令和2年10月1日
令和2年10月6日

覚りの旅 令和2年10月度 を終えて

 


三救責任者挨拶

皆様、月次祭、おめでとうございます。

 

10月は、神無月と言います。三千年前に押し寄せてきた素戔嗚尊の系統の神々がすべて故郷の大陸に帰っているので今月は非常に御神業が進む月です。

しかし、出雲地方は、出雲系の神々様方が、まず出雲へ集合して、それから朝鮮半島へ帰られます。留守居の神様方が出雲大社に残っておられるので神有月と呼ぶのだそうです。

これは平成28年8月のメシヤ講座での話ですけども、この時のメシヤ講座で、

・三内丸山の頃、縄文時代は戦争が無かった

・当時、伊都能売神皇様が徳によって治めておられた

・半島から素戔嗚尊が、中国から瓊瓊杵尊が山口萩から上陸して皇位を譲れと迫った。

譲らなければ日本人を何十何百人と殺していくと。ということで、伊邪那美の時と同じですよね。

・徳で治める(皇位の継承で考えると徳で治める)ことの象徴であるミクラタナの神様が、御宿りになられている。

ミクラタナの神様は御頸珠。この御頸珠を伊弉諾尊様から賜った。だから、皇位の継承というのは伊都能売神皇から天照天皇、天照天皇が崩御された時にミクラタナの神様は天の主神様の元へお帰りになられたということで、メシヤ講座で聞いております。

このお話の中で重要なのは、徳で治めることの象徴が御頸珠であり、その珠をミクラタナの神様とお呼びするということであります。武力や権力で脅して強引に奪えるものではないということです。この話に登場する神様は徳で治める、御頸珠の継承という御神事を意識するのが十月であるのですから、このことを知った私達はより一層御神業に励ませて頂きたいと思います。

ウィキペディアで調べますと10月10日の夜、記紀神話において国譲りが行われたとされる稲佐浜で全国から参集する神様を迎える祭「神迎祭」が行われるのだそうです。

国譲りを、先程から話しております 徳による皇位の継承 と考えればですね、10月10日、今度は午前にとり行います、 三救祭 というのは非常に意義深いものになると思います。まさしく10月というのは神有月なのです。

 

ということで、それでは今月のテーマに入らせて頂きます。

 

資料10―1

1-10医学を誹謗する


資料10―2

 

2-10メシヤ様の御力を

1ページです。初めに「医学を誹謗する考えは毫末もない」ということが書かれています。

真の医学を目指して欲しいと書かれています。そして、浄霊の奇蹟が出ても奢(おご)るな!と。奇蹟は神様の御力であるにもかかわらず(人間を使われるんですけども、神様の御力であります)、一生懸命努力を積み重ね研究している科学者や医学者より、自分を優位に見て、奢(おご)ったり、相手を見下して、対立関係を生んではいけない。奇蹟に頼って努力しないと、ウサギと亀のように、努力している亀に追い越されるよとご教導賜っております。

メシヤ様の御力を取次いで奇蹟が出たんだから、奢(おご)ってはいけないよということですね。

 

で、44行目のところを行きますけども。

 

資料10―3

3-10信者の方が
 


医者というのは、副作用をきちんと説明すべきであり、それが出来ない医者にはかかってはいけないと。もし、手術と言われたら、少なくとも三つの病院で確認せよと、これは未信者さんに言っているんですね。この道を知らない人に御教え下さっているわけです。あるいは、未信者さんをお世話する方々に未信者さんへのお話の仕方を教えて下さっているわけです。世間ではインフォームドコンセントという進んだ考え方が出てきているのに、信者さん方が医者へのかかり方が安易ではありませんか?時代遅れではありませんか?医者にかかる、かからないは自由です。決して、かかるなとは言えないのです。かかったのなら、医者に納得するまで質問する。しかし、ほとんど相手にしてくれないと思います。中には、私が大浄化した時の主治医のように、「薬を使わないで」「電気治療もしないで」と要望すると、「患者さんの嫌がることはやっても効果が期待できないからやめましょう」と親身になって寄り添った方針を立ててくれるすばらしい医者もいるわけです。だから、真の医学を目指している医者もいるのです。

 

「メシヤ様は科学を重視された」ということで、80行目にありますけども。

「浄霊に科学性を持って取り組む」っていうのが93行目に書かれています。

 

資料10-4

4-10ゲノム
 


これはね、朝日新聞の科学の扉で、「ゲノム編集の現在地」と題して特集が組まれていましたので紹介します。

 

その前に、今朝、Ⅽ型肝炎ウイルスを発見した人がノーベル賞という発表がありましたが、

 

岡山でのⅭ型肝炎の御守護報告 を紹介します。

治療薬に副作用

貧血、めまい、立ち眩み、動悸、息切れ、胸痛、狭心症、嘔(おう)気、食欲不振、脱毛、無気力、倦怠感、味覚障害

添加物の入っていないものは味を感じた。体に異物を入れることの害をさとる。

私にできることは何か。メシヤ様の御光をお取次ぎすることとの想いが湧き上がる。

毎日数十名に想念浄霊をしていると、段々、量・回数増加。センターでの浄霊。

メシヤ教に繋がる。メシヤ様と御尊称。自己浄霊、御光の強さ、違いを感じる。

薬の飲用を中止。

夢で自分の裸の人体が現われて、体の色々な部分が黒くぬられていた。

そこを自己浄霊→注射を打ったところ、何か所も体に痒いところが出てくる。

夢は先祖が創作して神様の許可で見せてくれる、と御指導いただく。

仕事で体が楽に動けるように変わってきた。

メシヤ様の御手の前で・・・欠伸、ゲップ。あまりきついので5分間とお願いしたら、5分でピッタリ止まる。

〇〇〇〇と大違い

ご飯も食べられるように

樹木葬やめた

メシヤ講座はそういうことが学べるので有難い。

メシヤ様につながり、メシヤ講座に参加する中でこの奇蹟を体験し、救われていきました。

真の宗教を求め続け、やっとメシヤ様。

 

御光無しの浄霊にたどり着かれたわけです。

この人は、〇〇〇〇時代においても、利他愛・・・自分のことはさておいて、他の人の幸せを祈り、浄霊することで、自分も楽にして頂いています。

私達はすでにメシヤ様と直接御縁をいただいているのです。奇蹟に慣れてしまい、奇蹟を奇蹟と思わなくなっていませんか。

 

今朝、ノーベル賞のニュースを見て、Ⅽ型肝炎ウイルスを発見した人がノーベル賞ということで、Ⅽ型肝炎についてメシヤ講座を検索したら、この御守護報告がヒットしたわけです。

今日、覚りの旅で紹介してはどうかと神界から働きかけられたのだと受け止め、お話させて頂きました。“御守護のいただき方”の学びとなりました。大変ありがたいと思います。

 

そして、「いずれ受賞することは間違いない。」と言われる技術が、生命の設計図を操るゲノム編集だそうです。このゲノム編集というのは、DNAの狙った部分をピンポイントで変えられる技術で、DNAを切る「はさみ」と、この「はさみ」を狙った場所に案内する「ガイド」で成り立ちます。色んな技術が応用されているのですが、DNAを切る制限酵素を発見したそうで、これは、もともとは細菌がウイルスから身を守る為に持っている「はさみ」で、ウイルスのDNAを切って殺すのですが、好きな所を切ることはできないのだそうです。それを狙った場所を編集する技術が出てくるのですが、その技術の源流の論文を日本人の九州大の石野良純教授が書いています。

1980年代後半に大腸菌のDNAに、上から読んでも下から読んでも同じ「トマト」とか「しんぶんし」のように回文構造の繰り返しを見つけ(このDNA構造の中に一部に「しんぶんし」とかね、要はきれいに並んでいるのが繰り返し出てくる、その回文構造の繰り返しを見つけ)、「きれいに並んでいるのは偶然ではないはず。何か意味があるのでは」・・この感じることが大切です。この感じたことがキッカケでガイドを誘導する技術が出来るわけですけども、その後、同じような配列が多くの細菌にあり、やはりウイルスを殺す「免疫機構」であることが分ったそうです。その回文っていうのがウイルスを殺す免疫機構。それがDNAに出てくるのね。

ゲノム編集技術を使えば、コロナの時間がかかるPCR検査より安く、短時間(40分くらい)で結果が出るのだそうです。だけど、まだ実現されておりません。

DNAが二重らせん構造になっているのを発見したのは1962年です。

先程の、これは僕が感じたことですが、「きれいに並んでいるには意味がある」と回文構造に着目し、感じたことは、非常に重要だと思います。バランスを保つ、きれいなことを保っている ということと、意義を見い出す、意義を求める、ということが大事なのかな、ということの大切さを科学においても教えてくれている。

二重らせん構造という科学の発見は、生命の誕生という「伊弉諾尊様」「伊弉冉尊様」が「天の御柱」を巡って「ことば」を呼びかけあい、交わることで子供を作ったという神事に結びつきます。

天(上)から男が「左」に回りながら「あ」で始まるところの「ことば」を歌い、地(下)の位置から女が柱を「右」に回りながら歌う「わ」で終わる23の「ことば」に結びつける二重の右回りのらせん状の「言葉のつながり」です。男が「左」に回りながら上から下へ降りると、「右」へ回りながら上がることと同じ構造のものが出来ます。そういうのが二重らせんというと。男と女23本ずつの染色体が結びつき46本の染色体を持つ新たな生命の誕生も詠み込まれていたのです。

神話というのは後の世に伝えていく目的で語り継がれ、化学がそれを解明するのですが、神話と科学を結ぶ視点を私達は持たないといけないのではないかと思います。

 

資料10-5

 
5-10


だから、一緒だよね。上から見たらこうですよというのと。解明してくれてるんですね、分かり易く。こっち(手前)から見てると左回りで下りていく、で、これ、右回りで上がってく。染色体のこともホツマでよみ込まれていたんですよという。そういうのは科学が後の世に証明してくれてる。そういうことが後から分かるように神話で教えてくれていたんだという話。

 

資料10-6

6-10フトマニと元素の

 

で、今出てきたのが、これ、フトマニ図ですけども。ここ(図の上部)を切って開くとこう(資料下段の上部)なります。これは、あいうえおに置き換えてみたということで。この配置が元素の周期表と全く一緒なんですよ。だから、元素の周期表を表わしていたんではないかと。だから、これは科学と宗教の一致というか、神話との一致というか、そういうことを発見した人がいるわけですね。

 

資料10-7

7-10元素の配列

資料10-8

8-10

資料10-9

 9-10人体の構成元素


日本語というのは、そういう五十音というのは、元素の周期表、昔に見たことあると思いますけども、これ(資料)、元素の周期表ね。これは、原子核があって、原子核の周りを取り囲む原子の数によって性質が決まってくると。この構造、原子核の周りにいくつ入るかによって・・、八つまでしか入らないんですよ、入る位置が決まっていて。こういう構造、これで一つ一つで性質が決まると。例えば、ホツマを当てはめると、この周囲に八個入るところに一個だけ入っているのが、リチウムだよと。

今、言いたいのは、こういう元素の配置、何個入っているかによって、だから細胞が安定する、細胞の性質というかな、そういう性質を表わしているわけです。それに、日本語の言霊というのが合わせることが出来るよと。言霊一個一個というのが性質があるというのと、科学の物質、元素の性質があるんですよということと合わせられますよねという話ね、これは。

じゃぁ、今の話、人間は何で出来ていますかと。今、元素の話をしましたよね。今、科学と神話の一致ということで喋っているわけですけども、これね(資料10-9)、人体の主要部分を成すのは何ですかという話で、酸素・炭素・水素・窒素・カルシウム・リン・硫黄・カリウム・ナトリウム・塩素・マグネシウムというのが人体の構成。自分達の体を作ってる、ここでいう元素の組み合わせで自分達は出来てるわけです。自分達の細胞というのはこういうもので出来ているよと。すごいのは、ヒ素もあるわけですよ。僅かではありますけども。これは多ければ死んじゃいますからね。だから、人体の主要部分を成す水分や栄養分、たんぱく質、骨、遺伝物質を作る元素として酸素・炭素・水素・窒素・カルシウム・リンが上位6位を占めているんですよと。人間が何で出来ているかと言ったらね。

で、海水の成分を成す元素とかなりダブっているんだそうで、それは、そもそも生命が海から生まれて、海に体を閉じ込めて心身の働きの舞台や機能部品源としたからに違いないんではないかと。科学的にそういう事が分かってきているよと。だから、生命は海から生まれてきたんだと。で、よく言われているのは太古の海に近い濃度に薄めた海水というのは、輸血の代替物として使うことが可能なんだそうです。要は、成分が同じですからという話だそうで。

面白いじゃないですか?人体の元素と結び付けて考えると、そういうことです。

そういう成分が一緒。海洋深層水みたいな太古の昔からあるところの元素というのが、輸血できるというのが実際証明されてるそうですね。

 

それから、『神科学』というのが、3ページ。

 

資料10-10

10-10神科学
 


浄霊と浄化論、薬毒論を『神科学』と言い、神様が示された科学に基づいて病気を治していくのだと御教え賜っております。

進んだ科学の情報を手にし、御教えに照らして神科学を浄霊で実践していく使命が私達にはあるのです。

癌ということにおいても、薬毒による疑似癌と霊的に前世に起因する真症癌があると『文明の創造』で御教え賜っているので、その両面を認識して浄霊に取り組むことをここでは教わっております。何事も霊的な事と体的な事と、この二面性を認識することで、人間の霊性が高まっていくのだと教わっているのです。

二面性というのは、人間は霊と体でできている。医学は体だけを見てきた。両方見なければならないんだと。二面性を認識して取り組まなければならないんだということです。

 

資料10-11

11-10化学物質
 


で、二面性ということで、二面性というのは、例えば癌の場合ね、

化学物質によって癌化した細胞を治す、という面と、前々生から来ている病気を治す。こういうのは、浄霊は同じでも、浄霊するという行為は一緒だけども、認識するかしないかによって、この二面性を意識して、認識して浄霊するのとしないのとでは、結果に於いて大きな相違が生れてくるんじゃないかなと思います。

 

資料10-12

12-10薬のルート

資料10-13

 13-10実は発熱は

で、4ページのところには、129行目のところで、

「メシヤ様の御心に沿うには薬理学の研鑽が必要です」と。薬理学、薬の効くルートということを研鑽することで、薬毒、毒のルート、浄化のルートを学んで、浄霊に応用していくということをメシヤ講座で学んだわけです。

「これならわかる薬理学」の話がありましたよね。139行目のところに、「これならわかる薬理学」の本が紹介されています。

その本から引用しますと、「実は発熱は自覚的には不快であっても感染に対する防衛反応であり、本来ならば抗炎症薬を投与することは、体の防衛システムの足を引っ張ることになります。発熱して調子が悪い場合には、ゆっくり休んで防衛システムに頑張ってもらうことが理想的です。」ということが、書かれています。

医者というのは分かってるけども、大衆の方に寄ってしまってやってるということですね。薬を出したりね。

 

資料10-14

14-10ヘルシンキ
 


「ヘルシンキ宣言」というのがあるんですけども。

この本の中にでてくるんですけども、1964年に世界医師会が採択したということで、人間を対象とする医学研究の倫理的原則を示しているのが「ヘルシンキ宣言」。

2008年版に「医学と実践および医学研究においては、ほとんどの治療行為にリスクと負担が伴う」ハッキリと書かれている。薬物療法においても必ず不利益が生じ得るんですよと。

薬が絶対と思っている人が多いけども、医者の方で「ヘルシンキ宣言」と出しているわけですから、リスクがありますよということで、当然ですよね。

 

資料10-15

15-10医学は完治していないと
 


だから、医学は完治していないとわかっているんですよと。

 

図―1(抗菌薬)

20-10仲良くしてたのに
 


体中にもともとたくさんの菌がある。普通ならそれがバランスよく保たれて、体に影響を及ぼさない。抗菌薬などを使うと、そのバランスが崩されて一つの菌が大量に増えてしまうことがある。これが感染症がなかなか治らない原因の一つ。(これならわかる!薬理学  丸山敬著 ナツメ社)

 

資料10-16

 16-10効かぬとは


図―2(治るとは言い切れない)

 16-10治るとは


資料10-17

 17-10薬物の投与経路

資料10-18

18-10血中に

 

資料10-19

 19-10血中濃度

資料10-20

 20-10薬の経路を

資料10-21

21-10捉われる

 

『捉われる』『他を顧みない』は自分への問いかけ

4ページの153行目ですが、読ませて頂きます。

 

『現代医学の何処(どこ)かに、一大欠陥がなくてはならない筈(はず)であるに拘(かか)はらず、それに気が付かないといふのは不思議である。といふのは全く唯物科学に捉はれ、他を顧みないからであらう。』と書かれていますね。この部分は医者に対する批判であるのですけども、同時に自分に対して問いかけてみるお言葉であるというふうに考えておいてください。要するに『捉われる』ということと『他を顧みない』、これは問題解決の上において問いかけるに不可欠な取組であるという事です。

要するに問題が起きるということは何かに捉われているから問題が起きるわけです。ですから常に捉われてはいないのかということを考えていかないといけません。

自分が小さいころから成長する過程において親から言われたこと。学校で言われたこと。それから友達から言われたこと。そういったことが自分の中に捉われとして残っている部分があります。この捉われとして残っている部分があると、一つの問題を形成していく可能性があるので〝何とか問題を解決したいなあ〟と思った時に〝自分は捉われた考えを持っている部分はないだろうか〟ということを自分に問いかけないといけない言葉であるということです。

例えば、家庭の中であったら、夫婦の事だったら、「お父さんはこういう人だから」だとか、うちの女房は「こういう女房だから」とか、それから「お母さんはこういう人だから」とかね、これが「捉われ」です。捉われているとおかしなものを自分が形成していってしまうので、この「捉われ」ということは、ただ単に医学のことだけでなくて、自分の生活に当て嵌めていく、自分自身に当て嵌めて、ここは考えていただきたいと思います。それで、『他を顧みない』実は相手の話を・・・私も家で家内によく言われるのが、「人の話を聞いてない」と言われるんです。(笑)「わかっているから言わんでもいい」と言うんだけれども、実は本人の言いたかったことは別だったというようなことがあるわけですよね。それは夫婦間ではあるでしょ。これだけ言っているのにさっぱり分かってない、とかいうことは・・・夫婦の間ではある。(笑い)それから、「私が一番辛いと思っていることをあなたは分ってない」とかね。「全然理解してくれない」とかいうことがよくある。これが、『他を顧みない』ということだから、これも自分の生活に絶えず、自分自身に投げかけておいていかないと、真善美完き理想世界を作るということには繋がっていかない、ということでありますので、医学を批判しているんだけれども、実は自分自身も省みて、そこに『夜の時代』の癖が、癖ということについては『夜の時代』の癖があるわけなんですけれど、それを取るということが実はメシヤ様の信仰をやっていくということなんだと。メシヤ様の信仰というのは、そういうものが信仰なんだ、と考えていただきたいと思います。

『他を顧みない』ということは、人から指摘や助言を受けた時に「素直に耳を貸す」という取組をしていかないと問題解決ができない部分があるので、この『捉われる』ということと『他を顧みない』ということは、ここではご批判に使っておられるのですけども、自分に対する問いかけとして受け止めておいていただきたいのです。

 

それから、浄霊は「自己と家族」、他人ではなく「支部」へ


資料10-22

22-10出来るだけ家族が



5ページ200行目。

 

自然宗教の根っこは「人々を守る」ということ


資料10-23

23-10自然宗教



6ページ249行目。

 

資料10-24

24-10宗教とは
 

資料10-25

25-10人間生活の

資料10-26

26-10方向づけ


 

図―3(真理のわかった人は偉い人)
真理の分かった人は


図―4(腎臓の働き)(省略)

 

先程来紹介させて頂いた薬理学の本等を読めば、世の中には本質をわかっている偉い医師もいます。そして、医師の立場や薬剤師の立場で、世の中に勇気を持って発信している偉い人もいるのです。

私達が科学がどのように御教えに近づき、解明していくのかをしっかりと見極めて浄霊と生活指導ということに応用していかねばならないと思います。

 

テーマ2『邪神活躍』

 

図―5(邪神活躍)

邪神活躍

 

334行目に『邪神活躍』ということで、邪神が活躍するということは、正邪相争うということですが、それもまた、主神様の御経綸なんだと、そうすることで、一歩一歩理想世界に近づいていくのであって、人間の智慧ではわからないということを知りなさい、と書かれています。

頭目、親分というのは、総本部にいるのですね。子分を使って、その人の副守護神に働きかけるわけです。

誰にでも副守護神がついているのですから、誰でも邪神に操られる可能性はあるのです。

善と信じて行う、知らず知らずやっていることが悪であることもあるので、たえず自分自身の善悪のバランスが保てるように、常に善が上回っているように自分を律していかなければいけないのだと思います。

 

図―6(神見の善)

神見の善

 

次の『神見の善』(372行目)ですが、多数の人々が薬を善だと思っているが、御教えでは薬毒を学び、薬を追放すれば、地上天国が訪れるのですから、薬が悪の根源だということになります。だから、人間から見た善ではなく神様から見た善を行わなければならないということですね。

 

405行目から410行目を読みます。

 

29年6月のメシヤ降誕仮祝典のやり直しですが、この時期未定でした。30年3月3日のメシヤ降誕本祝典も未定でした。一年前にこの御論文『神見の善』を拝読したのはなぜかなと。ミクラタナの神様のこと、本祝典の挙行は画期的であるが故に邪説と世間から受け止められる可能性がある、という事を思ってたのかなと思ったんです。ミクラタナの神様についての原稿を先生は用意されたんですけども取りやめました。そして、『神見の善』を拝読しました。そういう背景がありました。

 

夜の時代の癖を引きずって

(前の教団)の癖を引きずって

  

 

資料10-27

27-10還暦の型

資料10-28

28-10還暦


 

資料10-29

29-10 53と35
 


資料10-30

30-10返報返し
 

資料10-31

31-10免罪符
 



資料10-32

32-10未来に向かって
 


13ページの533行目に「未来に向かって何を残して行くか」とあります。

 

平成28年6月の先生御在世中最後の地上天国祭のお言葉からの話です。

533行目から547行目まで読みます。

 

「未来に向かって何を残して行くか。」


○○をつくりたい。これだけにあまり奔走すると『悪』になってしまいます。未来に残す資料の整理が『善』ですよと。先生の言葉ね。この時の。そこを理解することが先生の意思を継いでいくことかなと思って、取り上げて、ちょっとテーマと繋がってきたので話をしているわけです。

先生自身、自分自身も未来のためにどんな仕事がこれから出来るのかを考えてやることが『善』ですよと。どんな仕事が、どんな御神業が出来るかを考えてやることが善です。未来のためにという事ですね。未来のための資料の整理ですから。

しかし、これから自分がこういうことをやっていこう、ああいうことをやっていこう、という事だけに固執してしまうと、『現在のことに取り組みすぎると実はそれは悪になってしまう』こういうことをしっかり見つめながら進めていく、そして『主神様とメシヤ様』拝読による、『覚りの旅』が始まったんです。だから、先生も向上していかなくてはいけない、皆さんにも向上してほしいという事で、未来に残す資料の整理ですからね、こういう風に作ってきた事を捉えて話をしていく。で、資料が出来てくるじゃないですか、メシヤ講座自体の事を言われてますよね。

 

改めて思いますに、遺言のように思えてきます。

現在の組織づくり、人集めに奔走すると「悪」になってしまいます。

未来に残す資料の整理、御教えの整理、メシヤ講座の整理、そういうことをコツコツやりつつ、覚りの旅で伝えていく、学んでいく。今、私達が行っていることが、即ち、先生が最後の地上天国祭でみんなに伝えたかったことだったのだと、今回資料を作っていて改めて気付いて、私達は早々にメシヤ教という組織から離れたけれど、それは現在に固執することでなくて、未来に向かっての資料整理が根幹にあるのですから、『神見の善』であったと言えるのではないかと思います。

胸を張って継続して取り組んで参りたいと思います。

 

資料10-33

 33-10音

 

司会

以上をもちまして月次祭を終わらせていただきます。

 

参加者一同

ありがとうございました。