2017年7月7日金曜日

覚りの旅 ~序章~ 平成29年7月

<今月の学び>
「地上天国祭」の意義と想念のあり方
 
平成二十九年六月十五日「地上天国祭」の意義と想念のあり方について
 
支部長代理
難しい文章かと思いますが、このような思いで祭典に臨んで頂きたかったんですよ、ということです。
ここに(図表)書いたのは、「「地上天国祭」の意義と想念のあり方について」を時系列に並べたものです。六月十五日の意義という事で地上天国祭を執り行いますが、天照皇大御神様のお誕生日でもありますよ、というのが六月十五日ね。霊界の大きな転換を迎える重要な節目になります。また、夜昼転換の啓示があったのが昭和六年六月十五日です。昭和九年にはですね、日枝神社に天照皇大御神様をお迎えしております。そして、昭和二十五年にはですね、ミクラタナの神様をメシヤ様の腹中の光の玉にお迎えしております。元々、光の玉は腹中におありになったところにミクラタナの神様、チョンが入られたのが昭和二十五年であります。この、昭和二十九年六月五日には、熱海の碧雲荘においてメシヤ降誕宣言という事で、『メシヤになったのです』という宣言がございました。これは先ほどありました、莚敷きのところに先達を並べてお詫びの型をとられたという事であります。それで、昭和二十九年六月十五日メシヤ降誕仮祝典が挙行されました。御神名が天照皇大御神でしたという事で、これは、先達の岩松栄先生の「一厘の神魂」という本の中にも出てくるんですけども、
 
天照皇大神守り給へ幸倍賜へ 惟神霊幸倍坐せ と奏上し終わって理事長は人類の三千年来の罪穢れのお許しを庶幾(こいねが)い上げ奉りました。
 
という事で、御神名が天照皇大御神であったという事と御詫びの祭典であったという事が当時の先達の言葉からも判ると思います。それで、やり直しの意味も込めておりますという事で、平成の、この前の祭典の時に箱根及び熱海での祭典を行いました。そういうことが書いてあります。ここが分かっていないと三十年三月三日に向けての話しが中々と出来ていきませんのでお話しました。
それで、側近者が賜ったお言葉という事で、昭和二十九年当時の話しをしておきたいと思います。
 
側近者のお話1(昭和二十九年七月二十五日)
現実の破壊と創造は来年より三年間で行われる。
正しい人間の喜びは予想もつかぬほど大きいのである。腰抜かすような大きい経綸行われ、天地上下引っくり返るのである。
今、霊界に行ったなら魂は落ち、一千年間は此世に生まれさせていただくことは出来ない。
三月三日まで少しでも徳を積み、善き行いをしておかねばならない。
人間は一生修行である。信者でも二割位はむつかしいであろう。
本当に改心すれば大峠も易く越せるものである。
然し、神様はどんなにしてもお救い給わる故、決して自分が水晶世界に残れぬなどと考えてはいけないのである。
之からは改心すれば薬毒もそれだけ消して頂けるのである。
二十九年六月十五日から本当の世界歴史が初まるのである。
祭典に御参拝することは特別の大きい神の恩恵である。メシヤ様お出ましにならぬとも今一番重要な事である。
今まで非常にご多忙であらせられたのも必要あって神様が遊ばした事である。
いつも我々は自分を省みてさえおれば良い。
罪深きとか、自分は駄目だとか決して思ってはいけない。
罪は改心さえすればお許しになるのである。
 
支部長代理
厳しくとも愛情あるありがたい温かいお言葉ではないでしょうか。
この先達はメシヤ様のおそばにあって六月十五日にメシヤ降誕仮祝典を挙行されて、三月三日を迎えるまでの、緊迫した状況を吐露されているのではないかと思われます。
誰がとか、そういう事は言えないんですけども、昭和のことですが、平成の今のこの時期にピッタリ当てはまってくるんではないかと思いまして紹介させて頂きました。
 
側近者のお話2(二十九年七月)
『真に水晶世界になる時は、薬毒は一瞬にして全消すべし。その際、あまりに多量に注ぎいるものは命失う事あるべし、従って子孫に及ぶ事も非ざるべし』
『あまりに大量に注ぎいる者は命失う事あるべし』とのお言葉ありしよしなり。『従って子孫に及ぶ事も非ざるべし。』
『いよいよ水晶世界となる訳にて人民としては急の切替は出来ない。それ故来年の三月までは猶予期間をお与えになりすべての準備をなさしめ給う』
 
支部長代理
と、ちょっと、怖いですけども。水晶世界になった時には一気に薬毒が消滅する。その時に体が耐えれるかどうか。
これは昭和の時に言っておられます。これ自体が猶予期間というのが神の恩恵だと思いまして。
3月を過ぎると仔細な事でも許されなくなると。
私たちは平成の時代にあって、平成三十年三月三日までに皆が高まってメシヤ様をお迎えし、水晶世界を迎えなければ、水晶世界にあって薬毒の全消に耐えうる体になっていなければいけないのではないでしょうか。
 
側近者のお話3(昭和二十九年八月)
少しのことにも気配り出来ぬ者は御用におつかいにはなれぬ。
 
側近者のお話4(昭和二十九年十二月十一日)
今度は一千人くらいの御浄霊を賜るに一分。一分とかからない。今までは考えてものをするということもあったが、メシヤ様とおなりになられてからはまるで違って予定が急に変更されることがありまるで分らない。
 
支部長代理
という御言葉があったそうです。
 
側近者のお話5(昭和三十年一月)
これからは想念が大事であって今は御光が非常に強くなっているのであるからよくメシヤ様と心でお願いして浄霊すれば大抵な浄化は治るよ
 
ある奉仕者がメシヤ様から賜ったお言葉(昭和二十九年七月)
『毎日御神書拝読せよ。神様は厳しいから少しの邪念も許されぬ。きっとお許しがあるから楽しみに修行せよ。』
『御教えのすべては御讃歌にあり。之をなんべんも拝読すれば分かってくる』
 
支部長代理
御歌の重要性を教えていただいてます。
 
『身魂磨きの一番の御教えは御讃歌に全部書いてある。心を潜めて拝読すべきである。』
 
支部長代理
御歌というのは非常に大事なんです。文章だと検閲されたりしていたんですね。お歌は三十一文字の中に思いが込められていると思いますので、そういうお歌の読み方をしていただければいいのではないかと思います。
今頂いている御垂示も非常に厳しいです。しかし愛情があります。
 
『きっとお許しがあるから楽しみに修行せよ。』
 
支部長代理
楽しんで修行、御教え拝読を実践していきましょう。
 
次にこの度の祭典について信者さん方に賜った御垂示をお伝え致します。
【御垂示】
・今回は自分の中で高める努力をしてきた者と、今までとそう変わらない者との差がはっきりと出た祭典だった。
・ちょうど二手に分かれた様な格好になった。
・仮祝典を執り行ったという事は、神様がお出ましになったという事。
・お出ましになったという事は全員のあり方、そのものをご覧になったという事。
・今回は主要な立場がある者がどれだけその立場に相応しく目覚めるか、自覚して動けるかが主なところだったので、(一般信者さん方のあり方に対して)お許しがあるかないかは別として、第一関門は通過した事には変わりはない。
・そしてこれからはその評価対象は主要な立場ある者から一般の信者までの全体に拡大される。
 
楳木先生から信者さん全員に向けた伝言
・今までは何気なくさせて頂いていた事が出来なくなる(止まる)。
・より気を引き締めて、お詫びをし、やり直す事。
 
この内容は、今までは許されていた事もそれは今までのレベルだったからで、仮祝典以降はそれまでとの差が出来ているので今までと同じという訳にはいかない、道理に合わない事はすぐ正される様になる、だから今まで以上に気を引き締めて気付かせて頂いた事はすぐお詫びをし、自分を修正させて頂いて本物に近付く様に、という意味です。
裏を返すと向上が許されるまでに来たからこそ道理に合わない事は指摘される、そこまでいかなければ指摘されないまま罪を重ね続けるという事だ、という部分まで伝わるものでした。
 
【御垂示】
仮祝典を挙行したという事はそこに身を置いた人間のこれまでのあり方、状態、生き方そのままを神様がご覧になった(神様がお出ましになった→成功)という事なのだという意味が入っています。
そして霊界(神界)では審査というか会議の様なものがあり、一人一人が会議にかけられて審査されているとの事でした。
一人一人の良いところや要修正箇所等が、その人の特徴や役割に応じて判断されているとの事で、今厳密に審査されているそうです。
その修正箇所は一人一人に言い渡され、色んな形で本人に分かる様に提示されますので、提示された箇所に気が付いたらお詫びをして、きちんと直して、これから光が強くなって更に厳しくなる時期を進ませて頂く様に、との指示がありました(浄化なのだから、ありがたく受けて綺麗にならなければ、との事です)。
 
メシヤ様の根源、天照皇大御神様をお迎えして更に神様とご縁を太くさせて頂きましたので、大浄化時代にあってもしっかりと動ける様な光の強さに相応しい人間にして頂く、救う側に回して頂く第一歩なのだ、という事を強調しているものでした。
そしてこれらをただ恐れるのではなく、受け止め方として、“神様をお迎えしての事であって、神様と意思を交わして行われる浄化、向上が許されるのだから神からの恩恵・大愛である”という見方をして下さい。
これからの強い力は、人間にとって時代に適応させて頂く力にもなり、また淘汰させる力ともなる。
 
先程仮祝典に身を置いた者と書きましたが、勿論そこに繋がる方、神様をお迎えする事に心を寄せていらした方も含みますので、当日御参拝出来なかった方もその審査対象に入ると思われます。
 
先生に近いところまでを目指さなければならない、そして一般の信者さんが向上を許される様にお世話をしていかなくてはいけない。そのお世話によって一般の信者さん達も、救われながら救う側へと転換させて頂ける様になっていかなければならない、皆が神様との距離が近くなる様に、皆が幸せになる様に、という事でした。
 
信者全員がどれだけ向上出来るか、人を救う側として向上させて頂けるかが問われてきます。
 
法則がその様に作用して直接自分達に向上を求めてきますので、気を引き締めていかなければならない、そして来年の3月3日に向けて全員でメシヤ様をお迎えする事が出来る様にしていかなければならない。
 
    今までは理論立ててやってきたのだから、今度はそこに実が加わらなくてはいけない。
    加わる為には今まで積み重ねて来たものの中にある不要になった部分を溶かして、剥がして、捨て去らなくては再生出来ない。
    こうして綺麗になっていく。
    向上しないと幸せになれない。
    全員、下の者までが今より神との距離を縮めなくてはいけない。
    全員が幸せになっていかなくてはいけない。
 
支部長代理
それで、ありがたいことに、浄化の必要性、向上するとはどういうことだということを教えていただいています。
 
【御垂示】
御教えに精通している人たちはどこにでもいます。その知識を活かすのは人間のあり方です。一般の方が知らないような御教えや教団の事情を知っていても、それを知っているというだけで何もしない。ただ文句を言っているだけでは知識が反対に罪を構成することになっています。という根本的なことに気付いてないんですよと、御教えを知っているだけで、それを振りかざして話をしているだけでは、行動が伴ってなければ逆に罪になってしまいますと。本当の智慧というのは他の人を向上させよう、救おうという心、あり方、行動、愛情、そういうものがあってこそいただけるものなのです。御教えもそういう他の人を思う心に御教えをのせてこそ力が発揮されるんです。どんなに未熟でも本当に神意に沿って動いているのであれば必要な事は教えるように手はずは整う。
 
支部長代理
まだ勉強してないのにとかいうよりも相手と向かい合った時に、昔聞いていたメシヤ講座が口から出てきて喋れる。とかありますよね。
 
【御垂示】
そういうものだから、ただ多くを知っているからといって脇であれこれ言うだけで何もしないよりは、未熟でも間違っても何でも構わないから、しっかりと自分に与えられたことを舞台の上で行っている方が良いのだ。だからこそ浄化が必要でありがたいものなのだ。より本来の自分に近づかせて頂けるんです。そして神様の意志を行動に表す人間にならせていただけるのだから向上するとはこういう事なんだと。
 
霊層界について
支部長代理

(図1)
この漫画(図1)は何回も使っているんですけども、霊層界の御教えを図にしたもので、天国、八衢、地獄、60段60段60段の180段あって、一番上に主神様がおられます。
この人間の体、肉体の周りに同じ形で霊体がありまして、肉体と霊体がくっついている時は現界にいますけども、幽体がこのどこかに属していますと。人間が死んだ場合肉体は離れるので、霊体が離れて幽体と同じような形でくっつくそうです。
要はここのどこの階級に属するかで幸せ不幸が決まってきます。これは決定的なんですということと、主宰神、神様からこのどこかに所属している幽体に対して命令が下ります。命令が下ると幽体は霊体に反映されます。霊体は肉体に反映されます。霊体が肉体を支配していると、幽体は霊体を支配している。そういう構造だそうです。決定的と書いてありますね。ということで、上手くいかないとか予想外だとか、幽体の運命に左右される法則になっておりますので、善を行って徳を重ねていけば罪穢が減少していくから軽くなっていきます。悪事を行い罪を重ねれば罪穢が増えていきますので重くなってきます。そういうことで昔は罪の重荷という言葉を使っていました。だから善悪の心言行そのままが霊線によって神様へ直通しているんです。
この間、宿命の範囲は越える事はできないんですけども、運命は常に上下していて善を積めば上がるので、悪いことをすれば地獄に近づきます、この線を越えた時には、範囲外へ出てしまうと運命が急転すると。良い時に急転する時も悪い時に急転する時もある。悪いことを行っていけば地獄に近づく線に行くわけですから急転して悪いことが起ってくる。良い方にいけば急にお金が入ってくるとか、そういったことが起きてくると書いてありましたね。
今のは御教えそのままの話しですからね。
 
<補記>
後日、「宿命の範囲は越える事はできない」「この線を越えた時には、範囲外へ出てしまうと運命が急転する」この受け止め方についてある方と学びを深める中で、運命が急転するというのは、八衢から天国へ行けるのではないか。との思いに至り、他の御教えを調べましたら、
『宿命といっても、地獄の宿命、天国の宿命というのはないのです。今の宿命、運命というのは階級です。天国、地獄ということとは関係ありません。』という御教えがございましたので、八衢から天国へいけますね。宿命の階級が天国にかかっていると思わせていただいて運命の範囲を逸脱して天国の住民になりみんなを引き上げて行く。そういうふうに受け止めれば良いのではないかと思います。
 
【御教え】『御垂示録』24号、昭和28(1953)年9月15日
 
「人間の宿命は上中下のうち一段で、その上にも下にも行けないということでございますが、地獄的苦しみから天国的状態に変わることがありますが、そこに矛盾を感じます」
 
それは違います。宿命といっても、地獄の宿命、天国の宿命というのはないのです。今の宿命、運命というのは階級です。天国、地獄ということとは関係ありません。例えてみれば、人の上に立つ人間、親分とか首脳者になる者はもう決まっているのです。それで親分になる人は必ず良くなります。乞食になっても、そういうのは乞食の親分になります。それからどんなに偉い人でも、親分になれない人は、番頭とか支配人になります。そういうように決まっているので、これが 宿命です。またそれでなければその人としての本当の発揮ができないのです。植物でいえば蔓性植物と言ってからむのがありますが、人間でも同じで、竹なら竹がなければ、それに巻きつけないから生存ができないのです。それと同じで、誰かに頼らなければ生きて行けないのがあります。それからまた痩せても枯れても親分にならなければならない人があります。からませるほうですが、それはその人の宿命です。ですからそういう宿命がない人が無理に親分になろうとすると失 敗するのです。私は昔からどこに行っても、乾分(こぶん)はできるのですが、決して私を引き立てるとか、私が助けられるという場合はないのです。私は、私 には助けられるという性能はないと思って諦めていました。何かにすがることはできないのです。ですから最初は親しくしていても、後になると先方で相談にくるようになるのです。私は信仰にはいる前から、誰かに相談するということはできなかったのです。どうも後になると先のほうが下になってしまうのです。それは私が大木のような宿命だからなのです。それが宿命というものです。それは生まれながらにしてそういうようにできているのです。労働者などでたまたま出世 しても、宿命が相応しないのは、やっぱり落ちてしまいます。それからまた少し出世した人が、労働者とかを見て、なぜ一生懸命にやって出世しないのだろうと思うことがありますが、それはそうではないので、その人はそれで満足しているので、それが宿命です。ただその宿命の中で上になったり下になったりするのは 自由で、それが運命です。ですから運命は自分で変えることはできますが、宿命を破ることはできません。宿命というのは限定したものです。しかし運命というのは宿命の最高にまではなれるのです。ですから人に使われる者としての最高になるのは、店の番頭とか支配人とかですが、それは親分に使われる者の中では最高のものです。その最高のところまでは行けるのが運命です。ですから運命は変えられるが、宿命は変えられないのです。
 
「商売人に向くとか農業に向いているという、人間の職業も宿命に関係があるものでございましょうか」
 
それが宿命です。それで同じ農家になっても、上になったり下になったりします。小作になったり自作になったりするのは運命です。
 
「宿命ということと幸福とは関係がありますでしょうか」
 
あります。例えてみれば、生まれながらにして非常に良い所に生まれて、一生身分が良いということは、苦しまずに済んでいるから幸福です。それは幸福の宿命を持っているわけです。また同じ幸福でも、身分だけが良くて、あとがはなはだよろしくないということもありますが、それは運命が悪いのです。

(図2)
これ(図2)はイメージとしてね。霊界がフィルムのようなものとすると、現界に反映してくるというイメージですよと。『私達の住んでいる世界を現界といい、現界に起こることは目で見ることができます。しかし、実は霊界という目に見えぬ世界があり、現界は霊界から支配されています。善いことにせよ、悪いことにせよ現界に起こることは霊界に起こったことが反映したものなのです。』
目に見えないことだけども善を積み重ねることで霊籍を向上、幽体の居所を向上させていくのが良いんですよということです
ここまでは復習ですね。
 
観音経に学ぶ
支部長代理
観音経ってご存知、お母さん?
 
参加者
……。
 
支部長代理
(図3)
法華経の二十五番目の観音経と言いますよね。メシヤ様が善言讃詞を御作りになる時に観音経を基に作られたということですけども、関わりがあるかというと…、どういう事が書かれているかというと、ちょっと図書館で借りてきて読んでたら面白いことがあったんで紹介させていただきます(図3)。
 
無尽意。観世音菩薩。有如是等。大威神力。多所饒益。是故衆生。常応心念。
 
若(も)し愚痴(ぐち)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち痴を離るることを得ん。
無尽意よ、観世音菩薩は、是(か)くの如き等(とう)の大威神力ありて、饒益(にょうやく)する所多し。
是の故に衆生、常に応(まさ)に心に念ずべし。
 
若(も)し愚痴(ぐち)多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち痴を離るることを得ん。
「もし、おろかなこころに陥ったらいつでもこころから観世音菩薩と念ずれば即座におろかなこころから脱することができよう」
 
過ぎ去ってしまった時間のことを過去といいます。
そんなことは誰でも知っているのに、どうにも取り返しがつかない過去のことにいつまでもこだわって
「・・・・たらなあ!」「・・・ればなあ!」「・・・たのに!」と嘆くのはどうしてでしょう。
これを「愚癡(ぐち)」といって心の毒です。
「愚」は「猿の仲間で、一番頭の働きが鈍いもの」という意味の字です。
「癡」は「痴」とも書きます。「痴」は知恵が病気になっているのです。
病気になった知恵が「・・・ればなあ!」「・・・たらなあ!」と繰言(くりごと)を言わせているのです
 
繰言(くりごと)
同じ事を繰り返して言うこと。特に、泣き事や不平などを、くどくどと言うこと。また、その言葉。「繰り言を聞かされる」
 
愚かであるということは、知識や教養が無いことではまったくありません。
「智慧」が無いということです。これは仏教の話。
事実知識や教養が無くとも人間として立派な人はたくさんいますし、その逆どんなに教養や地位、と名誉があっても愚かな行為をしてしまう人もいますね。それは「智慧」が無いからです。
実際知識が犯罪に利用されたり、教養が必ずしも欲望や犯罪の抑止力になっていないこともありますね。オレオレ詐欺が劇場型に進化して成果?を上げているのも知識を振り絞って研究?している結果なのです。 因果応報という「智慧」を心得ていれば決してできないことなのに・・・ですね。
「智慧」を持ちその智慧に基づいた行動のできる人をほんとうにエライ人、立派な人と言うのです。
その智慧こそ言うまでもない宇宙悠久の真理法則のことであり別名「般若」とも言います。
智慧がないから人は間違いをしでかしたり、悩み苦しむのです。
 
支部長代理
仏教の目的とはただ一つこの智慧を人類に知らしめることにあるという事です。
メシヤ講座にありましたが、お釈迦様が言いましたが、人間の不幸は無智なことなんだと、無智は不幸な事ですよと。
また、メシヤ講座特選集(№122・平成23年3月分)では、「智慧証覚得るには御教え拝読は欠かせない」とご教導いただきました。
 
その智慧により一切衆生が「心から観世音菩薩を念じることで、愚痴という迷いの世界を離れ涅槃の世界へ入る」ことを仏陀は切に願っているのです。
智慧を身につけかけがえのない人生を是非有意義なものにしたいものです。
 
「無尽意菩薩よ、このように観世音菩薩の力はすぐれたものであり、饒益(他人に利益を与えるところ)が大きいのだよ。
だから、衆生は常に観世音菩薩を一心に念ずべきなのです」と、お釈迦さまはこのように仰せです。
 
人間の内なる三毒(淫欲を慈悲心に、瞋恚を勇猛心)のうち、愚痴を智慧にそれぞれ転換させてくれる観音さまの功徳を説いたものです。
 
支部長代理
メシヤ講座・特選集十一(平成十三年十月分)に、
「空気だって吸わないと生きていけない。つまり、生きること自体があらゆるものに頼っているということなのです。空気については以前も話しましたね。酸素の濃度はどのようにして一定に保たれているのか。海水の塩分の濃度はどのような仕組みで一定に保たれているのか。そのような事を一つひとつ認識していくことが、成長するということです。そして認識すればするほど、自然に感謝の念が湧いてくるものです。メシヤ様は『信仰は 真の智慧なり証覚(さとり)なり 証覚なくして感謝うまれず』と詠んでいます。日々の学びが無いと、感謝というものは生まれないし、感謝の心を持てない人は、勉強不足の哀れな人ということになりますね。」
と学んでおりますし、『入門と奥座敷』の作成に当たって、メシヤ講座・特選集(№167・平成26年12月分)で、
「最後にメシヤ教は平成27年から更に新しい体制づくりをしてまいります。そのために浄霊の基本等・・・、初めて浄霊に触れた人、メシヤ様という御存在を今まで一度も認識したことのなかった人達のために本をこれから作成していきます。その中身はまずメシヤ様という、神界から人間の体を持って降臨して来てくださって、そして、人間としての御苦労を総嘗めのように体験されてその中から『人類を救済する智慧』というものを私達に与えて下さいました。そのメシヤ様に直(じか)に繋(つな)がっていく。
メシヤ様が神界からわざわざ人類を救うために降臨して来てくださって、そうした力を授けてくださるという、その御神慮に一層感謝しながら、その救済するというメシヤ様に想念で繋(つな)がって行くというのが一番根本でありますので、この根本を中心にして、そして、メシヤ様の御教えに基づいて浄霊の基本形を図解を以て理解しやすいような本をこれから作成していきます。
そうしたものを活用していただいて一人でも多くの方々にメシヤ様と直(じか)に繋(つな)がっていただいてその繋がりを太めていただく中で御守護いただく、そういう人を増やして行っていただきたい、というふうに思います。」
 
「智慧証覚得るには御教え拝読は欠かせない」という見出しでは、
「(質問者)
そうしますとその御経綸ということを自分なりに理解しようとすれば、普通の考え方ではなくて全く違うところからの考え方が無ければいけませんね。
(楳木代表)
ですので、全く違うところからの考え方が必要というよりも、智慧証覚(ちえしょうかく)がないといけないということですね。それでこの智慧証覚(ちえしょうかく)を得るためには御教え拝読が欠かせないわけですね。ですから日々御教え拝読をしながら物事を見て行くと大体当たってくると思います。これが智慧証覚(ちえしょうかく)、叡智が閃(ひらめ)いていく生活になってくるのだと思います。そういうふうに捉えて行って頂ければいいんじゃないかなと思います。」
と御教導賜りました。
 
先ほどの話にあった、病気になった知恵が「・・・ればなあ!」「・・・たらなあ!」と繰言(くりごと)を言わせているのです。愚かであるということは、知識や教養が無いことではまったくありません。智慧がないということです。
私たちは日々御教えを拝読し、智慧証覚を得て今ある問題、これから起きてくるであろう様々なことに対処していかねばなりません。
私ごとですが、パソコンでハマグチと打つと「濱愚痴」と出てきていつも考えさせられます。
「・・・・たらなあ!」「・・・ればなあ!」「・・・たのに!」とか言わないように考えて……。
「知恵」が病となってはいけませんと、心しましょうと。自分への戒めです。
 
産土神社について
支部長代理
私の家の近くの産土神社に行って、こういうのが置いてあってもらってきたんです。面白いことが書いてありますので参考に聞いて下さい。
 
<参考資料>
成功している人は何故神社に参拝に行くのか?
あなたはもう、神さまに目を付けられてしまっている!?
本書を手にとってくださって、ありがとうございます。あなたは、神さまよりひとつお役目をさずかりました。そのお役目とは……。
神社に来て「世の中をよくしなさい」というお役目です。
いまや世界中から神社にお参りに来る時代。
神社の神さまは、世の中をよりよくする「成功していく人」を増やすために、いよいよ大きく動き出しているのです。
もちろん、この本を手にとってしまったあなたも神さまに目を付けられたひとりなのです。ホントですよ。
「神社に行くと成功する?そんなバカな(でも、ちょっと気になる……)」
「神さまには願いごとをするものじゃないよ。神社は感謝するところだから」
こんなふうに思われた方もいるでしょう。
日本に住む人ならば、きっとそれぞれ神社へのイメージがありますね。
本書では主に2つの視点から、神社の「見えない仕組み」をひもといています。
ひとつは「統計データ」から。もうひとつは「触覚」からです。
ただ神社の空間にいるだけで、あなたと神さまはコミュニケーションしているのです。
「神さまって……なに?私たちとどう関わっているの?」
こう思う方もいるでしょう。なにせ実態がないのでうから。
神さまとはいわば「知的な空気」です。意思と目的をもった透明な存在です。
風や雲のように移動します。
注意すれば誰もがその存在に気がつきます。
「え~、私にも、わかるのかな~?」
そう思われる方もいるかもしれませんが、大丈夫。
なにも特別な力は必要ありません。神さまのサインに気づくのは、すごくかんたん。これまで僕と一緒に神社に参拝した人たちも、教えるとすぐにわかりました。
「ほら、風が吹いてきた。これが神さまのサインだよ」
「ああ、あの雲が龍神さまなんですね~!」
ほんと、こんな感じです。
風を感じたことのある人なら、わかります。
もしコツを一言でいうなら『見る以外』を意識すること。
人間は主に視覚と聴覚で情報を得ますから、どうしても「見て聞いて」しようとするクセがあるのですね。
でも神さまって見えないし、しゃべらない。
だかあら「感じる」ことが大切です。人や動物が近くにいると、存在を感じますよね。大自然の中にいると「気持ちいい」と感じます。その感覚です。
その感覚をもっと意識すれば、「目に見えない世界」がどんどん開かれるでしょう。
(詳しくは、メシヤ教 三重支部サイト「産土神社について」を参照ください。)
 
支部長代理
神さまと感じることだと。お母さんは見えるけどね。僕もさっき感じました。浄霊させていただいてる時にここがグーッと熱くなってきた。そういう感じ方、いつもと全然違う。
参加者
御神体の⦿の御文字の大きさ位の円が金色に光っていくつもパッパッパッと神床中にあらわれています。いつもは白色だったんですが、今日は金色に光っているんです。初めてです。
支部長代理
見えないものを感じる感覚を磨いていきたいですね。
 
<補記>
支部長代理
最近になってメシヤ様をお迎えさせて頂くために、あらゆる神様もお働きくださっておられる。活動されておられるのだということをヒシヒシと感じます。今回のように今まで置いていなかった資料が置かれていたり、以前紹介させて頂いた加良比乃神社 では、「最近参拝者が増えたので」とお掃除されて境内に木や花を植えられたり、参拝者名簿が備え付けられ、今までなかった案内書が置かれていたりするのです。そういったことを感じましたので、今回「産土神社について」お話させていただいたわけです。
 
支部長代理
産土神で気になったので、御教えを検索して調べましたら、観音講座の天照皇大御神の項目のところですね。
 
【御教え】観音講座  第七講座 昭和10(1935)年9月15日
『天照皇大御神
天照皇大御神(あまてらすすめおほみかみ)を無視しているのである。天照皇大御神様を無視する事は我皇室を恐れながら無視していると言われても致し方ない訳である。町内の会合は産土神社で行えば良い。いかにしても今後この通りになるのであるからそれをやれば良いのだ。産土神社の前で協議すれば利権や賄賂の問題なぞは起きない。』
 
支部長代理
神様の前で会議をしたら賄賂の話しにはなりませんよということ、産土神社の必要性みたいなことが書かれています。
 
【御教え】夫婦の道  信仰雑話 昭和23年9月5日
『近来、見合結婚が良いか、恋愛結婚が良いかは相当やかましく論じられている。しかしながら、これを霊的に解釈をする時は、どういう訳になるかを説いてみよう。
わが国は、都会はもとよりいかなる山間僻地といえども、必ず鎮守様、すなわち産土の神様が鎮まりいます産土神社、または氏神様がある。これはちょうど現界における区役所のようなもので、人間社会における冠婚葬祭はもとより、出産等に至るまで、産土の神様が担任されておらるるのである。昔から子が産まれるや、必ずお宮詣りに行く習慣があるが、これは子供を授けて下さった神様にお礼詣りをするのである。これと同様結婚においても産土神が男女を結合させるので、その際恋愛による場合と、見合いによる場合と、いずれも産土神の思召によるのである。しかし、それを知らない人間は、人為的に成立するものと思うため、世間に沢山ある夫婦喧嘩の末「貴様出て行け」などと言うのは、いかに間違っているかという事である。せっかく神様の思召によって結ばれた妻であり、夫であるものを、人間が勝手にどうこういう事は、神様に対してはなはだしい無礼となるではないか。いかに気にいらぬ夫でも、気にいらぬ妻でも、縁があって神様が決めてくださった以上、おろそかに思う事は申しわけない訳で、有難く感謝すべきである。故にその事を知って、感謝の心を持って見直したならば、よい妻であり、よい夫であると思えるようになる事は請け合いである。
今一つ重要な事があるが、それは子供の死であって、その原因たるや夫の不品行にもとづくのである。例えば妻以外の女との関係がそれで、この罪は重大であって、ほとんど死に価する程のものである。しかも世の中には妾を二人も三人も中には十数人に及ぶものさえあるという事を聞くが、実に恐ろしい事である。これらの罪を霊界における祖霊は非常に怒るばかりか、子孫繁栄の妨げとなり、罪の重さによっては一家断絶の不幸に陥る事さえあるので、祖霊は極力止めようとしてあらゆる手段をつくすが、なかなか目覚めないものである。しかも、罪はますます増大する以上、早くその罪を贖(あがな)わなければならない。それには主人たるべきものが責任を負うべきであるが、そうなると、家族の生活や将来に悪影響を及ぼす事になるから、祖霊は主人の身代りとして子供を犠牲に供するのである。このような事は、世間にあまりに多いものであるから、読者諸士は注意を払われたい。必ず思いあたる事があるはずである。
そうして夫婦喧嘩の主なる原因は、第一が妻君の嫉妬、第二は生活難であろう。故に、前述のごとき霊的事情を主人が認識するとしたら、嫉妬の原因はなくなる訳で、夫婦は神様の御意志で結ばれた事や、妻以外の婦人関係は重罪にあたる事を認識したならば、良き夫となり、良き妻となり、夫婦円満にならざるを得ないであろう。これは、決して夫婦円満にするための作り話ではない。事実長年にわたり幾多の経験とあいまって、神様から教えられたものである以上、一点の嘘もない事を断言する。
聖書の中から右に関した教えを左に記してみよう。
神の合わせたるものを、人たるもの離すべからず。
人はその妻に合い、二人の者一体となるべし。
汝の妻をもて足れりとせよ。
私は、この一文を世の既婚者諸君に呈するものである。』
 
【御教え】奇蹟の解剖 栄光107号昭和26年6月6日
(前略)
『そもそも人間には本、正、副の三つの守護神がある。この関係は以前かいた事があるから略すが、右の中の正守護神とは、祖霊の中から選ばれた霊で、危急の場合助けたり、重要な事は夢で知らせたり、また特殊の使命をもつ者は神様(大抵は産土神)がお助けになる事もある。例えば汽車が衝突しようとする場合、神様はどんな遠くでもよく知られるから、一瞬にして汽車の霊を止めてしまう、その場合何百、何千里でも、一秒の何十分の一の速さでその場所へ到着し救われるのである。以上によってみても、奇蹟なるものは、決して偶然やマグレ当りではなく、立派に理由があるのであるから、それが判ったなら、奇蹟は不思議でも何でもない事になる、だから私などは奇蹟があるのが普通で、奇蹟がないと不思議に思うくらいである、この例としてたまたま難問題に打(ぶ)つかって、解決がグズグズしていると、もう奇蹟がありそうなものだと待っていると、間もなく奇蹟が出て解決する事がよくある。これは信仰が深く、徳を積んだ人はそういう体験は数ある事と思う。従って、人間は善を思い、善を行い、徳を積み、霊衣を厚くするよう心掛けていれば、不時災難など決してないのである。また霊衣の厚い人程接すると何となく温味を感じ、慕わしい気持が起る、よく人を惹きつけると言うのはそういう人である。だからこういう人には自然多くの人が集ってくるもので、仕事も旨くゆき、発展するようになるのである、今一つの例を挙げてみるが、以前から私が行き始めると、その家は必ず繁昌する、また私に接近する人は、必ず発展し幸福になる、これは私の霊衣の幾分でも貰うからである』
 
【御教え】特別講習会御講話  昭和15年11月9日
『西洋医学は霊をぜんぜん知らぬ、否認めぬ故に癲癇、狂人などみんな脳としている。
肉体は霊体を入れたサックのごときもので、使用に堪えねば霊は出て行く。
霊はふつう死んでから四十九日まではその家におり、五十日目に行くべき所へ行く。ふつうはお寺へ行き、神道ならば産土神社または信仰している団体へ行く。お寺で葬られれば一時お寺にいなくてはならない。そして間もなく自分の信ずる所へ行く。ところが信仰する所がなければ、お寺に長くいることになるのである。人間が死ねば煙のようになると思う人は、お寺にもおれず宙に迷うのである。中有界に迷うので六道の辻ともいい、ここは辻のようなもので、四方八方どこへでも行けるのである。
この世で死んでも邪神界へ行くものもある。仏界にも地獄、極楽あり、神界でも天国、地獄(根底の国)あり、そこで修業する、というのは浄化作用が行なわれる。罪は苦しまねばとれない。
これを迷信という人こそ迷信である。ある程度浄化が行なわれると生まれ代わる。霊魂はどしどし殖えつつあり、天国、地獄でも生まれる。
霊界でできるだけ長くいたほうが幸運である。思い続けた想念は滲みついているもので、また死の時の想念も続く。非常な美人は前の世はまずい顔だったかもしれない。だから女の方は死ぬ前に美人に生まれて来ようと思ったほうがよいであろう。輪廻転生、人間は霊が主で、霊は不滅、肉体は滅びて土となる。五十年とか八十年とか、霊の衣をぬぐだけと言っていい。人間は霊体が実体である。』
 
【御教え】御教え集32号 昭和29年4月15日
『それで美術品も、神様は、ちょっと売り物 に出ないような物を、チャンとこっちに入るような順序がついているのです。神様の計画というものは実にたいしたものです。それと、霊界において、昔の立派 な芸術家や、いろんな大名だとか、将軍だとか、そういう人たちの霊が非常に働いてます。立派な美術館にするために……。それでその霊の奥にある産土の神様 とか、八百万の神様でも高級な方の神様が、いろいろ指図したり力を貸してやってます。だからああいう美術館を作るのも――それは生きた人間を使わなければ ならないが――私は、そういった現界の仕事をするのでも、私の背後にはいろんな神様、いろんな霊が大活動をしているのです。だから思いもつかないことが フッと来るようなことがありますが、“これは働いたな”と思います。その根本が分かれば、あたりまえのことで別に不思議はないのですが、ただ、できたもの を見ると、わずかな間にどうしてこんなものがと思うのです。第一、道具屋とかそういうことに心得のあるものは、どうしてわずかの間に手に入ったのだろうと 思いますが、霊界を知らないのですから無理はないです。』
 
支部長代理
今でも活動されている。一宮の産土神様もメシヤ様はお使いになられていると思います。
 
支部長代理
今までのメシヤ講座とか先生がやっておられた宗教改革というのがあるんですけども、そういったことの中から、身近な、三重の中でも話しておいた方がいいかなと思ったことをピックアップしてこういう機会に話をしていきたいと思いまして。最近ピックアップしたものが、祈り方、どうやって祈ってますかという話しですけども、要は何々のように取り組みますので御力(おちから)を下さい。御力(みちから)をください。そういう祈り方。祈りについてはごくあっさり、メシヤ様はしつこいのはお嫌いです。朝夕拝、御神体を御奉斎されているところはやっておられるかと思いますけども朝夕拝はご在世中のメシヤ様へのご挨拶からきていますので、そういう意味合いです。メシヤ様へのご挨拶です。
 
祈る事【宗教改革より】
支部長代理
「祈る」ということについて「宗教改革」から再確認しておきたいと思います。
・朝夕拝はご在世中のメシヤ様へのご挨拶からきている。
・お願い事は極簡単に。「御力を下さい」→何に対して「御力を下さい」とお願いするか。
正しい行為をする為に、あるいは国家や地域や人々に貢献する為に、ということです。
・家庭慰霊祭を執り行う時には、「ただ今から○○家の慰霊祭を執り行なわせていただきますので、どうぞ御力を下さい」とお祈りします。
・決して何度もくどく言わない事
・「一人でも多くお救いできる浄霊力を身に付けさせてください」という願いが自分の中にあることが大切
・御教え拝読をはじめとして学術書や情報誌、新聞、小説等々に目を通して物を識るということが重要
そうしたものを吸収しつつ、
・「一人でも多くお救いできる言葉を身に付けさせてください」という願いを持ち続けること
・その上で、「御力を下さい」と祈りたい
・メシヤ様にお願いしたときにはすでにご守護を頂いている
・メシヤ様にお願いできるという事自体がご守護なのです。
 
祈りについて気をつけること【宗教改革より】
支部長代理
祈りについて気をつけること、注意事項として「宗教改革」より
・神様から頂けるご守護は進歩向上をお許し頂くためのご守護
・御教えに『神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』とある。その内容に関わることが真の意味の御守護
・人間の願いが叶うということと御守護とは、そうした意味で一致しないこともある。
・今こそ全ての教団が一丸となり絶対的に邪神にやられない体制作りを!
・天国を作るのも地獄を作るのも人間次第
・私達が一生懸命メシヤ様に祈れば祈った分だけ光と力は下さる
・何にも考えずに何にも行動を起こさずにただメシヤ様にお任せするという事では永遠に地上天国は成就しません。
・メシヤ様は『全て準備はした』とおっしゃった事は残っている訳ですから、浄霊力を強化することに努め、御教えを拝読し懸命に動いていかなければ地上天国建設は不可能となる。
・御教え拝読が徹底されていたらまず腰が低くなる。どんな立場の人に対してもふんぞり返らない。
・御教え拝読というのは実践する事です。実践しなければ意味がありません。
・知っててやらないのは罪になる
・メシヤ様に直結すると力が強すぎるから、また、奇蹟が絶大であるために、慢心が生じやすい。
・誰でも手をかざすだけで奇蹟が起こるので努力を怠りやすい
 
心がける事【宗教改革より】
支部長代理
そして、心がけることですが、「宗教改革」より
・正しく霊力を高めるように努力する
1. 体験を積むこと・・・・これは、布教ということによってどの教団でも取り組み、積み重ねることができてきました。。
2. 学習を重ねる・・・・メシヤ様の御日常を拝察するとメシヤ様は神の座にあり、千里眼をもちながらも新聞に目を通され、ラジオのニュースに耳を傾けられました。また、美術書の研鑽も続けられました。そのお姿をメシヤ様の弟子たるもの当然見習い、実践継続すべきです。
3. 人格を磨く・・・・例えば御教えに『下座の行』がある。「能ある鷹は爪隠す」という諺や「実る程頭を下げる稲穂かな」という句を引用されて、上に立つものほど下座の行に取り組まねばならない、とあります。また、『新人たれ』という御教えもあります。人格を磨くことについては事例を多く挙げられていますので、一つひとつ実践しつつ向上を目指さねばなりません。
以上の3点が、最低限必要なことです。これを欠かした教団はおのずから信仰地獄をはじめとする問題を発生してしまいます。
 
◎祭りとは 【宗教改革より】
支部長代理
いきなり祭りと思ってると思うんですが、こういった祭典をさせていただいてますので、祭典の意味合いということで学ばせていただきます。これも「宗教改革」からです。
 
神様のご意図と人間の心が真に釣り合う事を真釣りというのです。ここから祭りという言葉が生まれた、ということになっている。
御神体に向かってお祈りすること、太陽に向かってあるいは東に向かってお祈りすることの根幹は何が一番大切かと言うと、神様の御心と自分の心が真に釣り合うという事。御教えどおりにいつも自分が実践しているという事が一番大事。
顕祭:ご神体がある家でのお祈り
幽祭:ご神体は無いが、信仰心があってお祈りをしたいという気持ちは幽祭
・これは形に表れているか表れていないかという事
・しかし本来の信仰生活というものは幽祭の部分が多い
・信仰は祈ることばかり、手を合わせることばかりではない
・如何に御心に適った生活をするかが、本来の信仰
・御教え実践が信仰
信仰しているというのは、御教えを実践することですよ。
 
◎薬を飲んでいる人への浄霊について【宗教改革より】
支部長代理
この箇所は資料を用意していたのですが、時間の都合上お話できませんでした。しかし、昨今の状況を見ておりますとお世話をしていく上で大切なことかと思いましたので掲載しておきたいと思います。
 
Q.薬を飲んでいる人に浄霊をしたら駄目だという御教えがありますが、これは絶対に駄目だという気持ちでとらえればよいのでしょうか。
A.絶対に駄目だとは言えないでしょ。問題が生じてしまうから。しかし薬を止めて浄霊を頂けば必ず奇蹟は頂けます。
Q.必ず・・・・・
A.そうです。必ず。これは絶対の真理です。問題は体力です。必ず奇蹟をいただくが、問題なのは体力なのです。状況を十二分に吟味して、そのことを説明して本人が決めるのです。
指導者が決める事ではありません。指導者は状況をどのように見極めるかが役割なのです。
 
重病患者が薬を止めて浄霊のみで治していきたいというのであれば、家族の了解もしっかり得た上で臨機応変に対応して行くのが望ましいでしょう。
しかし何度も念を押しますが、医者にかかるにしても浄霊一本で治すにしてもあくまでも本人の意思と言うのが徹底されていないといけません。
誘導するような形になってはいけないので、ここは特に気をつけてください。
メシヤ様のやり方はどんな場合でも臨機応変だったのです。
本来の在り方は提示するが、選択は『本人のご随意に』というご姿勢がありました。
指導者の言われたとおりにやるというのはどちらに転んでも問題を発生させます。
以前お話ししたくも膜下出血の方への対応ですが、「何があっても一切責任は問わないで」という確約を取りました。
 
メシヤ講座の進め方について
支部長代理
これからどのようにメシヤ講座を行っていこうかという話しがありまして、本部でもメシヤ講座を読んでもらったように、一つテーマを決めて勉強させてもらう、今回は霊層界ですね。そいったことと、地上天国祭での総括的な話しをということでしたので、今回こういう形にしました。
それと、支部それぞれの特徴があるし、支部で抱えている問題ということもあるでしょうから、そういったところにもスポットをあてて特徴を持たせて勉強会をやってってほしいということがありますので、方針として。
僕は自分でこういうことを話した方がいいかなと思ってピックアップしてやらせてもらったんですけども、何か皆さんからテーマとかこういったことというのがあれば言ってもらえれば、その話しもさせてもらえるように、僕もちょっと勉強しておきます、ということなんですけど。どうですか?気になる事とか…。
〇〇さん、信仰長いよね、一番。
 
参加者
基礎的なことが分からないので、観音様とメシヤ様のことが分からない。メシヤ教と観音様とか、そういうことが分からない。深いところが分からないので。
 
支部長代理
元々日本観音教団だったことはご存知?
 
参加者
はいはい、それで観音様?
 
支部長代理
昔の御神体は座行観音様、あそこに掛かってます観音様、絵姿の。あの観音様が御神体だったんですよ。観音様関わりありますし、玄関のところに、日の出観音様、メシヤ観音様と言いますけども、あの観音様はメシヤ様が御描きになられたもので、本部の御神体でもあったわけですから。
元々は観音様の信仰であって、観音様というのは大慈大悲、全てのものを救われるのですから、ただ菩薩という位に下がって、神の位から菩薩の位に下がってすべての人を救っていく。まずそこから始められた。だからいつまでも観音信仰ではなく、今は、この前の祭典は天照皇大御神をお迎えするという祭典だったわけですから…。
あっ、そうか、まず観音様からやね。
それで、入会教習なんかのときには、『文明の創造』と観音講座、メシヤ様の御在世当時の入会教習は観音講座をしておりましたので、その講座は結構難しいんですけども、そこのところを織り込みながら、これからやっていこうかなということになっております。
すでに入会している人はしっかり分かっているものとして拝読しとかないかんよと。そういったことを教えていく立場になっていきますので…。
勉強しましょうか。話せる時間を取ってもらえれば個別に話もさせてもらいますし…。
観音様の話の中では、仏教では観音様の後ろに光背、ここに白毫、これが⦿(ス)の形にもみえますよね。
前にある宗派の仏教講座を聞きに行った時には、阿弥陀さんの話しでしたけども、本来仏像を拝むのではなくて、仏像の後ろにある「光背を拝んでるんですよ」という話しがありました。そういったことを考えると観音様とか、そういう仏像の御光を拝む、いわゆる主神様を拝むということに通じるのかなという話しは前にメシヤ講座で話したんですけども。仏教も全部包含しているよと、そういうことだと捉えればいいかと。また聞いて下さい。
では、時間になりましので終わらせていただきます。
 
司会
以上をもちまして月次祭を終わらせていただきます。ありがとうございました。
 
参加者一同
ありがとうございました。

2017年6月9日金曜日

覚りの旅 ~序章~ 平成29年6月


<今月の御教え>
『一人が百人』『太陽神について』『霊層界について』

 
『一人が百人』
支部長代理
今日は勉強することがたくさんありますので、『一人が百人』のところは簡単に一枚にまとめましたけど、御教えに書いてあるところなんですけども、『一人のしっかりした信者を作るだけの力があるとすれば百人を作ることは難しくない』と、鼠算式に一人のしっかりした人を作れば一人が百人、百人が一万人、一万人が一億人、4回それで日本を全部カバーできるんですね。その次になりますと、百億人にもなります。
我々は一人のしっかりした信者でありたいと思います。
 
『入門と奥座敷』
支部長代理
これは、だから信者というのは、『入門と奥座敷』をしっかりと入会研修の時にやりますけども、変な名前つけるなあと思ったんですけど、今思えばですね、奥座敷へ入れる。さっきの話にも出てきましたけども、奥座敷という御言葉だったかな、入門と奥座敷、信仰の奥座敷へ誘うという意味で、良い言葉かなと、このタイトルも、そういうふうに改めて思った次第です。
ここにも書いてありますけど、発刊時なぜこのネーミングと感じましたけど、今はベストな本の題かなと思ってます。
信仰の奥座敷へ誘うということで、この『入門と奥座敷』の中にはどういうことが書かれているのかというと宗教についてということが書かれている。これは三内丸山遺跡、古代人の生活は宗教そのものであったということが書かれてありますし、宗教を思い出すことで諸問題を解決していくんだということが書かれています。
それから、この前勉強しましたけども、『開教の辞』ということが書かれてまして、それからメシヤ教の誕生を学ぶようになってます。それと月次祭の時に読んでます『世界救世教教義』が掲載されていますし、あと主宰神が解っていかなければいけないので『主宰神』『教祖』について、『浄霊』について、それから日々の生活。日々の生活というのは参拝、先祖供養についてのあり方が書かれていますので、入会するということは、この辺をしっかり学んでいることだということで進んでいますのでしっかり読んでおいてね。(笑い)
だから自分たちはその一人のしっかりした信者を作っていけば・・・自分たちがしっかりした信者であれば百人つくりましょうということですね。そうしていけば当然メシヤ教自体も発展していきますし、世界が『地上天国』になっていくということに繋がっていくと思いますので、そこを言いたいのではないかと思います。ちょうどそういう御教えであったということを理解しておけばいいかなと思います。
 
太陽神について 
支部長代理
資料を模造紙に書きましたが、これは見えないと思いますので、聞いてください。事前に資料は送らせてもらいましたけども、メールのある方には。ここに書いてあるのは、太陽神について。これは本部のホームページの方に
の御教えが、掲載されております。いつも私がやっていることは、何かを学ぶときに御教えを検索してそれを抜粋して自分として理解していこうとしております。そのありかたを、全国の人にもそういう勉強の仕方をということがあるんだと思います。皆さん勉強の仕方が分からないという、学び方が分からないというのがあって、親切にアップしてくださっておりますので、せっかくですのでそれを使わせていただこうと思いました。やることは一緒ですので、結局太陽神について学ぼうと思えば検索から始めてやっていきますので。そういうことでこう見てた時に、太陽神と天照大御神、アラーの神様、太陽を信仰するというのは世界中にあるわけです。日本では天照大御神様ですね。
 
主神様というのは、ここにもでてるかな、『一切の根源であって表現はできない』のですよと、『表現する文字も言葉もない』んですと。だから普通なら御神体という形にはできないわけですけども、しかし人間というのはそういう拝む対象的なものが、想念で全部いければいいんですけれどもなかなか難しいので、こういう御神体という形で参拝する対象としてお出ましいただいているという。メシヤ教では主之大御神様と御呼びするのに全く相応しい、こういう宇宙の形をした…後で図が出てきたら話しましょう。
最初に現れたのが、主神様として、天御中主大神様、古事記にも出てきますけども、ここに書いてあるんですね。その神様がお出ましになられて高御産神、神御産神が現れたと古事記にも出てます。主神様の表現神として支那の方では天帝、無極という神様ですね、ユダヤの方ではエホバ、ゴッド、ジュース、メシヤという名前で呼ばれています。メシヤというのは人間の名前ですよと。主神様、天御中主大神様の表現神としてインドの方では大自在天と呼ばれています。
それで他の御教えを読んでいくと、=(イコール)で日月地大御神様、この日(じつ)月(げつ)地(ち)の日月地大御神様。ここには日月地大御神様はエホバ、メシヤ、天帝でもあると書かれています。こういう形式になるかと思います。だから五六七の力を発揮ということが主神様の力。日月地、火水土の力を発揮できるのが日月地大御神様である。そういうことが書かれてあります。この中でいくとメシヤ様もそういうことですね。
それでメシヤというのは、国常立尊様でもあって閻魔大王にもなられると。一神にして多神ですので、働きが神様の御名前になってきているので、名前が違えども同じという御教えがありますので、そいうことなんですね。分かりにくいですけども神様のことは。
メシヤ、国常立尊様は審判の神様であって永久的でないと。永久的でないと御教えにありますのでね、国常立尊様というのはね。絶対神の表れがこの国常立尊様。この神様は善に徳を与え悪を許さない神様。で、同時に観音様にもなられるということで、観音様になったときには善悪無差別に慈悲をもって救われる。同じ神様なんだけれどもそういう働き、観音様となった時には無差別に救ってくださる。国常立尊様となったときにはメシヤ様が厳しくなられたときというのは国常立尊様の御働きをされておられたわけですね。そういう働きによって呼び方が違っているというふうに捉えればいいかと思います。ここに書いてますけど、これを単に図式化してっただけですので、自分でも書けると思います。これだけぼーっと読んでると分からないもんでね、書いてみないとね。
ここは、メシヤは赦し主であって国常立尊であると。エホバという神様は病気を治す力があって観音様にもなると。メシヤ様。それでここに書かれてある化身では力が発揮できない。働きが限られるので、化身というのは観音様になっている場合は働きが、皆を救うんだけれど働きが限られてる。だから観音様は化仏といいます。光明如来様も化仏であります。だから光明如来様の時と観音様の時は同じ神様なんだけども働きが限られているよということ。
絶対力になるとメシヤの御働きになるということですので、『メシヤとならせ』となったときには絶対的な力を振るわれるということが書かれています。そういうふうに読まれました?どういうふうに読まれましたか?僕はそういうふうに読みました。あの受け取り方はいろいろあると思います。
それで、これ観音講座のところからたぶん抜粋していると思いますけど、伊弉諾尊と伊弉冊の神様がおられまして、その子供で支那の方では若姫岐美尊、若姫岐美の旦那さんが盤古神王と言います。盤古神王は支那、だから中国の祖、一番の元になったのが盤古神王であると。朝鮮の方では素素戔嗚尊で、これはユダヤにも行ったと書かれています。日本では天照皇大御神様、ここで出てくるわけですね。で、これは神世の時代の話ですけども岩戸隠れされたと。天照皇大御神様というのは火の働き、当然太陽神ですので火の働きであるというこがここに書かれています。で、世界統治されるのが国常立尊様であって、国常立尊様もまた鬼門の方角、芦別山に御隠退なされたと。で、御隠退なされて閻魔大王になられた。幽界というところの主宰神になられています。
国常立尊様は審判の権限を持っておられる神様で、この神様が御隠退された時に家来の神々も引退されたそうです。家来の神々が引退すると邪神の方が支配されるように夜の時代になっていくんですね。この総大将というのが天若彦尊、天邪鬼と言われる天若彦尊が総大将で邪神として働いている。そういうことです。今の時代に再び国常立尊様が正神界の神々を従えられて現界に現れてきて裁きを始めているというのがそういう現界であると。今の世であると思います。
天照皇大御神様が火の働きであって、そこから分かれて伊都能売大御神様ともなられるわけですけども、この伊都能売神となった時には火と水の働きをされます。水の働きが加わるんですね。メシヤ様は伊都能売神様でもあったということです。その時の御働きが火と水であると。この場合、救世の力であってこの伊都能売神が化現したのが観世音菩薩であります。だけど観音様は火水土となってますね。ここに土の力が加わると弥勒になりますよと言うことが書かれてます。うーん、難しいね。何が言いたかったのかなあ。
 
参加者
それって結局メシヤ様は肉体を持たれた、あのお姿のことですよね。火水土三位一体弥勒。
 
支部長代理
メシヤ様が土であって伊都能売神であって、これが火と水の働きなんだけどもメシヤ様の御肉体を通して火水土の働きをされたと。
ここにはさっきと同じことが書かれてまして天照皇大御神様は火の働きで位が高いんです。位としてはものすごく高いんだけど働きというと限られてくるんです。太陽神であって高位の神様なんだけども、仏界では化身して大日如来になると。それで火の御働きであって伊都能売神様になると火水、日月の御働きになりますよと。観音様も同じなんですよと。それで次の段階では火水土、日月土の働きをするのが弥勒大御神様というこがかかれてます。で三位一体で完全になるんですということで、そういうことからいって、今私たちがしきりに言っているのは天照皇大御神様、これ僕が思うに押し込めてますもんね。岩戸隠れでは。で、御出し申し上げるということはそういうことなんかなと思いますし、だからこの前の国常立尊様も押し込めているわけですから。2月の節分祭では国常立尊様に御詫び申し上げるということがありますし、6月15日には天照皇大御神様、岩戸隠れされとって、ちょこっと開いているところを引っ張り出す。これは古事記でいくと手力男命が引っ張り出す。誰かが踊らなあかんのかもしれませんけども。舞い踊って何かなと思った時引っ張り出す、古事記ではね。型で前の晩に誰かが踊ればいいかもしれんけどね。これはメシヤ様が型がおきた時に前の晩に踊ってますね。
 
参加者
静岡の庵原刑務所の中で。
 
支部長代理
そうなの。誰が踊るのかなと思って、前日に(笑い)
急に縦書きになりますけども、僕もしきりに天照皇大御神様のことを何故今とかということをいろいろ勉強している時に出てきた御教えです。
『散花結実の意味は、梅の花が散ってこれから実が成るという意味を歌ったものです。これは非常に神秘な話です。そうしてあの時の』これはさっきのね『手力男命は望月という弁護士です。あれが私を引っ張り出したのです。』これは実際に弁護して牢屋から引っ張り出してくれたという話ですけども。そういう役だったということですね。『その時初めて天照大御神様の霊が私の腹に宿るという事になります。』御教えでしっかりとメシヤ様が自分の中に宿ったのは天照大御神様だと。これはきちんと御教え集23号にある話です。天照大御神様が何で?と疑問を持たれる方がおられるかもしれませんが、御教えできちんと残ってますので。天照大御神様が入られたということが。『それで光がだんだん強くもなるし大きくもなります。その代り浄化も強くなります。しかし別に私がそうするわけではないので神様がそうするのです。』という御教えがございます。これはなかなか検索してても出てこなくて、ある本を見とって、あっ、これこれこれ…『夜昼転換』これは僕が京都に行ってた時に、○○先生から教えてもらった時に、メモしたのが平成11年5月29日、いただいた御教えを見ていたら出てきました。『夜昼転換』を見ておりましたら関係するようなことがあったので書いてみました。これは『文明の創造』にも出てきます。『霊界における昼夜の転換より』ということで『世界の大転換に関する主なる点であって、何よりも先ず大転換の時期であるが、それは1931年6月15日から始まって1961年6月15日までの30年間で一段落がつくことになっている。』という御教えがございます。で、それを30年で周期で考えた時に1931年から1961年、昭和36年、これ三六(みろく)と出てきますけど。これから30年後というとね、1991年なんです。平成3年です。これまた3が出てくるんです。不思議じゃないですか?これ。30年30年、三六(みろく)で3年出てきて、その次の30年は何かというと2021年6月15日なんです。これ平成33年なんです、あればですけど平成が。33と出てくる。平成33年ないとすれば今言っている平成30年、僕のこじつけですけど、僕の考え。これが例えば、ここをターニングポイントにしようと思った時に、何かを起こそうと思った時に波紋的な話しであって、例えばメシヤ教が核となるとか、その波紋の種であるとか、そういうものであるとするならば、開くのにいつの段階から始めるのかというと3年とした場合に2018年6月15日ですよね、来年、3年間。だけど30年というのがこの間に来るので、この3という数字を見ると2018年3月3日をポイントとした場合には今度の6月15日しかないということですよね。型を示すにはこの時しかないのかなと、これ私の考えです。ない頭絞って、この動きは何かと思って考えていこうかなと僕は思っただけで、皆さんそれぞれあると思いますので、受け止め方は。自分の思ったことを言ってます。
 
霊層界について
(図を見て)上手かな、下手かな。霊層界ということも学べという話しがあって、どうも繋がって来るんですね、太陽神を学んでいって霊層界に繋がってくる。その霊界で起きたことが現界に移写してくる。このフイルム的な、映像となって現界に出てくるような、同じものが大きくなって。御教えが『私達の住んでいる世界を現界といい、現界に起こることは目で見ることができます。しかし、実は霊界という目に見えぬ世界があり、現界は霊界から支配されています。善いことにせよ、悪いことにせよ現界に起こることは霊界に起こったことが反映したものなのです。』これ『自然力』という御教え、御神書宗教編というのがあるんですけど、昭和22年の御教えです。解説はこの御教えを基に○○先生が解説されたことを記載しました。この絵も描いてあったので。イメージがわくかなと思って。
 
さっき主の話しをしてて、チョンの話しね。ここに書いてある昭和27年6月16日の御講話『神仙郷完成兼美術館開館記念祝賀式典御講話』の御教えです。『世界を天国にするには、この種が変わればよい』一番小さなところが天国になると、ここが天国になると世界に拡がるんだよという御教えなんですけども。世界というのは実なんだと、種はメシヤ様であってメシヤ様の働きを担わせていただこうとしている私たちにとって、この種の働きをしていかないかんのだよということ。やってることが何だメシヤ教、そんな小さいところがと。大きい○○○○とか、○○○○から見ればそうなのかもしれませんけども、ここが変われば、問題を起こすとかそんなじゃなくてね、ここが天国になれば拡がっていくんだよと、ここが大事なんだよということが御教えでも解るんかなと。メシヤ様は天国をつくる本尊様であるということが書かれてあります。
これは中心がポチであって、この形というのは宇宙の形なんですよと。宇宙にポチが入った形、これ丸自体が宇宙ですよと。チョンが肝心で、そのチョンというのがメシヤ様の救いの仕事の事なんですということがこの御教えに書かれています。救いの仕事なんですね。救いの仕事をしていかなあかんということですね、かなぁという感じです。
 
この『夜昼転換』から『大体日本に火素が増えるという事は要するに昼間の世界になる事です。それは明治からもうそういう工合に始まっているのです。』『霊界というものは三段になってますが、天国でも第一天国、第二天国、第三天国となっている。それで第一天国が黎明になって、それから第二天国、それから第三天国、それから八またになるのです。』八またというのは現界に相応します。『昭和6年6月15日、現界の黎明になった。』と、これはメシヤ様が日本寺に行かれた時です。『そうして段々日が出てきます。つまり浄化が強くなって来る。火素が増えて来る。』これは御教え集14号に出てきます。
 
続いて『夜昼転換』の話しで法華経、法華経の話し出てきましたよね、2月に○○さんが霊視されたということがありましたけども。『法華経は法の華を咲かせる。咲かせるというのは実を生らせる事です。で、法華経28品の二十五番目が実なのですから、そこで観音を生む為に法の華を咲かせるというのでメシヤ教の根本は観音ですから、現界的に愈々生む事になります。』これ御教え集14号です。とすると25品が実なんですけども、他の27は華ですと。それでここには、江戸時代徳川は素戔嗚の系統であって月の系統です。明治というのは世が明け始めた意味合いですよと。大正昭和となっていよいよ現界に日が出るんですよということが、これも御教え集14号に載ってます。
で、メシヤ様は大和民族の頭領であって日の系統なんですよということと、今までは月、夜の世界であったので月が出ている間は太陽は地球の裏側になって暗闇になっていた。いよいよ太陽が出て月の夜が隠れてしまう。太陽が出ている時は月が見えませんので、天界というか、そういうことと、現界のことというのは密接に繋がりがないように見えてあるんですよと。分からんよね?私も分からないんですよ。
 
ここに本「波動の真理―人間・地球・自然の未来のために」 1994/11 江本 勝   (著) というのがあるんだけども、前にも話した事がありますけども、雲消しゲームというのがあってね、天界のことというよりも目に見える雲を想念で消せれるんですよ。僕らやりましたんで。だから御教えでは曇りってあるわけじゃないですか。雲消えてって念じていると見る見るうちに消えていきますから、穴が空いたみたいになってわーっと拡がって、またやってみてくださいね。じーっと見て。これ本当です。今日みたいな雲は消しやすいと思います。これ波動とも関係している。雲が消えることを信じて疑わないとか一生懸命やらないようにする、のぼせてやるとエネルギーがうまく飛ばない。この前、学んだ想念ということもあると思うんです。波動=想念。エネルギーとしてのレーザー光線が自分の心からまっすぐ雲の中に入っていくところを想像し雲の各所に照射させる、そんなイメージ、雲が消えましたとか過去形で言うとか、同時にエネルギーに対してありがとうございましたと過去形でお礼を言うと。内容はともかくとして雲消しゲームというのがあったので自分たちもやってみたら消えましたという話しです。人間の体の曇りをとるには力を抜かなあかん。今の波動の話しもそうだったね、一生懸命やらないようにする、力を抜くということですよね。だからレーザー光線というか波動エネルギーを出すというのと、浄霊の想念というのと通じるものがあると思うのです。
この江本先生、「水は答えを知っている (サンマーク文庫)2011/1/17」この人は「水に「ありがとう」という言葉を見せると、形のととのったきれいな氷結結晶をつくる。 一方で「ばかやろう」という言葉では、美しい結晶がつくられる。」ありましたよね、この人ですわ。その話しも出てるので、雲が消える、実際に目に見える、繋がっているわけです。霊線。これ雲をつくることもできるそうです。そりゃそうですよね、御教えにもありますもんね。人間の想念が悪い言葉とか出していた場合とかは雲になるわけですからね。皆がそういう曇りになると暴風雨とかね。そういう御教え通りかなとわからせてもらえる、目に見える形で分からせてもらえるのかなと思って自分らもやってそうなりましたと、また皆さんもやってみてください。そういう話し面白いでしょう?(爆笑)
 
霊層界について、前にも話があったけど、天国、八また、地獄というのは60段60段で、また3つに分かれてますよということがあって、これ全体で180段。180段の一番上にメシヤ様で181段。
この霊層界の階級に属するかで幸不幸が決まってくるんですよと、これは決定的なことですというこが書かれています。で、何がここに属するのかというと幽体ですわ。(絵を指しながら)今ここはないと思ってください。生きとる時はこういう感じで肉体があって、そのまわりに霊体があります。肉体は霊体によって支配されてまして、この霊体というのはこのどっかにいる幽体というのがあるんですけども、幽体に支配されています。人間亡くなると肉体が現界に取り残されて、この霊体というのが幽体とくっつくんです。この格好と同じように幽体と霊体がくっつくらしいです。ということで、上下する仕組み、自分の籍というんですか、幽体の在籍しているところが上下するというのは現界での人間の行動によるんですけども、先ほどの善悪、善をすれば上がるし悪行を行えば下がっていくし。あとね、宿命と運命って聞いたことがあるでしょう。宿命というのは自分のこの籍がね、大概の人は八またですよね。初めから地獄にいる人はここにはいないと思いますけども。八またのどこかにおるわけです、籍がね。ここの階層から抜けられないのは宿命上できないんです。法則です。神界の法則、霊界の法則上。だから今天国にいる人はものすごく幸せかもしれません。今どこにおるかわかりませんけども。この中からは抜け出れないと。だけど運命というのがあって、例えば、この真ん中におるとしますね、悪いことをするとここまで下がってくると、これが地獄の方に近づいていくと現界に及んできて不幸な事が起ってくると。そういう仕組みだそうです、霊界の、それは御教えにあります。「霊層界を勉強するように」ということで勉強していったらこういうことが分かったということですので、これは御教えですので。だから範囲外へ出ると運命が急転すると。範囲外とは60段の中の20段20段20段の枠から出た時に運命が急転するそうです。ここに上がったらものすごく幸せになるとか、下がったら不幸に落ちるとか、という仕組みがあるそうです。この幽体というのはこのどこかに属しているんですよと。
 
神様からいろいろメッセージとかあるかと思いますけども、感じれる人はね。主宰神より幽体に対し命令が下るそうです。正しい神様の話しですけどもね。狐とかそういういろいろ間違うといかんのでね、それは御教えで照らしていかないかんと思いますけども。主宰神より幽体に対し命令が下る。この幽体に命令が来る。ここにどこかに在籍している幽体に命令が下る。この幽体が霊体に対して反映していくわけです。今度霊体が肉体に対して反映して体が動くと。なんかこう言わされてしまったとか、そういうことがあるかもしれませんけども。そういうような感じです。上手くいかないとか予想外とかということがありますけども、これは幽体の運命に左右されるんですよと、それは法則ですよということが書かれています。『善事を行い徳行を重ねれば罪穢が減少するから軽くなり』と、軽くなるから上がると。『悪事を行い罪を重ねれば罪穢が増えるから重くなる』重くなるから、よく罪の重荷と言いますね。罪の重荷とはよく言ったものだということが書かれています。だから善悪の心言行そのままが霊線によって神様へ直通なんですよと。メシヤ様に繋がるということは善い行いも悪い行いも見ておられますので。だんだん怖くなってくるんですけど、怖がらなくてもいいんですけど、正しいことをやってれば。ということがここに書いてあって漫画にしたらああいうね。
 
ここに書いてあるのは、幸福の秘訣の後で霊層界のことについても話しされていた中で、最後の、どうしても太陽の光でなければ駄目ですよと、太陽の光は毎日必ず出ます。暗闇はない。悪いことも幾日も続きません。すべてがそうです。太陽の光が大事だということで、ここでも天照大御神様に繋がるんじゃないかなと思います。
霊層界の地位とか地獄におれば地獄の通りに移ってくるのですよと。それから霊の力が弱いと怯えるとか、怖がるとかそういう魂が委縮しとるとそういうことになってきますので、これは霊の力弱い=肉体の健康、肉体が弱いということにもつながってますよと。だから健康でなければ魂も小さくなって悪い霊に対して怯えたりするようになりますよということが書かれています。だから自分の魂を霊層界の高いところにおくようにしてくださいねと。災難とか苦しみ、来る時は不健康な時ですよと。健康な時は運勢は良いですねと。で、霊層界が上がると金に苦しまなくなるそうです。大黒様にも頼んで・・・今日は特別一生懸命磨いときました。ちょっと光ってます(笑)
 
ここに書かれているのは、要は根本の根本は自分の魂の居所にあるんですよと。さっきの霊層界の話しですので。勉強したよね。魂が浄まってても器である体の方が汚れとると浄化が起るんですよと。僕もそうだったと思うんですよ。一生懸命勉強してこういう場所を賜ったけども、ここを賜るには浄化が必要だったわけですね。それなりに体も清まっていかなあかんのだと。そういうことかなと。浄化の受け止め方というのが、この霊層界を勉強していくと変わってくると思うんですよ。
 
未信者の浄化作用というのは健康を維持するためにあります。だから信者さんと未信者さんでは浄化の意味合いが違うと。魂が追っ付かないかんもんで浄化が起るということ、浄まった時ね。だからこの場合は何も怖くないんですね。
これ読んだ方がいいかな。『だから魂の資格さえ上になっていれば、ぜんぜん苦しみはないわけです。しかしそうかと言って、人間今までにいろいろな罪穢れや薬毒やいろいろなもので汚しているから、その掃除をされなければならないのです。そこで、信仰に入ると魂だけは上の方に行ってしまいます。そうすると魂だけが光を持つと、肉体にある汚れがどうしても魂と相応しないから、魂の地位だけにきれいにならなければならない。浄まらなければならない。それが浄化作用です。だから信仰に入ってからの浄化作用と、未信者の時の浄化作用とは意味が違うわけです。』と、さっきの話しです。それから浄化の意味合ということですね。それから『だからして“どうも思うようにいかない、困ることが多い”ということは、結局自分の霊界の地位が低いからです。たとえてみれば“自分は信仰に入ってありがたい、よく分かるが、どうも親父の奴は分からない”また“娘も倅(せがれ)もこれに反対してしようがない、どうしたらよいだろう”というように考えている人は随分あります。それは自分の霊層界が地位が低いからです。もし自分が高ければ、自分の家族の者は霊線が繋がってますから、自分の霊が向上すれば、その繋がている枝でも幹でも、自分の地位の方に引っ張り上げられるわけです。私がいつも言う“分からなかったらウッチャラかしておけ、急って早く信仰に入れようという考えはいけない”ということはそいうことです。ですからそいうことはぜんぜん考えないで神様にお任せして、自分だけが一人でも多くの人を助けて、』さっきの一人が百人に繋がっていくと思いますけども『一人でも多くの人を助けて神様のお役に立つというようにすれば、自分の霊が上がって行きますから、そうすると他の者も自然につり上げられるから、黙っていても分かるというわけです。結局において、根本の根本というものは自分の魂の居所にあるのです。』今にぴったりかなと思って。皆さん家族の者が分からないとかそういう場合は自分が高まっていきましょうと。時間がかかるか分からんけども(笑)
 
これはこの前も出しましたよね。メシヤ様のことが分かることは信仰の奥義だと、この前と一緒ですけど、自分が○○先生からの教えの中で、これはメシヤ様からいただいた御垂事として「罪の元は薬という教えもあり、神様を押し込めたことが罪の根本だという教えもございます。この二つの教えの関係はどういうことでしょうか。またその「押し込めた罪」というのは人類全部にそういう罪があるのでしょうか。」と。で、御垂事では『勿論神様を押し込めたことが罪の根本です。薬毒というものは浄霊をすれば取れるものです。みんな神を押し込めた罪がある。』皆ですからね。『教団も幹部ほどその罪は重い。私を世に出してその罪が消える。』これはどういうふうに世に出すかということですね。メシヤ様のことを知らせていくということだと思うんですけども。『要するに私というものが分かればよい。しかし私は化けているからな。』この化けているからなというのは、さっきの観音様でもあって伊都能売神様でもあって、今言う天照皇大御神様であって、化けているので分からないでしょという話し。で、○○先生が聞いたのが「ということは、メシヤ様の御神格を分からせて頂くことでしょうか」と。今一生懸命御神格を分からせていただこうとしてやっとるわけですわ。御神格が分からせていただければ力も賜って、こう浄霊力も強くなってくるとかそういうことであるわけなんだけども、この時のメシヤ様の御答えが『そうではない、一人でも多く信者をつくることだ』と。さっきの一人が百人に繋がっていくんだと思います。神様、当然考えてその力を頂くように向上していくんですけども、分からないからといって駄目だということじゃなくて、『そうではない、一人でも多く信者を』と、ここのところが分かっていけばメシヤ様の御用にお使いいただけているんではないかなと思って、この御教えは僕の心の拠り所としている御教えですよということで送らせてもらったんです。そういう意味合いで送ったんですけどね。
結構書いたけど読めたね。時間足りんかなと、全部読んだわけではなかったんですけども。あった御教えというのは、また皆様に勉強しておいてほしいなと思います。読んで僕はこういうふうな勉強の仕方をしてますよということです。こんなふうに書きながら。
 
参加者
今日の中で、浄化の意味合いの違いというのを拝読させてもらってものすごくありがたいと思いますよね。未信者さんと信者さん違うという、それだけでもすごいことですよね。
 
支部長代理
当然入会されてね、ぐーっと上がってしまったもんで浄化が起ってくるとね。その辺ですよね、体を綺麗にということは、当然食生活を気を付けていくとか運動していくとかいう、それは僕も教えられてきたことですけども、そういうことが追い付いてなかったりしてね、浄化作用ということで体の中にまだ薬毒とかが、今までの薬とかが残ってたりするもんでね、そういったところを魂の向上に応じて浄化作用が起ってくると、そういうふうに浄化を捉えていけば、ありがたいことだって思えるじゃないですか。それが『天恩地惠』、天の恵みでもあるんかなというふうに思いますし、だから病気と捉えるか、病気と捉えると辛いな痛いなと思うけども。浄化と受け止められるかということだと思います。
 
参加者
あと、よくありがちなのが浄化=罰、罰が当たったみたいな捉え方。違うってはっきりおっしゃっている、これも大事な事ですよね。
 
支部長代理
そうそう、だからメシヤ教信者さんやメシヤ様を信仰する人達との違ですわね。一般の人たちとの病気の捉え方というのはそこまで違うと、だから私等もこうやってずっときとって魂が上がってきたもんで体が浄められなあかんもんで、そうやって浄化を受け止めて・・・
 
参加者
その時の体力というものは、その時期時期でここまでならできるという感じでくださっていると思うんですよね。その人その人に応じてね。
 
支部長代理
それは僕も身をもって体験したのは、腰が動かなくなった時、休める期間てあるわけじゃないですか。仕事しとった場合、休める期間、2日3日ぐらいなら何とか会社に言って休暇いただけるわという期間の間に治してもらえたでね。この前丸半年以上休めた、まあ休暇もあったんですけど、休まされたみたいな感じの時というのはそれだけ会社が対応していただけたということと、診断書を書いてもらえる医者が見つかったということもあって、ああいうふうに休めたということもありますけども。
 
参加者
生活に関してもそのように、過ごせれるようにということもちゃんとお膳立てしてもらいながらやっていける。
 
支部長代理
子供等も学校へ
 
参加者
そうそう、学校に行ってたりするとなかなかね、生活もあるけども、ちょうど子供たちも片付いて、父母も心配することなくっていう形でやらせてもらっているから、そのように全て全て順序立てていただいていかせていただけるんだなあと思ってね。
 
参加者
もう一つ勉強させていただいて感じたことなんですけども、メシヤ様は国常立尊様と閻魔様の審判の御働きと観音様の善悪無差別の両方のお力と言いますか、役割をお持ちだというところで、どうしても、国常立尊様が出てこられるというと、ちょっと怖いなというか、印象が実はあったんですけど、今日来る時も拝読させていただいて、今日勉強させていただいた時に何か国常立尊様の愛情みたいなものがすごい感じたんですよね。だからあくまでも悪いことをしているというか、曇りがめちゃくちゃ多いとかね、そいうことを含めてなんですけど、そういう人に対しては恐ろしいというかなんですけど、一生懸命いろいろやろうとしている我々にとってはむちゃくちゃ。
 
支部長代理
そうやね。厳しさも愛情というか…
 
参加者
そうそうそう
 
支部長代理
一生懸命高まろうとしている人に対して駄目だということはないと思いますよ。読む御教えによっては、これは御教えにあるもんでなんだけども、大審判の時に生き残るのはたとえ信者であっても3分とかいう御教えがありますので、それは全く分からないとか、間違ったことをするとかっていう人だと思いますのでそれは怖れることなく御心に沿っていけばいいんじゃないかなと思います。
 
参加者
よく先生がいってらした生活業ですよね。それこそ入門と奥座敷の中に書いてる最後のね、日々の…。
 
支部長代理
そうそう、日々読ませてもらっている御教えですよね。『自分が完全人間になろうとする努力する人が多く集まるのが地上天国であります』と話しされておりますから、その辺をそう実践していけばそんな最後の審判くる、今の世界の情勢を見ていると来てますよね。そういう状況ですし、これからそういう時に自分たちの役割としてはさっきの一人が百人じゃないですけども、たとえば浄化の厳しい人がですね、医者で駄目だとい言われた人がどんどん来るようになると思うんですよ。そういうふうに御教えにあるわけですから、そういうときの受け皿がそれぞれがしっかりとした信者として対応していけるようになっていかなあかんということで、そのために今一生懸命に学びというものをやらしてもらっとるんかなと。それぞれがね、そうしないと対応できない、今の話しで。一人が百人作って増やしていかんことには、ウォーッとくるわけですから、その前段階であるということで、その前にまずは信者さん方から浄化をいただいて魂を、一生懸命勉強したところまで、覚えたところまで体がもっていけれるように浄化作用をいただいているのかなというふに思わせてもらえればなと。
 
最後になりましたけども、あの、皆さんに報告させて頂きたい事が。この6月で、僕、丁度56歳7ヶ月になります。
で、まあ…去年、浄化して時間があったので色々考えて、サラリーマンと御神業と並行してやっていくには段々無理が出てきているなと。丁度、御神意を考えた時にですね、御神業一本でやって行こうと思いまして。
これからはですね、電話いただければ、御浄霊させていただきますし、お話もさせていただきますので、私を使っていただければと思います。今まではそういったところで不便をおかけしてたと思います。今の話しの浄化の意味を捉えて自分としてこういうふうにしていった方が、ここ、こういう広いところで、今はまだ少ないですけども、これだけの人が集まれるようになればですね、そういったとことでやっていけれると思うし、そういうこともあって決断したということです。
 
参加者
私と二人だけなので、なんとか、畑も借りれたことですし…(笑)
 
支部長代理
そうそう、御神業に励みつつ、細々と畑をやらせていただきます。それではこれで終わらせていただきます。
 
司会者
以上をもちまして6月度月次祭を終わらさせていただきます。
 
一同
ありがとうございました。
 

2017年2月10日金曜日

平成29年2月

メシヤ講座no.192三重(平成29年2月)
【メシヤ講座 三重支部】
 
<今月の御教え>
「『善悪発生とキリスト教』」(昭和二十七年)
本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』57ページに記載されています。
 
学びの整理と「覚り」報告
支部長代理
皆様、教祖祭、月次祭おめでとうございます。どうぞ足を楽にして下さい。私も楽にさせて頂きます(笑)。
1年前になりますけど、去年の2月の月次祭の時に、楳木代表に旧三重支部の駐車場とかの問題でご相談させて頂いたのがきっかけで、その2月の月次祭の3日後に、この現在の三重支部の建屋が売りに出ているという事で見学に来まして、その更に3日後に、売買契約をすることができました。三重の地で3日で3日で3、3、3。ちょっとこじ付けですけど(爆笑)。その頃は今よりも6~7キロ瘦せておりまして、体脂肪も10%位しかありませんでした。今は見ての通り、20%超えましたけども。新たな地で手探り状態でありましたけれども、1年があっという間に過ぎてしまいました。入会者もぼちぼち出て来まして、一緒に御神業を許されつつあります。有難い事だと思っております。
今回の『善悪発生とキリスト教』ですけれども、善悪の問題は主神様以外は分らないが、メシヤ様はお分かりになるので、メシヤ様とは最高最貴の御神格で在られるのだという事を今回御示しになられている御論文ではないかと拝察させて頂きました。それで、59ページの後ろから5行目、『真善美完(まった)き理想世界を造る』のが主神様の目的であられるので、“目的に必要な程度の物質文化の発達でよいのだ。”という事かなって思いまして、“発達し過ぎるのも駄目だと言えるのではないか”と思います。現在を見ますと、物質文化は究極を迎えているのではないか?と思われます。と言いますのは、今日の朝日新聞にも出てましたけれども、これは2月4日の毎日新聞からですけど、【クローズアップ2017】という所に、「日本の研究者に米軍資金」というのが出ていまして、米軍からお金を受け入れて、研究をしたという事が問題として取り上げられております。「軍事研究拒否」ということが前提で来ている訳ですけれども、形骸化して来ているという事が指摘されております。どんな研究かと言いますと、例えば京都大学では、データマイング、データ解析の技法を大量のデータに網羅的に適用することで知識を取り出す技術の研究ですね。それはAI(人工知能)の開発に欠かせないそうです。それから大阪大学の方ではレーザー技術、核融合発電とか、プラズママテリアル、舌を噛みそうな名前ですけど、光を含む電磁波を自由に操って対象物を見えなくする技術、というと、どんなことに使われるかなって思うと、直ぐに浮かぶのがですね、ステルス戦闘機、見えなくするんですから、光で見えなくする、光学迷彩というそうですけど、そういう技術が米軍に渡ったら使われますよね?というと、善悪の境がなくなってきているんではないかなって思います。まあ、平和利用するのも、兵器に悪用するのも、人間次第だという事ではないでしょうか。悪が極まって来た象徴ではないかと思いました。
もうひとつ紹介しますと、世界最大の見本市、何の見本市かというと、家電、ITの見本市にトヨタが出したのが、これもAIの関係ですけど、運転手の表情やハンドル操作をAIが把握して、脈拍センサーとかインターネット情報を収集する技術を応用しているそうですけど、そういう情報を把握して、眠たくなってきたら自動運転に切り替えるとか、安全運転を促したりとか、眠たくならないような音楽を鳴らしてくれるとか、そういうようなことができるようになるそうです。物質の進化が極まると、その物質を使用する人の心が悪だと、大変なことになってしまいます。私たちは今、懸命に「覚り」の学びを続けておりますが、使用する我々の資質の向上、獣性の除去が早急に求められているのだと思います。文化の進歩に遅れてはならず、一気に向上しなければならないということが分かるのではないかと思います。
それから、61ページ『(前略)としたら或時期迄の統制も調節も必要となるので、其(その)役目として生れたものが宗教であり、その主役を荷った者が彼(か)のキリストである。同教の教義の根本が人類愛であるのもよくそれを物語ってゐる(後略)』と御説き下さっております。アメリカはキリスト教の国ですよね?人類愛を根本とするキリスト教の国が今、他民族を排斥しております。“キリスト教の役目は終わったのではないかな”って思いました。私の感覚ですけど。
更に65ページの最後から3行目、私が一番気になった所なんですけど、『善悪の人間が清算され』と書いてありますね。悪の人間が清算されではないんですね、ここに書いてあるのは。善悪の人間、悪だけでなく、善悪の人間、善の面を被った悪人という事かなって思いますけど、本当の善人以外は清算される訳ですから、善人間になれ!獣性を除去せよ!服従できなければ、滅亡だ!!と、はっきりと仰っておられます。皆さん、時間がありません。『悪人を悔改めしめ、犠牲者を少なくする其(その)救ひこそ、神の大愛である事を知らせるのが本教の大神命である』のですから、メシヤ様の御教えを伝え、浄霊を実践し、一人でも多くの人を信仰の奥座敷へとお導きし、3、3,3、とメシヤ様が御示し下さった、平成30年3月3日に結集しようではありませんか!以上で報告とさせて頂きたいと思います。ありがとうございました。
 
三千年来の罪穢れ
楳木代表
皆様、改めまして宜しくお願いします。今日は教祖祭を兼ねたので「おめでとうございます」と言って良いのかというのが悩ましい所なのです。神界に御帰りになった日なので、人間側からするとメシヤ様が御肉体を御持ちになって、この現界に降りて下さって、我々に救いの力と方法を授けて下さった訳ですけれど、その御一生というのはどんな人に比べても大きな御苦労を重ねられて、御一生を御過ごしになられた訳ですので、感謝を申し上げても、どんなに申し上げても足りない位の御存在で御座いました。最後の御浄化に入られてからは、御自分で思われていた教団にはならなかったというふうに、これは無念な思いなのか、神様側から見て、人類はまだ神性の蘇りが今一つだったなあと御思いになられたのか、その辺は拝察するしかありませんけれども、そういう中で神界に御戻りになられたので、ただただ私たちはその御一生に感謝申し上げて、その御遺志をしっかり受け継いでいかなければいけないという、“そういう決意を固める日でもある”と思いながら、今日は祭典に臨ませて頂きました。そういう日でありますので、祝詞もですね、明るく上げる訳にもいかないし、ということで、参拝の仕方も中々教祖祭だけは複雑な思いでご参拝をさせて頂きました。そういう祭典を終わらせて頂いて、今こうしてメシヤ講座に入らせて頂いてますけれども、支部長代理から本日拝読をさせて頂いた御論文について、学びの整理とそれから、「覚り」を報告して頂きました。今月は2月3日、4日と節分祭、立春祭を執り行わせて頂きまして、教祖祭と非常に密接に関わっていますが、○○会は節分祭はされているのですか?
 
受講者
4日はありましたけど、私は行けませんでした。
 
楳木代表
4日は立春祭ですね、3日の節分祭はしてないですか?
 
受講者
してないです。立春祭だけです。
 
楳木代表
と、しますと、世界救世(きゅうせい)教始め、節分祭をしていない教団は、三千年来のお詫びはしてない訳です。そういう教団ばかりになっている中で、三千年来の罪穢れをお詫びさせて頂いているのはメシヤ教とどこかの教団があるかないかという所でありますけれど、私が世界救世(きゅうせい)教の職員時代も教団自体も節分祭は取りやめておりましたけれども、私自身は、御教えにはメシヤ様は『節分祭はしなくてもいい。それよりも人を救う事が大事だ』という御垂示をされているのですけれど、これはメシヤ様という御立場の御発言であって、人類はどこまでもお詫びをしなければ天国というのは到来しない訳ですので、ですから、私はずっと教団方針とは違って、節分祭を組織の中に居ても、ずっとし続けた訳です。そうした所を、神界も見て頂いて、メシヤ教を立ち上げる時に、段々と力を授けて下さるようになったのだと思います。
そして、今年は大勢の方々が大分の本部に結集して頂いて、そして人類を代表して、三千年来の罪穢れを、罪穢れを祓ってくれるような風が吹いてますけど、外は・・・(笑)、こういう家の作りなので、風の音が非常に分かり易くて、いいですね。風が吹いてね。今はサッシできちっと留めてしまうので、外がいくらびゅうびゅう吹いても中々聞こえてこないところですけれど。今回の節分祭においては、神界の方では、まずあのように結集してくれたことを非常に喜んで頂きました。
ただしかし、司会の方からお話ししましたように、三千年来の罪穢れというのは、漠然とした状態の罪穢れであったので、中身を見ると、まだまだ浅いところでのお詫びなので、これから1年かけて、来年の2月3日は司会からお話したように、三千年前に素戔嗚尊が押し寄せてきて、しかも武力をもって押し寄せてきて、そして、伊都能売神皇様の皇位を奪おうとした訳です。素戔嗚尊は何故そういう暴挙に出たのかという事を見つめていかないといけないと。それからその時に大和民族は伊都能売神皇様の盾にはならなかったので、日本人の命を慮って急遽皇位を天照天皇に御譲りになって、インドへ下られて行かれた訳です。しかも、二十八部衆しか付いて行かなかったので、後の大半の大和民族はその武力に屈して、しかもトップを護らずに、その武力に従ってしまったという事です。それが三千年前の罪穢れの出発点としてはあります。
それから、素戔嗚尊に付いてきた瓊瓊杵尊は皇位を狙うという所へは行かずに、宮崎県の高千穂峡に潜んで、素戔嗚尊の失政するのを待っていたと。素戔嗚尊には癖がありますから、その癖で政治をやって行くと必ず失敗するだろうというのを見越して、しかもその失敗を待つこと3代ですから、子供、孫にまで言い伝えて、3代が失敗するのを待っていた訳なんで、それで愈々治世が乱れた時に、一挙に瓊瓊杵尊のお孫さんが高千穂から出て行って、東征して行った訳であります。そして東征していく時には、飴と鞭でいった訳なんで、武力で当時の権力を撃破しながら、庶民には米の美味しさを伝えながら、高千穂という意味は、穂が付いておりますから、日本でより米が育成できるようなそういう事を3代に渡って研究して、日本に根付かせる事をやりつつ、これは飴の方ですけれど、鞭と飴で日本全土を制覇していった訳です。そして神武天皇になられた訳ですので、その飴と鞭に大和民族は更に慣らされて行ったという所があります。ですから、元々出雲民族だった人の武力によって人を圧していくという、そういう姿勢と、それから、天孫民族の人の失敗に乗じて全てを支配していくという、そういう性格と、それから、元々徳によって治めるという非常に素晴らしい考え方だったけれども、武力とかそうしたものに屈していくという・・・。ですから、どの民族にしても、はやり大きな、良い面と悪い面を持っている訳なので、その三千年間の中で我々は、様々なものを、生き方として、私たちの魂の中に沁み付いている訳なので、平均的に生まれ変りしてきた人たちは、約10回生まれ変わっておりますので、300年毎を平均とすれば、大体10回位三千年間に生まれ変わって来ておりますので、その三千年間の中でどういう、その中で生き方をしたかによって、我々の中にはずっと癖が付いてきているので、1年間ずっと自分をしっかり見つめさせて頂いて、自分の中に色濃く残っている三千年間の癖をしっかり把握して、それを来年の2月3日に主神様にお詫びを申し上げる、その事によって一挙に地上天国建設の在り方というのが明確になってきますので、そういうふうに捉えて、これから1年間をお過ごし頂ければ良いかと思います。
 
魂の特性
楳木代表
三重支部の場合は昨年の2月にこの館を見つけることが出来て、そして、こうして全国の支部のですね、施設の見本になっておりますので、三重支部を基準にして次の施設はどうかという事を考えている。だから大阪の松原も「あれだけ立派な建物ではないけど、良いでしょうか?」とかいうような事で問い合わせて来るような状態です。今この館が基準になって、支部造りというのをみんな考えている所であります。まだはっきりしてないのですけど、ある地域でもですね、支部を開設してご奉仕したいという人の申し出が来ている位で御座いまして、これからずっと詰めながら、全国に御神業の拠点を許されて行きたいと思うのですけれども、その一番根っこにはそうしたものを、自分の魂を見つめるという、魂の癖を見つめるという生活をこの1年間しっかりと積み上げて頂きたいと思います。
そして、魂に染み付いた癖という事になって来ると、マイナスのイメージばかりあるかと思いますが、この癖というのは同時に、魂の特性でもあります。プラスに働いていくと特性になって、世の中とか人々に貢献できるという事になってきます。しかし、これが負の方に働くと癖として人を苦しめたり、無意識の内に傷付けたり、そういうのがどっぷり、我々の中に三千年間べったりくっ付いている部分がありますので、それを朝夕のお祈りで、天津祝詞奏上させて頂いて、そういうものを祓い浄めるという事を神様から御力を頂いた言霊によって、祓い浄めていくという参拝を朝はさせて頂く、と。それから、夜は善言讃詞を奏上させて頂きますが、善言讃詞はまず支部長代理がお話しした様に、いわば、神格の中でも主神様に直系の、その結びの働きのそういう観音様から始まって、『観世音菩薩此土に天降らせ給ひ光明如来と現じ 應身彌勒と化し 救世主とならせ』いう形でずっとこの世の中に出てきて頂いている、今度それに纏(まつ)わる、その神々に繋がる、主神様が一神で、その神様に繋がる結びの働きをされる神様のいわゆる八百万の神々、だから、『神にして多神』の、この多神の働きによって、地上天国が創られていく、その経過が善言讃詞に織り込まれている訳ですので、この善言讃詞を奏上する時には、その主神様に直結した最高最貴の御存在から段々降りて来る御神格の、その御神格の中の御働きによって、『多寳佛塔』を造られていく訳ですので、そういうイメージを描きながら、善言讃詞を奏上して頂きたいと思います。“こういう形でできてくるんだなあ”という事よりも、この主神様に直系の各霊層界の神々によって、その働きを許されていって地上天国造りを進めていく、その一端に我々が繋がっていくという事。これが特性になってくる訳ですので、今までのその祝詞の奏上の仕方、善言讃詞の奏上の仕方からそういう深いものを見つめてずっと奏上できる様に、今度はS家に御神体が入りますので、丁度良い時期に御神体を御奉斎させて頂けるので、そういう新たなスタートが切れるように取り組んで頂ければ、有難いと思います。
そういう事を今は“充分考えていかないといけない時期に来ている”と思います。そういう事もあって、ある情報によりますと、救世会館で4代教主様が「K理事長以下、○○○○教団の役員と対立している。」と。そして○○○○教団は「教主中心の信仰体制が出来なくなった。」という発表をされたそうです。その背景には、○○之光教団と○○○○教団役員が会合を重ねているという事があるのですが・・・(以下は割愛します。)これは昨年の12月23日に世界救世(メシヤ)教を復興しますということの誓詞を神界に捧げて、それと行動を共にする、思いを一緒にする人たちの塊ができたことに対して、神界からは力を授けると決められたので、力を注ぎ始められ、その力を注ぎ始めたのは我メシヤ教だけではなく、世界救世(きゅうせい)教にも力を注ぎ始めた訳です。その力を注ぎ始めた、その力は何かというと、今日の支部長代理が一番に焦点を当てた、『善悪の清算』という事になってきます。ですから、各教団の中で御心に適っている部分はより育っていく、発展していくという事に繋がっていきますけれども、御心に適ってない部分は、いわゆる、破壊されていく訳ですね。だからこれが光、力を神界が授けてるという証と受け留めるというように御垂示を頂きました。これからこういう事は凄く起きてきますので、全ては神界からの力が強まっているから起きている事だというふうに受け留めて頂ければ大変有難いと思います。
 
霊視報告について
楳木代表
それから節分祭と立春祭の時の霊視報告がありましたけれども、その霊視報告は松原出張所のTさんが今まで節分祭と立春祭の御浄霊中によく霊視を許されるのですが、今年もかなり濃い報告がありまして、その中のひとつが節分祭の時のもので「扉が見えます。扉は数ミリか数センチしか開いていません。扉の中は光りで溢れています。ほんの少ししか開いていないですが こちら側にもその光りの凄さが伝わり とてもまぶしくて目を開けているのがやっとです。」と。これが今年の私たちの節分祭のお詫びによって扉が少し、数ミリ開いたという事です。来年は先ほどお願いした事を各人各様に自分の魂を見つめて頂いて、そして真にお詫びができると、この扉は一挙に開いていくというふうになると思うので、我々の取り組み如何で天の岩戸は大きく開くか、まだ数センチしか開かないかになっていきますので、全開できるように今年は課題を以って進めさせて頂ければ、有難いと思います。
それから浄霊の光がTさんはいつも紫色に見えてくる状態だったんだけど、今回は緑色の光も見えたという事でありますので、緑色というのは縄文時代からは、今日は緑色の人と赤の人、ピンクの人もいますけど、漆塗りのお椀とか中は真っ赤ですよね。あれはなんで真っ赤にしてるかという事は昔のメシヤ講座には載せているのだけれど、覚えてませんか?お椀の中は何故赤くしてるのかと。これはですね、そこにお味噌汁とか、お吸い物とか注ぎますね。赤は生命の息吹を象徴した色なので、そこに注いだものは生命の息吹を頂けるということで、お椀の中は赤くしているという、これは縄文時代から日本人はずっと続けてきている内容な訳です。だから赤は生命の息吹です。
それから、翡翠(ひすい)というのが、縄文時代から使われています。この前大火があった新潟県の糸魚川の方で取れる翡翠を縄文時代からは再生を願う時に使っていた訳なんです。ですから、浄霊の時にそういう緑色の光が見えたという事は世界救世(メシヤ)教を復興するという、本来メシヤ様が昭和25年に御開教された世界救世(メシヤ)教に各教団を再生していくという働きを我々、私を中心として皆さん方がそういう働きをこれから許されて行く浄霊ができるという事の神界からの御示であろうかと思います。
そして、有難い事には私は相当浄化を許されて、今日も相当胃と腸が痛いんですけど、光の玉は入れて下さらなかったけど、今回は『大』という字がそこに浄霊中ずっと浮かび上がっていたという事ですので、『大』というのはですね、御教えからいくと『一人と書いて大』になるので、『一人』となると主神様しかいらっしゃいませんので、その主神様から直系のそうした『光』を我々は頂けるようになっているのだ、と。6か所、お腹と、両手、両足、頭に出たという事ですので、皆さん方もそういう主神様からの直系のそういう『光』を頂けるように、現時点でそういう事を意識して浄霊をしていけば、そういう事が許されて行くという事ではないか、と受け留めさせて頂きました。
それから、立春祭の時はこれは鶯(うぐいす)が一羽、枝にとまっている。そして左右を見渡しているという情景が浮かび上がったのですが、鶯からは、報告してくれた中に何か、鶯は何でしたか?鳳凰ではないかと?
 
支部長代理
いえ、迦陵頻伽です。
 
楳木代表
迦陵頻伽か。
 
支部長代理
そういう御教えがあったものですから。
 
楳木代表
なるほど。それともうひとつは鳴き方。鳴き声。
 
受講者
支部長代理はその事も言ってました。鶯が迦陵頻伽の鳴き方、霊界での凄く素晴らしい鳴き声が迦陵頻伽であって、鶯=迦陵頻伽ということで御教えを読んだという話はしておりました。
 
支部長代理
【信者の質問
「迦陵頻伽(かりょうびんが)とはどのような鳥でしょう。」
メシヤ様御垂示
『霊界の極楽の画などによくある、金色の尾の長いきれいな鳥で、いい声で啼(な)くとされている。極楽の鶯という説もあるが、私の考えでは特殊の鳥であろう。』(『地上天国』13号、昭和25(1950)年2月20日発行)】
 
楳木代表
だから極楽の鶯は迦陵頻伽。現界の鶯は何か?現界の鶯は何て鳴く?
 
支部長代理
ホウホケキョウ(笑)
 
楳木代表
法華経なの。
 
支部長代理
あ~あ(笑)。
 
楳木代表
法華経という意味です。法華経とは何かというと、お釈迦様が最終的に見真実にお立ちになった時に、説かれたお経。そのお経は一体何かというと、これは『本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)』です。だから伊都能売神皇様が説かれた仏教が日本に帰ってきたという、そういう事ですので、全てがそういうふうにこれからなっていくという事を示されているんではないか、というふうに私は受け留めて、これはもう自分たちが考えているようなスケールではちょっとないような、世界救世(メシヤ)教を復興するという事はそうした“大転換が起きて来るんではないかなあ”と思いました。
それから、「勾玉がひとつ、またひとつ現れて、ふたつが合体し、円になる様が見えます」と。「その円はやがて皆既日食の様に、変化していき、中央は暗いのですが、重なっている外側の円からはおびただしい無数の光の筋が出ていました。」ここは何て解釈しましたか?
 
支部長代理
ここは、その円自体が韓国の国旗とも受け留められますけども、天の御柱を右から左から回っている様子にも見えるんではないかなって思いますし、中央が暗く重なっている外側の円から、この『⦿』の御神体から光が八方に拡がっていくように受け取らせて頂きました。
 
楳木代表
なるほど。他の人からも、あちこちから解説が来るのだけれど(笑)、やっぱり『日月地』にならないと皆既日食にはならないので、やはり『日月地』であるし、『五六七』ということだし、それから、もうひとつは月の働きというのはいわば善悪の働きでいうと、悪の働きになっていくので、月が主神様を隠そうとしても周りから溢れる光で隠しようのない時期を迎えれたんではないかというのが私の考え方なのだけれど、やっぱり、『五六七』『日月地』というのは色んな所からそうしないと皆既日食にはならないので、そういうような事。それから、確かに韓国の国旗は勾玉がふたつ重なったような状態なので、様々な捉え方ができるのですが・・・。そうした事も、兎に角、おびただしい無数の光の筋が出ていく訳なので、私たちがこれからメシヤ様の御教えに沿って取り組ませて頂く上に於いては、どんな邪魔が入っても光によって全て浄めていくような、そういう事が許されて行く時を迎えてると受け留めさせて頂ければ良いんではないかなあと思います。
 
メシヤ教の大神命
楳木代表
それと御垂示を私に伝えて下さっている方が、私が各支部を回りながら、とても浄化しているという話をしているので、いつまで続くのですか?というふうに神様に聞いてくれたみたいなんですが、そんなこと聞かなくてもよかったんですが・・・(笑)。余りにも辛そうだから聞きました、と。時期は教えて頂けなかったそうなんですが、やっぱり神様がいざ使おうとされると相当浄めていかないと使い物にならないそうで、だから、今食べる物がない位なんですよね。まあ、お米は自然米ですので、お米とお茶は完全無農薬、無肥料なので、だから何もない時は、お茶漬けだけをたべるという、そんな日も過しながら、無添加、無農薬・無肥料のものが原材料の場合だけ頂くという生活をしておかないと、この世界救世(メシヤ)教を真に復興するという取り組みは出来ないし、それからそれに繋がる信者さん方の神性を蘇らせるという事も出来ないので、そうした事ができる時までは浄化するのだ、と。だから、これは永遠に浄化するかなって。いつまでとは仰らなかったそうですので、まあ、ずっと自分も浄化を覚悟しながら、腹だけでなくて大分痩せたんで、足も細くなったんで、正座をしても痺れなくなったんですよ。そして、いい気になって坐っていたら今度は足首が痛くなって、ずっと正座してたら、今まで長時間、1時間も2時間も正座の時は時々足を崩したり、こうやって崩したりしてたので、伸ばし放しにしてたら足首が痛くなってちょっと歩くのが・・・。だから参拝の時も前に出てきて坐ったりするのが、ちょっとし難い状態なので、まあ、あちこち曇りがあるなあ、毒素があるなあと自覚せざるを得ないように浄化が至る所に出ている訳なのです。これから皆様方も神性を蘇らせようとすると浄化というのは必ず伴っていきます。しかし、その浄化は全て・・・、まあ、支部長代理が一昨年から昨年の春まで見本を見せてくれてますので、あの『天恩地恵』の写真をお守りのように見といて頂いて(笑)、そしてここまで酷くなることはないと、いうように思って浄化を力強く乗り越えて頂きたいと思います。
そして、自分の心身を浄めて頂いて、世界救世(メシヤ)教を復興する御神業の一端を担わせて頂くんだという気持ちで進んで頂ければ有難いというふうに思います。まあ、そういう浄化の話しをすると、今までの信仰ではちょっと脅かされているように響く方もいらっしゃるかもしれないのですけれど、メシヤ様が御在世中は疥癬の浄化を許されないのは御用を担っているとは言えない、という事を言われていた位のご浄化ですので、御在世中も先達の先生方はこうやって浄められつつ御神業をを担ってきたという所がありますので。
それと来る途中で、岡山支部では三十代のお母さんが節分祭・立春祭にお参りに来たので、彼女の小学生の子供さんをおばあちゃんの所へ預けて、そしてお参りに来たんですけども、2月4日の立春祭を終えて、帰り着いたら、まだその子が起きてて、実は2月3日の節分の晩に夢を見たんだ、と。それはある神社にお参りに友達と、お参りというか遊びに行ったら、そこで、女将さんの様な人が出てきて、そして、「どうぞ、どうぞ。」と案内をしてくれて、友達が先に走って行ったら、地獄の門だったんで落ちちゃった。みんな入らんといけないのかなあって思って、自分もしょうがないなあと地獄に落ちるかって言ってたら、そのおばさんが、「メシヤ教の人は地獄へ行くことはできません。こちらへどうぞ!」と止められたらしいのです。それでぱっと目が覚めたらしいのです。
それで大変な事だと、節分祭の夜なので、大変な夢を見たなあっていう事で報告してくれたんですが、これをですね、「メシヤ教だから大丈夫だ!」という事ではなくて、本日の御論文の今や無神論者は言わば淘汰を受けるか瀬戸際の所にいるので、その人たちが地獄に堕ちるだけだったら良いのですけれど、消滅させられるので、そういう人たちをひとりでも多く覚醒させて、そして天国の方へ導いてあげる、そういう事をしていくのが、このメシヤ教の大神命だと最後にまとめて頂いておりますので、まあ、そういう事に取組ませて頂けるように受け止めていきましょう。というように岡山支部では話しました。
それから、みんなに回して頂きたいのですが、65歳の大阪支部のWさんというご婦人なんですけども、歯です。これは。1月の中旬から奥歯とその前の歯の間から横に歯が出て来たらしい。その歯が。そしてその歯が口の内側に刺さって動かす度に痛いので浄霊をしてもどうにもならないし、ドンドンドンドン出て来るので、これは節分祭に行く予定なので、どうしてもお詫びをしないといけないと色々お詫びを考えたらしいのですね。そして節分祭でお詫びを申し上げて、立春祭のお参りが終わって、弁当を食べてる時に抜けたらしい(笑)。獣医に持っていって、この歯は何の歯かというのを見て貰おうかなって、それで分からなければ、岡山支部に歯医者さんがいるので、見て貰おうと。丁度牙のような形をしているでしょ?だから、今どんなお詫びをしたか、原稿を書いて貰っているので(笑)、その原稿が通ったら、3月3日に発表して頂こうかと思っています。ああいう歯まであるので、それで65歳の人に乳歯みたいな歯が出てくる訳がない。それが横に向かって出て来た訳なんで、多分これは獣性の象徴のようなもんじゃないかなって思うので、本日は御教えに全部関連しているような事が丁度起きているなあと、思うんですけどね。だから最近、メシヤ教の中で起きて来ることも、ちょっと度肝を抜かれるような、Gさんの取れたイボも、4日の日に見せた写真はちょっと分かり難いので、取れたものを今写真に撮ってもらったので、それを体験記にそれを一緒に載せるようにしてますので、見といて下さい。マッチ棒と比べて写真を撮ってもらっていますので。
 
楳木代表
それと。さっき支部長代理もお話ししてくれたように、3月3日が執り行われるのは、これは桃の花が咲く祭典なんだ、と。それで5月5日が桃の実が成る、そういう祭典なので、私の都合で、初めてこの主神様の御神体の表装が出来上がったのが、4月の20日過ぎだったのですね。ですから、御奉斎日を29日の祭日にするか、或いは5月3日にするか、5日にするかという事を考えていたのですが、5月5日は大分県の玖珠郡玖珠町という所の久留島武彦という日本のアンゼルセンと言われている人が玖珠町で育った人だったので、5月5日は童話祭というのを執り行っているんですよ。今は埼玉県に追い抜かれたのですけれど、何年か前までは日本一の鯉のぼりを上げていた、63メートルの。しかし、埼玉県がそれを抜いてしまったので、日本2番目の鯉のぼりしか上げてないのですけど、そういうお祭りの日なので、そういうお祭りの日に、御奉斎式をさして頂こうかと思って決めたのです。ところが、『人間的にはそういう思いで5月5日決めただろうけど、これは神界が誘導した事なのだ。3月3日から5月5日というのは、神が決めた事なので、そうした所にもそれぞれの気持ちを集中して、各祭典を執り行って行くように』という御垂示を今回頂いておりますので、今年前半非常に大事な祭典が続きますけれども、一層心を集中して取り組ませて頂きたいと思います。
立春祭の時にお話ししましたように、天皇陛下のお名前と皇太子のお名前の中に、平成29年を終えて、平成30年3月3日のメシヤ降誕本祝典を執り行った、その後、御代が変わりますけども、その御代が変わった時に、昭和が霊で、平成が体と考えた時には、平成というのは体の霊にあたるので、次の御代が本当の体に当たって来るので、この時からが地上天国を建設できるか、できないかの大きな境目になって来るので、この前もアイドルの女の子が18歳の若さで突然死したとかいうようなことが有りましたが、これから頻繁に様々な形で考えられないような事が起きてきます。その起きて来るのは平成31年から起きてきますので、その時までに皆さん方の浄霊力とかメシヤ様に自分のお祈りが通じるような、そういう神性を蘇らせるという取り組みをずっと積み重ねて頂いて、大勢を救わせて頂きながら、地上天国を建設していくという御神業に使って頂けるようなところをめざして、お取り組み頂ければ大変有難いと思いますので、最後にそういう事をお願いをさせて頂いて、メシヤ講座を終わりたいと思います。ありがとうございました。
 
司会
以上を持ちまして、教祖祭、月次祭並びにメシヤ講座を終わらせて頂きます。ありがとうございました。
 
受講者一同
ありがとうございました。
 
<来月の御教え>
「『天国篇』文明の創造」(昭和二十七年)
本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』66ページに記載されています。
「『天国篇』文明の創造」は平成29年3月に拝読し学び合う御論文です。

覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて

  令和6年7月1日 覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて   三救責任者 月次祭おめでとうございます。   参加者一同 おめでとうございます。   三救責任者 令和六年七月度 覚りの旅の資料を最初に拝読していただけますか?   参加者 令和六年七月度 覚りの旅 資料 1 は...