覚りの旅 令和6年2月 月年祭を終えて
三救責任者
月次祭、おめでとうございます。
参加者一同
おめでとうございます。
三救責任者
本日の『弥勒三会』の御教えは節分祭、立春祭と深く関わっています。
昭和29年2月4日、立春祭御講話に 『○○教の意味というものは、つまり私の仕事の準備です。「弥勒三会」と言って、仏教の方の言葉があります。「弥勒三会の暁」とか、あるいは「弥勒三会の鐘が鳴る」という言葉がありますが、弥勒というのは、三人あるのです。それは日の弥勒、月の弥勒、土の弥勒というわけで、日、月、地になっているわけです。』 という立春祭の御講話があります。
そういうことを踏まえまして、本日の御教えの拝読をお願いいたします。
参加者
『文明の創造 弥勒三会』 拝読
三救責任者
はい、ありがとうございます。
覚りの度で、10月から何をやってきたかということで、タイトルだけ言いますと、
10月は 『仏滅と五六七の世』
11月は 『仏教の起源』
12月は 『伊都能売神』
1月は 『観世音菩薩』
2月で 『弥勒三会』
ということで、順番がこのようになっているということで非常に意味があるのかなと。
まずは、中心は「伊都能売神」で「観世音菩薩」、「観世音菩薩」は「伊都能売神」ということですので、御本体は。今度は「弥勒三会」とは何かということが書かれていました。
三人の弥勒 ということで、日・月・地。その中心の 日 というのは 伊都能売の身魂 であるということが書かれていました。
阿弥陀様を 法身の弥勒といい、
お釈迦様を 報身の弥勒、
観音様が 応身の弥勒。
観音様はメシヤ様であるわけですけども、阿弥陀様というのが法身で、これは○○教でいうと聖師様にあたる。
お釈迦様というのは、報身の弥勒ですけども、これは○○教の教祖○○○○にあたるということですね。
○○教の○○○○○○が阿弥陀で、教祖○○がお釈迦様、お釈迦様は稚姫君尊でもある。
他の御教えにも出てきますけども、そこのところを、そのままのことをお話ししますと、
「○○の御魂というのは国常立尊様が半分、稚姫君尊様が半分。稚姫君尊様はお釈迦様でもあるので、○○教の教祖というのはお釈迦様でもある。」
そのお釈迦様と○○○○○○聖師、阿弥陀になるので、このお釈迦様と阿弥陀様が先にインドへ行って仏教の基礎を作られた。そうして今まで学んできた、観音様であるメシヤ様が、観音様が、その基礎を作られたところに行って教えを垂れられた、お釈迦様に。そういう関係性ですからね。
お釈迦様といっても魂もあるので・・先程の話の素戔嗚尊でも一人だけではないということです。色々分身されるということね。
応身の弥勒というのは観音です。最初の頃、“そこで観音会をつくった”という御教えございます。
“観音を芯にしてやっていたから、観音会というのをまずはつくった。” 昭和10年の御教えです。
それから、仏というのは神の化身です。これは、学んできましたね。 化仏化身といいます。
応身の弥勒というのは、いかなる事でも自由自在、千変万化です。
伊都能売思想が出て始めて人類は本当のことを知る。
本当の世界が生まれるとはどういうことか、どういうものかというのを今書いている。
今書いているのがこの『文明の創造』なんです。
伊都能売思想が出て始めて人類は本当のことを知る。
本当のことって何? というと、それは 『文明の創造』に書いてある。
それから、弥勒三会 というのは伊都能売思想のこと。伊都能売思想というのは色んなことに対する考え方。
そういう考え方が伊都能売思想でいけば正しく間違いなくいく。
本当のことが腹の底に分かるために、私たちは『文明の創造』を学ばせていただいているんです。
今回の御教えというのは、『文明の創造』であり、私たちのやっていること、これを学んでいるので、そこの中心の、根幹のことをやっているわけです。
昭和26年10月1日の御教えの中に、“言霊で言霊界に一つの波紋を起こす”、ということが出ていまして、それで、世界に広がって具体化するんだと。
この時は東京の丸の内、要は日本の中心といわれるところでやっていて、小さくやっていてもそれが世界に広がるんだ、言霊を発しているから。その言霊のことをやっています。この前から言霊の話が出てきていましたね。
丸の内でやる前にも小さくやっているんだと、小さく・・・型ですね。
こういう座談会的なことでやっていても、メシヤ様がお話ししたことというのがバーッと広がっていく。
それを私たちはこういう形で引き継いでやっているんだと思っていただければ、思いが大事ですからね。
小さくやっている、だけど、メシヤ様は、小さい時から世界に向かって発信しているという意味合いでやっているんですね。
それから、メシヤ講座27年4月にやったんですけども、「深奥なる神の経綸」・・・27年4月というのは今の「弥勒三会」を学んだ時です。
「文字は神様がつくられた」と、文字は神様がつくられたお文字でもあるわけですし、「神」の字というのは、しめすへんに申す と書く。「申す」というのは〇に十で上から貫いているということが出てきていますので。今、御教えを抜粋してやっています。今日の御教えと色んな御教えを抜粋してね。
それから、「釈迦、阿彌陀は根本からいえば、ヤハリ日本の神」、それも今出てきましたね。
根本からいえばヤハリ日本の神。これはメシヤ講座からです。
「『浄霊』というのは三千年来に起きている尊いこと」なんだということを、27年4月のメシヤ講座で。
そう考えると 感謝の念がふつふつと湧いてくる。
この時に質問で、「今度の事」とは? と出てきましたね。
「今度の事」というのはどういうことですか、と質問したんですね。
その時の先生の回答が、ちょうど27年、『文明の創造』をお書きになっている頃の話ですので、『文明の創造』をお書きになられたこと。今度は、その『文明の創造』を私たちは発刊したということがあるので、そういうことを言われているんじゃないでしょうかという回答。
いろいろな考え方があるのでね。ちょっと読み解きにくいところだったので質問させてもらったんですけども、今はそういうふうに考えたらいいんじゃないかと。
そして今、ネットの世界にブログで発信しています。これはメシヤ講座からもやっていますけども、音声で世界にスタンドFMでやっています。こういうのは、言霊界に言霊で波紋を投げかけていることになる、ということですね。
『光の活動』という御教えがございまして、これが「無限極」の活動なんだと。
文字が「無限の速度」で、「無限の拡がり」で、「無限の活動」を起す。メシヤ様が書かれた御文字ですね。
そうして意味合いもありますね。文字通りの「意味の働き」をされていくんだということが出ております。
これは昭和10年の5月21日の『光の活動』という御教えです。
霊的な活動があって、無機から有機的になる。そうすると、活物的意志が発生するようになる、文字が。
だから、春の寒い時に、メシヤ様が「春の風」と書いたら、部屋が暖かくなったと、そういうのが景仰に出てきてますかね。
昭和26年11月25日の御教えで、浄霊を世界中の人がやるようになっていくんだと。
それで初めて人類は根本的に救われていくんだと。
これも同じく26年11月25日の御教えからですけども、病気の根本は種痘です。
邪神は巧妙なんだと、医学は邪神が経営しているんだと、人類を目覚めさせるべく『文明の創造』をメシヤ様はご執筆なされた。
キーワードとして、 種痘 ということと 邪神 ということはくっついて書かれているということね。
医学は邪神が経営している。
『文明の創造』というのは、人類を目覚めさせるべく・・邪神に操られるとか、根本は種痘なんだ、ということを分かってもらうために書いたんですよ、ということを。ざっとまとめるとこうなります。
ちょっと分かりにくかったようなところをもう一回いきますと、『弥勒三会』の後の御教え というのがございまして、今の『文明の創造』の『弥勒三会』を朗読して、その後でメシヤ様のお言葉を給わった、というところを少し読みますね。
○○教は、教祖様のやり方で失敗し、○○様のやり方で失敗して、その間に生まれたのが伊都能売で、私が伊都能売になる。釈迦、阿彌陀、観音・・之が一緒になった時が弥勒三会になる。だから、弥勒三会はもう済んだんです。東洋の経で失敗し、緯の西洋文明も失敗した。経は善になり、緯は悪になるんですが、東洋-経は、善で失敗した。それで、東洋人は善なんです。印度やビルマ人なんかですね。支那は緯が入りましたがね。純粋の東洋人は実に善接なんです。西洋文明は、悪の文化です。處が悪の文化は必要なんです。物質文化は神を否定しなければ発達しないんですからね。ですから、今迄は西洋文明で良いんです。だが、それでは何うしてもいけない。結ばなければならない。中の文明ですね。今私が書いている「文明の創造」それが根本なんです。今迄の文明はどっちかに偏っている。つまり、左翼と右翼ですね。どっちもいけない。左翼にあらず、右翼にあらず、左翼であり右翼であり、その中心を結んだそれが本当のものです。「文明の創造」はその結んだものですね。そこで、本当の善悪が出来るんです。それで、経と緯を良く知らなければならない。バッチの真ん中が伊都能売になる。伊都能売と言うのは、金属で言うと、金になる。ですから観音さんは黄金の一寸八分となっている。神様は昔から準備してあるんですからね。ですからこの根本を知って、色々なものを見ると良く分かる。
これは昭和26年10月1日の御教えでした。
先ほどもメシヤ講座での話が出てきましたけども、『弥勒三会』は『文明の創造』の333ぺージに掲載されています。
重要だということですね。数字的にも。
先ほど「深奥なる神の経綸」と出てきましたね。
「深奥なる神の経綸であって」 と書かれております。この 「深奥なる神の経綸」 ということをしっかりと受け止めていただきたいと思います。
メシヤ様がこの 「深奥なる神の経綸」 を与えてくださっているわけであります。
「一厘の御魂こそポチであり」 ということですからこの「ポチ」がメシヤ様の腹中に宿られたわけでありますし、私たちが御参拝いたします、主神様の「○にチョン」のお文字の「チョン」が「ポチ」であるわけですので、そのように受け止めていくということがこの 「深奥なる神の経綸」 を〝少しずつ分かっていく″ということであります。
それからさっきも出ましたけど、「文字は神様が造られた」。
『文明の創造』335ページに、
『そうして火と水の密合が光であるから、文字もそうなってゐる。即ち光の文字は、火の字の真中へ横棒を一本入れてある。横棒は水であるから、実によく出来てゐる。之によってみても、文字は神が造られた事が分るであらう。』 と書かれております。
皆様方、掌に書いてみてください。火を書いて横棒を入れてみてください。そうすると光という字になります。拝読する時に紙に書いてみるとわかりやすいです。そのように漢字の構成を見ていっていただきたいと思います。
『三千年目に一度桃の実が生り、之を貴重な宝として・・』 ということが、336ページの後ろから2行目に書かれておりまして、ここがまた大切なところであります。
私たちが今、『浄霊力』を拝受させていただいて人様に浄霊を取り次ぐということは〝実は三千年目に起きていることだ″と受け止めていただきたいと思います。
このことを知らないと、浄霊の意義が崩されていってしまいます。そして〝薬と併用した浄霊″というように崩された浄霊になってしまいます。
浄霊というのはここに書かれておりますように三千年来に起きていることですので、〝それほど尊いのが浄霊なのだ″と捉えていかないと浄霊観が非常に低いものになっていきます。ですからここのところは非常に大切なところであろうかと思います。
それから、「感謝の念がふつふつと湧いてくる」 ということも先ほども言いましたけれども、
最後に、観音様と大仏様の違いを、
『観音は堂宇の中に祀(まつ)られて御姿は小さく、大仏は外に鎮座されて大きいのは、観音は日本内地の仏であり、阿彌陀(あみだ)は外地の仏といふ訳であらう。』という事が書かれていましたね。
それから、黄金の一寸八分の本体が観音様であると。
黄金の一寸八分というのは内地の仏であるからその大きさなのだということです。そして大仏は大きくて金箔をはっているのは外地の物を象徴しているからだということです。
いろんな仏閣を訪ねた時のそこの仏の見方もメシヤ様の御解説によってよりわかってきますので、こうしたことを教えられる我々というのはなんと幸せな人間なのかということをここを拝読させていただくと感謝の念が沸々(ふつふつ)と湧いてくると思います。
この感謝の念が湧いてくるということが実は信仰が深まってくるということになっていきますので、そうしたことを今月は心に留めていただいて拝読をかさねさせていただければ大変有難いと思います。
思い出してきました?
337ページの『今度の事の予言といってもよからう』の『今度のこと』と言うのは、3000年目に起きている御神業のことなのか、浄霊のことなのか、彌勒三会のことなのかどのように受け止めたら良いのでしょうか。
という質問をさせて頂いた時に、
『今度の事』というのは昭和27年に書いている時期のことです。昭和27年にこの文章を書いておられますので所謂(いわゆる)我々信者にとっては、『文明の創造を発刊した』と受け止めるのが一番良いのではないかと思います。
というのも『文明の創造』を出して行かない限りこの世の中は変わっていきませんのでね。
メシヤ様は『天の父(エホバ)』の教えとしてこれを出した理由はキリストが天の父と言っていたそのエホバ直接にいただいた御啓示だということでこれを書いたわけです。
我々の御神業というのはその破壊と建設が根っこにあるわけなのです。
破壊というのは建っているのが崩れる程度に考えておられる先生方もおられるのですがそうではないのです。ガチガチに固めた思想体系を崩すというのが破壊なのです。そしてその時に必要なのが絶対的な救済力である浄霊なのです。浄霊力が強くなければその思想体系を崩すことはできないのです。それがわからないと浄霊力が弱まっていきますので各教団で御守護が戴きにくくなっているのです。最初は初心者は浄霊力は強いのです。しかし信仰が深まっていった時にこの考え方が伴っていかないと浄霊力が強まっていかないのです。
ですからこの本が出て初めて『文明の創造』が出たと言えるわけで、『今度の事』というのは『文明の創造』と捉えていただいて・・・この『文明の創造』発刊によってやっと3000年来の御神業、メシヤ様が進めようとされた『本筋の御神業』を進めることができる時代を迎えたというわけです。
とお答えいただいております。
今のはメシヤ講座の復習でした。
メシヤ講座三重の平成27年4月。
先ほどの 『光の活動』 ということで、昭和10年の5月21日の御教えなんですけども、
霊界にも、縦横に、平面と立体が、層を成して、無限大から無限微に及んで「無限の速度」を以て「無限極」に活動をしているのであって、一次元、二次元、三次元、四次元所ではないのであって、之を本当に、説明するには、相対性原理よりも難しいと思うのであります。
・・アインシュタインより難しいです。
之を識るには、観音の光に浴して、真に智慧証覚を磨き、不言不語の裡(うち)に覚る、詰り仏教で言う「大覚者」にならなければ、真相は判り難いのであります。何時か、○○さんのお宅に、掛っております「大経綸」という額の文字が、一つ一つ「大」の字から消えて、次が「経」の字、次が「綸」の字という風に、順々に消えては又、元へ戻り、何回も繰返すという話が、ありましたが之は、其文字が、活きて働くんであります。大なら大の字が、額から抜け出るが否や「無限の速度」と、「無限の拡がり」と、「無限の活動」を起すのであります。
そして「大経綸」という文字通りの「意味の働き」を、東京、日本、世界という風に拡がって、霊的活動をするんであります。ツマリ無機的な文字が、有機的に化し、文字の意味通りな活物的意志が発生する、否、活物其ものになるのであります。
文字通りになるということ。
扨(さ)て、一軒の家に、先ず「光の活動」が起きるとすると、其家の暗黒が、解けて行きますから、悪魔の活動力が、弱って行きます。
悪魔の弱るのと正比例して、悪い事が、段々無くなって行き、善い事が、増えて行きますから、自然に、一家は栄え、終(つい)には天国になるのであります。ですから悪魔は、光を恐れる事、実に甚だしく、先刻の○○氏のお話にも、観音様をお祭してから、借金取りが来なくなったと、言う事がありましたが、 それは、金は貰い度(た)いのでありましょうが、其借金取に、善からぬ霊が憑いているので、観音様の光が、恐しいので、来られなくなったんであります。ですから、観音様をお祭りすると、悪い人は段々来なくなり、反対に善い人が、段々来るという事になります。
斯ういう実例は、沢山あるのであります。又、強い光に遇う時は、悪魔の霊は、溶ける性質がありますから、恐ろしくて側へは、寄れないんであります。弱い光だと畏縮するんであります。そういう訳でありますから、光明世界を作るには、理屈や議論は後からでいいんで、先ず第一に、御神体を、お祭りすれば、いいんであります。そうすれば、朝夕拝んでいる裡に、魂が、お光に照らされて、どんな悪人でも、不良でも、善道に立還り、どんどん救われて行くんであります。
それから一軒の家へ、観音様を祭り、信仰を熱心にしておれば、その家が救われるばかりでなく、黙っていても近親が、段々救われてゆくから面白いのであります。斯ういう事を見た時、其御霊徳の洪大無辺(こうだいむへん)なる事は、到底――言葉では現わせないのであります。
甚だ悪口を言う様で、申訳がありませんが、徹底させるには、致し方がないので、他の宗教の事を、少々お話するのであります。今迄の信仰は、一種の取引関係の様な事が、往々あると思います。信者の方では、之程信仰するのに、どうしてもっと、御利益を呉れないんだろうか、斯んなに長く信仰していても、斯んなに苦しみがあると言う様に、思う嫌いがある様でありますが、之は実際、不純な信仰でありますが、又止むを得ない、同情すべき点もあると思うのであります。罪があるから病気が治らぬ、其罪を除(と)るには、之々の事をしなければならない等と言われる事が、能くありますが、是等も一種の脅喝的であり、交換条件的で、面白くないと思うのであります。
昭和10年5月21日の御教えです。
観音様を御神体として御奉斎していたときの御教えであります。
今回の話が○○教にも関係があって、節分祭、立春祭にも深く関わり合いがあるということで、「弥勒三会」という言葉も「立春の御教え」に出てきますので、そこの所だけ、同じような内容になるんですけども、言いますと、
○○教というものは、やはりたいへんな意味がある のです。しかし、○○教の意味というものは、つまり私の仕事の準備です。「弥勒三会」と言って、仏教の方の言葉があります。
○○教の教祖という方は、「イズの身魂」と言って、つまり経です。これは父になるわけです。次の○○○○○○、聖師様という方は母の身魂になるわけです。だから、変性男子(へんじょうなんし)と変性女子(へんじょうにょし)と言って、女でいて男、男でいて女というわけで、霊と体とは違うわけです。それで、教祖の父と聖師の母との間に生まれたのが私になるわけです。ですから私が伊都能売というわけで、経と緯を結んだ真ん中が私になるのです。教祖の方は経ですから霊になり、聖師の方は緯だから体になり、それで霊と体を結んで力が生まれるのです。力というものは、霊体一致、霊体が結んで力を発生するのです。ところが今までは、釈迦、キリストにしろ、ああいった偉い人は結んでなかったので、片方だったのです。釈迦は霊でキリストは体、釈迦は経でキリストは緯ですから、力がなかったのです。それで力というのは、一番は病気を治すことです。ここ(掌)から出る、目に見えない、一つの気、火素と言いますが、この力というのが、つまり霊体結んだ力なのです。ですからこういうことがだんだん分かってくると、実にはっきり分かるのです。今まで随分偉い人でも、こうやって病気を治すということはなかったということは、力がなかったのです。ということは、霊体が結ばれてなかったのです。そしてまた、時期がそこまで行ってなかったということです。この話はいずれだんだんにはっきり分かるようにします。それで、神様は今まで、それをはっきりしてはいけないということになっていたのですが、今度いよいよ節分から変わったのです。ですからこういう点も、これからだんだんはっきり説いてゆきます。そうするといろんなことがいっそうよく分かります。
昭和29年2月4日の立春祭。4日、5日、6日、7日、の4日間あって、御教えは結構長いですけども、同じ事もあるし、違う事も書かれているので、その内容というのは、僕等は毎年節分祭の前には読んで、節分祭・立春祭を迎えていたわけです。非常に意味がある御教えだと思います。
ずっと硬い話になっていましたので・・。
「光る君へ」、大河ドラマ。これは舞台は1000年前なんですね。
藤原道長は御存じですか? 藤原氏は御存じですか? 舞台は平安時代ですね。
世界最古の長編小説として、1000年の時を経て読み継がれる「源氏物語」。作者・紫式部を全面的に支援したのは、摂関政治の最高権力者となる藤原道長だった。光源氏のモデルともされる道長と紫式部はどんな関係だったのか。
これは、ネットからですけども・・。
紫式部は1001年、夫を亡くした寂しさを紛らわせるため、物語を書き始めた。これが源氏物語の原型とされその才能に目を付けたのが道長。
999年に娘の彰子を数え年12歳で一条天皇に入内させたが、八つ違いの2人はなかなか打ち解けない。そこで道長は文学好きの帝を源氏物語の力で彰子のサロン(文芸サロン)に呼び込もうとする。狙いは的中し、やがて彰子と帝の間に敦成親王(のちの御一条天皇)が生れる。道長に摂政への道が開けた瞬間である。
権力を握るために源氏物語を書かせた、とも言えるわけです。そういう舞台。僕、見てないんですよ。藤原で、紫式部で、探してみました。
それで、藤原氏の系図を見ていくと、
(系図を見ながら)ここに道長がいるわけですけど、道長の先祖をたどっていくと、鎌足がいて、不比等がいて、4人の子供、武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂(まろ)がいて、これが南家、北家、式家、京家といって、4つの系統に分かれていきます。
道長は北家です。この同じ北家から、また分かれて、奥州藤原へつながっていく。そして、ここが泰衡です。遡っていくと・・・疑問に思うかもしれないけど、源氏であるのに平家に生れて、藤原泰衡だと・・何それ?と思うかもしれないですけど、全部一緒ですね、元は。平家も天皇から分かれていって民になり、武士になっていったのが平家であり、源氏もそうですからね。だから、ずっとたどっていけば一緒でしょ。日本を仕切っていたというのは一緒です。
たどっていくと鎌足に行きましたよね。鎌足というのは元は中臣氏です。一番最初というのは天児屋命(あめのこやねのみこと)。
記紀などにみえる神。中臣氏 の祖神 。天照大神 が天の岩屋戸 に隠れた時占い を行ない、祝詞 を唱えた。
天(あま)の岩屋戸 の神話では、うるわしき称辞を読み上げて天照大神(あまてらすおおかみ)を引き出すことに成功し、天孫降臨神話 では天孫に随行した。名義 については〈言綾根(ことあやね)〉の意とする一説 がある。美しい言葉すなわち祝詞の奏上が役目 だからである。そこには 宮廷 祭祀 を主掌した中臣氏の職掌 の反映がある。
この藤原氏というのは春日大社に祭られています。枚岡(ひらおか)、春日に祭られているようですね。
天児屋命 のコヤネのネは接尾語、後ろに付ける接尾語。コヤは言綾(ことあや)の意で、綾なすうるわしいことばで祝詞を唱えることが元になっています。
源氏物語の時代から、藤原から中臣鎌足、その先祖は天児屋命。中臣氏というのは祝詞を奏上することがお役目であった、天職使命だったという事だね。その祝詞というのは、中臣祝詞と言われて節分祭で奏上する神言、これは大祓祝詞で、普通は6月と12月、それを大祓祝詞と言うんですけども、中臣祝詞と言われて、ずっと現代に。神言と言っているけれども実は大祓祝詞。節分と関係がある。こういうことが、お分かりかと思います。
これは、平成31年2月の勉強会でやっています。「天津祝詞・神言のてほどき」からです。
この時に、僕が話した内容ですけども、
「6月にはやらなくなりましたので、一つ、その一つと言ったら何時かと言ったら、神様を押し込めた節分祭だから、節分祭としての内容的に意義あるでしょうというとらえ方なんですね。
それは国常立尊様がメシヤ様であるという事を分かったら、当然押し込めたということに関わる。何時だと言ったら、2月3日にこの祝詞をあげて、大祓いですから。それをやって立春を迎えるというのが筋でしょうと。」
だから、節分祭をやらなくなったよという話の中で、大祓祝詞とはどういうものかというのを学ばせてもらって、“だから節分祭に神言をあげているんですよ”という話をさせてもらったと思います。
それで、京都の方では主宰神が国常立尊様だと言われているわけですので、国常立尊様の事を分かって立春の御教えを強く、この御教えは一番大事ですから!という事で教えて頂いていたわけで、先生と出会う前の話であって、一番最初にやっていたのがこの立春の御教えだと。実際に、立春の御教えだというけど、内容的には節分の御教えですよね。
この時も一緒の事を言っています。
国常立尊様の事を、立春の御教えという事でやられてるので、そこでは「本教の主宰神は国常立尊様です」とはっきり言われてるので、そこを分かっておられて言われているわけですね。
と、僕が話をさせてもらいましたけども。
この前やりましたよね、国常立尊様はメシヤ様です、という話を。
メシヤ様は色々な神様であったわけですので。
神言を節分祭に奏上しますね。
藤原の先祖は中臣鎌足が最初です、という話が出て、これもやっているんですね。覚えていないかな?
参加者
・・・(笑)
三救責任者
聖徳太子と関りがあってね、聖徳太子はメシヤ様ですね。
聖徳太子の時のお子さんに山背大兄王(やましろのおおえのおう)という人がいたんですね。それで、蘇我稲目、蘇我馬子、蘇我蝦夷(えみし)、入鹿って続いるわけ、ここが牛耳っていたわけです。国を。天皇を席巻(せっけん)するほど。子供が天皇と結婚したりしてるので、姻戚関係を結んでたので、めちゃくちゃ力が強かった、蘇我氏が。その蘇我氏が、蘇我入鹿が襲撃したんですね。自害に追い込んだ。要は、蘇我氏がこの人(山背大兄王)を、メシヤ様の息子様を。ということがあって、このままではいけないという事で、立ち上がったのは、中臣鎌子、鎌足ね。この頃、鎌子っていうんだね。子というのが、何かの役につけるのかな。鎌足、誰を味方にしようかと思った時に、軽皇子(かるのおうじ)という皇子様がおりまして、この軽皇子というのがなよなよとして弱かったんです。これはだめだと思って中大兄皇子とも組むわけです。この3人が組むわけです。中大兄皇子は後の天智天皇ですけど。
で、この時、実権を握っていたのが入鹿です。入鹿をやっつけようと。じゃ、いつやっつけたかというと、朝鮮とまだ国交があったんですね、貢ぎ物に来た時に大臣だから出るじゃないですか。出た時に、そういう公邸の場で殺害したわけです。中大兄皇子と中臣鎌子。これを、 乙巳の変 (いっしのへん)っていうんです。これが大化の改新と間違えてる人がおりますけども、違うんですね。(乙巳の変があって、これも含めて、後々に色々改革をしていくというのを大化の改新といいます。) これから後の、これも含めて色んな政策を行ってきました。律令国家にする為に。律令国家とは何?というと、天皇中心の国家を作ろうという事です。で、行政法とか刑法とか、律というのは刑法、令というのが行政法ですから、税とかの事。これは、中華思想。儒家、儒教とか中華思想。法中心。そういったので、律令国家なんですけども、要は、中央集権国家にしていこうと。
そういう改新を行っていたのが大化の改新という事で、公地公民制。豪族の持つ土地・民を天皇に。
班田収授法、戸籍を整備しようと。
それから、租税。
こういうのを大化の改新というんですけども、その後で、朝鮮に攻めるというのがあります。中臣鎌足中心に。これを白村江の戦と言います。
全然覚えていない?
参加者
覚えているところと、覚えていないところとあります。
三救責任者
聖徳太子とか出てくるわけです。蘇我氏が牛耳っていたのを今度は藤原氏、中臣がと色々あるわけですけども・・。国家の体制を作っていく中で、そういう戦いがあったという事ですね。最終的に勝ったのが藤原氏、それで藤原氏が平安時代になると実権を握っていると。先祖というのは中臣鎌足だったということです。
もっと遡って、三韓征伐という話もしたかと思います。この時は、神功皇后がいて三韓征伐に行くわけですけれども、戦いの時にお腹に応神天皇がいたんです。応神天皇はメシヤ様ですね。日本人の霊的考察につながっていくわけです。応神天皇がお腹にいる時に三韓征伐に行っているわけです。
今の藤原氏の話から、中臣、乙巳の変(いっしのへん)・・・いっしって、乙(へび)に巳(へび)と書きますね・・。本来の藤原氏の役目というのは「祝詞を奏上すること」だった、それを子供たちを、天皇の中宮、妃にして自分が実権を握っていた。・・世の中の乱れのもと・・。
現実的な話、科学で調べるというと、
(図を見ながら)これは龍ですね。
「神々の警告」という話ですね。東北の時の話と一緒です。
日本はなぜ地震が多いのか?
日本列島の総面積は、地球表面のわずか1400分の1にすぎないが、有感・無感をあわせた地震の総数は、世界で起こる地震の10パーセントにも及んでいる。
1400分の1にすぎない面積の所に、世界の10パーセントに及ぶ地震がきている。これは、よく言われるように、日本列島の周囲で4枚ものプレートが力と力でせめぎ合っているためで、プレート境界地震、断層型地震、火山性地震など、様々な地震を多発させているんだと。
これは素戔嗚命につながってきますけども、日本の神話というのを、この科学的な話の中で、研究者が神様と結び付けたという話ですけども。
地震の事、火山の噴火の事を荒ぶる神様、素戔嗚命と結び付けているという事があります。
気性の烈しい素戔嗚命の神話には火山現象を彷彿とさせるものが多く、八岐大蛇(やまたのおろち)の話も火口から流れだす溶岩流を連想させる。天照大御神が、天の岩戸に隠れて天地が真っ暗になったという下りは火山の噴煙降灰による。それで真っ暗になった、ということと結び付いて考えるという。だから、神話で伝えてきたんじゃないかと。
これは御教えではないですよ。科学研究の話です。
(図を見ながら)位置関係を見ているとね、分かり難いですけど、こうプレートがありますよね。三重県ではこのプレートを挟んで外宮と内宮があります。
参加者
えー!
三救責任者
地震を鎮めるために、荒ぶる地震を鎮めるために、神社を配置するのであれば、先程の素戔嗚尊が荒ぶる神様ですから、素戔嗚尊を恐れて、鎮まって欲しいということの、神話と繋がってくるわけですね。
素戔嗚尊様というのは、結構高台に。天照大御神様を祀られているところは平地で、津波の被害に遭いやすい。素戔嗚尊様が祀られているところというのは、高台にあって、前に研究の話もしましたけども、東日本大震災の時に素戔嗚尊様を祀っている神社というのはほぼ被害がなかった、天照系を祀っているところというのは、当然稲の神様で田ですから、水害の被害というのは・・。プレートということで、そこを鎮める。要石(かなめいし)というのがあちこちにある。
GPSのない時代に位置が正確に分かっていた。
例えば、出雲大社と外宮の距離が380.435キロ。外宮と香取神宮の距離が381.273キロ。ほぼ正確な二等辺三角形となる。奈良時代かそれ以前に聖定されたものとして見れば、誤差838メートルなど、ほとんど問題とならないレベルの測量技術だと。
すごいね!
日本列島自体が国常立尊様であり、龍でありと考えると、そういう荒ぶるものが一杯いて鎮める。その荒ぶるものは何かといえば、もしかしたらプレートとかそういうものかもしれない。だけど、龍になって、八大龍王がいくつもの海になってというところも、そういうところから来ているかもしれない。
現実と神話というのは合っているんだなという話があったと思います。
今回は『文明の創造』を学んでいる意義というのが「立春の御教え」とも関わっていますし、神様の事を学んでくる中で、この『文明の創造』というのは非常に尊い事を学んでいるのだなということがお分かりいただけたかと思います。学んだ事を、内容を、出来るだけ平易な話で人々に伝えていくのが私達の使命ではないかと思っていますので、引き続き・・『文明の創造』はあと少しですけども学ばせて頂きたいと思います。
以上で終わらせて頂きます。
司会
以上を持ちまして 月次祭ならびに一日祭を終わらせて頂きます。
ありがとうございました。
参加者一同
ありがとうございました。
0 件のコメント:
コメントを投稿