2017年2月10日金曜日

平成29年2月

メシヤ講座no.192三重(平成29年2月)
【メシヤ講座 三重支部】
 
<今月の御教え>
「『善悪発生とキリスト教』」(昭和二十七年)
本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』57ページに記載されています。
 
学びの整理と「覚り」報告
支部長代理
皆様、教祖祭、月次祭おめでとうございます。どうぞ足を楽にして下さい。私も楽にさせて頂きます(笑)。
1年前になりますけど、去年の2月の月次祭の時に、楳木代表に旧三重支部の駐車場とかの問題でご相談させて頂いたのがきっかけで、その2月の月次祭の3日後に、この現在の三重支部の建屋が売りに出ているという事で見学に来まして、その更に3日後に、売買契約をすることができました。三重の地で3日で3日で3、3、3。ちょっとこじ付けですけど(爆笑)。その頃は今よりも6~7キロ瘦せておりまして、体脂肪も10%位しかありませんでした。今は見ての通り、20%超えましたけども。新たな地で手探り状態でありましたけれども、1年があっという間に過ぎてしまいました。入会者もぼちぼち出て来まして、一緒に御神業を許されつつあります。有難い事だと思っております。
今回の『善悪発生とキリスト教』ですけれども、善悪の問題は主神様以外は分らないが、メシヤ様はお分かりになるので、メシヤ様とは最高最貴の御神格で在られるのだという事を今回御示しになられている御論文ではないかと拝察させて頂きました。それで、59ページの後ろから5行目、『真善美完(まった)き理想世界を造る』のが主神様の目的であられるので、“目的に必要な程度の物質文化の発達でよいのだ。”という事かなって思いまして、“発達し過ぎるのも駄目だと言えるのではないか”と思います。現在を見ますと、物質文化は究極を迎えているのではないか?と思われます。と言いますのは、今日の朝日新聞にも出てましたけれども、これは2月4日の毎日新聞からですけど、【クローズアップ2017】という所に、「日本の研究者に米軍資金」というのが出ていまして、米軍からお金を受け入れて、研究をしたという事が問題として取り上げられております。「軍事研究拒否」ということが前提で来ている訳ですけれども、形骸化して来ているという事が指摘されております。どんな研究かと言いますと、例えば京都大学では、データマイング、データ解析の技法を大量のデータに網羅的に適用することで知識を取り出す技術の研究ですね。それはAI(人工知能)の開発に欠かせないそうです。それから大阪大学の方ではレーザー技術、核融合発電とか、プラズママテリアル、舌を噛みそうな名前ですけど、光を含む電磁波を自由に操って対象物を見えなくする技術、というと、どんなことに使われるかなって思うと、直ぐに浮かぶのがですね、ステルス戦闘機、見えなくするんですから、光で見えなくする、光学迷彩というそうですけど、そういう技術が米軍に渡ったら使われますよね?というと、善悪の境がなくなってきているんではないかなって思います。まあ、平和利用するのも、兵器に悪用するのも、人間次第だという事ではないでしょうか。悪が極まって来た象徴ではないかと思いました。
もうひとつ紹介しますと、世界最大の見本市、何の見本市かというと、家電、ITの見本市にトヨタが出したのが、これもAIの関係ですけど、運転手の表情やハンドル操作をAIが把握して、脈拍センサーとかインターネット情報を収集する技術を応用しているそうですけど、そういう情報を把握して、眠たくなってきたら自動運転に切り替えるとか、安全運転を促したりとか、眠たくならないような音楽を鳴らしてくれるとか、そういうようなことができるようになるそうです。物質の進化が極まると、その物質を使用する人の心が悪だと、大変なことになってしまいます。私たちは今、懸命に「覚り」の学びを続けておりますが、使用する我々の資質の向上、獣性の除去が早急に求められているのだと思います。文化の進歩に遅れてはならず、一気に向上しなければならないということが分かるのではないかと思います。
それから、61ページ『(前略)としたら或時期迄の統制も調節も必要となるので、其(その)役目として生れたものが宗教であり、その主役を荷った者が彼(か)のキリストである。同教の教義の根本が人類愛であるのもよくそれを物語ってゐる(後略)』と御説き下さっております。アメリカはキリスト教の国ですよね?人類愛を根本とするキリスト教の国が今、他民族を排斥しております。“キリスト教の役目は終わったのではないかな”って思いました。私の感覚ですけど。
更に65ページの最後から3行目、私が一番気になった所なんですけど、『善悪の人間が清算され』と書いてありますね。悪の人間が清算されではないんですね、ここに書いてあるのは。善悪の人間、悪だけでなく、善悪の人間、善の面を被った悪人という事かなって思いますけど、本当の善人以外は清算される訳ですから、善人間になれ!獣性を除去せよ!服従できなければ、滅亡だ!!と、はっきりと仰っておられます。皆さん、時間がありません。『悪人を悔改めしめ、犠牲者を少なくする其(その)救ひこそ、神の大愛である事を知らせるのが本教の大神命である』のですから、メシヤ様の御教えを伝え、浄霊を実践し、一人でも多くの人を信仰の奥座敷へとお導きし、3、3,3、とメシヤ様が御示し下さった、平成30年3月3日に結集しようではありませんか!以上で報告とさせて頂きたいと思います。ありがとうございました。
 
三千年来の罪穢れ
楳木代表
皆様、改めまして宜しくお願いします。今日は教祖祭を兼ねたので「おめでとうございます」と言って良いのかというのが悩ましい所なのです。神界に御帰りになった日なので、人間側からするとメシヤ様が御肉体を御持ちになって、この現界に降りて下さって、我々に救いの力と方法を授けて下さった訳ですけれど、その御一生というのはどんな人に比べても大きな御苦労を重ねられて、御一生を御過ごしになられた訳ですので、感謝を申し上げても、どんなに申し上げても足りない位の御存在で御座いました。最後の御浄化に入られてからは、御自分で思われていた教団にはならなかったというふうに、これは無念な思いなのか、神様側から見て、人類はまだ神性の蘇りが今一つだったなあと御思いになられたのか、その辺は拝察するしかありませんけれども、そういう中で神界に御戻りになられたので、ただただ私たちはその御一生に感謝申し上げて、その御遺志をしっかり受け継いでいかなければいけないという、“そういう決意を固める日でもある”と思いながら、今日は祭典に臨ませて頂きました。そういう日でありますので、祝詞もですね、明るく上げる訳にもいかないし、ということで、参拝の仕方も中々教祖祭だけは複雑な思いでご参拝をさせて頂きました。そういう祭典を終わらせて頂いて、今こうしてメシヤ講座に入らせて頂いてますけれども、支部長代理から本日拝読をさせて頂いた御論文について、学びの整理とそれから、「覚り」を報告して頂きました。今月は2月3日、4日と節分祭、立春祭を執り行わせて頂きまして、教祖祭と非常に密接に関わっていますが、○○会は節分祭はされているのですか?
 
受講者
4日はありましたけど、私は行けませんでした。
 
楳木代表
4日は立春祭ですね、3日の節分祭はしてないですか?
 
受講者
してないです。立春祭だけです。
 
楳木代表
と、しますと、世界救世(きゅうせい)教始め、節分祭をしていない教団は、三千年来のお詫びはしてない訳です。そういう教団ばかりになっている中で、三千年来の罪穢れをお詫びさせて頂いているのはメシヤ教とどこかの教団があるかないかという所でありますけれど、私が世界救世(きゅうせい)教の職員時代も教団自体も節分祭は取りやめておりましたけれども、私自身は、御教えにはメシヤ様は『節分祭はしなくてもいい。それよりも人を救う事が大事だ』という御垂示をされているのですけれど、これはメシヤ様という御立場の御発言であって、人類はどこまでもお詫びをしなければ天国というのは到来しない訳ですので、ですから、私はずっと教団方針とは違って、節分祭を組織の中に居ても、ずっとし続けた訳です。そうした所を、神界も見て頂いて、メシヤ教を立ち上げる時に、段々と力を授けて下さるようになったのだと思います。
そして、今年は大勢の方々が大分の本部に結集して頂いて、そして人類を代表して、三千年来の罪穢れを、罪穢れを祓ってくれるような風が吹いてますけど、外は・・・(笑)、こういう家の作りなので、風の音が非常に分かり易くて、いいですね。風が吹いてね。今はサッシできちっと留めてしまうので、外がいくらびゅうびゅう吹いても中々聞こえてこないところですけれど。今回の節分祭においては、神界の方では、まずあのように結集してくれたことを非常に喜んで頂きました。
ただしかし、司会の方からお話ししましたように、三千年来の罪穢れというのは、漠然とした状態の罪穢れであったので、中身を見ると、まだまだ浅いところでのお詫びなので、これから1年かけて、来年の2月3日は司会からお話したように、三千年前に素戔嗚尊が押し寄せてきて、しかも武力をもって押し寄せてきて、そして、伊都能売神皇様の皇位を奪おうとした訳です。素戔嗚尊は何故そういう暴挙に出たのかという事を見つめていかないといけないと。それからその時に大和民族は伊都能売神皇様の盾にはならなかったので、日本人の命を慮って急遽皇位を天照天皇に御譲りになって、インドへ下られて行かれた訳です。しかも、二十八部衆しか付いて行かなかったので、後の大半の大和民族はその武力に屈して、しかもトップを護らずに、その武力に従ってしまったという事です。それが三千年前の罪穢れの出発点としてはあります。
それから、素戔嗚尊に付いてきた瓊瓊杵尊は皇位を狙うという所へは行かずに、宮崎県の高千穂峡に潜んで、素戔嗚尊の失政するのを待っていたと。素戔嗚尊には癖がありますから、その癖で政治をやって行くと必ず失敗するだろうというのを見越して、しかもその失敗を待つこと3代ですから、子供、孫にまで言い伝えて、3代が失敗するのを待っていた訳なんで、それで愈々治世が乱れた時に、一挙に瓊瓊杵尊のお孫さんが高千穂から出て行って、東征して行った訳であります。そして東征していく時には、飴と鞭でいった訳なんで、武力で当時の権力を撃破しながら、庶民には米の美味しさを伝えながら、高千穂という意味は、穂が付いておりますから、日本でより米が育成できるようなそういう事を3代に渡って研究して、日本に根付かせる事をやりつつ、これは飴の方ですけれど、鞭と飴で日本全土を制覇していった訳です。そして神武天皇になられた訳ですので、その飴と鞭に大和民族は更に慣らされて行ったという所があります。ですから、元々出雲民族だった人の武力によって人を圧していくという、そういう姿勢と、それから、天孫民族の人の失敗に乗じて全てを支配していくという、そういう性格と、それから、元々徳によって治めるという非常に素晴らしい考え方だったけれども、武力とかそうしたものに屈していくという・・・。ですから、どの民族にしても、はやり大きな、良い面と悪い面を持っている訳なので、その三千年間の中で我々は、様々なものを、生き方として、私たちの魂の中に沁み付いている訳なので、平均的に生まれ変りしてきた人たちは、約10回生まれ変わっておりますので、300年毎を平均とすれば、大体10回位三千年間に生まれ変わって来ておりますので、その三千年間の中でどういう、その中で生き方をしたかによって、我々の中にはずっと癖が付いてきているので、1年間ずっと自分をしっかり見つめさせて頂いて、自分の中に色濃く残っている三千年間の癖をしっかり把握して、それを来年の2月3日に主神様にお詫びを申し上げる、その事によって一挙に地上天国建設の在り方というのが明確になってきますので、そういうふうに捉えて、これから1年間をお過ごし頂ければ良いかと思います。
 
魂の特性
楳木代表
三重支部の場合は昨年の2月にこの館を見つけることが出来て、そして、こうして全国の支部のですね、施設の見本になっておりますので、三重支部を基準にして次の施設はどうかという事を考えている。だから大阪の松原も「あれだけ立派な建物ではないけど、良いでしょうか?」とかいうような事で問い合わせて来るような状態です。今この館が基準になって、支部造りというのをみんな考えている所であります。まだはっきりしてないのですけど、ある地域でもですね、支部を開設してご奉仕したいという人の申し出が来ている位で御座いまして、これからずっと詰めながら、全国に御神業の拠点を許されて行きたいと思うのですけれども、その一番根っこにはそうしたものを、自分の魂を見つめるという、魂の癖を見つめるという生活をこの1年間しっかりと積み上げて頂きたいと思います。
そして、魂に染み付いた癖という事になって来ると、マイナスのイメージばかりあるかと思いますが、この癖というのは同時に、魂の特性でもあります。プラスに働いていくと特性になって、世の中とか人々に貢献できるという事になってきます。しかし、これが負の方に働くと癖として人を苦しめたり、無意識の内に傷付けたり、そういうのがどっぷり、我々の中に三千年間べったりくっ付いている部分がありますので、それを朝夕のお祈りで、天津祝詞奏上させて頂いて、そういうものを祓い浄めるという事を神様から御力を頂いた言霊によって、祓い浄めていくという参拝を朝はさせて頂く、と。それから、夜は善言讃詞を奏上させて頂きますが、善言讃詞はまず支部長代理がお話しした様に、いわば、神格の中でも主神様に直系の、その結びの働きのそういう観音様から始まって、『観世音菩薩此土に天降らせ給ひ光明如来と現じ 應身彌勒と化し 救世主とならせ』いう形でずっとこの世の中に出てきて頂いている、今度それに纏(まつ)わる、その神々に繋がる、主神様が一神で、その神様に繋がる結びの働きをされる神様のいわゆる八百万の神々、だから、『神にして多神』の、この多神の働きによって、地上天国が創られていく、その経過が善言讃詞に織り込まれている訳ですので、この善言讃詞を奏上する時には、その主神様に直結した最高最貴の御存在から段々降りて来る御神格の、その御神格の中の御働きによって、『多寳佛塔』を造られていく訳ですので、そういうイメージを描きながら、善言讃詞を奏上して頂きたいと思います。“こういう形でできてくるんだなあ”という事よりも、この主神様に直系の各霊層界の神々によって、その働きを許されていって地上天国造りを進めていく、その一端に我々が繋がっていくという事。これが特性になってくる訳ですので、今までのその祝詞の奏上の仕方、善言讃詞の奏上の仕方からそういう深いものを見つめてずっと奏上できる様に、今度はS家に御神体が入りますので、丁度良い時期に御神体を御奉斎させて頂けるので、そういう新たなスタートが切れるように取り組んで頂ければ、有難いと思います。
そういう事を今は“充分考えていかないといけない時期に来ている”と思います。そういう事もあって、ある情報によりますと、救世会館で4代教主様が「K理事長以下、○○○○教団の役員と対立している。」と。そして○○○○教団は「教主中心の信仰体制が出来なくなった。」という発表をされたそうです。その背景には、○○之光教団と○○○○教団役員が会合を重ねているという事があるのですが・・・(以下は割愛します。)これは昨年の12月23日に世界救世(メシヤ)教を復興しますということの誓詞を神界に捧げて、それと行動を共にする、思いを一緒にする人たちの塊ができたことに対して、神界からは力を授けると決められたので、力を注ぎ始められ、その力を注ぎ始めたのは我メシヤ教だけではなく、世界救世(きゅうせい)教にも力を注ぎ始めた訳です。その力を注ぎ始めた、その力は何かというと、今日の支部長代理が一番に焦点を当てた、『善悪の清算』という事になってきます。ですから、各教団の中で御心に適っている部分はより育っていく、発展していくという事に繋がっていきますけれども、御心に適ってない部分は、いわゆる、破壊されていく訳ですね。だからこれが光、力を神界が授けてるという証と受け留めるというように御垂示を頂きました。これからこういう事は凄く起きてきますので、全ては神界からの力が強まっているから起きている事だというふうに受け留めて頂ければ大変有難いと思います。
 
霊視報告について
楳木代表
それから節分祭と立春祭の時の霊視報告がありましたけれども、その霊視報告は松原出張所のTさんが今まで節分祭と立春祭の御浄霊中によく霊視を許されるのですが、今年もかなり濃い報告がありまして、その中のひとつが節分祭の時のもので「扉が見えます。扉は数ミリか数センチしか開いていません。扉の中は光りで溢れています。ほんの少ししか開いていないですが こちら側にもその光りの凄さが伝わり とてもまぶしくて目を開けているのがやっとです。」と。これが今年の私たちの節分祭のお詫びによって扉が少し、数ミリ開いたという事です。来年は先ほどお願いした事を各人各様に自分の魂を見つめて頂いて、そして真にお詫びができると、この扉は一挙に開いていくというふうになると思うので、我々の取り組み如何で天の岩戸は大きく開くか、まだ数センチしか開かないかになっていきますので、全開できるように今年は課題を以って進めさせて頂ければ、有難いと思います。
それから浄霊の光がTさんはいつも紫色に見えてくる状態だったんだけど、今回は緑色の光も見えたという事でありますので、緑色というのは縄文時代からは、今日は緑色の人と赤の人、ピンクの人もいますけど、漆塗りのお椀とか中は真っ赤ですよね。あれはなんで真っ赤にしてるかという事は昔のメシヤ講座には載せているのだけれど、覚えてませんか?お椀の中は何故赤くしてるのかと。これはですね、そこにお味噌汁とか、お吸い物とか注ぎますね。赤は生命の息吹を象徴した色なので、そこに注いだものは生命の息吹を頂けるということで、お椀の中は赤くしているという、これは縄文時代から日本人はずっと続けてきている内容な訳です。だから赤は生命の息吹です。
それから、翡翠(ひすい)というのが、縄文時代から使われています。この前大火があった新潟県の糸魚川の方で取れる翡翠を縄文時代からは再生を願う時に使っていた訳なんです。ですから、浄霊の時にそういう緑色の光が見えたという事は世界救世(メシヤ)教を復興するという、本来メシヤ様が昭和25年に御開教された世界救世(メシヤ)教に各教団を再生していくという働きを我々、私を中心として皆さん方がそういう働きをこれから許されて行く浄霊ができるという事の神界からの御示であろうかと思います。
そして、有難い事には私は相当浄化を許されて、今日も相当胃と腸が痛いんですけど、光の玉は入れて下さらなかったけど、今回は『大』という字がそこに浄霊中ずっと浮かび上がっていたという事ですので、『大』というのはですね、御教えからいくと『一人と書いて大』になるので、『一人』となると主神様しかいらっしゃいませんので、その主神様から直系のそうした『光』を我々は頂けるようになっているのだ、と。6か所、お腹と、両手、両足、頭に出たという事ですので、皆さん方もそういう主神様からの直系のそういう『光』を頂けるように、現時点でそういう事を意識して浄霊をしていけば、そういう事が許されて行くという事ではないか、と受け留めさせて頂きました。
それから、立春祭の時はこれは鶯(うぐいす)が一羽、枝にとまっている。そして左右を見渡しているという情景が浮かび上がったのですが、鶯からは、報告してくれた中に何か、鶯は何でしたか?鳳凰ではないかと?
 
支部長代理
いえ、迦陵頻伽です。
 
楳木代表
迦陵頻伽か。
 
支部長代理
そういう御教えがあったものですから。
 
楳木代表
なるほど。それともうひとつは鳴き方。鳴き声。
 
受講者
支部長代理はその事も言ってました。鶯が迦陵頻伽の鳴き方、霊界での凄く素晴らしい鳴き声が迦陵頻伽であって、鶯=迦陵頻伽ということで御教えを読んだという話はしておりました。
 
支部長代理
【信者の質問
「迦陵頻伽(かりょうびんが)とはどのような鳥でしょう。」
メシヤ様御垂示
『霊界の極楽の画などによくある、金色の尾の長いきれいな鳥で、いい声で啼(な)くとされている。極楽の鶯という説もあるが、私の考えでは特殊の鳥であろう。』(『地上天国』13号、昭和25(1950)年2月20日発行)】
 
楳木代表
だから極楽の鶯は迦陵頻伽。現界の鶯は何か?現界の鶯は何て鳴く?
 
支部長代理
ホウホケキョウ(笑)
 
楳木代表
法華経なの。
 
支部長代理
あ~あ(笑)。
 
楳木代表
法華経という意味です。法華経とは何かというと、お釈迦様が最終的に見真実にお立ちになった時に、説かれたお経。そのお経は一体何かというと、これは『本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)』です。だから伊都能売神皇様が説かれた仏教が日本に帰ってきたという、そういう事ですので、全てがそういうふうにこれからなっていくという事を示されているんではないか、というふうに私は受け留めて、これはもう自分たちが考えているようなスケールではちょっとないような、世界救世(メシヤ)教を復興するという事はそうした“大転換が起きて来るんではないかなあ”と思いました。
それから、「勾玉がひとつ、またひとつ現れて、ふたつが合体し、円になる様が見えます」と。「その円はやがて皆既日食の様に、変化していき、中央は暗いのですが、重なっている外側の円からはおびただしい無数の光の筋が出ていました。」ここは何て解釈しましたか?
 
支部長代理
ここは、その円自体が韓国の国旗とも受け留められますけども、天の御柱を右から左から回っている様子にも見えるんではないかなって思いますし、中央が暗く重なっている外側の円から、この『⦿』の御神体から光が八方に拡がっていくように受け取らせて頂きました。
 
楳木代表
なるほど。他の人からも、あちこちから解説が来るのだけれど(笑)、やっぱり『日月地』にならないと皆既日食にはならないので、やはり『日月地』であるし、『五六七』ということだし、それから、もうひとつは月の働きというのはいわば善悪の働きでいうと、悪の働きになっていくので、月が主神様を隠そうとしても周りから溢れる光で隠しようのない時期を迎えれたんではないかというのが私の考え方なのだけれど、やっぱり、『五六七』『日月地』というのは色んな所からそうしないと皆既日食にはならないので、そういうような事。それから、確かに韓国の国旗は勾玉がふたつ重なったような状態なので、様々な捉え方ができるのですが・・・。そうした事も、兎に角、おびただしい無数の光の筋が出ていく訳なので、私たちがこれからメシヤ様の御教えに沿って取り組ませて頂く上に於いては、どんな邪魔が入っても光によって全て浄めていくような、そういう事が許されて行く時を迎えてると受け留めさせて頂ければ良いんではないかなあと思います。
 
メシヤ教の大神命
楳木代表
それと御垂示を私に伝えて下さっている方が、私が各支部を回りながら、とても浄化しているという話をしているので、いつまで続くのですか?というふうに神様に聞いてくれたみたいなんですが、そんなこと聞かなくてもよかったんですが・・・(笑)。余りにも辛そうだから聞きました、と。時期は教えて頂けなかったそうなんですが、やっぱり神様がいざ使おうとされると相当浄めていかないと使い物にならないそうで、だから、今食べる物がない位なんですよね。まあ、お米は自然米ですので、お米とお茶は完全無農薬、無肥料なので、だから何もない時は、お茶漬けだけをたべるという、そんな日も過しながら、無添加、無農薬・無肥料のものが原材料の場合だけ頂くという生活をしておかないと、この世界救世(メシヤ)教を真に復興するという取り組みは出来ないし、それからそれに繋がる信者さん方の神性を蘇らせるという事も出来ないので、そうした事ができる時までは浄化するのだ、と。だから、これは永遠に浄化するかなって。いつまでとは仰らなかったそうですので、まあ、ずっと自分も浄化を覚悟しながら、腹だけでなくて大分痩せたんで、足も細くなったんで、正座をしても痺れなくなったんですよ。そして、いい気になって坐っていたら今度は足首が痛くなって、ずっと正座してたら、今まで長時間、1時間も2時間も正座の時は時々足を崩したり、こうやって崩したりしてたので、伸ばし放しにしてたら足首が痛くなってちょっと歩くのが・・・。だから参拝の時も前に出てきて坐ったりするのが、ちょっとし難い状態なので、まあ、あちこち曇りがあるなあ、毒素があるなあと自覚せざるを得ないように浄化が至る所に出ている訳なのです。これから皆様方も神性を蘇らせようとすると浄化というのは必ず伴っていきます。しかし、その浄化は全て・・・、まあ、支部長代理が一昨年から昨年の春まで見本を見せてくれてますので、あの『天恩地恵』の写真をお守りのように見といて頂いて(笑)、そしてここまで酷くなることはないと、いうように思って浄化を力強く乗り越えて頂きたいと思います。
そして、自分の心身を浄めて頂いて、世界救世(メシヤ)教を復興する御神業の一端を担わせて頂くんだという気持ちで進んで頂ければ有難いというふうに思います。まあ、そういう浄化の話しをすると、今までの信仰ではちょっと脅かされているように響く方もいらっしゃるかもしれないのですけれど、メシヤ様が御在世中は疥癬の浄化を許されないのは御用を担っているとは言えない、という事を言われていた位のご浄化ですので、御在世中も先達の先生方はこうやって浄められつつ御神業をを担ってきたという所がありますので。
それと来る途中で、岡山支部では三十代のお母さんが節分祭・立春祭にお参りに来たので、彼女の小学生の子供さんをおばあちゃんの所へ預けて、そしてお参りに来たんですけども、2月4日の立春祭を終えて、帰り着いたら、まだその子が起きてて、実は2月3日の節分の晩に夢を見たんだ、と。それはある神社にお参りに友達と、お参りというか遊びに行ったら、そこで、女将さんの様な人が出てきて、そして、「どうぞ、どうぞ。」と案内をしてくれて、友達が先に走って行ったら、地獄の門だったんで落ちちゃった。みんな入らんといけないのかなあって思って、自分もしょうがないなあと地獄に落ちるかって言ってたら、そのおばさんが、「メシヤ教の人は地獄へ行くことはできません。こちらへどうぞ!」と止められたらしいのです。それでぱっと目が覚めたらしいのです。
それで大変な事だと、節分祭の夜なので、大変な夢を見たなあっていう事で報告してくれたんですが、これをですね、「メシヤ教だから大丈夫だ!」という事ではなくて、本日の御論文の今や無神論者は言わば淘汰を受けるか瀬戸際の所にいるので、その人たちが地獄に堕ちるだけだったら良いのですけれど、消滅させられるので、そういう人たちをひとりでも多く覚醒させて、そして天国の方へ導いてあげる、そういう事をしていくのが、このメシヤ教の大神命だと最後にまとめて頂いておりますので、まあ、そういう事に取組ませて頂けるように受け止めていきましょう。というように岡山支部では話しました。
それから、みんなに回して頂きたいのですが、65歳の大阪支部のWさんというご婦人なんですけども、歯です。これは。1月の中旬から奥歯とその前の歯の間から横に歯が出て来たらしい。その歯が。そしてその歯が口の内側に刺さって動かす度に痛いので浄霊をしてもどうにもならないし、ドンドンドンドン出て来るので、これは節分祭に行く予定なので、どうしてもお詫びをしないといけないと色々お詫びを考えたらしいのですね。そして節分祭でお詫びを申し上げて、立春祭のお参りが終わって、弁当を食べてる時に抜けたらしい(笑)。獣医に持っていって、この歯は何の歯かというのを見て貰おうかなって、それで分からなければ、岡山支部に歯医者さんがいるので、見て貰おうと。丁度牙のような形をしているでしょ?だから、今どんなお詫びをしたか、原稿を書いて貰っているので(笑)、その原稿が通ったら、3月3日に発表して頂こうかと思っています。ああいう歯まであるので、それで65歳の人に乳歯みたいな歯が出てくる訳がない。それが横に向かって出て来た訳なんで、多分これは獣性の象徴のようなもんじゃないかなって思うので、本日は御教えに全部関連しているような事が丁度起きているなあと、思うんですけどね。だから最近、メシヤ教の中で起きて来ることも、ちょっと度肝を抜かれるような、Gさんの取れたイボも、4日の日に見せた写真はちょっと分かり難いので、取れたものを今写真に撮ってもらったので、それを体験記にそれを一緒に載せるようにしてますので、見といて下さい。マッチ棒と比べて写真を撮ってもらっていますので。
 
楳木代表
それと。さっき支部長代理もお話ししてくれたように、3月3日が執り行われるのは、これは桃の花が咲く祭典なんだ、と。それで5月5日が桃の実が成る、そういう祭典なので、私の都合で、初めてこの主神様の御神体の表装が出来上がったのが、4月の20日過ぎだったのですね。ですから、御奉斎日を29日の祭日にするか、或いは5月3日にするか、5日にするかという事を考えていたのですが、5月5日は大分県の玖珠郡玖珠町という所の久留島武彦という日本のアンゼルセンと言われている人が玖珠町で育った人だったので、5月5日は童話祭というのを執り行っているんですよ。今は埼玉県に追い抜かれたのですけれど、何年か前までは日本一の鯉のぼりを上げていた、63メートルの。しかし、埼玉県がそれを抜いてしまったので、日本2番目の鯉のぼりしか上げてないのですけど、そういうお祭りの日なので、そういうお祭りの日に、御奉斎式をさして頂こうかと思って決めたのです。ところが、『人間的にはそういう思いで5月5日決めただろうけど、これは神界が誘導した事なのだ。3月3日から5月5日というのは、神が決めた事なので、そうした所にもそれぞれの気持ちを集中して、各祭典を執り行って行くように』という御垂示を今回頂いておりますので、今年前半非常に大事な祭典が続きますけれども、一層心を集中して取り組ませて頂きたいと思います。
立春祭の時にお話ししましたように、天皇陛下のお名前と皇太子のお名前の中に、平成29年を終えて、平成30年3月3日のメシヤ降誕本祝典を執り行った、その後、御代が変わりますけども、その御代が変わった時に、昭和が霊で、平成が体と考えた時には、平成というのは体の霊にあたるので、次の御代が本当の体に当たって来るので、この時からが地上天国を建設できるか、できないかの大きな境目になって来るので、この前もアイドルの女の子が18歳の若さで突然死したとかいうようなことが有りましたが、これから頻繁に様々な形で考えられないような事が起きてきます。その起きて来るのは平成31年から起きてきますので、その時までに皆さん方の浄霊力とかメシヤ様に自分のお祈りが通じるような、そういう神性を蘇らせるという取り組みをずっと積み重ねて頂いて、大勢を救わせて頂きながら、地上天国を建設していくという御神業に使って頂けるようなところをめざして、お取り組み頂ければ大変有難いと思いますので、最後にそういう事をお願いをさせて頂いて、メシヤ講座を終わりたいと思います。ありがとうございました。
 
司会
以上を持ちまして、教祖祭、月次祭並びにメシヤ講座を終わらせて頂きます。ありがとうございました。
 
受講者一同
ありがとうございました。
 
<来月の御教え>
「『天国篇』文明の創造」(昭和二十七年)
本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』66ページに記載されています。
「『天国篇』文明の創造」は平成29年3月に拝読し学び合う御論文です。

2017年2月4日土曜日

立春祭挨拶・二月度『覚りの旅』

令和二年二月四日
立春祭挨拶・二月度『覚りの旅』
三救責任者




202002資料-2
皆様、立春祭おめでとうございます。
昨日は厳粛に節分祭を執り行わせていただき、謹んで『大祓祝詞』を奏上させていただきました。そして、人類の罪をお詫び申し上げました。そのことによって本日より御神威弥増す訳です。そして、①救済力 ②浄化力 ③真理の具現 となって現れます。
さきほどは、弥増す御神威のもと地上天国建設の御力を賜りますよう主神様(メシヤ様)にお祈り申し上げました。
このように、三救において立春祭を執り行わせていただきますことを改めて心から感謝を申し上げたいと思います。

初めに、平成29年の立春祭での先生の挨拶文がメシヤ講座に掲載されておりますので、振り返ってみたいと思います。
三千年前の罪穢れの出発点について、
〇人類はどこまでもお詫びをしなければ天国というのは到来しない。
〇人類を代表して、三千年来の罪穢れを祓うことを求められている。
〇まだまだ浅いお詫びだった。
〇三千年前に素戔嗚尊が武力をもって押し寄せてきた。
〇伊都能売神皇様の皇位を奪おうとした。
〇大和民族は伊都能売神皇様の盾にはならなかった。
伊都能売神皇様は、日本人の命を慮って急遽皇位を天照天皇に御譲りになり、インドへ下られて行かれた。
〇しかし、二十八部衆しか付いて行かなかった。
〇大半の大和民族は武力に屈して、トップを護らずに、その武力に従ってしまった。
〇瓊瓊杵尊は、素戔嗚尊に付いてきた。
〇宮崎県の高千穂峡に潜んで、素戔嗚尊の失政するのを待っていた。
〇素戔嗚尊が癖で政治をやって行くと必ず失敗するだろうというのを見越した。
〇その失敗を待つこと3代、愈々治世が乱れた。
〇瓊瓊杵尊のお孫(神武天皇)が高千穂から出て東征。
〇東征時には飴と鞭、武力で当時の権力を撃破し、庶民に米の美味しさを伝えた。
〇鞭と飴で日本全土を制覇していった。
〇飴と鞭に大和民族は慣らされて行った。

三民族の特徴
〇元々出雲民族だった人の武力によって人を圧していく姿勢
〇天孫民族の人の失敗に乗じて全てを支配していく性格。
〇元々徳によって治める素晴らしい考え方を持ちながら、武力とかに屈していく
〇どの民族にしても、大きな、良い面と悪い面を持っている。
〇三千年間の中で我々は、様々なものを、生き方として、私たちの魂の中に沁み付いている〇平均的に、約10回生まれ変わっている。
〇三千年間の中の生き方で、我々にはずっと癖が付いてきている。
と御教導賜りました。覚えておいでですか。
そして、そのようなお詫びが昨夜出来たでしょうか。

資料に沿って、復習してみますと、

立春-1

〇出雲族
出雲族を考える時は、古事記に出てくる素戔嗚尊の行動とかを考えればわかるように、武力によって人を圧していきます。

〇天孫族
天孫族は人の失敗に乗じて全てを支配していきます。

〇土匪
土匪というのはコーカサス地方に起源があると教わりました。

立春-2

「全体的に山がちな地形で、山あいには様々な言語、文化、宗教をもった民族集団が複雑に入り組んで暮らしており、地球上でもっとも民族的に多様な地域であると言われる。」
ロシアだけではなく人種が多様に入り混じった地域なんですね。
土匪の性格としては、「反抗的、逃避的、下積み」ということを御教え下さっております。

〇大和民族
そして、元々の日本人の祖先である大和民族ですが、
立春-3
「徳によって治める良い面を持ちつつ武力に屈してしまう。
伊都能売神皇に従ってお伴したのは28部衆のみだった。
ここでは、素戔嗚尊に追われ、天照天皇に皇位を譲られてインドへおくだりになられる、伊都能売神皇の話ですが、ブログで何度も取り上げました『立春の御教え』にありますように、国常立尊様が治めていた時代も徳によって治められ、間違いは絶対に許さないという厳しい政治でした。それでは堪らないと天若彦は民衆をあおり失脚させてしまいます。その天若彦は、現代では天邪鬼という性格に受け継がれているのです。

【御教え】地上天国29号、昭和26年10月25日
二十八部衆
『「観自在菩薩は補陀洛山上柔らかき草地の上に、二十八部衆を随え、金剛宝座に結跏趺坐(けっかふざ)して説教をされた云々」』

参考
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年12月31日 (火) 15:56
「仏教では人間の煩悩を表す象徴として、四天王や執金剛神に踏みつけられている悪鬼」
「日本古来の天邪鬼は、記紀にある天稚彦(アメノワカヒコ)や女神天探女(アメノサグメ)に由来する。天稚彦は葦原中国を平定するために天照大神によって遣わされたが、務めを忘れて大国主神の娘を妻として8年も経って戻らなかった。そこで次に雉名鳴女(きぎしのななきめ)を使者として天稚彦の下へ遣わすが、天稚彦は仕えていた天探女(アメノサグメ)から告げられて雉名鳴女(きぎしのななきめ)を矢で射殺する。しかし、その矢が天から射返され、天稚彦自身も死んでしまう。」

〇霊統と系統
霊統と系統ということでメシヤ様は御教えくださいました。霊統というのは魂の繋がりで永久不変です。系統というのは変わりますし混血していきます。

〇混血するほど良い
立春-4
混血で種々の性格が混じるということは、色々な苦労をし、世の中の経験を多く積んだのと同様で聡明になります。
経糸は霊的で動きません。これが霊統ですね。
緯糸は左右へ動くのですこれが系統です。体的です。

『日本人種の霊的考察』の御教えから説明させて頂いているわけですが、メシヤ様は人数としては ①天孫族 ②出雲族 ③コーカサス ④大和民族 で、大和民族は1/100だということです。
そして、『日本人種の霊的考察』というタイトルですので、渡来人も日本人なのですよ。
四種とも日本人なのです。そして誰もが皆、それぞれの或いは複数の性格という癖を持って生まれてきているのです。自分は違う。というのは自分だけ蚊帳の外において傍観しているという事です。それもまた、「見て見ぬふりをする」という癖であるのですね。
そういう民族を代表して、人類を代表してというのは日本人が霊的に言えば人類を代表している、世界の型だからなんですね。
ですから、祈りを捧げる人の想念次第で、個人に限定してしまった祈りとなったり、人類を代表した祈りとなったりするのだと思います。
御神縁、因縁ということをどこまで膨らませて祭典に臨ませて頂けたのかだと思います。

伊邪諾(いざなぎ)尊が主神の代表神」御教え集十六号・・・158
が、今月のテーマです。そこで、伊邪諾尊様について調べていたのです。
先月の学びについて思い出してください。

 立春-5


伊弉諾尊の仕事ということで、
それから『今私がやっている仕事は伊弉諾尊の仕事なのです。』という箇所ですが、先ほどは『私が光明如来様としてのその働きをする』と出て来ましたね。先月は「仕事」ということにスポットを当ててお話ししました。御神名は神様のお働きを表しています。神様の仕事を表してもいるわけですね。
それで伊弉諾尊様の仕事ということで、古事記を例に御教えくださいました。
天の御柱の回り方ですね、妻の方が先に右回りをして失敗した、それで伊弉諾尊様の方から先に左回りをしたら天下が治まった。これは、右進左退ではだめで左進右退が本当のやり方なんだと、体主霊従ではだめだ、霊主体従が本当のやり方なんだということを古事記を通じて古代から教えてくださっているわけですけども人間は、分からなかったんですね。それで、霊主体従の一番わかりやすいのが『浄霊』なんだと。医学で治すのは体主霊従で、浄霊で治すのが霊主体従で本当のやり方なんだと、古事記に出てくる伊弉諾尊様の仕事を通じて御教え下さったわけです。
という内容でしたね。
伊弉諾尊様は『浄霊』『霊主体従』のお働きをされるわけです。
浄めの業ですね。朝拝で奏上させていただく『天津祝詞』は主人公は伊弉諾尊様ですね。
『皇御祖神伊邪諾尊 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 御禊祓ひ給ふ時に生ませる祓戸大神等』この『御禊祓ひ』というのも祓い浄める『浄霊』と受け止めさせて頂くならば、伊弉諾尊様は太古より現代に至るまで『霊主体従』の法則を連綿と繋ぎ続けて下さっておられるのではないでしょうか。そのように想いを致せば祝詞の奏上というのも深みが増して、神様にお聞き届けいただけるのではないかと思います。

古事記の神様
立春-6

先月に予習の意味でお話しさせて頂きましたこの図ですが、
古事記に出てくる神様を順番に書きだしました。
伊弉諾尊様は、国之常立尊の神様から神代七代(かみよななよ)と言って、七代目になるんですよ。
図の天之御中主の神から豊雲野の神までが独り神です。図の3から7までが、男女ペアの神になるわけです。それで、「このただよえる国を修理(おさ)め固め成せ」と。古事記の言葉ね。整え固めて完成せよということ。で、淤能碁呂島(おのころじま)という、日本の国ができてくるという。最初から数えると、17柱になります。
立春-7


立春-8

それで、天上の神々から国を整え固めて完成させよ。との命を受けて地上に降りて国造り、子造りをなされた。失敗しても改めてやり直し治められた。
ここが、体主霊従→霊主体従 に改められたから成功したのだと。御教えにあります。
それから水蛭子というのは葦船に乗せて流してしまいます。
子の数に含めないとわざわざ断っています。この葦というのが邪気を払うということで、ここに大祓いの思想性が現れていると古事記に注釈書きがありました。
水子というのもここから来ているのかもしれないですね。

それから、最初から数えて50柱目の神様が『火之加具土の神様』になります。
「神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神である。火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまう。その後、怒ったイザナギに十拳剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」で殺された。」
伊弉冉尊様は、火之加具土の神様を御生みになって、陰門を焼かれてお亡くなりになり、黄泉の国へ行きます。火之加具土の神様というのは、夫婦共同で御生みになられた最後の神様なのですね。ここから現界と幽界(黄泉の国)の記述が古事記では出てくるのです。
火之加具土の神様というのは現界と幽界の境界の神様であるわけですね。この神様を祭る総本山が浜松にある秋葉神社です。火の神様、火防の神様として祭られています。

名前の由来
火之=火 迦具=輝く 土=超自然的なものをあらわす
つまり、火の輝く神となるのです。

火之迦具土神(カグツチ)の鎮座

立春-9

本当に余談になりますが、火之迦具土神の主な鎮座地は、三重・別府・浜松 なのだそうです。別府の鶴見岳は、初めて玖珠に参拝させていただいた、主神様の御神体御奉斎9周年の時に、先生がご案内くださったことを思い出します。

話が横道にそれてしまいましたので戻しますが、
火之迦具土の神様が伊弉冉尊様を死に至らしめたとして怒った伊弉諾尊様は首を切って殺してしまいます。生まれて直ぐ父によって殺されてしまう悲運な神様です。

そして、伊弉諾尊様は黄泉の国へ伊弉冉尊様に会いに行かれます。
しかし、「見てはならない」というタブーを犯し、魔物に追われ逃げます。黄泉津比良坂を逃げるのです。後ろ手に刀を振りながら逃げます。「しりので」と言って、相手を困らせる呪術なのだそうです。
立春-10
立春-11
 

今の話は先月お話しさせて頂いた内容ですので、詳しくは先月の『覚りの旅』をお読み願います。

立春-12


黄泉の国から逃げかえった伊弉諾尊様は祝詞にあるように禊祓いをするわけです。
そして、三貴神と言われる天照大神、月読尊、素戔嗚尊 様を御生みになり、どこを統治するかをお決めになるのです。そして御頸玉(御倉板挙神様)を天照大神様にお授けになられるのも伊弉諾尊様です。
「伊邪諾(いざなぎ)尊が主神の代表神」という意味合いが国造り、子造りの主人公の仕事をなされたことから合点がいくのではないでしょうか。
宣長さんと大祓祝詞
先日、本居宣長記念館へ行きまして、いろいろ考えることがありました。
昨年も大祓祝詞を奏上させていただくにあたり、同様のことを思考していたのです。

宣長さんは言います。
「古への祝詞を読み申すとても、古の言をあやまたず、つとめてその読みを正しくして、かりにも後の音便にすたれたる言などをまじへず、清(す)み濁りなどをも厳(おごそ)かに守りて、ゆめゆめなほざりに読むべきにあらず」
そして、たとえ心がこもっていても、麗しくない言葉で綴った祝詞では、祈りも神に通じない、聞いて下さらない。相手に恋い焦がれていても、相手に渡す恋歌が感動を与える良い歌でなければ恋心は相手によく通じない、それは神様に申し上げる祈り言においても同じだ。と言うのです。
祝詞の始まりは、日本書紀に、天照大神が天の岩屋にお隠(こも)りになったとき、天児屋命(あめのこやねのみこと)は「広く厚く称え辞(ごと)を祈(の)み啓(まを)し」たとあります。祝詞を奏上されたのです。すると天照大神は「いまだかく言の麗美(うるわ)しきあらず。と仰せられ、磐戸を少しお開けになりました。それはまさしく天児屋命(あめのこやねのみこと)が「申す詞の麗美(うるわ)しきに(天照大神が)感賞給(めでたま)」うたからであります。だからこそ、正しく麗しい言葉を選んだ祝詞を作るように努めよ、と宣長さんは主張したのです。

そもそも「大祓詞」とは祓えの行法を行って、その後に祓えの行法を行ったことを改めて神様に申し上げる詞です。それを祓えの行法を省略して「大祓詞」だけ読み上げるのは、かえって神様を欺き申し上げるもので、たとえ詞が麗しくても、ただ読み上げるだけでは、罪穢れは清まらない、と宣長さんは語気強く注意したのです。

これを私達に置き換えてみるならば、祓えの行法とは、『浄霊』であり『御教えを宣べ伝える』ことではないかと思うのです。

それがお詫びの御神業なのです。
「三千年前に正しい神様を押し込めた人間側はお詫びをし続けなければ神威というのは弥増してはいけない訳です。そして、お詫びの御神業に取り組まなければお詫びした事にはなりません。それでより一層私達はお詫びの御神業に取り組ませていただくのです。」
と昨夜挨拶させていただいた内容に繋がっているのです。

纏めますと、日本の民族の殆どは、出雲族、天孫族、大和民族の別れである。
三千年間の歴史を振り返れば、武力によって人を圧していく出雲族、人の失敗に乗じて全てを支配していく天孫族、徳によって治める良い面を持ちつつ武力などに屈してしまう大和族に分けられ、何度も生まれ変わる間に癖が沁みついてしまっている。
その癖をしっかり把握して2月3日の節分祭で主神様にお詫びを申し上げる。
そうすることで、地上天国建設の在り方、私達のこれからの活動の在り方、信仰姿勢というものが明確になってくるのだということです。

自分は大和民族だからと思っている人も、権力に屈して、見て見ぬふりをしてしまうとか、情報を得る努力をしないで、知らなかったから仕方がない。私は悪くはないと自己防衛し、仏教的な諦めの思想に陥っていませんか。

そういう自分たちの癖をしっかり把握して節分祭で主神様にお詫び・・・主神様にお詫びを申し上げるのですよ。
ホツマに登場する神々も、古事記に登場する神々も、善の役、悪の役を担ってきました。
善悪を司る、主神様の命によるものであります。ですから、主神様にお詫び申し上げるのです。伊都能売神皇様や国常立尊様のお話をズーっとさせて頂いているわけですが、主神様の御神前で主神様にお詫び申し上げるのです。

お詫びできた人も出来なかった人も、さらにこれから1年間ずっと自分をしっかり見つめさせて頂いて、自分の中に色濃く残っている三千年間の癖をしっかり把握して、それを来年の2月3日に主神様にお詫びを申し上げ、地上天国建設の在り方を明確にさせて頂くのだとの思いで、これからの1年間に取り組んでまいりましょう。

祝詞のことで伊邪諾尊様のことを中心にお話しさせて頂きました。
本日は、三救の月次祭『覚りの旅』も兼ねておりますので、今月のテーマに入らさせて頂きます。
伊邪諾(いざなぎ)尊が主神の代表神」御教え集十六号・・・158
「天国篇」・・・66

立春-13
イランとアメリカの応酬を見ていて、「52カ所と言うなら、こちらは300カ所を攻撃する。」という記事がありました。

古事記に伊弉諾尊様と伊弉冉尊様の応酬があります。

「愛しい私のイザナギ。こんなことをするのならば、あなたの国の人民を 毎日1000人を締め殺してしまいましょう」 と言いました。
するとイザナギは 「愛しき私のイザナミ。 あなたがそうするならば、 一日に1500の産屋を立てましょう」 と言いました。

破壊されたら破壊するという思想では戦争になってしまいます。
その点、伊弉諾尊様のお仕事は、破壊するならそれ以上に創造すると言っています。
破壊と創造、文明の創造の在り方ですね。
善と思っている伊弉諾尊様の人民にも、悪の心を多く持つ、自然淘汰される人間がいるのだという事ではないでしょうか。
ユダヤ文化が推し進めた、物質文化、石油文化を見直す大転換期に来ているのだと思います。

伊邪諾尊様については、御教えの主なところを挙げてみますと、
〇天照大御神様もお祝いに来られたのです。それから月読尊、伊邪諾尊などです。
秋季大祭御講話(S27年9月27日)
主神様(メシヤ様)にお祝いに来られたのですから主神様ではないわけです。
〇比良坂の戦で、伊邪諾尊が桃の実を取って、敵をめがけて打つける、それで鬼共は敵わぬと逃げたというのでありますが、その桃の実が桃太郎になるのであります。
聖王母 光明世界5号、昭和11年1月25日
〇【問】分霊と化身について。
【答】分霊とはわけみたまと言い、人間にはないが神様はいくつにも霊を分けられる。しかし神社で同じ神様をほうぼうで祀る場合、神の分霊と言うが本当を言うと、家来の直系とか傍系などの神様もある。しかし天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とか高皇産霊(たかみむすび)、神皇産霊神(かむみむすびのかみ)とかはそうでないが、伊邪諾尊、伊邪冊尊、天照大御神などは人体をもって一度この世に現われ給うた神であるから、爪や頭髪を分けて祭られたのである。
化身で一番重要なことは、仏は全部神の化身であって、夜の世界の間は仏の世であるから神々は全部仏に化身された。天照皇大神が大日如来、月読尊が阿弥陀如来、稚姫君尊が釈迦如来というようにである。従って、仏滅ということは仏がみな元の神格に還り給うことである。善言讃詞に「観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明加来と現じ 応身弥勒と化し」とあるが、観音は伊都能売の神であり、ミロク神の化身である。従って、いずれは観音という御名もなくなる時が来る。霊界ではすでにほとんどなくなっている。
地上天国4号、昭和24年5月25日
〇皇御祖神伊邪諾尊  天津祝詞・救世(メシヤ)教版

〇私がやっている仕事は伊邪諾尊の仕事なのです。それで古事記にある“天の御柱を両方の神様が廻り合った”ということがありますが、最初伊邪冊尊すなわち妻神様の方が右まわりをした。そうしたところが世の中がうまく行かなかったので、要するに失敗したのです。そこで伊邪諾尊が「そうらみろ、オレが最初右まわりはいかんと言ったのに、お前が右まわりをしたからそうなったのだ。」  御講話(S27年11月17日)

左進右退という霊主体従の仕事で『浄霊』ということに代表されます。
祝詞にある禊と祓いそして浄霊という仕事ですから、主神様のお仕事を人間界で行う代表の神様であるわけです。
しかし、メシヤ様のように主神として生まれたというわけではないのです。
人間界で主神様とお呼びできるのはメシヤ様だけなのだという事になりますね。

『天国篇』
立春-14

『天国篇』をお書きになられている目的についてメシヤ様は次のように御教えくださいました。
【御教え】御教え集5号、昭和27年1月15日
それから、五六七の世について、「文明の創造」の天国篇を書き始めたですが、天国篇の最初の――大体基礎的の意味ですね。そういう事を書いたんですが、今読ませます。
(御論文「天国篇」)【栄光 第一三七号】
 これから、色々――経済、教育、芸術、社会機構ですね。そういうものも、私が書いていくつもりです。人類世界というのは、こうなるべきものだ。こうすべきものだ。こうすれば、戦争とか病気とか貧乏とか言う――色んなそういう苦しい事はなくなると言う説明書ですね。で、これを、出来あがったら、英文に訳して世界中の主な識者ですね。そういう方面に読ませるんです。要するに、新しい文明ですね。新しい文明の教育ですね。それをして、そうしてなるほどこういうやり方は本当だという――昔から――西洋の学者の言う――つまりユートピア的な理想や、色々書いたのがあるにはあるようですが、つまり徹底しなかったものを――今度は、はっきりと、こうだ。というように書いていくんですね。私はあんまり見ないけれども、そういうふうに思われるんです。そうして、つまり、やる事が――設計書というのが、これが天国の福音なんです。聖書にある「天国の福音を普く述べ伝えらるべし」というのは、これなんですね。「しかる後末期至る」というんですね。そうして、浄化力が強くなる。浄化力が強くなって、一番現れるのは病気ですね。人類が、病気が起こって、どんどん死んじゃうんです。 そうすると、医学で治そうとして、ちょっと触ると、ころっと死んじゃうというんです。注射したら、即座に死ぬ。つまり浄化力が強いから、固まっている時間がないから、医学じゃ駄目です。で、メシヤ教が言ったあれに違いないというので、ワーッと来て、頭を下げるんです。そう単純に――すぐにはいかないですが、結局そこにいくんです。そうして五六七の世が出来るんです。今読んだのは、世の中の――世界の組織ですね。その根本ですね――そういうものを書いたんですがね。「文明の創造」という本は、天国の福音と――その「天国の福音を普く述べ伝えらるべし」と言ったところで、これは世界人類に知らせなければならない。それを信じないで亡びるのは、自業自得なんですからね。神様の方は、ちゃんとやるだけの事はやって、世界中にたくさん、つかまるように綱を出している。つかまらないのは、つかまらないものが悪いんだから、亡びるよりしようがないですね。そういう根本は、意味があるんです。段々メシヤ教の動きと、世界的に浄化が段々強くなるという事や何かも、それから色んなことがありますけれども、結局段々そこにいくと、大体解る訳ですね。




「人間が幸せになっていく道」
三重支部 です。
「文明の創造」を仕上げていくという壮大な構想をお聞きしそれではどのように?と思いをめぐらせておりました。
「文明の創造 天国篇」には天国篇の説明と「ミロクの世の実相」の御論文しか残されておりません。しかしここにヒントがあるように思いました。メシヤ様は、天国篇について『文明世界設計の根幹となるものである。』そして、『主神の御目的である地上天国を建設する基本条件としては、何よりも大自然の実相そのままを表す事である』と御教えくださっておられます。『之迄の世界は一切に調和が欠けていた』『本来宇宙の原則としては、日月地の三段階が正しい順序である』とお述べになられ、「ミロクの世の実相」でミロクの世になった時の国際状勢として『国境は現在のままであるが、実質的には撤廃されたと同様になる』『隣国に対する権利は平等になる』世界議会があって『如何なる問題でも慎重審議の上可決する』各国の国会もあるが『議員の素質も立派で自利的観念を棄て何事も世界的人類愛的に解決する』『法律は善人に必要ないから非常に少なくなる』『世界各国に武力はなくなる』とお書きになられました。

そして、「文明の創造 既成文化の謬点」に『文明の創造は現代文明に対する原子爆弾で宗教、思想、哲学、教育、科学、芸術 悉く包含されている。』とありますが、芸術、教育、自然農法に関する御論文の掲載が少ないように思います。

地上天国建設の基本条件である大自然の実相をそのまま表し調和できるようにするには、そして、「ミロクの世の実相」の世界になっていくには、どのようにしていくのか、個人個人としてはどのような生活を営んでいったら良いのかを具体的に天国篇でお示しになられるおつもりではなかったのでは?と思わせて頂きました。そしてそのことが、これから私達が研鑽し仕上げていくことなのではと思います。

そういったことからも「人間が幸せになっていく道」というのは適切なテーマではないかと思いました。
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2010-02-11 10年前のメシヤ様のご精神を現代に求める座談会 のタイトルを皆で決めている頃の投稿です。
この後、『文明の創造』の発刊は許されました。
そして、『天国の福音書 続編』を次々と出していく予定でおられました。
頓挫している様相でありますが、三救として何が出来るのか、どういう形が望ましいのか、模索しつつ前進してまいりたいと思っております。
最後のメシヤ講座
「『天国篇』文明の創造」は平成29年3月に拝読し学び合う御論文でした。
ですから本部(当時)でのみ先生のメシヤ講座がありました。
最後のメシヤ講座が『天国篇』であったわけです。

メシヤ講座no.193本部(平成29年3月)
<今月の御教え>「『天国篇』文明の創造」(昭和二十七年)

本来の人間の体の使い方

先生
例えていえば、そういうように人間の体というものは本来の使い道があるにも関わらず、自分が正しいと思うが故にそのようなこともしてきたということがあるので、その一つ一つを今私は痛みに耐えながら考えて、人類が犯して来た「本来の『主神様』が御造りになられた内容」と自分達が良いと思ってしてきたことのあいだの、その罪穢れなどを充分見つめながら今取り組ませて頂いております

そうしたことをある程度自覚できて、これから人類を救済して行く為には、そうした一つ一つの細かいことまで御取り次していかなくてはならないという、そういうことが分かった上で神様に更に御詫びをして、お誓いをする中で痛みの方は段々と取れてきました。しかしながら、出張から帰ってからずーっと寝た状態でいるので、なんせ腰が痛いので皆様の前で不恰好な姿勢で祭典に臨まなければいけなかったことを大変申し訳なく思っております。

しかしこの浄化を乗り越えて行って、そして御神業に臨ませて頂ければ、きっと人類の為、将来の地球の為、将来の宇宙の為に、そういう動きが出来ていくのではないかと思いますので、どうか今後も皆さん方には支えて頂いて御神業を共々に担って頂ければ大変有難いと思います。

================================
天国篇をテーマにメシヤ講座で最後に先生が残されたお言葉ですので迫るものがあります。
〇主神様の御意図を求め罪穢れを見つめる。
〇自覚して、細かいお取次ぎをさせていただく。
〇更にお詫びしてお誓いする。
この繰り返しの中で、浄化を乗り越え御神業に臨ませていただく。

きっと人類の為、将来の地球の為、将来の宇宙の為に、そういう動き・・・
『天国篇』地上天国建設の動きが高まってくる。
支えて頂いて御神業を共々に担って・・・『メシヤ様の御教えを伝える』『浄霊実践』
そして、メシヤ講座の学びを現代に伝えていくことなのです。
本日は立春祭おめでとうございました。

2017年2月3日金曜日

節分祭挨拶


 令和二年二月三日
節分祭挨拶
三救責任者
 
202002資料

「節分祭を行っていない教団は多いようですが、「メシヤ様御自身は執り行わなくて良い」ということでありました。しかし、メシヤ様は神様方および人類の罪穢れを許す側であって、メシヤ様がお詫びをする側ではありません。
三千年前に正しい神様を押し込めた人間側はお詫びをし続けなければ神威というのは弥増してはいけない訳です。

そして、お詫びの御神業に取り組まなければお詫びした事にはなりません。それでより一層私達はお詫びの御神業に取り組ませていただくのです。
それは、メシヤ様が本来取り組まれようとなされたことを、メシヤ様から力をいただきながら、私達が後を継いでやらせていただくものなのです。」

このように、御教導下さった先生のご遺志を受け継いで、三救において節分祭を執り行わせて頂けましたことに感謝申し上げます。

私達、日本人種に受け継がれた、良い面、悪い面、両面の性格をしっかり見つめ、改めるべきことを主神様(メシヤ様)にお詫び申し上げ許しを請い願う祭典となったと思います。
日本は世界の雛形でありますので、私達が厳粛に祭典を執り行わさせて頂く、毎年継続して取り組むことの意義は大きいのです。

本日はありがとうございました。

覚りの旅  メシヤ降誕本祝典記念祭

 令和6年3月3日 覚りの旅  メシヤ降誕本祝典記念祭 祭典意義 メシヤ降誕本祝典記念祭は平成27年3月3日より始まり、今年で10回目です。 『十とは、〇は地球であり、大地の事である。十の字は経(たて)と緯(よこ)の棒の結んだ形で、経は火で緯は水である。火と水はカとミであるからカ...