2024年1月17日水曜日

覚りの旅  令和6年1月 新年祭を終えて

 令和6年1月5日

   覚りの旅  令和6年1月 新年祭を終えて

三救責任者
皆様、新年祭おめでとうございます。

参加者一同
おめでとうございます。

三救責任者
今回の御教えは『観世音菩薩』です。
それでは拝読をお願いします。

参加者
『文明の創造 観世音菩薩』 拝読

三救責任者
はい、ありがとうございます。メシヤ講座から確認させていただきます。平成 273月ですね。
これは先月の『伊都能売神』と関わりがあります。先月の『伊都能売神』のところからですけれども、

『素盞嗚尊を中心とする朝鮮の神々が渡来され、伊都能売神の地位を狙って犯さうとしたが、容易に応諾されない為威圧や迫害等から進んで、遂に生命に迄も及んで来たので、急遽御位を棄てられ、変身によって眼を外らし、窃かに日本を脱出し、支那を通って印度へ落ち延び給ふたのである。』

これが、実は『三千年来の罪穢れ』の根本でありますので、私たちは日常生活の中で職場であろうが家庭であろうが様々なことで威圧や迫害によって事を治めようとした場合は、『三千年来の罪穢れ』がまだ続いていると判断していかないといけません。

それを切替えていくということが、私たちの御神業であるわけです。

職場や家庭で仮にそういう威圧や迫害が出た時には、このままではまだ当面『夜の時代だ』と判断していかないといけませんので、どこからか切り替えていくようにしていただきたいと思います。

それから、国常立尊様は閻魔大王になられて、観世音菩薩の御本体である伊都能売神様とお分かれになったと。そういう関係性を認識していただいて、

『観世音菩薩』の御論文から、

長男が 伊都能売神皇様

次男が 天照天皇

三男が 神素戔嗚尊

長女が 稚姫君命

次女が 初稚姫命

と書かれております。
この御関係を『文明の創造』で明確にお示しくださっておられるわけです。
日本人は 天照天皇 の御存在を知りません。心を許せる人には、話をしながら御神業を進めていただきたいと思います。
『目的のために手段を選ばず式で』というのは、そこは、素尊が殺したということが類推できるが、ぼかしてお書きになっておられるということです。
こうしたところをお汲み取りいただきながら、拝読していただければありがたいと思います。

このように、メシヤ講座でお話いただいております。

国常立尊様は霊界で閻魔大王、現界で観世音菩薩となられる。この観世音菩薩というのは御本体は伊都能売神様である。こういう御関係です。

次に 観世音菩薩 と 観自在菩薩 の違いが示されておりまして、
観音様が「インド滞在中は自在天の世を客観してゐたので観自在といひ、今度は音姫の世を静観する事となったので、観世音と名付けられたのである。」

ここで 観世音菩薩 と 観自在菩薩 の違いを明確に理解していただけるのではないかなと思います。

「徳高き菩薩の事とて、四隣の民草は親を慕ふが如く追々寄り集ふ有様で、此(この)時から観音信仰は遂に支那(シナ)全土にまで行き渡ったのである。」

中国人の方で非常に強い観音信仰を持っておられる方がおりますが、〝その理由はここにある″と受け止めておいていただきたい。

このように、メシヤ講座で学びました。

ここで、このことについて仏教学者、浄土真宗の僧である道端良秀(みちばたりょうしゅう)氏の御論文「中国における民間信仰と観音」から紹介したいと思います。

これはメシヤ講座ではないです。少し前に調べたことです。

〇観音信仰は中国における民間信仰の第一位を占むるということができる。

今の、中国全土に行き渡ったという話の内容を、現代の・・。
五つの観音信仰の形態があるということで、

➀ 法華経普門品の観音
七難三毒を除き、三十三身を現じて一切の苦難から人々を救い、更に全ての願に応じて福を授け、特に玉の如き男女を思いのままに授ける と云う
というのが法華経普門品に出てくる観音様。だから「善言讃詞」の元というか、関係性が、観音様のそこの話ですね。

② 浄土経典による観音
阿弥陀仏の脇侍仏。お寺とかに行くと、阿弥陀さんが真ん中にあって、その脇侍としてある仏。
これは死後の浄土往生への仏としての観音である。
そういう考え方、中国の考え方を調べて言われております。

③ 『華厳経入法界品』による補陀落迦山上の観音
補陀山信仰の ・・これ(補陀落山)は観音の浄土という受け止め方です。
これは、補陀落山の観音は日本の僧(慧蕚(えがく))によって、五臺(ごだい)山から勧請(かんじょう)されたもので、補陀山信仰の始祖をなすもの。
南海大士、補陀大士 ー 海上の守護神はこの補陀落山上の観音だそうです。
そういう考え方が、華厳経に出てくる観音様。

④真言密教系の観音
空海とかの関係。
金剛界胎蔵界の曼陀羅。真言密教の不可思議なる魅力が如何にこの観音をして一般庶民に力強く信仰せしめられていることかと書いてあって、多くの化身の出現はこの系統だそうです。

⑤ 道教系の観音。
これは水月観音とか蛤蜊観音(こうりかんのん)。観音の娘々(にゃんにゃん)化。

参加者
にゃんにゃん化?

三救責任者
中国ドラマとか見ると、宮廷の皇后様は天使の皇后とかを女神に祀りあげたり、高貴な人の事を娘々(にゃんにゃん)という。
先程の水月観音とか蛤蜊観音というのは、岩戸観音堂に行くと出てますね、洞窟の中に。
今の、中国全土に行き渡った、ということの裏付け的なことが、仏教学者の中で示されているんだなと思って紹介させていただきました。

それから、昭和26921日の御講話で、この『文明の創造』の「仏教の起源」、「伊都能売神」、「観世音菩薩」と学んできたわけですけども、その3つを紹介した時の、メシヤ様御在世当時の御講話ですけども、

「みんながわからないことをずいぶん書いてますからおもしろい点も多いにありますが、また非常に参考になる点もありますから、特別耳の穴をかっぽじって聞きもらさないように」、として3つの先程の御論文を朗読されました。そしてちょっと書けないことが相当あるとして、次の御講話をされておられます。読ませていただきますので、耳の穴をかっぽじってお聞きください。

 御講話、昭和26921日。 これは未発表ですね。

これは『文明の創造』における「宗教篇」です。この前読みましたがその続きです。これはみんなが分からないことをずいぶん書いてますからおもしろい点も大いにありますが、また非常に参考になる点もありますから特別耳の穴をかっぽじって聞きもらさぬように。

(御論文「仏教の起源」「伊都能売神」「観世音菩薩」朗読

これでまだいろいろおもしろいことがあるが、ちょっと書けないことがそうとうあるのですから、そういうのは話をするかしようと思っているが、ここに伊弉諾尊の子供で五人としてあるがもう一人ある。もう一人というのは伊弉諾尊と言う神様は国常立尊になるんですね。息子に国武彦尊と言うのがありそれが一番長男になる。

だから、メシヤ様のお兄様になるわけですね。メシヤ様が伊都能売神皇、ただ国常立尊でもあるのでね。

 当時大将軍と言い勇猛でかなり勝手なことをやっていたその罪によって、言わば地獄に行かれたようなことになる。一番末が初稚姫尊と言い、これが○○教祖の○○となる。そういうようにいくども生まれ変わっている。大将軍の妹になる。そこで霊界で地獄と言ってもふつうの人間と違います。修行するんです。修行した結果、大いに世の中のためになろうと言うので○○教祖の○○に憑った。それで○○に最初憑ったのは夫(そ)の大将軍が憑ったんです。そういう因緑なんです。そこで最初のうちは力がありますから病気治しもさせたが、その力によって良く病気が治った。それで最初は病気治しで世の中に出たんです。それからもう一つ日本民族の霊的考察の中にありますが、そこにもっていってそれを出雲系・・・素戔嗚尊が利用した。利用して、そうして、盤古神皇に取って代わろうとしたわけです。それが徳川家康の系統なんです。

「どうする家康」をやっていましたけれども、素戔嗚尊の系統、出雲系の系統だということですね。御教えにあることです。今度は長州・毛利と薩摩・島津で明治になるわけですね。これは天尊系、これで読み解けるわけです。

○○教の本体を書くことは○○教に悪いですからそこで書かなかった。それからもう一つ書こうと思って止(よ)したことがある。いまの稚姫君尊ですね。これがこの次に書きますがお釈迦さんですね。ですから釈迦、阿弥陀というのは伊都能売神皇がインドに行かれて観自在天というお名前になられ、霊は釈迦と阿弥陀となった。阿弥陀は素戔嗚尊です。そこで稚姫君尊は釈迦になる。そこで釈迦は変性女子と言われたというのは稚姫君尊だから女になる。それで弥勒三会にあります「鐘の音」というのがありますが、三人の弥勒というのは釈迦が報身(ほうしん)、報いるという字です。阿弥陀が法身(ほっしん)弥勒、観音は応身(おうしん)弥勒、これが三尊の弥陀になる。ところが弥勒三会というのは○○教になる。○○教はそのために出た宗教です。○○教祖○○と言う方は釈迦の稚姫君尊です。○○教のお筆先にあるが「○○の御魂は半分は国常立尊、半分が稚姫君尊である」というのはそういうことです。○○様この方が阿弥陀になる。それで自分は月の神様で、瑞月(ずいげつ)という名前をつけたんですね。だから寂光の浄土と言いますね。月の天国と言うんですね。そんなようなわけで、○○教の教祖さんが釈迦になる。そうして○○さんが阿弥陀となる。そこの二人に生まれたのが私です。私が応身弥勒ですね。この三人が会った。これはだれも知らない。私は知らせたくないと言うのは、○○教の信者がこっちに来てしまうからね、だから書きたいが書かないんです。分かったらたいへんだからね。そんなようなわけで応身の弥勒と言うのは観音です。そこで観音会をつくった。観音を芯にしてやっていたからね。つまり○○教は○○教と姉妹教になる。それで○○教では○○教の教祖を祀ってやっている。教祖さんの○○の妹になる。で、その親が伊弉諾尊・・・国常立尊になるわけです。なかなかここのところは不思議です。すっかり分かればなんでもないが、なかなかね。それで仏というのは神の化身です。化身ということはインドは大自在天が支配していたとき、バラモンというのがインドですから、そこに仏教をひろめなければならないと言うので、最初稚姫君尊と素戔嗚尊が行って仏教の基礎を作った、そこに伊都能売神皇が行った。

だから、改心して働かれているんですよ。素戔嗚尊様もね。

それを化仏化神と言う。そのとき天の八人のお子さんで五男三女と言う、これが八大龍王になる。なぜと言ってそのとき五男三女というのは、自分はインドに行くのは嫌だと言ってどうしても 日本にいると言う。仏はいずれ仏滅の世になると言うので龍神になってそれを待たれた。日本の近海ですね、越後と佐渡の間だとか、東北のほうにもあるし、房州と関東の間の海、九州の有明、そういう所に飛び込んで時を待った。それが八大龍王です。そうして総大将が伊都能売神様ですね。

こちらは琵琶湖の方、金龍神となられて神上がった時にも船が転覆してますね。

それが日本に帰ろうと思ったところ、いま読んだように帰れないので霊で日本に来て自分も仏滅まで隠れていると言うので、先にも言った通り近江の琵琶湖に入り琵琶湖の底に龍神となられて、これが金龍ですね。それで霊でも霊と体がある。霊の体のほうは木花咲爺姫で、そうして富士山に祀られている。それから琵琶湖のほうが伊都能売金龍として隠れている。このことは先に書きましたが、そうして時を待たれた。そうして約三〇○○年、本当言うと二六○○年ですが、これが最初三〇○○年のつもりだったが神様のほうで力を強くしたんですね。それで邪神のほうも書きます。邪神のほうの活動ですね、たいへんなんです。こういう宗教的なものはいままでなにもないが中味をさらけ出すわけです。いままではこれを分からせることができない。なぜ分からせることができないかと言うと時期が早いからです。やはり成功しないからです。と言うのはいろいろ夜の世界と昼間の世界の関係もありますからね。邪神のほうの活躍ですね。まだずっと先までやるつもりだったが、だんだん神様のほうでも強くなって、邪神のほうがこの辺で往生することになる。邪神の活躍というのももうじきなんです。それで五六七の世ができるんですがね。○○教のお筆先にありますが、「遅き速きはあるが一度神の申した事に違いはないぞよ」これは千変万化邪神に対抗していくことになるので、いままでの私とメシヤ教に対するいろいろな手も邪神との闘いです。いまもって続いているわけですがね。だんだんこっちのほうが勝って行くわけです。もう一息ですね。もう一息でこっちが本当に勝って行く。そこでその期限と言うのは来年あたりですね。来年は勝って行く。しかし先でもいろんな妨害があるんです。五六七の世まで続くんです。しかし先のほうでだんだん弱まってきますから、同じ闘いでも楽になってきますね。ですからもうわずかです。もう一息です。来年から再来年にかけて、すばらしいいろんなおもしろいことがある。それから霊界もなかなか複雑ないろんなことがある。ちょうどいま出てますがね。中共と連合軍との停戦協定ですが良く現われている。邪神のほうでもなかなかね。それから神様のほうでも、つまり一挙にやってしまえば邪神が負けるんですが、そうすると救われない者や亡ぶ者がたくさんできますから、神様の慈悲によってそういう者を救いながら分からせる。そうして被害を少なくしようというのが神様の慈悲なんです。そのためにまだるっこいようなことがあるんですね。

(一部省略)

国常立尊が閻魔大王で三〇○○年の間霊界で観ていられた。それが今度出たお筆先に、「今度は国常立尊が此の世の閻魔になり世の建替えを致すぞよ」というのがあり、建替えとは審判です。だから今度は俺(メシヤ様ですね)を使って国常立尊が審判をするんだと思った。
ここで国常立尊様がメシヤ様をお使いになられて審判をなさる、ということですね。
その関係と言ってはなんですが、これは昭和2371日の御教えです。

・五大洲の型を採って取って日本が出来たものである。地球の収縮により海は深くなる。氷河が溶けたり、海面が低く現れると熱が平均してきた。それで暑いところは涼しく、寒冷地も暖かくなる。今に南極北極へも住むようになる。
温暖化、温暖化と言っても、南極北極は住めるようになるかもしれないという御教え上の話。
メシヤ様は知らされてますからね。
それから、その続きのところです。

(問) 龍神や天狗は地球上に生存したことがあるでしょうか。
(答) 龍神は最も古く生まれ、大地を構成した時、即ち地球の元からあった。即ち○○教の泥海時代である。
天狗は新しい。
宇宙は(初め水蒸気の塊のようなものだという)兎に角柔らかい泥海のようなものだったに違いない。そして(日月星辰が出来)固まったが、ドロドロで、生物が棲むには固めなくてはならぬ。それを龍神がこねた。

そして霊界へ行って活動した。ある程度固まった時マンモス時代となった。象が駆け回って固めた。その両者の間に大トカゲ時代があり、それがまたこねた。恐龍とはトカゲである。その前にも龍神があったことになっている。それは非常に大きいものである。故に、国常立尊は日本の国土の大きさの龍神だと○○教では言っているが、これは嘘でもないらしい。

国常立尊も豊雲野尊も龍神であった。日本は龍系である。九州は元、 球州(くす) と言ったらしい。 球は玉で龍神が呑もうとする玉である。

新発田(しばた)は肛門で、東京湾は陰部、北海道は尾、伊豆半島は男、陽、などと言っているが、満更コヂツケではないらしい。房州の日本寺では天照大神がお生まれになった。

人間が龍神に、龍神が人間になることもたくさんある。龍神は慥(たし)かにある。

新発田というのは新潟です。
ここで“おおっ!”と思ったのは、
九州の元は球州です。龍神が呑もうとする玉。この球というのは、龍神が呑もうとする玉だそうです。地球の構成の時から龍神は活躍していたということです。

・太陽、月、星、地球の関係という御教えがありまして、
 抑々(そもそも)、宇宙の中心は地球で、地球はその真中にある。地球の中に生物がある。生物は地球以外の天体には生存しない。一切は地球の為に、否人間の為にある。

地球にある人類を育て、進歩発展さすのが神様の目的である。その目的に対する種々の物がある。それには火、水、土の三つの力が加わらなくてはならない。その為に日月地星辰がある。

日月地星辰という、星辰、たくさんの星のことですけども、星辰という辰(しん)という字は辰(たつ)の字ですからね。

今年は辰年ですね。

 太陽は火の塊、月は水の塊、即ち水が固形化した氷の塊である。月からは太陽熱の為しじゅう水蒸気が出ている。月夜の晩、特に水気が多いのはその為である。何時の時代でも必ず日月地星辰に相応した人間が表はれるものである。天地は合せ鏡になっており、天にあるまま地に写っているのである。火と月は霊線で牽引し、地球へ全体的に霊気を送っている。日と月が調和して凡ての陽気が出来る。又星からも霊線で地球に栄養を送っている。

神の働きは大抵二つになっているもので、神様の事の解釈も二つに考えるとよく合ふのである。凡ての物には中心がなくてはいけない。太陽の黒点はそれで、⦿(ス)はその象形文字である。果実ならその種のようなものである。

主神様の象形文字だと御教えにあります。

・ 最後の審判の表はれ方 という御教えがございまして、
(問) 最後の審判は何のような形で行はれるので御在いませうか。
(答) 之は、はっきり言えぬ。(浄化が)極端になる。表はれ方は神秘である。

こういう話はあったかな。

・ 地球の浄化

(問) 地球の浄化とはー
(答) いろいろで、病気、地震、洪水等、或いは物質不足等いろいろある。戦争等もそうで、米ソの冷たい戦争などもそうである。風水害等もある。
浄化の種類など書いてあります。
言霊が大事だという話があって、

・ 言霊・行いは永遠に残る

(問) 悪い行いは霊界に積り、悪い言霊も霊界に積ると申しますが、霊界に於ける浄化作用によって是等の言霊は永遠に消えるものでせうか。それともその儘の形を変えて悪の想念の人の所へ行くのでせうか。
(答) (言霊は消えない。言霊の毒素分は浄化作用で除れる)人間の行ないも言霊も永遠に残っている。古都などへ行くと、家屋などにもその時代の人間の想念や言霊がシミ着いている。だから古い時代の美術品は価値がある。時代は価値がある。

良い言霊も悪い言霊もあるので。

・ 言霊や文字の働き(雀)
(問) 稲田に雀がついて困りますので、「此の稲は人間が食べるものであって、雀は食べてはいけません」と張り札を致しましたら来なくなりました。

 言霊の話です。これ聞いたことあるでしょ?

(答) 言霊や文字が霊界に働き、雀の霊が食わぬよう、霊界に働きが起こる。斯ういう事は雀など敏感である。蛇などは特によく判る。

 あなたの来るところではありません、お前の来るところではない、という風に書いて貼っておくとか、言霊に出すというのは効くんだね。言霊が読めるんですね。

浄化の話をさせてもらいました。

 今回、『観世音菩薩』ということでしたので、観音様の御教えを確認させてもらっていて、伝えたいことだけ話します。

 〇 主神様(の知)は観音、光明如来、救世主(メシヤ)を通して働く
これは、「新伝道の手引き」にあります。

万能の神は観世音菩薩またの御名光明如来と現じ応身弥勒と化し、救世主(メシヤ)の御手を通じて自由無限なる御活力を駆使し、多々ますます奇跡を示し給い、本教を機関として救世の大業を行わせ給いつつあるのである。  
これは「宗教は奇跡なり」、昭和24611日の御教えです。

応身弥勒と化し のところで、観世音菩薩(光明如来)、応身弥勒、メシヤはいずれも日の系統の神霊であり、主神様の表現神であると思います。

 それからここが一番。

〇 観世音菩薩は主神の表現仏
この療法の創成は主神が人類の最も苦悩とする病気疾患を根絶せんとなし給う御目的に出たるものにして、その御目的遂行のため、表現仏たる観音の霊体を通じ、仁斎の肉体を活用させ、ここに、神人合一的大能力を発揮するに至ったのである。

この仁斎というのは昭和9年以降、浄霊、医療の関係の御論文等に一時使われたペンネーム・・ここにはペンネームと書いてありました。

昭和10年、「岡田式指圧療法の原理とその目的」からでした。

 

『観世音菩薩』ですけれども 主神様の表現仏 ということが、この御教えが一番、今回調べて言いたかったことでありました。

いい時間になりましたので終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。

司会

以上をもちまして、令和6年の新年祭を終わらせていただきます。

ありがとうございました。

参加者一同

ありがとうございました。

 

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