覚りの旅 令和2年3月度 勉強会を終えて
令和2年3月
覚りの旅 令和2年3月度 勉強会を終えて
三救責任者
14ページ(天恩地惠2020年2月)です。
本日は、メシヤ降誕本祝典記念大祭です。
平成三十年三月三日メシヤ様が現界にお出ましになられてより、私たちはメシヤ様の御手足としてメシヤ様と共に地上天国建設の大業に邁進させて頂いております。
メシヤ降誕本祝典記念大祭は、三月三日という日にメシヤ様がお出ましくださったことを喜び、感謝申し上げ、新たな気持ちで日月地完全な救いの力を地上の隅々まで広げていくことをお誓いさせていただく日であります。
【御教え】世界の大転換『明日の医術 第三編』昭和十八年十月二十三日 で、
『すべてに陰陽あるごとく一年にも寒暑の別あり、一日の中にも昼夜の別あり、十年にも昼夜の別あり、百年に千年に万年にもそれがあるのである。』と御教えいただいておりますように平成三十年が三千年来の夜昼転換であるとすれば、平成三十一年の夜昼転換の起点を三月三日とし、経綸の主体である大ミロク様の御働きでメシヤ様がお出ましくださったことを、私たち人間が受け止めさせていただき、その御力を
聖地→三救→日本→世界 へと広げていかねばなりません。
現界のいかに多くの地に人に反映していけるのかが問われているのです。
そういう意味で、日本の真ん中、中京と言われるこの三重の地で三月三日に主神様の御前で祝詞を奏上させていただけることに感謝を持って祭典に臨ませていただきたいと思います。
昨年はこのように挨拶させて頂きました。大ミロク様の御神名が登場致します。『経綸の主体である大ミロク様の御働き』と受け止めさせて頂いているのです。御教えで確認させて頂きます。
【御教え】『メシヤという神は国常立尊という審判の神様で、これは永久的のものでない。ある時を限られたお働きで、長い。
一厘の種はメシヤとは違う。神様のやられること、計画は非常に深く絶対判らぬ。経綸は最高の神たる国常立尊様でも判らぬとおおせられる。経綸の主体は大弥勒の神で、この神が経綸の中心である。キリストや釈迦もぜんぜん判らぬ。必要だけのことしか判らぬ。神秘である。最高の神でも判らぬ。お筆先に「神界の事は判らないと思う人は判ったのである」と。
世界の種々なことは、根本の神から出ているので、人間が気をもんだり、とやかく言うのも馬鹿馬鹿しい。最高の神の経綸は、善悪両方を造って操っておられるのが神である。今度はずいぶん苦しんだが、怒ってもしかたない。神様が使って、立派な仕事ができてゆく。ただ悪魔は一時的で勝たぬ。いままでは神が勝つのが遅かった。今度は早くなって五六七の世になる。
(御講話 昭和二十五年八月一日)』
【御教え】文明の創造 序文 栄光百七十号、昭和二十七年八月二十日 にですね、
『私は目下文明の創造なる大著述をかきつつあるが、その予告として序文をこの欄に載せる事にした。』ということで、
『これを信ずる者こそ永遠の生命を獲得すると共に、将来における地上天国の住民として残るのである。そうして か、また現在までの文明がいかに野蛮極まるレベルの低いものであるかを、この著によって充分知らせ確固たる信念を得させるのである。』 とあります。
これは『文明の創造』を皆さん持っておられるので、序文の方を読んでいただきたいと思います。
今、読んだところは、 主神の経綸 というのは、『文明の創造』に書いてあるのでは無くて、“『文明の創造』を出した目的”というのをメシヤ様が『栄光紙』にお書きになっておられます。27年8月のことですので、『文明の創造』を書いたのは 主神の経綸 のことを書いておられるんですね。「スケールのいかに大なるものであるか」ということで。
それで、『文明の創造』の方にはですね、
『そうして来るべき地上天国たるや其構想の素晴らしさ、スケールの雄大さは到底筆舌に尽せないのである。其時に到って現在迄の文明が如何に野蛮極まる低劣なものであったかがハッキリ判ると共に、人類は歓喜に咽(むせ)ぶであらう事を断言するのである。』と書かれています。全世界に頒布されるご予定でしたから、何度も推敲され、未信者の人々にもわかるように配慮されたのだと拝察いたします。『最後の審判』を前に普く人類に伝えようとしてご執筆された著書です。それ故、信者向けの栄光紙には『主神の経綸』とはっきりとお書きになられたのではないでしょうか。私達は、メシヤ様の御意図を慮らねばならないと存じます。
言いたい事は分かりますよね。
最後に書かれてるのは『文明の創造』ということで、これは全世界の普く人々、すべての人に向けて、未信者の人にも向けてですから、これはスケールの大きいことを書いてるわけですけども、神様的な御神名のこととかは出てきませんけども、信者向けの『栄光紙』とかを読ませていただくと、『文明の創造』を書いた目的というのは、「主神の経綸の深くして、そのスケールのいかに大なるものであるか」というお気持ちで書かれてますので、主神様の命を受けて書かれてるということですね。そこが大事かと思います。
もう一つ御教えを確認させて頂きますと、
『これは「文明の創造」の中にある一節ですが、それを読ませます。』ということで、
「文明の創造 九分九厘と一厘」 これは掲載されていないんです。ということを念頭において、
『今までは悪が勝っていたのが、今度は負けて、善の方が勝つのです。ミロクの世というのはそういうことです。しかしぜんぜんなくなることはないので、ただ悪の方が善に負ければ良いのです。善の方が勝てば幸福な世界ができる。そこで私が書いているのは主神の経綸ですから、善と悪と両方書くのです。これも必要だったのだ、これもオレがこしらえたのだとおっしゃるわけです。これも必要があったので、ある時期までは勝たせていたが、もう必要がないので善の方が勝ちやすくなる、というのが最後の時期で、これからです。』
これは、本当は入れたかったんですね。ということが分りますよね。入れたかったけども、 主神の経綸 ということ、一般向けのことでもあったので、最後のところには載ってこなかったという事だと思います。
メシヤ様がお書きになられたのは、 主神様の経綸 です。最後の審判の前に 主神様の経綸 として『文明の創造』をお書きになられたのです。
「主神様へ全宇宙の御経綸に対する感謝を捧げ奉り、メシヤ様から地上天国建設の御力を賜ることを念じ奉る祈りを捧げさせていただきます。」と月次祭で司会が読ませていただいている理由もお分かりいただけるのではないでしょうか。
ということで、先程「経綸の主体」ということで大ミロク様のことが出てきました。もう一つの御教えが、
【御教え】全人類待望の炬光 大聖観音力の顕現 併而(あわせて)仏説の開扉
この仏説の開扉というタイトルを見逃してはいけないと私は思います。仏説を開扉してるんです。これは線を引いてあるところ(天恩地惠2020年2月15ページ下段)を見ると、
「弥勒の本体こそこれ又観世音菩薩であられるのである」と。だから、弥勒の本体は観音様ですよと。応身弥勒というのは観音様なんですよと。
で、次の16ページにいって、「観世音菩薩即大弥勒神の御活動で被在(あら)せらるるのである」と書いてある。
これは(天恩地惠2020年2月16ページ上段)僕が書いたんですけども、
時は、昭和十年一月、大日本観音会が宗教団体として発足された年なのです。この年に、今までの仏の教えの誤りを正し、これが真実だと本当の教えだと、『仏説の開扉』として御教え下さっておられるということを、拝察すべきであると思います。観音様が弥勒下生の本体の神様なのであると、善言讃詞に『敬しく惟るに 世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明如来と現じ 應身彌勒と化し 救世主(メシヤ)とならせ』と、お示し下さった、観音様から救世主(メシヤ)様への御神格の向上を大日本観音会発足当初に既に、御教え賜っていたのです。しかし、昭和十年に開扉された仏説は『應身彌勒と化し』までで、應身彌勒の応身の彌勒は観音様であり、ミロク下生の経綸のお働きを大弥勒神と御教え下さったのです。その後、昭和二十五年に救世主(メシヤ)とならせられたのです。
メシヤ様の御神格の向上を認識させていただくための祭典が『メシヤ降誕本祝典』であるのだろうと拝察いたします。平成三十年三月三日に初めて本祝典を執り行いました。その後、毎年『メシヤ降誕本祝典記念祭』として祭典を執り行わせて頂くことで、メシヤ様の御神格を認識される方が拡がっていきます。
ということで、次に、
【御教え】関西巡教御講話(昭和二十九年四月十二日)でですね、
『今まで何億という人類が拝んできたキリスト、釈迦を私が助けたというのですから、‶そんな人間が現われることはない、頭がどうかしている〟と言うかもしれません。あなた方はふだんから知っているでしょうが、それを‶これだ〟という所までゆけば、魂がすっかり固まったのですから、そうするとそれによってその人の力が強くなるのです。それこそ私の代理として立派に力をふるい、仕事ができるわけです。だから今言ったことをよく心に入れて大いにやってください。』
魂がすっかり固まり、人を救う強い御力を賜り、メシヤ様の代理として立派に力を揮い、仕事をさせていただくための、今日は重要な祭典であるわけです。
という挨拶です。
で、今日はですね、月次祭を兼ねておりますので、覚りの旅に入らせていただきたいと思います。
『浄霊の力の元は太陽の黒点』
○○さん、読んでもらえます?
参加者
はい。
『浄霊の力の元は太陽の黒点』
日に月に霊界ではだんだん変化しつつあるのです。それは実におもしろいのです。その根本だけは話してもよいですが、その根本というのは力の根原です。それはなにかというと太陽の黒点なのです。太陽の黒点が宇宙の支配力の中心なのです。あそこから力が出るのです。それで○ヽ(ス)のヽが太陽の黒点なのです。これがたいへんなものなのです。ですから浄霊の力の元は太陽の黒点から来るのです。だからおもしろいとも言えます。それで学者もやっぱり昔から太陽の黒点を研究してますが、遠過ぎてそれはとうてい分かりません。私はいつか科学博物館で望遠鏡で見たことがありますが、中にいくつも黒点が大きい小さいのが混じってます。それを総合してみるとチョンになるわけですが、それがなんだということは、学者がいくら想像してみてもそれはとうてい分かるはずはありません。それで昼間の世界ということは黒点が変化するのです。それで太陽の熱というものは、太陽の黒点から放射されている一つのエネルギーですが、火力というものは太陽よりか黒点の方がもっと強いので、それは神秘なものです。その黒点の代表者が主神です。そこから私の体に光が来ているのです。
三救責任者
はい、ありがとうございます。
図―1
これは今のところを箇条書きにしました。
① ⦿(ス)の ヽ(チョン)が太陽の黒点。 このヽ(チョン)が浄霊の力の元ですよ。
② 黒点の代表者が主神です。
③ そこからメシヤ様の体に・・そこというのは主神様、ゝ(チョン)、黒点になります・・光が来ている。
結構ね、「そこ」とか、そういうのが出てくるので、どこかというのを・・国語の問題だけどね(笑)。
次のところは17ページ(天恩地惠2020年2月)の上の段の
④ 王権とは徳によって治めるもの
⑤ 主神様の御意図により御浄化の形が決まるんだ、ということが書かれてます。
これは目新しいというか、メシヤ講座では先生が大分言ってみえました。
平成28年、岡山でも言ってみえる。「ミクラタナの神様」の話の時ですけども。こういう捉え方をしてるということで、
黒点が主神様で、そこの影響で御浄化。今年はスペイン風邪が流行るとか。御浄化もそういう御意図があったのだろうと。しっかり考えよ、ということだと思いますけども。
⑥ 太陽の黒点減少し太陽風強まる
これは、18ページ(天恩地惠2020年2月)の上段に書きましたけども。
「太陽の黒点減少し太陽風強まる」ということをネットで調べました。
「 二〇一九年は、宇宙時代が始まって以来、最も太陽に黒点が出なかった年」なのだそうです。太陽に黒点が少ないと地球への影響はどのようなことが考えられるのでしょうか。
太陽の黒点が少ない時期に巨大地震が発生する確率も上がるのだそうで、実際に阪神淡路大震災も東日本大震災も、黒点が少ない時期に起こっています。黒点がゼロになった二〇〇八年には岩手・宮城内陸地震M7.2も起きているのです。特にリスクが高まるのが太陽風が強まる時期で、黒点が少ないと太陽から吹き出す太陽風が強まりますが、ちょうど太陽風が強い時期にM6以上の地震リスクが高まる傾向があるのだそうです。
参照元:巨大地震:太陽の黒点が少ない時期ほど頻度高く(2011年9月26日毎日新聞)
東日本大震災の発生した時期に太陽の地磁気活動は活発化していたようで、太陽風の速度が三月十一日の十四時から上昇を始めたとあります。そして、東日本大震災の地震発生は十四時四六分でした。
ということで、黒点が増える事ばかりイメージしていましたけども、相互に関係してるわけですね。黒点が減った時にも、今度は太陽風の方が強くなるので、そういう磁気の影響が強くなってくると。
『太陽の黒点が宇宙の支配力の中心なのです。あそこから力が出るのです。それで (ス)の
(チョン)が太陽の黒点なのです。これがたいへんなものなのです。ですから浄霊の力の元は太陽の黒点から来るのです。』というのは、宇宙の主宰神であられる主神様の御意図・・先生もよく宇宙意志ということを言われてました・・(宇宙意志)が地球の浄化活動に影響していると受け止めさせて頂くのが自然なのではないでしょうか。
ということで、書かせてもらいました。
主神様の御意図をみんなで拝察してみましょう。
もう一つのテーマに「五六七大祭」ということがありまして、ここを箇条書きにしてあります。(天恩地惠2020年2月18ページ下段)
▽を翳して、本格的活動に入らんとするのである。
大旆(たいはい)。昨日、これを読んでいて、「真理の大旆」としてブログをアップしたんですけど・・見てないかな?
「五六七大祭」救世53号 S25.3.11 に
『世界人類救済の大旆(たいはい)を翳して、本格的活動に入らんとするのである。』とあります。
大旆(たいはい)というのは、日月と昇竜・降龍を描いた大きな旗のこと。・・中国の方ではね。
『世界人類救済の大旆(たいはい)を翳して、本格的活動に入らんとするのである。』とあります。
大旆(たいはい)というのは、日月と昇竜・降龍を描いた大きな旗のこと。・・中国の方ではね。
堂々たる旗印の意味だそうで、この大旆(たいはい)という言葉が出てくる御教えを探しますと、下記の御教えが見つかりました。
これは 病原としての細菌 『結核の革命的療法』(昭和26年8月15日)というところの中に、「真理の大旆」ということで出てきます。
この御教えでメシヤ様から『私は思い切って医学の盲点を指摘したが、もちろん人類救済の目的以外他意はない』と御教えくださいました。
メシヤ降誕があって、人類救済の聖業が本格的活動に入るわけですね。
明日は(・・今日ね)その真理の大旆(たいはい)を翳されたメシヤ様の御神格を許される限り認識させて頂き、人類救済の聖業に参画させて頂けますよう祈念申し上げたいと思います。
メシヤ降誕があって、人類救済の聖業が本格的活動に入るわけですね。
明日は(・・今日ね)その真理の大旆(たいはい)を翳されたメシヤ様の御神格を許される限り認識させて頂き、人類救済の聖業に参画させて頂けますよう祈念申し上げたいと思います。
ということで、病原としての細菌という御教えをアップしてありますので、また見ておいていただけたらと思います。
ここに出てくるんだけどね。
19ページ上の段(天恩地惠2020年2月)に、
世界人類救済の大旆を翳す ということで、
『世界人類救済の大旆を翳して、本格的活動に入らんとする。』というお言葉にメシヤ様の人類救済への固いご決意を窺い知ることができるかと思います。『明日の医術 第一編』(再版)昭和十八年二月五日には、『私は思い切って医学の盲点を指摘したが、もちろん人類救済の目的以外他意はないので、もしこの発見がなかったとしたら、人類の未来は逆睹(ぎゃくと)し難いものがあろう。この意味において私の説を肯定し、医学が再出発をするとしたら、病なき世界の実現は決して難事ではないのである。ゆえによしんばこの説が全世界の学者、智識人から反対され、非難せられ、抹殺されるかも知れないが私は敢然として、真理の大旆を翳して進むのみである。』とありますので、医学の真理を知らせ、是正する、医学革命を推し進めることが世界人類救済活動であるのです。
本当に今の時期にピッタリなんですけども、ただ、世間の動向を無視してはいけないのは事実であります。まだまだ浄化の意味というのは、信者さんでさえもしっかりと認識出来ていないって僕は思います。特に、大勢の人が集まる場合にですね、分からない人が来た場合もですね、問題を起こすことは御神業上非常にダメなんだということを言われてますので。これだけ、医学のことを言ってるけども、否定するわけじゃないわけですね、そこのところがね、御教えの捉え方が甘いと。医学絶対反対というようなことは言われてないので、だから、「ご随意に」ということを書いた(ブログにアップした)わけですけども、「医者にかかるにしても浄霊一本で治すにしてもあくまで本人の意思というのが徹底されていなくてはなりません。誘導するような形になってはいけません。メシヤ様はどんな時にでも臨機応変でした。本来の在り方は提示するが、選択は『本人のご随意に』。」 そういう姿勢でやって欲しいと思います。で、御垂示の方でも昭和28年6月15日に、『「私のほうではお医者にかかるな薬をのむなとは決して言いません。それはあなたのご随意です。採用するしないはあなたのご随意です」』これは、御教えですから、メシヤ様もこのように仰ってますので、こういう説明なしに医者に行ってはいけないとか、薬を飲むなとか決して言わないようにお願い致します。自分は分かってるからとか、そういう事ではね、世間的には通用しないのでね。自分はしっかり御教えを勉強してるからと言うけども、そこはまだ医学に対してずっと反対しているように見えるかもわからないけど、医学も進んできてますのでね、研究してますから。研究してるけれども、その捉え方が霊に対する研究というのもやってるところもありますよね、そこのところが、霊体、霊主体従というところの部分が研究がされていないので、化学が進めばされてくるかもしれないので、そういった目で見ていかないといけないという。真理を知ってるからこそ、そういう目を持っていくべきだと思いますね。
参加者
説明するときは医学、今は医者がそういうこと、薬が次なる病気を作るという事を言ってる人の言葉を取り上げて、「医者も言ってる、私も体験したらその方が治りがいい」とかいう話をするんですね。
三救責任者
だから、自分の体験談というのは一番いいわけです。
僕が写真をのせたのもね、薬を使っていませんよという。で、医者の言葉も載せましたけども、「あなたは薬も入っていないので早く薬を出すことができた。皆は薬を抜くことからしなくてはいけないので、耐えきれなくて辞めてしまう。もう手術してしまう。と医者が話してますので。
参加者
皆さん、医学熱心になってる人が多いから、お医者さんがこういう風に言ってる、そういうお医者さんが沢山出てきたねっていう話から現状をお話して、自分の体験を話して、そういう風な話し方だったら、納得されるというか、「へぇ~」っていう感じで。
三救責任者
そうだと思います。
医者を信じてるのに、医者に行くなって言われても嫌だから、普通は反発するよね。
こういう医者もいるんだよという話ね。
参加者
だから、私は例えば、成人病に引っかかった私の友達にも医者がいる、だけどお医者さんがそういう病気のチェックに引っかかったらまずすることは薬じゃないのよ、食事療法から始まるのって。現実だから。そんな話をすると、「えぇーっ!」ていうことになるのね。「薬飲まないんですか?!」って。「うん、食事療法、だから、お医者さんはよく分かってるかもねぇ」って言って。
三救責任者
そういう関係のメシヤ様の御教えも出てきますよね。
自分の子供にはしないっていう。
参加者
あぁ、ありましたねぇ。
三救責任者
そういう話の方が分かり易い。体験談というのは非常に大事かと思います。
参加者
思ってる人も結構居るから。薬は効かないね、飲まない方がいいね、っていう人もあるし。
参加者
だから、薬を飲むって言う事に全く抵抗を感じてない人が、ちょっと抵抗を感じるようになってきた。厳しいことをいう時にもね、作られたものだから体から抜けない、だから、薬を飲むときには覚悟して取り入れないといけないねぇっていう話はしますね。溜め込んでるんだから、どうしても、咳したり、鼻水出したりするのは溜め込んだものが出ていってるわけだから、血で出しても、いい事なのに、また薬で抑え込んでしまうからね、という話はしてますね。
納得する人も。「あぁ、やっぱりそうだねぇ、出したら出すだけいいのよねぇ」って、言われるから。
で、また調べられると思う。そういう方向から。
参加者
うん。
今、行ってるところは職員は皆そんな感じ。
参加者
あぁ、そうですかぁ。
参加者
うん。だから、私が言わなくても皆そう思ってるんだぁって。
参加者
分かってるんだねぇ。
参加者
結構分かってる。
ご主人が薬屋さんの人もいるから、「主人はあまり飲まない方がいいって言ってる」って。
参加者
薬屋さんの人が言ってるって、それはまた大きいですねぇ。
参加者
そう。薬剤師のご主人。
三救責任者
薬剤師の薬っていうのは、一般のその人に合わせてというよりも、多数に合わせてというか、最大公約数というか・・、そういう薬じゃないですか。何でも市販に売ってるものは。医者はその人を見て調合するかも知れないけど、一般の薬の方が一番恐いよね。何か分からずに飲んでるんだから。
参加者
そうですよね。それで効いちゃうんですもんね。とりあえず。
三救責任者
効いたって思ってしまってるかもしれない。
参加者
難しいなぁ、説明って。私、上手く説明出来なくて・・。
相手の方が、「でも、やっぱり薬を飲むと楽になるし・・」って言われて。
私が、薬は嫌いだし使ってないっていうのは分かってみえるし、そういう話もしてるけど、本人は全然使われるから・・そうすると・・。
三救責任者
今はねぇ、本当にね、難しいよ。
参加者
難しい。言い方が全然上手く言えないなぁって。
参加者
難しいよ。
私達でも、こう言いながらでも施設に来る人は薬を飲まされてるからね。それは何ともできない。その家族の考え。
三救責任者
そうそう、だからその両面。
「ご随意に」というのと、分かってる人はともかく、分かってるというのもその人の家族全部が分かってるということです。それぞれ家族がいるわけですから、なかなかそういったところでは「こうだ!」とは言えないでしょ。
非常に難しい。
参加者
そうそう。関係性もあるし。
参加者
何かねぇ、例えば、息子は反対はしてないけど自分がそこまでは入っていけない。でね、息子を通して、息子の言葉からメシヤ様の言葉かなと思えるのはね、御教えの部分を持ってきたら「誰が言ってるの、それ」ってなるのね、だから一切そういう諭すような言い方だったらダメ。自分自身がずっと、何があろうがずっとこれを続けてきてる、形は変わってきて、組織も変わったりして、だけど、そこに対しても絶対なる親の姿勢っていうのは分かってるんですよね。揺るぎ無いっていうのが。だから、こういうものの言い方をしたら駄目だなぁって思わされる。
三救責任者
「五六七大祭」のところに、18ページ(天恩地惠)の一番後ろに、
▽救世(メシヤ)教の名を冠したのもその為である。
これは昭和25年3月11日ですから、世界救世(メシヤ)教になった頃ですね。
参加者
結局組織になった時に災いしてるのを、今見せられてますよねぇ。だから、宗教も医学も。医学はまずこれでもって、コロナでもって、また来年どんな形になるか分からないけれども、より私達に強く分からせていただいてる。また、組織化した宗教にとってもそういう時が来たかなって思うんですよ。
三救責任者
そうですねぇ。だから、帰一するっていうのが、今、見てハッキリわかりますよね。あちこちバラバラになってやっぱり組織、宗教組織としての包括、被包括とかの関係のあり方では成り立たないんですよ。どう考えても。それよりも、もっと世界へ広げていかなくてはいけないっていうことになってくると、メシヤ様が望まれてたのはね、あらゆる宗教もですから、そうなった場合には思想上であって、それぞれ活動しながら、やっぱり主神様ですよ!メシヤ様ですよ!というところの、メシヤ様に帰一していく、そういうところの帰一しかあり得ないという形を見せてもらってるんじゃないかなあと思います。
世界救世(メシヤ)教復興という、その世界救世(メシヤ)教とは何ぞやということを学ばないといけないよという、先生も最初の頃の話ではもう組織では統一出来ないって言ってますから。言われてるんですよ。
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先生
それと同様で、教団という組織ではなく本来の宗教性が大事なのです。そして、これはもちろん壇上で話す私達の講話の時も同様で、内容は見られている訳です。ですから、このことが取り組みを重ねる上で貴重なことになりました。お解りのように、心の込められていないお話は見透かされます。偽りなどもってのほかです。神様はこの少女を通して私達に何を教えようとされたのか、と申しますと、『神様は腹の底の底まで見ておられる』ということです。
それと同様で、教団という組織ではなく本来の宗教性が大事なのです。そして、これはもちろん壇上で話す私達の講話の時も同様で、内容は見られている訳です。ですから、このことが取り組みを重ねる上で貴重なことになりました。お解りのように、心の込められていないお話は見透かされます。偽りなどもってのほかです。神様はこの少女を通して私達に何を教えようとされたのか、と申しますと、『神様は腹の底の底まで見ておられる』ということです。
先生
今『メシヤ教』は組織では無いのだ、と・・・。組織で進めるというよりも「信者一人一人が『メシヤ様』に直に御繋がりする事によって力を頂き御守護をお許し頂く。」という事を橋本聖子参議は地で行って下さったという事が伝わり、本当に良い話だと思いました。
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参加者
一生懸命頑張られたけど、これは難しいって分かったっていう風に仰ってましたよね。
三救責任者
そうそう。
だから、目指す・・・何かすり替わってきてません?って僕は思うんです。先生の言われていたことの、世界(救世)メシヤ教の復興という名前、復興事業という名前だけとると、全部組織として統一するように思えるけども、そうじゃない。
参加者一同
うんうん。
三救責任者
あれを前面に打ち出し過ぎたので、多くの人が、メシヤ教の多くの人も勘違いしてしまったんじゃないかなと僕は思った。だけど、「そんな私に」って言ってましたよね、誓詞を捧げる時に、人類の代表としてというような話をされてましたよね。それは先生としてはもっと大きな教団の世界救世教の方の総長なりそういう人達の方がっていうようなことを先生は思ったけども、そうじゃなくて、もっと純粋でないと出来ないんだよというようなことを言われていた。あくまで組織的に一緒になろうと思ったって物欲が絡んでくるから難しいということを、見せられてるのではないでしょうか。
話が飛んだね。
図―3
世界人類救済の大旆・・のこの救世だと思います。
メシヤの降臨というのと一緒になってくるわけですね。メシヤ様が降臨されて、メシヤ様が進められる。メシヤ様降誕ということで、メシヤ様が降臨されてこれが始まってくるということで、まさに今その時期かなという風にも思える世の中ですよということで。
で、20ページ(天恩地惠)の上段のところに、
つまり、世界救世(メシヤ)教の開教と、メシヤ様と御尊称申し上げること、主神様が主宰神であられること、世界人類救済活動は、一連の動きであったのですね。・・と、私はそう思います。
本日は、魂を固め、人を救う強い御力を賜り、メシヤ様の代理として立派に力を揮い、仕事をさせていただくための、『メシヤ降誕本祝典記念大祭』を執り行わせて頂きました。あわせて三月度『覚りの旅』で、御教えとメシヤ講座を学ばせて頂きました。何か一つでも「これだ!」と共感・共鳴されることがありましたなら、有難く思います。
本日はおめでとうございました。
参加者一同
おめでとうございました。(笑)
三救責任者
すごい終わり方?
参加者
いえいえ。
三救責任者
メシヤ講座1~50を作らせていただきましたので、また学んでいただきたいと思います。7号まであります。
司会
以上を持ちましてメシヤ降誕本祝典記念大祭を終わらせていただきます。ありがとうございました。
参加者一同
ありがとうございました。
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