メシヤ降誕本祝典記念大祭にのぞむ

メシヤ降誕本祝典記念大祭
司会
祭典三分前になりました。
本日は、メシヤ降誕本祝典記念大祭です。
平成三十年三月三日メシヤ様が現界にお出ましになられてより、私たちはメシヤ様の御手足としてメシヤ様と共に地上天国建設の大業に邁進させて頂いております。
メシヤ降誕本祝典記念大祭は、三月三日という日にメシヤ様がお出ましくださったことを喜び、感謝申し上げ、新たな気持ちで日月地完全な救いの力を地上の隅々まで広げていくことをお誓いさせていただく日であります。

世界の大転換『明日の医術 第三編』昭和18年10月23日
『すべてに陰陽あるごとく一年にも寒暑の別あり、一日の中にも昼夜の別あり、十年にも昼夜の別あり、百年に千年に万年にもそれがあるのである。』
と御教えいただいておりますように昨年が三千年来の夜昼転換であるとすれば、今年の夜昼転換の起点を本日3月3日とし、経綸の主体である大ミロク様の御働きでメシヤ様がお出ましくださったことを、私たち人間が受け止めさせていただき、その御力を
聖地→三救→日本→世界 へと広げていかねばなりません。
現界のいかに多くの地に人に反映していけるのかが問われているのです。

そういう意味で、日本の真ん中、中京と言われるこの三重の地で3月3日に主神様の御前で祝詞を奏上させていただけることに感謝を持って祭典に臨ませていただきたいと思います。

心静かに開式をお待ち申し上げます。


(祭典)

挨拶

昨日は三救で、主神様に祭典挙行のお許しをお願いさせていただいて、箱根と熱海に参拝し、三救に戻り、帰着報告と夕拝をさせて頂きました。

日月の聖地を参拝させていただきましたので、この三救を基点に本日、地(土)の聖地にまいります。
京都聖地の土を踏み、
日月地・ミロクの御力を地域へ日本へ世界へ反映していきます。
大ミロク様、メシヤ様のお役にお使いいただきたい。
との想念を持ってまいりたいと思います。
みなさまどうぞよろしくお願いいたします。

三救→平安郷→三十三間堂→加良比乃神社→三救の参拝となります。

初めての参拝方法となりますが、メシヤ様お出ましの歓喜の心を伝えにさあ出発しましょう。

平安郷
ずいぶん長い間、春秋庵でお目にかかれませんでしたが、大彌勒御尊像を拝することができ歓喜に胸が震える思いでした。この想いが「歓喜」なのですね。

岡田茂吉記念館にて

玉持観音様
雲の上におられる。昭和9年作であり、大本教時代です。立教の時の昭和10年に地上に降りられた。そして玉を今にも地上に落とそうとしておられます。
観音教団の立教と、メシヤ様が観音様であることを教えておられるように思います。

巌上観音様
岩の上におられますので地上に降りておられます。昭和11年ですから日本観音教団として活動されております。

富士の絵 落款:自観 落款印:光明遍照 三界歸一
富士の絵は上から見ていると想像すると⦿の形です。主神様・メシヤ様のもとに神幽現の三界が帰一する。そしてあまねく光明の光を照らしていくという意味があるのだと思います。
今回この記念館で見せていただいた絵は観音様が一番の救いのもとであり、活動の幅を広げていったことを忘れるなと御教え下さっているようですね。

初めて見る御真筆でした。 「救いの光教団」のみが頂いた一点物 なのだそうですので、岡田茂吉記念館に貸し出しているのでしょうか。大変貴重な御真筆を見させていただいて感謝です。

三十三間堂 

全人類待望の炬光 大聖観音力の顕現併而(あわせて)仏説の開扉
東方の光3号、昭和10年2月23日
『弥勒と称えても三弥勒在られ、昔から報身、法身、応身弥勒と申上げているのである。報身は釈迦であり、法身は阿弥陀であり、応身は観音である。また日月地に配すれば日が観音であり月が阿弥陀であり、地が釈迦である。又地理的に配すれば日本が観音であり、東洋が釈迦であり西洋が阿弥陀なのである。又これを三尊の弥陀とも称え基督(キリスト)教で三位一体と称えるのもこの事である。(三尊の弥陀についてはいずれ詳しく解説する積りである)しかしてこの三位一体の力を独り具有され、大千世界の最後的救済を為さるのが、観世音菩薩即大弥勒神の御活動で被在せらるるのである。』

観音 → 光明如来 → 応身弥勒 → メシヤ  ・・・善言讃詞
観音 → 伊都能売大御神 → 大ミロク大御神・メシヤ大御神 ・・・今の御経綸
と考えました。
十月に結びの御神業として、伊都能売大御神様を中心とした参拝を三十三間堂および加良比乃神社で行わせて頂いたからこそ繋がった参拝だと思います。

三十三の意味は奥深いので、御教えから学ばせて頂きます。(末尾に記載)
また昨年は、岩戸観音堂での「三十三相に化現されるという、観音様の応身のお働きに感謝申し上げました。」という事もありました。

そして、
「正しい配置にする、神幽現三界の秩序が正される。
観音様に付き従った二八部衆+風神雷神や1001体もの観音様が思う存分大慈大悲の御手を差し伸べられるよう活動される。そういうことを意味していると思います。」

1001体もの観音様が大ミロク様・メシヤ様に帰一し救いの御力を発揮されておられるのだと、溢れんばかりの参拝者に思わせて頂きました。駐車場が確保できたことが奇蹟のようでした。
3月3日は、3という字が重なっている縁起が良い日であり、三十三間堂も3が重なっているということから「桃花会」が行われ無病息災を祈る日でした。
そして毎年恒例なのだそうですが、瀬戸内寂照さんの青空説法の最中でした。
そして、この日は無料拝観日でした。それでこんなに人がいたのかな。

加良比乃神社 参拝

三救 
奉告参拝および夕拝 

月次祭の「覚りの旅」を兼ねておりました。文字通り「覚りの旅」となりました。
感謝申し上げます。

本教と文化革命
『本教と文化革命』から学ぶ

今月のテーマから要点を絞って学ばせて頂きますと、
メシヤ様は確信を持って全身全霊で、救世の大業に邁進されました。
しかしながら、その現身から離れざるを得ませんでした。
今は、神界から救世の大業に邁進されておられることとお察し申し上げます。
とするならば、私たちがメシヤ様の身となって、メシヤ様の全霊を受け止めさせていただいてこそ、文字通り、全身全霊となって救世の大業に邁進し、地上天国建設が実現していくのではないかと思うのです。

そして、メシヤ様のお体は光の玉の大きさ(地球大)に耐えられなくなって・・・ということですから、メシヤ様の全身となり得るには、地球規模の人達がメシヤ様の御心を心として行動できるようになっていくことだと思わせていただきました。

メシヤ様の御心を自分の心として行動しようとするならば、根本は観音様なのですから、本日拝観させて頂いた1001体の圧巻の観音様と共に、
であり続けたいと思います。



三十三

『いろいろの話をしたいと思うんですが、たいていふだん気のついたことや思ったことは、しゃべったり書いたりしてますから、どうもふだん言わないようなことを話したいと思うんですが、そうたくさんはないわけですね。で、そうかといって、ふだん聞いているような話じゃ、せっかく遠くまで出てきて意味がないですから、なるべく珍しい話をしたいと、こう思ってます。で、これからお話するのは、今まであまり言わなかったことで、今度の講和ですね。一昨日から効力を発生したということになっておりますが、これはたいへん神秘なんです。みんなめでたい、めでたいと言って、国中喜んでますが、確かにこれはそれに違いないけれども、しかし誰も分からないようなもっとめでたいことがあるんです。これはあるいは、人類始まって以来のめでたいことかもしれませんね。というのは、大体今世界は――いつも言う通り、精神文化と物質文化と、離れ離れになって、つまり経の棒と緯の棒が結ばってないですね。ところが、緯の棒は――これもお話したことがありますが、物質文化の中心であり、ほとんど世界の物質文化の親玉みたいになっているのは米国なんです。今欧州の文明国がありますけれども、とうてい今日は米国のすばらしい物質文化にはかなわないです。ところで東洋文化ですね。精神文化の東洋文化の方はどうかというと、これもなんと言っても日本ですからね。日本こそ精神文化の中心であり、それからして日本はまた美術――この中心でもあるんですね。そこで経と緯と結ばなければならない。その結ぶ最初の起点ですね。はずみが一昨日の講和記念日になるんです。で、神様の方ではそういう経綸になっているんです。つまり世界が伊都能売になるんですね。そこで、つまり十字に結ばるわけですね。だから、講和を契機として、日本とアメリカはいっそう仲が良くなるんです。非常に密接になる。従って文化も、日本の文化がアメリカにますます入って行くんですね。それはアメリカでも、日本の特に古代文化なんか認めてますから、そこで日本の美術なんて、そういうものが、まだまだずっとアメリカに染み込んで行くんです。それとともにアメリカの文化がもっともっと日本に入ってくるんです。それで非常に――夫婦のように密接になるんです。そんな第一歩が講和記念日からなんです。それで初めて世界が伊都能売の働きになるんです。で、バッジですね。バッジがそれを現わしているんですよ。真ん中の赤が日の丸なんです。まわりの黄色がアメリカになるんですよ。つまりアメリカに日本が抱かれているんですよ。そうして十字に結ばって、真ん中がそういうふうになるわけですね。だからして、その意味からいって、このくらいめでたいことはないわけなんです。で、世界の文化というものは、そうなってからが本当の文化ができるんです。つまり偏らない本当の文化――それができる。まあ、すべて神様の御経綸で着々としてやられているんですから、そういう意味でメシヤ教もこれから非常に世の中に表面的に出てきて、つまり発展するわけです。その結ぶ仕事というものが、やはりメシヤ教がやるんですから、今まであまりそういう大きなことを言うと、山師みたいに見られますから、なるべくそれは言わないようにしてますが、実際においてそういうような時期になってきたんです。そこで最初の結ばる意味から言うと、日本の東と西と、この真ん中が、ちょうど中京になるわけですがね。で、緯の方は、日本は細長い国ですから、そう著しくないですが、経の方は長いですから、東と西がはっきりと別れている。その中心が中京になる。それで一昨日中京の教会に寄り道して一席話したんですが、その意味の話をしたんです。それで霊界における経綸を、私が説明したわけですね。だからそのつもりでこれからやられれば良いわけですね。で、なにごとも時期ですからね。こんなに病気が治り、貧乏、争いが解決できる宗教が、もっとどんどん発展しなければならないと、誰でも思うんです。私始めそういうふうに思っているんですが、それはやはり時期ですから、だんだんものが育って行くように、一歩一歩進んで行くんです。神様の方は、突如としてパッとなるということはないんです。それは、大自然の真理にはずれますからね。どんなことでも、一歩一歩育って行くんです。その代わり確実ですからね。時期さえ来れば、ちゃんとその通りになるわけです。ですから今度の京都に来た意味なんかも、やはり最初チラッとしたくらいのことが、だんだん一歩一歩具体化してくると、こういうわけなんです。
 それから、昨日おもしろいことがあったんです。昨日法隆寺に行った時に、夢殿というんですが、ふつうあまり参詣人に見せないですね。今までは一年に一回扉を開いて見せるということになっているそうです。昨日は突如として、夢殿が開いていたというわけですね。これは非常に不思議なんですね。やはり神様の方になにかわけがあるだろうと思って夢殿に行ってみますと、ちゃんと外の扉が開いて、中のお厨子の扉も開いて、そこに観音様の御像があるんです。はっきりは判りませんが、少し暗いですからね。それと遠くですからね。形が、等身大のお観音様です。それに札が書いてある。「救世観世音」としてある。救世観音様とも言いますが、これは昔から文献にないことはないんですが、ただ私はそれに「メシヤ」と仮名をつけたんですね。これは私が初めてやったんです。ですから、私の方から言えば、救世観音ですね。文献にはありますが、そういった観音様の御姿と私は思うんです。見たことがないですからね。大体文献には大きいのは六観音ですね。六つの観音様。それから小さいと言いますか、その中に観音が三十三体あります。救世観世音というのは、その中には一つもないんです。ですからそこに神秘があるわけですね。それで私は観音様の所に向かうと、観音様からスーッと霊気が入ってくる。実になんとも言えない良い気持ちです。そうして涙が流れそうになってきた。まあ、長い間待っていたというわけですね。それで、やはりそういった――神様の方にも時期があるんです。その時期が来るまでは、どうすることもできない。それで、今まで法隆寺の夢殿において時を待たれていたんです。で、いよいよ時が来て、昨日私が行ったために、これから大いにお働きになりたいんです。それで私に懸られたんです。ですから、実に時なんです。これからまた観音様が大いにお働きになるはずなんです。そんなような具合ですからして、一生懸命にやって結構ですけれども、ただ知って、時期の来ないのに、いろいろの心配したりすることは必要ないわけですね。時を待つということが一番肝腎なことです。そうかといって、ぼんやり時を待っていては――寝ていて果報を待て――式じゃ、これは駄目で、やるだけのことはやる。そうしてただ急ったり無理をしないということを心得ていれば良いわけですね。
 そういうわけで、京都の方々のお寺にあるいろんな仏様ですね。結局はメシヤ教が現われるのを、みんな待たれたんです。それで今度私が来たことについても、いろんな仏様は霊界でたいへんな喜びなんですよ。そういうわけですから、その仏様たちが、自分の宗旨の人をだんだん分からせるんですね。そういう時期が非常に近寄ってきている。この間私は日比谷の公会堂の時の話に、釈迦、キリストは私の弟子に相応するということを言ったわけですが、随分大きなことなんで知らない人は驚きます。信者の人は別に驚く人はないんですが、そうすると仏教の方で、法然、親鸞、伝教、日蓮、弘法――ああいう人たちが、私の孫弟子になるわけですね。だからいよいよ親父が出てきた。これはなんでも働いていろいろ手功〔柄〕をしなければならんということになるんです。そういうことについても、これからだんだん京都に地上天国でも造るようになりますと、そういう仏様たちがみんな寄ってきて、大いに私の言う通りに働くようになりますから、そうするとこっちの方も大発展をするということですね。だから非常に期待した時期が近寄ったわけです。』

【御教え】地上天国3号、昭和24420
『【問】法身(ほっしん)、報身(ほうしん)、応身(おうしん)について。

【答】報身――地――釈迦、法身――月――阿弥陀、応身――日――観音となり、観音が一番上である。
 法身は水の働きのみで彼世(あのよ)のことが主である。この世の救いよりは霊界すなわち浄土へ救うのが眼目である。阿弥陀は西方へ浄土を作って、仏すなわち覚者となったものを我方へ来るようにと釈迦に誓った。よく寂光の浄土と言うが寂光とは寂しい光すなわち月の光で月の霊界である。
 報身は地になるから下であるが、ある場合上になることもある。それは観音や阿弥陀を生んだからその母ということにもなる、親が子を生むというが、子が親を生むともいえる、つまり子ができて初めて親という名が生まれる。
 応身は一番働きが大きいんで、三位の働きを一身でなされるのである。応身とは種々の面に応ずることで一つものに捉われない、それで六観音三十三相に化身されるのである。なにごとも融通がきかなくてはいけない。相手が固苦しければこちらも固く、さばけておればこっちもさばける、相手により自由に応身する。ちょうど玉が転がるようにいささかも角があってはいけない。いわゆる円転滑脱である。女には女に向くよう、男なら男に合うようにその相手の好むようなことを話してやる。ところが世の中には自分の好きなことを相手に押しつけ従わせようとする。これは応身ではないから嫌われる。またこっちから話するより相手の話を聞くほうがよい。すなわち話上手より聞き上手になることである。』

【御教え】御講話 昭和10106
『も一つおもしろいのは、西国三十三カ所の観音様のお開帳がある。これはいままでに昔もなかったことでしょう。初めてです。去年国民新聞社でやると話したんですが、それがこれになった。やはり経費の関係などのためと思うのですが、電車会社が援助してやることになった。だいたい、東横、京浜、小田急などあの辺京浜間の電車、また、それに股がる寺で……
 観音様は奈良の東福寺、京都の清水寺、近江の三井寺など、いろんな西京の有名な観音様が来られてお開帳され、やはり十月十日から始まる。ちょうど絵図でみると、今度の玉川郷を起点として拡がっているようです。
 これも玉川郷ができるについて仕組まれたもので、これが一日で全部巡れる。たいへん割引され一日で一円二十銭で行ける。そういうわけでこれができたんで、十月十日から十一月十一日までで三十三日間、これはたいへん意味があり、ぜひ観音会でもできるだけ多く団体参拝として行きたいと思うので、二月五日に行くことになった。割引期間は九日までで、八日までになるべく今晩までに決めていただくといいと思います。
 これは観音会の大宣伝にもなる。また、今度の玉川郷の大きな宣伝にもなるから、人数の多いほどいい。どなたでもお知り合いの方できるだけ多く行っていただきたい。ちょうど陽気もよく京浜間の有名なお寺もみなあるし、観音様の御仏体もたくさんあるし、二度と拝めない名作もたくさんあるでしょう。ありがたく拝ましていただくというのが本当だが、実はこちらが本当で、名作を拝見するとしても結構です。』

【御教え】玉川郷秋季大祭御講話 昭和101111
『今日は、この間三十三カ所の札所を参拝しましたが、お開帳の最終の日になり、こちらは十月十日にお祭りしまして、初日から最終の日までちょうど三十三日間で、これについてはいつかお話したがたいへんな意味がある。先刻も会長さんが話されたように、もう観音様のほうでは決まっている。芝居のプログラムのようなもので、どうしようとこうしようと、決められただけのことは出てくるんで、やるだけのことはやるんで、口では言えぬくらいたいしたものなんであります。それを早く知るには信仰に徹底することで、そこへ来れば疑いがなくなる。』



【御教え】観世音の本体 観音講座 第三講座 観音講座 昭和1085
『 和光同塵(光をやわらげ、ちりにまじわる)
 観音様は人類救済の為にいかなる極悪な者も、獣や虫類に至るまでお救いを垂れられる為、馬頭観音のごとく、お姿を変えられて地獄の者までもお救いになられる。
 最高最貴の神様がこんなにしてまでも一切衆生を救われる。およそ人間は神様のお子である為、この苦の娑婆にあえぐ人間達を天国的生活に入らしめんと大変な御努力を遊ばされるので恐れ多い極みであります。何にも捉われず三十三相に化身されて融通無碍(ゆうずうむげ)、円転滑脱(えんてんかつだつ)、対手(あいて)に合せて喜ばれる様にされる。』

【御教え】御講話 昭和10 年211
『桃太郎は最勝妙如来である。必ず勝つのである。桃は三月三日に咲いて五月五日に実る。五月五日の鯉のぼりのことは非常なる意味がある。鯉は魚の観音である。真鯉の鱗は三十三枚である。』

観音様は
【御教え】観音講座 第二講座 昭和10725
『日―観音―南海大士 三十三相どころか非常に沢山に御名がある。
 勢至(せいし)菩薩といえば観音と共に働く時の名である。』

【御教え】御講話 昭和1051
『また、五月五日ということはたいへん観音様にとって意味があり、私が前に神界すなわち神様のほうの世界の経綸にかかったとき、桃太郎として初めて仕事のため出た日もやはり五月五日でありました。今度の五月五日もやはり桃太郎の仕事をすることになります。五月五日の鯉幟(のぼり)は今度の観音会のことの謎であったんであります。
 鯉というものは出世魚と言って一番出世するものの意であります。鯉は魚の観音様で、真鯉は鱗が三十三枚あるんで、三十三枚ないのは真鯉ではない。先に勘定してみたことがありますが、たしかに三十三枚あります。
 よく巧く行くことを登龍門をくぐるとか、または登龍門を登るとか言います。
 これは、支那のある川を鯉が昇り、だんだん昇って行くと上流のほうに登龍門というのがあってそこまで鯉が登ると言うことであります。
 鯉は出世魚ということから、五月五日に鯉幟を祝うのであります。
 江戸っ子は五月の鯉の吹流し口先斗(ばか)りで腸(はらわた)はなしということがありますが、これも神秘のあることで、私は江戸っ子ですから、口先ばかりで腸はないというほうであります。五月の鯉幟の口……
 観音様がやっておられるとすると、いい方から言えばそれになるから結構であります。
 観音様は一番位の高い所から一番低い位へ落ちて、それから一番高い位へのぼられるのであります。
 今年の五月五日から一歩出世したということになります。これは自分自身で出世したというのではなく、惟神で観音様がそうするんであります。』