2016年5月5日木曜日

黄泉還り

 

私の場合、節分祭・立春祭の参拝ということが黄泉還りの契機となったようです。
そして祭典参拝を積み重ねつつ回復していきました。


今は完全に黄泉がえりを果たしました。


2016年5月5日
 死相が表れるほどの御浄化より救われる
ところで私は今、こうして元気にお話しておりますが、8月頃より大きな御浄化をいただき、許される限りの御神業は続けておりましたが、約半年も会社を休み、漸く4月6日より職場復帰したところでございます。2月3日の節分祭、4日の立春祭への参拝が許されてよりメキメキと体力が回復すると同時に、「死相が表れていた」と先生が仰ったように一番酷い時にはミイラのような顔つきだったのが、顔の皺(しわ)もほとんど無くなり艶(つや)も出てまいりました。
私としては、メシヤ様の御用にお使い頂いている限り“必ず浄化は完了し、元気になれる”と信じて疑いませんでしたが、家族や子供たち周りの人々、そして何より先生を始めメシヤ教の皆様には随分と御心配をおかけいたしました。ここにお詫び申し上げますとともに、篤く御礼申し上げます。
 
御浄化を通しての学び
ここで、このたびの浄化を通して学んだことを一つ奉告させていただきます。

主治医の説明です。
「例えば風邪を考えて見てください。何もしなくても2~3日、長くて1週間も寝ていれば治って、治った時には以前よりスッキリとするでしょう。それは体の中の老廃物を出してしまったからです。それが自然の力で治すということです。〇〇さんの場合、薬で無理に抑え込むことをしないで自然に治したいという希望でした。当院の方針も同じですので、食事療法と運動だけの治療を行いました。それで、これだけ長くかかってしまいましたが、薬で無理に抑え込まずに体に長年溜まった老廃物を自然に出し切りますので(まだ2割程度残っていますが・・・)再発の可能性は低いです。老廃物を体外へ出しているので、病気前よりスッキリとしているはずです。
今後は極力老廃物を溜めないように生活習慣を改めて行くことが大切です。それには添加物を含んだ食事をしないこと、加工品ではなく自然のままの食事を心がけることです。車の排気ガスも血液に悪循環、いわゆるダメージを与えます。〇〇さんは最近空気の良いところへ引っ越したとお聞きしました。今回、長い間会社を休まざるを得なかったのも、引っ越しをしたのも、生活習慣を良い方向へ改めるために起こってきたことなのだと言えるのではないでしょうか」

どうでしょう皆さん。私たちはついつい〝浄化″とか〝前世からの因縁″とかという宗教的な言葉を使って説明しようとしてしまいますが、御教えに少しでも触れておられる方ならともかく、一般の方には専門的用語を極力省いて、〝分かりやすく説明することが必要なのだ″と主治医の説明を聞いて学ばせていただきました。
メシヤ講座で先生がメシヤ様の御用にお使いいただく為には、そういう浄化も頂くのだというふうに仰っている通り、その「御教えを絵にかいたような浄化を頂いて」新たな地で御神業を推進出来るようになりました。
 
『天恩地惠』
この度の御浄化が略(ほぼ)終了に近づいた頃、先生より「大浄化をしないと真の御神業を担えない、とメシヤ様は仰っておられます。だから今日新たな御神業がスタートを切ったのです。」と新たにメシヤ教の季刊誌発刊の御用を拝命いたしました。
「季刊誌名をどうしましょう」と先生にご相談いたしましたところ、「本部に寄贈された『天恩地惠』の直筆御書(御神前に謹掲)を印刷したらどうか。」とのお話をいただき、本江さんに手助け願いまして表紙に採用し、季刊誌名とさせていただきました。
季刊誌の御用を新たに担わせていただくこの機会に校正の通信講座を3月より受講しております。プロの校正士を養成する講座でございます。『文明の創造』『「天国の福音書」続編(一)神観 主神様とメシヤ様』『天国の福音書」続編(一)神観・補 祈りの栞』と一般の方にも入手できるようにAmazonで販売するようになりましたので、より正確な校正を行い、印刷所とのやりとりも円滑に進むようにとの考えからです。
本日は先生より編集出版部長を拝命いたしました。12月23日の『メシヤ様御降臨祭』においての三重支部の御祈願書に、「地上天国建設に不可欠な聖書の校正という尊い御用を、担わせていただいているという認識を持って、より想念を高めて御用に臨ませていただきます」と書かせていただきました。編集出版部長としてもこの想いは同様でございます。
さらには、季刊誌名の『天恩地惠(てんおんちけい)』を大方針として掲げたいと思います。『病気に感謝せよ』(明日(みょうにち)の医術二  昭和十八年十月五日) に『私は曩(さき)に「病気は神の最大なる恩恵である」と言った。(中略) 然(しか)るに、私の言ふ病気なるものは、神の恩恵であって、病気なる浄化作用によって、体内の毒素が軽減又は排除さるるのであるといふ意味を思ふ時、洵(まこと)に感謝に堪(た)へない気持が湧(わ)くであらう。寧(むし)ろ病気の一層強烈であれかしと願ふ心にさへなるものである。又病気恢復(かいふく)後、毒素軽減による健康増進の希望も起(おこ)る以上、それが亦(また)一つの楽しみとなるのである。(中略)闘病観念は病に対する恐怖と、不安焦燥(しょうそう)の悩みを生み、天恵(てんけい)観念(かんねん)に於(おい)ては、感謝と希望と楽しみを生むといふ事にならうから、本医術を知るに於(おい)て、人生の幸福圏内に一歩踏み入ったといふ訳である。(後略)』と御教え賜っておりますように、『病気は神の最大なる恩恵』いわゆる『天恩』でございます。季刊誌には主に御蔭話(体験談)を掲載させていただきますので、この季刊誌をお読みになる信者の皆様が『病気は神の最大なる恩恵』と受け止めて感謝と希望と楽しみを持って御神業に臨んでいただきたい想いでございます。
『地惠(ちけい)』は大地の恵(めぐみ)、農薬、化学肥料の汚れのない土地に育まれた自然食の恵みのことと受け止めさせていただきました。
さらには、『地』という文字は 『十が神で一が大地で也が成るで完成する。いわゆる統一が成る。 統一が成る事になれば、今迄は土でなく泥であったから固らずにいたのである。その為地震があったり、何かしたのである。今後に於て完成する時初めて地となるのである。地となれば地震や色々の災難も無く地上天国となる。(観音講座 第三講座 昭和10年8月5日)』と御教え賜っています。
災害のない大地の恵みを享受できる『地上天国』実現の願いを込めた季刊誌でありたいとの想いを込めて発刊していきたいというのが大方針でございます。
細かなところでは、今後、各支部、各出張所、各会場で不統一な言い回しや表記方法などを適宜統一していきたいと思っておりますので、御協力よろしくお願いいたします。
繰り返しになりますが、地上天国建設に不可欠な『聖書の校正』という尊い御用を、担わせていただいているという認識を持って、より想念を高めて御用に臨ませていただきます。との決意を表明させていただき、皆さまにさらなる御支援御協力をお願い申し上げまして、編集出版部長拝命の御挨拶とさせていただきます。
有難うございました。

2016年3月3日木曜日

メシヤ様の御用に携わり、仏壇に観音様が現れる

 

2016年
3月3日
メシヤ様の御用に携わり、仏壇に観音様が現れる

メシヤ降誕本祝典記念大祭 体験発表 
平成28年3月3日
三重支部 SH

◎メシヤ様の御用に携わり、仏壇に観音様が現れる
メシヤ降誕本祝典記念大祭おめでとうございます。三重支部のSHと申します。
私は、東方の光教団に所属しておりましたが、昨年メシヤ教とのご縁を頂き4月に初めて三重支部の月次祭にご参拝させていただきました。9月には入信も許され、メシヤ講座を通して東方の光教団の間違いや、私自身抱いている疑問に対しての明確な御答えを代表先生より頂くことが出来ました。私がメシヤ教とご縁を許された経緯と、その後、我が家で起きてきた出来事をご奉告させていただきます。
私は信仰三世ですが、幼少の頃より身体が弱く、貧血でよく倒れていました。体力もなく、精神的にもとても弱かったと思います。
祖母からの信仰を母(東方の光)が続けておりましたので、私も母と共に箱根聖地への御参拝やご奉仕、そして母や信者の方から御浄霊をいただきながら育ちました。祖母が亡くなった後、祖母の家の御神前にあった古い御教え集を発見し、あまり目にしたことのない御教えが沢山あった為、一部持ち帰りました。その中に「文明の創造」発刊に関する御教えがあり、未完成でまだ発刊されていないことを知りました。その頃の自分の信仰心は、さほど強くなく毎月の参拝はわざと遅れて行ったり、興味のあるご奉仕だけは参加し、御教えより聖書(旧約、新約)を夢中で読んだりと気まま勝手な信仰をしておりました。十代の頃から将来の夢のことで頭が一杯になり、掛け持ちでアルバイトを始め専門学校で学ぶための学費を貯めました。そして、学費も貯まり入学手続きを始めた時から突然、顔がカブれ始め身体全体が浮腫みだし、特に顔とふくらはぎがひどく浮腫んでいきました。どんどん赤く汚い顔に変貌していく自分の姿がとても恐ろしくなりました。しかし、痛み痒みは全くなく、ただ見た目だけが悪化していきました。その後も一向に改善されることもなく、仕方なく希望の学校への入学(メイクアップ専門学校)は諦めました。それからの私は人前に出ることへの恐怖心から、工場のライン作業やパンの製造など、あまり人の目につかない仕事に就きました。21歳の時、母は私の姿を心配して布教所長に相談し、有り難いことに本部の嘱託職員として熱海でお使いいただけることになりました。
配属はMOA美術館でした。人前に出ることへの恐怖心がありましたが、段々と人前に慣れるようになり自信もつき始めました。全ての浄化作用は良くなるための曇りの解消作用であり、一時的に苦しくても浄化が終われば必ず良くなるとの思いで日々業務に励み、ご面会と祖霊祭祀、〇〇A活動に一生懸命に取り組みました。
その頃の私は、教団から打ち出されることは全て正しいことであり、メシヤ様の進められるご神業と思っていたため浄化中は一層活動に励みました。
しかし、励んでも励んでも自分の望む身体からはほど遠く感じ、また業務が行き詰まるようにり、母の喘息の看病を理由に平成11年3月に退職しました。その後は一般で働きながら〇〇A活動を続けていましたが家族の間で色々な問題が起き始め、また私も幾つかの人間関係のトラブルが重なり、精神的ショックから体調もどんどん悪くなっていきました。特に仕事中、急激に具合が悪くなることが多くなってきました。
その後も身体の状態は変わることなく、長時間の勤務に耐えられなくなった私は仕事を辞めることにしました。当時は、心身共に辛くなれば箱根聖地での長期奉仕研修に参加したり、毎月のように名古屋の療院で定期的に受診し、年に一度は療院で血液検査を行い、二万円近いお金を払って医師の許可のもと二日~三日の滞在型の健康法を受けていましたが体は改善されませんでした。
この滞在型の内容は医師からの診察と朝から夕方近くまでベッドに横になり何時間もひたすら御浄霊を頂きます。昼食は栄養士による献立の食事を頂き、お花を一輪活けて、お抹茶を頂きます。確かに楽になったような気持ちになりますが、帰り道は体がだるく頭がぼっーとしていました。寝込むほどの体でないのに、二日間も寝たきりではそのような状態になるのは当たり前でした。
そして、鉄欠乏性貧血の症状のある私はその後も改善されず、療院の医師から食事療法より薬の治療を勧められました。薬毒のことを考えると出来るなら服用したくありませんでした。躊躇している私に受付の専従者は「増血剤だから大丈夫。同じ症状の患者さんは皆んな飲んでいるから。」と言われ一ヶ月ほど服用してしまいました。確かに数値では改善されましたが、心の中には何か納得出来ない思いがしこりとして残りました。ある時は、仕事中に急激な震えと悪寒で足腰が立たなくなり、すぐに母が療院の専従者に伝えたら「直ぐ、病院に行って下さい」と言われ、尿路感染症でそのまま緊急入院となり抗生物質による治療が数日間続きました。またある時は、療院より呼び出され、紹介状を書くので至急近くの血液内科に受診するように言われました。結果は「今のところは異常なし」と診断され、検査費用二万円近くと血液7~8本も無駄に採られました。
療院で言われるまま行動していましたが、まだそれがメシヤ様の御心でもあると信じていました。仕事を辞めたことで、時間と心にゆとりが持てるようになり、その頃からインターネットを通じて、外の教団や団体から出ているたくさんの御教えを知り夢中で読み始めました。そして、段々と東方の光教団に対して不信感が高まっていき、しばらくはMOA活動を続けていましたが、徐々に献金や活動を減らしてきました。そして、「文明の創造」の御教えを思い出し、もしかしたら何処かの団体から発刊されているのではないかとふと思い、ネットで検索したところメシヤ教に辿り着くことが許されました。
今思えば、幼少からの浄化もメシヤ様に一歩一歩引き寄せていただくための、とても有り難い御浄化であり道のりだと気付かせていただきました。早速、三重支部にメールをさせていただき、初めて月次祭への参拝が許されました。御参拝中はとても厳粛な雰囲気で緊張しましたが、代表先生を中心に三重支部の皆さんが明るく、また温かい雰囲気なのでとても安心しました。私が今まで一生懸命行ってきた活動は信仰ではなく社会事業であったことに改めて気付き、また、社会性ということで薬の併用を認め、薬や手術などによって一時的に浄化症状を止めて施術を行い改善が許されたと間違った解釈をしてしまっている東方の光メンバーの方々に、出来る限りお伝えしていきたいと思っております。
現在、毎月の御参拝とメシヤ講座を学ばせていただいていますが、有り難いことに昨年末に三重支部での校正の御奉仕に携わらせていただきました。初めての校正作業で、戸惑いながらもメシヤ様から頂いた初めてのご奉仕との思いで、微力ではありますが御奉仕をさせていただきました。
校正チェックを終えた日の夕方、急いで三重支部にお届けしようと速達便でお送りしました。そして翌朝、仏壇にお参りをしていた母が中央の阿弥陀様のお顔が観音様に変わった!と言ってきました。疑う私に「確かに観音様だわ。髪がチリチリでなく漆黒の長い髪に変わっていたから。阿弥陀様じゃない、観音様だ!」と言ってきました。母は御神前でも、大光明の御神体の大の字から光りが出ているのをよく見たりするのですが、お仏壇は初めてだと言っていました。しかし、私は母の言葉を信じることが出来ませんでした。なぜなら我が家の仏壇は御屏風観音様は御迎えしておりません。また、浄土真宗の為、御位牌も整えていなかったからです。
この事を月次祭で代表先生にご報告させていただいたところ、「それは、私に教えるためにお母さんに見えたのです。仏壇とかそうゆうものが変わったのではなくて、この御用をするという事自体が阿弥陀様が観音様に変わる位の、これが根底から変わるということです。メシヤ様がご在世当時、いろんな所に行かれた時に、阿弥陀様が「これからインドに帰りますので…」と言って帰られたという御事蹟があるでしょ?それと同じ事が我が家で行われたという事。その御用に携わるということはそうゆう事なのだという風に受け止めて頂きたいと思います。とのお言葉を頂きました。
メシヤ様に御使い頂けることはどんなに凄い事なのか、御用に携わることがメシヤ様に直接繋がっているという事実を母を通して見せて頂きました。現在は、母と姉も朝は天津祝詞、夕方は姉のみメシヤ教の善言讃詞を奏上させていただいております。まだ、御位牌を整えるための理解は家族から得られていませんが、近い将来はきっと整える事が許されると思っております。メシヤ様の御用に御使い頂けることに心より感謝申し上げます。メシヤ様、誠に有難うございます。

******************************************
三重支部では校正の御用に取り組んで数々の御守護をいただいておりますが、Mさんもその一人です。本日は参拝がかないませんでしたので、Mさんの原稿を私が代読させていただきます。
月次祭、メシヤ講座に参加する前に、一昨年前に父が亡くなっていますので、いつも自宅で仏壇に、父に「一緒にご参拝しようね」と言って出てくるのを習慣にしていましたが、1月の時はご先祖様全員に向かって「一緒に行きましょう!」みたいな感じでお祈りさせて頂いて家を出ました。
それからですね、滅茶苦茶嬉しい気持ち、なんというか、自分自身の感覚というよりか、なにか受けている、なにかに影響されて感じているような不思議な感覚だったのですが、一人で笑みがこぼれるというか、変なのですけどね、 傍からご覧になったら変な人がいるぞと思われるような状態で、なにか嬉しいのですね。そんな状態で、不思議な感覚だなってずっと思って来たので、メシヤ講座でこの不思議体験をご報告しようと思っていたのですが、本日こちらに寄せて頂いた際にちょっと、「爽やかだ」というか、「なんか違うような感じを受ける」と言って頂いたので、“今日は喜んで沢山のご先祖が付いて来たのだろう”なって。そんな感じを体験させて頂きまして、先生の方からお言葉を頂いたので、式典前に先にご報告させて頂いた次第です。
先生から教えて頂きましたが、霊界は厳しい「お父さん一緒に行きましょう」と言ったら、父しか行けないと。子孫が参拝させて頂くところに先祖が付いて行きたいと思うけれども、何も言わなければ、先祖はみんな付いて来れますが、 父と限定した以上は、他の先祖はダメなのだ、と。それが「皆さん」と言ったら、その瞬間からその先祖の喜びたるや大変なものだと言うこと。それだけ月次祭の御光というのは月々ずっと高まっている、強くなっているので、先祖は “浴したい”という気持ちがあるけど、「俺たちは誘ってくれないからな」っ て、「ぶう」「ぶう」言っていたと思う。と教えて頂きました。大変反省致しました。これからは、お仏壇に、「皆さん一緒にご参拝しましょう」と念じて月次祭・メシヤ講座に参拝する様に心掛けます。ありがとうございました。
以上でございます。
******************************************

三重支部では、メシヤ様御降臨祭の時に、三重支部として取りまとめた御祈願書をひとりひとりに配布され、皆の願いとして共有しておりますが、その中に次の項目がございます。
一、地上天国建設に不可欠な『聖書の校正』という尊い御用を、担わせていただいているという認識を持って、より想念を高めて御用に臨ませていただきます。
二、メシヤ講座で学んだことを、より多くの人に伝え、錯覚を起こしている方々の目を冷ましていただけますよう力を尽くします。

私も、御祈願の約束を守れるよう、いつも心がけて参りたいと思っております。
最後になりましたが、尊き御用に僅かばかりでもお使いいただきますようメシヤ様にお願い申し上げ発表とさせていただきます。
本日は有難うございました。

2014年12月23日火曜日

食生活を改善、浄霊をいただきみるみる回復

 

平成26年12月23日
御降臨祭おめでとうございます。
三重支部 濵口です。
このたび母の浄化に御守護を賜りましたので、御報告させていただきます。

○順風満帆
平成26年は3月に娘が結婚式を挙げ、5月には息子の子供、初孫を抱くことができました。そして10月に入って娘夫婦の新居を着工の運びとなり目出度いことが続いておりました。

○突然の母の浄化の知らせ
しかし、10月12日に実家のある○○市の病院から電話があり、母が「食事が喉を通らない。食べても戻し、どんどん痩せていく。」と来院し、検査をしたところ、カメラも通らないかな?と思うくらいの2cmほどの大きなポリープが、食道と胃の境のところにあり、食べ物がこのポリープを通過する時に出来た傷が原因で下血しているので貧血状態になっている。念のためにポリープの組織を採って検査したら考えにくい結果だが組織が壊死していた。
しかし、今の状態だと2ヶ月程で何も食べられなくなるだろう。大きな病院で再検査して手術を受けることをおすすめする。「検査結果を10月25日に聞きに来てください。と言ってありますので一緒に聞いてください。」との内容でした。

○脳裏をよぎる父の帰幽
この時私の脳裏によぎったのは14年前の平成12年に肺癌で亡くなった父のことです。
父は当初肺炎だと診断されて2ヶ月入院するも一向に治る様子がなく、担当医が替わって再検査を受けた結果、悪性のポリープがあるので、「医者の話を一緒に聞いて欲しい」との母からの電話で初めて知りました。父は地元を離れたくなかったようで、私に連絡するのを嫌がっていたそうです。
父の手前、「手術すれば助かるのですか?」と聞いてみると「そんなことはわからない。手術してみないとリンパ腺に転移しているかもわからない。リンパ腺に転移していれば助かる可能性はずっと低くなる」と言い、「手術しなくて良い方法はないのですか?」と聞くと「選択肢などない。手術しかない。あなたどんな病気だと思っているのですか」と末期癌であることを父の前で告知されてしまいました。
私は手術をお断りし、「津へ行って浄霊をいだだこう」と父の了解を得て、その日のうちに津へ連れて行き、私の家で浄霊を続けていたのですが、尿が出なくなり、無理な治療はせず、宗教行為に寛大なホスピスの病院に救急車で運ばれました。「できるだけ薬を使わないでください、尿が出るようになったら家で療養させたい」と主治医に話し浄霊に取り組みました。
しかし、私の仕事が超多忙の時期であり自分の父でありながらほとんど浄霊は家内や当時所属していた教団の地区の方々や所長にお任せしてしまっていました。
ある日、「腰に転移しており歩けるようにはならないだろう良くても車椅子の生活です。」と主治医は直接父に告げてしまいました。なぜ、直接話すのか。心ない主治医の言葉に言いようのない憤りを覚えました。その日からしばらくは、お粥しか食べられなくなってしまいました。
しかし、みなさんに御浄霊をいただくうちに何でも食べられるようになり、さんまのさしみや、鰻のひつまぶし弁当なども平らげました。
また、急に「リハビリをしたい」と言い出しました。ホスピス病棟でリハビリを受けている人などありませんでしたが、「父はまだ生きる希望を持っている」と私は嬉しくなりました。
〝これから良くなっていくのだろう″とみんな思っていました。ところが左の肺だけでなく右の肺も悪くなり、父は「もうあっちへいくわ。博幸を呼べ」と母に言い、母から電話を受けて子供達と駆けつけました。痰がからんで話はできないものの元気にしているのです。ですので、学校に行かせるために家内が家へ子供たちを送っていきました。
私が会社に休暇の連絡をしているわずか2分ほどの間に父は、知人から浄霊をいただきながら全く苦しむことなく、昇天しました。
眠るように息を引き取ったのです。わずか2ヶ月の療養生活でした。
同じホスピス病棟にいる人たちと父の状態は大きく異なっていたことがあります。それは亡くなる当日の朝まで食べることが出来たことです。魚が好きで週に何度も出前寿司を頼みました。病院食は母が食べていました。大好きな天ぷらを病院のキッチンを借りて揚げたてを食べさせたこともありました。
母は「精一杯やったから全然悔いはない」と言ってくれましたが、父はどうだったのでしょうか。もしかしたら私に母が知らせなければ医者の言うとおり手術を受けていたのではないでしょうか。そして何より大好きな海の見える町を離れて療養したくはなかったのではないか。私の決断で津へ連れて行ったものの結果して故郷に生きて帰ることの出来なかった父の本音を〝霊と交信できるならば聞いてみたい″とズーッと思っていました。

○今後のことを母と話し合う
そんなことを考えながら、2時間かかる実家へ、家内と向かったのです。母は医者が私に連絡すると思っていなかったので、驚くと共に〝余程悪いのではないか″と思ったようです。「組織検査の結果が出て組織は壊死していたとの連絡があったので様子を見に来た」と話しました。
そして母としては、どうしたいと思っているのかを尋ねました。
「手術しないと食べられなくなる」と思い込まされていました。
しかし、「手術はしない。もうカメラを飲むような検査も嫌だ。実家からは離れたくない。」と言いますので、「1週間に2回津から実家に通って浄霊をする。自分でも浄霊をすること。」と話しました。そして通い始めたのですが、すぐに母から「仕事を終えてから遠くへ浄霊に通ってもらうのは申し訳なく逆に心配なので、津へ行って浄霊を受けることにしたい。万一のために入院の用意もしていく」との提案を受け、それに応えることにしました。
母は医者に10月18日に検査結果を聞きに来るように言われたのですが、その日は孫達と二見へ宿泊する予定があり、とても楽しみにしていましたので、「家族旅行があるからその日は駄目だ。1週間後にしてください」と言ったそうです。その時は〝もしかしたら家族がみんな揃っての最後の旅行になるのかもしれない″と思ったそうです。
このころ私も正直不安だったことが先生に差し上げた次のメールからお分かりいただけると思います。
10/13日のメールです。
土曜日に仕事を終えてから実家へ行きました。母は、胸のあたりが重苦しくムカムカし、時々胸で遣えて食べ物が通りにくく、もどしてしまうことがあります。
私がいる時でも数回もどしました。透明のヌラのような液体が出てきています。
脚力も以前より大部落ちてきているようです。体重も落ちて来ています。
癌の症状と言えますが、「癌の組織が壊死している」という結果がありますので、
壊死した癌が排出される時のヌラなのでしょうか。
月末には医者と面談してきます。
それにしても母がかかったのが田舎の病院で良かったです。
大病院でしたら直ぐに手術されてしまったかもしれません。
母も「手術はしない。もうカメラを飲むような検査も嫌だ」と言っておりますので、しっかりと浄霊に取り組んでいきます。
母の希望で、月末から津へ来て一ヶ月を目処に養生をすることになりました。
「週二回実家へ通って浄霊する。」と言ったので逆に心配して津へ来る気になったようです。
自然と次回の月次祭には参加できるようになりました。
『文明の創造』などの書籍が引き出しにしまわれていましたので、読むように話してきました。自己浄霊にも取り組むように話しました。
先生から返事もいただかないうちに14日には、続いて次のようにメールしています。
「壊死した癌が排出される時のヌラなのでしょうか。」と質問しましたが、『文明の創造』で学んだばかりでした。
『然(しか)し稀(まれ)には胃癌でなくて、ヌラを吐く場合もあるが、此(この)ヌラは頗(すこぶ)る稀薄であるから、よく分る。先(ま)づ濃いヌラを吐く症状が真症胃癌と思えば間違ひないのである』と『霊的病気 癌病』で学びました。
私も母のヌラを見ましたが透明でした。ですから
『頗(すこぶ)る稀薄』なヌラに該当する希(まれ)な症状ということになります。組織も壊死(えし)していますし、〝真症胃癌ではない″ということになります。
そして、先生から
「お母さんの取り組む姿勢も明確になったようですので、自己浄霊に徹していただきたいと思います。」との指導をいただいております。

○検査結果を聞く
10月25日は仕事が入っていたのですが日曜に仕事をすることにして、母と検査結果を聞きに行きました。「組織が壊死している。」ということを聞き少し安心したようです。
そして、「高齢で体力が持たないだろうから手術はしません。検査も体が辛いので受けたくありません。」と母は、医者に自ら話しました。

○食べてさえいれば戻しても少しは栄養になる
後から詳しく話を聞いてわかったことですが、
食べた物を戻してしまうとかの症状は、2年前の息子の結婚披露宴での食事が一切食べられなかったその少し前から始まっていたそうです。最近は症状が進み、お茶も飲めなくなることがあったようです。
病院へ行くと点滴されるのが嫌で誰にも言わず、食べては戻す。食べては戻す。を繰り返したと言います。〝食べてさえいれば戻しても全部が全部戻してしまうことはないだろう。少しは栄養になるだろう″と考えたそうです。〝これからどうなるのか″と考えると不安で堪らず、〝もうどうにでもなれ″とも思ったそうです。
しかし私に知らせると父の時、その日のうちに津へ連れて行きましたので、住み慣れた町を離れなければならない。と知らせなかったのだそうです。

○食生活を改善、浄霊をいただきみるみる回復
津に来た当初は、頬が痩(こ)け、目が窪(くぼ)み、目の下が黒く面貌(めんぼう)はハッキリと病人でした。
「運動もしなけりゃ」と犬の散歩をしてくれたのですが、10分も歩くと疲れて2~30分も休憩をしていたそうです。浄霊を徹底するとともに、毎日野菜中心の食生活にしました。支部で浄霊を受け始めてから食事をしても戻さなくなりました。便に混じっていた血も徐々に混じらなくなり、一週間くらいで全く正常な便になりました。そして体重も増えだし、散歩もおよそ一時間も出来るようになりました。当初〝1ヶ月浄霊と食養生で様子をみよう″と決めたのですが、本当に一ヶ月ですっかり元気にしていただきました。
一ヶ月が過ぎて実家へ帰りました。田舎に帰ることができた母は「ああ、うれしい、うれしい。帰って来れた。こうして食事が普通にできることが本当にうれしい。津へ食養生に行ってよかった。一人暮らしで魚が好きで魚中心の偏った食生活だった。野菜を育てているのに食べ方を知らなかった。津で良く教えてもらったので、これからはバランスのとれた食生活をします。浄霊もきちんとします。」と言ってくれました。
近所の人から「行く時は顔色が悪かったのでもう帰ってこやんのとちゃうか。と思っとったけど、帰れてよかったな。顔色ようなったやん」と言われました。周りの人にもわかるほど顔貌に変化があったのでしょう。
母が懇意にしている魚屋さんが「おばさん、魚ばかり食べやんと野菜も食べやなあかんで」と商売そっちのけで心配してくれたそうです。魚屋さんに心配されるほど魚ばかり食べていたのだと思います。
そして11月の月次祭の時に、先生より「月に一回の月次祭の時には、耳が遠くて聞こえなくても座っているだけでも良いので、できるだけ参拝するように」と御指導いただき、月一回の参拝を決意しております。もちろん12月も参拝できました。
目標を持って生活できることは素晴らしいことだと思います。

○父と母の御守護のいただき方の違いを比較する。
ところで、父の時と母の御守護のいただき方の違いは何だったのでしょう。
比較をしてみました。
まず、〝どれだけ医療を受けたか″ということです。
父は当初肺炎と診断され入院して検査、治療、投薬を繰り返し、私が連絡を受けたときには既に末期の肺癌でした。私は元々は本当に肺炎だったのだと思います。それを検査治療を繰り返した結果肺癌にまで進行してしまったのだと思っています。
 
母は、2年以上前から症状があったのでその頃から食道癌か胃癌だったと思われます。しかし、薬も一切飲まず、戻しても食べ続け、水も喉を通らなくなってやむを得ず、病院で検査を受けたときには2cmの大きさになっていた癌細胞は既に壊死(えし)していました。『何もせず、放っておけば治る』の御教えの通りだったのです。
浄霊をいただいて治った。との体験はよく聞きますが、『放っておいて治った』という体験談はあまり聞きませんので非常に貴重な体験ではないかと思います。
次に、〝どのように浄霊をしたか″ということです。
父は自己浄霊はできませんでした。○之光教団所属でしたので、自己浄霊をする人はあまりいませんでした。家内や当時の地区の方々が浄霊をしてくれましたが、時期的に仕事が多忙な時で、息子である私の関わり度が少なかったのです。
一方、母は素直に自己浄霊に取り組んでくれました。また、家内が主に浄霊をしてくれ、私も父の時と同様多忙な時期だったのですが、時間を見つけては浄霊をさせていただきました。自宅にいたからこそできたことでした。
母の時には自然米がありました。自然米のお粥は何とか食することができたそうです。3年程前より無農薬・無肥料で野菜を育てておりますので、野菜はスーパーでは買わなくて良いそうです。また、最近は調味料にも気を遣うようになり料理にも興味を持てるようになりました。
母は納得して故郷を離れましたが、父の心の内は故郷を離れたくなかったことでしょう。良く家族で話し合って納得の上方針を決めるのが最善であると思いました。

○「食」は生きる希望になる。
最後に、「食」は生きる希望になる。ということです。普通に食事をとれることがいかにありがたいかということです。
母は食事の時間を非常に大切に思っていました。田舎ではひとり暮らしでついつい簡単にすませてしまいがちです。〝家族で一緒に食事をする″時間をとりたかったようで、津で生活している間中私は忙しくて帰宅して食事をするのが夜10時ころでしたが、「先に食べて」と家内が言っても私が帰るまで待っていました。
父も亡くなる直前まで食べていましたが、病院の部屋で食事をするのとでは、大きな違いがあります。病院では食事を栄養と考えるでしょうが、〝家族で一緒に食事をする″食事の空間には温かみがあるではありませんか。
母は田舎でひとり暮らしにもどりましたが、無農薬・無肥料の野菜を育てて自ら食べ、私たちに提供するという御用に励んでくれることと思います。また、「月次祭に参拝する」という課題をいただき、これからの母の目標ができたと思っております。

○信仰を伝えていく原点
メシヤ講座で先生より、
信仰の話・・・色々教えを取り次いだり、色んなことをするんだけども、信仰が伝わっていく一番の原点はやはりメシヤ様からいただいたその恩恵を、そのままありのまま、みんなに話すということが、信仰を伝えていく時の一番の原点であると。
 これを欠かしてはいけないということが、まず第一としてありますね。だからそういうことを我々が確認していかないと、いけないことではないかなと思います。
と御教導いただいております。
体験発表というのは、話を聞いたより多くの人が発表者を通して信仰をより身近に感じることができますので、みんなに幸せをま配っていくことになりますので非常に意義深いことだと思います。
今回の母の体験発表で皆さまが少しでも感じ取っていただけることがありましたならありがたく思います。本来なら母がこの場で発表すべきではありますが、遠方へ出かけることにまだ自信が持てないようですので、私が代わりに発表させていただきましたことを、お許し願いまして、発表を終わらせていただきます。
ありがとうございました。

2014年9月4日木曜日

たった1回の浄霊で蓄膿が癒される  ~ メシヤ様との初縁が蘇る ~

 

娘のアトピーから幼少の頃の奇蹟談を思い出してメシヤ講座で妻がお話しし、英文サイトへの寄稿にまでつながったことがありました。
私達は日々奇蹟体験をしているがゆえに、奇蹟・御守護に鈍感になってしまっているのではないでしょうか。
先生は奇蹟体験談を発掘する天才だったと思います。
見逃さない、聞き流さないからこそ、相手もつい話をするのですね。

第76号 平成26年1月分

 ○たった1回の浄霊で蓄膿が癒される   ~ メシヤ様との初縁が蘇る ~
(質問者)
中学の頃蓄膿で病院に通っていました。吸引していました。
(参加者)
耳鼻科へ行くとどんな症状でも吸引しますね。
(質問者)
薬が入っているのですか。
(先生)
入っていますね。ですから蓄膿の箇所を浄霊はしておいた方が良いですね。
(質問者)
以前、肺炎になった時に物凄く薬の臭いがしましたが、きっと昔蓄膿で使用した薬の排泄作用だったのですね。
(先生)
蓄膿はしつこく鼻のところに溜まっているからね。それで吸引したら通るけども蓄膿自体を治しているわけではありませんのでね。
(質問者)
それで病院へ通っていたのですけども、叔母がメシヤ様と御縁があったようで浄霊を取り次いでいただいたのです。それで、たった1回の浄霊で良くなって、それから病院へは行っていません。今思うとその頃初めてメシヤ様との御縁をいただいたのだと思います。
ですから娘がアトピー性皮膚炎になって初めて浄霊を取り次いでいただいた時に〝ああ私も小さい時にしてもらった″と記憶が蘇ったのです。
(先生)
一回の浄霊で治ったのですか。
(質問者)
そうなのです。一回浄霊していただいてから病院へ行かなくてもよくなったのです。
(先生)
素晴らしい!それ、御守護報告していないのではないですか。
(質問者)
子供のアトピーの御報告の時に書かせていただいたように思います。
(先生)
それは英文サイトに載せたいから書いてください。Johrei
現在53歳で非常に健康に過ごさせていただいていますが、実は子供の頃蓄膿だった、と。
「吸引治療とかしても良くならなかったけども、叔母に浄霊をいただいて一発で良くなって、今日まで健康で過ごさせていただいています。」
というように短くて良いので書いてみてください。蓄膿で悩んでいる人は結構多いのです。とても参考になると思います。
先祖の導きがあったのですね。よほどメシヤ様に繋がるべき因縁があるのですね。今日は良い話が出ましたね。

【御教え】病患と医学の誤謬  明日の医術第二編  昭和十七年九月二十八日
『鼻の病気としては、蓄膿症、肥厚性鼻炎、鼻茸、無嗅覚等あるが、原因は何れも同一であって、鼻の両側に溜結した毒素及び後頭部特に延髄附近に溜結した毒素及び前頭部より前額部にかけて溜結せる毒素が、浄化作用によって鼻孔から鼻汁となって排泄せらるるのである。即ち、蓄膿症は、鼻の両側の皮下に於ける毒素の溜結が原因であって、これは指頭で圧すれば痛みがあり、この痛みの強弱によって、重軽の差が判るのである。これを放任しておけば、この毒結は溶解、鼻汁となって出て治癒するのであるが、医療は薬液で洗滌するから、耳垂の際の洗滌と同じく薬毒が浸潤、追増することになり、慢性になるのである。又、肥厚性鼻炎は鼻汁に含まれてゐる毒素が、粘膜を刺戟するので加答児を起し、微熱を生じ、小腫物、痛み、痒み、涸(カワ)き等の症状をおこすのであるが、これ等も気永に自然療法によれば治癒するのである。次に鼻茸は、私は医者でないから、手術をしたことがないのでよく判らないが、膿の固結したものではないかと惟ふ。兎に角私の治療によって鼻茸が発生しなくなるにみても、そうであると想ふのである。
 そうして、蓄膿でも鼻茸でも手術をするが手術によって一旦治癒したやうでも、遅きは二三年、速きは半年位で再発するので、此事実は真の治癒ではなく一時的効果に過ぎない事が判るのである。特に蓄膿症に於ては、鼻側に集溜する毒素を手術によって排除するが一時排除しても再び集溜するのである。故に完全に治癒させるには、集溜すべき毒素発生の根源を衝かなければならないが、医学ではそれが不可能の為、末梢的方法を執るのやむを得ない訳であらう。
 又、近来蓄膿の手術によってよく生命を失ふ事を聞くが之は如何なる訳であらうか。実に危険千万である。全く手術の過誤による事は勿論であるが、専門家に於ても大いに研究されん事を望むのである。
 次に無嗅覚の原因は、鼻の尖端に毒素溜結し、それが嗅覚神経への刺戟を遮断する為と後頭部下辺の凹所に毒素溜結の場合とある。そうして後者に於ては痳酔剤使用の結果又は瓦斯中毒等によって鼻孔から吸収したその毒素が、右の局所に溜結する為による事も稀にはある。そうして前者は非常に治り易く多くは二三回の治療で大抵は治癒するが、後者の場合は、相当日数を要するのである。』

2013年5月10日金曜日

◎回想録 (結石・盲腸)

 

メシヤ講座三重 第67号 平成25年5月号 より引用
http://mesiyamie.web.fc2.com/mesiyamie2505.html

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
◎回想録
私が最初に結石になったのは20代前半でしたので30年ほど前のことです。
会社へ入って初めての転勤で岡崎に勤務しておりました。会社の独身寮で暮らしていました。もちろん『浄霊』は全く知りませんでした。休日はソフトテニスをやっていまして大会が終わってから妙に背中が痛むのです。この頃は鈍痛でした。
何日間か痛みが続きましたので、〝筋肉痛か骨に異常があるのでは″と思って、整形外科へ行ったのです。レントゲンを撮っても、整形外科では原因はわかりません。湿布薬を出されて「様子を見てください。」と言われました。
もちろん筋肉痛ではないので湿布薬が効くはずもないので、今度は知り合いの針灸治療院で初めて針を打ってもらいました。それでも良くはなりませんでした。
それから数日後の夜中のことだったと思います。
突然猛烈に背中が痛み出しました。激痛でそれまで体験したことのない痛みが何度も何度も繰り返し襲ってきました。夜中に管理人さんを起こす勇気もなく6畳一間の部屋で一人背中を抑えて転げまわっていました。(この頃は携帯電話もありませんでした)
朝になって先輩に頼んで大きな病院へ連れて行っていただきました。その頃には、痛みは段々下へ降りてきて腹部の方が痛み出していました。窓口で症状を話すと、「胃腸科で診察を受けるように」と言われました。
ここでも検査でレントゲンを撮りましたが何も写っていません。「胃と腸は問題ありませんね。痛みが移動しているので尿道結石の疑いがあるので泌尿器科で診てもらって下さい。この病院には残念ながら泌尿器科はありませんので紹介状を書きます。」との診断で、近くの泌尿器科の町医者を紹介されました。
座ることもままならず病院の長椅子で寝転がって診察待ちしていたのに、病院のたらい回しです。
今思えば、恐ろしいことに泌尿器科の病院でまたまたレントゲンを撮られました。
僅かな期間で3回もレントゲンを撮ったことになりますが、そんな管理は自分でしないと病院ではお構いなしです。
「石が小さいためか、はっきりとは映っていませんが、症状からして尿道結石で間違いないでしょう。大きくないので水分をしっかりと補充してオシッコを出すようにしていけば自然と排出されます。痛みに耐えられない時は痛み止めを出しておきますので、飲んで下さい」との診断でした。
病名がわかってほっとしましたが、結局はレントゲンには映らなかったので、〝何のためのレントゲン撮影だったのだろう″〝あちこちの病院や治療院を回った意味はあったのか″と少々疑問に思いました。
ビールと麦茶ばかり飲んで知らないうちに排出されたようで1、2週間ほどで痛みは無くなりました。痛み止めは飲みませんでした。
二度目に尿道結石になった時は平成2、3年頃だったと思います。この時は、以前に尿道結石ということを経験しておりましたし、結婚して入信していましたので、猛烈な痛みだったのですが、〝浄霊で石は排出される″との安心感がありました。病院へは行きたくなかったのですが、会社を休む都合上近所の小さな町医者へ行ってエコーで見てもらい「尿道結石」との診断をしていただきました。
町医者ですと「お薬出しますか?」と聞かれますので「いりません」と簡単に答えられます。それで薬を飲まずに家内に浄霊をいただいて1、2日程で治ったと思います。〝こんなに早く治るなら仕事に支障もないし病院に行く必要性は全くなかったな″と後から思いました。
その時以来結石にはなっておりませんが、石ができてもその都度砂になってオシッコで排出しているのかもしれません。
しかし、もし今同様な結石になったとしても、『メシヤ様と直に太く繋がる浄霊』を授かっておりますので〝会社を休む必要もない″と思っています。
振り返って見て〝浄霊力を知っていることは物凄い安心感がある″ということです。
逆に浄霊を知らないと、医者に検査を何度もされても〝病名をはっきり言ってもらえない″時、患者は不安で堪らないということです。
また今回のメシヤ講座で学びましたが、〝尿道に石が出来ているのに背中が痛む″ということを知っていることの如何に有難いことかということです。
結石ではありませんでしたが、メシヤ教に入会してから地上天国祭前々日に猛烈な腹痛に襲われたことがあります。おそらく盲腸だったと思われます。早朝日枝神社に参拝して浜松支部で執り行われる地上天国祭に参拝する予定で困りましたが、妻が「私が運転して行くから」ということで取り敢えず出発しました。そして、自己浄霊を車内でしておりました。日枝神社に到着する頃には治っていました。
立つことすらできない(這ってトイレに行く)ほどの腰痛(ヘルニア)に仕事を休まざるを得ないこともありましたが、1週間寝込んで浄霊をいただき、たまたま取得していた有給休暇の間に回復できました。
メシヤ教に入会してからは、時々御浄化をいただくが、御神業、仕事に差支えないように御守護をいただくことができていると実感できます。
この安心感は何事にも代え難いものであります。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

2012年5月5日土曜日

『文明の創造』発刊の御用に携わって

 

『文明の創造』発刊の御用に携わって
 
本日は新本部竣成おめでとうございます。広い御神前にいっぱいの人に私達にはこんなにたくさんの仲間がいるのだと、嬉しくなりました。

このような素晴らしい日に発表の光栄に預かり、感謝申し上げます。
 
神定めの地に新本部
さて、新本部の地名は玖珠郡玖珠町大隈倉園(くすぐんくすまちおおくまくらぞの)だそうですが、メシヤ様は
『天ケ下 大神光(おおみひかり)に隈(くま)もなく  浄めますとき いよいよ来にける』
というお歌をお詠みになっておられます。『大神光に隈もなく』と新本部の地名大隈が読み込まれています。
また、御倉板挙の神様に関して、学習院大学吉田敦彦教授の説によりますと、
「稲だけが「たなつもの」と呼ばれて、ほかの穀物と区別されたん です。タナというのは、もともとは稲の種を呼ぶ言葉だったわけです。だから、御倉板挙というのは、翌年、種としてまかれるまで倉にしまわれている稲の種を意味する、そういう神様としての意味を持っていたわ けです。」「皇大神宮の内宮の御正殿は、稲を納める倉の形をしているわ けです。だから、御倉板挙の神というのは、まさにそういう神様をお祀りする場所として考えられていた倉に納められて、翌年、種としてまかれる稲の種の神様なんです。」という論説が ありますし、
<シンポジウム「東西文化交流と比較神話-日本神話と比較神話」より引用  http://www.wako.ac.jp/souken/touzai02/tz0203.html>
以前『メシヤ様の御精神を現代に求める座談会』で紹介いたしました内容に、
〝ミクラタナのタナとは、天文(天体の諸現象)という義である。大御神の大宮殿を指して、ミクラタナというのである〟とあります。
倉園という地名も最高最貴の神様の御鎮まりになる、神館としてふさわしいと思いました。
まさに、浄霊の大神光(おおみひかり)を持って世界中の隅(すみ)から隅(すみ)まで浄めて行く出発点に今、立っているのだと 心を新たにさせて頂いた次第です。
 
『文明の創造』との出会い 
主之大御神様の御神体が初めて御奉斎になったのは平成十一年五月のことですが、私はその頃ある先達の主催する御教え研鑽会に参加しておりま した。
そこで初めに学んだことは、「メシヤ様の御教えは神様の言葉である」「メシヤ様御昇天後の現代ではメシヤ様のお言葉である御教えを拝読し、 信仰の規準とすべきである」ということです。
これは、メシヤ教が今、『メシヤ講座』『メシヤ様の御精神を現代に求める座談会』として取り組みを続けていることに通じます。
その頃、最も学びの中心とさせていただいたのがなんと、『文明の創造』だったのです。当時は〝多くの教会長達に混じって研鑽するとは場違い なところへきたものだ〟と、感じていました。まさか、十年以上たって、このような形で『文明の創造』の校正作業に取り組ませて頂くことに なり、あの時の経験が、今回の御用にお使い頂ける基盤となる布石であったとは、メシヤ様の御心の深さには驚愕いたします。
自らの意志でメ シヤ教に入会したように思っていても、十三年も前に既にメシヤ教で楳木先生の指導の下、『文明の創造』の校正の御用で、メシヤ様にお使いただくという使命があったと、その時にはわからなくても後から神恵(みめぐ)みに気付かせていただけるものなのですね。
さて、その『文明の創造』が愈々地上天国祭に合わせて発刊の運びとなりました。三重支部で、当初より校正作業の御用に支部をあげて取り組み、感じましたことをお話させていただきます。
 
メシヤ様が『文明の創造』に託された想い
はじめに、『文明の創造』に対するメシヤ様の想いはご講話の中に幾度も見つけることができますので、少し紹介いたします。
『まず、世界の識者の目を醒ます。そうして段々浄霊なんかも世界中の人間がやるようになります。それではじめて人類は根本的に救われる訳です。(御教え集3号、昭和26年)』
『現 在までの文明は根本的誤謬の文明であって、真の文明ではない事を知らせんがためである。   (真文明とは何ぞや昭和26年)』
『真 文明の設計構想を指示したものである。(信仰とストライキ昭和27年)』
『エホバの聖書なのです。今度は親父のバイブルです。(御垂示録第12号 昭和26)』
『相当センセーションを起こすつもりです。世界的の医学革命ですね。病をなくすと言う一つの表面的の活動になるわけです。(御教え集二号、昭和二六年)』
し かし、このようにメシヤ様の想いの籠った『文明の創造』をはじめとして殆んどの、御教えを世界救世(きゅうせい)教は封じ込めてしまいま した。岡田茂吉全集が刊行されたとはいえ、手にすることができたのは、一部の会員に限られます。故に『文明の創造』の発刊は、メシヤ様を 世にお出し申し上げる御用に他ならない。と私は信じています。
 
還暦の型
『ある高位の神様の魂が宿られた、すなわち右の御魂が現世に生誕された事になるのである。これからこの神御魂(かむみたま)が段々御育ちになり、成人されるに従って、玉の光は漸次輝きを増し、将来大偉徳を発揮さるるに到るのである。(一つの神秘 栄光83号 昭和25年)』
この神秘は、昭和二十五年(1950) 年六月十五日のことです。そして、六十年後の還暦をお迎えになられた平成二十二年(2010)六月十五日、メシヤ教の地上天国祭で、ミクラ タナの神様の御神名を明かされると時を同じくして、『文明の創造(一)』が研鑽資料として発行されたのです。
こ のことは、メシヤ教はメシヤ様を世にお出し申し上げるという、素晴らしい型を示せたということではないでしょうか。
 
メシヤ様と御尊称申し上げる
『要するに私というものが分かれば良い』と奈良公会堂でのご講話で、
『メシヤ様のことがわかれば代理として立派に力をふるい仕事が出来る。 栄光258号、昭和29年』
と御教え頂いております。それには、まず、メシヤ様と御尊称申し上げる人が増えていかなければなりません。
 
メシヤ様の御神格を認識し魂を授かる 
それから『妊娠を唯物的に言えば男性の精虫一個が女性の卵巣に飛び込み胚胎する。之を霊的に言えば神の分霊が一個の魂となって宿るのである。』と『文明の創造』の一節に出ています。
また、メシヤ様が瀕死の先達の子供に浄霊をし、『私の生霊(いきりょう)を入れておいたから大丈夫』と仰ったということが、「明主様と先 達の人々」で紹介されています。
この先達のもう一人の子供が、後に岡田茂吉全集編纂の御用を担ったと、聞き及んでいます。
これらのことを総合して拝察させていただきますと、メシヤ様の御神格を認識して、メシヤ様に直(じか)に太く繋がり、浄霊をさせていただけば、因縁の御用を担う人は、浄霊によりメシヤ様の魂を授かることができるということではないのでしょうか。
 
過ちに気付いたらお詫び申し上げる
私 達は完全な人間ではないので、時に過ちを冒してしまいます。『文明の創造』を手にした人々は逸早くその過ちに気付き悩み苦しみます。しか し、メシヤ様は贖罪主ではなく赦し主なのです。キリストをも赦す権能がおありなのです。過ちに気付いたら、御神前に額づきメシヤ様にお詫び申し上げ赦しを希(こいねが)いましょう。そして、メシヤ様が『文明の創造』に託された想いを受け止め、共に手を携えて、メシヤ様の御 用にお使いいただこうではありませんか。
 
魔を破る突破口
先日参拝された方が、表札を見て「魔を破る口ですね。」と仰いました。世の中の魔を破る突破口の御用をもさせていただいているのだ。ウカウカしていられない。と、その言葉を聞いて、心を引き締めた次第です。
 
メシヤ様直接の御奉仕を追体験
『文明の創造』の校正チェックを楳木先生と支部の方々と行っていると、メシヤ様がお守りを御揮毫されている のを奉仕者が手伝っている情景が頭に浮かび、追体験をしているような感覚になりました。
メシヤ講座での楳木先生の次の御教導を思い出して嬉しくなりました。
「信仰形態とは、メシヤ様の御姿勢、御決意、弛(たゆ)まぬ御行動を追体験させていただくことに外なりません。メシヤ様の御言葉『いよいよの時、初めて諸々、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申しつける。神格をいただける者もいる。その人によって御用は変わる。』に 照らして、追体験は私達のレベルで神格を有することへの道を唱導していただけるものなのです。」
 
誠心の御奉仕に感謝
幼い子供を育てながら、寸暇を惜しんで期限に間に合わせようと作業にあたって下さった方、パソコンが使えず、老眼鏡をかけなくては小さなルビが読めないのに、手書きでビッシリ抜き書きして下さった方。自然農法を学んで少しずつですが、取り組み始め月次祭の都度お供えして下さる方。最近では、参拝の都度幼い子供と一緒に支部の清掃奉仕をして下さる方も現れました。御体が不自由で二階の御神前での参拝は一苦労な のですが、御家族の御祈願のため、毎月欠かさず参拝される方。奉仕の内容は人それぞれですが、活気が出てきたと思います。皆様の誠心の御 奉仕にただただ感謝申し上げます。
 
『日月地』御書授かり御神業益々力強く
先日は、御神業に臨む支部の皆様の真摯な姿勢に神様からの思わぬ御褒美がありました。
『日月地』の御書(お軸)が入手できたのです。『五六七』のお額はございましたので、これで経緯(たてよこ) 揃ったわけです。
『即ち日は火素の根源であり、月は水素のそれであり、地は土素のそれである。即ち、経とは天から地まで、太 陽、月球、地球の三段階となっているのであって、日蝕の時、日月地が経に三段になっているにみても明かである。(明日の医術 昭和17年)』
今、 金環日蝕が話題になっております。今月の二十一日に、日月地が整然と並ぶ金環日蝕は全国で見ることが出来ます。本州で見られたものとして は、実に129年 ぶりの金環日食となるそうです。
そういう天体の運行と時を同じくして『日月地』の御書が入手できたことに感慨一入(ひとしお)でございました。
『日月地の 深き恵みに幹太り 枝繋るがの我神業かも(地上天国 57号S29. 2.25)』
のお歌の如く、いよいよ発展の兆しあり。と、受け止めさせていただきました。
 
「布教三訓」の縁(えにし)
最近、ある方がネットを通じて繋がってこられました。その方は景仰に掲載されておられるメシヤ様の直弟子のH先生からお光を拝受されたそうです。そのことをお聞きし、「明主様と先達の人々 世界救世教発行」を調べてみて驚きました。
平成二〇年四月、三重支部の発会式で、支部責任者として挨拶をさせて頂いた「布教三訓」のお言葉をメシヤ様 から直接賜った先達がH先生だったのです。
発会式での挨拶内容は、『布教三訓』『るナ三訓』を極めてゆくと、御神業は『遊行観音』の振る舞いの如くである、ということが肚に落ち、肩 の力が抜けてゆく。そして、御神業は楽しくて仕方ないものとなる。メシヤ講座の『景仰』を如何ように拝読するか・・で楳木先生が御指導下さったことです。
『布教三訓』とは
◎メシヤ様と共同 作業をさせて頂く。
◎恩は着るべし着 せるべからず。
◎寝食を忘れてやりなさい。
『るナ三訓』とは
威張るナ 怒るナ  早まるナ です。
自らに言い聞かせ腹に入るように、朝拝の時に唱和させて頂いております。と三重支部の信条を述べております。
現在は、『文明の創造』を拝読させて頂いておりますので、朝拝では唱和しておりませんが、支部のモットーとするところに変わりはございません。
この『布教三訓』は『景仰』の中では「恩は着せるべきものではない」と題して、次のように掲載されています。
「私は昭和十六年四月一日、当時の資格を拝受して、いよいよ布教に専業することになりました。その時、「どのような心構えでやらせていただい たら、よろしいのでしょうか」とお伺い申し上げました。メシヤ様は、『寝食を忘れて人を助けることです。しかし、恩は着るべきものであって、着せるべきものではない。いつも私と共同作業であることを忘れないことです。その心構えでやればよいのです』と ご教示下さいました。それ以来、このお言葉が私の布教信条となっております。(布教師)」
布教師としか記載がありませんので、先達のお名前を存じ上げませんでした。それが、H先生からお光を拝受された方の参拝によって、調べる 機会を得て初めて知ることが出来たのです。
もう一つ、先ほど紹介した座談会への書き込みの中で、支部が中々発展しないことへの焦りを楳木先生に吐露したのですが、『景仰』に『ないなら〝ない〟と報告すること』と題して次の掲載がございます。
私が山口県の萩へ行きました当初、全くの行きたてで、信者が出来ないのに、報告書を出せとメシヤ様がおっしゃったんです。
それで「いまのところ、ひとつもありません」と申し上げたんですが、『あってもなくても、私の代理で行ったからには、ないという報告でもしろ』ということで、ない報告でも一年 間つづけました。
それからです。満一年経ちましてから、「満一年させていただきましたが、どうしても萩はだめです」と申し上げましたら、『あんた、神様のようなことをいうが、だれがだめと言ったか。一年間ない報告でも、報告は間違わないでよこした。あれはあんたが神様に試されたんだから、今度帰ったら、もの すごく発展するぞ。これからだ』といって叱られました。萩が発展し始めたのはそのお言葉をいただいてからですが、あの時はふるえ上がりました。(教会長)
この教会長もH先生なのです。
メ シヤ様と先達の逸話は、私達に布教の原点を、生き生きと語ってくださいます。そして、先達もまた悩み、焦り、行き詰っていたのです。
しかし、メシヤ様の御言葉を真っ直ぐに受け止めて正直な布教をしていくことで発展をさせていただくことができるのだ。と心を強くさせていただけました。
『布教三訓』『るナ三訓』を今後も三重支部の信条として、御教えを伝え、救いの場を提供し続けてまいります。
思いますに、メシヤ様に直接御面会が許されない現代では、御神前で『御教え拝読』『浄霊の御取次ぎ』をさせて頂くことがご面会なのではないでしょうか。
『文 明の創造』を聖書としてメシヤ様の共同作業にお使いいただけるよう心して取り組んでまいりますので、みなさま今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。
本日は誠におめでとうございました。

2010年10月8日金曜日

メシヤ様に直接繋がるということ

 

2010年10月メシヤ様に直接繋がるということ

メシヤ様に直接繋がるということ

三重支部のYです。
これまで幾度もご守護を頂いてまいりましたが今回はお光のすごさをより深くみせて頂いたと、大変感謝しております。
数日前の夕方
急にくしゃみや鼻水が出始め、次第に喉が痛くなり寒気までしてきましたので「あー風邪をひいてしまった」と思い早めに子供と就寝しました。
翌朝になり鼻水や喉の痛みはましになりましたが下半身の節々が痛く、あまり調子が芳しくなかったので翌日の月次祭に備えてゆっくり休んでおこうと思いその 旨支部に伝えました。ずっと横になって休んでいたので、お昼過ぎ子供を迎えにいくことが出来ましたがやはり下半身に力が入らず、帰ってまたすぐに布団で横 になっていました。
夕方Hさんから電話がありました。
Hさんは「辛かったらいつでも行くよ」と言って下さったのですがそんなにひどい状態でもないので「大丈夫だと思います」と伝えました。
それから少しうとうとしていましたら再びHさんから電話があり「やっぱり今から行くわ」と言って下さいました。
Hさんが来られるので、起きようとしたところ自分の体が汗だくな事に気付き、びっくりしました。私はいつの間にかグッスリ寝てこんなに大量の汗が出たの かと思いましたが子供の事も気にしながらなので、たぶんそんなに寝てはないだろう、不思議だな?と思いました。しかし起きてから明らかに先程までとは状態 が違い体がすごく楽になって思うように動けるようになっていました。「あーこれならHさんに来て頂くのもなんだか申し訳無いなー」と思い連絡しようかと 思いましたが「やっぱり妊婦だし来て頂いた方が安心出来る」と思い、そのまま待つことにしました。
Hさんに来て頂きご浄霊をいただく時に先程電話を切った後にすごく汗をかき、かなり回復した事を伝えました。するとHさんはご祈願している時にかなり 熱くなってきて、私が熱を持っているんではないかと感じたからやはり行った方がいいと考え、再度電話を下さった事を教えて下さいました。私はその話を聞い て驚きました。そのご祈願して下さっているほぼ同時刻に私は大量の汗をかき、その後かなり回復するというご守護をいただいていたのです。支部にいるHさ んとここで寝ていた私が同じ状況になっていたとは・・・メシヤ様とHさん、そして私の3人が繋がったの?と心の中で思いました。

ご浄霊をして頂くと、すぐに額と後頭部から汗が流れてきて、体の中心に汗が落ちていきました。拭いても拭いても流れ出てくる汗に私は大変驚きました。そして途中から体がとても楽になり、ほぼ回復していると思いました。
普段の私に戻ったからなのか、娘のテンションも急に上がり母の笑顔が戻るとこんなにも娘も変わるのだと強く感じました。そしてすぐに「私にもご浄霊をして」と娘が言い、再度驚き親子の繋がりをすごく感じました。
今回、支部と離れていても直接メシヤ様と繋がる事が出来るという事を深く感じさせていただきメシヤ様にご祈願をしてもらえる、ご祈願出来るという事は大変ありがたい事なのだと改めて思いました。
(平成22年10月 Yさん)

覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて

  令和6年7月1日 覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて   三救責任者 月次祭おめでとうございます。   参加者一同 おめでとうございます。   三救責任者 令和六年七月度 覚りの旅の資料を最初に拝読していただけますか?   参加者 令和六年七月度 覚りの旅 資料 1 は...