2023年2月10日金曜日

令和5年 立春祭を終えて

 stand.fm


 

 

令和5年2月4日
              令和5年 立春祭を終えて


三救責任者

皆さま、立春祭おめでとうございます。

昨日は、厳粛に節分祭を執り行い、お詫びをさせて頂きました。

メシヤ様の時代にはメシヤ様は赦す権能をお持ちの神様ですので、節分祭は行わず、国常立尊様を押し込めたことを昭和29年の立春祭で初めてお話になられたと聞いております。

 

立春の御教えとして何度かお話しさせて頂きましたが、再度確認をさせて頂きますと、

 

『その時に世界を主宰していた神様が国常立尊という神様です。

この神様は非常に厳正な神様で、間違ったことは許さないというような政策をとったために、

非常に多くの神様――八百万の神――から、その時分でも世論が、どうもあんまりやかましすぎてとてもやりきれない、だから押し込めてしまった方がよいというので、排斥運動、押込運動をした結果、押し込められたのです。

それで艮(東と北の間)のある地点に押し込めたのです。

そうして、ふたたび世の中に出てこられないようにというので、豆を炒ってまいて、その時に“炒豆に花が咲いたら出てきてもよい”と……

もっとも、炒った豆が芽を出すはずがないのですから……

それを条件のようにして押し込めたのです。』

これは、『御教え集』31号 昭和29年2月6日です。

 

豆まきの風習というものを拵えて、知らず知らずに押し込めた神様をお出ししないことに、民衆は加担してしまっていたわけです。

 

それで、押し込めたことをお詫びするのが節分祭ですが、本日の立春祭から神様の光、偉力が強くなってきます。それで立春祭をお祝いするのです。

 

メシヤ様がお体をお離れになられたのが昭和30年2月10日です。
今、読ませてもらっているのが、2019年のご挨拶させていただいた内容ですけども、それから昨日(2019年の節分祭)までの日数が23,369日だということにその時気付いて、お話しさせていただきました。
ミロク369の数字が出ていたわけです。

さて、今年は令和5年、2023年の今年は?ということで、今年の数字を少々考えてみました。

 

朔旦立春(さくたんりっしゅん)

 

“朔” は一日、初めということです。

先程の立春の御教えは昭和29年、1954年です。この年は朔旦立春でした。調べていて気付きました。

旧暦というのはおよそ一月遅れになります。旧暦では立春近くに元日がめぐってきますが、必ずしも立春=元日にならないのは、二十四節季は太陽の動き、元日は月の動きで決められていたからです。

旧暦一日は必ず朔(新月)ですが、立春は朔に関係なく定められるため、多くの年は一日になりません。

ただ、何十年かに一度、立春が朔と重なり、旧暦一月一日になる年があります。これを朔旦立春、または立春正月といい、大変めでたい日とされてきました。

1954年(昭和29年)は朔旦立春でした。

その次が1992年(平成4年)

次が2038年、令和20年、今から15年後が朔旦立春だそうです。

立春は新しい年の始まりであったことから新暦となった現代も年賀状に「新春」「迎春」と書く習慣が残っています。

このめでたい朔旦立春の年に立春の御教え、先程の厳正な神様である国常立尊様を押し込めたという詳しい話の御教えがあったのがこの年だということです。

そしてその時より、1954年の立春より今日は69年。週でいくと3600週でした。ここでもミロクという数字が出ているということです。

数字においても知らせて下さっているのです。

もう少し昭和29年の立春の御教えについてお話しします。

 

『今年の節分はいよいよ艮の金神様が表になる。つまり、今まで三千年隠れていたのが表面になるのです。

○○教を開いたのは、霊界がそうなったのです。

ところが今度は現界がそうなる。という事になったのは、この節分にお知らせがあったのです。

というのは、御隠退になっている時は、霊界に行かれて閻魔大王になるのです。閻魔大王というのは要するに霊界における審判の……今で言う検事総長とか最高裁判所長というような、そういった裁きの最高の地位です。ところが「この世の閻魔と現われた」というのですからして、今度は現界的の裁きをされるわけです。これが審判です。』

 

昭和29年2月7日の御教えです。

立春の日に、閻魔の絵がメシヤ様の手に入った。これが一つの型だと。

その型によって、「(この世の)閻魔が審判に入る」ことを啓示された。

『神様はすべて型で見せますから、この閻魔王の掛け物によってお知らせになった。』

ということが、御教えにでていまして、

 

節分が夜の世界の罪穢れが清算される。すると、6月15日の方は明るくなるというようなそのようなものですね。

で、それがだんだん強くなっていくんですがね。

近頃は浄化が非常に強くなってきた。

信者の人で浄化の強い人が随分・・。これは信者の人も皆知ってますがね。なかなか古い人でも、かなり強い浄化が起こるんですね。

で、信仰の固まっている人は、どんな強い浄化でもそれを逃れますけども、少し、フラフラしている人は、なかなか危ないことがあります。

けれども、結局は救われますけれどもね。

たまには、子供や何かの身代わりなんてのがありますから、よほどしっかり信仰を握っていなければ負けですからね。

 

昭和27年2月5日の御教えです。

今の、「子供や何かの身代わり 」というのはですね、親に養われている間は親の罪穢れも分担すると。

それから、先程の「信者の人も皆知ってます」 というのは、信者なら誰でも気付きます、浄化が旺盛になってくるということ。

それから、信仰の固まっている人ということで、これは、メシヤ様に対する深い信仰を持っている人。御教えの真摯な実践に励む人。そういうことが、信仰の固まっている人。

それから、子供や何かの身代わりというところで、宿命を素直に受けとめなさいと。

 

『一切、現れること、人から交渉あることも、住む土地も、みんな因縁があるのです。つまらないようなことでも、それに従わないとやっぱり悪いのです。』

 

ここは、何事も因縁によって起こるものであるから、自分として納得できないことにも素直な気持ちで即応しなさいと。

 

よく、それ(我)を通して自分の思った通りを突き抜こうとしますが、ロクなことはないのです。だからそういうのは我です。

「よし、俺がこう思ったら、誰が何と言ってもやり抜いてみせる」「どんな事情があってもやり通してみせる」という、これが危ないのです。それよりか、ちょっとやってみていけなければよしてしまうのです。

さっぱり信念がないように見えますが、ところがそうではないのです。

つまり、そこで素直、運命に従順ということが一番よいのです。これは決して間違いないことです。

間違いなければうまくゆくのです。

ところがどうも人間というのは、「精神一到何事か成らざらん」主義でなかなか素直にゆかないのです。

私はいつかも言ったことがあるが、人間は腹に力を入れなければいけないと言いますが、腹に力を入れてはいけないのです。武芸者でも、腹に力を入れているのは、まだ本当ではないのです。もし、腹に力を入れていると敵がパッと来たときに、パッとゆく千変万化の働きができないのです。

それが腹に力を入れてないと、千変万化の働きができるのです。機に応じての働きができるのです。

 

この機に応じての働きというのは、

神様は出来事を通して、御自分の意志を伝える。しかも、人間の思惑とは全く異なることが多い。裏に神意のあることをよく知れば千変万化に応じることができる、ということです。

 

今の話は『新伝導の手引き』からお話しさせていただきました。

 

 

2018年3月3日、メシヤ降誕本祝典を行い、メシヤ様に現界にお出ましいただいて、今年の本祝典記念祭は5年目になります。

国常立尊様を押し込めた、隠退に追いやって以来、夜の時代の癖を引きずって現代にいたっているわけですから、私達は、再びメシヤ様が御隠退なされることがあってはならないのです。

昭和に『メシヤと呼べ』と仰せられたメシヤ様の御意図を察せず、再び明主様とお呼び続けていることは、神代に国常立尊様を押し込めたことに加担してしまった、見て見ぬふりをしてきたことと通じてしまうのだと思いませんか。

メシヤ様の御存在を認識させていただくということは、メシヤ様と御尊称申し上げてこそ叶うことであると思います。

メシヤ様にお出ましいただいたかどうかとは、メシヤ様の認識が許されたかどうかなわけだと思います。

私達はメシヤ様のことを宣べ伝える、御教えを学びその実践につとめる、御教えに基づいた浄霊を実践していく。

これが、この事が、救いにつながっていく、人類救済につながっていくただ一つの道であると思います。

大きな、壮大な話をしておりますが、救いの一歩は家族です。集団の最小単位は家族なのです。

そして、皆さんにつながってくる人々、ぶつかってくる人々です。今まで学んできたことをフル活用して頂きたいと思います。

まず、病気とは浄化作用である。神様が体を浄めて下さっておられる。大変ありがたい神様の恩恵なのだと、自分の体験を自分の言葉で世の中の人々に伝えていきましょう。

あなたの体験をあなたの言葉でご縁ある方々に話しましょう。

あなたの発する言霊によって、御神縁は結ばれるのです。

宗教学者の岸本英夫先生は、人間生活そのものが宗教であると説かれ、先生もよく引用して話されました。

節分の本当の意味を知ることができた私達は、「鬼は外」と鬼を追い出すのではなく、鬼門に太古に押し込められた、隠退に追いやられた厳格な尊い神様、審判の神様を認識することなく、夜の時代の癖を引きずって今まで過ごしてきたことをお詫びしなければなりません。

メシヤ様は国常立尊様の御働きもされておられました。

メシヤ様は全ての神々の頂点であり、主神様であられるわけですから、お詫びし、赦しを請うのは主の神メシヤ様であります。

また、イザナギの尊様の御働きをされておられましたので、もちろん観音様が初まりだったということが、善言讃詞にも出ております。

私達は『主神様とメシヤ様』を刊行し、全ての神々は、主神様御一方に帰一していくと学ばせて頂いております。

善の神も悪の神も主神様が必要があって創造され、派遣されました。

人間界が行ってきた行事や習慣、人間の営み、全てのことは、主神様の壮大な御意図のもとに進んで参りました。

 

ということで、『主神様とメシヤ様』につながっていくということで、

『文明の創造』の朗読、スタンドFMが昨日完了いたしました。
次に、『主神様とメシヤ様』の朗読をアップしていきたいと思います。

これは、メシヤ様の御神格を求め続けていくということです。
朗読することにより、またアップすることにより、アップした音声を聞くことにより、新たな気付きや、これだと感じるところが一つでもあれば一歩一歩地上天国に近づいているのではないかと思います。

昨年の自分より一つでも成長して、弥増す光を体で、魂で受けとめ、地上天国に近づいて参りましょう。

本日は立春祭、おめでとうございました。

 

司会

以上をもちまして救いの三本柱、三救立春祭を終わらさせて頂きます。

 

三救責任者

ありがとうございました。

 

参加者一同

ありがとうございました。

2023年2月6日月曜日

令和4年 メシヤ様御降臨祭 責任者挨拶

 


 
令和4年12月23日
          令和4年 メシヤ様御降臨祭 責任者挨拶
三救責任者
皆様、メシヤ様御降臨祭おめでとうございます。

参加者一同
おめでとうございます。
冒頭で司会が話したことを覚えています?

参加者
昭和29年のメシヤ会館での話でした。

三救責任者
ポイントはそこというよりも、何故、千手観音様をその時(昭和29年12月23日)に御奉斎されたかに想いをいたしつつ、祭典に臨んで欲しいという話でした。
昭和29年にメシヤ会館での御降臨祭において、千手観音様を御奉斎されました。
何でだと思います? 正解はございませんので、推し量るしかないので。
そういう事を考えつつ、ちょっと違う話をします。

参加者
考えておきます。

三救責任者
はい。
話は変わりまして、今年の漢字は「戦」でしたね。

図1

1
図2
2

古代中国の大切なものとしては、神様に祈ることと、戦争だったそうです。
(図2を見ながら)これが盾で、これが矛。盾には羽根飾りが2本付いているそうです。それがこの「単」という字になる。2本の羽根飾りがついた盾の形が「戦」という字です。
「戦」ということで、御教えをしらべていて出てきたのが、「悪魔の囁き」。

図3
3

すごいタイトルですね。
ちょっと読みます。これは昭和11年4月19日の御執筆です。

悪魔の囁き
悪魔の囁(ささや)き、とは映画の題名のようであるが、これは誰もが体験する事なのである。
大抵の人が、最初観音信仰に入信した時、それは嘗(かつ)て覚えない程、感激に溢れるものである。それは、今まで諸々の信仰に懲りたり、又、何程信仰しても、御利益がなかったり、又は、真理を掴めなかったりして、失望しているところへ長い間、求め求めてやまなかった宝玉を、見当(あて)たようなものであるから、その歓びに浸るのも無理はないのである。
しかるに、ここに恐るべき危機が伏在している。それは、悪魔がその人に対し、隙あらば信仰を引き落とそうと、狙い詰める事である。
 元来、この娑婆においては、昔から目には見えないが、絶えず、神と悪魔が戦い続けているのである。その戦というのは、大にしては国同志であり、次は党派と党派、階級と階級、小にしては個人と個人、今一層小にしては、一個の人間の心の中での、神と悪魔の戦、即ち善悪の争闘である。故に、最大の拡がりは国家間の争闘であり、最小の縮まりは、故人の心における争闘である。

「戦」という事で御教えを検索すると、こういう・・・人間の心の中の善悪の争闘というのも「戦」、「争い」でありますね。そういう事が言えるかと思います。それから、

しかるに、この心なるものは今日まで大部分は、悪に属し易かったのである。いわば、悪魔の家来が多かったのである。しかし、多くの人は悪魔の家来である事を、勿論、意識はしていない。何となれば、意識をすれば最早それは悪魔から放れる事になるからである。

意識したら悪魔から放れるという事です。

しかしついに、神に救われる人は、この無意識で悪魔の家来になっている人が多いのである。それはその人の盲目の眼の開く可能性があるからである。それらの人の無意識とは何か、それはその人の善と信じている事が、悪であったり、正神と思って拝んでいる、それが邪神であったり、真理と思っていることが、不真理であったりする事である。そうしてそれが、救いの光に依って、それら誤謬の正体が、暴露する事である。
 しかし、右は救われる側の人であって、ここに絶対救われない人もある。それは勿論、少数ではあろうが、はっきりした意識の下に、悪を行う人がある。又、悪を好む人もある。この意識的の悪人こそは、滅多に救われないのであって、これは、最後の清算期に滅びてしまう憐れむべき人々である。
ここで又、前へ戻って説明をしよう。真の信仰を把握し、過去の誤りに目醒め、感激の喜びに浸っている時、悪魔は己の家来を奪われた痛恨事に、切歯するのである。よし再び彼を、己に引戻さずに措くべきやと、その機会を狙いつめる。故にこの事に気の付かない人間は、何らかの折に触れて、迷いを生ずる。 それは多くの場合、親戚知人の親切な忠告や誠しやかな非難の言葉で、その人の心を乱そうとする。それは悪魔がその親切な言葉という、仮面を被って、実はその人を引堕す弾丸である。そうしてその第一歩として 心に間隙を生ぜしめんと努力するのである。その際余程確固不動の信念を有しない限り、成程、それもそ うかなと思う。その刹那(せつな)の想念こそ、実に悪魔の弾丸による、信仰の一部破綻である。この破綻は、たとえば 戦争の時、城塞の一角が崩されたようなもので、そこから敵が続々侵入し、遂に其城廓全部を悪魔軍の手に帰する様なものである。
心に悪魔軍が侵入したその状態は、こうである。それは必ず、信仰を離れさせるべき、いとも巧妙な理 屈を作るものである。即ち其信仰の欠点を探そうとするので、それが悪魔の囁きである。その時は常識で 批判すれば、馬鹿々々しいと思うような事を、さも欠点らしく意識させる。そうして飽くまでもその信仰を非なるもののように、理屈づけるが、それは実に巧妙極まるものであって、普通人には到底観破出来難いものである。そうしてそういう時は、必ず本部へ接近させないよう、本部へ参拝しようとする時は、些(いささ)かの支障にも理由付けて、接近させまいとする。それは何故かというと、悪魔は強い光を非常に恐れるからである。悪魔にとって光程恐ろしいものはない。光に遇う時、悪魔はその悪魔力が弱るものである。
万に一つも、助かる見込のない重患が、観音力によって助けられたとする。その時は自分の生命は、観 音様から戴いたものであるから、生命を捧げても惜しくないという、熱烈な信仰心が起るもので、又、それを口へ出す人もすくなくないのである。 
それが幾日も経ち、幾月も経つ裡に、不思議な程忘れてしまう人がある。実に浮薄、驚くべきである。 それは、そういう浮薄な人こそ、巧妙な悪魔の術策に陥り易い人で、折角一度、観音様の家来になりながら、惜しくも再び悪魔の虜となるのである。 
そうして信仰を離れた人は、例外が無いと言いたい程不幸に陥ってしまう事実である。それを常に余り に多く見せつけられている。しかし、そういう人も早い内に気が付いて、再び救を求めて来る人はいいが、 偶(まれ)には時機を失してしまう人がある。そういう人は、不幸の極、悲惨にも滅びるようになる人さえよく見るので、ちょうど、一旦乗ったノアの方舟から、海中へ墜ちて溺れるようなものである。
 真に救われた人は、この点能々(よくよく)注意すべきである。

信仰で救われた人への注意事項を昭和11年に御教え下さっております。
「戦」という今年の漢字から、今年の世情、さらには私たち一人一人の心の中を見通されての昭和11年の御執筆と受けとめさせていただきたいと思います。
信仰の浅い人、長い人にもよくよく熟読すべき御教えかと思います。

それで、話は戻りまして、昭和29年12月23日の祭典においてメシヤ様は大幅の千手観音様をメシヤ会館に御奉斎されるように御指示あそばされました。
御在世中最後のメシヤ様御降臨祭における御神体が千手観音様であったわけです。
どうしてでしょうか? 正解があるわけではありませんが、みなさん考察してみて下さい。

正解は無いですよ。だれもメシヤ様にお聞き申し上げていないので、拝察するしかないという事です。
御歌に 『思ひきや昔語りの桃太郎は千手観音の化現にませり』 とあり、

図4
4

『桃太郎は千手観音であります。観音講座 第六講座』 
それから、
『千手観音は桃太郎のことである。たくさんの宝を取るのは、千手観音の手にたくさんの宝を持っている。あれは、いままでの世界の物はすべて鬼ヶ島の鬼が支配しておったのを、取り返したことになるのであって、いままでのあらゆる権力を鬼が持っていたのである。今後鬼が改心することになるのである。桃太郎に出られてはとてもかなわないと言って降参するのである。
それから、
『聖徳太子は千手観音の小さい型。私が今行っているのは千手観音の働き。だから何でも無限にいろいろなことをやっている。』
という御教えが出てまいります。

図5
5

昭和29年12月23日から昭和30年3月3日までは70日間ですね。僕が考察していることですけども、70日間です。七(なな)という字。
メシヤ様が御生まれになった、1882年12月23日から昭和30年3月3日まで・・お亡くなりになったのは2月10日ですけども・・昭和30年3月3日までとすると、72歳と49日。
メシヤ様は御自身御昇天されることは分かってみえましたので、生れてからの御生涯というのと、この千手観音様をおかけになられて、メシヤとならせでメシヤ降誕本祝典を執り行うと仰せられたその日まで、「ならせ」 の七十と繋がってくるということと、観音様という事で考えると、善言讃詞を考えて欲しいんですけども、善言讃詞の主役というのは観音様から、世尊観世音菩薩此土に天降(あも)らせ給ひ・・ から始まっていますよね。
世尊観世音菩薩が天降(あも)られた、天降(あも)られたというのは、天降(あまくだ)る、天降(あも)らせというのは、神仏が天下ることですので、観音様が天降(あまくだ)られた。
御降臨祭という言葉も、そういう意味でいいのかなと。
誕生というのは人間が生まれること。
生誕というのは偉い人が生まれること。
御降臨というのは神仏が天降(あまくだ)ること。
メシヤ降誕という 降誕 はメシヤ様が・・「メシヤ降誕と言ってねメシヤが生まれたわけです。言葉だけでなく事実がそうなんですよ。私も驚いたんです。生まれ変わるというんじゃないんですね。新しく生まれるわけですね。」という言葉がございます。だから、メシヤ降誕ですので、御降誕祭。新しく生まれた。
そうすると、観音様が天降(あまくだ)られて、光明如来と現じて、応身弥勒と化して、この間も変化している。働きが変化しているという事ですよね。そういう働きをされつつ、救世主(メシヤ)とならせ。メシヤ様が現身を御持ちになられて、観音様が天降(あも)られて、その働きをしつつ最後には救世主(メシヤ)に新しく生まれた。
善言讃詞というのは、メシヤ様の御生涯をその働きによって地上天国化していくということを表わしているように思えます。そう考えるのがいいのかなと思います。そうすると、メシヤ降誕本祝典までつながっていくのであって、千手観音として、1本が25で、40本。40×25で千の働きをする。私達はその一つの手だとしても25の働きをさせて頂かなくてはいけないように思います。
ここでも25という数字は、観音普門品の25という数字と、5月5日の5×5で25、千手観音は桃太郎である、桃太郎は千手観音であるという事ともつながってくるということで、12月23日と3月3日のつながり、また、3月3日と5月5日、私達のやっている祭典のつながりというのが非常に関わり合いがあって、意味のある事なんだということが、善言讃詞の想いについて考えると分かるんじゃないかなと思います。
先程の昭和29年12月23日から30年3月3日というのは70日ということで、成るという字、七と書いても七(な)らせ、成ると書いても成(な)らせですから、これは1882年12月23日にメシヤ様が御生まれになられてから昭和30年3月3日というと72才49日ですから、72才と49日、49日というのは7×7、御法事の時には7×7でやってますので、これは今までに学んできた事ね、そういうこととも数字も合ってくるという事で、メシヤ様の御生涯と善言讃詞というのは重ね合わせて見ることが出来るんじゃないかと思います。
それで、前の教団の時の善言讃詞を見てみますと、「一天四海おしなべて仁愛(みろく)の御手に帰一され・・・」じゃなかったでしょうか? 覚えています?
「おしなべて」とは?
何か違和感なかった?僕は「おしなべて」って何だろうなと思って。
「おしなべて」というのは、辞書で調べると、一つの物や様を全体で表す。どれもこれも同じである様。大体の傾向をとらえる様。一様にとか、普通であるさま。世間並み。概して。
ちょっと今までの教えと考えると、善言讃詞が、観音様が現われてずっと御出世されてメシヤ様になられてという天国の様相を表わしつつも、ここの言葉の表現というのがね、これは昭和47年に前の教団がそういう風に変えられたわけですけども、メシヤ様の昭和25年には「救世主(メシヤ)とならせ」と入れられているということと、昭和25年にね。
・・25年だね!これ。
ここは、一天四海観音の仁愛を ミロク と読むのか メシヤ と読むのかですけども、メシヤ様の時代はミロクと読んでいましたけども、 御手に帰一され ということで表現されていますので、そこで、どれも観音様が中心という善言讃詞が今の私達の唱えていることですから、そこが一番僕は大切じゃないかと思って、だから、「おしなべて」というとみんな一緒くたにという、そうじゃないですよね。「一天四海おしなべて仁愛(ミロク)の御手に帰一され」というのと、ここで、先生がですね、「一天四海観音の」「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」のここの間を注意してくださいねと言われました。 覚えていますよね? ここの間で何を思うんでした?
善言讃詞を挙げられていますよね? 「一天四海観音の」 ここで少し間を取ってくださいと。この間を取る間に想念で唱えて下さいと言われたのは何でしょうか?

参加者
・・・応身彌勒と化し

三救責任者
そうですね、一番最初のこの御出世の「世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ光明如来と現じ応身弥勒と化し救世主(メシヤ)とならせ」、御出世の順番、上がっていくことに想念を持って、そして「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」ですから。
「救世主(メシヤ)とならせ」と入っている善言讃詞において「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」ですから。先生の理論というのは私は一貫してこれは本当にきちんと考察されて善言讃詞そのもの、改ざんではないという風に思います。ここをきちんと考えればですね。
だから、どれもこれも一緒というわけじゃなくて、「おしなべて」じゃなくて、観音様が色々な働きをされて、中心で働きをされて、メシヤ様になられたよと。そこの事に想いをはせて善言讃詞を奏上してくださいねということですので、観音様のような、千手観音様のような手の御働きでもって浄霊とか・・、浄霊、そして御教えを伝えていくと、そういう事を私達は御神業として引き続きやっていっていただければ良いかと思います。

今回は、「戦」という今年の漢字から千手観音様についてのお話をさせて頂きました。
これは引き続き3月3日の祭典にもつながっていきますし、5月5日の桃太郎に関する祭典といったことにもつながっていきますので、そういう事に想いをいたしつつ御神業に励んでいただければと思います。

それでは今日はこれで終わりたいと思います。

司会
以上をもちましてメシヤ様御降臨祭を終わらせていただきます。

参加者一同
ありがとうございました。

覚りの旅  令和5年1月 新年祭を終えて

 


 

 

令和5年1月5日

   覚りの旅  令和5年1月 新年祭を終えて

三救責任者

皆様、新年祭おめでとうございます。

 

参加者一同

おめでとうございます。

 

三救責任者

今年はうさぎ年。

うさぎに着目して聞いていただければと思います。

『新世界の誕生』、昭和27年の御教えです。

 

『我メシヤ教は宗教ではなく、宗教はメシヤ教の一部である。新世界建設事業という名が合っているが土建屋の看板みたいだから、今の処メシヤ教と呼ぶより仕方がない。

本教は何を企画しているのか。

現在の唯物科学と唯心科学を並行させ、文化の進歩発展を図る事だ。

今までは科学文化が非常な速度で走りつつあり、現在も走り続けているに対し、唯心文化である宗教の方は、兎に対する亀である。数千数百年以前文化がまだ幼稚な時代に生れたままで、ほとんど進歩はなかった為、遂に千里の差を生じてしまったのであろう。』

 

と、御教え下さいました。

今年はうさぎ年です。唯心文化がものすごい勢いで走り続けています。しかし、私達は 亀 なのだと思います。怠けずに、ゆっくりゆっくり歩を進めていくしかありません。先程の御教えの続きを読みます。

 

『其結果として、今日科学のみがクローズアップされ、霊的の方は眼に入らない迄に遠くなって了つたので、遂に霊を無視し、科学のみを文化の全体と思い込み、人間は科学の王者の前に跪(ひざまず)き、奴隷に甘んじているので、之が現在の世界の姿である。何よりも貴重なる人間の生命でさえ安心して、科学の掌中に委ねているではないか。処が事実科学では生命の安全は保証出来ないに拘わらず、それに気が付かず、盲目的に信頼しているのが現代人の考え方である。そこで神は其迷盲を哀れみ給い、私をして 現在それを教えているのである。即ち生命は物質には属しない事、生命は眼に見えないだけで、厳然たる存在であって、神の支配下にあるものである事を事実を以て示されているのである。事実とは唯物医学で駄目と断定された者が、ドシドシ神力によって治されている。之が同よりの証拠である。

之に就て考えなければならない事は、それでは何故今日迄生命に関する程の重大問題が、不明の儘であったかという疑問であるが、之も無理はない。そこで此事を想像してみると、科学文化を或程度まで進歩させる必要上そうされたのであって、之も神の経綸で、過渡期に於ける一時的現象である。それに対して神は其行き過ぎを訂正すると共に、唯物科学の分野と唯心科学の分野とをハッキリさせ給うので、之によって唯物唯心の科学は、歩調を揃えて進歩し発展し、茲に真の文明世界が生れるのである。一言にしていえば現在の旧世界は、茲に終りを告げ、新しき世界が造られるのであるから、私の仕事は其産婆役といってもいい訳である。』

 

『新世界の誕生』という新年にふさわしい御教えかと思います。

メシヤ様は唯心唯物の歩調が揃って進歩発展し、真の文明世界すなわち地上天国が生まれるのだと、旧世界が終わって新しき世界が作られるので、その産婆役の仕事をしておられると述べておられます。

2月に節分祭で人類の罪汚れのお詫びをしますと、立春から光が弥増し、3月にメシヤとして新しくお生まれになられる。そして世界人類を救う仕事をなされる。

この仕事というのは、私たち一人一人の人間の体をお使いくださって、浄霊を一人一人が世界の人々に取り継いでいくことによって、罪穢れが払拭され救われていく。

数千数百年以前の文化(唯心文化)を一気に引き上げる。その時その瞬間に私たちは今いるわけです。
その瞬間というのは、宇宙誕生とか地球の誕生の歴史から見たら、今は一瞬のその瞬間であります。

一年の祭典のサイクル、祭典を繰り返し積み重ねていくことが極めて重要、大切なのだと感じていただけるのではないでしょうか。

古代の唯心文化と進みすぎた唯物文化の差を埋め、新しき世界を作るその御神業の一端を、メシヤ様から一人一人に託されて担わせていただいているのだとの大きな大きな想いを持って歩み続けていきたいと思います。

本年も激動の年となるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

それでは、『文明の創造』を学ばせていただきましょう。

 

「人形医学」ですね。

 

参加者

『文明の創造 科学篇 人形医学』 拝読

 

三救責任者

はい、ありがとうございます。

人形医学ということで、メシヤ講座の方で行きますと、資料はありませんが、ブログ上にはアップしておきました。 三重の方でいくと、平成26年の3月に学んでおります。

最後の、後ろから1つ目の段落ですね。

 

『以上によってみても判る如く、病なるものは表面に表はれた症状であって、其因(そのもと)が意外な処にあるものである。』

とあります。このことが、私たちが良く認識しておかなければいけないことであろうかと思います。

『それを知らない医学は、症状さへ治せば病気は治るものと解釈してゐるので、真の医術ではないのである。』

という箇所ですが、先月も紹介しました「薬剤師は薬を飲まない」に書かれていますが、年をとって血圧が上がるというのは血管が硬くなったりしているので、弾力がないと血液を全身に送ることができないので、ポンプ作用の圧力を上げて(血圧を上げて)送り出すということを自分の体がやってくれるのですけども、それを症状的にみると〝血圧が高いと感じるのです。例えば薬で180を130に下げてしまいますと血圧が下がると血液が全身に行きわたらない為に気分が悪くなったりとか、様々な新たな症状が出てしまうということですので、根本的なことをわかっておかないと、話が繋がりませんし、説得力がありません。

説得するためには、この本(「薬剤師は薬を飲まない」)をはじめとして様々な本を使い分けながら、そうした根本的な事を皆さんに教えて行くだけでも、大変な救いになって行くのではないかなと思います。

 

そういう話と、次に、

 

『病なるものは表面に表はれた症状であって、其(その)(もと)が意外な処にあるものである。それを知らない医学は、症状さへ治せば病気は治るものと解釈してゐるので、真の医術ではないのである。それは全く人間は綜合体であるといふ事の認識がないからである。何よりも病気によって療法が異(ちが)ひ、薬の種類も数多いといふ事は、よくそれを物語ってゐる。本当に治る医学とすれば、一つの方法で万病を治し得る筈(はず)である。元来病気とは曩(さき)に説いた如く一種類となった毒素が各局部に固結するので、言はば病気の種類とは固結場所の種類である。それが分るとしたら療法も一つとなり、進歩の必要もない事になる』

 

と書かれております。

全くの復習をやっていますね。

続いて、自分のつけた小見出しとしては、「安心立命の生活を、大勢の方々に味わっていただきたい」。

この時に学んだ事ね。・・・資料がない方が考えるでしょ?()

 

ということで、メシヤ様は御浄霊ということを打ち出しておられるわけですから・・・、三重に来始めて67年になりますが、私自身にも様々な症状が出ました。扁桃腺が腫れたりとか、石が何回もできたりとか、膝が痛くて動けなかったりとかいうことがありました。その都度メシヤ様がお説き下さっていますように毒素が固結した原因がわかりますので、其処(そこ)を浄霊することによって、乗り越えてきました。浄霊だけで乗り越えてきましたので、メシヤ様が此処(ここ)に纏(まと)めてくださっている通りに御守護をいただいてきましたので、大変ありがたいとともに、こうした安心立命の生活を、大勢の方々に味わっていただきたいと、いうふうに願うわけです。

そういうことを思いながら今回は拝読も染み染みと拝読してくださいましたので、しみじみと感じることが出来たなあ、と思います。

 

次に

「内面根本的な進歩をするということが、医学革命なんだ」 と、医学革命についてのところで、

 

それから最後に

『今迄進歩と思って来たのは、実は外面だけのそれであって、肝腎な病気は治らず、一つ所を往()ったり来たりしてゐたに過ぎないのである。』

の箇所ですが、

これは実は外面だけであったので、これからの『医学革命』というのは、メシヤ様の考え方の基によって、専門家が様々な研究をしている、実験データとかを公表されてきていますので、それをメシヤ様の御教えに結びつけていけば根本的な進歩になって行くということですね。

医学は今外面だけが進歩していますが、本来は〝内面根本的な進歩をするということが、医学革命なんだという意識を持っていただいて我々が拝読しているこの御教えを基に様々な研究データをくっつけて行くということをこれからもさせていただきたいと思います。三重支部では校正作業を始めていただきましたが、来年再来年位から『医学革命』に入って行きますので、

 

だから、今はもう『医学革命』に入っていないといけないわけですね。『医学革命』って、どれのことを仰っていたのか分かりませんけども、色々あるのでね。まだ『文明の創造』の学び直しを初めからやり直しているわけですけども、『文明の創造』が終わったら次にやっていく必要があるのかなとは思っています。

 

そういうデータをくっつけながら『医学革命』のための『天国の福音書 続編』づくりを行って行きたいと思いますので、

 

『医学革命』は色々担当を分けてやっているんですけどもそこの部分が途中になっている。

 

期待しつつ行っていただきたいと思います。

 

いただきたいって・・〇〇にするように言ってたのかなぁ・・()

 

「順次浄霊をした後は、既往症を辿(たど)って浄霊をする」

それではまた最初のページに戻って、最初の書き出しから、『茲(ここ)で最も重要なる点は、人間をして人形扱ひにしてゐる事である。』 とお述べになっておられます。

『最も重要なる点は』とメシヤ様は念押しして仰っておられますので、此処は非常に重要なところだと受け止めていただきたいと思います。

 

御論文の中で『最も重要なる点は』と出てくるかと思いますので、そういうところに特に着目して御教え拝読をしていただきたいと思います。

 

そして今度は事例を挙げていただいております。

 

ということで、8つぐらいあるのかな。

一番目の項目は、

右の歯が痛いと言っていたのが、実は胸部に固結があったのだと。それでよくよく調べると盲腸の手術の消毒薬が原因だったということでありますので、これから様々な症状の方々に浄霊をする時に、その人がどういう病気を患ったことがあって、どういう治療で乗り越えてきたのか、ということをお聞きしながら、

 

・・これがね、なかなか自分のことを言いたがらないというのがありますので、無理に聞くこともないんですけども、本当に浄霊で救われたいという思う人ならばですね、そういうことを聞きつつ、どこに固結があるのか、触るわけにはいかないので、自分で、手術の既往症とかということを、消毒を使ったというのであればそういったところがどこに固まっているのかということを考えながら浄霊をしていくとより治りやすい、溶かしやすいということですね。

 

順次急所の浄霊をしつつ浄化が完了しない場合は、過去受けた手術とか治療の場所を辿(たど)って浄霊をして行くということをここではしっかり読んでおいていただきたいと思います。

そしてしっかり覚えておいていただきたいと思います。

 

・・これが、なかなか頭に入っていかないけど、また繰り返し読めばわかってくると思います。

メシヤ講座で全てお話してくださっております。

メシヤ様は御教えで全て書き残された、それをメシヤ講座で現代に分かるように、先生はお話して下さった。全ての御教えについて語ってると思ってもいいかと思いますので、メシヤ講座は何年もやっていましたのでね。それで、私たちはそれを「覚りの旅」で学び直しをさせていただいている、という風に受け止めればいいかと思います。

 

それから、

 

歯の痛みも首肩の凝りだけではありません。首肩の凝りは腎臓が原因ではありましたけども、これだけではなくて、やはり過去受けた手術の消毒薬などが原因している場合があるので、順次浄霊をした後は、既往症を辿(たど)って浄霊をするということも大事ですので、よく腹に入れておいていただきたいと思います。

それから、2番目に結核3期の咳と痰ですけども、さっきからクシャミとか聞こえましたが、あれもどこが溶けてクシャミが出るのかとかを探す練習をしておくと良いと思います。今は止まっていますので大した事はないですが、続く場合は何処(どこ)かの固結が溶けているのだということです。場合によってはこのグリグリを探してみるということもやって見てください。すぐに見つからなければ関係なかったということです。

それでここでは咳、痰であろうとも股の鼠蹊部のところにグリグリがあってそれが溶けて咳痰として、出てきたということですので、浄霊の名人になるためには、こうした探し方を研究しておかないといけないですね。

(質問者)

グリグリ自体に熱を持つのでしょうか。

(先生)

そうですが、やはり本人に触ってもらわないと、そういう股を触るわけには行きませんのでね。本人が触って何かある場合はそこのところを・・熱があるというのはそこが溶け始めたから熱があるのです。熱のない場合は溶けずにまだ固まっています。

あまり早く溶かしてしまうと動けなくなる可能性がありますので、信仰しつつメシヤ様に見守られて行きますと、必要に応じてその固結が溶かされて行ってくれます。

それで、「役割に支障が出ないように〝毒素が溶けて排泄する これが〝信仰の醍醐味というのがありまして、

 

三重支部の責任者を見ていますと、御神業と仕事に支障の出る浄化の仕方をしていないでしょう。これが〝信仰の醍醐味でもあるのです。自分の役割に支障が出ないように〝毒素が溶けて排泄することができるということです。固結を溶かして行く上では大事なことであります。

それから3番目に胆石は右側背面腎臓部に大体大きな固結があるというので、だから私も胆石ができた時には背面をよく浄霊をしました。それで固結がとれた瞬間に浄化が完了しました。ですからこの御教え通りだということがよくわからせていただけます。

 

実際に体験しておられるということですね。

それから、「痔でも種類によって浄霊をする箇所が分かれる」 ということで・・痔は4番目かな。

 

脱肛や痔核の場合は必ず股にグリグリがあるということです。(これも股にグリグリなんですね。)

それから痔出血や赤痢の場合は頭部の毒血が下降するためであるから、頭部を浄霊をしないといけません。

痔でも種類によって浄霊をする箇所が分かれますよ、ということなのですけども、大体痔の場合は頭を中心に浄霊をして、それでも治りが良くない場合は、股の辺りにグリグリがないかどうか、探って見て浄霊をすると、そういうふうに考えていただいたら良いのではないかと思います。

 

それから、「頭が痛い時は首頸部淋巴腺、延髄部を良く浄霊する」 5項目目になりますけども、

 

頭が痛い人や頭が重たい人、集中力が乏しい人は、大体左右何れかの頸部淋巴腺に固結があるから・・・

みんな頭を抑えていますね・・・(笑い)

それと延髄部に必ずグリグリがあって発熱があり、それを溶かすと治るというわけです。

頭が痛いなあと思った時は首頸部淋巴腺、延髄部を良く浄霊をして行けば良いのではないかと思います。

 

それから、「目の悪い人は延髄部を中心に頸部から肩にかけて固結がある」 6項目目ですね。

 

目の悪い人も延髄部を中心に頸部から肩にかけて固結がありますので、それからまた前頭部にも必ず発熱があるということですので、そうしたところを順次浄霊をして行けば治るというわけです。

此処で大事な事はメシヤ様は手術をしない目ならば必ず治るということですので、目の手術をしたことのある人は中々治りが悪いということですので、浄霊をする場合少し気をつけて浄霊をしてあげてください。

それから近眼及び乱視なども延髄部の固結を溶かせば百発百中治るということです。

 

・・百発百中ですって!

 

ですから私も車を乗る時は近眼なので眼鏡をかけますが、メシヤ教を始めた時から普段は眼鏡を外して、延髄部から頸部を一所懸命浄霊をして普通の生活は眼鏡をかけなくてよくなりました。

近眼になった原因は周りが煩(うるさ)いので、書類に近づいて作業をしていたのが原因です。そういう過去の経過があるので、もう一度治そうと眼鏡を外して生活をしております。

 

・・それで、僕も外しています。普段は別に大丈夫です。

 

次に盲腸炎も右側腎臓部に必ず固結があるということです。

 

「胃痙攣とか胃の激痛の際は、背面をよく浄霊する」 7項目目です。

 

それから胃痙攣とかの激痛の際は、前からするよりも背面をよく浄霊をしてください。胃が痛いというと痛いところをどうしても私達は浄霊をします。背中側に原因がありますので後ろを調べた方が、胃痙攣とか胃の痛みはとれて行くということです。そのようにメシヤ様は教えてくださっておりますので頭に入れておいていただきたいと思います。

 

「ひょう疽(そ)は頸部を診ると必ず固結がある」 8項目目。

 

そして、最も面白いと言われているのですがひょう疽(そ) ですが、皆さんに何回かお話ししておりますが、私の右手の親指はひょう疽(そ)で短くなっています。パンパンに腫れて指先から皮が薄くなって、膿が出始めて、昔地区本部の学生会に出て、九州地区本部の月次祭の前日に泊まり込んでいた時に破れましたので、洗面器の上に手を置いて浄霊をしていたのですが、患部を浄霊しても膿はさほど出ませんでした。しかし御教え通り、頸部淋巴腺あたりを浄霊すると、ドッドッドッと膿が出たのです。

『患部だけ浄霊しても痛みはとれないが頸部を診ると必ず固結があるからそこを浄霊すると実によく治る』とありますように、頸部を浄霊することによって洗面器半分くらい血膿が出て、それでだいたい腫れが引きました。

しかし、そのあと当時の所長が包帯を蒔いておいたら良いよ。ということだったのですが、そのために指が変形してしまいました。これは知識経験の無い所長が世話をしたためです。高校卒業してすぐに救世専門学園に入った時に、寮監に見せる機会がありまして、「これは後の処置が悪かったな。包帯などせずに、綺麗な水で洗いながら浄霊して行けば元どおりになるのだがな。」と言われました。

この時に、経験のある人とない人、知識のある人ない人、の大きな差を思い知らされました。今の世界救世教で、真に人を救うことが出来るのかと思い知らされたひょう疽(そ)でした。

ですから、浄霊する場合には、表面的なことだけで浄霊することなく、今回御教えくださっておりますように、毒素が固結している場所とか、その後の扱いをどうしたら良いかということを、もう一度しっかり学びながら進んでいかないと、人を救うことが出来ないと思い知らされたのが、このひょう疽(そ)の出来事でありました。

 

それから、『薬毒の種々相』『人形医学』は人々の救いを展開して行く上で重要 

 

ですから先月の『薬毒の種々相』と、今月の『人形医学』というところは、人々の救いを展開して行く上において、大変参考になることなので、頭に何回も何回も入れ直して拝読を繰り返していただきたいと思います。

 

『薬毒の種々相』、薬は病気増悪の原因となっても、病気を治し得るものは一つもないということでしたね。

薬毒の色々な種類を書かれておりまして、その後で薬というのは病気増悪の原因となっても、病気を治し得るものは一つもないんだと。そういうことと、今回の『人形医学』、この2つのテーマでまとめてみるのも面白いかなとは思いますけども。

 

参加者

うーん。

 

三救責任者

うーん・・というか、まとめてみよう!()

思いませんか?

 

参加者

はい、思います。()

グリグリ、私も鼠径部にあるので。

これを読みながら思っていたんです。

 

三救責任者

前に、グリグリ論というのを作ろうっていってた時・・

 

参加者

そう、その時に笑っていたのを覚えています。

 

三救責任者

あれは、副読本としてですから、この 『薬毒の種々相』 と 『人形医学』 に 「グリグリ」 のところもくっつけたら面白いものが出来るんじゃないかなとは思います。皆さんがどれだけ求めるかによって作る優先順位は変えていきたいと思います。もっとまとめて原案を作ってくれたらやりやすいけど、皆さんもそういう時間がないので・・。この時もそう思っていて結局色々やり始めてなかなか出来ていないのが現状です。優先順位を持ってやっていかないと何も仕上がっていかないのでと思っています。

グリグリ、グリグリ論ね。

これは、『薬毒の種々相』と『人形医学』というのが、非常に重要で、ここにも固結とかグリグリってあって、グリグリだけじゃなくて固結ということでも調べると、そこに塊があるわけですから、だから検索の仕方もグリグリって言ってる時と固結と言ってる時とあるので・・、一緒のことですから。

そうすると、一杯出てきてものすごく膨大になってしまって、これはまた分かりにくくなるので。ここでグリグリだけ探していたら一杯になったので、なかなかまとまらなかったということで。

 

参加者

なんかすごく沢山あったって言ってみえた・・。

 

三救責任者

そうそう。だから副読という感じにして、おまけみたいにして、副読だから。『薬毒の種々相』と『人形医学』を中心にまとめても結構なボリュームになるかもしれないしなと思って。これを作っていて思ったということです。

 

それで、この時の質疑応答の中では、「メシヤ様が晩年心掛けられた、歩いてほぐすということ」 で、

 

(質問者) 背面の方がというのは寝ることによって後ろに毒素が溜まりやすいということでしょうか。

(先生) そこに毒素が溜まりやすいということです。

前からしてもその固結に到達するように浄霊したらどうですか、との質問がありましたが、固結がどのくらいの厚みがあるかわかりません。前からする場合は固結の前側に当たることになるので、直接固結の後ろ側からした方が良いのではないかと思います。

(質問者) 固まり切っていると溶かしにくいですね。

(先生) 固まり切っている場合は、今実行していただいている、四股とテッポウとかを続けてほぐすということを心がけていただきたいと思います。

それと年齢的なことを自覚してメシヤ様が御晩年に心がけられた〝歩いてほぐすということを我々は浄霊だけでなくて、そろそろ行った方が良いです。

 

それから、「グリグリ論」

 

(質問者) 面白いのは、グリグリという表現が非常に的確だなあと思います。グリグリだけで御教えを検索してもものすごくたくさん出てきます。グリグリという表現で固結を教えて下さっておりますので、大変勉強になります。

(先生) 副読本として『グリグリ』というのを出しても良いかもしれないね。(笑い)

そういう本はもう少し薄く、簡素にしてね。真ん中に『グリグリ』と書いてあったらなんだろうと手に取るかもしれないですね。同時に作って行ったら良いですね。(笑)

(質問者) 一般の人にもわかりやすい面白い表現だと思います。

(先生)そういうのもシリーズで出して行くと良いかもしれないですね。「グリグリ論」という題名も良いかもしれません。(笑)

(質問者) 校正を始めて御教えをチェックしていますと、気になる御教えがありますとドンドン横道にそれて行ってしまいます。

(先生) それは素晴らしいことですよ。

 

「人体は一個の綜合体」ということで御教えを抜粋したのがありますが、省略いたします。

自分が横道にそれたことをこの時には紹介しております。

一つだけ、横道にそれた話で面白いのが、

昭和24525日の御教えで、「音声と機械的音との反映力」というのがあって、

 

【問】人間の口より発する善言讃詞と機械的、例へば蓄音機、録音機等から発す善言讃詞とは言霊界に如何様に反映致しませうか。御伺ひ申し上げます。

【答】人間の口から出るのは霊が入っている。録音では形だけである。人間と人形の異いがある。

 

『人形医学』だから「人形」で検索して出てきたということです。

 

(先生)

違う意味で参考になりますね。

 

と先生は仰っています。

融合であるのでね。

今はリモートって、機械から出てるけど、だけど画像も見えてる。 LINEとかでも画像でも見えている。これも、御神前と向こうの御神前とということでもあるので、それは遠隔浄霊というのもできるように通じるじゃないですか、霊的に。

これは、スタンドFMに流したりしているけど、どういう気持ちで聞くかだよね。ここに霊がこもっていると思って自分がどういう態度で聞くかによってまた違いがあるかと思います。こういう話をしてきっかけになればね。例えば、発する時には霊をこめて発しているわけですから、それが機械を通っていくけども、今度は聞く側の人で自分の霊を持ってね、感じることができれば、それはまた違いはあると思います。ただ一般的に言われているのはそういう録音を聞いてもということですが・・。本でも一緒ですよね。きちんと見たらここから光が来るわけですね。

まぁ、人間の口から発する言葉にはしっかりと霊がこもっているということですね。

 

参加者

わたし、それを読んだ時に、その当時はまだなかったけど、今、AIでニュースも読んだりするから、霊が入っていないっていうのはAIとかそういうイメージで取りました。当時のことだから、違うと思うんですけど、今で言うとそんな感じかなって。

 

三救責任者

うん・・・だから、これ「人形」ということで、形だけいてもダメだよと。内容に・・書いたものにも霊がこもるんですから、録音したものにもこもることはできるよね、それは。

 

参加者

機械的か機械的じゃないかということだよね。

 

三救責任者

うん。そうだよ。

これは、どういう活動テープとか捉えられたかな。

メシヤ様の声の録音テープもありますよね。

ホームページの画像でもメシヤ教の画像を見て、「ホームページを見ると光が出てる」という人がいて、という話をされていましたよね。だから、見る人が見たらわかるでしょうし、ただボーッと来てる人には、それはどんな言葉であっても・・()

 

参加者

そうですね。どれであってもそうですね。

 

三救責任者

だから、「違う意味で参考になりますね」ということなのかなと思います。

それと浜松のところで、今の内容と違うところの話で、この時に御尊影の話があって、・・今の御尊影に変えられた時かなぁ?

 

この御尊影を拝する時に、昔から「左目は天界を御見つめになられて、右目は地上界を御見つめになられていた」というふうに、教会長の方々はおっしゃっておりましたけれども、御顔はそういう感じで拝させていただいて、そして、手などを見た時に少し疥癬(かいせん)の痕等がありますので、その際は使命がある者ほど苦労を負うのだ、ということです。

 

疥癬の痕を消してあったのを元に戻したという時の話です。

それで、疥癬というのが今は無いのかと思っていたら、自分も多分そうだったということで、それから年明けの番組で、○○も2年前に病気になってそれが疥癬だったんじゃないかという話でした。皮膚も顔も変わって、そういうことを言っていました。死の淵からよみがえったみたいな・・。

 

参加者

遺伝子治療をしたと言ってた。

疥癬だったみたいですって言ってた。

 

三救責任者

だから、昔に根絶した病ではないということです。

メシヤ様も疥癬でありましたので、この手(御尊影の手)を見ても。何年かはまるまる御神業が出来ない程の状態だったということです。皆の前に出て話が出来るようになるまでに大分かかったようです。

 

ですから、時には「私、何でこれだけ苦労するのだろうか」とか「我が家では私ばかりこんな目に遭う」とかいうようなことを、思いがちのときがありますが、しかし、そういう人は使命があるからこそ苦労があるんだというふうに、この御尊影を拝するごとに持っていただいて、自分も苦労しているのだと思えば、それだけ使命があるんだというふうに受け止めて、このメシヤ様の御前に額づいていただければ、御尊影に真向かう上で非常にいい心構えではないかなと思います。

 

と仰っています。

そこにですね、新年のお歌をまた一つ引いて、私は何も考察しませんので、自分で考えて何かあったら、またあの教えていただければ、と思います。自分で考えたことをね。人それぞれ受け止め方が違いますので。

自分の場合、先ほど引いてみたら、

 

「 神の火は布哇(ハワイ)の都に灯されぬやがて隈なく照り輝かん 」

 

今回は昭和25年から29年までの1月1日の御歌だけを集めました。

2911日というのは、ハワイを布教し始めた時ですので、この御歌がいくつか入っていたわけですね。ただ、ハワイというのはアメリカの緯、日本の経の経緯を結ぶというところであるというのは前々から・・だから、経緯を結ぶところね。

 

参加者

ハワイ!

 

三救責任者

ハワイということで思うんじゃなくて、この時はハワイだけど、この御歌が出たというのは、西洋の緯と東洋の経とを結ぶという意味合いのところで受け止めた方が、皆に通じるよね。

 

「ハ」、「八(はち)」、八で和す。例えば伊都能売のイとしたら、伊都能売は経緯だし、末広がりで広がっていくという。「やがて隈なく照り輝かん」だから、広がっていく。“やわす”だね。伊都能売、経緯結ぶという意味とも、ハワイという字を変えればそういう風にも取れますし、「布哇の都」の「都」は伊都能売の「都」だしね。

「 神の火は布哇(ハワイ)の都に灯されぬやがて隈なく照り輝かん 」

隈なく浄霊とか御教えを世界という、そういう世界的なところに入ってくるんだと、そういう風に受けとめたいなと思います。

御歌を先に引いて、自分の思いを話させていただきました。

また皆さん引いていただいて色々考えていただければ宜しいかと思います。

 

参加者

はい。

 

三救責任者

以上で終わらせていただきます。

よろしいでしょうか。

 

司会

以上をもちまして新年祭を終わらさせていただきます。

 

参加者一同

ありがとうございました。


 

 

令和5年1月5日

   覚りの旅  令和5年1月 新年祭を終えて

三救責任者

皆様、新年祭おめでとうございます。

 

参加者一同

おめでとうございます。

 

三救責任者

今年はうさぎ年。

うさぎに着目して聞いていただければと思います。

『新世界の誕生』、昭和27年の御教えです。

 

『我メシヤ教は宗教ではなく、宗教はメシヤ教の一部である。新世界建設事業という名が合っているが土建屋の看板みたいだから、今の処メシヤ教と呼ぶより仕方がない。

本教は何を企画しているのか。

現在の唯物科学と唯心科学を並行させ、文化の進歩発展を図る事だ。

今までは科学文化が非常な速度で走りつつあり、現在も走り続けているに対し、唯心文化である宗教の方は、兎に対する亀である。数千数百年以前文化がまだ幼稚な時代に生れたままで、ほとんど進歩はなかった為、遂に千里の差を生じてしまったのであろう。』

 

と、御教え下さいました。

今年はうさぎ年です。唯心文化がものすごい勢いで走り続けています。しかし、私達は 亀 なのだと思います。怠けずに、ゆっくりゆっくり歩を進めていくしかありません。先程の御教えの続きを読みます。

 

『其結果として、今日科学のみがクローズアップされ、霊的の方は眼に入らない迄に遠くなって了つたので、遂に霊を無視し、科学のみを文化の全体と思い込み、人間は科学の王者の前に跪(ひざまず)き、奴隷に甘んじているので、之が現在の世界の姿である。何よりも貴重なる人間の生命でさえ安心して、科学の掌中に委ねているではないか。処が事実科学では生命の安全は保証出来ないに拘わらず、それに気が付かず、盲目的に信頼しているのが現代人の考え方である。そこで神は其迷盲を哀れみ給い、私をして 現在それを教えているのである。即ち生命は物質には属しない事、生命は眼に見えないだけで、厳然たる存在であって、神の支配下にあるものである事を事実を以て示されているのである。事実とは唯物医学で駄目と断定された者が、ドシドシ神力によって治されている。之が同よりの証拠である。

之に就て考えなければならない事は、それでは何故今日迄生命に関する程の重大問題が、不明の儘であったかという疑問であるが、之も無理はない。そこで此事を想像してみると、科学文化を或程度まで進歩させる必要上そうされたのであって、之も神の経綸で、過渡期に於ける一時的現象である。それに対して神は其行き過ぎを訂正すると共に、唯物科学の分野と唯心科学の分野とをハッキリさせ給うので、之によって唯物唯心の科学は、歩調を揃えて進歩し発展し、茲に真の文明世界が生れるのである。一言にしていえば現在の旧世界は、茲に終りを告げ、新しき世界が造られるのであるから、私の仕事は其産婆役といってもいい訳である。』

 

『新世界の誕生』という新年にふさわしい御教えかと思います。

メシヤ様は唯心唯物の歩調が揃って進歩発展し、真の文明世界すなわち地上天国が生まれるのだと、旧世界が終わって新しき世界が作られるので、その産婆役の仕事をしておられると述べておられます。

2月に節分祭で人類の罪汚れのお詫びをしますと、立春から光が弥増し、3月にメシヤとして新しくお生まれになられる。そして世界人類を救う仕事をなされる。

この仕事というのは、私たち一人一人の人間の体をお使いくださって、浄霊を一人一人が世界の人々に取り継いでいくことによって、罪穢れが払拭され救われていく。

数千数百年以前の文化(唯心文化)を一気に引き上げる。その時その瞬間に私たちは今いるわけです。
その瞬間というのは、宇宙誕生とか地球の誕生の歴史から見たら、今は一瞬のその瞬間であります。

一年の祭典のサイクル、祭典を繰り返し積み重ねていくことが極めて重要、大切なのだと感じていただけるのではないでしょうか。

古代の唯心文化と進みすぎた唯物文化の差を埋め、新しき世界を作るその御神業の一端を、メシヤ様から一人一人に託されて担わせていただいているのだとの大きな大きな想いを持って歩み続けていきたいと思います。

本年も激動の年となるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

それでは、『文明の創造』を学ばせていただきましょう。

 

「人形医学」ですね。

 

参加者

『文明の創造 科学篇 人形医学』 拝読

 

三救責任者

はい、ありがとうございます。

人形医学ということで、メシヤ講座の方で行きますと、資料はありませんが、ブログ上にはアップしておきました。 三重の方でいくと、平成26年の3月に学んでおります。

最後の、後ろから1つ目の段落ですね。

 

『以上によってみても判る如く、病なるものは表面に表はれた症状であって、其因(そのもと)が意外な処にあるものである。』

とあります。このことが、私たちが良く認識しておかなければいけないことであろうかと思います。

『それを知らない医学は、症状さへ治せば病気は治るものと解釈してゐるので、真の医術ではないのである。』

という箇所ですが、先月も紹介しました「薬剤師は薬を飲まない」に書かれていますが、年をとって血圧が上がるというのは血管が硬くなったりしているので、弾力がないと血液を全身に送ることができないので、ポンプ作用の圧力を上げて(血圧を上げて)送り出すということを自分の体がやってくれるのですけども、それを症状的にみると〝血圧が高いと感じるのです。例えば薬で180を130に下げてしまいますと血圧が下がると血液が全身に行きわたらない為に気分が悪くなったりとか、様々な新たな症状が出てしまうということですので、根本的なことをわかっておかないと、話が繋がりませんし、説得力がありません。

説得するためには、この本(「薬剤師は薬を飲まない」)をはじめとして様々な本を使い分けながら、そうした根本的な事を皆さんに教えて行くだけでも、大変な救いになって行くのではないかなと思います。

 

そういう話と、次に、

 

『病なるものは表面に表はれた症状であって、其(その)(もと)が意外な処にあるものである。それを知らない医学は、症状さへ治せば病気は治るものと解釈してゐるので、真の医術ではないのである。それは全く人間は綜合体であるといふ事の認識がないからである。何よりも病気によって療法が異(ちが)ひ、薬の種類も数多いといふ事は、よくそれを物語ってゐる。本当に治る医学とすれば、一つの方法で万病を治し得る筈(はず)である。元来病気とは曩(さき)に説いた如く一種類となった毒素が各局部に固結するので、言はば病気の種類とは固結場所の種類である。それが分るとしたら療法も一つとなり、進歩の必要もない事になる』

 

と書かれております。

全くの復習をやっていますね。

続いて、自分のつけた小見出しとしては、「安心立命の生活を、大勢の方々に味わっていただきたい」。

この時に学んだ事ね。・・・資料がない方が考えるでしょ?()

 

ということで、メシヤ様は御浄霊ということを打ち出しておられるわけですから・・・、三重に来始めて67年になりますが、私自身にも様々な症状が出ました。扁桃腺が腫れたりとか、石が何回もできたりとか、膝が痛くて動けなかったりとかいうことがありました。その都度メシヤ様がお説き下さっていますように毒素が固結した原因がわかりますので、其処(そこ)を浄霊することによって、乗り越えてきました。浄霊だけで乗り越えてきましたので、メシヤ様が此処(ここ)に纏(まと)めてくださっている通りに御守護をいただいてきましたので、大変ありがたいとともに、こうした安心立命の生活を、大勢の方々に味わっていただきたいと、いうふうに願うわけです。

そういうことを思いながら今回は拝読も染み染みと拝読してくださいましたので、しみじみと感じることが出来たなあ、と思います。

 

次に

「内面根本的な進歩をするということが、医学革命なんだ」 と、医学革命についてのところで、

 

それから最後に

『今迄進歩と思って来たのは、実は外面だけのそれであって、肝腎な病気は治らず、一つ所を往()ったり来たりしてゐたに過ぎないのである。』

の箇所ですが、

これは実は外面だけであったので、これからの『医学革命』というのは、メシヤ様の考え方の基によって、専門家が様々な研究をしている、実験データとかを公表されてきていますので、それをメシヤ様の御教えに結びつけていけば根本的な進歩になって行くということですね。

医学は今外面だけが進歩していますが、本来は〝内面根本的な進歩をするということが、医学革命なんだという意識を持っていただいて我々が拝読しているこの御教えを基に様々な研究データをくっつけて行くということをこれからもさせていただきたいと思います。三重支部では校正作業を始めていただきましたが、来年再来年位から『医学革命』に入って行きますので、

 

だから、今はもう『医学革命』に入っていないといけないわけですね。『医学革命』って、どれのことを仰っていたのか分かりませんけども、色々あるのでね。まだ『文明の創造』の学び直しを初めからやり直しているわけですけども、『文明の創造』が終わったら次にやっていく必要があるのかなとは思っています。

 

そういうデータをくっつけながら『医学革命』のための『天国の福音書 続編』づくりを行って行きたいと思いますので、

 

『医学革命』は色々担当を分けてやっているんですけどもそこの部分が途中になっている。

 

期待しつつ行っていただきたいと思います。

 

いただきたいって・・〇〇にするように言ってたのかなぁ・・()

 

「順次浄霊をした後は、既往症を辿(たど)って浄霊をする」

それではまた最初のページに戻って、最初の書き出しから、『茲(ここ)で最も重要なる点は、人間をして人形扱ひにしてゐる事である。』 とお述べになっておられます。

『最も重要なる点は』とメシヤ様は念押しして仰っておられますので、此処は非常に重要なところだと受け止めていただきたいと思います。

 

御論文の中で『最も重要なる点は』と出てくるかと思いますので、そういうところに特に着目して御教え拝読をしていただきたいと思います。

 

そして今度は事例を挙げていただいております。

 

ということで、8つぐらいあるのかな。

一番目の項目は、

右の歯が痛いと言っていたのが、実は胸部に固結があったのだと。それでよくよく調べると盲腸の手術の消毒薬が原因だったということでありますので、これから様々な症状の方々に浄霊をする時に、その人がどういう病気を患ったことがあって、どういう治療で乗り越えてきたのか、ということをお聞きしながら、

 

・・これがね、なかなか自分のことを言いたがらないというのがありますので、無理に聞くこともないんですけども、本当に浄霊で救われたいという思う人ならばですね、そういうことを聞きつつ、どこに固結があるのか、触るわけにはいかないので、自分で、手術の既往症とかということを、消毒を使ったというのであればそういったところがどこに固まっているのかということを考えながら浄霊をしていくとより治りやすい、溶かしやすいということですね。

 

順次急所の浄霊をしつつ浄化が完了しない場合は、過去受けた手術とか治療の場所を辿(たど)って浄霊をして行くということをここではしっかり読んでおいていただきたいと思います。

そしてしっかり覚えておいていただきたいと思います。

 

・・これが、なかなか頭に入っていかないけど、また繰り返し読めばわかってくると思います。

メシヤ講座で全てお話してくださっております。

メシヤ様は御教えで全て書き残された、それをメシヤ講座で現代に分かるように、先生はお話して下さった。全ての御教えについて語ってると思ってもいいかと思いますので、メシヤ講座は何年もやっていましたのでね。それで、私たちはそれを「覚りの旅」で学び直しをさせていただいている、という風に受け止めればいいかと思います。

 

それから、

 

歯の痛みも首肩の凝りだけではありません。首肩の凝りは腎臓が原因ではありましたけども、これだけではなくて、やはり過去受けた手術の消毒薬などが原因している場合があるので、順次浄霊をした後は、既往症を辿(たど)って浄霊をするということも大事ですので、よく腹に入れておいていただきたいと思います。

それから、2番目に結核3期の咳と痰ですけども、さっきからクシャミとか聞こえましたが、あれもどこが溶けてクシャミが出るのかとかを探す練習をしておくと良いと思います。今は止まっていますので大した事はないですが、続く場合は何処(どこ)かの固結が溶けているのだということです。場合によってはこのグリグリを探してみるということもやって見てください。すぐに見つからなければ関係なかったということです。

それでここでは咳、痰であろうとも股の鼠蹊部のところにグリグリがあってそれが溶けて咳痰として、出てきたということですので、浄霊の名人になるためには、こうした探し方を研究しておかないといけないですね。

(質問者)

グリグリ自体に熱を持つのでしょうか。

(先生)

そうですが、やはり本人に触ってもらわないと、そういう股を触るわけには行きませんのでね。本人が触って何かある場合はそこのところを・・熱があるというのはそこが溶け始めたから熱があるのです。熱のない場合は溶けずにまだ固まっています。

あまり早く溶かしてしまうと動けなくなる可能性がありますので、信仰しつつメシヤ様に見守られて行きますと、必要に応じてその固結が溶かされて行ってくれます。

それで、「役割に支障が出ないように〝毒素が溶けて排泄する これが〝信仰の醍醐味というのがありまして、

 

三重支部の責任者を見ていますと、御神業と仕事に支障の出る浄化の仕方をしていないでしょう。これが〝信仰の醍醐味でもあるのです。自分の役割に支障が出ないように〝毒素が溶けて排泄することができるということです。固結を溶かして行く上では大事なことであります。

それから3番目に胆石は右側背面腎臓部に大体大きな固結があるというので、だから私も胆石ができた時には背面をよく浄霊をしました。それで固結がとれた瞬間に浄化が完了しました。ですからこの御教え通りだということがよくわからせていただけます。

 

実際に体験しておられるということですね。

それから、「痔でも種類によって浄霊をする箇所が分かれる」 ということで・・痔は4番目かな。

 

脱肛や痔核の場合は必ず股にグリグリがあるということです。(これも股にグリグリなんですね。)

それから痔出血や赤痢の場合は頭部の毒血が下降するためであるから、頭部を浄霊をしないといけません。

痔でも種類によって浄霊をする箇所が分かれますよ、ということなのですけども、大体痔の場合は頭を中心に浄霊をして、それでも治りが良くない場合は、股の辺りにグリグリがないかどうか、探って見て浄霊をすると、そういうふうに考えていただいたら良いのではないかと思います。

 

それから、「頭が痛い時は首頸部淋巴腺、延髄部を良く浄霊する」 5項目目になりますけども、

 

頭が痛い人や頭が重たい人、集中力が乏しい人は、大体左右何れかの頸部淋巴腺に固結があるから・・・

みんな頭を抑えていますね・・・(笑い)

それと延髄部に必ずグリグリがあって発熱があり、それを溶かすと治るというわけです。

頭が痛いなあと思った時は首頸部淋巴腺、延髄部を良く浄霊をして行けば良いのではないかと思います。

 

それから、「目の悪い人は延髄部を中心に頸部から肩にかけて固結がある」 6項目目ですね。

 

目の悪い人も延髄部を中心に頸部から肩にかけて固結がありますので、それからまた前頭部にも必ず発熱があるということですので、そうしたところを順次浄霊をして行けば治るというわけです。

此処で大事な事はメシヤ様は手術をしない目ならば必ず治るということですので、目の手術をしたことのある人は中々治りが悪いということですので、浄霊をする場合少し気をつけて浄霊をしてあげてください。

それから近眼及び乱視なども延髄部の固結を溶かせば百発百中治るということです。

 

・・百発百中ですって!

 

ですから私も車を乗る時は近眼なので眼鏡をかけますが、メシヤ教を始めた時から普段は眼鏡を外して、延髄部から頸部を一所懸命浄霊をして普通の生活は眼鏡をかけなくてよくなりました。

近眼になった原因は周りが煩(うるさ)いので、書類に近づいて作業をしていたのが原因です。そういう過去の経過があるので、もう一度治そうと眼鏡を外して生活をしております。

 

・・それで、僕も外しています。普段は別に大丈夫です。

 

次に盲腸炎も右側腎臓部に必ず固結があるということです。

 

「胃痙攣とか胃の激痛の際は、背面をよく浄霊する」 7項目目です。

 

それから胃痙攣とかの激痛の際は、前からするよりも背面をよく浄霊をしてください。胃が痛いというと痛いところをどうしても私達は浄霊をします。背中側に原因がありますので後ろを調べた方が、胃痙攣とか胃の痛みはとれて行くということです。そのようにメシヤ様は教えてくださっておりますので頭に入れておいていただきたいと思います。

 

「ひょう疽(そ)は頸部を診ると必ず固結がある」 8項目目。

 

そして、最も面白いと言われているのですがひょう疽(そ) ですが、皆さんに何回かお話ししておりますが、私の右手の親指はひょう疽(そ)で短くなっています。パンパンに腫れて指先から皮が薄くなって、膿が出始めて、昔地区本部の学生会に出て、九州地区本部の月次祭の前日に泊まり込んでいた時に破れましたので、洗面器の上に手を置いて浄霊をしていたのですが、患部を浄霊しても膿はさほど出ませんでした。しかし御教え通り、頸部淋巴腺あたりを浄霊すると、ドッドッドッと膿が出たのです。

『患部だけ浄霊しても痛みはとれないが頸部を診ると必ず固結があるからそこを浄霊すると実によく治る』とありますように、頸部を浄霊することによって洗面器半分くらい血膿が出て、それでだいたい腫れが引きました。

しかし、そのあと当時の所長が包帯を蒔いておいたら良いよ。ということだったのですが、そのために指が変形してしまいました。これは知識経験の無い所長が世話をしたためです。高校卒業してすぐに救世専門学園に入った時に、寮監に見せる機会がありまして、「これは後の処置が悪かったな。包帯などせずに、綺麗な水で洗いながら浄霊して行けば元どおりになるのだがな。」と言われました。

この時に、経験のある人とない人、知識のある人ない人、の大きな差を思い知らされました。今の世界救世教で、真に人を救うことが出来るのかと思い知らされたひょう疽(そ)でした。

ですから、浄霊する場合には、表面的なことだけで浄霊することなく、今回御教えくださっておりますように、毒素が固結している場所とか、その後の扱いをどうしたら良いかということを、もう一度しっかり学びながら進んでいかないと、人を救うことが出来ないと思い知らされたのが、このひょう疽(そ)の出来事でありました。

 

それから、『薬毒の種々相』『人形医学』は人々の救いを展開して行く上で重要 

 

ですから先月の『薬毒の種々相』と、今月の『人形医学』というところは、人々の救いを展開して行く上において、大変参考になることなので、頭に何回も何回も入れ直して拝読を繰り返していただきたいと思います。

 

『薬毒の種々相』、薬は病気増悪の原因となっても、病気を治し得るものは一つもないということでしたね。

薬毒の色々な種類を書かれておりまして、その後で薬というのは病気増悪の原因となっても、病気を治し得るものは一つもないんだと。そういうことと、今回の『人形医学』、この2つのテーマでまとめてみるのも面白いかなとは思いますけども。

 

参加者

うーん。

 

三救責任者

うーん・・というか、まとめてみよう!()

思いませんか?

 

参加者

はい、思います。()

グリグリ、私も鼠径部にあるので。

これを読みながら思っていたんです。

 

三救責任者

前に、グリグリ論というのを作ろうっていってた時・・

 

参加者

そう、その時に笑っていたのを覚えています。

 

三救責任者

あれは、副読本としてですから、この 『薬毒の種々相』 と 『人形医学』 に 「グリグリ」 のところもくっつけたら面白いものが出来るんじゃないかなとは思います。皆さんがどれだけ求めるかによって作る優先順位は変えていきたいと思います。もっとまとめて原案を作ってくれたらやりやすいけど、皆さんもそういう時間がないので・・。この時もそう思っていて結局色々やり始めてなかなか出来ていないのが現状です。優先順位を持ってやっていかないと何も仕上がっていかないのでと思っています。

グリグリ、グリグリ論ね。

これは、『薬毒の種々相』と『人形医学』というのが、非常に重要で、ここにも固結とかグリグリってあって、グリグリだけじゃなくて固結ということでも調べると、そこに塊があるわけですから、だから検索の仕方もグリグリって言ってる時と固結と言ってる時とあるので・・、一緒のことですから。

そうすると、一杯出てきてものすごく膨大になってしまって、これはまた分かりにくくなるので。ここでグリグリだけ探していたら一杯になったので、なかなかまとまらなかったということで。

 

参加者

なんかすごく沢山あったって言ってみえた・・。

 

三救責任者

そうそう。だから副読という感じにして、おまけみたいにして、副読だから。『薬毒の種々相』と『人形医学』を中心にまとめても結構なボリュームになるかもしれないしなと思って。これを作っていて思ったということです。

 

それで、この時の質疑応答の中では、「メシヤ様が晩年心掛けられた、歩いてほぐすということ」 で、

 

(質問者) 背面の方がというのは寝ることによって後ろに毒素が溜まりやすいということでしょうか。

(先生) そこに毒素が溜まりやすいということです。

前からしてもその固結に到達するように浄霊したらどうですか、との質問がありましたが、固結がどのくらいの厚みがあるかわかりません。前からする場合は固結の前側に当たることになるので、直接固結の後ろ側からした方が良いのではないかと思います。

(質問者) 固まり切っていると溶かしにくいですね。

(先生) 固まり切っている場合は、今実行していただいている、四股とテッポウとかを続けてほぐすということを心がけていただきたいと思います。

それと年齢的なことを自覚してメシヤ様が御晩年に心がけられた〝歩いてほぐすということを我々は浄霊だけでなくて、そろそろ行った方が良いです。

 

それから、「グリグリ論」

 

(質問者) 面白いのは、グリグリという表現が非常に的確だなあと思います。グリグリだけで御教えを検索してもものすごくたくさん出てきます。グリグリという表現で固結を教えて下さっておりますので、大変勉強になります。

(先生) 副読本として『グリグリ』というのを出しても良いかもしれないね。(笑い)

そういう本はもう少し薄く、簡素にしてね。真ん中に『グリグリ』と書いてあったらなんだろうと手に取るかもしれないですね。同時に作って行ったら良いですね。(笑)

(質問者) 一般の人にもわかりやすい面白い表現だと思います。

(先生)そういうのもシリーズで出して行くと良いかもしれないですね。「グリグリ論」という題名も良いかもしれません。(笑)

(質問者) 校正を始めて御教えをチェックしていますと、気になる御教えがありますとドンドン横道にそれて行ってしまいます。

(先生) それは素晴らしいことですよ。

 

「人体は一個の綜合体」ということで御教えを抜粋したのがありますが、省略いたします。

自分が横道にそれたことをこの時には紹介しております。

一つだけ、横道にそれた話で面白いのが、

昭和24525日の御教えで、「音声と機械的音との反映力」というのがあって、

 

【問】人間の口より発する善言讃詞と機械的、例へば蓄音機、録音機等から発す善言讃詞とは言霊界に如何様に反映致しませうか。御伺ひ申し上げます。

【答】人間の口から出るのは霊が入っている。録音では形だけである。人間と人形の異いがある。

 

『人形医学』だから「人形」で検索して出てきたということです。

 

(先生)

違う意味で参考になりますね。

 

と先生は仰っています。

融合であるのでね。

今はリモートって、機械から出てるけど、だけど画像も見えてる。 LINEとかでも画像でも見えている。これも、御神前と向こうの御神前とということでもあるので、それは遠隔浄霊というのもできるように通じるじゃないですか、霊的に。

これは、スタンドFMに流したりしているけど、どういう気持ちで聞くかだよね。ここに霊がこもっていると思って自分がどういう態度で聞くかによってまた違いがあるかと思います。こういう話をしてきっかけになればね。例えば、発する時には霊をこめて発しているわけですから、それが機械を通っていくけども、今度は聞く側の人で自分の霊を持ってね、感じることができれば、それはまた違いはあると思います。ただ一般的に言われているのはそういう録音を聞いてもということですが・・。本でも一緒ですよね。きちんと見たらここから光が来るわけですね。

まぁ、人間の口から発する言葉にはしっかりと霊がこもっているということですね。

 

参加者

わたし、それを読んだ時に、その当時はまだなかったけど、今、AIでニュースも読んだりするから、霊が入っていないっていうのはAIとかそういうイメージで取りました。当時のことだから、違うと思うんですけど、今で言うとそんな感じかなって。

 

三救責任者

うん・・・だから、これ「人形」ということで、形だけいてもダメだよと。内容に・・書いたものにも霊がこもるんですから、録音したものにもこもることはできるよね、それは。

 

参加者

機械的か機械的じゃないかということだよね。

 

三救責任者

うん。そうだよ。

これは、どういう活動テープとか捉えられたかな。

メシヤ様の声の録音テープもありますよね。

ホームページの画像でもメシヤ教の画像を見て、「ホームページを見ると光が出てる」という人がいて、という話をされていましたよね。だから、見る人が見たらわかるでしょうし、ただボーッと来てる人には、それはどんな言葉であっても・・()

 

参加者

そうですね。どれであってもそうですね。

 

三救責任者

だから、「違う意味で参考になりますね」ということなのかなと思います。

それと浜松のところで、今の内容と違うところの話で、この時に御尊影の話があって、・・今の御尊影に変えられた時かなぁ?

 

この御尊影を拝する時に、昔から「左目は天界を御見つめになられて、右目は地上界を御見つめになられていた」というふうに、教会長の方々はおっしゃっておりましたけれども、御顔はそういう感じで拝させていただいて、そして、手などを見た時に少し疥癬(かいせん)の痕等がありますので、その際は使命がある者ほど苦労を負うのだ、ということです。

 

疥癬の痕を消してあったのを元に戻したという時の話です。

それで、疥癬というのが今は無いのかと思っていたら、自分も多分そうだったということで、それから年明けの番組で、○○も2年前に病気になってそれが疥癬だったんじゃないかという話でした。皮膚も顔も変わって、そういうことを言っていました。死の淵からよみがえったみたいな・・。

 

参加者

遺伝子治療をしたと言ってた。

疥癬だったみたいですって言ってた。

 

三救責任者

だから、昔に根絶した病ではないということです。

メシヤ様も疥癬でありましたので、この手(御尊影の手)を見ても。何年かはまるまる御神業が出来ない程の状態だったということです。皆の前に出て話が出来るようになるまでに大分かかったようです。

 

ですから、時には「私、何でこれだけ苦労するのだろうか」とか「我が家では私ばかりこんな目に遭う」とかいうようなことを、思いがちのときがありますが、しかし、そういう人は使命があるからこそ苦労があるんだというふうに、この御尊影を拝するごとに持っていただいて、自分も苦労しているのだと思えば、それだけ使命があるんだというふうに受け止めて、このメシヤ様の御前に額づいていただければ、御尊影に真向かう上で非常にいい心構えではないかなと思います。

 

と仰っています。

そこにですね、新年のお歌をまた一つ引いて、私は何も考察しませんので、自分で考えて何かあったら、またあの教えていただければ、と思います。自分で考えたことをね。人それぞれ受け止め方が違いますので。

自分の場合、先ほど引いてみたら、

 

「 神の火は布哇(ハワイ)の都に灯されぬやがて隈なく照り輝かん 」

 

今回は昭和25年から29年までの1月1日の御歌だけを集めました。

2911日というのは、ハワイを布教し始めた時ですので、この御歌がいくつか入っていたわけですね。ただ、ハワイというのはアメリカの緯、日本の経の経緯を結ぶというところであるというのは前々から・・だから、経緯を結ぶところね。

 

参加者

ハワイ!

 

三救責任者

ハワイということで思うんじゃなくて、この時はハワイだけど、この御歌が出たというのは、西洋の緯と東洋の経とを結ぶという意味合いのところで受け止めた方が、皆に通じるよね。

 

「ハ」、「八(はち)」、八で和す。例えば伊都能売のイとしたら、伊都能売は経緯だし、末広がりで広がっていくという。「やがて隈なく照り輝かん」だから、広がっていく。“やわす”だね。伊都能売、経緯結ぶという意味とも、ハワイという字を変えればそういう風にも取れますし、「布哇の都」の「都」は伊都能売の「都」だしね。

「 神の火は布哇(ハワイ)の都に灯されぬやがて隈なく照り輝かん 」

隈なく浄霊とか御教えを世界という、そういう世界的なところに入ってくるんだと、そういう風に受けとめたいなと思います。

御歌を先に引いて、自分の思いを話させていただきました。

また皆さん引いていただいて色々考えていただければ宜しいかと思います。

 

参加者

はい。

 

三救責任者

以上で終わらせていただきます。

よろしいでしょうか。

 

司会

以上をもちまして新年祭を終わらさせていただきます。

 

参加者一同

ありがとうございました。

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