令和3年12月23日
令和3年12月 メシヤ様御降臨祭を終えて
三救責任者
皆様、メシヤ様御降臨祭おめでとうございます。 
先ほど司会からメシヤ様御降臨祭の意義を読んでいただきました。
主神様は天地創造の時に、現代に照準を合わせてメシヤ様を人間(現身)を持ってこの地球に、地球を救うためにおつかわし下さいました。 
そして、その使命を全うすべく主神様直接の御啓示をお説きになられ、救いの御力を弟子にお授けになられました。 
本日はこのことを改めて認識させていただいて、認識させていただいたからこそ、
メシヤ様の御教えを伝え、浄霊という救いの業を実践していく気持ちを持って、新しい年を迎えさせていただきたいと思います。 
私たちの御神業の根幹でありますので、令和3年年報 『覚りの旅』を振返って を先日お配りしましたが、そこに書いてありますように、昨年と同じ話をさせていただきました。 

この続きのところにですね、今年の漢字ということで、話を去年もさせていただきましたけども、その続きということで、 

先般、今年の漢字が発表されました。 ご存知でしょうか。 

参加者
「金」

三救責任者 
はい。 今年の漢字は「金」。 

図1
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発表されているのがですね、
令和元年が 令
二年が 密
三年が 金
『覚りの旅』を振返って の年報でも書きましたように、私共の方では
元年に 生
二年に 程
今年は 靈 かなと思うんです。
これは私が思うことで、靈かなと。靈というのは、こういう字を書きます。

図2

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図3

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図4
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これはですね、 漢字の成り立ちのところで調べるとね、 雲から雨がしたたり落ちる形。 
これは口の象形文字。ここのところは神を祭るとばり。とばりとは区切り。区切りの中で祭具(神様の御神具)を捧げる象形、 ということで成り立っています。 
だから、祈りの言葉を並べて雨乞いをする巫女を意味し、そこから神の心巫女を意味する霊という感じが成立ったそうです。 
ですから霊という字には祈りという意味もあるように思います。 
それがこういう漢字になったと。 
ということで、発表された「金」と「靈」について話をさせて頂こうかなと思います。


図5
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「靈」ということで、ちょっと考えてみたんですけども、幽霊病床って聞いたことあります?聞いたことあるよね。 
今の新聞に出ている話ですね。 
コロナの関係で病院がベッドを空けてよ、ということで政府がお金を払っているわけですね。それで、空床補償対象なのに稼働していない状況があると。それで、入院できずに自宅で亡くなってしまうことがあったということで、幽霊病床。
これ21年12月17日の朝日新聞ですけども、補償をもらいすぎかもと病院が言っています。 
今まで慢性赤字の病院がコロナで黒字化になったんですって。 
2019年まで数年間は7億円の赤字が続いていたけども、20年度は9億円の黒字になったという話がありました。皆さんが病院に入りたがるということで、それに政府が対応しようととった政策の結果がこういうことになってきているのかなという風になります。 

今度は「金」ということで、悪銭身に付かず。 金ですね。
悪銭身に付かず という御教えがございます。 
例えば株等の話で、これは『光』14号、昭和24年6月25日の御教えですけども。 

相場なるものは、まず百人損をして一人儲かるという事をよくいわれるがその通りである、一時は一獲千金の儲けによって成金となっても、それが長く続く者はまず一人もあるまい、しかも大儲けをする者程大損をするものであって、儲かれば儲かる程その人の前途は断崖が口を開けて待っているようなものである、まず霊的にみればこうである、・・・

これは、「霊」と「金」 ということについて検索して引っ掛かってきました。引っ掛かってきたものは皆さんに伝えた方がいいかなという私の思いでこれを話しています。

・・・まず霊的にみればこうである、損を蒙(こうむ)った大多数者は、口惜しい残念だどうかして損を取返したいと思うのは人情である、従ってその怨みの想念がどこへ行くかというと、自分の金を吸いとった人間に行こうとするが、それはどこの誰だか判らないので、自然取引所を目がけて集中するばかりか、それが紙幣に集まるという事になるのである、この際霊眼によって見れば取引所にある紙幣の面には怨みの人間の顔が何千何万となく印画されており、その一つ一つの顔と、その本人とは霊線で繋っているから、取返そうとする想念がそれを常に引っ張っているという訳で、その紙幣は所有主の金庫には決して永く安定してはいない、いつかは引っ張られるから大損をし一文なしになってしまうのである。右は投機ばかりではない、金銭上のあらゆる事に共通するのである、いわば不正によって得た富や与えるべき金銭を与えなかったり、故意に減らしたり、借金を返さなかったりする場合、先方は怨むから矢張り前述のごとく吐き出さざるを得ない事になるのである。

それから、ここに献金の事が書いてあります。

例えば信徒または末寺に対し一定の額を定め強要する事があるが、これは自然ではない、信仰的献金としては本人の自由意志によって任意の額を決めるのが本当である、気持よく献納する事こそ真の浄財になるのである。

自由意思ということですね。それから、

相場をとる目的でなく、金利すなわち配当をとる目的で買うのは結構であって、これは何ら怨みを買うような事にはならないのみならず、むしろ産業発展のため有要な事であって大に奨励すべきものである。

ということが、ここに出ておりました。

それから次の御教え。 
金。 
金(きん)は かね とも読みますね。

図6
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金が錆びる。 
鉄も金の字が入って。
金が錆びるのは霊が脱けて表面が屍になったから錆びるのだそうです。 
それでもう一つ金について。 
今度は光ということで考えると、金にも色々あって、金色っていうのも金ですね。 
色でいくと金色というのは位が高いですよね。 
『栄光』 222号。昭和28年の御教えですけども。 
小学5年生の子供が光を見たということで、大人が見たよりも潜在意識がないだけ余計信を措かれるというものですね。

ということで、これはどういうことかというと、「御守護を戴いてからの二カ年」三重県中京教会ですって。 61歳。 
これは、壁や板等は勿論、鉛の板でも何等妨げにならず、透き通って進む事を確かめました。この御光は御神体からは、先が判らぬ程遠くまでも照らされておりますそうで、・・・ということで。 

それから日光殿で見られたのは、メシヤ様がお出ましになられると、御神殿中が金色の御光に満ちたということで、小学校の5年の子が見られたそうです。 

もう1つ、 「光が見える」、 というのが。 
言葉によって光の色が違う。 
ということで、そのまま読むとですね、『栄光』112号。昭和26年です。 
光が、見える話は、今までにもチョイチョイ御蔭話中にも見るが左記の話は光、色、霊衣等色々の種類が見え、しかも潜在意識などのない九歳の少年であるから、特に面白いと思うのである。この事は私の書いたものにことごとく出ているから、信者は知っているであろうが、その中で言葉によって色が違うという事は面白いと思う。これは確かにある事で、よく言われる黄色い声とか、白々しい事をぬかすとか、そんな話を聞くと暗くなるとか、そんな言い草はまだ青いよ、などの言葉もあり、実に面白いものだと思う。

という事で、 「言霊から御光が出る」。 兵庫県の人ですけども。
天津祝詞ですね。ちょっと読みますと。

やがて先生が天津祝詞を奏上されると、その口元を不思議そうに眺めていたその子は、「おじさんの口からも金色の光が出る」と申すではありませんか、並み居る一同唖然としていると、先生が「では今度はどんな色ですか」、と「馬鹿!阿呆!」と怒鳴られました。すると、「あー、薄黒い色になってしまった」 そして先生の話される言葉の内容、調子によって、絶えず言葉の色はあるいは黄や白や種々の色に変化していくのだそうです。 
私共は、常に言霊ということを伺っております。そして、人の発する言霊のいかんによっては、霊界や、いう人聞く人の魂を曇らせたり、浄めたりするのだから、すべからく美しき言葉、人を褒め讃えたりすべきで、悪口雑言、愚痴、泣き言を慎むべきだとのご注意をいただいておりましたが、今目前にこの奇跡を見せられて、今更に一同感じ入った事でした。 

それから、霊衣の事かな。 

各人の輪郭の上に厚いのは一尺近くから数寸、更に一寸位迄に白い色の影が見えると申します。勿論熱心な信者の方で、その熱心の信仰の度合に順じ、更に未入信の方は、熱海参詣勤労奉仕した方から、順次中教会本部、教会への参詣の度数に応じて厚薄が歴然とあり、不熱心な方、更に未入信の方は、ほとんどあるかなきかで、その判然さに一同感激また一入のものがありました、霊衣とは魂の光で、敬虔なる者、善を考え、善を為し、健康なる者程厚く、その反対の者程薄く、霊衣が厚ければこそ、種々の危難危急を免れる実例の御話等で、その夜の講話会は一入感銘深きものとなりました。

これは、昭和26年7月11日発行の『栄光』です。
それから、もう一つ。
全ての物質は霊と体から成立っている。 
これはですね。「病気の本体は魂なり」 ということで、『日本医術講義録』の昭和10年。 
87年前の御教えからです。

この現象界におけるあらゆる物質は悉(ことごと)くが霊と体から成り立っているのであって、物質が腐敗したり、腐朽したりするのは、霊が抜けてしまうからなのである。金(かね)が錆びるというのは、矢張り、霊が抜けてその表面が屍になったからなので、錆は、金の死骸とも言えるのである。しかし、よく磨いた刀や昔の鏡が、錆が少ないのは、その工作者の霊が加わっている為である。 
人間は、精霊許(ばか)りかというとそうではない。精霊ばかりなら、物質と違わないのであるが、すべて動物は、精霊の外に、否、精霊の中に心があり、魂があるのである。即ち、精霊の中心に心があり、心の中心に魂があるので、その大きさは、心は精霊の百分の一で、魂は心の百分の一の大きさが本当である。 

図7
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であるから、最初、魂が動いて心が動き、心が動いて精霊が動き、精霊が動いて肉体が動くのであるから、
人体の運動は因より、あらゆる肉体現象の本源は、魂そのものから出発するのである。これを善悪に分ければ、肉体が悪であって心が善であり、心が悪であって魂が善であるのである。この善悪、善悪、善悪の軋轢が調和となり、それが、活能力となって現われるのである。
 
魂、心、精霊ということですね。 
それで、この一番元の魂にさえ曇りが出来なかったら、絶対に病気には罹らない。
魂に曇りが生ずるのは、それが罪穢れですよ、ということが、ここの御教えにありまして、この頃、指圧療法で、

我指圧療法は、観音の光に依って、この精霊の曇を解消するのであり、その曇が解消すると同時に、膿汁が溶解し、病気が軽減または消失するのであるから、この精霊の浄化が肉体へ映って病気は治癒するのである。魂が全く浄化されなければ、真の安心は出来ない訳である。魂の浄化とは、その人が正しい信仰を把握し、その行を実践するのでなくては徹底しないのであって、その行が観音行であるのであるから、そこまで行けば罪穢の発生は全然無くなり、反対に徳を積む人となるにより、無病息災所か、歓喜法悦に満ちた生活が出来、福徳長寿の幸を得て、一家弥栄(いやさか)える事になるのである。

それと、

能(よ)く物に驚き易い人や、いつも不安状態で、何となく、そわそわしている人とがある。これらは、その魂が弱っているので、外界の衝動に対する抵抗力が、薄いからである。現今非常に多い、神経衰弱というのはこういう人である。この原因は、矢張り魂に曇があるから弱るので、こういう人は多く首筋に毒血の凝血が必ずあるので、これを溶解すれば治るのである。これが激しくなれば不眠症を起すのであって全快後も、再発の患(うれい)を無くするには観音信仰に入り魂が光に照され曇の生じない様にするのが、最良の方法である。

図8
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だから今は、魂の浄化。 
正しい信仰の把握。 
行の実践。 
行の実践というのは観音行ですよと。

そうすると、観音行。

図9
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観音行というのは難しいように思うけども
常識的 偏らない。 
本来行うべき事を行い、為すべきを為す。 
当然の事を適切な行為によって遂行する。 
ということですね。
普通にしていたら観音行なんですね。 
突飛なことしなければ。普通にしていればいいという。 
難しくないですよね、観音行。 
だけど、偏ってしまうんですね。偏らないっていうことです。 
私たちはだからこの観音行をですね、もう一度初心にかえってですね、実践していけるように心掛けていきたいと思います。 

図10
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最後にですね、『天恩地惠』の年報が36号ですね。 
ちょうど ミロクの号 でした。
今印刷していますけども、37号が メシヤ講座三重1~46号。 
それで、38号が、メシヤ講座三重 47~77号。
39号、サンキューですけども、これは今作成中です。 
ページ数が、37号のメシヤ講座三重が表紙を含んで330ページになりました。 
それで、38号が表紙を含むと336ページ。表紙は4ページあるよね。表裏表裏で。4ページあるので、332ページです。

図11
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1ページ足すと333だなと思っただけで・・・。332に1を足すと333ですね。 
残りの1ページは私達の「覚りの旅」かなと。

図12
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ということで、 想いを繋いで いけたらなと思いますので、また来年、令和4年、よろしくお願いしたいと思います。 

「靈」と「金」
について話をさせていただきました。 
ありがとうございました。 

司会
以上をもちましてメシヤ様御降臨祭を終わらせて頂きます。

三救責任者
どうもありがとうございました。

参加者一同
ありがとうございました。