人間本来の使命を行うために起きる
浄化作用は神の恩恵中最大のものである
神秘浄霊力!骨でも筋肉でも毒素は透過する
そういった浄化作用についての話が御教えでは一杯出てくるわけです。
で、最初に「これが本当の浄化作用」 ということで私の浄化についてお話しましたが、「浄化作用」ということで、実に多くメシヤ様は御教えくださっておられます。一般の人が理解しやすいように丁寧に説明して下さっているのですから、私達は浄化作用という事を重要視して未信者さんに分かりやすく説明をしていけるように、今月号は特に繰り返し拝読ていただければ大変ありがたいと思います。
此処のところは読んでいただければと思いますけども、「浄化作用」ということが一杯出てきまして、そこに
「浄化作用」とは何だろうと、痛いだとか、浄化が長引くと怖いとか、そういったことで、浄化作用の捉え方がなかなかピッシリ腹に落ちてないというのがあるので、戸惑うという事がある。そういったところで、御教えとメシヤ講座の「浄化作用」のところをピックアップして纏めていけばですね、しっかりそうした人に伝えることが出来るんじゃないかなと思います。

『自然に合理的に』が問題解決の判断基準

次の課題として、6ページのところに 『自然に合理的に』が問題解決の判断基準、ということがあります。
これは宗教として問題解決、色んな問題がありますけども、問題解決のことが書かれておりますので、237行目から読んでみたいと思います。

『此(この)様に浄化作用なるものは、最も自然に合理的に行はれるもので、造物主の神技に感嘆せざるを得ないのである。』
と書かれております。この浄化作用というのは造物主が我々に下されている恩恵中最大なものなので、この最も自然に行われるということと合理的に行われるということが、実は主神様の御意図でありますし、主神様の行われ方が自然であって合理的であるということです。ですから、我々は問題解決をするとか、今これは私はやる時期か悩む時がありますよね。その時はいつも『自然に合理的に』ということをキーワードにして判断の基準にしておいていただきたいと思います。
即時性
昔メシヤ様の御精神ということでお話したことがありますね、メシヤ様の御精神というのはまず“直ぐやる”ということ。
これは“即時性”ということでお話しました。
合理性
それから神様というのは何でも理屈が通らないと駄目なんだと。理屈が通らないとうまくいきませんよということをおしゃっておられます。
これは“合理性”ということです。
利他愛
ですから“即時性”と“合理性”とそれから最後は“利他愛”だと。この3つがメシヤ様の御精神として集約されることだという話を何年か前にしたことがあると思いますけども、それを元にさらに今日この浄化作用ということを考えていくと『最も自然に合理的に行はれる』ということが一番大事だということです。
だから我々が問題解決していくときにも“これが自然な流れだ”というふうに物事をみていけるだろうかということが、“うまくいくのかいかないのか”ということになってきます。
それからもう一つは“理屈にあって進んでいるか”ということです。“合理的に進んでいるか”ということが大事なことだということですので、この点はですね、私達がいろいろ判断をする時、あるいは問題解決をする時に非常に役立つお言葉なので、この箇所もよくよく線を入れておいて、そして、問題解決の判断の基準にしておいていただきたいと思います。(三)
『此(この)様に浄化作用なるものは最も自然に合理的に行はれるもので、造物主の神技に感嘆せざるを得ないのである。』というところに線を引いて、『最も自然に合理的に行われるもので』と書かれています。これが浄化作用の起こり方です。自然にということは、さっき○○くんに話したように、風邪が引いた人が一人クラスにいると、自然な形で毒素を溶解しなくてはいけない人に風邪がうつっていくと。しかもその毒素に応じて合理的にうつっていくのだと。この『自然な流れ』というのと『合理的』にというところをよく印を付けておいて、これをいろいろなところに当てはめていきますと、「私は今こういうことを考えていますが、そういうことをやっていくべきでしょうか」というように質問されることがよくあります。
例えば若い子が職を変えたいときに、「私は今、仕事のこういうところに限界がきているので、職を変えたいと思いますが、どうでしょうか?」とたずねられたときには、それが自然な流れになっているかということが、回答の一つの目安になっていきます。それから変えることが合理的、合理的というのはつじつまが合っているかということになりますが、つじつまが合っていればOKなのです。だから自然な流れということと合理的というところがいつも判断の基準になっておかなければいけないのです。

先生に質問して答えが返ってこない時があったと思いますけども、それは自然な流れでないのでということです。

だから私がいろいろと電話がかかってきたりするときに答えなかったりするときには、まだこの自然な流れと合理性というのがわからないのかと思ったときには答えない場合があるのですね。笑った人は理由がよくわかったと思うのだけれどね。だからいつも自然な流れだろうか、つじつまが合っているのだろうかということを自分が生きていくうえにおいては大事にしておいていただきたいと思います。これが、主神様に日々祈りを捧げている人間の判断の基準になっていかないといけないということです。あるいはメシヤ様の御教えを拝読していく人間は、そういうことをいつも判断の基準に持っておいていただきたいということです。それから問題を解決するときにも、その解決の答えというものが、自然な流れでこういう答えに到達するということと、理屈が合っているということ。これはメシヤ様の御教えでも『神様といえども理屈が合わなければどうにもなりませんよ』とおっしゃっています。理屈が合わなければだめなのです。(浜)

三救責任者
だから、ここでは問題解決の判断基準が自然な流れとメシヤ様から、先生からも教えて頂いているのですが、メシヤ様が御昇天され、或いは先生がお亡くなりになられて折角後世に残された貴重な教えを私達は活用していますか?振り返っていますか?失念していませんか?
例えば、先生が生涯をかけて後世にたくされた「主之大御神様」の御神体、御神名、メシヤ様と御尊称申し上げること、このことについてはですね、一貫した信仰姿勢で私達に示されてきたことです。『主神様とメシヤ様』を編纂なされたことは神観の確立を目指されたのです。私達に、或いは未信者の方に、世界中の方にわかることを目指されたのです。しかしながら、御神名の変更、メシヤ講座を学ばないという元メシヤ教信者が迷走しています。ここで、自然な流れ、つじつまが合っているかを考えてみてください。今一度あなたの信仰を振り返ってみてください。「主之大御神様」と最高最貴の御神名を唱えさせて頂くことを許されるために、教祖をメシヤ様と御尊称申し上げ、〇(まる)にゝ(チョン)の御神体を御奉斎させて頂く光栄に浴し御教えを伝えメシヤ講座を伝える最高の御神業に携わらせて頂いている。この時代にその使命の為にメシヤ様に、先生に御縁をいただいたと考えるのが自然な流れであり合理的なことだと私は思います。
例えば、『主神様と大弥勒様』という本を作ろうと思っても作れないんですね。二つしか無いですから。それが自然な流れですか?ということです。先生はずっと言ってきたけど、大弥勒様のことは一個も言ってないですね。ここに書かれている神観という事で言えば、間違いなくここに書かれていることが全て、全てというより検索して引っかかて来たのがここの概要ですから、『主神様とメシヤ様』ね。
世界的にという事を考えて欲しいなと。世界宗教にとの考えで世界救世(メシヤ)教・・日本観音教団と五六七(ミロク)教、観音ミロクを世界救世(メシヤ)教という教団名に変更されたという事ですね。メシヤ様の想いを受け止めれば観音様、ミロク様の教団の型は既に示されたんだと。観音教団の時と五六七教の時に示されたんじゃないでしょうかと。ましてや、天照大御神様は太陽神で日本ですね、その御神名が自然な流れなのでしょうかと。私達は自然の流れの中で先生のなされようとされたこと、成してきた事の一番であるメシヤ講座を大切にし、その想いを「覚りの旅」として伝えて参りたいと思います。全てをメシヤ講座に顕してきたと御教導賜っているのですから。

それから8ページの327行ね。
「メシヤ様のご精神」を重く受け止めてこなかったために、関連(岡田茂吉教祖を仰ぐ)教団は迷走しているのです。この迷走は、夜の時代の「摩り替え」とも通ずるところがあります。ちょっとした嘘も、人から指摘されて嘘の上塗りをしてゆけば、最初は小さいものでも時間の経過と共に大きなズレとなってしまいます。
「迷走の歴史」とも見えてしまう原因は、「メシヤ様のご精神」を求める姿勢の希薄さにあると思われます。当然、メシヤ様の願われる信仰姿勢にはなり得ていません。
昭和二十五年のご法難もそうした姿勢に端を発したことは言うまでもありません。しかも前回お話いたしましたように、メシヤ様という存在に対して、その御神業を阻止しようとする働きがあり続けています。それは関連教団にも覆いかぶさっており、そのために各教団の志を曇らせ、御神業指針を鈍らせています。
私達は「メシヤ様のご精神」を現代に求め続けると共に、「メシヤ様のご悲願達成」を祈りつつ実践に努め、しかも「曲(まが)の障(さや)り」を防いでゆかねばならない、と強く思います。

346行目。
神様という存在について『理屈に合えば愛ですが、合わなければどうにもなりません』とお述べになって、合理性を生活の中に取り入れるように強く求められました。
これは米国人的な要素を引き合いに出されたところが多分にあるのですが、ご昇天が五十年も早まったために、以後は占領政策が形を変えて日本へ浸透してしまいました。巷間"自己責任"が取り沙汰されていますが、それは、ともすると自分中心の心を作り、自分中心の在り方を当然とする風潮を生じさせます。

これ、ちょっと、最近の話で気付くことといえばですね、政治というのは公助を行うことであって、自助、共助を推進することじゃ無いですよね。実際、自助・共助から漏れてしまう人を公助で救うべきことです。今の総理大臣ね。自助・共助・公助って、もっと自助を、もっと共助をって・・要は逃げてるよね。政治のやることっていうのはそこから漏れた人を公助でどれだけ救えるかということが政治であるので、それをまず自分で努力を、まず地域で助け合いをって、もうやってるわけですよね、実際。やってるのにそれを促す政策というのは、先生の言われるように、自分中心のあり方、地元中心のあり方を助長してしまうと私は思います。

『誤った考へ』とは薬毒であり想念面でもある

次に『誤った考へ』とは薬毒であり想念面でもある と。
『人間が誤った考へで毒素を作り』というところがあります。この『誤った考へで毒素を作り』というところが、薬毒でもあるし想念面でもあるわけですね。
 
参加者
「誤った考え」で毒素を作るんですね?

三救責任者
曇った想念が毒素を作ってしまうというのがある。曇りを作るという事ですよね。曇り=毒素と考えて。
ここで言う「誤った考え」というのは、薬に頼るという事ですけどね。
それから、自然に放任しておけば完全に浄化が行はれると。これは、『文明の創造』に出てきた事であります。
それから、381行目。
現代人の陥(おちい)っている最大の錯覚とは・・「病気が治るように見える」。痛み止めを飲んで痛いのが治ると治るように見えると。毒素をためてるという事、これが固めてるんだよという事ね、固めているという事が現代の医学だということが、今、現代人の陥っている最大の錯覚ですと。「病気が治るように見える」というね。そこの話を借金の返済を事例に説明して下さっている。利息が付いてくるんだよと。毒素が溜まってきて一杯になってきたら大きな浄化になりますよと。最初は緩慢な請求が来るよと。風邪でいただいて、それで済んでいけば有難いけどもという話ですね。肺炎になり、肺がんになっていくと。ずっと溜めておけばですね。

参加者
子供の風邪の浄化で、薬を使うのと使わない場合の差を見せてもらえたようなことがありました。

三救責任者
インフルエンザでもそうですよ。会社でも休暇をとるようにとは言われるけど、どれだけ休むようにとは言われない。一緒のように休んでも変わりませんから。逆に僕たちの方が短い時間で・・。それはハッキリしてる。薬を飲んで鼻水をおさえるとか、また出るから、逆に長引いてる。それはもうハッキリしてますよね。

テーマ2
覚りの旅 平成31年1月『時局と霊界』を拝読して


三救責任者
で、10ページね。
覚りの旅 平成31年1月『時局と霊界』を拝読して ということで、31年1月にやったことですけども。

一切は霊界が根元である

ここではですね、一切は霊界が根元であると。善悪の摩擦も物質文化を発達させるためであったという事を中心に書かれております。
で、439行のところで、伊都能売神というのはメシヤ様の守護神だったということ、これは『神智之光』にも書かれていますので、そういうことが何で出てきたか、ここの御教えを拝読すれば分かると思いますけども、出てきているんだということで。
それから、この御教えの根拠をここにあげてあります。447行。
棟梁は伊都能売の神、即ち九頭龍である。これが私の守護神となっている。ということですので、ここが根拠ですね。伊都能売神というのはメシヤ様の守護神だったという根拠です。

御教えを伝えていかないといけない人達が何をしてるのか?

で、456行。ちょっと話は変わりますけども。
御教えを伝えていかないといけない人達が権力闘争に明け暮れて何をしてるのか? 
ということで、人類の為、貢献しているのか?と、権力闘争をやっている場合じゃないですよと。これは世界救世(メシヤ)教、宗教界のことを言ってます。
ですから、469行のところね、
ひたすら主神様、メシヤ様にお詫びして、御教えの探求、人類への貢献、可能な限りメシヤ様信者に働きかけを!して下さい、ということで、この頃先生が言われていたことです。

安心立命

12ページのところですけども、『安心立命』 ということで、484行のところ、
色んな事が起こっても御教えに照らして思考できるように、霊層界の学びを積み重ねてきた。
ということで、489行に行くと
私達のやるべきことというのは「神格をいただく道」を実践して、メシヤ様の御教えを一人でも多くの人に伝えていくことが、私達の信仰であり安心立命を得ることにつながると思います。と書いてあります。
神憑りとか霊憑りというのがあってもですね、御教えに照らして思考できるように霊層界の学びを積み重ねてきたんだという事ですので、そして、信仰生活、即、宗教ということを学びましたので、『神格をいただく道』の実践をして御教えを伝えましょうと、いうことで、私達は安心立命を得られてますよねということです。御教えに照らして思考できるようになっていればですけどね。

人間の想念が霊界に反映する

「人間の想念が霊界に反映する」 ということで、495行ね。
悪の想念や言霊は出来るだけなくしましょう、 という結論をメシヤ様は書かれています。
で、501行、世界的浄めの業ということが書かれてまして、浄めという事で、この時、祓戸の大神とか色々神様の名前が出てきますけども、513行のところね、
霊界をくもらすと汚穢がたまります。そして、曇った結果、豪雨、台風、雷鳴、洪水、大火、地震になります。それを拭き払い、洗い流し、焼却するのが祓戸大神が分担しますよという御教えがあります。でも、そんなビビらしてばかりじゃいけないので、安心立命という御教えがあるんですよと。

惟神医術

「惟神医術」 のところを見れば今の内容というのは良く分かると思いますけども、519行からですけども。
祓戸大神。惟神医術という御教えがあります。大浄化っていうのと大震災とか色々あるので、そういう浄化作用に対して働くのは、役目を分担されてるのは、祓戸大神なんです。『大自然も天地間もあらゆる物に浄化作用なるものを行うのである。この事は大祓の祝詞中にあるごとく、祓戸四柱の神の担任せられ給うところであって、たとえていえば地上に汚穢(おわい)が溜れば風に吹き払い、雨水によって洗い浄め天日によって乾燥させるのである。また一軒の家においても塵埃が溜ればそれを払い掃き水で洗い拭き清めるので、それらの事は人間においての病気、即ち浄化作用と同様である。従って、この場合、自然に放置すれば治癒するのは当然である。又、浄化作用の期間中、発熱や痛苦によって労務に耐えなければ休養すべきであり、食欲がなければ食わなければいいのである。それが自然である。そうして人間の浄化作用は人間自身の体が行ってくれるからまことに都合がいいのである。故に、この意味において私の提唱する医術と健康法は飽くまで自然を本とし自然に準(なら)うというので、惟神医術という所以(ゆえん)なのである。』

自然の浄化作用というのも、人間の言霊から発しているんですよというのが、世間一般では言われていないけども、御教えに照らせばそういうことです。だから、普段の生活を「神格をいただく道」のようにしていけば、そういう大きな災害も少なく・・多くの人がそういうことが分ってやっていかなくてはいけないですけども・・そういうことですね。
ここは三重の話しでしたけども、次に浜松のメシヤ講座の話が書かれてまして、551行から読みますと。

『善言讃詞』の中にある『夜叉龍神』の解釈のしかたと日常生活

 (参加者) 『私の兄』ということですが、この方はどういう方だったのですか?
(先生)メシヤ様の兄だったということです。そうしていくと、善言讃詞にも『夜叉龍神』がでてきますね、これを今までの解説としては『夜叉』と『龍神』をわけて解説してあります。「善言讃詞の手ほどき」の中には『夜叉』と『龍神』をわけて説明をしているので、『夜叉』の説明と『龍神』の説明をしております。しかし、メシヤ様がここに『夜叉龍神も解脱爲し』というふうにお書きになっているのはどういうことかというふうに善言讃詞も解釈しなおさなければいけないということになります。
わかりやすく説明をしますと、ある組織団体があるとします。大きな団体にいくとその代表に会っても、その組織とはわからないくらい非常に紳士的に対応をしてくれます。しかし、下の小さな団体に行くほど、話しにならないくらい対応が悪いことがあるのです。
そうすると、『夜叉龍神』というのは一番の大元ですので、この『夜叉龍神』はメシヤ様の御出現によって改心したから、『解脱』したわけですね。しかし、その下の眷属は『夜叉龍神』が『解脱』したことはわかりませんので、いまだもって権力を奪うように、いろいろな大きな人間に憑依しながら、問題を起こしたり、画策したりしているのです。そういう状態だということです。ですから、御神体の御前で夕拝をするときに唱える『善言讃詞』とそれから家庭月次祭のときに上げる『善言讃詞』のときには、この『夜叉龍神も解脱為し』ということを言霊界に響かせるということが大事になるわけです。
この言霊界の中では《夜叉龍神は解脱したんだ》ということが行き渡りますので、行き渡ると《トップが解脱したんだ》と眷属わかり始めることが大事なことなので、この御神体の前で『善言讃詞』 を唱えるときには、そういう想念をもって『夜叉龍神も解脱爲し』という言葉を唱えていただきたいと思います。
これがなければ、夜昼転換というものが進んでいかないということです。

他の教団のことで、『善言讃詞』を改ざんしているという所についてはですね、非常にお気の毒だという事です。ですから、救ってあげる対象だよということをこうした勉強会を重ねるごとに、より一層そういう気持ちを持って進んでいただければ有難いということです。
ここにまとめると、トップは解脱したんだという事を眷属が分かることが大事ですと。下っ端が分かることが大事ですと。その為に、『善言讃詞』を唱える時の想念というのがですね、「夜叉龍神も解脱為し」という所をそういう想念で唱えていただきたいと、それが夜昼転換を進めることに繋がっていくんだと。で、弟子といえども大きな間違いを犯しているんですよと。メシヤ様の弟子でありますよね。弟子であるわけですから、『善言讃詞』を唱えるところの改ざんしたとういうところで、大きな間違いを犯しています。それはお気の毒なんですけども、救ってあげる対象でもあるという風に考えて下さいよと。そして、自分自身は夜叉になっていないか?眷属にやられていないか?ということを常に自分を見つめて気を付けていくことが大切ですよと。この後の方に書いてありますけども、そういうことだと思います。

最後に私の事を

それから、16ページの663行のところね、『主神様とメシヤ様』の「時局と霊界」 と 『天国の礎』の「時局と霊界」 を比較した人が浜松にみえるんですね。『天国の礎』というのは二代様の時代に問題ないような御教えを集めて、道徳的なことが多いですけども、ここで抜けてるところは何かといいますと、そこだけ読みますね。

最後に私の事を、少しばかりかいてみるが昨年五月から六月にかけて、奇禍の為警察や刑務所生活で悩まされたが、其時の検察官諸君には、何れも○○龍神の眷族が憑依して私を責めたので、余り責め方が酷い時は私の守護神が一寸加減させるので、息がつけたのである。という訳で彼等役人と雖も実は右の霊に思わせられ、させられたのであるから、暫く経つと、あの時どうしてああいうように思われたり、あんな事をする気になったのかと、自分で自分が判らなかった事を、後悔するに決っている。
以上は霊界の、ホンの一部をかいた迄であるが、多少の参考になるであろう。実はもっと深くかけば尚よく判るが、経綸上今はかく事が出来ないのを遺憾とするのである。

という所が抜けているということに気付いて書いたと。ここを読んだ時に、何が抜けてたのかなというのを調べてみると、良く分かるのじゃないかなと思って。三重の人もですね、ここを読んだ時にですね、何だろうって思いませんでしたかと、調べてみようと思いませんでしたかと、私は気になったので調べました。ということで、今の話ね。
例えばニュースで、何であの人があんなことを、という事がよくあると思います。まさか、あんな立派な人がと。
表裏のある人の本性が現われたんだということもあるかもしれませんが、検察官に霊が懸ってメシヤ様を苦しめるという事が、実際にあって、もっと詳しく書けばよく分かるが、世の中がそういうことを許さないので書かなかったわけです。『天国の礎』では更に省略してしまっているということです。よく分からなくて良いと幹部が思ったのかもしれません。ね、という風に思います。ここを読んで僕が思ったことです。

体系化

それで、体系化 ということ。今、先程来出てる体系化ということに繋がっていきますけども、『主神様とメシヤ様』を僕がまとめてピックアップしてみましたと先生に送ってからこういう本になって来たと、これが体系化ととらえればですね、先程の御浄化の話とか、色んなテーマがあると思いますけども、それの単語をとらえてですね、いつ、こういうことを、こういう風に説明なさってるということをまとめ上げればですね、 「御教え」 と 「メシヤ講座」 を、そうすれば体系化出来て行くんだと、そういうふうに思いますので、何か気付いたことがあればですね、教えて欲しいなと思います。
それが、御教えと生活を線んでつないでいくという作業だね。これが思想の体系化なんですよという風に書いています。

歴史観を持って

で、そこには歴史観を持ってということで書いてありますね。歴史観を持って思想体系を整理すると。自分の中に信念体系を築いていくんだという事が書いてあってですね、要は分かっておかないといけないのは、歴史っていうのは覇権者によって塗り替えられているという事ですね。覇権者。
そこの例として、702行のところで、百姓という字。「百」というのは沢山という意味ね。「姓」っていうのは カバネ ということなんですよ。
カバネ・・豪族が氏の下につけた称号。諸々の姓を有する公民の事。
だから、一般人民、庶民のことになって、だんだんと言葉が変わって来たんですね。一般人民、庶民の事を指すようになって、今度は中世頃の農民を指すようになったと。百姓っていうのがね。変わってきてますよという事。言葉の歴史をたどってみないとその言葉の持つ意味というのは分からない、そういうのを理解した上で歴史観を持って編纂していかないといけないよねという、なかなかその単語を集めるだけでも難しいんですけども。
で、今、僕は、百姓ということから カバネ と出てきたので、 カバネ を調べるわけです。そこには「ひこ」とか「ひめ」とか出てくるんですね。神道系の御位牌には○○比古とか○○比売、という所に残ってきてるというのは、そこからきてるというのはありますね。氏とか姓の「かばね」というとこから来てる。
ちょっと気になったのが、「ひこ」というのは、古代の地域の首長だったわけです。

参加者
「ひこ」って?どの「ひこ」?

三救責任者
色々使われてるので。○○比古の比古 とか、彦、日子。
例えば、伊都国(いとこく)っていうのがあったんですね。伊都につながるかなというのはありますけども。伊都都比古(いとつひこ)というのが・・。前に話をしましたけども、この地域は伊勢津彦、宇佐の方では宇佐津彦とか、そこの首長というのが居たんですね。だから、伊勢津彦というのはこの地域を元々治めていた。要は元々治めていた部族が居て神武天皇が攻めてきて追われてという事があって、歴史は元々の天照の関係と神武の関係をくっつけて作ったのが古事記であり、それを海外に分かるようにしたのが日本書紀であると。だから、ホツマツタエとかそういったもう一つ前のもよく分かっておかないと、古事記はある程度の流れはあるけども、さっきの勝った側の話ですよという事を分かった上で・・。負けた側の話の方が元々から居た人ですよというのがありますよということです。出雲の国風土記とかそういうのもありますので、そういう時代を見ながら、御教えと照らし合わせながら、歴史観を持ってやっていかないと。だから、ここのところは難しいのでそれの体系化の中では色んな体系化があるので、さっきの話の一番分かり易いのは、自分の一番気になる、こういう浄化の時ここを痛い時は何処を浄霊したらいいかとピックアップして、ここにこういう事が書いてありますと、特選集の何号に書いてありますとかね、いくつも集まってくればそれをチェックしておいて、色々集まった時にそれを本にすれば皆さんの知りたい事が出るんじゃないかと。その都度、自分では調べられないって言うんだったら、パッと気付いたことをその都度教えてもらえれば溜めておきますので、そういうのが体系化じゃないかなと、これからやっていくべきことじゃ無いかなと思ったわけです。

御教え拝読し急所発見

参加者
ごめんなさい。話が戻りますけど、2ページの81行目の「急所が外れている・・」と書いてもらってあって、今回の子供の風邪の浄化の時に、急所って私は全然分からないなぁと思って、『医学の革命書』の咳嗽(がいそう)、咳のところを読んだら、こんなこと事書いてあったっけって思ったんですけど、頭脳、顔面、とかいろんな急所があって咳に・・・・と書いてあって、書いてあるしやってみようと思って顔面をしたら、それまで咳をして寝られない状態だったんですけどスーって寝ていったんです。わぁっ!てビックリして。まぁ、次の日、起きたらまた咳はしていたんですけど。でも、その時には寝ていって・・。

参加者
休ませてもらえるように・・。

参加者
そう。で、次の日に子供にその事を伝えたら、子供が「額が痒かったのも治った」って言って・・。もしかして、痒かったって事は額に何かあったのかもしれないなぁと思いました。

参加者
で、咳で出してもらったのかも・・。

参加者
それまで額が痒かったというのも全然聞いたことなかったんですけど。

三救責任者
それは全部繋がってるよね。そういう実際の経験を少しずつでも、そういう積み重ねが大事だと思います。自分達は気付いた人から学ぶ、体験から学ぶという事が大事かと思います。

参加者
この『天恩地惠』を頂いた時に読んでるんですけど、その時は普通に読んでたんですね。実際に娘に熱が出てから読みだすと・・。

参加者
その時その時でね。

参加者
はい。だからそれも御守護だなと思いました。

主神様に向かう姿勢を整える

三救責任者
19ページの810行のところ、主神様に向かう姿勢を整える の中の
主の神の表現神で被在(あらせ)らるる天照皇大神様・・ということが書いてあって、ここを読まれたかと思いますけども、時代背景、昭和10年の御教えですよと、昭和10年ね。時代背景を考慮することは勿論神様の御出世の段階を拝察せねばなりません。というとで、これは先生がよく引き合いに出された御教え。今の御神体を謹製された時にね、そういう意味で書かれていまして、天照大御神様のことに関して昭和10年ですので、時代背景の考慮がされたうえで書かれた御教えということをしっかり認識しておかねばいけませんと。そのように先生も御指摘されておられます。天照大御神様は天皇の先祖として皇孫とか一番として神様としておかねばならないからこういう表現になっているんだという事を理解せねばいけません。だから、主神様の表現神であらせられるというとこの表現にとどまっている。私達は何よりも神様の御出世の段階を拝察せねばなりません。御腹中の光の玉にミクラタナの神様という御存在が魂として御宿りになられた事で、事態は一変したことを認識すれば代理神、先程の天照大御神様もそうですし、観音様、光明如来様、ミロク大御神様他、代理神の御存在を介さず直接拝するときを既に迎えているのです。とご教導下さっておられることをしっかりと噛み締めなければならないと思います。
このように、メシヤ講座、メシヤ様のご精神を現代に伝える座談会への先生のご投稿は改めて学ばせていただく機会を持てて大変ありがたく思います。学びを進めていきますと過去に学んだ事、気付いた事というのも神仕組だと思わされます。
例えば、伊都能売大御神様の御神格を主之大御神様の御神名で奉唱され「口を突いて出てきたのだ」といわれて、その時の説明として、仏教講座で私達が学んできて、先生にお伝えした〇(まる)の光背と、ゝ(チョン)の白毫を人々は知らず知らず礼拝していたと、私達は〇(まる)にゝ(チョン)を認識して礼拝するようになったわけですから、御出世を認識させて頂くことにつながったからこそ、主之大御神様御神名御奉唱となったのだと思われます。要は仏教講座へ行くことも神仕組だったわけです。
個人参拝としてではありますが、先日、メシヤ様御揮毫の観音様、岩戸観音堂において、〇(まる)にゝ(チョン)を意識し、主之大御神様の御神名を唱えさせて頂きましたことをご報告させて頂きます。

今回、先程の体系化ということで、メシヤ講座から浄霊の急所とか生活全般の事とか子育てとか介護のこと、気になることを拾い出して、「ここに、こういう事書いてあるよ!」というのでまとめたら有難いなっていうのがあればですね、連絡をいただければですね、手書きでもメールでもいいので。整理していくのに置いておかないといけないので。ある程度まとまったら『覚りの旅』で掲載して、体系的にまとまったら『天恩地惠』の特集号として印刷したいなと思います。是非皆さんで参画をお願いします。

司会
以上をもちまして11月度月次祭、並びに一日祭を終わらせていただきます。

参加者一同
ありがとうございました。

2020年10月22日木曜日

三救祭

 



 

三救祭

令和二年十月十日

 

三救責任者挨拶


皆様、三救祭おめでとうございます。

本日は、台風の中、御足もとの悪い中のご参集、あるいはリモートでの参拝に感謝申し上げます。

三救祭の意義については先程司会より説明がありましたが、そもそも他でやってない祭典をなぜ行うのかという疑問を持たれる方もおられるかと思います。

昭和25年に初めて大祭、秋季大祭が催行されました。これは、ある方がメシヤ様に、「月次祭があっても大祭がありませんが大祭をなさっては?」とお尋ねになりました。すると、「神様はご自分から祭りをしてくれとは決して仰るものではない、信者からどうぞお祭りをさせて頂きたいと申し上げなくてはいけないのだ」と申され、その方に祭典を仕切らせました。

そういうことで秋季大祭が始まったと聞いております。

このことは、今の状況にも言えることではないかと思います。先生は10月26日、定山渓の伊都能売観音様に意義を感じ、祭典を始められ、続けられ、気持ちを同じくしようと多くの人が参拝されることに繋がったわけです。

同じように私は加良比乃神社に意義を見出し三救祭を行わせていただくようになったのです。地域に、民族に、国に神様を選んで主神様が派遣されておられると考えれば、どこに居ようと、どこに所属しようと、どの神様に参拝しようと結局は元は主神様であり、こういう意識が全世界に広まることが万教帰一であると思います。先生から紹介して頂いた「人は死なない」という本がありますけども、今朝読んでいたのですが、万教同根ということが書かれていました。

ちょっと読みます。

 

あらゆる宗教に共通するのは、神の存在を基本としていること、古代の人々は神を直感的に感受しただろう。人類というのは神という概念を持ったということが画期的だった。宗教的感性を持つことで、人間は他の動物と異なった存在となった。それぞれの宗教によって呼称は異なるが共通しているのは、人智を超えた大いなる力、真理=神様が基本原理であると。

 

ということで、万教同根ということが、「人は死なない」矢作直樹氏 バジリコ出版発行 というところに書かれています。

要は、それぞれの宗教で呼称は異なっても人智を超えた大いなる力、真理は神であるということで、全ての神々は主神様に帰一していきます。そういう思いで私達は祭典を行わせて頂くのです。

 

 


ミクラタナの神様

資料1010-1(ミクラタナの神様)


1(ミクラタナの神様)

 

天恩地惠の645行のところにありますけども、「伊都能売神観」ということと、「みくらたなの神様とは」ということで書かれてまして、みくらたなの神様とは天上の王権のシンボルだと、主神様から降る御魂であり、チョン(ゝ)であり、光の玉(〇)にチョン(ゝ)が入って⦿(ス)になると、この丸(〇)にチョン(ゝ)が入って⦿(ス)となった時に、メシヤ様という御存在になられたんだと、そういう事が、これは「にっぽん文明研究所」に対して先生がメシヤ教として正式に回答されたことで出てきております。そこに、みくらたなの神様のこと、伊都能売神様のこと、ということの考え方、神観ということが書かれているわけです。

 


桃の祭典

資料1010-2(3/3→5/5→10/10)
 

10-2

祭典の意義として考えた場合に、2月3日、4日はですね、立春祭を期して弥増す御神威は地上天国祭より現界に移写されます。
地上天国祭というのは6月15日ですので、2月3日、4日というのは6月15日に対応しているんだということが言えるかと思います。

そうすると、3月3日というのは桃の節句ですね、桃に関係しているということで、祭典を行っている日と言うのが3月3日と5月5日ですね、3月3日は5月5日に対応するんじゃないかと。これは端午の節句と言いますよね。
端午の節句というのは端(はし)に午(うま)と書くんですね。一番最初の午の日だったわけです、昔は。それが、段々と端午(たんご)の午(ご)という字を数字の五で、5月5日の日を端午の節句と呼ぶようになってると、そういうことが文献にあります。5月5日というのは、これも桃に関係している、というのは桃太郎ということね。5月5日、桃太郎、5に関係しております。

そうすると、今日の10月10日ということで言いますと、10月10日は10×10で100になりますね。100は漢字で書くと百(もも)です。「もも」に関係した祭典ですね。百(ひゃく)に関係した祭典と言えるかもしれません。ということで、10月10日というのは救いの三本柱、三救(さんきゅう)の始まった時であります。

 


救いの三本柱(三救)

資料1010-3(三救)


3(三救)

 

Three Pillars of Salvation

頭をとると、T は Time にも置き換えれるんじゃないかと。 Time、時間ですね。

P というのは Place 、場所。

of は置き換えることはないんですけども、 O だけとれば Ocation 、場合。

Salvation の S は Style 、生活

と考える事も出来るのではないかと。

それを TPOS 、場所とか論点とか、ギリシャ語ではそう言うらしいです。

 

三救での御神業開始

資料1010-4(三救での御神業開始)

4(三救での御神業開始)
 


この資料はですね、30年の10月10日、三救が始まった時に作った資料です。だから、繰り返しになりますけども、Three Pillars of Salvation での御神業開始ということで、10月10日というと、十月十日(とつきとおか)。

というとですね、御腹帯には 『胎(みご)もれる これの御魂を安らかに 守らせ給へ 伊都能売之神』 と、御揮毫になられております。新しい生命の息吹と伊都能売大御神様は関係してるんですね。だから、十(じゅう)で結ぶが、十月十日(とつきとおか)ですから、十月十日(じゅうがつとおか)で、結ぶが2倍でですね。十月十日(とつきとおか)で出産、で、非常につながりがあるんだと。「胎児は十月十日(とつきとおか)の間に38憶年の生命誌を辿って人間として完成してきます。宇宙の誕生、地球の誕生をも踏まえて人間を考えていかなければならないという事です。」と、メシヤ講座87号で学びました。

今年は・・この時、令和元年の時だね、時代の始まりの年です。10月は22日に「即位礼正殿の儀」新天皇陛下が天皇になったことを世の中に宣言する日です。

ということで、資料を作っていますね。

 


徳で治める世の中に

資料1010-5(徳で治める世の中に)

5(徳で治める世の中に)

 

それで、徳で治める世の中にということで、

天皇専用の束帯(正装)の陛下が、高御座にのぼり、即位を宣言するお言葉を述べます。高御座は天皇の玉座を意味し、平安時代の即位式から使われているそうです。平安時代・・、あっ、この間BSでやっていましたけど、壬申の乱の後、女性の天皇、持統天皇から始まったそうです、こういう高御座。神様から天皇としての任命を受けるということが、持統天皇の時から。平安時代よりもっと前だよね。それまでは、臣下、大臣たちの推薦で天皇が決まっていたそうです。だけど、この時からですね、長男、長子に受け継いでいくということを決めるにあたって、今までのやり方を覆さなくてはいけないから、で、神様から、特に、女性の天皇だったので、引き継いでいくのにね、で、私は女性だけども次からは長子に受け継いでいくんだよということの始まりだったそうです。その頃から始まってるという事です。ちょっと余談になりましたけども。

 

徳仁天皇が高御座という玉座に・・・

だから、徳仁天皇の「徳」 で 高御座(たかみくら)を「ミクラタナ」 とすると 玉座、「皇位継承」 ということと考えられるかなと思います。

そうした時に、今回の祭典にあてはめますと、初めに三救で主神様にこういう祭典をさせて頂きます、ということで参拝して、加良比乃神社の方ではですね、ミクラタナの大御神様が、これは ゝ(チョン) ですので、伊都能売大御神様は 〇(まる)、光の玉 ですね、だから、 〇(まる) だけのところにミクラタナの神様の ゝ(チョン)  が入ると、ということで、皇位の継承、一番最初に伊都能売神皇が治めていた時代があったんだということで、この時に 〇(まる) に ゝ(チョン) の形だったという事です。で、それを素戔嗚尊に追われたので天照天皇、先生はこの天皇のことを皇(スメラ)大御神と呼んでおられました。天皇に受け継がれて、で、にわかに崩御されたということで、多分、素戔嗚尊に殺されてしまったので、この時にミクラタナの神様は神界に戻られた、主神様と一体になられたというように言われてますので、ここで言う天照皇(スメ)大御神様には、皇后様の方には、 ゝ(チョン) は受け継がれなかったんだと思いますけども、そこで世の中が変わってきたと、夜の時代になってたということがあるので、そういう受け継ぎが必要だったんだろうなと、形的にはね。そういうことで、 〇(まる) に ゝ(チョン) ということで、考えればですね、メシヤ大御神様ということで、王権のシンボルが受け継がれてきたということを、歴史、神の時代からの皇位の継承という事を意識できる神社ではないかなと。このような神社があったので、そういう事を認識してですね、祭典をさせて頂くのが一番いいかなと思ってやらせてもらいました。

 

主神様に帰一

資料1010-6(主神様に帰一)

6(主神様に帰一)

 

ということで、主神様に帰一。

これもその時の資料ですけども、「一神にして多神」。

全て主神様に帰一していくということで、書かせてもらっています。ここの王権のシンボルの話は今の話ですね。で、王権とは徳である、ということで、左の方に書いてあるのは、キリストは「天国は近づけり」と言ったと、夜の終わりにメシヤ様が降臨すると言われました。それから、日本地図が書いてありますね、北海道、国常立之尊様と伊都能売大御神様。仏滅で弥勒下生になってですね、ここには大弥勒様のことも書いてありますけども、弥勒という事を考えてもですね、当てはまるわけですね。一神にして多神ですから、ミロク大御神様のことだけを考えているわけではないので、メシヤ様のことも、ミロク大御神様のことも、全部、主神様に帰一していくわけですので、そういう風な考え方であれば、この考え方で行けると思うんですよ。だから、西洋でメシヤ降臨があって、東洋で弥勒下生、これのことだと考えるのが私は自然だと思います。
御教えから行ってもね。日本では天照大御神様ですね。だから、日本は天照大御神様、西洋はメシヤ様、東洋は弥勒、それに丁寧に大をつけて大弥勒、と僕は思います。だから、弥勒下生であり、メシヤ降臨、そういうのが全て主神様に帰一していくと。で、これからは世界へという事で、昭和25年に世界救世(メシヤ)教という事で開教しているわけですから、その時の呼び名というのは「メシヤ様」ですね。そう素直に受け止めればいいのかなと思います。ややこしく考えずに。

 


伊都能売神観

資料1010-7(伊都能売神観)


7(伊都能売神観)

 

天恩地惠の中にですね、「伊都能売神観」ということで書かれてまして、この「伊都能売神観」について、にっぽん文明研究所に回答した中にはですね、「文明の創造」を論拠とすると。「文明の創造」の中の「仏教の起源」と、「伊都能売神」ということと、「観世音菩薩」のところを論拠としてます、ということで書いてありました。「文明の創造」のところを読んでもらえばいいわけですけども、「文明の創造」に書いてあるそこのところを1行でまとめるのは難しいんですよ。難しいんですけど、1行でまとめてみました。

「仏教の起源」 というところには何が書いてあるかというと、観音様の御本尊は伊都能売神だということが書かれてます。

「伊都能売神」のところには何て書いてあるかというと、引っ繰り返しになるわけですけども、伊都能売神の化身仏が観世音菩薩なんだということが書かれてます。

「観世音菩薩」のところには何て書いてあるのかというと、素戔嗚尊の暴圧、攻めてきた、で、伊都能売神は印度へ御下りになったと。化仏、観音様になって布教されたと。で、印度での布教の時代は観自在菩薩といいました。大自在天という神様が印度では治めておられたのでね。で、観自在菩薩と呼ばれていた。

で、伊都能売神は先程の話、天照天皇に御位を譲られて、にわかに崩御されたので、今度は天照皇后に譲られたと。で、今度は天照皇后と素戔嗚尊の話が出てくるわけですね。誓約を結ばれたと。琵琶湖を起点にしてですね、東を天照大御神が治めて、西を素戔嗚尊が治めると。そういう誓約ですけど、この誓約自体おかしいですよね。もともとは素戔嗚尊は朝鮮を任されてるわけですから。日本を任されてる天照皇后にそういうことを迫ること自体おかしいわけですけども、誓約も破ってですね、とうとう追放されたと。伊弉諾尊様に追放されてるわけですね。そういうことが書いてありますね。

素戔嗚尊の奥さんは乙姫です。素戔嗚尊自体が朝鮮を支配していたわけですけども、素戔嗚尊はあちこち行くので、奥さんが朝鮮を仕切っていました。すごく強かったんですね。で、北陸から朝鮮に流れ着いたのがですね、ここには書いてないですけど、浦島太郎ですね。朝鮮は日本の裏にあたるので、浦島太郎と言ったんですね。で、色男だったので、乙姫は囲って、長い間行っていて帰ったら玉手箱で・・とされてるように年寄りになっていたと。長い間居たんですね竜宮城に。ということが神話として、物語として残ってきてるわけです。

で、印度に居られた観音様がずっと中国の方へ布教してですね、朝鮮を通って日本へ帰ってこようとしたんだけども、乙姫が強いので帰れずに南支地方で亡くなられたということがここに書かれています。「観世音菩薩」というところにね。


結局は全て、元々は日本の神様ですよ、伊都能売神ですよという事が「伊都能売神観」ということで、書かれているということを言いたかったんですね。

それで次に「ミクラタナの神」ということで、天上の王権のシンボルであると。これは覇権主義では手に出来ないんだよと。ミクラタナの神様というのは。だから、素戔嗚尊には手にできないという事ですね。それから、創造主、宇宙の主宰者(主神様)から降る御魂であり、昭和元年 岡田茂吉教祖の腹中に宿った光の玉に、昭和25年「チョン」が入り「ス」となり、この時から『メシヤ(救世主)』という御存在になった。

これは、先生が「ミクラタナの神」としての神観として持たれての内容ですので、この内容でいいと思います。それで、ここに昭和元年と昭和25年と書かれていますが、これは重要な年でありますので、そこのところに何が起きたのかということで・・・ちょっと余談になりますが、これを調べてたらですね、メシヤ様の新婚旅行ということで、

 


メシヤ様の新婚旅行

資料1010-8(メシヤ様の新婚旅行)

8(メシヤ様の新婚旅行)

 

箱根塔ノ沢の環翠楼に新婚旅行に行かれたんですって。知ってました?東方の光を読んでいて出てきてビックリしたんですけども、私達が祭典をやっていたのは強羅の環翠楼ですので、違うんですけども、僕、一番最初に環翠楼で予約したらここを予約してしまったんです、間違えて。ここへ泊っておけばよかったかなぁと(笑)。祭典は強羅にしろ、ここへ泊っておけばよかったかな(笑)。

大正8年に日比谷大神宮で二代様と結婚式を挙げられました。新婚旅行は塔ノ沢の環翠楼だったそうです。これは、「東方の光」という本の上巻の218ページに書いてあります。今回、昭和元年のことを調べようとして、この時の話が出てきました。面白いので、入れておきました。ちょっと余談でした、余談というか、関係していたわけですね、環翠楼で。環翠楼で祭典をしたこと自体、何らかの関係があったと受け止めた方がいいかも知れません。

 

昭和元年 光の玉宿られる

資料1010-9(昭和元年 光の玉宿られる)


9(昭和元年 光の玉宿られる)

 

「光の玉宿られる」、昭和元年に光の玉が宿られたのですね。
昭和元年というのは大正15年です。大正15年(昭和元年)12月25日、夜12時ごろ神憑りになられます。
大正天皇が崩御されて、皇太子裕仁親王が継承、年号が昭和と改まったちょうどそのころ、教祖に神憑り、神の啓示を受けられます。これは、「東方の光」に書いてあるのです。壮快感で、口を突いて出てくると。で、一番最初に言われたのが、『神と筆を用意しろ』ということで、二代様は神と筆を用意するわけですね。3か月間に渡って啓示があったと。便箋3~400枚だったと。これは50万年前の人類史からはじまって、7000年前まで。日本の創成期のことが書かれていたし、未来の事も書かれていた。当時まだ起こっていなかった満州事変とか太平洋戦争とか戦後の世界情勢の事が御啓示あったそうです。この時にメシヤ様はいつもう御神業を終えて御昇天されるかって分かってたんだと思いますけどね。それで、はじめは何の事か分からなかったので、「ハテナ」と名付けたそうです、その御啓示を。で、戦争に入っていくので、その時代になると不敬罪とかいろんな問題が出てきますので、持ってること自体よく小説家とかやられますよね、宗教家も、大本教とかも弾圧を受けたりもしますので、そういうことで、もう焼いてしまったと。後にその中の一部で書いておかなくてはということで、書かれたのが「二十一世紀」という御論文です。その御論文は知ってると思いますけど。

この時の神は観世音菩薩という呼称で働かれた。仏教で言われる観音と同じ名であっても、その本体はまさしく神であり、この観世音菩薩が教祖の肉体を使って人類救済の大業を遂行することを知らされたのであると。で、「私の腹には光の玉がある。之は或最高の神様の魂であるから、私の言動凡ては神様自身が私を自由自在に動かしているのである」と。たゆまざる研鑽の結果、神示を契機としてみずからの腹中に光の玉が鎮まるとともに、それが最高の神霊であることを実感して、「私を機関として一切衆生を救わせ給ふのである」 ということが、「東方の光」に書かれています。

 


昭和25年 世界的大転換期

資料1010-10(昭和
25年 世界的大転換期)
10(昭和25年 世界的大転換期)


 

じゃぁ、次に、昭和25年。昭和元年、光の玉がお鎮まりになった、最高の神様であるわけですけども、昭和25年にもその光の玉にまた宿られるわけですね。

昭和25年の1月1日に、世界の大転換期に当たることを宣言されています。恐るべき大浄化的出来事が起こるんだということを、すでに警告されていました。

1月30日に中島一斎先生が御帰幽になられてしまうと。

2月4日に、世界救世(メシヤ)教が発足します。日本観音教団と日本五六七教会が発展的に解消して世界救世(メシヤ)教に。で、開教の辞が出ますね。観音様は御本体たるメシヤとなられ、神の働きとなられたと。

この観音様の時は大先生と言ってました。で、メシヤとなられた時に明主様と呼ばれてます。善言讃詞に「メシヤとならせ」と入れたのもこの時です。

昭和25年という年はスゴイ年なんですね。

3月5日、五六七大祭ということで、『どうしても全人類を主宰し給う主の神即ちエホバの絶対力の発現である』ということを言われています。

3月6日、教義が出てます。そこには『抑々、世界の創造主たる主の神(エホバ)は・・・』

4月13日に熱海の大火があります。

5月に「光」新聞が、「救世」新聞に、機関紙がかわります。

5月8日に法難事件が起こります。

5月29日から6月19日の22日間、拘留されて取り調べを受けられます。

6月15日に昭和元年、神の御啓示によって教祖は腹中にある光の玉を自覚されて、これは救いの光の根元(源)なんだということを言われて、その光の玉に最高の神様の魂が天降ります。これを「ミクラタナの神様」と後に先生が発表されたという事ですね。

 

昭和25年―2

資料1010-11(昭和25年―2

 11(昭和25年-2)


昭和25年の二つ目にいきますと、調べていたら興味が出てきて余分に書いてしまった感じがありますけども、この資料自体は出せないので、今はアップしてありますけども、消しますので。

当時の側近者の残されたものから。

25年の8月に早雲寮を日光殿と改めます。で、「メシヤ観音」様を御奉斎。「メシヤ観音」様というのはここ(三救)の入り口にありますね。

で、縦と横の「散花結実」を1000体御下附されてます。

8月の初旬に集団浄霊を始められたんですね。『浄化は神様に一番近いところから始まって他の宗教、日本全体、それから外国に拡がってゆく。だから、治療力を看板にしているメシヤ教幹部たちがボコボコ死んだらみっともないから始めたんだ。それに、本当の僕を理解していなかったり、間違ったことをしている人も多いからね。』という言葉を言われています。

それから、これね、江川カツトシさんという人に言われたんですけども、『会長たちは大名であって、あなたは僕の旗本なんだから、・・これ、あなたはというのは江川さんと井上茂登吉先生のお二人に書かれてたけど、僕があなたはとしましたけども・・僕の旗本なんだから、無位無官でいる方がはたらきいい・・』という事を言われています。こういう言葉から見ても、結構幹部たちがメシヤ様の意向からズレてってるというところもあるという事が伺えるのではないかなと思います。

それから、『浄霊を受けると、受けた人の本霊の働きが活発になるんだ。人間に本霊と副霊と二つの働きがあるのは知っているだろう。浄霊を受けさえすれば、四角張った説教をしなくても本霊の働きが自然に働いてくるから魂が浄化されて人を救う心を起こし、自分も幸福になれるんだ』ということを、江川さんという方に仰ったお言葉です。

8月23日にはですね、「救世」が「栄光」と「地上天国」というのに変わります。この時の、8月23日の時の話ですね、先程冒頭に私の挨拶に入れさせてもらったのがですね、「月次祭があっても大祭がありませんが大祭をなさっては?」ということで、さっきの江川さんという人が聞かれてるわけです、メシヤ様に。すると、「神様はご自分から祭りをしてくれとは決して仰るものではない、信者の方からどうぞ御祭りをさせて頂きたいと申し上げなくてはいけないのだ」というお言葉をいただいたと。で、江川さんが準備して秋季大祭を仕切られたと。だから、幹部方を差し置いてという。後には幹部になられてますけども。そういうことであったようです。

だから、分かった人がやるという事ですね。

 

昭和25年―3 浄霊法変わる

資料1010-12(昭和25年―3 浄霊法変わる)


12(昭和25年―3 浄霊法変わる)

 

25年の9月の時には、これ、御神名の事で色んな御神名が出てくるので、25年の9月には『五六七大神様の御前に・・・』出てきてますよね。

25年10月には「法難手記」が発刊されました。

11月20日には「救世(メシヤ)教早わかり」が発刊されました。

12月27日に「浄霊法変わる」、昭和25年の大事な年の最後に「浄霊法変わる」ということで、栄光の84号のところにですね、『今回、御神事により浄霊法が変る事になったから、今日以後其通りにされたいのである。之は霊界が最近非常に変わって来た為で、それに基いた事は勿論である。今迄の浄霊法はどちらかと言えば霊と体との両方が加味されていた。というのは掌から霊を出す場合ある程度力が加わったのである。力 即ち 体 であるから、それだけ霊の力が減ずるわけになる。(中略)処が、今後はそれが著しくなり、絶対体的力を抜き、霊のみを放射するのである。之を詳しく言えば神霊の光が私から霊線を通じて、みんなの御守りに止どまり、御守りから其霊光が掌を通して病人の患部へ放射されるのであるから、之からは出来るだけ力を入れないように、軽い気持ちで霊を放射すべきである』と。

ハッキリと浄霊法かわるということで、理由を説明されておられますので、どう考えてもですね、直接浄霊とか探査の浄霊とかに戻るんじゃないんですよという事です。

昭和25年の一番重要な年の最後に「浄霊法変わる」ということで、医療法に関係してるとか、そんなこと抜きで本当の信仰上の話の中で、体的力を一切抜くんだということで言われてるわけですから、これをこのお言葉通りにやっていかなくてどうするんだということであります。

 


昭和29年 如意宝珠の力は救世主にだけ与えられる力

資料1010-13(昭和
29年 如意宝珠の力は救世主にだけ与えられる力)
13(昭和29年 如意宝珠の力)

 

もう少し調べていて、重要だと思ったのが、昭和29年の話で、そこに書かれてる29年、最後の最後の時に色んな神様の型をされてたんだと。

要は、御働きの型をされていたんですね。

ということで、如意宝珠の力は救世主だけに与えられる力ということが中心ですけども、

4月28日、『メシヤとして私の御神格が非常に高くなった。これからは、我を出さず素直になるように努めなくては御奉仕は許されなくなる』と、側近の方に言われたそうです。

それから、『これからは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念である。お念じしなさい』

二の問題っていうと、浄霊を疎かにしろって言ってるんじゃないんですよ。まず、御祈願してメシヤ様にお願いして浄霊をすると、いくらでも御守護頂けるよということを言われてるわけですから。なかなか受け止め方がね。

5月6日、『新しくメシヤとして生れた私に、如意法珠の力が授けられた』『これは救世主にだけ与えられる力で自分もびっくりしている』ということを言われています。5月6日というのがすごいね、話をされたのが。5月5日の次の日だよね。如意宝珠の力自体がですね、ミクラタナの神様だと思いますね。珠(たま)ですから。

5月12日、『これからはミロクの型をやる』と。もうだから、色んな型をやられてますね。ミロク大御神ってさっき出てきたけども、そういう時ミロクの型もやって・・メシヤ様はミロク大御神でもあったわけですね。

で、『今までと違う。これからは自らが神様へ心からお詫びとお縋りする想念が大事なのだ』と言われています。

5月13日、『想念による新しい浄霊を発見した』これは、どういう浄霊か分かりませんけども、想念による浄霊を発見したと。

5月20日、『メシヤに生まれ変わったのではなくて生れたのだ』

5月21日、『今、三千年前の型をしているのだ』と。三千年前だから、国常立之尊様の時代位の型をやってるんだというのがあったのかな。だから、全ての歴史をずっと型でやっているのかなという。

5月22日は『嬰児の型だ』と。赤ん坊のようになられたらしいですね。それから、メシヤ下生であらせられた事を話される。

5月23日、隣家火災。短冊を書いて火事場に投げよと言われて投げたらしいです。残ってたらしいです。御文字が残ってたらしいです。『この火事に意味があり、この日を境に今までの乳児ではなくなった』という話がありました。

5月29日、天下筋ですね。『こんな手の筋が出来た』ということで、このことは昭和6年に知らされていたと言われています。

親指は意味合い的に全指の意味の総括。全部の指それぞれに意味があるけども、総括的なのが親指なんですって。

人差し指は一切に指図する

中指は天下統一

薬指は文学、美術、音楽、芸能、あらゆる芸術を当らせる

小指は美術収築、地上天国建設、財運

こういうのが、真っ直ぐピーっと指の先まで線が入ったと。それを天下筋と言うらしいです。それがメシヤの証。手にメシヤの証を持って生まれるっていうのがそういうことだったらしいです。実際に掌に出てきたんだよと。

 

世界で最高の位を持ってメシヤ様はお顕れになられた


資料1010-14(世界で最高の位を持ってメシヤ様はお顕れになられた)
14(世界で最高の位)

 

で、世界で最高の位を持ってメシヤ様は御顕れになったということで、6月5日にね、碧雲荘の庭に筵をひいて幹部500名を並ばせましたね。『網戸を外せ』・・意味は分からないんですけど、『随分若くなったという話だが・・・メシヤ降誕と言ってね、メシヤが生れたわけで・・・メシヤというのは世界一で、世界で最高の位です。西洋では王の王ということになっているが、キング オブ キング といって、その位を持っているんで、私が出て初めて人類が救われるんだから大変な事件なのである』

「位」というところが大事かと思います。

で、6月8日、熱海かな?熱海の中屋というところ。ここは『天の岩戸開きの場所となる』ということを言われています。

6月12日には、岩戸開きの御神業をされて、『岩戸開きが終わった』いうことを言われてます。

6月15日に、大草管長からの発表で、明主様と呼ばせていただいていたのをメシヤ様と御尊称するようになったんだよということで、この時の管長の話で、西洋では「メシヤ降誕」と言いますと。東洋では「弥勒下生」と言います。日本では6月15日は天照皇大御神様の御誕生日です。で、30年3月3日に水晶殿、メシヤ会館の盛大なる完成式を予定してますよという発表があります。

そういうことを合わせて考えるとですね、「天の岩戸開き」も、「弥勒下生」も「メシヤ降誕」も全て世界で最高の位を持ってメシヤ様がお顕れになられたことを指していると受け止められると思います。

 

メシヤ様が御降臨されたことは後から分かる神仕組み

資料1010-15(メシヤ様が御降臨されたことは後から分かる神仕組み)

 

15(後からわかる神仕組み)


それから、メシヤ様が御降臨されたことは後からわかる神仕組みということで、

29年6月22日、日光殿のメシヤ観音様を御尊影に換えよ、ということで、本金のお額(三救御神前の御尊影を見ながら)、この御教え通りにしようとされたということ、メシヤ様の御言葉通りにね。

6月24日、日光殿の大光明如来の御神体を御尊影に換えて御簾を下までさげる。本当はそうなのかもしれない。あまりにも恐れ多くて、光が強いのでという事でしょう。という風にされてます。

6月25日から3日間、日光殿で御簾を下ろして、電気を消して、天津祝詞で・・(これは天の岩戸開きの型ですね)・・「天照皇大御神守り給へ幸倍賜へ」。

だからね、ずーっと天照大御神の御神名でいくって全然一言も言われてませんからね、そういうところを勘違いする人もいるかもしれませんけども。日本の型もされたよという事です。

7月4日、「現身のメシヤ様の「御尊影」を御神体として礼拝させて頂けば官憲はどのように誤解するか分からない。御神体を元の「大光明如来」にお掛け替えをお願いさせて頂きたい」ということで、そういわれたので、メシヤ様は『よろしい』と。だから、皆さんの気持ちがそんなだったら『よろしい』という事ですね。もう、取り下げたということです。

だけど、7月9日、『メシヤ降臨について世界に一辺に知れ亘ると邪神の妨害があり、大変なことになる。メシヤの仕事が進むにつれて、メシヤが降臨したことが、後から分かるように神業は御仕組遊ばされている』

すでに、もう降臨されてるわけです。だから、認識ということが大事なんですね。先程の話、祭典をお祝い申し上げますということですから。降臨されたということを認識してなければ何もない。だから、あなた達から言うんですよということ、祭典をさせて下さいということを。だから、3月3日に祭典、やっとその時に認識出来て、させて頂きたいということで、させてもらえたということは、そういう人は既に居られるメシヤ様を認識出来たということですね。そういう気持ちで行ってる人はね。そういう祭典だったと。既に居られるわけですね。神様が憑られるとか憑られないとかそういうんじゃなくてね、認識できるかどうかが大事なんだと思います。

それから、ちょっと怖い話が7月11日に、「真に水晶世界になる時は薬毒は一瞬にして消す。ただ、この時に多量に薬毒が入っている者は命を失うこともあるんだよ」ということです。表には出てないことだと思いますけども、「一瞬にして消します」

 

参加者

今もその一つの始まりだね

 

三救責任者

だから、今も大量に薬が入っていて免疫力が弱ってる人というのはですね、コロナなどによってもですね、生命を落とす人もいるよということです。

 

参加者

もっとこれから出てくるって事だね。

 

三救責任者

もっと出てくると思います。

 

それから、7月12日、『既に教えの一切を表した』と。

今、全集なんかは年代別に並んでるので分かり難いと思います。そういうのを体系立てて整理していくということが、大事な、残された弟子の仕事じゃないかなと思います。

7月13日、『人類救済のために余を真似よ』と仰っています。

これは、景仰とかに出てくるようなメシヤ様の御姿をですね、先生もよく景仰を取り上げられて、景仰を如何様に拝読するかということで書かれてましたけども、こういうことを大分意識されておられたんだなぁと、こう書いていると、先生が見られてたものが分かってくるような気がします。

 

メシヤ様が御降誕なされた認識を持つ

資料1010-16(メシヤ様が御降誕なされた認識を持つ)

 16(メシヤ様が御降誕なされた認識を持つ)


それから、メシヤ様が御降誕なされた認識を持つということで、

『いと高き御位を後に御救の為に弥勒は下生しませり』という御歌をですね、この時に『下生ましませり』って直されています。文法的には良く分かりませんけども、感覚的に「下生しませり」っていうと、下生するんだよっていう風に僕は受け止めたんですね。「下生ましませり」って、もう下生されてもうおわしますと、いう風なことを知らせたいが為にわざわざこういう風に直されたんじゃないかと受け止めました。だから、弥勒下生もなったんだよということです。

それから、7月25日、メシヤ様は『30年3月3日にメシヤ降誕祭を執り行う』とお決めになられた。

この時の話を言われてたんですね、30年3月3日ということは。昭和30年の3月3日には出来なかったので、平成30年3月3日にやらせて頂くという、認識を持ってやらせて頂く。認識を持っていたかどうかは分かりませんけども、ということです。だから、その時に降りてもらうんじゃなくて、もう降誕されていて、御働きされていたんだよ、だけども呼び方自体を、メシヤ様と呼ぶこと自体を幹部の方から取り下げを言ってるわけですから、それのやり直しということで、させて頂いた。自分達はずっとメシヤ様って御呼び申し上げてるわけで、そういう認識を出来てる人がもっと増えていけばいいと。

それから、7月26日に、昭和29年6月15日から本当の世界歴史が始まったのである、ということを言われてます。

そして、8月1日に、現在の体の状態では、まだメシヤとしての活動を十分に尽されない感があるから従来通り明主の言葉にて唱えるように、ということを、幹部からの話をこういう風に戻されたということです。

それから、12月14日、これはね、樋口先生に、ハワイに行かれた樋口先生に・・(本当のギリギリでハワイに行かれてるんですね、世界布教という、アメリカを救うということで行かれてる)・・アメリカ行きが早くなった。お前は神様がついて行くから身体だけ行けばよい、ということを言われてます。で、今までは考えて物をするということもあったが、メシヤとなってからは全くそれがなくなった。メシヤの都合で予定が急に変更することがあり、まるで分らぬ、ということを言われてます。

12月22日、日月地大御神(みろくおおみかみ)、日月地(じつげつち)のね、守り給へ幸倍賜へ、という御神名で参拝されてるようです。メシヤ様が参拝されるというのじゃないですからね、メシヤ様に対してだと思います。

12月23日、メシヤ様に御祝詞を申し上げてからね、御祝申し上げますということを言って、御神床の千手観音様、この時も御神床には千手観音様がかけられてたよということで、千手観音様の働きをしていくというあらわれだったと思いますけども、千手観音守り給へ幸倍賜へと言ったわけではないです。多分、ミロク大御神守り給へ幸倍賜へだったと思います。だから、これも形として御神床に千手観音様ですけども、千手観音様の働きをしていくということで、メシヤ様に対してだと思います。型をしているんですね、色んな。千手観音様の型であり、ミロク大御神様の型であり、そういう型をされている。

で、12月31日、『1月1日の午前零時に千手観音を救世会館にかけなさい』ということで、最後の時にかかってたのが、千手観音だったというのはここから来てるわけです。初めからやりなさいって事かもしれないしね。千の手を持って衆生済度を救っていく、そこからやろうってことかも知れませんし、全ての型をなされていった昭和29年ね。で、重要なのが、明主に戻したけども、メシヤ降誕されてるわけですから、メシヤ様になられてるわけで、幹部がメシヤ様と御尊称できなくて取り下げを申し出たけども、認識の不足であって、結局メシヤ様となられて御神業されてることに変わりないということですね。だから、メシヤ様はメシヤ様です。自分達が呼べないだけであって、メシヤ様になられてるんですよと、その認識があるかどうか、そこの認識だと思います。これを見てると、本当に色んな型をされてますからね。一気にされていったんです、昭和29年、この時もうすぐ御昇天されることが御自分ではわかっておられるのでね。

 

これからは想念が大事

資料1010-17(これからは想念が大事)

17(これからは想念が大事)
 


それから、これからは想念が大事。

私にしっかりお祈りし御守護をお願いして御浄霊をすれば大抵な浄化は治せるよと。

2月10日、午後3時33分御昇天。

2月11日のお通夜で、御神体、これは御尊体と書いてありましたので、メシヤ様ですね。それから、御尊影があって、二代様が先達で、主之大御神守り給へ幸倍賜へ、日月地大御神守り給へ幸倍賜へと、この時に唱えてます。分かっていてかどうか分かりません。唱えさせられたのかも知れませんし、これは大本教の関係の方でも主之神、主神ということが出てきますので、ここはちょっとあれですけども、だけど分かってる幹部もいたんでしょうね。現界ではミロク大御神様ですけども、主神様、全ては主神様。この御神名は別にこれでいいかと思いますけども。そういうことだと思います。

で、初めから昭和25年ごろから知らせてあっただろうという事があって、

「和光同塵の 衣をかなぐりすつる時 いよよ来にけり 心せよみな」

というのは、メシヤ様御昇天、御神業を終えて御昇天していくということは、歌に残してきたんだということで、どの歌がと探した時にですね、幹部の方がこの歌だろうと。

 

幸福への扉

資料1010-18(幸福への扉)


18(幸福への扉)

 

で、幸福への扉ということで、先生の書かれてる、『使命に基づいて知らされたのだ』ということで、メシヤ様の御神格を認識さえすれば絶大なる御力をいただくことができる。幸福への扉は自らの認識と行動によって一段と開かれるんだよ、ということが書かれています。これ、いいフレーズだなと思って書いたんだけども、『幸福への扉』ね。先生、詩人だよね。

 

で、ここまでなんだけど、ちょっと余談になりますけども、10月ということで関係してるのでね、これは去年作った資料ですけども、

 

岩戸観音堂の立て札は何故日の出観音様?

資料1010-19(岩戸観音堂の立て札は何故日の出観音様?)

19(立て札)

 

岩戸観音堂の伊都能売観音様のところ

.に書いてあるのが日の出観音と書いてあるんですね。行かれた方はご存知かと思いますけども、ここで、なぜかな?って思った時にね、

昭和9年11月3日、地崎宇三郎さんが福島へ用で行き、旭日昇天の様を拝し見てメシヤ様からお話のあった観音様は「日の出観音」と名付くべし。肝銘を得申し候。・・肝銘というのは感銘するとか、深く感じるということですね。メシヤ様からお話のあったのは、名付くべしって、ここだけを読むと自分で朝日が昇って来たのを見て日の出観音だって決めたようにみえますね。ここだけ見ると。その次のところで、

御神体の命名は既に地崎氏が準備されていたので岩戸観音堂宇としての名となった。岩戸観音堂としたと。だから、ここに地崎氏の考えが大分入ってるね。で、本堂にはメシヤ様直筆の日の出観音様を御本尊としたと。御諭示に基づき『日の出観音』と白木の掛札をかけた。御諭示というのは、文書で諭し示すことですから、命令されたというのと一緒ですね。だから、直接メシヤ様かどうか分かりませんけども、教団の方からね、この時まだ観音教団、話されたのが、日の出観音としなさいと。僕はメシヤ様と思いますけどね。で、両方合わせ考えてみるに、自分で感動して日之出観音と名付けたのではなく、メシヤ様からのお話で日之出観世音と名付けた。メシヤ様から掛札のご指示あり。メシヤ様から掛札に対して御指示があったんだと思われます。だから、メシヤ様が「日之出観世音」と名付けたんですよ、と受け止める方がやっぱり良いかなと思います。

 

メシヤ様は日之出観音様をメシヤ観音様と名称を変更された

資料1010-20(メシヤ様は日之出観音様をメシヤ観音様と名称を変更された)

20(メシヤ観音様)

 

じゃぁ、それを自分なりに考えてみますと、メシヤ様は後年、日之出観音様をメシヤ観音様と名称を変更されましたと、箱根美術館に行った時にこの話が書いてあったんですね。日の出観音様であり、後々メシヤ観音様という名称になったと。これ、非常に名前に意味があると思いまして、最初命名した時は「日之出観音」様と命名したわけですね。でも、実際の絵姿というのは「伊都能売神観」様だったと。で、「日之出観音」としての御神名の変更は「メシヤ観音」ということで、後々されてるわけですね。そういう事を考えるとですね、最初の命名の「日之出観音」というのは「日」ということですね。絵姿は「日月」ですね。「メシヤ観音」というのは「日月地」になります。ここで、すべては一神、主神様御一方に帰一していくんだよということを、ここの「日之出観音」の掛札の名前と伊都能売観音様の絵姿だけ捉えてもですね、そういうことを何も分からない信者でない方、ここは信者でない方も参拝されますので、知らせたかったんじゃないかと、これは僕の考えです。要は絵姿ではない、形ではない、御神名が大切なんですよ、言霊がね大切なんですよ、ということを思いました。

 

組織にとらわれず誰でも参拝の許される神社

資料1010-21(組織にとらわれず誰でも参拝の許される神社)

 21(誰でも参拝)

で、ここは、組織にとらわれず誰でも参拝の許される神社ですと。同じように加良比乃神社も誰でも参拝できる。そういうことに、大きな意味があるんじゃないかなと。いついつじゃないといけないとか、誰と誰が来ないといけないとか、そういうのではなくて、自分の気持ちで参拝すればいいところでありますよ、という事が言いたくてですね。だから、組織で固まってという所じゃないじゃないですか?○○教団が持ってるわけでもないし、○○教が持ってるところでもないわけですから、そこが分からないと。誰が来てとか、どうとかという所ではないと。自由に参拝してくださいという事です。

 

一般の人にもわかるように 何を?(資料の中央)  ということで、

日の出観音様ね、名前だけ見ると、太陽が元の神様ですよって、それだけで分かりますよね。

それから、菩薩の位から。観音っていうのは菩薩ですよね。菩薩の位からキング オブ キングス 、メシヤ観音と言うのは、メシヤと言うのは キング オブ キングス になりますので、キング オブ キングスの位まで上がられるんですよという、暗黙ではないですけども、そういうことの意図があったんじゃないかなと。

で、伊都能売観音というのはですね、イという字、人偏がついてますよね、これは人間であって、日の出観音の意味合いが分かる為に伊都能売のお働きをされるんだよと。イズノメ神ことメシヤでありけれということが、神界通信で出てますよね。メシヤというのは人間の名前です、ということも言われてます。

 

 『⦿』 の言霊

図―1

図ー1

 

ここに出てきてないけど、最後、伊都能売観音様のところもですね、先生は口をついてでてきたというのは、「主之大御神」の御神名が出てきたというのは、ハッキリ言われてますので、「ス」の言霊というのはどれだけ尊くスゴイのかを教えて下さっています。「ス」の言霊を発することが許されるよう学び続けているんだと言えます。学ばせて頂ければ頂くほど御神名に異議をさしはさむ余地などないのではないでしょうか?

意味合いとしては全てが帰一していくわけですから、何て呼んでようと主神様ですので、自分が認識してそう思った御神名であればいいわけで、こういう御神名でないといけないというものでもないですよと。だけど、私達はこの ⦿ まるにチョンの御神体が許されて、主之大御神様と気持ちよく御神名を唱えることが出来るじゃないですかという事ですね。また、加良比乃神社の方ではきちんとミクラタナの神様、伊都能売の神様として天照大御神様として、普通にその御神名が言えるところを用意して下さっているということに感謝してですね、意義を求めるというのがいいのではないかなと私は思います。

 

何か質問がありましたら・・。よろしいですか?

 

では、終わらせて頂きます。

 

司会

以上で三救祭を終わらせて頂きます。

 

参加者一同

ありがとうございました。

覚りの旅 令和2年11月度 を終えて

 http://takaamahara.blog.jp/archives/24242475.html 2020年11月11日 令和2年11月 覚りの旅 令和2年11月度 を終えて 三救責任者挨拶 皆様、一日祭ならびに月次祭、誠におめでとうございます。 本日のテーマの一つに「病気と...