「あらゆるものを簡単に表している」 『主神様とメシヤ様』p146
 御教え集十三号  昭和二十七年八月二十五日

それから○ヽの文化、 主神とか主と言いますが、丸にチョンを打って、われわれは「ス」と読んでますが、 これはあらゆるものを簡単に表あらわしているのです。それをいまちょっと読ませます。

「人間 と病気」文明の創造 昭和二十七年  『主神様とメシヤ様』p47

本来主神の御目的とは何であるかというと、 それは人間世界をして真しん善美ぜんび完まったき理想世界を造り之これを無限に向上発達せしめるにあるので、之これこそ永遠不滅の真理である。従って今日迄までの人智では、到底とうてい想像すら出来得ない程の輝かしい未来を有もっているのであるとしたら人間は此この前途の光明を胸に抱いだきつつ楽しんで天職てんしょく使命しめいに尽つくすべきである。そういう訳で主神の御目的を遂行すいこうすべき役目として造られたのが人間である以上、人間は右の使命を真底しんそこから自覚すると共に、生命のあらん限り、其その線から離れる事なく働くべきである。

近代医学に於ては、 病原の殆ほとんどは細菌とされてゐる。従って細菌の伝染さへ防げば、 病やまいに罹かからないとする建前になってゐるが、只ただそれだけでは甚だ浅薄であって、 どうしても細菌といふものの実体が、 明確に判らなければならないのである。といふのは仮令たとえ黴菌ばいきんと雖いえども、 何等かの理由によって、 何処どこからか発生されたものである以上、其その根本迄突止め、 把握しなければ意味をなさない訳である。としたら現在程度の学問では、 それが不可能であるから、 真の医学の成立などは思ひもよらないのである。いくら微小な細菌と雖いえども、 突如として偶然に発生したものでは勿論もちろんない。此この原理は後に詳しくかくが、 其その黴菌ばいきんが病原となり、 其その感染によって人間が苦しむとしたら、 一体黴菌ばいきんなる物は何が為、 何の必要あって、 此この世界に存在するものであるかを考ふべきである。何となれば森羅万象一切は、 悉ことごとく人間に必要なもののみであって、 不必要なものは一つもないから、 若もし不必要となれば自然淘汰とうたされて了しまふのは歴史に見ても明かである。只ただ其その時代に必要である間生存してゐるだけに過ぎないので人類学上からみても、 幾多の実例のある事で、 彼かの古代に於けるマンモスや恐龍や、 名も知れぬ怪獣などの存在してゐた事も、 よくそれを物語ってゐる。としたら黴菌ばいきんと雖いえども実在する限り、 何等かの役目を有もってゐるに違ひないが、 今日迄の学問では其そ処こ迄分らなかった為、 無暗むやみに恐れてゐたのである。右によってみる時、 造物主即ち神が人間を苦しめ、 其その生命迄も脅かすやうな病原菌を作ったといふ訳は、 実は重大な意味が含まれてゐるのであるに拘かかはらず、 今迄の人間は此この点に何等疑問を起さず、 全然無関心に過して来た処に問題がある。それといふのも学問が其そ処こ迄進歩してゐなかったからで、 此この意味からいっても、 私は此この著によって現代文化人に自覚を与へ、 頭脳を高く引上げなければならないと思うのである。 
茲ここで、 今一つの重要事をかかねばならないが、 抑々そもそも主神は何故宇宙及び人間を作られたかといふ事であって、 恐らく之以上重要な根本的問題はあるまいと共に、 此この事程誰もが知りたいと希こいねがふ事柄も又あるまい。而しかも現在に到る迄之に就ついて何人なんびとも異論なく、 首肯しゅこうすべき程の説明を与へた者はなかったのであるから、 それを茲ここに説いてみるが、 本来主神の御目的とは何であるかといふと、 それは人間世界をして真善美完まったき理想世界を造り之を無限に向上発達せしめるにあるので、 之こそ永遠不滅の真理である。従って今日迄の人智では、 到底想像すら出来得ない程の輝しい未来を有もってゐるのであるとしたら、人間は此この前途の光明を胸に抱いだきつつ楽しんで天職使命に尽つくすべきである。そういう訳で主神の御目的を遂行 すべき役目として造られたのが人間である以上、人間は右の使命を真底から自覚すると共に、 生命のあらん限り、其その線から離れる事なく働くべきである。それには何といっても先まづ健康が第一であるべきに拘かかはらず、 現実は果してどうであらうか。誰も知る如く人間は実に病やまいに犯され易く健康を損そこなふ場合が余りに多い事実である。 それが為神は不断に健康を保持されるべく、 人体に対し健康擁護ようごの自然作用を与へられてゐるのである。では其その作用とは一体何であるかと言うと、 之が意外にも病気と曰いふものなのであるから何人なんびとも驚くであらう。それに就ついて充分じゅうぶん説明してみるが、 先まづ人間が人間としての役目を果さんとする場合、 どうしても全身に汚穢おえが溜る。之に就ついても後に詳しく説くが、 兎とも角かく汚穢おえとは霊にあっては曇りであり、 肉体にあっては濁血である。処が人体に汚穢おえが溜り、 或ある限度を越へるや、人間活動に支障を及ぼす事になるので、 之が除かれるべく前述の如ごとく、自然作用即ち浄化作用が起るのである。処が此この浄化作用の過程が苦痛となる為、 此この苦痛を病気として、 悪い意味に解釈したのが現在迄の考え方であった。 そこで人間一度病気に犯されるや、 健康を損そこねるものと逆に考へるから、 生命の危険をも予想し憂慮ゆうりょするのである。其その為曩さきに説いた如ごとく、 其その苦痛を消滅或あるいは軽減させやうとして、 種々の工夫を凝らして出来たものが、 現在の如き医療であるから、 如何いかに誤ってゐたかが判るであらう。 
以上によって考へても分る如く、 病気なるものは、 実に人間の健康を保持せんが為の、 神の最大なる恩恵である事が判るであらう。従って此この真理を基本として構成された医学こそ、 真の医学と言うべきである。