2008年6月15日日曜日

2008年6月 厳しい薬毒排泄の浄化を乗り越えて

 

2008年6月厳しい薬毒排泄の浄化を乗り越えて

<体験記>
  
                    津市 喜多弘美
 地上天国祭おめでとうございます。三重支部の喜多と申します。三重支部発会式の後すぐに、厳しい御浄化をいただき御守護賜りましたことを御報告させていただきます。
 三重支部発会式で濵口さんから報告がありましたが、「犬の散歩をしていたら雨に降られ家に戻る直前にすぐ傍に雷が落ち、火花が後ろから頭をかすめ1メートル先へ落ちました。ひとつ間違えば自分に落ちていました。」という報告内容は私のことです。この時に私は今まで所属していた教団を退会することを決意いたしました。そして、メシヤ講座を読み直し、「真善美完き恒久平和の理想世界実現に向けてメシヤ様の御手足として年寄りではありますがお使いいただきたい」と御神前に奉告させていただくことができたのです。
 それから「浄霊法講座」の御教えで薬毒について必死に拝読いたしました。薬毒の御教えは私の人生に大いなる警鐘を鳴らすものでした。それは、私は薬品店を経営していたことがありまして仕事柄大量の薬を服用していたからです。私としては患者さんのことを考えて、新しい薬が出たらまずは使ってみてどのような効果があるのかを自分で体験し、患者さんに説明していたのです。それは貼薬、服薬、健康食品などあらゆる家庭薬に及びました。
 御教えを拝読し、薬毒の恐ろしさを頭で理解できたと思っていたら、今度は自分の身を持って体験することになったのです。
 四月二十七日 
急に首筋が張り、痛くて右にも左にも動かすことができなくなりました。この時は寝違えたと思いました。翌日になって肩もつり手を上げることができなくなりました。支部で夕拝させていただいた後、浄霊をいただきました。初めは頭全体がジンジンとして気持ちが良くなり、後頭部をしていただいている時は左の鼻の奥の方で冷たい水が頭の中をヒタヒタと下り流れていくのを感じ、左の耳が痒く、後頭部、耳の両脇と首の側面がジンジンとし、頭を柔らかくジューと絞るような感じでした。
 “ああ、これでもう治していただいたんだな”と、1回の御浄霊で首もよく回るようになったし、まだ少しの痛みを感じるが前よりもズッと軽くなり、有難く思い家に帰りました。そして浄化を甘く見ていた私は、翌日老人会の卓球クラブへ行ってしまったのです。
 その夜、テレビを見ていたら小指先くらいの黒い血の塊が右の鼻から出て、その後少しの出血がありました。
 四月二十九日 
頭が重かったが犬の散歩には行けました。支部での朝拝の時、首、肩が今まで以上に重く痛くなっていました。「これはどうしたことであろうか?何か間違ったことがあるのだろうか?」と悩みましたが、朝拝で唱和させていただいている『るナ三訓』にある「怒るナ 威張るナ 早まるナ」の「早まるナ」を教えていただいているのではないか。浄化に御守護いただいた、もう治った、と。もっと養生しなければいけないのに早まって、あろうことか卓球をしてしまった。これが原因だ。このことを教えてくださっているのだ、と思わせていただきました。そして、メシヤ様に心から「お許しください」とお詫びさせていただきました。すると気分がとても楽になりました。また、この浄化をいただいたからには薬を止めることにいたしました。
 四月三十日 
夕拝の時、濵口さんに「足元がおかしい」と言われ足が痛いわけではないのになと思いながら御浄霊をいただきました。その時は鼻の左側の奥でヒタヒタと冷たい物が流れ、カラカラの渇いた咳が頻繁に出だし、右足が小刻みにブルブルと震えだしました。
 濵口さんから「頭の関係の御浄化だと思われるので大静脈、大動脈のあるお臍の両側をよく自己浄霊するように教えていただき、その夜は座っても寝ても痛いのでソファに腰掛けて自己浄霊し痛みに耐え続けました。深夜零時ごろお腹が鳴り出し、ゆるい便が出ました。尿は薬特有の臭いがしました。三時ごろやっとの思いで布団に入りましたが、寝返りが打てなくなりました。
 五月一日 
後ろの首全体が硬くなり、少しでも首を動かすと激痛が走ります。支部へ朝拝に行くのがとても辛かったがやっとの思いで御神前に座らせていただくと、何とも言えず気分が良く、この至福の時間をいただけるのであればどんな苦痛にも耐えて感謝に代えることができると思わせていただくことができました。
 どうにかお風呂に入り、着替えができないので足だけを使ってやっと簡単なものを身に着けました。また、頭の中、首の中、こめかみの中に痛みを感じ、何も食べてないのに便が柔らかく、尿も臭いのが三回も出ました。
 この日、夕拝を終え私に浄霊を取り次いでくださってから、濵口さんご夫婦は大分の本部へ参拝するため出発されました。
 五月二日 
浄霊をいただけなくなり、心細かったですが、夜電話で様子を聞いてくださり、大変嬉しく思いました。
 そして、「体力がなくては浄化を乗り越えられないので、何か食べた方が良いですよ」とお話くださいました。何とかバナナ1本と牛乳1カップ食べることができました。夕方に真っ黒な便の塊と、粒々状の白いシリカゲルのようなものが大量に混じっている水状の便とが一緒に出ました。
 五月三日 
後頭部と首の痛みが熱感と共に和らいできました。しかし、肩が全体に痛み出しました。咳をすると響いて痛くなりました。
 そして、左の腕と肩の苦痛が和らぎ右の方が左よりきつい状態となりました。臍の左右は腎臓を前から浄霊していることにもなるとお聞きしましたので、動かすことができるようになった左手で自己浄霊を徹底しました。
 すると、痛みは右肩から腰に移っていきました。九州へ行っている濵口さんから毎晩電話で励ましていただき、経過を報告させていただきました。
 濵口さんは、本部の御神体奉斎記念祭に参拝するため帰ってくるのが遅れるとのことでした。この夜は九州から遠隔浄霊をしてくださった、と後から聞きました。
 五月四日 
半日ほどで痛みが尾?骨まで下りてきました。咳が出ても響いて痛むのが腰に移動しましたので耐えやすくなり、思いっきり出しました。すると、黄茶色の塊状の卵大の粘りのきついものが、ねじ切るようにして二個出ました。鼻からはマヨネーズ状のものが三回出ました。
 「過去に大量に体内に入れた薬毒を浄化により色々なものに形を変えて体外へ出していただいているのでしょう」と教えていただき安心しました。
 五月六日 
午前中に九州から帰られた濵口さんが真っ先に訪ねてくださり、待ち望んでいた浄霊をいただくことができました。そして、自然米でお粥を作って持ってきてくださいました。ずっと食欲がなかったのですが、おいしくて二人前ほどあったのを完食でき力が付いてきたように感じました。でも、時々熱感があり、そのたびに掌と足の裏に床に付けば音のする水糊のような汗が出ました。

 朝拝後、御浄霊をいただいた時に、「今日は御神前で休まれたらどうですか」と声を掛けてくださいました。左膝が痛み出し、歩くのも苦痛でしたが、孫に手を引かれて支部までの数十メートルを歩きました。
 その夜、楳木先生に電話を取り次いでいただき、何をお話したかは覚えていないのですが、「薬は使っていない」と訴えていたように思います。以前の私でしたら手持ちの薬で症状を抑えてしまったと思いますが、今は素直に浄化をいただこうと心に決めている自分に驚きました。先生は「浄化が終わったら楽しみだね」と仰ってくださり、泣きたいやら安心やら本当に複雑な気持ちでした。
 そして、支部にて濵口さんご夫婦から徹底的に御浄霊をいただきました。先生に浄霊の急所を聞いてくださり、脊髄と尾?骨の交わったところを集中して御浄霊いただきました。
 この夜は何日かぶりに深い眠りに付くことができ、ありがたく思いました。
 翌早朝、濵口さんがマスクと手袋をされ御尊影、メシヤ観音様、メシヤ大黒天様、御神床を白布巾でで浄めておられ、神様に対する姿勢に心を打たれました。
 そして、何とも不思議な光景を見させていただきました。向かいの窓から朝日が入り始め、やがて御神前まで届き、朝日の光と御神体のお文字が一体となって輝きだしたのです。
 次に、御神体の黒の「ヽ」とその周りの白い部分の輪が浮き出て球体になり、その中心には瑞々しい黒色の「ヽ」が鎮まっておられる感じで、その球体の輪郭からパッパッと光が放射され音が聞こえてくるかのよう
に噴出しているのです。やがて穏やかな細かな光の放射状となって輝きだしました。球体は水晶とか水ではなく空気か酸素の塊かと思えるような光景でした。
 “今までにない素晴らしい御神体を私達の支部はいただいている。何と有難いことか”と思わせていただいた瞬間でした。
 ふと気が付き頭髪を触ってみました。何とあんなに刺すように痛かったのが嘘のように消えていたのです。そして、出勤前の忙しい時間帯にもかかわらず、濵口さんから御浄霊をいただき本当に有難く思いました。朝食もお粥をご馳走になり、奥さんに家まで連れて帰っていただきました。
 毎日支部の御神前でいただく朝夕の御浄霊により徐々に良くしていただきました。
 五月九日 
この日は月次祭で、参拝を楽しみにしていました。朝は上向きのままスーッと起き上がれました。右手の痛みもありません。しかし、左膝の裏の筋が動かす度にひきつって、折っても伸ばしても痛いのです。月次祭の参拝は椅子をお借りして御浄霊をいただきましたが、夕拝の時には頭をちゃんと下げられ正座までできるようになっていました。帰りには今までで一番軽く歩くことができました。

 五月十三日 
左の鼻から黒い塊と一筋の血が出ました。
 五月十四日 
卓球に行ったが、あまり疲れませんでした。
 五月二十日 
首、肩にニキビ状の出来物ができ、とても痒くなりました。現在ではこれも良くしていただきました。
 今回の大浄化で、今まで何となくしか理解していなかった薬毒の恐ろしさを身を持って体験させていただきました。今から思えば、家の者に言えば救急車を呼ばれ病院へ行っていたことだろうと思います。近所の濵口さん宅が支部として活動を始めたこの時期にいただいた浄化だったからこそ、こうして薬を使わずに乗り越えることができたのだと思います。
 最後になりましたが、一人でも大勢の人達が素晴らしい支部の御神前で御浄霊を受け、メシヤ様の厚き御守護を賜りますことを祈念させていただき御守護報告とさせていただきます。ありがとうございました。

2008年6月4日水曜日

瑞々しい黒色の「ヽ」が鎮まって no.89三重(平成20年6月)

 

no.89三重(平成20年6月)

瑞々しい黒色の「ヽ」が鎮まって

そして、何とも不思議な光景を見させていただきました。向かいの窓から朝日が入り始め、やがて御神前まで届き、朝日の光と御神体のお文字が一体となって輝きだしたのです。
次に、御神体の黒の「ヽ」とその周りの白い部分の輪が浮き出て球体になり、その中心には瑞々しい黒色の「ヽ」が鎮まっておられる感じで、その球体の輪郭からパッパッと光が放射され音が聞こえてくるかのように噴出しているのです。やがて穏やかな細かな光の放射状となって輝きだしました。球体は水晶とか水ではなく空気か酸素の塊かと思えるような光景でした。

2007年4月8日日曜日

娘のアトピー性皮膚炎に御守護

三重県 H.H

 

只今は、御神体御奉斎ならびに三重支部発会が許され、心新たにメシヤ様の御手足として御神業に邁進する決意を固めさせて頂きました。

本日は、このように大勢の皆様に参拝いただき、まことにありがとうございます。

さきほど楳木先生から御浄霊を頂きました。「御浄霊の光は皆さんの体に充満しその体から光が溢れ出す。そうして部屋全体に光が充満し今度は家から壁を越え隣の家へ地域へ溢れ出すそうです。だから参拝されている人数が多いほど光が充満するのが早いのです。」と11月のメシヤ講座で学ばせて頂きました。「神光満堂」入口に掲げさせていただいた御書の文字のとおり部屋一杯に光が充満していることと思います。

<写真1>

<写真1>

娘のアトピー性皮膚炎に御守護頂く

私共夫婦は娘のアトピー性皮膚炎の御浄化に御守護を頂いたのがきっかけで、20年前にメシヤ様と御神縁を許されました。

当時、娘は重症<写真1、2>で三種類の塗り薬と、かゆみ止めの漢方薬を病院で処方されていましたが、薬を塗れば一時的にはきれいになりますが、しばらくすると湿疹がまた出てきてしまい、一向に回復の兆しが見えず不安な毎日を過ごしていたのです。

私達を心配した家内の姉が、浄霊を頂けるお宅を紹

<写真2>

<写真2>

してくださり、毎日御浄霊を頂くようになりました。布教所へも週に2度は参拝しました。一週間も下痢が続いたり、緑色の便や漢方薬の臭いのする便も出ましたが、浄霊を頂き始めて3ヶ月過ぎた頃から体に出ていた膿が徐々にきれいになっていき約一年後には完全にきれいにして頂きました<写真3>。

そして平成元年8月に夫婦で「おひかり」を拝受しました。この時の

<写真3>

<写真3>

「今度は救いの側に立たせていただかねば」との思い

、そして「入信は二度目の誕生日ですよ」との当時の先生がかけてくださったお言葉を忘れることはできません。

現在では、「おひかり」を拝受しなくとも浄霊力を授かることができます。教団浄化の最中で申し込んでから半年間「おひかり」を頂くことができず、浄霊のお取り次ぎが許されなかったことを思えば、なんと素晴らしい時代になったことでしょう。しかしそれはまた、厳しいことでもあると思います。「おひかり」というものに頼れないので自分自身の想念が如何にメシヤ様に繋げさせていただくことができるのかが問われてくると思うのです。

 

教育係

「人には誰にでも教育係が時所位に応じて付けられるということを認識していただきたいのです。それを拒んだりすれば、もったいない話です。『人間とは』という御教えに、『神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』とあります。人間というものは生き変わり死に変わり教育されているということです。」と「メシヤ講座」にありますが、私もその時々において素晴らしい教師にめぐり合っています。

私は平成11年に、直接メシヤ様から御指導頂かれた事がある先達の元で学ばせていただく機会に恵まれました。(具体的報告内容は、他教団に関わるものなので割愛いたします。)

メシヤ教との出会い

私が、メシヤ教のホームページの「メシヤ講座」を読んだのは、平成12年のことでした。現代に起こる事象を的確にメシヤ様の御教えで指導されており、インターネットを通じて「21世紀のバイブル」を発信されておられるのだと思いました。一番印象に残っているのが何といっても「お光がなくても氏名・年齢・職業をメシヤ様に報告すれば浄霊力が伝授される」という箇所です。

が、私どもは既にお光を拝受して浄霊に取り組んでおり奇蹟や御守護を数多く頂いておりますので、その時はこれ以上踏み込むことはありませんでした。

ここ数年来世界救世教では教団一元化へ向けて歩みだしました。しかし、現場では何も変化はありませんでした。情報が圧倒的に少ないのです。機関紙「大経綸」での情報が唯一のものでした。御神体はどうなるのか?祖霊祭祀は?永代供養は?信者さんにとって多くの疑問が当然ありますが、一向に進捗がわからないのです。

布教の現場を見れば、多数の行事に追われてあわただしく1年が過ぎていきます。そして御教えを読まない信者さんの如何に多いことか。本来の信仰のあり方とは何なのだろう?沸々と疑問が湧いてきました。

そんな頃、昨年の5月にお写真「浄霊の御手」を申込みいたしました。そしてメシヤ教のホームページで拝見した「メシヤ講座」に参加しようか迷っていましたので、京都聖地の春秋庵に参拝し、天津祝詞・善言讃詞を奏上し「私どもの進む道をお示し頂きたい」と祈りました。「大弥勒様の御尊像」はガラス越しですのでいつも光の加減で良く見ることはできないのですが、この時は何故かはっきりと拝することができ不思議な気持ちになるとともに、これは「私の進もうとしている道に間違いはない」との思いを強くさせて頂きました。

そして、楳木先生にメールを差し上げたのです。7月に、先生はわざわざ三重までおいでくださり、私ども夫婦のために深夜までお話をしてくださいました。初めの取り組みとして、先祖供養のあり方について深く御教導頂きました。

8月には仏壇を拵え位牌を整えることができました。

先月はメシヤ講座に参加されておられる方が私どもの先祖様がニコニコとメシヤ講座を一緒に聞いているのを霊視され、取り組みの正しさを確信することができました。

 

座御観音様の御奉斎

8月のメシヤ講座の後、先生と懇談しておりましたが、妻が突然メシヤ様の御神筆の座御観音様(現在奥の床に奉斎している)を持ち出してきて先生にお見せしました。なぜかどうしても見て頂きたくなったのだそうです。そして、平成5年より御守護賜りました御神体をお巻き上げし、座御観音様を御奉斎いたしました。

後に先生が「奥様の思わぬ行動により、ご主人が決心し、『座御観音様』を奉斎した。これも夫唱婦随だと思いました」と話して下さいました。

座御観音様はメシヤ様御在世当時の御神体でもありましたので、偉大な御力が発揮されるだろうと思う反面、昔に逆戻りするような心配もありましたが、楳木先生より「参拝すると『主』のお文字が浮かび上がってくるので主之大御神様として参拝されてよろしいですよ」というお言葉を頂き心強くなりました。

また、先生より「『日月地』は力を授ける時の働きで、『五六七』には御経綸の働きがあります。両方の働きが合体しないと本当の救いの働きが発揮できないのです。両方を発揮できるのは主之大御神様なのです。万教帰一とは主之大御神様の分神である八百万の神達が元の神につながっていくことです」と御教導頂き、座御観音様の見えない背後におわします主之大御神様に礼拝している想念を持って参拝をさせていただいておりました。

そして、多くの御守護を頂きました。親類がくも膜下出血で手術を余儀なくされた報告をした時には、緊急を要するからと先生がすぐに電話を下さり、「臍の両側の奥にある大動脈と大静脈を満遍なく浄霊しては、患部をするというようにしてください」と浄霊の急所を指示して下さいました。1ヶ月程毎日浄霊に通い、徐々に良くして頂き、今では職場復帰を果たしております。

また、借金問題に苦しむ人に対しては、根本の原因を探り的確な解決方法を御指導下さいました。

そして、「借金整理するのに新たな借金はしない」というのが基本的な債務整理の考え方であると教えて頂きました。今では問題解決の道筋がついたと喜んでおられます。

メシヤ講座で学びを深めていく中、メシヤ様の信仰を経験された方ならよろしいのですが、初めてメシヤ様にご縁のあった方には座御観音様への参拝はわかりにくいのです。大黒様を御神体と思われていた方もおりました。メシヤ講座の参加者が増えてくる中、これでいいのだろうかと思っていました。

御降臨祭に浜松支部に参拝し、神々しい御神体を拝し、感動を覚えました。翌日に神仙郷を訪れ箱根美術館に立ち寄りましたら「日の出観音」様が展示されておりました。その説明書きを見て驚きました。そこには“昭和10年1月1日の大日本観音会発足時の御神体であった。世界メシヤ教の開教を前に明主様は「メシヤ観音」と改称された”と書かれていました。「メシヤ観音」と呼ばれていたのです。御神床に御奉斎させて頂いた観音様がメシヤ観音様です。

主之大御神様を中心に向かって右にメシヤ様そして左にメシヤ観音様。御神前のイメージがはっきりとしてきました。

そして、主之大御神様の御神体をお迎えさせていただくことを決意いたしました。お申込みをし、御神床が出来上がり御神前が整ったら非常に荘厳な雰囲気になりました。御神体をお申込みした時から霊的には神様は御鎮まり頂いておられると思い、御神床の白壁に向かい主之大御神様を意識して祝詞を奏上いたしました。

その後すぐに主之大御神様は、奇蹟を見せてくださいました。メシヤ講座に参加されておられる方が、「犬の散歩をしていたら雨に降られ家に戻る直前にすぐ傍に雷が落ち、火花が後ろから飛んできたほどだった。ひとつ間違えば自分に落ちていた。主之大御神様、メシヤ様にお救い頂いた」と報告に来られたのです。

前々日、その方に御浄霊のお取り次ぎをさせていただいた時に「先生が『一緒にやっていきましょうよ、とお誘いしてください』と言っておられました。どうでしょうか」と尋ねた時には「時期が来たら何かのお知らせがあると思います」と、言われた翌日のことですので、やはり神様からのお気付けと捉えられたようで、落雷の後、前回のメシヤ講座を読み直されたそうです。そして、「真善美完き恒久平和の理想世界実現に向けてメシヤ様の御手足として年寄りではありますがお使いいただきたい」とおしゃってくださいました。

先生からは、「大きなお働きをいただいています。神様のご対応も素早いですね。一層心して4月12日を目指さねばならない、と受け止めました」と御指導頂きました。

その方はつい先日も、歯痛の浄化を頂き、浄霊の急所を調べようと「浄霊法講座」を読んでいたらいつの間にか治っていたという御守護を頂きました。先生からは「御教えを拝読する最中に御守護をいただくなどは典型的なことです。お光は既に強いのです。」と御指導頂いております。

 

弥勒菩薩の首折れる―弥勒菩薩について

十数年前、奈良の中宮寺に参拝した時に寺の傍の店で弥勒菩薩のお像を妻が購入しました。その後妻が、死ぬかと思うほどのひどい肺炎になり、「景仰」をむさぼるように拝読しました。そして、神様に「せめて子供たちが学校を卒業するまでは生かせてください」と祈りました。昨年娘が高校を卒業し就職しました。四月に三重県に震度5の地震が起きた時のことです。家に戻ったら弥勒菩薩の首がとれていました。

このことに関して、先生は、「神様にお祈りするのに期限を切ってはいけない。低い神様だと本当に命と交換になります。神格の高い神様への祈りだから良かった。主神様は無病息災をあくまでも望んでいるのです。個人の取り組みとして『景仰』を拝読したのは良いことです。想いが拡大していかなくてはなりません。弥勒菩薩の首がとれたのは役割が終わったということです。そして、その延長線上に『メシヤ講座』があると受けとめましょう。また、自分自身の因縁使命を明確に持つと受け止めさせていただくことです。」と御指導くださいました。

「天国の礎宗教篇 上」に次のような話が出てまいります。

「当時大本教の和田堀にあった東京別院というところに、等身大の陶器製の観世音菩薩があったが、どうしたはずみか、首が折れたのである。私は変だと思ったところ、それから間もなく法難が起こったのであった。これは昼に転換したことの暗示であることに間違いはない。」

今から考えますと、弥勒菩薩の首が折れてから春秋庵へ行き、メシヤ教と出会ったのですから私が転籍する暗示であったのかも知れません。「世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明如来と現じ 應身彌勒と化し 救世主(メシヤ)とならせ」と善言讃詞にありますように五六七の働きからメシヤの働きに転換したと受け止めさせて頂きました。

先月のメシヤ講座で学んだ『旧文化の中からも役立つべきものは残され、そうでないものは革正して役立つものにされ給うという事である。それが神の大愛である。』このメシヤ様の御教えを肝に銘じ、『神の大愛』により一人でも多くの人が救われますようにこの三重支部を拠点に活動して参ります。

しかしそれは私達夫婦だけではできないことです。そこで今まで一緒に学んできた皆様にご協力をお願いしたいのは、支部という救いの拠点をお許し頂けたのですから問題解決の場に活用して頂きたいのです。一人で悩まずに御神前で智慧を頂きましょう。メシヤ様にお願いして皆で語り合い、問題の根本原因を探り、人事を尽くして対処し、浄霊を継続して頂いていくならば、きっと御守護が頂けることでしょう。

私どもも精一杯お世話させていただきます。そして問題が解決できた時、一歩向上させて頂けた時に一緒に喜び合いたいのです。

「お世話をさせていただく時の心得を先達は次のようにお示し下さっております。『布教三訓』『るナ三訓』を極めてゆくと、御神業は『遊行観音』の振る舞いの如くである、ということが肚に落ち、肩の力が抜けてゆく。そして、御神業は楽しくて仕方ないものとなる。」

メシヤ講座の「『景仰』を如何ように拝読するか」で楳木先生が御指導下さったことです。

「布教三訓」とは

◎メシヤ様と共同作業をさせて頂く。

◎恩は着るべし着せるべからず。

◎寝食を忘れてやりなさい。

「るナ三訓」とは

威張るナ 怒るナ 早まるナ。

自らに言い聞かせ腹に入るように、朝拝の時に唱和させて頂いております。

また、「渋井總斎伝 御用の人」の本の中で渋井先生は新たに専従者になった人に次のようなお言葉をかけています。

「導いた人の浄化を解決するためにお世話をする。それが困難な人ほど前世に関係があった同士で、生まれてきて師弟関係になってくる。だから礼節と順序は厳しいものなんだ。この神様の御用をする人は、代々前世の夜の時代の建設者だった。いわば、霊的な意味で罪つくりをたくさんしている。そして今度は昼の世に生まれてきて、神様の御用をさせていただいて罪滅ぼしをするようになるのであるから、浄化は厳しいよ。その霊の浄めをいただきながら、ひとつひとつ浄化を解決していくなかで向上していく仕組みになっているのだから、浄化も厳しいが解決したときにその喜びも大きい。辛いこともあるが辛いことだけじゃない。必ずその中には楽しみもあるはず。その辛いこと楽しいことの繰り返しのなかで修行させられていくのだから、浄化に負けないでしっかりやりなさい。そして、そういうことを体験するほど、将来のために大きな力となるのです。それには「焦らず、怒らず、怠らず」の三箇条を守っていきなさい。」

先に挙げました、「布教三訓」「るナ三訓」と共に肝に銘じておきたいと思います。

以前より“宗派を問わず気軽に集え、御浄霊が頂ける。そしてメシヤ様の御教えを拡げる場が、あったらいいな”と思っておりました。このたびその夢を我家で実現することができ、感激の極みでございます。今日より支えてくださる仲間と共にメシヤ様の御教えを宣べ伝え、浄霊の輪を拡げることで地上天国建設の御神業の一端を担って行きたいと存じます。

本日はまことにありがとうございました。

覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて

  令和6年7月1日 覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて   三救責任者 月次祭おめでとうございます。   参加者一同 おめでとうございます。   三救責任者 令和六年七月度 覚りの旅の資料を最初に拝読していただけますか?   参加者 令和六年七月度 覚りの旅 資料 1 は...