2019年12月18日水曜日

『メシヤ様の御教え』と「メシヤ講座」勉強会

12月度の『覚りの旅』資料をもとに、『メシヤ様の御教え』と「メシヤ講座」勉強会 をさせていただきました。同じ資料を使っております。
 
『メシヤ様の御教え』と「メシヤ講座」勉強会
三救責任者
本日は、『私は主神様の仕事をさせられている』と『救い主と贖罪主』です。どなたか読んで頂けますか。
御教え拝読
三救責任者
はい。ありがとうございました。本日は黒板を使わずに確認していきます。
1.
三救責任者
仏滅、仏界が無くなることがわかって、開祖や教祖が気づいてメシヤ様にお詫びに出て来られます。今まで良いと思ってやったことは大変な間違いだったと。お詫びがしたいのだと。そして夜から昼への大転換の御神業を手伝わせていただきたいと。
本地垂迹で、神様が仏様になって夜の世界で活動していたわけですから、メシヤ様のお手伝いをして神位を取り戻したいという事なのですね。
神様方はお祝いに出て来られます。昭和25年に光の玉にチョンが入られてもうこの時にメシヤ様の御神格になられているのですね。そういうことが、神様方はわかっておいでなのでお祝いお慶びに出て来られたのです。
2.
次に天照大御神様の御神格についてお話しされておられます。ハッキリと、主神様ではないのだ。と言われました。主神様は宇宙全部だが天照大御神様は太陽神で太陽だけなのです。
思うに、後の昭和29年の仮祝典で天照大御神様の御神名を唱えますが、昭和27年の時に既にこの御教えを頂いておりますので、間違う事の無いように御教え下さっておられたのですね。きっと。
『私はメシヤで主神様の仕事をする。』しかし、夜→昼になるにはまず、太陽神のお働きが重要なので、その型を示されたのですね。だから「仮」をお付けになられたのではないかと拝察いたします。
本当に始まるのは『五六七が揃ってから』というのは、メシヤ降誕本祝典後だと言えるのではないでしょうか。
メシヤ様が主神様だと認識できたなら・・・という事ではないかと思います。
非常に重要な御講話だったのですね。
3.
次に『救い主と贖罪主』ですが、主神様は悪の必要性を正神にも悪神にも知らせませんでした。善悪お互い競わせて向上させてきたからですね。正神も邪神もお互い自分たちが正しいと思ってやっているわけです。愈々期限が来たので、善悪を司る主神様が直接乗り出すことになったと。しかし直接力を揮われるにも現界に働くには人間が働かなければならないのですね。それでメシヤ様が選ばれて現界で、善悪の根本義を開示されたわけです。
それがメシヤ様の御教えであり、その集大成が『文明の創造』だという事なのですね。
ですからメシヤ様の御神格を求める、認識させて頂く為の『主神様とメシヤ様』とその最高最貴の御神格のメシヤ様が開示された『文明の創造』というのはセットで学んで理解を深め、学んだことを世の中の人に伝えていくという因縁使命が私達にはあるのですね。
現界に反映していくには霊だけではダメで人間の働きが求められるのです。
12月23日を直前にして非常に良いテーマで学ばせて頂いているのだと思います。
4.
続けますが、キリストは主神様に謝罪をし、赦しを請うのですね。それは何故なのかというと赦される側の神様だからです。人間の罪の代償として十字架に懸かられたのですね。
主神様は深奥なる真理を愈々開示されます。
この主語は主神様ですよ。ですから、『文明の創造』は主神様が人間の言葉で人間にわかるように書かれたのですね。
主神様の地球上でのお体であられるメシヤ様がお書きになられました。真理を容易に掴み得るように疑点なく明快にお書きになられた。そこのところをわかっていただきたいので、『文明の創造』には『主神(エホバ)様直接の御啓示』とサブタイトルを付けたのだと思います。このように学ばせて頂くと楳木先生のこの本の発刊への想いに改めて気づかせて頂けます。ありがたいですね。
5.
善悪の権限は主神様しかお持ちにならず、悪の方も一生懸命、善だと思って頑張っています。それで、世の中のほとんどの人が現代医学を善だと勘違いしてしまいました。
現代医学は人の命を握ってしまっています。だから九分九厘の悪というのは現代医学のことなんだと。今までは必要悪だったのですよ。この医学を是正する力というのが一厘の力であり、メシヤ様のお働きなのだという事なのですね。
それでこの『一厘の力』というのは主神様が顕現されるのだと。『文明の創造』の『悪と守護霊』にあります。読みますね。

主神様→顕現→一厘の力→メシヤ様→お働き
主神様の揮われる力というのはメシヤ様のお働きのことなのだということになります。
ここでも霊だけではダメで体が必要なことがわかってきます。
だからメシヤ様の御神格を認識さえすればメシヤ様の代理として立派にやっていけるというのはこのことなんだなと思います。

【御教え】御教え集33号、昭和29年4月12日 奈良公会堂御講話
『時間がなくなりましたから、このくらいにしておきますが、今お話ししたのはあんまり大きな話ですから、よほど信仰がしっかりしていないと信じられないです。信仰のない人が聞いたら馬鹿馬鹿しくて鼻の先で笑うかもしれませんが、本当なのです。あなた方はそうでもないでしょうが。これからそれが形に現われて きますから、それをある程度まででも信じさせるのがたいへんです。今まで何億という人類が拝んできたキリスト、釈迦を私が助けたというのですから、“そんな人間が現われることはない、頭がどうかしている”と言うかもしれません。あなた方はふだんから知っているでしょうが、それを“これだ”という所までゆけば、魂がすっかり固まったのですから、そうするとそれによってその人の力が強くなるのです。それこそ私の代理として立派に力をふるい、仕事ができるわけです。だから今言ったことをよく心に入れて大いにやってください。』

三救責任者
一方で罪の根源は神様を押し込めた事、御神格を分からせて頂くと罪が消えるのでしょうか。との質問にメシヤ様は『そうではない、一人でも多くの信者をつくる事だ』と御教えくださいました。
御神格を認識したいがためにのめり込み、浄霊を疎かにしてはいけない。偏ってはいけない。御教えを学ぶことと、浄霊の両輪で一人でも多くの人を救うことが、メシヤ様の御手足とならせて頂くことなのだと思います。

メシヤ講座・特選集(№96・平成21年1月分)
昭和29年2月4日の立春祭から7日までの四日間、『人間が神を押し込めた事』に関わる御講話があり、次のような問答があったことを先達から聞き及んでいます。
質問 「罪の根源は神を押し込めたことでしょうか、薬を呑んだことでしょうか」
メシヤ様 『勿論神を押し込めたことが罪の根源です。薬毒というものは浄霊をすれば取れるものです。みんな神を押し込めた罪がある。教団も幹部ほどその罪は重い。私を世に出してその罪は消える。要するに私というものが分かれば良い。しかし私は化けているからな』
質問 「それは明主様(メシヤ様)の御神格を判らせて頂く事でしょうか」
メシヤ様 『そうではない、一人でも多くの信者をつくる事だ』

6.
三救責任者
ここまでの内容で本日お伝えしたいことはお話ししたのですが、今回のテーマの『私は主神様の仕事をさせられている』の仕事(御働き)ということから整理をしてみたいと思います。
今までの話の復習になりますよ。
主神様の仕事をメシヤ様はなされるわけですが、一方で伊弉諾尊様の仕事をなされます。それは霊主体従ということで浄霊というのは最もわかりやすい霊主体従の仕事でこれが本当のやり方なんだということです。伊弉諾尊様の柱の回り方は古事記に出ていますね。これをたとえに御教え賜りました。古事記とか神話というのも仕事とか働きのたとえなんですね。ですから御神名も働きをあらわしているのですね。
たとえば、祓戸大神とかね。
それから審判を無事に切り抜ける資格者をつくるんだと、資格者というお言葉をこのようにお使いになっておられます。
『浄霊力伝授』の活動を推進して、一人でも多くの『審判を無事に切り抜ける資格者をつくる』ことをメシヤ様は望まれておられるのです。
三千年に一回、夜と昼が入れ替わるので、先祖も知らない事、経験されていないのですね。だから開闢以来ないことのこの時期に生まれて合わせて、メシヤ様にお使いいただけることの幸せに、自然と感謝の念が沸き上がるのではないでしょうか。
そして、生きた人間が唱道しなければなりません。
それが、主神様→メシヤ様→私達の使命 なのではないでしょうか。
それには器を大きくしなければいけません。すべては型で進んでいきます。小さく型を示して大きくなっていくのです。
大事なことは順序です。五六七の順序ということも、霊主体従の順序なのだと思います。

7.
選ばれたのではない。試されたのだ。
昭和10年の観音教時代の御教えですが、型というのはこういう事かと、思わされ、信仰していく上で心しておかねばならない事でありますので、今読ませて頂きます。
【御教え】御講話 昭和10年8月11日
『今後といえども観音様は必要があればだれでも使う。もし使われた人が、俺がこうであるから使われたとか、俺がどうだからと思うと間違いがある。観音様からこういうお見出しに与かるということは、一生涯の光栄で、それに対してはただ感謝よりほかなにもない。感謝してありがたいと思えば後また使われる。少しでも自分がやったと思ったら観音様はもうお使いにならぬ。この点はたいへん重大なことで、観音会がだんだん発展する上においても、観音様は非常にやわらかくて厳粛で、たくさんな人を呼び寄せては、一人も残らずお試しになり、すぐりにすぐりこの人はという人だけ残し、そういう人達で固めて建設されるので、実にその点は大磐石で、ただパッと拡げない。世間ではよく形だけ見せるようにするが、こういうやり方は非常に観音様は嫌われる。場当たりのいい、ある一時的の仕事などはなさらない。要するに真実で飾り気のないこと、人間のように衒(てら)いもなにもない。本当のお試しとは、自己というものをぜんぜん見ない。本当に世界人類を救わなければならぬというやむにやまれぬ状、またこの世の中の状態を見て、実に哀れだ、かわいそうだ、見てはおれぬ、しかし人間の力ではどうすることもできぬ、しかし観音様が観音力を揮われるにつき、その一部にも加えてもらって、そして力限りやらしてもらうというそれだけで、そこに名誉心などがあると、反対の結果になる。
 こういうように、ちょっと考えが違うと、大きい違いができることになる。どこまでも自分の存在に無関心で、世の中や観音様のためと思うと、その人の存在は大きい存在となる。』

三救責任者
薬征伐、救世的救いの力、キリスト、ミロク、観音の力徳
神科学の具体化、文明の革命→『文明の創造』
すべて、主神様の力をメシヤ様が現界で表されるのです。
しかし、神様、仏様に救業を分担なされます。そして神様も因縁ある人々を通じて現界に反映させるために人間をお使いになられるのだということが、この御教えで分かるかと思います。
【御教え】宗教と科学 信仰雑話 昭和23年9月5日
『次に私は、神仏の救済と罪穢の本質について科学的説明を試みてみよう。そもそも、世界には大中小種々雑多な宗教があるが、いずれの宗教といえども、それぞれ神仏諸霊が人類救済の意図のもとに、霊界から御手を差し伸べており、現界における因縁ある人間を通じて、救済の業を行なわせらるるのである。もちろんその根本は主神の御経綸による事であって、ある時代、ある民族、ある地域、ある期間、救いの業を委任され給うたのである。畢竟(ひっきょう)するに、それはその地域に罪穢が堆積し、文化の進歩に支障を及ぼすべき程度に立ち到ったからである。そうして昔から宗教の建て前として、人間不幸の原因である罪穢の除去をされたのであるが、しからば罪穢とは何ぞやといえば、霊的には、個人としては霊の曇りであり、社会的にいえばその地域の霊界の曇りである。』

三救責任者
全宇宙の御経綸をなされるのは主神様であり、地球上へ顕現されるお仕事をメシヤ様はなされる。そのために全ての神様や仏様をお使いになられる。そして、現界に反映していくには、因縁ある人間をお使いになられるのです。
こういう学びによって、少しづつでも、メシヤ様の御神格ということを認識していけたらよいなと思います。

本日はありがとうございました。

2019年12月13日金曜日

覚りの旅 令和元年12月度 勉強会を終えて



令和元年12月
覚りの旅 令和元年12月度 勉強会を終えて

三救責任者
今日は「私は主神の仕事をさせられている」147頁 と 
「救ひ主と贖罪主」51頁だね。
じゃ、147頁から○○さん読んでくれる?

参加者
はい。
「私は主神の仕事をさせられている」
  「秋季大祭御講話」御教え集十四号 昭和二十七年九月二十七日  拝読。

三救責任者
じゃぁ、続いて51頁。

参加者
「救ひ主と贖罪主」文明の創造 昭和二十七年  拝読。


図―1
1-12-1



三救責任者
秋季大祭御講話ということで、『私は主神の仕事をさせられている』
メシヤ様が言われるのでこういう「させられる」ってなりますけども、仕事をされてるわけですね。要は主神様だって言ってるのといっしょですね。仕事ですからね。
要旨としては、
神仙郷完成。最初の秋の大祭で、この神仙郷が完成して最初にやる大祭という意味は大きいですよということを言われています。で、神仙郷は地球の真ん中なんだと。地上天国の模型が拡がって・・模型というのは神仙郷ね・・模型が拡がって世界的、地上天国になっていくんだよと。だから、地上天国の模型なんだという事で、そうすると、拡がることによって、汚いものが取り除かれると。それが世界的大掃除なんですよということが書かれてます。
仏教の開祖とか教祖がかかってくるというのがありましたね。仏霊。仏界が無くなるからという事ですね。仏滅になるという、今の時期、ということで。
今まで良いと思ってやってきた事が大変な間違いであったと。仏様が言ってるわけですね。間違ってましたよって。お詫びしたい、働かせてください、と。夜から昼への御神業を手伝わしてもらいたいと。だから仏界が慌ててるということですね。神界になるにあたって。もう全部仏様が神になっていくので、神様は御祝い御慶びにメシヤ様のところに出て来られる。

図ー2

1-12-2

天照大御神様は主神ではないんですよと。
メシヤ様、別に分けてないので、天照大御神様の御神名をご自身に対して呼ばせられたこの神と、ここで言ってる天照大御神様と違いますよっていう御教えは無いですよね。
日本のっていうことだと思います。
天照大御神様が御祝に来られた。
天照大御神様は主神ではない。
天照大御神様は太陽神である。
宇宙というのは主神様が全て掌握してるんですけども、太陽も月も星も地球もありますよね。
メシヤ様は主神様の仕事をしておられるんだと。
今までの偉い神様もメシヤ教の為に大いに働くんですよと。
これから本当に現界的に奥の方に始まっていきます。
本当に現界的に始まるのは五六七とそれが揃ってからが本当の現界ですと。
霊が箱根、現界が熱海、で、熱海が地上天国になると本当の現界的になって行くんですよ、ということを言われてましたね。
今まで出てきた事の話をされてるわけですけども。

図―3

1-12-3

続けていきますと、『救ひ主と贖罪主』ということをやりました。
何回出てくるかって考えながらちょっとやってもらうと・・。
この御論文中、『主神様』は何回?
『主神様』という事に焦点を絞って。

図―4

1-12-4

で、書いたのは、
主神は知らさなかった。
何を?
悪の必要性を。
誰に?
正神にも悪神にも。
だから、良い神様にも悪い神様にも知らせなかったんですね。
で、お互い競争みたいにさせてたわけです。

図―5

1-12-5
主神の直接的力の発揮となったと。
何で?
悪の期限が来たから。
それで、何を?
メシヤ様を選ばれたんだと。人間であるメシヤ様を選ばれた。
で、どうした?
 善と悪の根本義を開示されたんですよと。
2回出てきましたね。

図―6
1-12-6


3回目。
主神に謝罪をし赦しを乞うんだと。
誰が?
 あのキリストが。
何で?
 赦される側の神で、赦す側の神ではないから。
赦される側の神だから代償として十字架に懸ったんですよと。

図―7

1-12-7
主神は深奥なる真理を愈々開示するんだと。
どういう風に?
 『文明の創造』の著で。
どうして?
 明快に書いてあるから。
疑問点無いんですよと。
この本を読めば、真理を容易に掴み得るんですよと。
それ程の気持ちで書かれてるわけです。
4回出てきた。
4回だったんですけど、もう一つ主神ということで、違う観点から行くと・・。

図―8

1-12-8

九分九厘の悪とは現代医学ですよ、と出てきました。これは必要悪でしたよと。で、九分九厘が、現代医学が、生命を握ってしまったんだと。だから、医学を是正する必要があるんですよと。で、一厘の力というのはメシヤ様の働きですと。
働きね。

図―9

1-12-9

とすると、主神は愈々一厘の力を顕現され・・ということは一厘の力というのは主神様の働きだから主神様になりますよね。だから、5回って言おうとしただけです。
えっと、数を数えたのは意味は無いんですけども、これも要は「主神様」という事を考える上においてね、一厘の力というのはメシヤ様の仕事であって主神様の仕事をしているんですからイコールですよねという事です。
主神は愈々一厘の力を・・これ、当然主神様ですよね、主神様が顕現するんですから・・顕現され、彼らの大計画を一挙に転覆させ給ふ、之が九分九厘と一厘の闘ひであって、今やその一歩手前に迄来たのである。従って此の真相を把握されたとしたら何人と雖も翻然と目覚めない訳にはゆかないであろう。
と、これは「文明の創造」の『悪と守護霊』で学んだことです。

図―10

1-12-10

釈尊は見真実になってから説いたのが
弥勒出現成就経と法滅尽経と法華経二十八品でした。
法華経二十八品の中の二十五番目が観音経でしたね。で、これは、これから仏滅が来て弥勒の世が来るんだよと。ということで、五六七、火水土がそろって、これが正しい順序ですよということを知らせたかったんだと。五六七を知らせたかった。

図―11

1-12-11

釈迦は経文、キリスト教ではバイブル。しかしこれは、真理は解けなかった。難しすぎたとか、明確ではなかったんですよという事もありますけども、時期が来ていなかったんですよと。

図―12

1-12-12

主神様から開示された真理をメシヤ様は文明の創造に説きました。
善悪を、主神様は誰にも知らせてない、正神にも悪神にも知らせてない事を書いたよと。
善悪を司るのは主神様だけですよと。
主神様だけですからね。他の神様には無いですから。

図―13
1-12-13


で、仕事。さっき仕事って出てきましたよね、一番最初に。
テーマですね、「私は主神の仕事をさせられている」。
仕事という事にスポットを当てて考えてみますということで。
救う・許す 仕事は救い主ですよね。贖罪主というのはあがなう・つぐなう・許しを請い願う仕事ですよと。

図―14
1-12-14


今、言いましたけども、神様の仕事・・仕事というのはいわゆる御働き、働き・・という事から、整理しましょう。

図―15
1-12-15


行ったり来たりしてますけど。
今日のテーマは二つありますよという事で、仕事にスポットを当てようと思ったのは、(中央の図を見ながら)メシヤ様を中心としてこの仕事というのは宇宙の主宰は主神様です、この仕事をしているのがメシヤ様ですよ、と昭和27年9月に言われてます。もう一方では、来月の御教えで出てくるかな“私は伊弉諾尊の仕事をしている”というのがあります。これは霊主体従として、本当のやり方、浄霊というのをやってるのが私の仕事ですよということで、これは昭和27年11月に。仕事って、色んな働きという意味で使っているので、仕事をしているって、主神様の働きをなさる。何でもされるわけです、メシヤ様。伊弉諾尊の働きもしてますよと。だから、その時の、“私は今”って、伊弉諾尊の時は多分そういう右回り左回りとかいう話の時だと思うんですけども、その時期によってメシヤ様はミロク大御神って呼ばせてる時もあるし、その時はそのミロク大御神の、これからミロク大御神の仕事をしていくんだって言われた時もあるし、だから仕事っていうのは働きで、色んな神様というのは主神様の働きのあらわれ、伊弉諾尊の働きをする時と、メシヤ様自体は色んな働きをされてるよと。

参加者
千手観音みたいね。

三救責任者
そうそう。だから、色々名前が出てくるけども働きなんだと思ったらいいわけで、御神名というのは。
全部メシヤ様であって、その命令をしているのは全部主神様である。
ここをハッキリしておけば色んな名前が出てきても、「あぁ、働きなんでしょ」ということです。

参加者
うんうん。

三救責任者
天照大御神と呼ばせた時は天照大御神の働きなんですね。
だから、神仙郷であって、日本であって、まず日本が霊の本(ひのもと)の国であって、その日本をまず地上天国にするという目的があって、日本の一番の神様というのは天照大御神様と言われてると出てきてたわけで、ただ主神様では無いんですよと。主神様では無いので主神と呼ばせるのではなくて天照大御神と呼ばせて、まず日本の霊の本の国に対して力の発揮というか、光を入れて、それから次が熱海ですよと・・いう話の中で、途中で本祝典をされずに亡くなられたということですので、そういう風に働きがあったから途中で次の世代に託して御昇天されたのだなと。
だから、メシヤ様の御働き、仕事ということで、浄霊とは病気を治すだけでなく、来るべき審判を無事に切り抜ける資格者をつくるんだと。この仕事は大きな救世的ノアの方舟なんだよという言われ方もしてます。というのと、ここでは、今度昼間の世界になったのは三千年目。三千年で一回転する。だから、今まで幾度も生まれ代わってるんだよと。祖先以来ないものですと。これに生まれ合わせた、三千年に一回の機会に生まれ合わせた、その間に何回も生まれ代わってるのに、このことが素晴らしいんですよと。この仕事に携わった人はどんなに幸せか。だから、この仕事というのは信者の使命ですよ、ということを28年に言われています。だから、メシヤ様の仕事であるけれども、メシヤ様の弟子である私達はその一部、千手観音の手の一本の役割でもしていくんだよという事につながってきてますので。
これから、だんだん神様が色々な方法をもって救いの業をされる。私はその執行機関です。どうしても霊ばかりでは世の中は救われない。世の中は物質で出来ていますから、それには生きた人間が唱道しなければ駄目です。そういう仕事を私がさせられているわけなのです。これ、27年10月です。
だから、仕事、人間がしなくちゃいけないよという話ですね。神様はお体を持ってなかったのでメシヤ様を選んでと。
非常に今日は重要な所をやったわけです。

図―16

1-12-16

仕事。
人間、特に信者は善とか悪とか決めることは大変間違っているのです。また、分かるものではないのです。ただ、自分が善いと思うことをしていればそれでよいので、人が善いとか悪いとかいうそれが一番危険なわけです。なにしろ世界人類を救うというのですから開闢(かいびゃく)以来ない大きな仕事なのです。
「大きな器には大きな影がさす。だから器が大きくなければ大きな仕事はできんぞよ」
器を大きく大局的に見よということですね。大きい気持ちで。
神様のことはすべて型で行くのですから、型が出来ただけずつは霊界でその通りに拡がるというわけなのです。この点が人間の仕事と非常に違うのです。ですから、順序と型です。それを見ていると分かるし、私はそういうようにやっているわけです。それですから、別に心配することもいろいろ迷うこともないわけです。
まぁ、悩むことないよ。なるようになるよって事ですね。ケセラセラって・・(笑)。
神様の言う通りにやってれば。
何が神様の言う通りか分からないといけないけど。

図―17

1-12-17

これは昭和10年の御教えですね。
観音様は必要があれば誰でも使う。もし使われた人が俺がこうであるから使われたとか、俺がどうだからと思うと間違いがあるんですよと。観音様からこういうお見出しに与(あずか)る・・使われたということだね・・ということは一生涯の光栄でそれに対してはただ感謝よりほか何もないでしょうと。感謝して有難いと思えば後でまた使ってもらえると。すこしでも自分がやったと思ったら観音様はもうお使いになられません。この点は大変重大なことで、観音会がだんだん発展する上においても観音様は非常に和らかくて厳粛で・・和らかいけど厳粛・・、沢山の人を呼び寄せて、・・多くの人を呼び寄せるんだけども、呼び寄せて、一人も残らずお試しになって、すぐりにすぐり(選りによって)この人はという人だけ残して、そういう人達で固めて建設されるんですと。
ので、実にその点は大磐石で、ただパッと拡げない。世間ではよく形だけみせるようにするが、こういうやり方は非常に観音様は嫌われる。場当りのいいある一時的の仕事など・・ここに仕事って出てきてるから書いたんだけど・・などなさらない。要するに、真実で飾り気のないこと。人間のように衒いも何もない。本当のお試しとは自己というものを全然みない。本当に世界人類を救わなければならぬというやむにやまれぬ情、また、この世の中の状態をみて、実に哀れだ、かわいそうだ、見てはおれぬ、しかし人間の力ではどうすることもできぬ、しかし観音様が観音力を揮われるにつき、その一部にも加えてもらって、そして力限りやらせてもらうというそれだけで、そこに名誉心などがあると反対の結果になりますよと。

自分達が選ばれたんだ、自分達がやっていくんだ、みたいなのをあまり前面に出すと御教えと違いますよねという事です。
だから、偉いから選ばれたとかそんなんじゃないって事を分かっておかないと、もう次は使ってもらえませんよということです。

参加者
名誉心ね・・。

三救責任者
うん、だから・・何が名誉なのかよく分からないよね。
そういうことは、考えずに、自分の出来る人救いをさせてもらってればそれでいいということだと思います。

参加者
自分の出来る限りのね。

三救責任者
だから、気持ちは大きく、それをやっていくこと、コツコツとやることによって、皆がそういう気持ちになった時に大きくなるわけですから。

参加者
小さなことからコツコツと。

図―18
1-12-18


三救責任者
まだ、仕事は続いてます。
薬を征伐するというのが根本の仕事ですよと。浄霊とは薬をとること。薬を減らす方法。ミロクの世というのは人類から薬を無くすことです。そうすると、ミロクの世が出来るんです。ここも、仕事というのがあります。色んな仕事があるということです。
今後私の仕事の上において、救世的救いの力を発揮するか、キリスト再臨的威力を現すか、弥勒や観音の力徳を顕現するか、これ、全部出てきてますよね、だから結局仕事。キリストの再臨の仕事もメシヤ様ですと。弥勒、大ミロクって言ってますけど、弥勒の仕事もメシヤ様です。観音様の仕事もメシヤ様です。全部メシヤ様の仕事。仕事という事で、捉えていくと。メシヤ様が言われてるわけですから、「発揮するか」って言われてますけども、「発揮します」って言ってるのと一緒ですよね。裏を返して言えば。だから、すべての仕事をなさるのは、メシヤ様です。
全世界が公正な批判の眼をもって見てくれれば私は満足ですと。だから、公正に見てくれよってことです。キリストと比べて私の方が力が上でしょって自分で言われてるわけですし、実際そうでしょうし、皆がキリストの力と同じくらいの力を浄霊で、弟子が発揮してるわけですから、上に決まってますよね。
主神様が経綸し給う神科学の具体化が浄霊だから、超偉力を発揮できるんですよと。
メシヤ教の本来の仕事というのは世界の文化革命です。大きいんです。文明の改革です。そこで、『文明の創造』というのを書いているんです。
だから、この時期において『文明の創造』を出した意義というのは本当に大きいと思います。

図―19

1-12-19

仕事という事でいくと、神仏の救いの業の分担。
そもそも世界には、大中小種々雑多な宗教があるが、いずれの宗教といえどもそれぞれ神仏の諸霊が人類救済の意図のもとに、霊界から御手を差し伸べており、現界における因縁ある人間を通じて、救済の業を行わせらるるのである。
勿論その根本は主神の御経綸によることであって、ある時代、ある民族、ある地域、ある期間、救いの業を委任され給うたのである。それはその地域に罪穢れが堆積し、文化の進歩に支障を及ぼす程度に立ち到ったからである。
だから、罪穢れとは個人的には霊のくもり、社会的には地域の霊界のくもりであると。


図―20
1-12-20


だから、知って欲しいのは、今の話をまとめていくと、色々皆悩むけども、全部主神様が全宇宙の御経綸を司っておられる。仕事を、主神様の御仕事をメシヤ様に委任されたんですよと。
主神様はメシヤ様に委任されました。主神様の仕事をなさるのはメシヤ様です。
この救いの業を委任されてるわけですね。だから、皆、メシヤ様に対して「主神様にお祝い申し上げます」って天照大御神様が言ってくるという事は主神様の仕事をしてるから。で、メシヤ様が全ての神様に対して、ある地域とか、ある民族、ある時代とかある期間、色んな仕事を割り振ったわけですね。その中には、ミロク大御神とか光明如来、観音、天照大御神、伊弉諾尊、色んな・・あるでしょうけどもという話です。
この構図だと思います。御教えを整理すればそういう事が出てきますよね。

これで一通り終わったんですけども・・。

図(省略)
これ、今度23日にしようかと思って。今までのここに出てきた中の要点を書いていったらどうかなと、そうすると整理できるかなと思ってちょっと書いてました。

ここだけ、さっき話がでてきたので・・
本当に現界に始まるのは五六七がそろってからと。というのが、今までは六六六だった。で、一が地上に降りて、一厘の神様が地上に降りて五六七になるんですよと。それがそろってからという事です。だから、メシヤ降誕本祝典、終わってからが本当という風にとらえたらどうかなと。
この五六七がそろってからとは、天から一が地上に降下されて、メシヤ様が降誕されて、五六七(ミロク)下生されてとかいうことで。
すなわち、30年3月3日、メシヤ降誕本祝典でメシヤ様をお迎えさせて頂いた現在であると拝察いたします。


司会
では、以上を持ちまして月次祭、並びに一日祭を終わらせて頂きます。

参加者一同
ありがとうございました。 

2019年12月9日月曜日

令和二年一月度『覚りの旅』御教え



令和二年一月度『覚りの旅』御教え

『私のことを「主神様」と言っています』御教え集十六号 昭和二十七年十一月十五日 150P
『善悪発生とキリスト教』文明の創造 昭和二十七年 57P

『私のことを「主神様」と言ってます。』
御教え集十六  昭和二十七年十一月十五日

この間多賀さんの奥さんにあまてらす大御神様が懸って、私のことを「主神様」と言ってます 良いことがあって御祝いに来たのです。「主神様に御祝い願いたい」と言ってきたのです 最後に「主神様に御守護をお願いしたい」と言うのです これは本当に懸ったのです。そうすると、あまてらす大御神というと世の中ではたいへんな最高の神様のように思ってますが、しかしあまてらす大御神は伊邪諾いざなぎ伊邪冊いざなみのみことの子供になるのです。これは神代史じんだいしにもあります。あまてらす大御神は伊邪諾いざなぎのみことの娘さんになる。ですから分かりやすく言えば私の子になるわけです そこであまてらす大御神様は本当に人を救うという力はないのです。

やっぱり少し話さなければ具合が悪いようです 
 よく御守護電報が来ますが じきに治るような 難しいようなことでなく簡単に治るようなことの電報があるのです これを大ざっぱに言うと 急所が分からないのと それから浄霊に力が入ることです その点が一番です そこで急所を見つけることを大いに修行しなくてはいけません それから“力を入れてはいけ ない”ということはよく言ってますが つまりこう(御浄霊)して治りが悪い 苦しみなら苦しいのがなかなか取れないということは力が入るからです 力をグ ンと抜くのです ところが苦しいと力を入れますから 一生懸命になると治りが悪いということはいつも言っていますが そんなようでその点を大いに忘れない でやるとだんだん慣れてきます そうすると力を抜いてやるのが癖になります そういうようにやらなければならない それで急所ですが 原因はたいてい熱で す それはなんといっても頸のまわりです 今の浄化している人をみると ほとんど頸のまわりです 十人のうち八 九人までそうです それで頸のまわりの固 まりを発見するのです それに一番良いのは 前から頸 延髄の後ろの方をみるのです そうすると一番良く分かる かえって後ろを向かせるよりか分かりま す そうするとこれ(頸部)の左か右のどっちかが必ず腫れてます そうすると下の方から手を入れてみると ここ(延髄)にグリグリがあります そうしたら 離して力を入れないでやる そうすると熱を取るのには一番早いです そうして指でちょっとやるとすぐ分かります それから額が肝腎なのです。それから人に よってはこうして(頭の上部より)頭の芯の方をやっても良いです それから今言うここ(額)です これで熱は大体取れます あと背中の熱とか腰の熱があり ますが これはなんでもありません 結局頸の熱です 今その見方と頸の熱の取り方を話したのですが そういう方針でやってご覧なさい それで後ろの固まり は 後ろ向きになってやるより前からみた方がかえって分かります それから片方の、右が固くて左が柔らかいというのがあります それから下顎に固まりがあ ります 結局頸のまわりを一番みるのです そうするとたいてい分かります 
 それから御守護電報に年齢を忘れることがよくありますが 年齢が肝腎なのです。よくなんの何某と名前を書いてありますが 年寄りみたいな名前で よくみ ると赤ん坊ではないかということがある また花子とかと馬鹿に若い人の名前で ところが御本人は腰の曲がったようなお婆さんです だから年齢だけは忘れな いようにしてください 
 それからお願いする場合に よく「光明如来様」と「明主様」と両方にお願いしますが あれは「明主様」だけで良いのです というのは 私が光明如来様としてのその働きをするのですから 元は私の方だから 元だけにお願いすればそれで良いのです 
 それから私は今まであんまりはっきり言ってなかったので だんだん時節に応じていろんなことをはっきりさせていきますが こういうことも知っておかなけれ ばならない 今私がやっている仕事は伊邪諾(いざなぎ)尊の仕事なのです それで古事記にある“天の御柱を両方の神様が廻り合った”ということがあります が 最初伊邪冊(いざなみ)尊すなわち妻神様の方が右まわりをした そうしたところが世の中がうまく行かなかったので 要するに失敗したのです そこで伊 邪諾尊が「そうらみろ オレが最初右まわりはいかんと言ったのに お前が右まわりをしたからそうなったのだ こんどはオレが左まわりをしてやろう」という ので 天下が治まったということがあります というのは 右まわりというのは右進左退で体主霊従です それを伊邪諾尊様が左まわりにすると天下が治まった というのです 本当のやり方をしたのです ちょうど今の医学は右進左退ですから体主霊従です 右まわり医学です 今度は浄霊という“霊”を主にするという のは左まわりです それで私がやっている仕事は伊邪諾尊の仕事です 
 この間多賀さんの奥さんに天照大御神様が懸って 私のことを“主神様”と 言ってます 良いことがあって御祝いに来たのです 「主神様に御祝い願いたい」と言ってきたのです 最後に「主神様に御守護をお願いしたい」と言うので す これは本当に懸ったのです そうすると 天照大御神というと世の中ではたいへんな最高の神様のように思ってますが しかし天照大御神は伊邪諾 伊邪冊 尊の子供になるのです これは神代史にもあります 天照大御神は伊邪諾尊の娘さんになる ですから分かりやすく言えば私の子になるわけです そこで天照大 御神様は本当に人を救うという力はないのです それから月読尊も御祝いに出ました いずれ「地上天国」に出しますが まだちょっと早いので正月のに出そう と思ってます それで月の神様と日の神様の両方でなければ救えないのです そこで日と月が両方ピッタリして出るのが光なのです 光というのは 日も月も両 方とも光はありますが 本当の光の力というものは両方がピッタリ合わなければ出ないのです ですから私から出る浄霊の光も そういった日と月の両方の光な のです そこで光明如来という名前も “明”は日月ですから 日月の光というこれが本当の力になるわけです そういうわけです これはいろんなものに現わ れてます [逆卍]でもそうです 仏教のはこういう卍です 私の方で先に[逆卍]をつけたことがありますが 逆のまんじです 仏教の方ではこういう[逆 卍]を逆まんじといってますが 実は仏教の方が逆まんじです 右進左退です 今までの逆まんじ[逆卍]というのが左進右退になってます だから仏教は月だ ということは やはりそういうことです これはなかなかおもしろいと思います。巴も こういう(右まわり)書き方と逆のと両方あります これもおもしろい のです。三つ巴 二つ巴というのがありますが 三つ巴は五六七が左進右退と 右進左退になっている 
 それで言霊からいっても伊邪冊の「ミ」は女で 「ギ」は男です 「イ」ということは人間ということです 「イ」というのは「人」というのを縮めたもので す 「ザ」というのは「ジャシン」の「ザ」です 字で書くと「邪」ですが 言霊からいっても 「ジャ」を縮めると「ザ」です やはり「蛇」ということで す 「ナミ」というのは「柔らげる」とか「和める」とか 女の柔らかさということです 「ナギ」というのは「薙倒す」という非常に強い力です やはり「キ ミ」になるのです 「キミ」という言霊もたいへんなものです 「キ」というのは霊で 「ミ」というのは体です 「キミ」というのは霊体ということです  「キ」というのは精神です 心とか目に見えないものです 「ミ」というのは水 女ですから 言霊からいうと伊都能売ということになるのです こういうこと もだんだん書きますが 方角でも「キタ」と言いますが、「気が足りる」「気が満ちる」ということです それから「ミナミ」ということは「水のみ」とか  まり女です やっぱり陽陰 火水です こういうことも今度精しく書きます 
 それからこれもちょっと知っておかなければならないことです。

『善悪発生とキリスト教』 文明の創造 昭和二十七年

善と悪とについて、徹底的解釈をするとなると、これ仲々なかなか難しい問題であって、今日までこの問題を真に説き得た者は、ほとんどないといってもいいくらいである。何となれば此事このことは大宇宙の主宰者である主の神の権限に属するからで、すなわち哲学的に言えば宇宙意志である。従って主の神以外のあらゆる神でも分り得ないのは当然で、いわんや人間においてをやである。もしこの問題を説く人があるとすれば、それはじんから生まれた想像の範囲内であって それ以外一歩も出ないのである。ところがそれを私はここに解説しようとするのであるから仲々なかなか大変ではあるが といって私の想像的所産ではなく 神示によるものであるから別段困難はないのである。というのは時期たって地上天国建設の大任を負わされた私としては ある程度主神の真意が感得されるからで、読者はこの点よく心に止めて読んでもらいたいのである。 

 この標題の意味を説くに当って あらかじめ知っておかねばならない事は、再三言ってゐる如く 仏教の真髄は霊が主であり キリスト教のそれは体が主である事である とすれば今之を仮に善と悪とに別けてみると 霊は善に属し体は悪に属するといってもいいが しかこの場合の善悪は決定的のものではなく ただいて別けるとすればそうなるのである。換言すれば霊を主とすれば霊主体従となり 体を主とすれば体主霊従となるからである。今それらについて順次解説してみるが、善と悪とについ 徹底的解釈をするとなると 之は仲々難しい問題であって、今日迄この問題を真に説き得た者は ほとんどないといってもいい位である。何となればこの事は大宇宙の主宰者である主の神の権限に属するからで 即ち哲学的に言えば宇宙意志である。従って主の神以外のあらゆる神でも分り得ないのは当然で 況んや人間に於てをやである。この問題を説く人があるとすれば それは人智から生れた想像の範囲内であって それ以外一歩も出ないのである。処がそれを私はここに解説しやうとするのであるから仲々大変ではあるが といって私の想像的所産ではなく 神示によるものであるから別段難くはないのである。といふのは時期来って地上天国建設の大任を負はされた私としては 或程度主神の真意が感得されるからで 読者はこの点よく心に止めて読んで貰ひたいのである。
そうして今ここに説明する処の理論は 私が常に説く処の大乗よりも、一層大乗ともいふべきもので 勿論もちろん前人未踏の説であって 文字や言葉での表現はまことに困難である。従ってかく現代人の頭脳で解し得る程度と共に 神から許されたる枠内だけの事を説くのである 
 抑々そもそも 主神の御目的なるものは 之も私が常にう如く 真善美まったき理想世界を造るにあるのであるから その御目的に必要な程度にまで物質文化を進歩発達させればいいのであって それが今日迄の世界の歴史であると思へばいい。その意味をもって現在の文化形態をつぶさに検討する時 最早もはや時期の来てゐる事に気付くであろう。
以上の如く 物質文化がこの程度に迄進歩発達したについての 古代からの過程を凝視する時 に何を見出すであらう。といっても人間の頭脳での発見は困難であるが、私は今それを解説しやうと思うのである それは世界の一切は神意による経綸である事を充分知らせたいからである そこでづ人類の最大苦悩である処の善と悪との摩擦即ち闘争であるが この闘争なるものの原因は 言う迄もなく悪であるから愛の権化ともいふべき神は 何故悪を造られたかといふ事である。この事は昔から何人も知らうとして知り得なかった謎であったが それを今私は解こうとするのである。それについてはづ心をひそめて歴史とそうして文化の進歩の跡をかえる事である。としたらに何を発見するであらうか。処がそれは意外にも人類の闘争によって 如何いかに文化の進歩を促進したかといふ事である。しも人類が最初から闘争を好まず 平和を愛してゐたとしたら 物質文化が仮令たとえ生れたとしても その発達は遅々たるもので 到底今日見るが如き目覚しい発達は遂げ得られなかったに違ひない。この事をよく考へてみたら 悪なるものが如何いかに必要であったかが分るであらう。
処でここに問題がある。それはこの善悪の摩擦が文化の進歩に必要であったとしても 悪は無限に許されたものではない。いつかは停止される運命が来るに決ってゐる事であって 今日その時が来たのである。何となれば現在の文化形態をみればよくうなずける 即ち戦争主段としての驚くべき武器の進歩である 言う迄もなくの原子破壊の発見であって この発見こそ人類の破局的運命を示唆してゐるもので 最早もはや戦争不可能の時期の来た事の表はれでなくて何であらう 之によってみても闘争の根本である悪なるものの終焉しゅうえん 最早もはや寸前に迫ってゐる事に気付かなければならない 勿論もちろん常に私の唱へる昼夜の転換の如実の現はれでもある。之を歴史的に見てもよく分る し悪を無制限に許されたとしたら 社会はどうなったであらう。人間は安心して業務に従事し 平和な生活を営む事は出来ないで 遂には魔の世界となってしまひ、一切は崩壊するに決まってゐる としたら或時期迄の統制も調節も必要となるので その役目として生れたものが宗教であり その主役を荷った者がのキリストである。同教の教義の根本が人類愛であるのもよくそれを物語ってゐる それによってかく白色民族の社会が 魔の世界とならずに 今日見る如き素晴しい発展を遂げたのも 全くキリスト的愛の賜でなくて何であらう 以上によってキリスト教発生の根本義が分ったであらう 
 そうして今一つ忘れてならない事は 無神論と有神論である。之も実をいえば経綸上の深い意味のある事であって それはしも人類が最初から有神論のみであったとしたら 悪は発生せず闘争も起らないから それに満足し立派な平和郷となり よしんば唯物科学が生れたとしても 発展性はないから 到底地上天国の要素たる文化的準備は出来なかったに違ひない。処が無神的思想がはびこった結果 形のみを主とする以上 今日見るが如き 絢爛けんらんたる物質文化が完成したのであるから 全く深遠微妙なる神の意図でなくて何であらう。しかし表面だけしか見えない唯物主義者などは それらの真意を汲みとる事は出来まいが 右の如く愈々いよいよ悪の発生源である無神論は 最早もはや有害無用の存在となったのである。としたら世の多くの無神論者よ 一日も早く覚醒されるべきで し相変らず今迄通りの謬論びゅうろんを棄て切れないとすれば、気の毒ながら滅亡の運命は 君等を待ち構へてゐるのである。何となれば善悪切替への時機は決定的に接近しており その場合神業 妨害者は絶対的力によって生存を拒否されるからである。そうして神は無神論者を救う手段として採られたのが 神の実在を認識させる事であって、その方法こそ本教浄霊である。見よ本教に救ひを求めに来る数多の重難病患者等がたちまち全快の恩恵に浴して この世に神は確かに存在する事を知って 飜然と目醒め、今迄の無神論の誤りを悔ひ たちまちにして有神論に転向するのは 百人が百人皆そうである。何よりもこの実例は お蔭話として数へ切れない 本教刊行の新聞雑誌に掲載されてあるにみて一点の疑ひをさしはさみ得ないであらう 
 以上の如く今日迄は 悪なるものも大いに必要であった事と 今日以後は二義的存在として 制約される事が分ったであらうが 之について別の例を挙げてみようと思う。それは原始時代に於けるのマンモスや恐竜の如き巨大動物である それは今世界の各地に時折発見される骨であるが 之によってみても実在したものであったに違ひない。その他にも大蜥蝪とかげやそれに類した奇怪な動物が さかんに横行してゐた事は想像に難からないが 今は影も見へないといふ事は 全く自然淘汰とうたによる為であらう。その理由は不必要となったからであるのは言う迄もない 必要といふのは何しろ地球が形成され 相当期間地殻が脆弱であったが為 それを踏み固めしむるべく多くの巨大動物を作り その役に当らせたのであって 大方固まったので淘汰とうたされた事と 自然硬化作用と相俟あいまって、ようやく立派な土壌となったので 神は植物の種子を造り蒔いた処 漸次ぜんじ植物は地上に繁茂し 生物の生活条件が完備したので ここに人間初めあらる生物を造られたのである。しかながら最初の内は至る処 猛獣毒蛇等々がせいそくし人間を悩ました事であらう。そこでその時の原始人は 之等動物との戦闘こそ生活の大部分であったであらう。之等動物の幾種かは時々発見される骨や その他部分品等によっても大体は想像がつくのである。勿論もちろん之等大部分の動物も自然淘汰とうたされたものであらう。それらについて想はれる事は 日本に於てさへ日本武やまとたける尊が その毒気にてられ生命を失ったといふ説にみても それ程獰猛どうもうな奴が到る処にんでおり 人畜に被害を与へたに違ひあるまい。処がその様な有害無益の生物も 歳を経るに従ひ消滅又は減少しつつあるのである。従而したがって 最早もはや今日では人畜に危険を及ぼすやうな動物も 種類によってはほとんど死滅したものもすくなくないやうである。この様な訳で遂には動物といへば 家畜動物のみとならう事も想像されるのである 
以上説いた如く 文化の進むに従って 必要であったものも不必要となり自然淘汰とうたされるとしたら 最後に至って人間といえども自然の法則からまぬがれる事は出来ないのは勿論もちろんである としたら人間に対するそれは何かといふと 勿論もちろん人間に内在する悪である。さきに述べた如く今後の時代は 悪は有害無益の存在となる以上 悪人は淘汰とうたされてしまふのは当然な帰結である。之を一言にしていへば 進化の道程として動物と同様の人類が進化し 半人半獣であった人間が 即ち外表は人間、内容は獣であった その獣性を除去して全人間にするのが今や来らんとする神意の発動であって それに服従出来ない者が 自然淘汰とうたによって滅亡の運命となるのである 
 以上の如く善悪の人間が清算され 善の人間が大多数となった世界こそ 本教でふ処の地上天国の実相である。右によっても分る如く 滅亡の一歩手前に迄来てゐる悪人を悔改めしめ 犠牲者を少なくするその救ひこそ 神の大愛である事を知らせるのが本教の大神命である

覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて

  令和6年7月1日 覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて   三救責任者 月次祭おめでとうございます。   参加者一同 おめでとうございます。   三救責任者 令和六年七月度 覚りの旅の資料を最初に拝読していただけますか?   参加者 令和六年七月度 覚りの旅 資料 1 は...