令和5年11月1日
覚りの旅 令和5年11月 月次祭を終えて
三救責任者
皆様、月次祭おめでとうございます。
参加者一同
おめでとうございます。
三救責任者
十一月になりました。十一は統一であり、十と一、とう(十)いつ(一)が なる(也)。
十と一で土の字になります。地の字は十、十というのは神(御教えであります)、一というのは大地、それが成ると書きます。御教えで、
『統一が成る事になれば、今までは土でなく泥であったから固まらずにいたのである。その為地震があったり、何かしたのである。今後において、完成する時、初めて大地となるのである。
地となれば地震や色々の災難も無く地上天国となる。』
と、昭和10年観音講座 第三講座にあります。
この御教えによると、統一(十一)は組織や民族の統一ではなく、十(神)と一(大地)が成ること、完成すること、神様と人の十一(とういつ)が成って地震や災難のない地上天国が出来ると読めると思います。
私事ではありますが、今月で63才になります。
メシヤ様は72才と49日の御生涯であられました。
先生は62才と38日の間メシヤ様の御弟子として数々の功績を残され、霊界において今もなお、お働き下さっております。
私は本日で62才○○ケ月○○日になります。
先生の大地におかれての御神業の歳月と、神界と大地、霊界と大地、二つを結んで始める、そういう大きな大きな想いを持ちたいと思います。
本日の御教えは『仏教の起源』です。拝読をお願い致します。
参加者
『文明の創造 仏教の起源』 拝読
三救責任者
はい、ありがとうございます。
『仏教の起源』ということで、
観世音菩薩の御本尊は伊都能売神である。
ここがこの御論文では一番言いたい事かなと思います。概略を言いますと、
仏身というのは、本来の仏身と神の化身と二通りある。
仏は2600年以前、釈尊の時から生まれた。
バラモン教は難行苦行で宇宙の真理をつかもうとするもの。
達磨も二人あって、聖徳太子に会っていた達磨も居る。
釈尊は皇太子であったけども、修行を終えて大覚者となった。
釈尊の教えとしては経文を読むことによって覚りを得る。
バラモン教に比べて安易な修行であったから、万民受けした。
釈尊は印度の救世主となった。
全印度を仏法化した。
これが、仏教の起源である。
だいたいこういうことかなと思います。
ですから、観世音菩薩の御本尊は伊都能売神であるということを念頭において、仏教の起源という事を考えるための御論文であると思います。
ここに、達磨の話が出てきたので、達磨という事で調べましたら、奈良に片岡山達磨寺というお寺がありまして、
聖徳太子が片岡に遊行した際、飢人と出会い、助け、その飢人の亡がらを埋葬したところ、遺体が消えてなくなったとある。後世その飢人が達磨大師の化身だったとされ、その埋葬地に達磨寺が開基されました。達磨大師の古墳の上に本堂が建てられ、聖徳太子坐像、千手観音像、達磨大師坐像が御本尊として、三尊形式で祀られています。
太子と達磨大師が歌を詠み交わした「門答石」という石もあるそうです。
こういうことが、ネット上で上の方でヒットするんですね。
もう一つ、達磨という事で調べていますと、関西巡教御講話 昭和27年10月18日ですけども、「日本寺に石仏」ということで、
達磨、観音、釈迦、阿弥陀、釈迦の十大弟子から羅漢、仏教に関係した仏様は全部日本寺に網羅してある。
入口に、御釈迦さんが行をした沙羅双樹。樹下石上といって石の上で行をされた。それで、あそこは仏界の型なのです。
日本寺というのは仏界の型であったということです。
日本寺は日本における仏界の型です。
達磨を調べていたら、日本寺がヒットして、日本寺は仏様を全部網羅している、仏界の型だという事で、天啓、天照皇大御神様をお迎えされるという大神事が行われた理由を伺い知ることが出来るのではないかと思います。
仏滅から神世界への初まりということと解釈できるのではないかと思います。 解釈の仕方は色々です。
鋸山、日本寺については、昭和60年6月21日の浜松神界通信に、「鋸山天啓日 仏界の閉鎖」というタイトルで出てきます。今回の学びと関連性があると思いましたので抜粋して紹介させて頂きますと、
あじさいの花言葉には移り気、地界の移りかわり行く様をあらわすべく作られた花。
すべては移り変って栄えてゆく、いつも同じでは駄目。
(神様が)移り変えさせてもおるわけであろう。
変ってこそ発育向上がある。
昨日の自分と今日の自分とが変ってゆくはず。
変わらない様でも時によってグゥーッと変へられてゆく場合もある。
正神系、邪神系、何れかによって変らせる。
ある日突然邪神の憑霊によってグラッと変ってゆく人間も数多ある。
すべてを明らかにさせられる時。
○○聖地は教えをゆがめず、真っすぐに正確に伝えたいと、メシヤ様がサンプル的にお造りになられた。
メシヤ様の御在世中でさえ、邪神がまわりをウロチョロしていた。
現在に至りては、あきらかに邪神で御座ると金看板を揚げて掛ってくる輩がある。物騒千万といへよう。
六月十四日、十五日の鋸山行き、
一回目はすべての霧と雲をうち掃ひて、関八州を一望に絶景を見せた。
二回目は日輪の舞ひを見せた。霊界が真昼間にすすんでゆく有様を肉眼でみせた。
だから、夜昼転換の意味にもなりますね。
三回目は日輪は前年よりも光りを放つも、幾重にも閉じて、碧雲に遮えぎられて顔をみせなかった。
碧雲というのは青みを帯びた雲のことです。
これは邪神に遮られようとも、御神業は進んで行くんだという事の意味合いかなと思います。
千両役者が多いのでわざと碧雲ということを見せたのだという事かなと思いました。
読み方は難しいかなと思います。
碧雲というのは、碧雲荘ということをパッと思うと思いますけども、昭和29年6月5日碧雲荘にて
ということがあって、この時、メシヤ様を「メシヤ様」と御呼びするということで、
管長 「御祝い申し上げます。今日の御生誕の儀、おめでとうございます。信徒一同日々の御守護、厚く御礼申し上げます。
メシヤ様 「メシヤ降誕と言ってね、メシヤが生まれたわけです。言葉だけでなく事実がそうなんですよ。私も驚いたんです。生まれ変わるというんじゃないですね。新しく生まれるわけですね。」
という御教えがございます。
「メシヤ」と呼びなさいという、メシヤ様のメシヤ降誕とも言えますね。6月5日。碧雲ということで、そういうことを思いました。
昭和6年6月15日 神界の夜明けを天啓日と受取る。
昭和6年鋸山、天照皇大御神様をメシヤ様が御迎えになられた、昭和6年6月15日。これは男。
今、浜松神界通信の解釈をしています。
昭和60年6月15日 (昭和6年の6に0を付けた60年6月15日) 仏界の閉鎖をハッキリ行わせた。これは女の人で行わせたということが出てまいります。
昭和50年、10月11日に型として実施したかったが、事情許されず、九分九厘の時にストップさせられたとあります。これは、調べても何の事を仰ってるのか分かりませんでした。何かあったんでしょうね、教団で。昭和50年という事ですので、50という事で考えると、1950年は昭和25年、これは非常に重要な年でしたね。ミクラタナの神様が光の玉に宿られた時でもあるし、非常に多くの御神事が行われた年でもありました。
50として、何かをなそうとしていたのかもしれません。
昭和60年6月15日、昭和61年、昭和62年、平成元年(昭和63年)、3年経って仏界の一大勢力完滅した。
だから、昭和60年6月15日、突如として選んだこの日、神仏混合でなく神一本立ちとなった。男がすすみ、女でしめるのが今迄の三千年。
2001年より男と女で同時にすすむのが みろくの御代。
2001年、21世紀になって男と女で同時にすすむのが みろくの御代。
地上天国が出現する。
だから、みろくの御代 というのと、地上天国 というのと、同じ意味で使われている。同義語。
四魂の調和ということで、四面平衡の世となる。
四面平衡ね、凸と凹が組み合わせると四面、これが丸やかになると○になる。
平衡というのは、つり合いがとれていること。均衡。物事が安定した状態。精神の平衡を保つ、という風に使われますね。
先程の続きで、
男は女をよく理解して女性の特技性を活かし、女は男のたくましさ、すべてを切開いてすすむ特(得)性をみとめて、これに従うという正に正神界を地でゆくわけであり、四面四衡とは申せ、丸るやかに和する、という軟らかもあろう。
四海波静かな御代となるであろう。
この時は立会人が十八名、一ではじまって八で開くというめでたい数霊であった、と、18の数字の事を仰っておられます。
新しき世の建直しの一駒としての大経綸仏界の閉鎖が終了したのであり、これからは仏は一切通らないのであり、神一本の世となり、移り変ってゆくのである、あたかもあじさいの花の如く、咲き乱れてゆくであろう。
益々霊的学びにはげめよ。
こういうことが、浜松神界通信に出ているのを思い出しまして、今、四面四衡、四魂の調和ということで・・。四という数字は悪い数字ではないですね、四面四衡ということも言えますし。
四魂ということで、前にもお話ししましたが、
徳仁陛下の字を考えた時に、
徳は、四つの心を結んで行ずる と分解するとよめますよね。
四魂を結んで(調和して)行ずるのが徳だと言えると思います。
『四魂の調和した働きを伊都能売の働きと言い、観音行である』という御教えがございます。
伊都能売、観音、四魂ということが、こういう御教えでも出てきているわけです。
もう一度言いますと、
『四魂の調和した働きを伊都能売の働きと言い、観音行である』
四魂とは、荒魂(あらみたま)、奇魂(くしみたま)、幸魂(さきみたま)、和魂(にぎみたま)である。
荒魂(あらみたま)というのは、勇気。
奇魂(くしみたま) というのは、智慧です。 叡智は〇ですけども、 奸智とか才智はダメですよという話をしました。
幸魂(さきみたま) というのは、慈悲であり、愛です。人を幸せにする気持ち。
和魂(にぎみたま) というのは、親。人と親しむ、怒らないこと
荒魂(あらみたま)、奇魂(くしみたま)、幸魂(さきみたま)、和魂(にぎみたま)で四魂といいます。
徳というのはこの四魂を結んで(調和して)行う。
伊都能売の働きを令和の時代は行っていくのだと。
その働きを日本という国は霊の国なのですから他の国の規範となって霊主体従の活動を、私達御教えを学んだものが行っていくならば、必ずや地上天国は建設されるのだと思います。
これは、令和2年5月5日の御神体御出現記念祭においての学びの内容であります。
四魂という事から、そういう話をさせて頂きました。
もう一つ四ということで、御歌ですが、読んでみて下さい。
参加者
四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
三救責任者
これは、明治天皇の御歌です。1904年です。
世界は全てが兄弟姉妹である平和な時代であると思っているのだが、どうして波風が立つような動乱の兆しがみえるのだろうか。
という風に解釈されるかと思います。この御歌について、
1941(昭和16)年9月6日 日米開戦の是非を問う御前会議において、昭和天皇は会議の最後に、明治天皇のこの一首の歌を読みあげられました。
『自分は常に明治天皇の平和愛好の精神を具現したいと思っておる』とお述べ遊ばされました。
戦争不可、外交努力をいっそう推進せよという意志の表明だと思われます。ところが、この国は(日本は)、天皇の意向を無視するがごとく戦争の道を選んだわけです。
『四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ』という御歌は、明治天皇が日露開戦当初に詠んだ御歌だったんですね。
「昭和天皇の、大東亞戦に臨ませられる大御心も明治天皇といさゝかもお変りあそばされぬのである」と、全く解釈を歪めて、軍部の方は解釈を曲げて、戦争に突き進んでいったということです。
昭和天皇としては、切り札のように使った「ことだま」、明治天皇の御歌を「ことだま」として、平和を願っているんだという「ことだま」を使ったはずが、すり替えて読まれて逆に利用されてしまったと。
北海道神宮に明治天皇を参拝した故に、この御歌を紹介することになったのだと思いました。
御歌と言えば、令和4年の三救祭の時に、三救発足の頃に、美智子妃殿下の
「かの時に 我がとらざりし 分去れの 片への道は いづこ行きけむ」 という御歌を紹介させていただきました。
また、その時の意味合いとしては、令和4年の10月10日の話を見て頂ければと思います。
先程の浜松神界通信の続きの話になりますけども、男で初めて女で終わるという話、ある意味、先生が初められたメシヤ教を終わらせたのも女性だと言えるのではないかなと。(省略)
皆さんがどのように考えられようと、自由であります。
私達は御教え、メシヤ講座、浜松神界通信を受け継いでいます。
継承とは組織の継承ではないと思います。
受継ぐべきは、「教・論・律」であると思います。これは、今は結ノ和のホームページにそのまま継続して載っております。
「教・論・律」
教とは、今で言えば御教えであり、メシヤ講座であると言えると思います。
論とは、御教えにてらして世の中を見つめ周辺に起きる事象を判断すること。判釈していくこと。
律とは、論に基づいて、どのように生活をするか。
御教えを基にして世の中を見つめ、どのように生きるかを求めていく。
メシヤ講座というのは、御守護を頂く秘訣を学んでいるんですよという事が、当時のメシヤ教のホームページのトップ、今の結ノ和のホームページに出てまいります。
御教えを知っているだけの人はいくらでもいるのですが、論、律が無いというのが・・、知っているだけというのでは、現実世界に当てはまっていかないですよね。だから、「教・論・律」ということを大切にしていきたいなと思います。
今の仏界の閉鎖の神界通信の事については送らせてもらってありますので、また詳しくは見ておいてください。
大河ドラマで「どうする家康」で、秀頼の事が出てきていますね。
秀頼の事についても、浜松神界通信に出てきますので、読ませてもらいます。
浜松神界通信 平成元年7月30日 (概略)
(メシヤ様は日本三大武将として、信玄、家康、秀吉という風に選ばれようとしたと前にも紹介したことがありますけども、そうした時に、秀頼が自分の実父は誰なのかという事があって、色々と妨害をしようとした。霊的にね。)
秀頼を呼出して
「汝の実父秀吉こそは天下の三大名将なり、わしはお前をしかと認めしめるため、いつ迄も執念を燃やさず、サラリと水に捨て去りて、父、秀吉の栄誉と讃へるべし。
汝、父、秀吉を尊敬致して世のための今度こそは落城ではなくて築城の使者として日本国三大名将の中へ父が加わるのであるから、よいか、今迄のさもしき心を打ちすてるべし」と懇々悟しやりせば、大きな両眼より豆粒の如き涙をハラハラと落として平伏致し、
「尊き最高位の神様より、私如き、成り上り者を父とし、ごうまんなる女子を母と致して生を受けてのあの如く多勢の将兵を死においやりし大罪の者に、かくも厳しきにも優しく父迄もおみとめ下さり世に立て御使い頂けるとは、秀頼、これ以上の光栄はございません、世間で取沙汰されている如く例へ私の父がまぎらわしく共、本日よりは、立派な実父として太閤殿下に御祝詞を申さるべく覚悟でございます。私が悔い改めし事により、天下の大いくさ関ケ原、大坂夏・冬の陣も之にて終結致し、この国へ真底なる和平と成り戦国の世は終りを告げた事と相成る事が分らせり本当に申しひらきも御座いません」との返答なり。これにてすべては解消せり、皆の者、家康の因縁地、浜松と静岡より、ここ、Kの地へ如何にしても集まりたるは、かかる過ぎし世と申せ共、現界では昨日迄未解決なりせばなり、さればお前達が因縁地に生まれたり、
亦は嫁ぎきて住む様になるのも、かかる事々の事後処理をいたさせるためのものなりけれ。御苦労でありしことぞよ。
ここですね、大事なのは、因縁という事で。
因縁があって、○○の地へ集められたのだと。家康の因縁の事後処理のためご苦労様です、という事ですね。今年の大河ドラマが「どうする家康」、浜松の皆様との因縁もあるのでしょうね。
私も、最初の県外勤務地が岡崎でした。少なからず家康とは縁があるのだと思います。
神君伊賀越えというのも三重県ですからね。
因縁という事をよくよく考えないといけないのは、関われる神様、ご先祖様が、土地の縁、血の縁、あるいは霊統をたどって、メシヤ様の元で働きたくて、その願いでいろんな形で知らせてこられるのです。私達はまわりで起る出来事やいろんな人から聞かされる言葉を精査してメシヤ様の教えに集えるよう、働けるよう、誠一杯努力してまいりたいと思います。
因縁という事で、たまたま大河ドラマで今年、「どうする家康」をしているというのと、浜松神界通信というのは家康との関わり合いが結構あって、浜松と駿府城とKということがあって、過去のことではあるけども、いろんな昔自分達の元々のそこの土地の前世なりそこの土地の因縁というのもあって、関わってきた・・・目に見えない世界で、ものすごく分かりづらいですけども、そういう因縁という事を考えることも大事ではないかなと思いました。
もう一つ気になったのが、神界通信関連で○○〇教時代に霊界からの通信的なものがきておりました。
その中に出てくるのが、(概略)
・御教え「プロテスタントとカトリック」
・これが重要(よく読んで考える事)。
神界から現界にうつるのに時差があるので、当時言っていたけども、今に言っていることかもしれないなという目で見るとですね。
注意しなければいけないのは、いつもの方からというのは先生ではありませんから。
私達はメシヤ講座でハッキリと御尊影のことも、御神体のことも、先生から一貫して聞いているわけですから、ハッキリと言えないのでこういう書き方になっているのかなと考えます。
それをパッと捉えてしまうと、御神体が変っていくんだ、考えないといけないんだと思ってしまった人もいるのかもしれないと思いました。
「プロテスタントとカトリック」、 何が書かれているのかという事ですけども、
プロテスタントの無教会主義と、カトリックの教会主義との意見の相違である。無教会主義とは読んで字のごとく「教会を必要としない、聖書一本で進むべきである」というに対し、教会主義は「キリスト昇天後教会が先に出来、聖書は後から出版されたものであるから、教会は重要である」というのである。
この問題に対し、いずれにも理由があるが、私は霊的方面から解釈してみよう。
霊界においては、霊体一致の法則に従って、霊と物質の一致が原則である。
(霊体一致という事をしっかり考えないといけない、これはメシヤ様がハッキリと言われているわけです。)
霊が何等かの目的を遂行せんとする場合、物質を利用しなければならない事がある。
物質を介さないと弱いんだと。例えば、キリスト教は十字架にかかる、諸仏は文字にかかる、或いは絵画にかかる、彫像にかかる、人霊は多く文字へ憑依され、動物霊は人体又は文字、稲荷なら狐の形状したもの、お札等へ、龍神は文字又は蛇形のもの、石塊等である。だから、物質とか文字とか絵画に神様も人もかかるんですという事を言われています。
御尊影については、先生はずっと御教導して下さっておりました。(思い出してください)
目に見えないけど ⦿ を意識して、・・意識できないと弱いという事がありますね、先程の御教えからいくと。
観音様の 〇 ゝ を意識して、
御尊影の 〇 (光の玉) ゝ を意識して、
一貫して ⦿ (〇 ゝ) を意識しての参拝という事を教えて下さったわけで、それにつきるのだと思います。
皆様は、何で ⦿ の御神体なの?
なぜ、主之大御神様と御奉唱するの?
という質問に自信を持って自分の言葉で伝えて頂きたいと思います。
私は応身弥勒の働きになるのかなと思います。応身、弥勒は変わっていくから。観音様が元で、みろくに化けているのです。
メシヤとならせ、となっている今、よくよく考えねばならないと思います。
先程の話の続きで、誰が言われたかということですね、「いつもの方から御神体・御尊影について」ということで、先生ではなくて、先達の先生なんだよということ、先生はこの時「心の岩戸を開け」と仰っているのであって、メシヤ講座の中で、御神体・御尊影については、先生のお考えは明かされております。先達の言葉に惑い、私達まで御神体が変るんだとか、御尊影になるのだとか、考える必要はないわけです。
或いは、他のメシヤ様信仰の人達に向け ⦿ の御神体帰一していく事を示唆暗示していたと受け止める方がよいのではないかなと思います。
この様子を見る限り、霊界に行かれてからの方が言いたい事が言えず御苦労されておられるのだと慮ります。
だから、私達は先生のこのメシヤ講座を引き続き学んで、晩年されていた「覚りの旅」ということを継続して参りたいと思っております。
どうぞよろしくお願い致します。
また何か分からない事がありましたら、ライン等でも結構ですので、送って頂ければお答えさせて頂きたいと思います。
ありがとうございました。
参加者
ありがとうございました。
司会
以上を持ちまして月次祭ならびに一日祭を終わらせて頂きます。
ありがとうございました。
参加者一同
ありがとうございました。