平成308
「覚りの旅」平成308月度 勉強会を終えて

事前にアップさせて頂いた資料をもとに勉強会を行いましたので、詳細は資料をご覧頂きたいと思います。ここでは勉強会の雰囲気が伝わるように補足的に掲載いたします。


司会
「覚りの旅」の復活ということで、『主神様とメシヤ様』の79Pの『法律と人間の野蛮性』から学びあいたいと思います。それでは拝読願います。

参加者
『法律と人間の野蛮性』拝読

司会
ありがとうございました。
ここへ書いたのは今の御教えを要約しただけですので、しっかり読んでもらえればいい話ですけども、何が書いてあるかというと、ここに書いたのをまた要約すると

(資料①)


資料1

という事に集約されます。もう一度復習の意味で読んでいきます。
それでは、もう一度要約しながら内容を確認してみましょう。

法律と人間の野蛮性   (栄百十八号  昭和二十六年八月二十二日) 
現代は法律万能時代
法規が多く一生かかっても覚えられない。
しかし
犯罪は減らないどころか増え続けている。
文化の進歩と矛盾している。
その原因は何かを検討してみる。

法律だけでは犯罪は無くせない

社会から犯罪を減らし、犯罪者なき世界を作る事
そうなったでしょうか?
今は、法規の条文を増やすのが国会の議事だ。
犯罪者が減っているなら法規も減ってよいではないか。
犯罪を無くすのは、法律だけでは到底駄目なのだ。
現状法律を無くせば悪人の天下となってしまう。
法は法として今のままで、他の有力な方法をあわせて行うのが良い。
では、他の方法とは何がある?
宗教と教育しかないだろう。
しかし、何十世紀もやってきてこの有様だから期待できないよ。
法律は獣を収容する檻だ。
隙をみて逃げようとする。
(法の網を搔い潜ろうとするという事を言うんですけども。)
逃げないよう細かくする。
(法律を細かくする。)
人間の恥辱だね。
だって、人間は、獣と同様の扱いを受けているのだよ。
威張った口は利けたものではないね。
一日も早く目覚めるべき
人間の形をした獣になってはいけない。
半文明半野蛮の域を脱しなければいけない。
しかし、人間扱いをされていい人と獣扱いをされなければならない人の区別はあるのだよ。
これはまたやむを得ないのです。
国にしても軍国主義=野蛮国と、平和主義=文明国とがあるでしょう。
教育は、野蛮時代からみれば人智は進んだ。
政治、社会機構、あらゆる方面に渉って驚くべき進歩発達を遂げた。
しかし、精神面即ち魂の改善には、力が足りなかった。
  (教育の事ですね。道徳とかをやっていますけど精神面即ち魂の改善には力が足りなかった。)
法律という檻を不要にする事が、出来ないではないか。
それでは宗教はどうか。
昔から偉い聖者や、卓越せる偉人が幾人も現われ、血の滲むような苦心努力を続けて来た。法を不必要とする迄には到っていない。
既成宗教にも多くの期待は持てないでしょう。


光明世界の先覚者たれ

そこで人間から真に獣性を抜き、檻を必要としない社会を作るには、どうすればいいかという問題であるが、之こそ凡ゆる既成文化を超越した破天荒的な力が現われなくてはならないのは言う迄もあるまい、処が喜ぶべし、其力こそ主の神としてのエホバから吾等に与えられ、今現に発揮しつつある事実で、之が本教の真髄であるから、本教は全く超宗教的大いなる存在であって、やがて来るべき光明世界の先覚者として、第一番に人類の迷蒙を醒ますべき警鐘が此文と思って貰いたいのである。 
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資料②
資料2


 
司会
今、絵を練習してまして。下手ですが少しでもわかりやすくと思いましてね。
表面がきれいな人もいます、でも心の中というのは・・・これは狼を描いたつもりです。獣ですね。この獣性を除去していかないといけない。半人半獣と言われてますね。5の線を超えたらいけない。
1から10まであるとしたら、半々の内はまだギリギリで、それが獣性のほうが1つ多くなって6になってしまう。そうすると、ほとんど獣に支配されてしまうという事になるのでそういうことにならないように。今まで法律というのでくくってきたけれどもそれではなかなかいけないので、やはり浄霊ですね。本教の。そういう力というのは浄霊です。それで、覚醒していきましょうと。
先覚者ですから、やはり覚っていかなくてはいけないという事で覚りの旅ということで、復活したいと。


主神(エホバ)様から吾等に与えられた浄霊で、人間から獣性を抜いていく。
そして、檻(おり)を必要としない社会を実現する。
来るべき、光明世界の先覚者となれ!人類を覚醒させるのだ。

と要約できると思います。

檻を必要としない社会、人間から獣性を抜いていくことが使命なわけです。
それでは、なぜ人間に獣性があるのでしょうか?進化の道程として獣からスタートしたので半人半獣だったことがわかります。善と悪をお創りになられて文化を進歩させてきたように、人間もまた善と悪を持って進歩させられてきたのですね。
その説明が次の御教えにあります。

 
善悪発生とキリスト教 文明の創造 S27年  

『以上説いた如く、文化の進むに従って、必要であったものも不必要となり自然淘汰(とうた)されるとしたら、最後に至って人間と雖(いえど)も自然の法則から免(まぬが)れる事は出来ないのは勿論(もちろん)である。としたら人間に対するそれは何かといふと、勿論(もちろん)人間に内在する悪である。曩(さき)に述べた如く今後の時代は、悪は有害無益の存在となる以上、悪人は淘汰(とうた)されて了(しま)ふのは当然な帰結である。之を一言にしていへば、進化の道程として動物と同様の人類が進化し、半人半獣であった人間が、即ち外表は人間、内容は獣であった、其(その)獣性を除去して全人間にするのが今や来らんとする神意の発動であって、それに服従出来ない者が、自然淘汰(とうた)によって滅亡の運命となるのである。
 以上の如く善悪の人間が清算され、善の人間が大多数となった世界こそ、本教で謂()ふ処の地上天国の実相である。右によっても分る如く、滅亡の一歩手前に迄来てゐる悪人を悔改めしめ、犠牲者を少なくする其(その)救ひこそ、神の大愛である事を知らせるのが本教の大神命である。』


ここで気になるのが、「善悪の人間が清算され」と書いてあります。

参加者
本当ですねぇ。

司会
そうなんですよ。確認しても、そうだったんですよ。
おそらく、ここで言う善の仮面を被った人間もという事だと思います。善悪の人間。善の人間、善の方が多い人間は残っていくんですよというそういうことが言いたいんだと思います。ここの善悪というのはそういう事かなと。

このように宗教には、獣性を無くすという使命があるわけです。
その宗教が、宗教が社会を不安に陥れ、法律を平気で犯して牢に入り、死刑を執行されてしまったのが、オウムの事件でした。高学歴の信者を含め、多くの信者がマインドコントロールされていました。常識を逸脱した宗教になってしまっていたのです。違法薬物や機械まで使って、人間の獣性を無くすのと逆の善性を除去してしまったように思います。
これではもう宗教とは言えません。カルト集団です。

僕の私見です。

この事件について、メシヤ講座で代表は次のように御教導下さっております。


メシヤ講座・特選集二十八
最高神の御意図を求める取り組み

 
ということで
 また、日本を震撼させたオウムによるサリン事件にせよ、最近何かと騒ぎとなっています〝白装束集団〝にしても、私達は高い視座から理解しておかねばならないことがあります。それは、霊能力をもつ人が、欠かしてはならないことがあるのです。少し触れておきます。
 霊能力を体験によって磨く、ということがまず第一にあります。もちろんこれは〝人類救済〝に取り組むということです。
 次は、学習を重ねる、ということです。メシヤ在世中(昭和二十年代)は、すべての全国紙に目を通し、ラジオは浴室にまで設置し寸暇を惜しんでニュースに耳を傾けています。最高神の代行者として救済活動に取り組む立場にあってもなお、世界情勢や国内情勢を通して最高神の御意図を求めていたということです。
 そして三つ目は、〝人格の向上〝ということになります。特別な立場にあろうとも、〝更なる向上〝という課題はあります。最高位に向かって一歩一歩近づこうとする努力の生活者でなくてはならないわけです。しかもその努力が、苦痛ではなく〝遊行〝でなくては本物ではありません。
 この三点を欠かしてしまうと、その霊能者を中心とする集団は〝カルト集団〝化してしまう恐れがあるのです。
カルトはある意味、時間が止まってしまっている面があります。時代は主神様の御意図のままに進んでいるにもかかわらず、一つの事柄にとらわれてしまうのですね。ですから、社会病理という表現は当たっている面もあるのです。
 ただ政府側も〝カルトは何を人類に伝えようとしているのか〝という認識や柔軟性がないために、お互いに役割を果たせないまま不幸な現実に見舞われます。残念なことですね。
 私達の学びとしておきたいことは、私達の姿勢のあり方です。私達も浄霊力を授かり、霊能力を身につけていますので、更なる救済活動、学習、人格の向上に努めていかねばならないということです。
 そして人として努力していく時に、〝自分だけやっても・・・〝という思いがむくむくと湧いてきたり、面倒くさくなったり、消極的になったりすることがあったりしますと、薬毒に負けている状態です。また霊の曇りが発生している精神状態です。そのときこそ浄霊をいただいてください。
 浄霊とは、今の時代に活き活きとして、嬉々として生きるために取り次ぎ、いただくものなのです


司会
私達は、マインドコントロールされることがあってはなりません。
常に、常識を重んじる宗教なのです。

浄霊実践で体験を積み重ね、
学習を重ね、(御教え拝読の徹底)
人格を向上させ、
獣性を除去していく。

そして、檻(おり)を必要としない社会を実現する。
来るべき、光明世界の先覚者となっていかねばなりません。

それでは、今回の内容について自由に語り合い、学びあいましょう。()


参加者
質問があるんですけど、先程の資料①で「浄霊で人間から獣性を抜いていく」とありますが、御教えはそこに入ってこないんですか?浄霊だけなんですか?

司会
いやいや、入ってくるよ。
ここ(資料②)には書きましたよね。

参加者
そうですね。浄霊実践と御教え拝読。
やっぱり両方かなと思って。

司会
もちろん。

司会
今までの教育というのでは、上手くいかなかったよね。それじゃぁ、何かといえば、主神様からの力というのは浄霊ということですので、そこにポイントを置いてこの御論文はなってるというだけであって、メシヤ講座からいってもですね、当然御教え実践で人格を磨いていくということがなければ獣性を抜いてくという事が出来ていかないので、当然これを補足していかなくてはいけない。両立してという事ですね。
この御教えがどういう目的で書かれたのかによってね。

参加者
そうですね。

司会
だけど、その御教えを読んでいるということ自体が学んでるという事だからね。

参加者
そうですよね。

司会
メシヤ講座から引用することによってそれをきちんと補足出来ていくかなと思って。

参加者
そうですね。

司会
ただの要約になってしまうとなかなかその人によって受けとめ方も。
全集をしっかり読みましたという人もその全集の読み方というのがあるでしょうから。
ただ字だけを読んでいたんじゃ駄目ですよという。
先生は御教え自体を現代に置き換えてどういう風なことかということの思考、頭のその考え方というのをずっと教えてきてくださったわけですので、それを我々も実践していくという練習をしてきたのが「覚りの旅」であって、それが途中で止まっていたというのがあるように思うので、そこを復活していきたいという思いです。


〝覚りの旅〟の復活を!という資料配布
2年前、28年の9月9日にここで遷座祭を行いましたので、その時に話をさせてもらった内容です。

資料A

 
司会
絵が非常に難しい。

参加者
洋服がどうなっているか分からないと線一本も引けないと思うんですよね。観音様の。
いつも思うんですよね。どうやって着ているのかなって。
難しいですよね。

司会
非常に難しかった。
これは光背を言いたいだけです。
この真ん中と光背ね。

ここの話をさせてもらったポイントというのは、「仏教講座に1週間行ってきました」と先生に話をした時に、この前にある仏像、これは観音様の絵を描いてありますけども、阿弥陀様とか色々後ろに光背というのがありますね。それと前の白毫で、『⦿のお文字と同じじゃないですか。
で、先生が座行観音様のこれで 『⦿のお文字が浮かび上がってくるので主神様の御神名でお参りしてもいいですよという話を一番最初にいただいたんです。何回も話をしていますけど。

参加者
光背が大事だというのは仏教講座で勉強してこられた時に聞きました。

司会
先生から、あなたが行ってきたのはこれを聞くためですという話があったんです。
これは何かという事ですよね。
今の、世界布教という時期にあたってですね、今まで知らず知らず仏像を拝みつつも、主神様を拝んでいたのと同じ意味ですよと。要は仏教も包含しているんですという事が言いたいんですよ。
もう一つは、キリストは?というと、十が一杯でてくるじゃないですか。
天津金木、神様が真ん中に座られると。パッと描いても難しいんです。
経と緯を結ぶんで、西洋と東洋を結ぶという意味もあって、ここの真ん中に天照皇大御神様が座られたときに世界統治ということで、何れ天津金木を拝むことが来るのかもしれませんという話もあったんですけども。だから、十字というのが、キリストの方にいくと十字を拝んでるということで、そこも西洋東洋結ぶという意味ではそういったことも意識しておかないといけないかなと。
色んな宗教宗派があっても、全部包含してるので、別のところの事をむやみに批判は出来ないですよと。
国によって違うし。そこを意識しておかないといけないかな。

世界メシヤ教のマーク。
今回、615日、教主様が大阪で祭典をされたんですね。その時は御神体がないわけなんです。御神体がなくて、お写真とこのマークで参拝されたんです。このマークに向かって御神名を唱えられたと。“メシヤの御神”と唱えられた。教主様の方にも神界からのお働きがあってこういう動きになっているんだろうなと私は思っています。

参加者
天津金木って、上から見たらこんな感じですよね。

司会
そのマークについても、メシヤ様は昭和27年以降の御教えでもですね、何度も話をされてるわけなんです。
例えばですね
「中の十文字は何の意味でしょうか?・・・キリスト教と何か関係が・・・」
『関係っていうより、これは私の方の解釈ですがね、十字は経緯を結ぶという意味なんです。経は東洋、東洋文化ですね。緯は西洋であり、西洋の物質文明なんです。また、経は祖先との繋がりであり、緯はキリスト教の博愛的な精神です。だから、今度敗戦によって日本が民主国家になったという事は、経に緯の棒が入ったってことなんです。いままで忠君愛国といったふうな経だけのところへ緯がはいったわけですよ。御講話録13号、昭和24年』
これは24年の御教えですね。

それから、
「聖書の中には七の数字がよく出てまいりますが、いかなる意味でしょうか?」
『七は完成の意味です。言霊でも「ナリナル」などと、できあがることです。だいたい『聖書』に限らず一は初め、独一真神、二は陰陽、そこへ子が生まれて三、四は四方へ拡がる。そこへ熱、火ができる・・・・・五、火によって氷が溶け水になる・・・・・六、今度は土ができて完成するのです・・・・・七、だからキリスト教では七日目に創成されたというわけで、七日目を安息日としているのです。これは本当です。それから八は開ける、九は「つくし」といって極点です。十は経緯結ぶことでこれが本当の完成です。今は九の世でありこれから経緯すなわち東西文化を融合するのが観音教団の仕事なのです。みんながつけているバッジの〇に十はそれを表しているのです。十一は結んで始まる、二十一世紀というのは経緯が結んで始まる世紀というわけです。二十で王となり、その上に最高の神様がお乗りになって世界を御経綸になるのです。また、七は土が本当で片仮名の「ナ」も土になるのです。・・・・・・「ア行」は基音といって基本でありまた霊になるのです。従って「ア行」には物質的な働きはないが、音としては最高です。例えば「タカアマハラ」、「アタマ」などです。』

(中略)

司会
今まで先生が積み上げられてこられた事の議論、教論律ということで、教えられてきたことを大切にしていきたいなと思っております。やっぱり、原点に立ち返ってやって行きたいなと、まずは自分たちが学んでいかなくてはいけないので、「覚りの旅」ということでさせてもらおうかなと。

参加者
先程、おっしゃってた話、教論律のお話。
メシヤ講座、そもそも何でかというところで、教論律だったじゃないですか?
で、今の話、先程もそうですけど、教論律の話ですよね。
それを、今、して下さってるのかなと。
メシヤ講座は、教とは何だ。論とは何だ。律とは何だ。と、丁寧に教えて下さってます。
今はどうも学術的な何か文献のひも解いているような雰囲気で、評論家になっちゃってるようなところがちょっとあるよなぁと。
評論家はいらないってふうにおっしゃっているのに・・・。

司会
御教えを知っている人っていうのはいくらでもいる。深く知ってる人はいくらでもいますので、私は御教えを知っているんだという説き方では押し付けになってしまうと思いまして、ここは、一緒に共に学びましょうという場ですので、こういう形にしたんですけども、人数も少ないので、講座ではないので、先生のような高い境地には立てないので、一緒に学びましょうと。
先生は御教えを全部頭に入ったうえで下座の行もやられているわけであって、その下座の行と言うところを少しでも自分たちの身に付けていきたいと思います。

参加者
今のやり方だとやっぱり抵抗がある・・・・・
先生だったら、何の抵抗もなく入っていけたじゃないですか。

司会
いえいえ。
もともと、誰を見てしゃべるのかというところの食い違いがあるんですよ。自分たちは目の前にいる信者さんを第一にしてと思ってます。しかし、ホームページ上でほかの教団とかいろんな学のある人が見るから・・・。

参加者
信者さんは学のある人ばかりではないと思う。選民思考かな。

司会
選ばれた、キリスト教でも出てきますけども、選ばれた民というふうにでてきますが、
メシヤ様は、一人でも多くの人を救うと仰いましたね。

参加者
選ばれた民って、ユダヤの事だと思うんですけど・・。

参加者
先生がされてきたメシヤ講座のすごさは、メシヤ様を見つめてるという事が本当にそのままですよね。メシヤ様がされてきた事を、同じように自分でどうやってしていったらいいのかをずっとみつめてらっしゃるからずれてない。それを、フォローしてる私達にずれはないと思うんですけどね。
さっきの色々な時事に関してもほとんど色んなことを勉強されてましたよね、先生も。
全部メシヤ様がされていた事を先生も自分の時所位ですぐにそれをされようとしているから、ずれてないと思うんですけどね。
そこへ、私たちが先生を見て、ずれない自分でいられるという。


太陽神についての学び(その2)資料配布

司会
これは本部の資料(メシヤ講座no.204_2(平成308月))に上がってた体験です。それを見てもらわないと分かりませんけども。

その中で気になったのでちょっとだけフォローさせて下さい。
ちょっと皆さん勘違いするといけないと思ったので、
事例2のところで、資料の方では精神病は100パーセント霊的なものでという事をコメントで書かれているんです。これ、ちょっと勘違いするので、誤解を生む恐れがありますのでメシヤ講座の説明を引用させて頂きました。
先生の話の中で、腎臓をしっかり浄霊して下さいよと。要は精神的な病気っていうのも薬毒が原因なので薬毒をとっていくことが大事ですよと。何で精神病になるかというと、貧霊になっていく、貧血になっていく、血が薄くなっていくのでそこへ霊がかかりやすくなるんですよということで、かかった霊の事ばかりで説くと話がその方面ばかりになってしまうので、話を一般的な話とか、信者さん方に話をする上においてはですね、100パーセントという言葉は勘違いを生む可能性があると思いました。
それと、御教えの方でも、『悪霊が憑るということは曇りがあるからで、曇りというのは薬毒だから、結局根本は薬毒です。だからすべて病気は薬の毒なのです。』
逆に、全部病気は薬だよとメシヤ様は御教えの方では話をされておられます。

参加者
危ないですよね。勘違いしてしまいそうです。

司会
そうですね。

参加者
ご本人の体験発表で気付いたこと、ご自身の事じゃないですか。ご自身がどう思ったのか?でそれを引き出してあげるのが責任者の、そこのやり取りから先生はされてましたよね。いつでもね。
そこなのになぁって。

司会
体験談というのが本部の大祭の時に先生がコメントしてたじゃないですか。体験発表があって、コメントして、それを全体に通用するような話し方をされていましたね。それと同じ様なことは中々できるものではありませんが、目指していくべきところですね。

司会
それで、事例3ね。
「花は桜木人は武士」という言葉が出てきて、皆、分からなくて調べる人は調べるでしょうけど、ちょっとびっくりして、「桜木武士観音」という聞きなれない言葉が出てきたので、調べてみました。
「花は桜木人は武士」という表現に使うと。どういう表現、意味かといったら、花の中では桜が最も優れていて、人の中では武士が最もすぐれているという意味になると。何でこう言われているのかというと、桜の花はぱっと咲いてぱっと散る事からその瞬間が最も美しいと言われ、武士にしても最期が潔く美しい事から散り際が潔く美しいということだそうです。ですから、花の中で桜が最も優れていて、人の中だと武士が最も優れているという意味。そんなに使用する機会はない言葉ですが使うとした場合は「花は桜木、人は武士というように、自分も潔くありたい」という使い方がされます。

僕がこれで連想してしまうのは、『散花結実』の花が散る。を連想してしまってまたまた先生と結び付けて考えてしまいます。私はね。

やっぱり、メシヤ講座を引用してというのが他のところで少ないかなと思って。それは、先生が「全てメシヤ講座で話した」と言っておられるように、ほとんどの事例というのは出てくるので、当然御教えとメシヤ講座という形で答えを求めて、今、現代に当てはめるというのがいいかなと思って。そういうやり方をしていきたいなと思いました。

参加者
いい勉強会をしているところに人は集まってくると思いますよ。
皆、知りたくてしょうがない、勉強したいのになんかうまく勉強できないと思ってらっしゃる方とかいると思うんですけど。

司会
僕は組織にはこだわっていませんので。
御教えで帰一していく事だと思っています。

参加者
勉強会に来てもらうのは構わないですよね?

司会
全然問題ないよ
御教えの勉強会 とか 御教えの研鑽会 とか、要はそういう「覚りの旅」をやってますという事であって、共に学びたいという人が来るのは全然問題ないと思っています。

                                           以上