「覚りの旅」平成30年9月度 勉強会を終えて
平成30年9月
「覚りの旅」平成30年9月度 勉強会を終えて
司会
楳木先生が、東北の大震災の後、「メシヤ講座」や「メシヤ様の御精神を現代に伝える座談会」でお話しくださった内容をここで確認させて頂きたいと思います。
東北の大震災の時に浜松でお話しくださった内容です。
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まだまだ一万人以上の所在がわからないことをはじめとして全体が全くわからないので、なかなか話す事が難しいのですが、言葉を口に出しただけでも表現が適格ではなく虚しくなる
ような事態です。各機関が全力を尽して救済に取り組んでいただければありがたいと思います。そして、元々はここの東海沖大地震の警告が出されていたことなので、やはりこういうことを通して、犠牲になった方々にお見舞いを申し上げて、お亡くなりになった方々のご冥福を祈りながらも、自分達は自分達として大地震が来たときにはどうあらねばならないかということを、家族を中心に話し合いをして、備えをきちんとさせていただきたいと思います。
〇私は、この10年余「日本人は、履き違えた民主主義、欲望を増幅させる経済至上主義、思考を画一化させる教育システム、秩序を乱し品格を貶めるマスメディア等によって視野狭窄状態に陥らされている」と指摘してきましたが、力及ばず、このような大震災を以ってしか覚醒させることができなかったのか、と深く塞ぎ込みました。
〇御教えに対する求め方の浅薄さに大鉄槌を揮われた思いがいたしました。これは被災された方に対してではなく、メシヤ様の御教えを学んできた者たちに対してです。
〇『文明の創造』を基に環境科学に対する研究を構築していたら、もっと啓蒙運動が進展していたのでは・・・、と思わされました。それを権力闘争に明け暮れ、人類のために貢献することができずに来てしまいました。ひたすら主神様、メシヤ様にお詫び申し上げました。
〇「御教えに対する探求」とそれに伴う「人類への貢献」を、 。遅すぎる観がありますが怠惰な罪を重ねてはなりません。
〇自分達は自分達として大地震が来たときにはどうあらねばならないかということを、家族を中心に話し合いをして、備えをきちんとさせていただきたいと思います。
〇我々が身を削って納めた税金をあの人だったら必ず有効に使うように動いてくれると思うからこそ、その人に投票する、と。世の中の事を考えれば考えるからこそ、納税と選挙に対して真剣になっていくのです。そういうことを我々、直接被害を受けていない人間がこの次の世の中をよくするためにそうしたことを家庭でよく話し合うということを今日はお願いしておきたいと思います。
〇そういう話をする時には我々には叡智をいただかないといけないので、より一層御教え拝読に取り組んでいくということをお願いしたいと思います。
〇過去繋がっていた救世(きゅうせい)教関係の人たちに、この文章を必ず伝えてください。浄霊力と御教えに出会った人間はどうもボーっとしているのでね。こうやってメシヤ教に出会った人たちは一生懸命勉強をしているけれど、何々先生の指導とかそんなことばかりやっているところもありますから。そんなことでは天国建設に繋がっていかないし、こうした大浄化が起きた時に適切に対応できないからね、一つみんなに知らせてあげてください。出来るだけ関係者を調べて、「今月、月次祭でこういう話が出ましたので・・・」と言って知らせてあげてください。
現在、大浄化時代の様相を呈しております。これから浄霊を求めてくる人が増えてくることと思います。その時に際し、一人ひとり浄霊力を磨くべく、精進し、メシヤ様に求めてまいりたいと思います。
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司会
このように、読ませて頂きますと、これは2011年3月の浜松のメシヤ講座での楳木先生のお話でありますが、7年後の今の様相でもあります。
先生が7年前の大震災を受けて、御教えを学んできた者たちに強く願われたことを自らの反省の上に立って取り組んで来たでしょうか。
歴史を繰り返しているからこそ再びの大鉄槌ではないでしょうか。
今一度、一人ひとり浄霊力を磨くべく、精進し、メシヤ様に求める信仰に立ち還らせていただきたいと思います。
という事をお話しさせていただいて、それでは、「覚りの旅」を始めさせて頂きましょう。
司会
一回読んだら分かる内容ですけども、視野狭窄状態という事を指摘していましたよね。
視野が狭いですよと。御教えの求め方が浅いです。だから、大鉄槌が来たんです。
御教えを学んできた者たちに対して言っていることです。
『文明の創造』を基に環境科学に対する研究の構築、そういったことに力を注いでいかねばならないのに、政治の世界に対しても、そういった働きかけっていうのをしていかなければいけないところを、権力闘争に明け暮れ(というのは世界救世教三派、今でもそうですけども小さい大きいはあるにしてもメシヤ教でもあるかもしれません)、人類のために貢献することが出来ずに来た。ここを中心に置かないといけないですよと言ってるんですね。
ひたすら主神様、メシヤ様にその事を先生はお詫びをした。こういう思いで、自分たちは来たのかどうかということですね。
で、『御教え探求』、それが人類の貢献となるようにしていかなければいけないのだと。
これは、7年前の話です。
可能な限りメシヤ様信者に働きかけてください。という事が書かれていました。
現在、大浄化時代の様相を呈してますねと。そうですよね、今年になって顕著に表れてきてますけども。
浄霊を求めてくる人が増えますので、一人ひとり浄霊力を磨いて、精進しましょう。メシヤ様を求めていきましょうと。
そういう事を最初にお話しさせていただいて、「心に高天原を」のブログに、先にアップして読んでおいていただいて、追加で話したことがあればテープ起こしを聞いてまとめていきたいなと思いました。その方が皆さん参考にしてくれるところがあるんであればいいかなと思ってこうやってます。
読んでもらえる?(覚りの旅 平成30年9月 資料 経緯結んで始まる)
司会
それでは、本日の御論文「救世(メシヤ)教とは何ぞや」の拝読をお願います。
参加者
【御教え】「救世(メシヤ)教とは何ぞや」栄光二五三号 昭和二十九年三月二十四日 拝読
司会
はい、ありがとうございました。
「覚りの旅」を復活するのに、『主神様とメシヤ様』の順番にやり始めましたよね、勉強会のテーマとして。それが、今回、「救世(メシヤ)教とは何ぞや」だったわけです。
先程の挨拶的なところにもありましたように、ご存知かと思いますけども、私、メシヤ教の方を退会いたしまして・・。
ブログ2018年8月26日にも書いてありますけど。(http://takaamahara.blog.jp/archives/11515858.html )
組織に囚われないメシヤ様信仰を目指しております。
御教えおよびメシヤ講座での学びを、実生活に生かせるようにとの思いをブログに綴って行きたいと思います。
「覚りの旅」を復活し、勉強会を積み重ねてまいります。ご愛読いただければ幸いです。
ということで、このブログの意味合いをここに書いてあります。
退会してもメシヤ様の信仰、御教えとメシヤ講座ですね、そういう事を中心にして勉強会をやっていきます。それを「覚りの旅」としてやっていきたいと思います。ということで、書かせてもらいました。
まず初めにそこを言わなくちゃいけなかったね、すみません。
経緯(たてよこ)結んで始まる
図ー1
メシヤ様信仰、この先生につながって十一年目ということで、統一。十一ということが言いたかったんでね。
図ー1
メシヤ様信仰、この先生につながって十一年目ということで、統一。十一ということが言いたかったんでね。
御神書に拠る信仰。私には二人の先生がいました。京都の中村先生と楳木先生です。
京都で学んだのは『御神書による信仰』
『御神書による信仰』というのは御教え中心にやっていきましょうと。当時の救世教の一元化を進められた時に中村先生が離脱して、『御神書による信仰』を打ち出した背景には世界救世(きゅうせい)教が、御教えの95%を封鎖してしまったと。5%くらいの「天国の礎」と「景仰」くらいしか公開しなくくなって、御教えを読んではいけないみたいな感じになってきたので、これではいけないということで、できるだけの御教えを入手して離脱されたそうです。
離脱の背景に、御教えを守る為という事があったことを知っておかなければいけないと思います。
それで、いろんな先生方の中には、メシヤ様、向こうは明主様ですけども、「明主様がこういうお話下さったんですよ。」というように、御教えに書いてないことまで、喋ってしまう人がいると。自分で思い込んでる人が多くて、そういうのが怖いと。「きちんと御教えに求めて何処に書いてあるんですか?と聞くようにして下さい。」と、御教導賜りました。
御教えは神の言葉であるということと、メシヤ様は、神人合一されておられましたので、メシヤ様がお話しくださったことは、寸分間違いない。というお話を聞いてきたわけです。
それから、御教えに求めることの重要性ですね。そういったことを、形は違うけどもやっておられる楳木先生と出会ったのです。
楳木先生の方は「メシヤ様の御精神を現代に伝える」ということで、御教えは昭和に書かれたものですから、現在の人にはちょっと分かりにくいかと思いますので、そういったことを今の世の中の現象、ニュースとかね、先程の大震災の話でも、一緒に合体させたように、どういう風に御教えに返して皆さんに伝えていくかという事をやっておられたのがメシヤ講座であると。
そういうお二人は、僕にとっては大きな先達であり師匠なので、お二人の姿勢を求めて、やっていきたいなという感じで思っています。
それで、神科学によって地上天国を建設する。先程の先生の話の中で、人間界に判るように論立てという事をやってこられたのがメシヤ講座であったと思っています。
救世教(メシヤ教)とは何ぞや
図ー2
図ー2
ということで、 』というテーマが出て・・。
メシヤ教を退会して、これは聖地に報告に行かなくてはと思い、報告に行ってきました。行って救世会館に行った時に救世会館にあった冊子「光明」の冒頭にある御教えがこれ、『救世教(メシヤ教)とは何ぞや』。
向こうは今、もめています。ですから、今の時期に『救世教(メシヤ教)とは何ぞや』に基づいてやっていかなくてはいけないんじゃないかと、この御教えを取り上げたのではないかと推測しました。
一方、私達は、今この時期に、順番にやっていてこの御教えが出てくるというのは、この事ををしっかり学んでおけと、そういった人たちの話をする時に、相手も読んでいるわけですから。
たまたまもらってきてね。帰ってきてビックリしたの。次のテーマだ!と。だから、順番にやっていいんだって思ったの。
参加者
すごいですねぇ。
司会
向こうはどういうつもりで読んでいるかわからないよ、それは。出す側もね。意図があってこれを出したと思うんですけども、こっちは意図があったんじゃなくて順番に、たまたま始めて、これでやろうと思って始めたら、このテーマだったということなんです。
そうすると、何が書かれているかということが大事になってきますよね。
根本は何かといったら、神様の御存在を見せることです、ということが書かれているんですね。それにはどうしたらいいかと言うと、奇跡よりない。メシヤ教が救わなければどうしようもないんですよと。浄霊の出来る人ね。これの意味合いはメシヤ様時代もそうですけども、そのメシヤ様の信仰を受け継ぐ者と捉えればいいかと思います。
ここに、跛行(はこう)的文化は是正され真文明が実現される。跛行的という言葉が出てきたので、跛行とはどういう意味があるのかというと、ちぐはぐ、まとまらない、足並みがそろわない、一致しない、かみあわない、不ぞろい、ぐちゃぐちゃの、調和しない、何か似てませんか。世の中の情勢、宗教界の情勢、跛行的じゃないですか、今。僕の思いですが。
そういったものが是正されて真文明が実現していくんですよ、ということが書かれてます。僕はそういう風に読みました。
図ー3
図ー3
ハートを魂とすると、行動に示してこそ意義が生まれるんですよ、と言う事が書いてありました。それに合った想念という事が大事で、それは皆さんとメシヤ様が直に繋がるんだという想念を、持っていきましょうと。
救世教の聖書
図ー4
図ー4
もう一つはですね、内容というのが救世(メシヤ)教の聖書であると。要は、『メシヤ様の指示のまま弟子に選ばせ編纂』したんですよと。天国の福音書のことね。『天国の福音書』というのは、前の「天国の礎」みたいな感じ。メシヤ様の指示で弟子に選ばせ・・ですから、弟子が編纂したという事です。だから、今であればメシヤ様がおられないので、メシヤ様の想いを慮ってですね、自分の感じたことを
編纂していくというのが、こういうことに当たるのかなと思います。メシヤ様が「これをやれ。」と仰っているんだと思ったらですね。『続々出る』と仰ってみえるのが出てないじゃないですか。まあ、先生はそういう意味で、『天国の福音書 続編』を出さないかん、ということでメシヤ様はこう仰ってるんで、その思いを汲んでいかなくてはということで、続編を出してきたのですね。これから、続々出されるつもりでしたから。
『聖書であり将来世界の法典となるであろう』と、続々出る御教えを、そういう意味合いでメシヤ様は捉えられておられたのですね。今もそうだと思います。だから、待ってるんだと思います。
編纂していくというのが、こういうことに当たるのかなと思います。メシヤ様が「これをやれ。」と仰っているんだと思ったらですね。『続々出る』と仰ってみえるのが出てないじゃないですか。まあ、先生はそういう意味で、『天国の福音書 続編』を出さないかん、ということでメシヤ様はこう仰ってるんで、その思いを汲んでいかなくてはということで、続編を出してきたのですね。これから、続々出されるつもりでしたから。
『聖書であり将来世界の法典となるであろう』と、続々出る御教えを、そういう意味合いでメシヤ様は捉えられておられたのですね。今もそうだと思います。だから、待ってるんだと思います。
『入門と奥座敷』の刊行の想い
で、 というのが、
どの教団に属していようとも(いなくとも)、(いなくとも)は僕が書きました。(笑)
参加者
(笑)本当ですよね。
司会
本来の信仰の形態はこういうことですよと。
浄霊の形態はこういうことですよと。
そういう事を整えて、メシヤ教に入らなくても実践できる。そういう為に浄霊の仕方というのを書いて、祈りの仕方ということを編纂した。そういう想いがあったんですね。今思うと、「あー!そういう事か」って、これでやれるなって思いません?
誰がどうのこうのと言ってるんじゃなくて、やっていけますよということ。
「どの教団にいてもメシヤ様と直に繋がった浄霊が出来るということですよね」と僕が質問したら、「そうです」と先生が話されました。なので、紹介しておきます。
何かピッタリじゃないです?今の話。
お言葉に裏はない
お言葉に裏はない。これはちょっと話がずれるかもしれないけども、僕が資料を作っている間に出てきた御教えで、ちょっと紹介しておきたいなと思って。
図ー5
色々な人によって御教えの読み方、読む人によって、メシヤ様が書かれた本でも表裏、裏表があるんじゃないかっていう先生方がいたそうです。
図ー5
色々な人によって御教えの読み方、読む人によって、メシヤ様が書かれた本でも表裏、裏表があるんじゃないかっていう先生方がいたそうです。
裏表があるように思う人は邪神が憑っていると。夜のものについては、お経とか、他の夜のものについては、裏表があっても仕方がなかったんです。
月が照らしたところだけ見えるでしょと。月の時は周りが真っ暗じゃないですか?太陽によって月が照らされて、月が光ってるところだけ明るいけども。
昼の世界は太陽の光が直接だから、全部見えるでしょと。だから、裏表ないんですよと。御教えそのまま信ぜよということですよと。今まで、根本が悪だったのであからさまに言えないことがありました。だから、キリスト教とか仏教というのは、そういう秘密を持っていても仕方なかった。今までね。これからは表に出てくるのか分からないけども。宗教としては仕方がなかったという話ですね。で、終戦前はハッキリ言えなかった。だから、メシヤ様の書かれたものでも裏表じゃないんですよ。昼のなりかけでしたので、『明日の医術』という本がありますけども、医学の事をズバズバ書くわけにはいかなかったので、ちょっとぼかしたんですよと。御教えを比べていくと分かると思います。
参加者
時代背景でということですね。
司会者
『文明の創造』というのは、本当の聖書として書かれているので、病気の事とかも。ほとんどが、放っておけばいいと書いてありますけどもね。
『結核信仰療法』
図ー6
図ー6
『結核信仰療法』は、はっきり書いた。メシヤ様が仰っています。で、メシヤ教というのは昼の世界を作るんだと。メシヤ様の言う通りやれば問題ないんですと、裏があると思うのが間違いですと、素直になって下さいという事ですね。
今までの話を、「覚りの旅 平成30年9月 資料」に書いてあります。
奇蹟で有神思想を呼覚(よびさま)す
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メシヤ講座・特選集(№119・平成22年12月分)
メシヤ講座・特選集(№119・平成22年12月分)
「先月現魂と幽魂の話をしましたが、現界に存在する魂は行動を起こさなければ意義が生じないのです。このことは、メシヤ様が御述べになっている『これからは想念の世界だ』ということとは意味が異なります。その『想念』は、形ではなく『メシヤ様に直に太く繋がる』という意味の『想念』であり、現実世界の心言行の根幹的なものです。
つまり、神界からの御指示があって、それを実行するかどうか、ということで全ての結果が違ってくるというものです。信仰上で大切なことの一つは『誠』の有る無しです。」
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救世教の聖書
司会
現在は全集がありますが、一般の方がすぐ手に取って読めるわけではありません。
『私の指示のまま弟子に選ばせ、編纂したもの』『今後も続々出るので、溜った都度刊行する予定』『これこそ救世教の聖書であり、将来世界の宝典』と御教え頂いております。
思い出してください。
ここで、『入門と奥座敷 天国の福音書(続編)』を編纂されるにあたっての楳木代表の想いをメシヤ講座で確認させて頂きましょう。
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メシヤ講座・三重84号 平成26年10月度
メシヤ講座・三重84号 平成26年10月度
迷える人の善導を!
(先生)
形を整えてどの教団に所属していようとも〝本来の信仰の形態はこういうことですよ″と、〝浄霊の形態はこういうことですよ″と、認識していただいてメシヤ教に入らなくてもすべての教団でそういうことが実践できるような態勢を整えていかないと、上から組織的に抑えられておりますので、待ってはおられないのです。それぞれの教団の中で実践していただければ良いのです。
(質問者)
『浄霊力拝受お願い書』を付けていただけると良いと思います。
(先生)
折り込んでミシン目を付けて切って提出できるようにするつもりです。一枚で足りない人はコピーして書き込んで送ってもらえるような形にしていこうと思います。
(質問者)
どの教団にいても った浄霊』が出来るということですね。
(先生)
そういうことですね。
最近はいろんな情報を得ていても総合的に整理できていなくて迷っておられる方が増えてきているようです。そういう人たちを善導していくためにも〝浄霊の在り方を整えて行きたい″と思います。
司会
ということで、3ページ(覚りの旅 平成30年9月資料)
『入門と奥座敷 天国の福音書(続編)』についての楳木代表の想いを例として挙げさせて頂きましたが、本来の信仰のあり方をどこの教団に所属していようとも、いなくとも、『メシヤ様と直に太く』繋がって頂くために、道しるべとなる『天国の福音書(続編)』の刊行を望まれておられたのではないでしょうか。
まずは、私達が出来ることは何かを自ら考え、資料つくりをコツコツと進めていきたいと思っております。
司会
先生の、天国の福音書 続編づくり。何で『入門と奥座敷』なのかなと思ってたんですけど、こういう思いがあったんですね。
後からの方が良く分かる。作っていたのにねぇ。作っていたのに、そんな深い意味とはなかなか・・。
だから、浄霊の仕方は?といえば、これをみてもらったらいいし。
あまりに変な浄霊方法になってく人もいるんで。
大分悩まれてやってましたからね。メシヤ教も色んなところから来てるんで、当然それぞれの特徴があって、やってるもんで、岡田浄化療法の時代の感じでやってるところもあるんで。探査の浄霊。医者もついてとか。医者もこちらの御教えがしっかり入っている人がやってもらうのなら全然いいと思うんですけども、そうではなくて医者に探査してもらって、「じゃ、手術を」、となると逆に何も言えなくなるじゃないですか。
液状化
図ー7
司会
話は全く変わりますが、これは液状化の話です。
十勝沖地震の時にすでに、液状化が指摘されているんです。
参加者
東北の時もそうだったですよね。
司会
こういう事っていうのは起こり得るので、自分の土地というのがどういう状態かというのは、キッチリ把握しておいたほうがいいかなと。
多分、防災地図みたいなのが役場とかに行けばあって、液状化の危険な所というのは色が変えて書いてあったと思うけど。そういうのは把握しておいた方がいいです。
特に都会で液状化になったらえらいことだね。
参加者
動けなくなる
司会
こういうのはどこでもあり得るんだよと。東海地区というのはそういったことの話が多かったわけだけども、今、起こってきているところというのはそういうのとは関係なく起こってきているじゃないですか?
日本人の霊的考察
図ー8
司会
これ、何でしょうか?
ほとんどが、メシヤ様の御教えの「日本人の霊的考察 上・中・下」にあるのです。そこに書かれてることが大事なわけで、教団に起こってくることとか、色んな事と言うのは、天孫系、出雲系、土匪というのがあります。日本の元々というのは少数民族の大和民族。これは、伊都能売神皇がインドに行って観音様になったという、ここ、大和民族の宗家ですね。だけども、28部衆しかついていかなかったわけ。他の人はどうなったの?という話ですよね。で、元々出雲族というのが日本の国を治めていたんですね。で、天孫族というのが高千穂に天から下ったとありますが、そんなわけがなくて、それは作り事で、支那から来て、先生の話では山口を通って高千穂へ来たと。
で、神武東征の話をすると高千穂から宇佐へ行って、宇佐から山口へ行って、広島へ行って、岡山へ行って、これ何だと思います?
参加者
面白いですねぇ。
司会
これ、先生が、神武東征来たところを教化していってるような。こういうところ、あるじゃないですか?天孫族にやられて来た所を教化していってるという。
ピッタリだからビックリしたの。地図に落として、先生が支部をつくってきたとこだなと思って。
で、ここ何か分かります?長野。
図ー9
図ー9
参加者
戸隠?
司会
そうそう、戸隠とか。
まあ、今回、骨子を読みました?何が言いたいのかなと思っていたんです。
意図は分からないけども、伝えたかったのは、ふっと思ったのが、皆神山が出てくるんですよ。皆神山はどういうところかという話をこの図に当てはめると、例えば出雲族というのは天孫族に・・。最初、2回失敗したんですね。やっつけようとしたんだけども、出雲族の方が酒と女で骨抜きにしてしまった。接待して天孫族が骨抜きにされて戦いもなく負けた。そうしたら、(ふつぬしのみこと)(海軍の総大将)、この大将を天孫族は遣わしたのすね。すごく強いんで、負けたんですね。出雲の国譲りとなったのです。だけど、納得しないのが建御名方命(たけみなかたのみこと)で、あくまでも戦おうとしたので陸軍の建甕槌命(たけみかづちのみこと)がずっと追いかけて行って、逃げていったところが諏訪湖。
(陸軍の総大将)と経津主命
一方、天照大御神。丹後の国、綾部、亀岡、で伊勢。これ元伊勢のルート。
こう、伊勢に来ているんです。
こう、伊勢に来ているんです。
天照大御神というのは、岩戸隠れしましたよね。岩戸隠れの時に隠れたのは戸隠と言われていますね。そうすると、信州の水上山(みなかみやま)、みずかみやまと書いて水上山。関係してませんか。
伊勢津彦
それと、もう一つ、これは御教えには出てこないけども、伊勢津彦という人がおりました。地元の伊勢に。これも、出雲と関係があるんですけども、こちらへ来て地元を治めていた神様が神武東征によって「国を譲れ」と言われて、民の事を思ったら戦うよりも譲ってどこかへ行きます、と言ったそうです。伊勢津彦というのは。
それと、もう一つ、これは御教えには出てこないけども、伊勢津彦という人がおりました。地元の伊勢に。これも、出雲と関係があるんですけども、こちらへ来て地元を治めていた神様が神武東征によって「国を譲れ」と言われて、民の事を思ったら戦うよりも譲ってどこかへ行きます、と言ったそうです。伊勢津彦というのは。
そういって民の暮らしを最後に見ていた山が、すぐそこの山、経ヶ峰だそうです。。経ヶ峰に登って、見渡して、去りますと言った。神武側は去った証拠を見せよと。何か企んでいるだろう、何か証拠を見せよと。私が去った後、大風を吹かし、大雨を降らします。と言ったところの名前が八風。四日市にありますよね。八風。地名にも表れているというのがあります。
何が言いたいのかというと、逃げたところがここ、戸隠だそうです。だから、要は、国を譲ったよと。侵略された。民の事を考えて譲ったのですね。
色んな戦いがあるけども、その戦いというのはずっと続いてきているわけです。
徳川の時代でも、いろいろ天孫族と続いてきてる。その中でも大和民族というのは現れたけども戦いはしないわけなので、聖徳太子というのは仏教を取り入れるという事をやって、戦いじゃないんですね。ま、最初の頃、戦ってもおるけどね。あと応神天皇、仁徳天皇、光明皇后、光明天皇、義経、光琳、紫式部、清少納言、西行、芭蕉とか、足利義光、義政っていうのは金閣寺、銀閣寺という美術の方に力を入れられてるね。そういった人というのは、戦いを好んでなかった。本当は。色々あったけども、応仁の乱とか。要は大和民族だったらしいですね。
徳川の時代でも、いろいろ天孫族と続いてきてる。その中でも大和民族というのは現れたけども戦いはしないわけなので、聖徳太子というのは仏教を取り入れるという事をやって、戦いじゃないんですね。ま、最初の頃、戦ってもおるけどね。あと応神天皇、仁徳天皇、光明皇后、光明天皇、義経、光琳、紫式部、清少納言、西行、芭蕉とか、足利義光、義政っていうのは金閣寺、銀閣寺という美術の方に力を入れられてるね。そういった人というのは、戦いを好んでなかった。本当は。色々あったけども、応仁の乱とか。要は大和民族だったらしいですね。
見てると面白いんですよ。南朝、北朝というのは、南朝は出雲族で、北朝は天孫族。徳川というのは出雲族。今の明治になってから天皇中心になってきたわけです。徳川というのは出雲族というのを隠しながら、徐々に天皇の力を弱めていったという感じでやってきたけれども、最後の方では金が尽きたみたいな感じ。今の話は御教えにも書いてある話です。
で、色々因縁を感じたのは、この前、ここの土地の話をした時に、経津主(ふつぬし)が出てきましたよね。これは北陸の方からハタレが攻めてきて、ホツマツタエの話ね。ハタレというのは魔物。魔物が攻めてきて、春日の神様という神様から霊返しという技を授かったりして、経津主(ふつぬし)という神様が追い払ったと。というのもあって、その神様が香取神宮に祀られている。鹿島神宮にはさっきの陸軍の大将である、建甕槌命(たけみかづちのみこと)が祀られていると。で、メシヤ様はここへ参拝されている。御神楽をきちんとあげられて。で、静かに想いにふけっておられたみたいで、この時代のことまで遡っての事を色々考えられて、天孫族、出雲族の和合という事も考えられたのではないかなと思うのです。
だから、経津主(ふつぬし)に因縁感じ取って、香取神宮と三重と玖珠と一直線というのがあって。そうしたところに、今度は出雲族というのが結構出てきて、伊勢津彦ということも出てきて、ちょっと複雑な想いです。
この時のお歌がね、メシヤ様が昭和16年に鹿島香取を参拝された時のお歌が、
坂東に名だたる鹿島香取なる神宮(みや)に詣でぬ今年文月
老杉の森々として神さびし鹿島の宮に懐(おも)い深しも
メシヤ様は、結構、静かにされてたそうです。参拝が終わるまで。何か思いにふけるような感じだったと、「みあとしのびて」に出てきます。
で、昭和15年の11月末に当局の弾圧で、警察の弾圧を受けて、第一線の働きを辞めさせられたわけです。浄霊をストップされた。弟子たちの養成に力を注がれるようになった。昭和16年60歳の春から、各地の御巡業を始められました。要は暇になったのも、巡業を始められたのも皆経綸上大きな意義があったことだと、メシヤ様がお話しくださったそうです。それで、ここを参拝した帰り道、ドイツとソ連の戦争勃発。第二次世界大戦の始まりということです。16年ですから、それが拡大して世界戦争に突入していきました。
この時は、そういう浄化の始りだったわけですね。
神様が現れた!
図ー10
図ー10
これね、9月2日の夕刊。
隈もなく浄めます時いよいよ来にける』
大隈(おおくま)というのはメシヤ教さんの本部の所在地ですね。
神様が現れた。熊が現れたんです。北海道と青森。
「泳ぐクマ目撃増える」ということで、106年ぶりにヒグマの上陸が確認されたそうです。青森の方ではツキノワグマ。
「日(ヒ)」と「月(ツキ)」なんですね。
参加者
ホントですねぇ。
司会
大和言葉で熊はくま、アイヌ語だとカムイという意味で神という意味がありますよと書いてあって、先程の神武東征の熊野というところも古代から素戔嗚尊様を祀っていますというのがあって、伊勢の天照皇大御神、さっきの御神業の地図と神様のことをいろいろ考えた時、で、これ(天が下大御光に隈もなく浄めます時いよいよ来にける)を出したんですけども、大隈でいよいよ来たんだなあということで、御本部竣成のときにこう思ったことと、符合しているなあと思って、ここ、北海道、青森なんだと思った時にすぐに大きな浄化でビックリしたんです。
参加者
ヒグマ と ツキノワグマ 、本当ですねぇ。
いないんですよ、北海道にはツキノワグマは。ヒグマなんです。
参加者
そうなの?
参加者
そうです。
ツキノワグマは北海道にはいないんです。
司会
そういえば境界線ていうのも何か書いてあった。
参加者
参加者
さっきの地図、分かりやすい。
これ、ちょっと見せてもらっていいですか。
司会
さっき言うのを忘れたけど、土匪という、ロシアから蒙古に来て満州に来て北朝鮮に来て、青森に入った。青森に入ったのが近畿まで一部は来たらしいです。そういう民族もいると。というのは、今の共産主義的な。要はロシア中心という感じ。
参加者
だから、赤化がすごかったのはそういう人たち、本当にそういうルーツがあるからですよね。
司会
だから、一時、天皇の言う事を聞かないというのは、こっちが強かった。
平仮名文学の人っていうのは大和民族。漢文学の人は天孫族。支那だからね。
支那から来てる。桓武天皇のお母様は朝鮮とゆかりがあると。
桓武平氏と清和源氏を調べた時に、桓武平氏がというのがそこにつながった。平家というのは素戔嗚尊様の系統があるのかなと。
参加者
そうでしたよね、清盛と重盛・・。
司会
清盛、重盛、時平、道真、・・・ここまで出雲が天孫族をやっつけようときたけれども、上手くいかなかったから、方針を変えて宗教でやろうと。
ということで、〇理教、〇本教、〇光教、〇住教、そして、これは仏教だけど日蓮宗というので。
〇理教の事が出てきたので、関係あるかもしれないので。
「高山の真の柱は唐人や是が第一神の立腹」と。あからさまにやってるんです。
天皇は〇〇人だと。これが神様が怒ってるんだと言ったのが〇理教。
と、露骨に言ったもので、天孫の方に迫害されると。だから、出雲系ということです。
メシヤ様が静岡で牢に入ってる時に、色々教祖がかかられたという話の中で、〇理教教祖がかかられて、これから信者をよこすからよろしく頼むと言われてるので、それがあって、繋がってきてるのかもしれないけども。〇〇に近い人は。
と、こんな話です。
興味を持っていただけましたでしょうか・・(笑)
何で武家の頭領は源氏でなくてはいけないのかと言われているのかという話ですが、さっきの桓武の話です。平氏を遡ると母親が〇〇系じゃないか、ということがあるので、日本を治める武家の頭領というのは、生粋の日本人じゃないといけないと言ったのが、・・・だから、皆源氏として名乗って幕府を開いたわけです。
何でこう調べてたかというと、先生は源氏なんだけど、平氏に生まれたってのがあったじゃないですか。それで、源氏と平氏の事を考えてたんです。
源氏の中には源為朝という武将がいました。為朝というのは3年の間に九州を平定してしまったくらい豪傑だったらしいんです。そこはお嫁さんを平家からもらっているので、源氏であって平氏ですよね。
で、後に沖縄の方で琉球王朝をつくったという伝説もあるそうです。
先生が為朝とも関係があるんじゃないか(笑)。と思ったわけです。
参加者
なるほどねえ。
司会者
豪傑じゃないですか。
参加者
弓の名手だったんでしたっけね?
司会者
そうそう。
歴史、雑学みたいな感じだけども、そういう今の因縁と考えているとね。
為朝をそうやって考えると、藤原泰衡には年が近すぎるんですけどね。
では、一旦終わらせていただきます。
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