2023年11月26日日曜日

覚りの旅  令和5年11月 月次祭を終えて

 令和5年11月1日


   覚りの旅  令和5年11月 月次祭を終えて

三救責任者

皆様、月次祭おめでとうございます。

 
参加者一同

おめでとうございます。

三救責任者
十一月になりました。十一は統一であり、十と一、とう(十)いつ(一)が なる(也)。
十と一で土の字になります。地の字は十、十というのは神(御教えであります)、一というのは大地、それが成ると書きます。御教えで、

『統一が成る事になれば、今までは土でなく泥であったから固まらずにいたのである。その為地震があったり、何かしたのである。今後において、完成する時、初めて大地となるのである。
地となれば地震や色々の災難も無く地上天国となる。』

と、昭和10年観音講座 第三講座にあります。

この御教えによると、統一(十一)は組織や民族の統一ではなく、十(神)と一(大地)が成ること、完成すること、神様と人の十一(とういつ)が成って地震や災難のない地上天国が出来ると読めると思います。

私事ではありますが、今月で63才になります。

メシヤ様は72才と49日の御生涯であられました。

先生は62才と38日の間メシヤ様の御弟子として数々の功績を残され、霊界において今もなお、お働き下さっております。

私は本日で62才○○ケ月○○日になります。

先生の大地におかれての御神業の歳月と、神界と大地、霊界と大地、二つを結んで始める、そういう大きな大きな想いを持ちたいと思います。

 
本日の御教えは『仏教の起源』です。拝読をお願い致します。

 
参加者

『文明の創造 仏教の起源』 拝読

 三救責任者

はい、ありがとうございます。

『仏教の起源』ということで、

観世音菩薩の御本尊は伊都能売神である。

ここがこの御論文では一番言いたい事かなと思います。概略を言いますと、

仏身というのは、本来の仏身と神の化身と二通りある。

仏は2600年以前、釈尊の時から生まれた。

バラモン教は難行苦行で宇宙の真理をつかもうとするもの。

達磨も二人あって、聖徳太子に会っていた達磨も居る。

釈尊は皇太子であったけども、修行を終えて大覚者となった。

釈尊の教えとしては経文を読むことによって覚りを得る。

バラモン教に比べて安易な修行であったから、万民受けした。

釈尊は印度の救世主となった。

全印度を仏法化した。

これが、仏教の起源である。

 

だいたいこういうことかなと思います。

ですから、観世音菩薩の御本尊は伊都能売神であるということを念頭において、仏教の起源という事を考えるための御論文であると思います。

ここに、達磨の話が出てきたので、達磨という事で調べましたら、奈良に片岡山達磨寺というお寺がありまして、

聖徳太子が片岡に遊行した際、飢人と出会い、助け、その飢人の亡がらを埋葬したところ、遺体が消えてなくなったとある。後世その飢人が達磨大師の化身だったとされ、その埋葬地に達磨寺が開基されました。達磨大師の古墳の上に本堂が建てられ、聖徳太子坐像、千手観音像、達磨大師坐像が御本尊として、三尊形式で祀られています。

太子と達磨大師が歌を詠み交わした「門答石」という石もあるそうです。

 こういうことが、ネット上で上の方でヒットするんですね。

 
もう一つ、達磨という事で調べていますと、関西巡教御講話 昭和27年10月18日ですけども、「日本寺に石仏」ということで、

達磨、観音、釈迦、阿弥陀、釈迦の十大弟子から羅漢、仏教に関係した仏様は全部日本寺に網羅してある。

入口に、御釈迦さんが行をした沙羅双樹。樹下石上といって石の上で行をされた。それで、あそこは仏界の型なのです。

日本寺というのは仏界の型であったということです。

日本寺は日本における仏界の型です。

達磨を調べていたら、日本寺がヒットして、日本寺は仏様を全部網羅している、仏界の型だという事で、天啓、天照皇大御神様をお迎えされるという大神事が行われた理由を伺い知ることが出来るのではないかと思います。

仏滅から神世界への初まりということと解釈できるのではないかと思います。 解釈の仕方は色々です。

鋸山、日本寺については、昭和60年6月21日の浜松神界通信に、「鋸山天啓日 仏界の閉鎖」というタイトルで出てきます。今回の学びと関連性があると思いましたので抜粋して紹介させて頂きますと、


あじさいの花言葉には移り気、地界の移りかわり行く様をあらわすべく作られた花。

すべては移り変って栄えてゆく、いつも同じでは駄目。

(神様が)移り変えさせてもおるわけであろう。

変ってこそ発育向上がある。

昨日の自分と今日の自分とが変ってゆくはず。

変わらない様でも時によってグゥーッと変へられてゆく場合もある。

正神系、邪神系、何れかによって変らせる。

ある日突然邪神の憑霊によってグラッと変ってゆく人間も数多ある。

すべてを明らかにさせられる時。

○○聖地は教えをゆがめず、真っすぐに正確に伝えたいと、メシヤ様がサンプル的にお造りになられた。

 メシヤ様の御在世中でさえ、邪神がまわりをウロチョロしていた。

現在に至りては、あきらかに邪神で御座ると金看板を揚げて掛ってくる輩がある。物騒千万といへよう。

六月十四日、十五日の鋸山行き、

一回目はすべての霧と雲をうち掃ひて、関八州を一望に絶景を見せた。

二回目は日輪の舞ひを見せた。霊界が真昼間にすすんでゆく有様を肉眼でみせた。

 

だから、夜昼転換の意味にもなりますね。

 

三回目は日輪は前年よりも光りを放つも、幾重にも閉じて、碧雲に遮えぎられて顔をみせなかった。

 
碧雲というのは青みを帯びた雲のことです。

これは邪神に遮られようとも、御神業は進んで行くんだという事の意味合いかなと思います。

千両役者が多いのでわざと碧雲ということを見せたのだという事かなと思いました。

読み方は難しいかなと思います。

碧雲というのは、碧雲荘ということをパッと思うと思いますけども、昭和29年6月5日碧雲荘にて
ということがあって、この時、メシヤ様を「メシヤ様」と御呼びするということで、

 
管長 「御祝い申し上げます。今日の御生誕の儀、おめでとうございます。信徒一同日々の御守護、厚く御礼申し上げます。

メシヤ様 「メシヤ降誕と言ってね、メシヤが生まれたわけです。言葉だけでなく事実がそうなんですよ。私も驚いたんです。生まれ変わるというんじゃないですね。新しく生まれるわけですね。」

という御教えがございます。

「メシヤ」と呼びなさいという、メシヤ様のメシヤ降誕とも言えますね。6月5日。碧雲ということで、そういうことを思いました。

 

昭和6年6月15日 神界の夜明けを天啓日と受取る。

昭和6年鋸山、天照皇大御神様をメシヤ様が御迎えになられた、昭和6年6月15日。これは男。

今、浜松神界通信の解釈をしています。

昭和60年6月15日 (昭和6年の6に0を付けた60年6月15日) 仏界の閉鎖をハッキリ行わせた。これは女の人で行わせたということが出てまいります。

昭和50年、10月11日に型として実施したかったが、事情許されず、九分九厘の時にストップさせられたとあります。これは、調べても何の事を仰ってるのか分かりませんでした。何かあったんでしょうね、教団で。昭和50年という事ですので、50という事で考えると、1950年は昭和25年、これは非常に重要な年でしたね。ミクラタナの神様が光の玉に宿られた時でもあるし、非常に多くの御神事が行われた年でもありました。

50として、何かをなそうとしていたのかもしれません。

昭和60年6月15日、昭和61年、昭和62年、平成元年(昭和63年)、3年経って仏界の一大勢力完滅した。

だから、昭和60年6月15日、突如として選んだこの日、神仏混合でなく神一本立ちとなった。男がすすみ、女でしめるのが今迄の三千年。

2001年より男と女で同時にすすむのが みろくの御代。

2001年、21世紀になって男と女で同時にすすむのが みろくの御代。

地上天国が出現する。

だから、みろくの御代 というのと、地上天国 というのと、同じ意味で使われている。同義語。

四魂の調和ということで、四面平衡の世となる。

四面平衡ね、凸と凹が組み合わせると四面、これが丸やかになると○になる。

平衡というのは、つり合いがとれていること。均衡。物事が安定した状態。精神の平衡を保つ、という風に使われますね。

先程の続きで、

 男は女をよく理解して女性の特技性を活かし、女は男のたくましさ、すべてを切開いてすすむ特(得)性をみとめて、これに従うという正に正神界を地でゆくわけであり、四面四衡とは申せ、丸るやかに和する、という軟らかもあろう。

四海波静かな御代となるであろう。

この時は立会人が十八名、一ではじまって八で開くというめでたい数霊であった、と、18の数字の事を仰っておられます。

新しき世の建直しの一駒としての大経綸仏界の閉鎖が終了したのであり、これからは仏は一切通らないのであり、神一本の世となり、移り変ってゆくのである、あたかもあじさいの花の如く、咲き乱れてゆくであろう。

益々霊的学びにはげめよ。

こういうことが、浜松神界通信に出ているのを思い出しまして、今、四面四衡、四魂の調和ということで・・。四という数字は悪い数字ではないですね、四面四衡ということも言えますし。

四魂ということで、前にもお話ししましたが、

徳仁陛下の字を考えた時に、

徳は、四つの心を結んで行ずる と分解するとよめますよね。

四魂を結んで(調和して)行ずるのが徳だと言えると思います。

『四魂の調和した働きを伊都能売の働きと言い、観音行である』という御教えがございます。

伊都能売、観音、四魂ということが、こういう御教えでも出てきているわけです。

もう一度言いますと、

 『四魂の調和した働きを伊都能売の働きと言い、観音行である』

 四魂とは、荒魂(あらみたま)、奇魂(くしみたま)、幸魂(さきみたま)、和魂(にぎみたま)である。

荒魂(あらみたま)というのは、勇気。

奇魂(くしみたま) というのは、智慧です。 叡智は〇ですけども、 奸智とか才智はダメですよという話をしました。

幸魂(さきみたま) というのは、慈悲であり、愛です。人を幸せにする気持ち。 

和魂(にぎみたま) というのは、親。人と親しむ、怒らないこと  

 
荒魂(あらみたま)、奇魂(くしみたま)、幸魂(さきみたま)、和魂(にぎみたま)で四魂といいます。 

 
徳というのはこの四魂を結んで(調和して)行う。

伊都能売の働きを令和の時代は行っていくのだと。

その働きを日本という国は霊の国なのですから他の国の規範となって霊主体従の活動を、私達御教えを学んだものが行っていくならば、必ずや地上天国は建設されるのだと思います。

これは、令和2年5月5日の御神体御出現記念祭においての学びの内容であります。

四魂という事から、そういう話をさせて頂きました。

もう一つ四ということで、御歌ですが、読んでみて下さい。

参加者

四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ

三救責任者

これは、明治天皇の御歌です。1904年です。

世界は全てが兄弟姉妹である平和な時代であると思っているのだが、どうして波風が立つような動乱の兆しがみえるのだろうか。

という風に解釈されるかと思います。この御歌について、

1941(昭和16)年9月6日 日米開戦の是非を問う御前会議において、昭和天皇は会議の最後に、明治天皇のこの一首の歌を読みあげられました。

『自分は常に明治天皇の平和愛好の精神を具現したいと思っておる』とお述べ遊ばされました。

戦争不可、外交努力をいっそう推進せよという意志の表明だと思われます。ところが、この国は(日本は)、天皇の意向を無視するがごとく戦争の道を選んだわけです。

『四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ』という御歌は、明治天皇が日露開戦当初に詠んだ御歌だったんですね。

「昭和天皇の、大東亞戦に臨ませられる大御心も明治天皇といさゝかもお変りあそばされぬのである」と、全く解釈を歪めて、軍部の方は解釈を曲げて、戦争に突き進んでいったということです。

昭和天皇としては、切り札のように使った「ことだま」、明治天皇の御歌を「ことだま」として、平和を願っているんだという「ことだま」を使ったはずが、すり替えて読まれて逆に利用されてしまったと。

北海道神宮に明治天皇を参拝した故に、この御歌を紹介することになったのだと思いました。

御歌と言えば、令和4年の三救祭の時に、三救発足の頃に、美智子妃殿下の

「かの時に 我がとらざりし 分去れの 片への道は いづこ行きけむ」 という御歌を紹介させていただきました。

また、その時の意味合いとしては、令和4年の10月10日の話を見て頂ければと思います。

先程の浜松神界通信の続きの話になりますけども、男で初めて女で終わるという話、ある意味、先生が初められたメシヤ教を終わらせたのも女性だと言えるのではないかなと。(省略)

皆さんがどのように考えられようと、自由であります。

私達は御教え、メシヤ講座、浜松神界通信を受け継いでいます。
継承とは組織の継承ではないと思います。

受継ぐべきは、「教・論・律」であると思います。これは、今は結ノ和のホームページにそのまま継続して載っております。

「教・論・律」

教とは、今で言えば御教えであり、メシヤ講座であると言えると思います。

論とは、御教えにてらして世の中を見つめ周辺に起きる事象を判断すること。判釈していくこと。

律とは、論に基づいて、どのように生活をするか。

御教えを基にして世の中を見つめ、どのように生きるかを求めていく。

メシヤ講座というのは、御守護を頂く秘訣を学んでいるんですよという事が、当時のメシヤ教のホームページのトップ、今の結ノ和のホームページに出てまいります。

御教えを知っているだけの人はいくらでもいるのですが、論、律が無いというのが・・、知っているだけというのでは、現実世界に当てはまっていかないですよね。だから、「教・論・律」ということを大切にしていきたいなと思います。

今の仏界の閉鎖の神界通信の事については送らせてもらってありますので、また詳しくは見ておいてください。

大河ドラマで「どうする家康」で、秀頼の事が出てきていますね。

秀頼の事についても、浜松神界通信に出てきますので、読ませてもらいます。

 

浜松神界通信 平成元年7月30日 (概略)
 
 (メシヤ様は日本三大武将として、信玄、家康、秀吉という風に選ばれようとしたと前にも紹介したことがありますけども、そうした時に、秀頼が自分の実父は誰なのかという事があって、色々と妨害をしようとした。霊的にね。)

秀頼を呼出して
「汝の実父秀吉こそは天下の三大名将なり、わしはお前をしかと認めしめるため、いつ迄も執念を燃やさず、サラリと水に捨て去りて、父、秀吉の栄誉と讃へるべし。

汝、父、秀吉を尊敬致して世のための今度こそは落城ではなくて築城の使者として日本国三大名将の中へ父が加わるのであるから、よいか、今迄のさもしき心を打ちすてるべし」と懇々悟しやりせば、大きな両眼より豆粒の如き涙をハラハラと落として平伏致し、

「尊き最高位の神様より、私如き、成り上り者を父とし、ごうまんなる女子を母と致して生を受けてのあの如く多勢の将兵を死においやりし大罪の者に、かくも厳しきにも優しく父迄もおみとめ下さり世に立て御使い頂けるとは、秀頼、これ以上の光栄はございません、世間で取沙汰されている如く例へ私の父がまぎらわしく共、本日よりは、立派な実父として太閤殿下に御祝詞を申さるべく覚悟でございます。私が悔い改めし事により、天下の大いくさ関ケ原、大坂夏・冬の陣も之にて終結致し、この国へ真底なる和平と成り戦国の世は終りを告げた事と相成る事が分らせり本当に申しひらきも御座いません」との返答なり。これにてすべては解消せり、皆の者、家康の因縁地、浜松と静岡より、ここ、Kの地へ如何にしても集まりたるは、かかる過ぎし世と申せ共、現界では昨日迄未解決なりせばなり、さればお前達が因縁地に生まれたり、

亦は嫁ぎきて住む様になるのも、かかる事々の事後処理をいたさせるためのものなりけれ。御苦労でありしことぞよ。

 
ここですね、大事なのは、因縁という事で。

因縁があって、○○の地へ集められたのだと。家康の因縁の事後処理のためご苦労様です、という事ですね。今年の大河ドラマが「どうする家康」、浜松の皆様との因縁もあるのでしょうね。

私も、最初の県外勤務地が岡崎でした。少なからず家康とは縁があるのだと思います。
神君伊賀越えというのも三重県ですからね。

因縁という事をよくよく考えないといけないのは、関われる神様、ご先祖様が、土地の縁、血の縁、あるいは霊統をたどって、メシヤ様の元で働きたくて、その願いでいろんな形で知らせてこられるのです。私達はまわりで起る出来事やいろんな人から聞かされる言葉を精査してメシヤ様の教えに集えるよう、働けるよう、誠一杯努力してまいりたいと思います。

因縁という事で、たまたま大河ドラマで今年、「どうする家康」をしているというのと、浜松神界通信というのは家康との関わり合いが結構あって、浜松と駿府城とKということがあって、過去のことではあるけども、いろんな昔自分達の元々のそこの土地の前世なりそこの土地の因縁というのもあって、関わってきた・・・目に見えない世界で、ものすごく分かりづらいですけども、そういう因縁という事を考えることも大事ではないかなと思いました。

もう一つ気になったのが、神界通信関連で○○〇教時代に霊界からの通信的なものがきておりました。

その中に出てくるのが、(概略)

・御教え「プロテスタントとカトリック」

・これが重要(よく読んで考える事)。

神界から現界にうつるのに時差があるので、当時言っていたけども、今に言っていることかもしれないなという目で見るとですね。

注意しなければいけないのは、いつもの方からというのは先生ではありませんから。

私達はメシヤ講座でハッキリと御尊影のことも、御神体のことも、先生から一貫して聞いているわけですから、ハッキリと言えないのでこういう書き方になっているのかなと考えます。

それをパッと捉えてしまうと、御神体が変っていくんだ、考えないといけないんだと思ってしまった人もいるのかもしれないと思いました。

 「プロテスタントとカトリック」、 何が書かれているのかという事ですけども、

 プロテスタントの無教会主義と、カトリックの教会主義との意見の相違である。無教会主義とは読んで字のごとく「教会を必要としない、聖書一本で進むべきである」というに対し、教会主義は「キリスト昇天後教会が先に出来、聖書は後から出版されたものであるから、教会は重要である」というのである。

 
この問題に対し、いずれにも理由があるが、私は霊的方面から解釈してみよう。

霊界においては、霊体一致の法則に従って、霊と物質の一致が原則である。

 (霊体一致という事をしっかり考えないといけない、これはメシヤ様がハッキリと言われているわけです。)

霊が何等かの目的を遂行せんとする場合、物質を利用しなければならない事がある。

物質を介さないと弱いんだと。例えば、キリスト教は十字架にかかる、諸仏は文字にかかる、或いは絵画にかかる、彫像にかかる、人霊は多く文字へ憑依され、動物霊は人体又は文字、稲荷なら狐の形状したもの、お札等へ、龍神は文字又は蛇形のもの、石塊等である。だから、物質とか文字とか絵画に神様も人もかかるんですという事を言われています。

御尊影については、先生はずっと御教導して下さっておりました。(思い出してください)

目に見えないけど ⦿ を意識して、・・意識できないと弱いという事がありますね、先程の御教えからいくと。

観音様の 〇 ゝ を意識して、

御尊影の 〇 (光の玉) ゝ を意識して、

一貫して ⦿ (〇 ゝ) を意識しての参拝という事を教えて下さったわけで、それにつきるのだと思います。

皆様は、何で ⦿ の御神体なの?

なぜ、主之大御神様と御奉唱するの?

という質問に自信を持って自分の言葉で伝えて頂きたいと思います。

私は応身弥勒の働きになるのかなと思います。応身、弥勒は変わっていくから。観音様が元で、みろくに化けているのです。

メシヤとならせ、となっている今、よくよく考えねばならないと思います。

 
先程の話の続きで、誰が言われたかということですね、「いつもの方から御神体・御尊影について」ということで、先生ではなくて、先達の先生なんだよということ、先生はこの時「心の岩戸を開け」と仰っているのであって、メシヤ講座の中で、御神体・御尊影については、先生のお考えは明かされております。先達の言葉に惑い、私達まで御神体が変るんだとか、御尊影になるのだとか、考える必要はないわけです。

或いは、他のメシヤ様信仰の人達に向け ⦿ の御神体帰一していく事を示唆暗示していたと受け止める方がよいのではないかなと思います。

この様子を見る限り、霊界に行かれてからの方が言いたい事が言えず御苦労されておられるのだと慮ります。

だから、私達は先生のこのメシヤ講座を引き続き学んで、晩年されていた「覚りの旅」ということを継続して参りたいと思っております。

どうぞよろしくお願い致します。

 また何か分からない事がありましたら、ライン等でも結構ですので、送って頂ければお答えさせて頂きたいと思います。

ありがとうございました。

 
参加者

ありがとうございました。

司会

以上を持ちまして月次祭ならびに一日祭を終わらせて頂きます。

ありがとうございました。

 

参加者一同

ありがとうございました。

覚りの旅  令和5年10月10日 三救祭

 令和5年10月10日

   覚りの旅  令和5年10月10日 三救祭

stand.fm


司会

祭典5分前になりました。10月10日は三救のご神業始まりの日であり、結びの月、結びの日です。
3月3日、5月5日の祭典と同じく、10月10日もまた百(もも)の祭典と言えます。
全ての神様が主神様に帰一していくことを認識させて頂く祭典とさせて頂きたいと思います。
⦿(す)の言霊を認識させて頂く為に大石凝真素美翁の文章を初めに先達が朗読いたしますので心静かにお聞きください。

三救責任者

 pastedGraphic.png








司会

ただ今から、三救祭をとり行わせていただきます。

天津祝詞、善言讃詞奏上



三救責任者


天津祝詞、善言讃詞奏上



三救責任者

皆様、三救祭おめでとうございます。


参加者一同

おめでとうございます。


三救責任者

三救祭に初めて参拝される方もおられますので、今迄の私の挨拶内容から経緯を振りかえらせて頂きます。


平成30年、2018年が初めての三救祭でした。

三救での御神業が始まるということで、この時は『大千三千世界は主神様御一方が主宰され給う』これは『仏滅と五六七の世』、昭和27年『文明の創造』に書かれている御教えです。『仏滅と五六七の世』はちょうど今月学んだ御教えであります。そして、伊都能売大御神様について、新しい生命の息吹と関係があるのだということをお話しいたしました。

救いの三本柱ということで、Three Pillars of Salvation TPOS)救いの三本柱、三救として御神業を始めた年であります。この日から始めました。三救のいわゆる開教記念日でもあるのです。

 

令和元年は2019年。

十月十日は結びの月で、結びの日である。

この年は、即位の礼がこの月に行われております。皇位の継承を世界中に知らせる時代の節目でありました。

王権のシンボルが皇祖神に受け継がれ、現代にメシヤ様に受け継がれ、すべての神様が主神様に帰一していくことを認識させて頂く、という祭典でありまして、

三救 → 加良比乃神社 → 三救 という参拝をさせていただいております。

 

令和2年、2020年は

『神様はご自分から祭りをしてくれとは決して仰るものではない、信者からどうぞお祭りをさせて頂きたいと申し上げなくてはいけいけないのだ。』 世界救世(メシヤ)教の秋季大祭がこうして始まったのだというお話をさせていただいております。

10月26日というのは、岩戸観音堂の方は、先生がそういうことを認識して始められたのだと拝察しております。

10月10日は加良比乃神社に関することとして、三救祭として三重で始めております。

ここでは万教帰一、帰一ということで、所属、神様が異なっても元は主神様御一方である。一神にして多神なんですという話をいたしました。

ミクラタナの神様ということで、王権のシンボルであると。主神様から降る御魂 ゝ(チョン)、 光の玉〇に ゝ(チョン)が入って、⦿ となった時にメシヤ様という御存在になられた。

この王権と言っても、覇権主義では手に出来ない、徳で治めるということが重要です、というお話をさせていただいたかと思います。

 

令和3年、2021年は

帰一、一とは元の神様、即ち主神の事である。それに帰する、主神に帰することであります。

弥勒出現時には宗教の役割を終えて、すべての神々は主神様に帰一していく。

観音様の御出世、神々の主神様への帰一、この認識をさせていただくことが御神業の本目なんだと。

定山渓で主神様の御神名をこの時、この年に奉唱させて頂いております。

 

令和4年、2022年

ミクラタナの神様は、五十音を並べる言霊の棚だとの説がありますと、「メシヤ様の御神格を求める座談会」に投稿したことがあります。
また、古事記に出てくる神様は一音一音が神様で五十音の言霊と五十の運用方法で百柱(はしら)の神様が登場すると、10月度覚りの旅で、コトタマ学の桃太郎伝で学ばせていただきました。
最高の言霊を発せさせて頂けますよう、祭典前に 大石凝眞素美翁の ⦿(す)のいわれの文章 を朗読させていただきました。
9月に定山渓参拝し、10月に加良比乃神社参拝して、祭典を迎えました。

帰一ということを認識させて頂く為の祭典であるということ、そして、ミクラタナの神様と言いますと、五百津美須丸(いほつみすまる)とか麻邇(まに)の玉、如意宝珠で、観音様の神霊(みたま)だと。そういう風な御教えがございますので、そこを紹介させて頂きました。

 

力の本源ということで、昭和二十五年六月十五日、メシヤ様の御腹中の光の玉に、麻邇(まに)の玉、五百津美須麻留(いほつみすまる)の玉、如意宝珠(にょいほうしゅ)の玉、玉とは魂であるから、その魂が天から降下され、宿られ給うた。これをメシヤ様は結実と仰いました。それが段々育つに従って、玉の力も日に月に強力となりつつあるのである。ただ現在その神様の御名前を詳しくいう訳にはゆかないが、いずれ時期が来たら発表するつもりである。

そのような御教えがございまして、この、時期が来たらということで、「ミクラタナの神様」ということを先生が発表なされたということであります。

祭典には繋がりがあるということで、2月3日節分祭でお詫びをすると光が弥増して、6月15日地上天国祭に反映していきます、ということと、3月3日、5月5日、10月10日というのも、「もも」という繋がりがあります。百の祭典であるわけです。

桃の実 と 桃の花 と、10月10日は百ということで、皆、「もも」です。「もも」と読めますので。

それで、『 開教の辞 「世界救世(メシヤ)教の誕生に就て」 』 という御教え、昭和25年2月4日を見ますと、観音様が中心だということでお話しして参りました。観音様の働きは、光明如来であり、救世主メシヤであり、弥勒神などということで、『開教の辞』に書かれています。

光明如来様がこういう働きをされるとは言ってません。観音様が救世主(メシヤ)の御働きをされるんだということを言われています。

ですから、帰一、一とは元の神様、則ち主神の事である。それに帰する、主神に帰することであります。

もう一度『開教の辞』のところを確認いたしますと、

 

そうして、祝詞にもある如く観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、彌勒神等も、御名は異なれど同一の御神霊である以上根本は変わるのではない。いわば時期に応じて御神霊の活動範囲が拡充するのであるから、御神体も御守りも或(ある)時期まではそのままで差支えない。

観世音菩薩の御働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのは勿論である。

 

それ、というのは御働きです。だから、救世主的、メシヤ的な御働きをされるのは、元は観音様ですよということです。

 

即ち化身仏であらせられた観世音菩薩は茲(ここ)に仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給うのである。

 

観音様が光明如来様にもなられるし、弥勒神様にもなられて、最終的に「メシヤにならせ」の時に、メシヤになられる。救世主の存在になられるのは観音様が元です。派遣されたのが観音様です。


ということが、この『開教の辞』でお分かりいただけるのではないかと思って、この時に紹介させて頂いております。

昨年度の挨拶の内容、これは三救祭が始まってからの三救だけの挨拶の内容を振り返らせて頂きました。

そこで、もう一度、大石凝眞素美翁の ⦿(す)の文章をよくお読み下さい。

最後に皆で読んでもらおうかな。(笑)

そしてその内容、翁の想い、この文章を取りあげた先生の想いを拝察してみて下さい。

私なりに拝察しますと、次のように読めます。

その文章を自分の理解のもとに大枠で捉えて読み下すと、


⦿(す)の言霊を明らかにすると、世界一切の最高真理で、秩序(正しい順序)なのです。

(今月の覚りの旅のテーマでもありました。順序ということで、五六七、日月地、の順序になっていくという。)

創造主の真実とは ⦿(す)のことです。

⦿(す)の言霊は七十五聲の言霊の性質を全て備えています。

そして、全くまじりけがありません。

だからこそ、眞位(みくらい)を保って存在されます。

善悪統べて(統合して)純一なるを眞位(みくらい)と呼ぶのが真実なのです。

私達人類は、

⦿(す) の認識を深め、明らかにしていかねばなりません。

⦿(す) は皇(すべらぎ) 即ち 眞位(みくらい) なのです。

⦿(す) が宇宙・世界の根源なのです。


このように読ませて頂きました。

この眞素美翁の文書を声に出して繰り返し読むようにメシヤ講座で学びました。

言霊を心できいてみて下さい。

私は、 眞位(みくらい) という言霊が頭に響いてきました。

反対が純一に···これは善悪結んで··ということは伊都能売ではないか。

そして、眞位(みくらい)を保つから⦿(す)の存在であり得るのだと。

(今、この眞素美翁の文章の一つの読み方をお話しさせて頂いています。御教えの話ではないです。)

眞位(みくらい)は皇(すべらぎ)··この皇(すべらぎ)というのは、天照皇(すめら)大御神様の皇(すめら)ですね。ですから、武力ではなく徳をもって世の中を治めることのできる皇(すめらみこと)、この皇(すめらみこと)というのは御教えで言う伊都能売神皇のことに大元は繋がっていきます。

このことを眞位(みくらい)というのではないかと思わせて頂いたのです。

眞位(みくらい)という言霊を頭に浮かべてもらうと、

みくら は御倉板挙の神様

い は伊都能売の神様

そのように思わせて頂いたわけです。

昨年はここまで深く拝察させて頂くことなく、祭典で翁の文章を取り上げて朗読させて頂きました。今年の祭典で1年を経て認識させて頂けましたことは大変ありがたいことだと思います。


神様の関係性は分かりますか?

国常立尊様が北海道の艮の方角、日本の艮の方角、芦別岳に御隠退されたという事がありました。

そして、皇位は時代が下って伊都能売神皇に譲られた。

岩戸観音堂に関係する神様という事でいつも話をさせていただいておりますけども··。

伊都能売神皇は統治権を持たれていた。これが御位(ミクライ)なのではないかと。

伊都能売神皇は、素戔嗚尊に攻められて統治権を天照天皇に御譲りになって、御位を捨てて観音様になって、インドへ渡られます。インドで観音様は御釈迦様に御垂示されます。

御釈迦様は56億7千万年後仏滅になる、弥勒下生する、そういう御話をされます(予言をされます)。伊都能売神皇が御持ちになられている統治権というのは、徳で治める··、要は武力では奪えないという事で。統治権を譲られた天照天皇は統治権を持っていて、素戔嗚尊が奪おうとして、統治権を棚上げする、御位を棚上げする。漢字も御倉板挙(板の上に挙げる)ですから、御位を棚上げされたんじゃないかと。

天照皇后は統治権はないので、それからずっと時代が下ってくる。だけど、形としては天武天皇の時代から天皇の血族でないと日本を治められないという事がずっと続いていくわけですね。天皇として。

ここでも位、形の変わった位、体的な位が、

例えば、征夷大将軍というのは天皇が代替わりごとに任命しているんです。それが、任命された位が元に戻されたのが明治天皇の時代の大政奉還ですね。

藤原、平安時代は関白、鎌倉時代は将軍、室町時代も将軍、江戸時代も将軍ということで、天皇が任命する、位を任命するということでずっと来ていた。

実際の霊的な位というのは「みくらい」というのは棚上げされてる。


「大師は弘法に奪われ太閤は秀吉に奪わる」という言葉があります。大師というと、色んな大師がいますが一番有名なのが弘法大師です、太閤と言えば秀吉ですよね。

貧しい生まれから立身出世することを、今太閤と言います。伊藤博文とか田中角栄とか、今太閤です。

幕府というのは、幕府の幕というのはテントのこと。古代中国将軍のいる天幕を意味する。これが日本語に借用されて武家の棟梁であるものの名称となった。だから、幕府というのはテントですね。

ここで言いたかったのは、御位というのがずっと棚上げされてきましたということを言いたかったんです。

本日の祭典をもって「みくらい」ということに気づかせて頂けたら有難いと思います。

本日は「みくらい」という事についてお話しさせて頂きました。

この、⦿(す)のいわれの文章をもっと深く考えてみよと、魂で受け止めてみよと、そのように受けとめさせて頂いて、御倉板挙の神様、伊都能売の神様、主之大御神様、全て主神様に帰一させて頂くということで、この祭典を積み重ねているのだと、この機会に受け止めて頂ければ大変ありがたいと思います。

それでは最後に先程の文章を皆さんで朗読させて頂いて終わらせて頂こうと思います。

それでは、みなさんで。


参加者一同

⦿(す)のいわれの文章 朗読


pastedGraphic_1.png



ありがとうございました。


司会

以上を持ちまして三救祭を終わらせて頂きます。

ありがとうございました。


参加者一同

ありがとうございました。 

覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて

  令和6年7月1日 覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて   三救責任者 月次祭おめでとうございます。   参加者一同 おめでとうございます。   三救責任者 令和六年七月度 覚りの旅の資料を最初に拝読していただけますか?   参加者 令和六年七月度 覚りの旅 資料 1 は...