三救祭

令和二年十月十日

 

三救責任者挨拶


皆様、三救祭おめでとうございます。

本日は、台風の中、御足もとの悪い中のご参集、あるいはリモートでの参拝に感謝申し上げます。

三救祭の意義については先程司会より説明がありましたが、そもそも他でやってない祭典をなぜ行うのかという疑問を持たれる方もおられるかと思います。

昭和25年に初めて大祭、秋季大祭が催行されました。これは、ある方がメシヤ様に、「月次祭があっても大祭がありませんが大祭をなさっては?」とお尋ねになりました。すると、「神様はご自分から祭りをしてくれとは決して仰るものではない、信者からどうぞお祭りをさせて頂きたいと申し上げなくてはいけないのだ」と申され、その方に祭典を仕切らせました。

そういうことで秋季大祭が始まったと聞いております。

このことは、今の状況にも言えることではないかと思います。先生は10月26日、定山渓の伊都能売観音様に意義を感じ、祭典を始められ、続けられ、気持ちを同じくしようと多くの人が参拝されることに繋がったわけです。

同じように私は加良比乃神社に意義を見出し三救祭を行わせていただくようになったのです。地域に、民族に、国に神様を選んで主神様が派遣されておられると考えれば、どこに居ようと、どこに所属しようと、どの神様に参拝しようと結局は元は主神様であり、こういう意識が全世界に広まることが万教帰一であると思います。先生から紹介して頂いた「人は死なない」という本がありますけども、今朝読んでいたのですが、万教同根ということが書かれていました。

ちょっと読みます。

 

あらゆる宗教に共通するのは、神の存在を基本としていること、古代の人々は神を直感的に感受しただろう。人類というのは神という概念を持ったということが画期的だった。宗教的感性を持つことで、人間は他の動物と異なった存在となった。それぞれの宗教によって呼称は異なるが共通しているのは、人智を超えた大いなる力、真理=神様が基本原理であると。

 

ということで、万教同根ということが、「人は死なない」矢作直樹氏 バジリコ出版発行 というところに書かれています。

要は、それぞれの宗教で呼称は異なっても人智を超えた大いなる力、真理は神であるということで、全ての神々は主神様に帰一していきます。そういう思いで私達は祭典を行わせて頂くのです。

 

 


ミクラタナの神様

資料1010-1(ミクラタナの神様)


1(ミクラタナの神様)

 

天恩地惠の645行のところにありますけども、「伊都能売神観」ということと、「みくらたなの神様とは」ということで書かれてまして、みくらたなの神様とは天上の王権のシンボルだと、主神様から降る御魂であり、チョン(ゝ)であり、光の玉(〇)にチョン(ゝ)が入って⦿(ス)になると、この丸(〇)にチョン(ゝ)が入って⦿(ス)となった時に、メシヤ様という御存在になられたんだと、そういう事が、これは「にっぽん文明研究所」に対して先生がメシヤ教として正式に回答されたことで出てきております。そこに、みくらたなの神様のこと、伊都能売神様のこと、ということの考え方、神観ということが書かれているわけです。

 


桃の祭典

資料1010-2(3/3→5/5→10/10)
 

10-2

祭典の意義として考えた場合に、2月3日、4日はですね、立春祭を期して弥増す御神威は地上天国祭より現界に移写されます。
地上天国祭というのは6月15日ですので、2月3日、4日というのは6月15日に対応しているんだということが言えるかと思います。

そうすると、3月3日というのは桃の節句ですね、桃に関係しているということで、祭典を行っている日と言うのが3月3日と5月5日ですね、3月3日は5月5日に対応するんじゃないかと。これは端午の節句と言いますよね。
端午の節句というのは端(はし)に午(うま)と書くんですね。一番最初の午の日だったわけです、昔は。それが、段々と端午(たんご)の午(ご)という字を数字の五で、5月5日の日を端午の節句と呼ぶようになってると、そういうことが文献にあります。5月5日というのは、これも桃に関係している、というのは桃太郎ということね。5月5日、桃太郎、5に関係しております。

そうすると、今日の10月10日ということで言いますと、10月10日は10×10で100になりますね。100は漢字で書くと百(もも)です。「もも」に関係した祭典ですね。百(ひゃく)に関係した祭典と言えるかもしれません。ということで、10月10日というのは救いの三本柱、三救(さんきゅう)の始まった時であります。

 


救いの三本柱(三救)

資料1010-3(三救)


3(三救)

 

Three Pillars of Salvation

頭をとると、T は Time にも置き換えれるんじゃないかと。 Time、時間ですね。

P というのは Place 、場所。

of は置き換えることはないんですけども、 O だけとれば Ocation 、場合。

Salvation の S は Style 、生活

と考える事も出来るのではないかと。

それを TPOS 、場所とか論点とか、ギリシャ語ではそう言うらしいです。

 

三救での御神業開始

資料1010-4(三救での御神業開始)

4(三救での御神業開始)
 


この資料はですね、30年の10月10日、三救が始まった時に作った資料です。だから、繰り返しになりますけども、Three Pillars of Salvation での御神業開始ということで、10月10日というと、十月十日(とつきとおか)。

というとですね、御腹帯には 『胎(みご)もれる これの御魂を安らかに 守らせ給へ 伊都能売之神』 と、御揮毫になられております。新しい生命の息吹と伊都能売大御神様は関係してるんですね。だから、十(じゅう)で結ぶが、十月十日(とつきとおか)ですから、十月十日(じゅうがつとおか)で、結ぶが2倍でですね。十月十日(とつきとおか)で出産、で、非常につながりがあるんだと。「胎児は十月十日(とつきとおか)の間に38憶年の生命誌を辿って人間として完成してきます。宇宙の誕生、地球の誕生をも踏まえて人間を考えていかなければならないという事です。」と、メシヤ講座87号で学びました。

今年は・・この時、令和元年の時だね、時代の始まりの年です。10月は22日に「即位礼正殿の儀」新天皇陛下が天皇になったことを世の中に宣言する日です。

ということで、資料を作っていますね。

 


徳で治める世の中に

資料1010-5(徳で治める世の中に)

5(徳で治める世の中に)

 

それで、徳で治める世の中にということで、

天皇専用の束帯(正装)の陛下が、高御座にのぼり、即位を宣言するお言葉を述べます。高御座は天皇の玉座を意味し、平安時代の即位式から使われているそうです。平安時代・・、あっ、この間BSでやっていましたけど、壬申の乱の後、女性の天皇、持統天皇から始まったそうです、こういう高御座。神様から天皇としての任命を受けるということが、持統天皇の時から。平安時代よりもっと前だよね。それまでは、臣下、大臣たちの推薦で天皇が決まっていたそうです。だけど、この時からですね、長男、長子に受け継いでいくということを決めるにあたって、今までのやり方を覆さなくてはいけないから、で、神様から、特に、女性の天皇だったので、引き継いでいくのにね、で、私は女性だけども次からは長子に受け継いでいくんだよということの始まりだったそうです。その頃から始まってるという事です。ちょっと余談になりましたけども。

 

徳仁天皇が高御座という玉座に・・・

だから、徳仁天皇の「徳」 で 高御座(たかみくら)を「ミクラタナ」 とすると 玉座、「皇位継承」 ということと考えられるかなと思います。

そうした時に、今回の祭典にあてはめますと、初めに三救で主神様にこういう祭典をさせて頂きます、ということで参拝して、加良比乃神社の方ではですね、ミクラタナの大御神様が、これは ゝ(チョン) ですので、伊都能売大御神様は 〇(まる)、光の玉 ですね、だから、 〇(まる) だけのところにミクラタナの神様の ゝ(チョン)  が入ると、ということで、皇位の継承、一番最初に伊都能売神皇が治めていた時代があったんだということで、この時に 〇(まる) に ゝ(チョン) の形だったという事です。で、それを素戔嗚尊に追われたので天照天皇、先生はこの天皇のことを皇(スメラ)大御神と呼んでおられました。天皇に受け継がれて、で、にわかに崩御されたということで、多分、素戔嗚尊に殺されてしまったので、この時にミクラタナの神様は神界に戻られた、主神様と一体になられたというように言われてますので、ここで言う天照皇(スメ)大御神様には、皇后様の方には、 ゝ(チョン) は受け継がれなかったんだと思いますけども、そこで世の中が変わってきたと、夜の時代になってたということがあるので、そういう受け継ぎが必要だったんだろうなと、形的にはね。そういうことで、 〇(まる) に ゝ(チョン) ということで、考えればですね、メシヤ大御神様ということで、王権のシンボルが受け継がれてきたということを、歴史、神の時代からの皇位の継承という事を意識できる神社ではないかなと。このような神社があったので、そういう事を認識してですね、祭典をさせて頂くのが一番いいかなと思ってやらせてもらいました。

 

主神様に帰一

資料1010-6(主神様に帰一)

6(主神様に帰一)

 

ということで、主神様に帰一。

これもその時の資料ですけども、「一神にして多神」。

全て主神様に帰一していくということで、書かせてもらっています。ここの王権のシンボルの話は今の話ですね。で、王権とは徳である、ということで、左の方に書いてあるのは、キリストは「天国は近づけり」と言ったと、夜の終わりにメシヤ様が降臨すると言われました。それから、日本地図が書いてありますね、北海道、国常立之尊様と伊都能売大御神様。仏滅で弥勒下生になってですね、ここには大弥勒様のことも書いてありますけども、弥勒という事を考えてもですね、当てはまるわけですね。一神にして多神ですから、ミロク大御神様のことだけを考えているわけではないので、メシヤ様のことも、ミロク大御神様のことも、全部、主神様に帰一していくわけですので、そういう風な考え方であれば、この考え方で行けると思うんですよ。だから、西洋でメシヤ降臨があって、東洋で弥勒下生、これのことだと考えるのが私は自然だと思います。
御教えから行ってもね。日本では天照大御神様ですね。だから、日本は天照大御神様、西洋はメシヤ様、東洋は弥勒、それに丁寧に大をつけて大弥勒、と僕は思います。だから、弥勒下生であり、メシヤ降臨、そういうのが全て主神様に帰一していくと。で、これからは世界へという事で、昭和25年に世界救世(メシヤ)教という事で開教しているわけですから、その時の呼び名というのは「メシヤ様」ですね。そう素直に受け止めればいいのかなと思います。ややこしく考えずに。

 


伊都能売神観

資料1010-7(伊都能売神観)


7(伊都能売神観)

 

天恩地惠の中にですね、「伊都能売神観」ということで書かれてまして、この「伊都能売神観」について、にっぽん文明研究所に回答した中にはですね、「文明の創造」を論拠とすると。「文明の創造」の中の「仏教の起源」と、「伊都能売神」ということと、「観世音菩薩」のところを論拠としてます、ということで書いてありました。「文明の創造」のところを読んでもらえばいいわけですけども、「文明の創造」に書いてあるそこのところを1行でまとめるのは難しいんですよ。難しいんですけど、1行でまとめてみました。

「仏教の起源」 というところには何が書いてあるかというと、観音様の御本尊は伊都能売神だということが書かれてます。

「伊都能売神」のところには何て書いてあるかというと、引っ繰り返しになるわけですけども、伊都能売神の化身仏が観世音菩薩なんだということが書かれてます。

「観世音菩薩」のところには何て書いてあるのかというと、素戔嗚尊の暴圧、攻めてきた、で、伊都能売神は印度へ御下りになったと。化仏、観音様になって布教されたと。で、印度での布教の時代は観自在菩薩といいました。大自在天という神様が印度では治めておられたのでね。で、観自在菩薩と呼ばれていた。

で、伊都能売神は先程の話、天照天皇に御位を譲られて、にわかに崩御されたので、今度は天照皇后に譲られたと。で、今度は天照皇后と素戔嗚尊の話が出てくるわけですね。誓約を結ばれたと。琵琶湖を起点にしてですね、東を天照大御神が治めて、西を素戔嗚尊が治めると。そういう誓約ですけど、この誓約自体おかしいですよね。もともとは素戔嗚尊は朝鮮を任されてるわけですから。日本を任されてる天照皇后にそういうことを迫ること自体おかしいわけですけども、誓約も破ってですね、とうとう追放されたと。伊弉諾尊様に追放されてるわけですね。そういうことが書いてありますね。

素戔嗚尊の奥さんは乙姫です。素戔嗚尊自体が朝鮮を支配していたわけですけども、素戔嗚尊はあちこち行くので、奥さんが朝鮮を仕切っていました。すごく強かったんですね。で、北陸から朝鮮に流れ着いたのがですね、ここには書いてないですけど、浦島太郎ですね。朝鮮は日本の裏にあたるので、浦島太郎と言ったんですね。で、色男だったので、乙姫は囲って、長い間行っていて帰ったら玉手箱で・・とされてるように年寄りになっていたと。長い間居たんですね竜宮城に。ということが神話として、物語として残ってきてるわけです。

で、印度に居られた観音様がずっと中国の方へ布教してですね、朝鮮を通って日本へ帰ってこようとしたんだけども、乙姫が強いので帰れずに南支地方で亡くなられたということがここに書かれています。「観世音菩薩」というところにね。


結局は全て、元々は日本の神様ですよ、伊都能売神ですよという事が「伊都能売神観」ということで、書かれているということを言いたかったんですね。

それで次に「ミクラタナの神」ということで、天上の王権のシンボルであると。これは覇権主義では手に出来ないんだよと。ミクラタナの神様というのは。だから、素戔嗚尊には手にできないという事ですね。それから、創造主、宇宙の主宰者(主神様)から降る御魂であり、昭和元年 岡田茂吉教祖の腹中に宿った光の玉に、昭和25年「チョン」が入り「ス」となり、この時から『メシヤ(救世主)』という御存在になった。

これは、先生が「ミクラタナの神」としての神観として持たれての内容ですので、この内容でいいと思います。それで、ここに昭和元年と昭和25年と書かれていますが、これは重要な年でありますので、そこのところに何が起きたのかということで・・・ちょっと余談になりますが、これを調べてたらですね、メシヤ様の新婚旅行ということで、

 


メシヤ様の新婚旅行

資料1010-8(メシヤ様の新婚旅行)

8(メシヤ様の新婚旅行)

 

箱根塔ノ沢の環翠楼に新婚旅行に行かれたんですって。知ってました?東方の光を読んでいて出てきてビックリしたんですけども、私達が祭典をやっていたのは強羅の環翠楼ですので、違うんですけども、僕、一番最初に環翠楼で予約したらここを予約してしまったんです、間違えて。ここへ泊っておけばよかったかなぁと(笑)。祭典は強羅にしろ、ここへ泊っておけばよかったかな(笑)。

大正8年に日比谷大神宮で二代様と結婚式を挙げられました。新婚旅行は塔ノ沢の環翠楼だったそうです。これは、「東方の光」という本の上巻の218ページに書いてあります。今回、昭和元年のことを調べようとして、この時の話が出てきました。面白いので、入れておきました。ちょっと余談でした、余談というか、関係していたわけですね、環翠楼で。環翠楼で祭典をしたこと自体、何らかの関係があったと受け止めた方がいいかも知れません。

 

昭和元年 光の玉宿られる

資料1010-9(昭和元年 光の玉宿られる)


9(昭和元年 光の玉宿られる)

 

「光の玉宿られる」、昭和元年に光の玉が宿られたのですね。
昭和元年というのは大正15年です。大正15年(昭和元年)12月25日、夜12時ごろ神憑りになられます。
大正天皇が崩御されて、皇太子裕仁親王が継承、年号が昭和と改まったちょうどそのころ、教祖に神憑り、神の啓示を受けられます。これは、「東方の光」に書いてあるのです。壮快感で、口を突いて出てくると。で、一番最初に言われたのが、『神と筆を用意しろ』ということで、二代様は神と筆を用意するわけですね。3か月間に渡って啓示があったと。便箋3~400枚だったと。これは50万年前の人類史からはじまって、7000年前まで。日本の創成期のことが書かれていたし、未来の事も書かれていた。当時まだ起こっていなかった満州事変とか太平洋戦争とか戦後の世界情勢の事が御啓示あったそうです。この時にメシヤ様はいつもう御神業を終えて御昇天されるかって分かってたんだと思いますけどね。それで、はじめは何の事か分からなかったので、「ハテナ」と名付けたそうです、その御啓示を。で、戦争に入っていくので、その時代になると不敬罪とかいろんな問題が出てきますので、持ってること自体よく小説家とかやられますよね、宗教家も、大本教とかも弾圧を受けたりもしますので、そういうことで、もう焼いてしまったと。後にその中の一部で書いておかなくてはということで、書かれたのが「二十一世紀」という御論文です。その御論文は知ってると思いますけど。

この時の神は観世音菩薩という呼称で働かれた。仏教で言われる観音と同じ名であっても、その本体はまさしく神であり、この観世音菩薩が教祖の肉体を使って人類救済の大業を遂行することを知らされたのであると。で、「私の腹には光の玉がある。之は或最高の神様の魂であるから、私の言動凡ては神様自身が私を自由自在に動かしているのである」と。たゆまざる研鑽の結果、神示を契機としてみずからの腹中に光の玉が鎮まるとともに、それが最高の神霊であることを実感して、「私を機関として一切衆生を救わせ給ふのである」 ということが、「東方の光」に書かれています。

 


昭和25年 世界的大転換期

資料1010-10(昭和
25年 世界的大転換期)
10(昭和25年 世界的大転換期)


 

じゃぁ、次に、昭和25年。昭和元年、光の玉がお鎮まりになった、最高の神様であるわけですけども、昭和25年にもその光の玉にまた宿られるわけですね。

昭和25年の1月1日に、世界の大転換期に当たることを宣言されています。恐るべき大浄化的出来事が起こるんだということを、すでに警告されていました。

1月30日に中島一斎先生が御帰幽になられてしまうと。

2月4日に、世界救世(メシヤ)教が発足します。日本観音教団と日本五六七教会が発展的に解消して世界救世(メシヤ)教に。で、開教の辞が出ますね。観音様は御本体たるメシヤとなられ、神の働きとなられたと。

この観音様の時は大先生と言ってました。で、メシヤとなられた時に明主様と呼ばれてます。善言讃詞に「メシヤとならせ」と入れたのもこの時です。

昭和25年という年はスゴイ年なんですね。

3月5日、五六七大祭ということで、『どうしても全人類を主宰し給う主の神即ちエホバの絶対力の発現である』ということを言われています。

3月6日、教義が出てます。そこには『抑々、世界の創造主たる主の神(エホバ)は・・・』

4月13日に熱海の大火があります。

5月に「光」新聞が、「救世」新聞に、機関紙がかわります。

5月8日に法難事件が起こります。

5月29日から6月19日の22日間、拘留されて取り調べを受けられます。

6月15日に昭和元年、神の御啓示によって教祖は腹中にある光の玉を自覚されて、これは救いの光の根元(源)なんだということを言われて、その光の玉に最高の神様の魂が天降ります。これを「ミクラタナの神様」と後に先生が発表されたという事ですね。

 

昭和25年―2

資料1010-11(昭和25年―2

 11(昭和25年-2)


昭和25年の二つ目にいきますと、調べていたら興味が出てきて余分に書いてしまった感じがありますけども、この資料自体は出せないので、今はアップしてありますけども、消しますので。

当時の側近者の残されたものから。

25年の8月に早雲寮を日光殿と改めます。で、「メシヤ観音」様を御奉斎。「メシヤ観音」様というのはここ(三救)の入り口にありますね。

で、縦と横の「散花結実」を1000体御下附されてます。

8月の初旬に集団浄霊を始められたんですね。『浄化は神様に一番近いところから始まって他の宗教、日本全体、それから外国に拡がってゆく。だから、治療力を看板にしているメシヤ教幹部たちがボコボコ死んだらみっともないから始めたんだ。それに、本当の僕を理解していなかったり、間違ったことをしている人も多いからね。』という言葉を言われています。

それから、これね、江川カツトシさんという人に言われたんですけども、『会長たちは大名であって、あなたは僕の旗本なんだから、・・これ、あなたはというのは江川さんと井上茂登吉先生のお二人に書かれてたけど、僕があなたはとしましたけども・・僕の旗本なんだから、無位無官でいる方がはたらきいい・・』という事を言われています。こういう言葉から見ても、結構幹部たちがメシヤ様の意向からズレてってるというところもあるという事が伺えるのではないかなと思います。

それから、『浄霊を受けると、受けた人の本霊の働きが活発になるんだ。人間に本霊と副霊と二つの働きがあるのは知っているだろう。浄霊を受けさえすれば、四角張った説教をしなくても本霊の働きが自然に働いてくるから魂が浄化されて人を救う心を起こし、自分も幸福になれるんだ』ということを、江川さんという方に仰ったお言葉です。

8月23日にはですね、「救世」が「栄光」と「地上天国」というのに変わります。この時の、8月23日の時の話ですね、先程冒頭に私の挨拶に入れさせてもらったのがですね、「月次祭があっても大祭がありませんが大祭をなさっては?」ということで、さっきの江川さんという人が聞かれてるわけです、メシヤ様に。すると、「神様はご自分から祭りをしてくれとは決して仰るものではない、信者の方からどうぞ御祭りをさせて頂きたいと申し上げなくてはいけないのだ」というお言葉をいただいたと。で、江川さんが準備して秋季大祭を仕切られたと。だから、幹部方を差し置いてという。後には幹部になられてますけども。そういうことであったようです。

だから、分かった人がやるという事ですね。

 

昭和25年―3 浄霊法変わる

資料1010-12(昭和25年―3 浄霊法変わる)


12(昭和25年―3 浄霊法変わる)

 

25年の9月の時には、これ、御神名の事で色んな御神名が出てくるので、25年の9月には『五六七大神様の御前に・・・』出てきてますよね。

25年10月には「法難手記」が発刊されました。

11月20日には「救世(メシヤ)教早わかり」が発刊されました。

12月27日に「浄霊法変わる」、昭和25年の大事な年の最後に「浄霊法変わる」ということで、栄光の84号のところにですね、『今回、御神事により浄霊法が変る事になったから、今日以後其通りにされたいのである。之は霊界が最近非常に変わって来た為で、それに基いた事は勿論である。今迄の浄霊法はどちらかと言えば霊と体との両方が加味されていた。というのは掌から霊を出す場合ある程度力が加わったのである。力 即ち 体 であるから、それだけ霊の力が減ずるわけになる。(中略)処が、今後はそれが著しくなり、絶対体的力を抜き、霊のみを放射するのである。之を詳しく言えば神霊の光が私から霊線を通じて、みんなの御守りに止どまり、御守りから其霊光が掌を通して病人の患部へ放射されるのであるから、之からは出来るだけ力を入れないように、軽い気持ちで霊を放射すべきである』と。

ハッキリと浄霊法かわるということで、理由を説明されておられますので、どう考えてもですね、直接浄霊とか探査の浄霊とかに戻るんじゃないんですよという事です。

昭和25年の一番重要な年の最後に「浄霊法変わる」ということで、医療法に関係してるとか、そんなこと抜きで本当の信仰上の話の中で、体的力を一切抜くんだということで言われてるわけですから、これをこのお言葉通りにやっていかなくてどうするんだということであります。

 


昭和29年 如意宝珠の力は救世主にだけ与えられる力

資料1010-13(昭和
29年 如意宝珠の力は救世主にだけ与えられる力)
13(昭和29年 如意宝珠の力)

 

もう少し調べていて、重要だと思ったのが、昭和29年の話で、そこに書かれてる29年、最後の最後の時に色んな神様の型をされてたんだと。

要は、御働きの型をされていたんですね。

ということで、如意宝珠の力は救世主だけに与えられる力ということが中心ですけども、

4月28日、『メシヤとして私の御神格が非常に高くなった。これからは、我を出さず素直になるように努めなくては御奉仕は許されなくなる』と、側近の方に言われたそうです。

それから、『これからは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念である。お念じしなさい』

二の問題っていうと、浄霊を疎かにしろって言ってるんじゃないんですよ。まず、御祈願してメシヤ様にお願いして浄霊をすると、いくらでも御守護頂けるよということを言われてるわけですから。なかなか受け止め方がね。

5月6日、『新しくメシヤとして生れた私に、如意法珠の力が授けられた』『これは救世主にだけ与えられる力で自分もびっくりしている』ということを言われています。5月6日というのがすごいね、話をされたのが。5月5日の次の日だよね。如意宝珠の力自体がですね、ミクラタナの神様だと思いますね。珠(たま)ですから。

5月12日、『これからはミロクの型をやる』と。もうだから、色んな型をやられてますね。ミロク大御神ってさっき出てきたけども、そういう時ミロクの型もやって・・メシヤ様はミロク大御神でもあったわけですね。

で、『今までと違う。これからは自らが神様へ心からお詫びとお縋りする想念が大事なのだ』と言われています。

5月13日、『想念による新しい浄霊を発見した』これは、どういう浄霊か分かりませんけども、想念による浄霊を発見したと。

5月20日、『メシヤに生まれ変わったのではなくて生れたのだ』

5月21日、『今、三千年前の型をしているのだ』と。三千年前だから、国常立之尊様の時代位の型をやってるんだというのがあったのかな。だから、全ての歴史をずっと型でやっているのかなという。

5月22日は『嬰児の型だ』と。赤ん坊のようになられたらしいですね。それから、メシヤ下生であらせられた事を話される。

5月23日、隣家火災。短冊を書いて火事場に投げよと言われて投げたらしいです。残ってたらしいです。御文字が残ってたらしいです。『この火事に意味があり、この日を境に今までの乳児ではなくなった』という話がありました。

5月29日、天下筋ですね。『こんな手の筋が出来た』ということで、このことは昭和6年に知らされていたと言われています。

親指は意味合い的に全指の意味の総括。全部の指それぞれに意味があるけども、総括的なのが親指なんですって。

人差し指は一切に指図する

中指は天下統一

薬指は文学、美術、音楽、芸能、あらゆる芸術を当らせる

小指は美術収築、地上天国建設、財運

こういうのが、真っ直ぐピーっと指の先まで線が入ったと。それを天下筋と言うらしいです。それがメシヤの証。手にメシヤの証を持って生まれるっていうのがそういうことだったらしいです。実際に掌に出てきたんだよと。

 

世界で最高の位を持ってメシヤ様はお顕れになられた


資料1010-14(世界で最高の位を持ってメシヤ様はお顕れになられた)
14(世界で最高の位)

 

で、世界で最高の位を持ってメシヤ様は御顕れになったということで、6月5日にね、碧雲荘の庭に筵をひいて幹部500名を並ばせましたね。『網戸を外せ』・・意味は分からないんですけど、『随分若くなったという話だが・・・メシヤ降誕と言ってね、メシヤが生れたわけで・・・メシヤというのは世界一で、世界で最高の位です。西洋では王の王ということになっているが、キング オブ キング といって、その位を持っているんで、私が出て初めて人類が救われるんだから大変な事件なのである』

「位」というところが大事かと思います。

で、6月8日、熱海かな?熱海の中屋というところ。ここは『天の岩戸開きの場所となる』ということを言われています。

6月12日には、岩戸開きの御神業をされて、『岩戸開きが終わった』いうことを言われてます。

6月15日に、大草管長からの発表で、明主様と呼ばせていただいていたのをメシヤ様と御尊称するようになったんだよということで、この時の管長の話で、西洋では「メシヤ降誕」と言いますと。東洋では「弥勒下生」と言います。日本では6月15日は天照皇大御神様の御誕生日です。で、30年3月3日に水晶殿、メシヤ会館の盛大なる完成式を予定してますよという発表があります。

そういうことを合わせて考えるとですね、「天の岩戸開き」も、「弥勒下生」も「メシヤ降誕」も全て世界で最高の位を持ってメシヤ様がお顕れになられたことを指していると受け止められると思います。

 

メシヤ様が御降臨されたことは後から分かる神仕組み

資料1010-15(メシヤ様が御降臨されたことは後から分かる神仕組み)

 

15(後からわかる神仕組み)


それから、メシヤ様が御降臨されたことは後からわかる神仕組みということで、

29年6月22日、日光殿のメシヤ観音様を御尊影に換えよ、ということで、本金のお額(三救御神前の御尊影を見ながら)、この御教え通りにしようとされたということ、メシヤ様の御言葉通りにね。

6月24日、日光殿の大光明如来の御神体を御尊影に換えて御簾を下までさげる。本当はそうなのかもしれない。あまりにも恐れ多くて、光が強いのでという事でしょう。という風にされてます。

6月25日から3日間、日光殿で御簾を下ろして、電気を消して、天津祝詞で・・(これは天の岩戸開きの型ですね)・・「天照皇大御神守り給へ幸倍賜へ」。

だからね、ずーっと天照大御神の御神名でいくって全然一言も言われてませんからね、そういうところを勘違いする人もいるかもしれませんけども。日本の型もされたよという事です。

7月4日、「現身のメシヤ様の「御尊影」を御神体として礼拝させて頂けば官憲はどのように誤解するか分からない。御神体を元の「大光明如来」にお掛け替えをお願いさせて頂きたい」ということで、そういわれたので、メシヤ様は『よろしい』と。だから、皆さんの気持ちがそんなだったら『よろしい』という事ですね。もう、取り下げたということです。

だけど、7月9日、『メシヤ降臨について世界に一辺に知れ亘ると邪神の妨害があり、大変なことになる。メシヤの仕事が進むにつれて、メシヤが降臨したことが、後から分かるように神業は御仕組遊ばされている』

すでに、もう降臨されてるわけです。だから、認識ということが大事なんですね。先程の話、祭典をお祝い申し上げますということですから。降臨されたということを認識してなければ何もない。だから、あなた達から言うんですよということ、祭典をさせて下さいということを。だから、3月3日に祭典、やっとその時に認識出来て、させて頂きたいということで、させてもらえたということは、そういう人は既に居られるメシヤ様を認識出来たということですね。そういう気持ちで行ってる人はね。そういう祭典だったと。既に居られるわけですね。神様が憑られるとか憑られないとかそういうんじゃなくてね、認識できるかどうかが大事なんだと思います。

それから、ちょっと怖い話が7月11日に、「真に水晶世界になる時は薬毒は一瞬にして消す。ただ、この時に多量に薬毒が入っている者は命を失うこともあるんだよ」ということです。表には出てないことだと思いますけども、「一瞬にして消します」

 

参加者

今もその一つの始まりだね

 

三救責任者

だから、今も大量に薬が入っていて免疫力が弱ってる人というのはですね、コロナなどによってもですね、生命を落とす人もいるよということです。

 

参加者

もっとこれから出てくるって事だね。

 

三救責任者

もっと出てくると思います。

 

それから、7月12日、『既に教えの一切を表した』と。

今、全集なんかは年代別に並んでるので分かり難いと思います。そういうのを体系立てて整理していくということが、大事な、残された弟子の仕事じゃないかなと思います。

7月13日、『人類救済のために余を真似よ』と仰っています。

これは、景仰とかに出てくるようなメシヤ様の御姿をですね、先生もよく景仰を取り上げられて、景仰を如何様に拝読するかということで書かれてましたけども、こういうことを大分意識されておられたんだなぁと、こう書いていると、先生が見られてたものが分かってくるような気がします。

 

メシヤ様が御降誕なされた認識を持つ

資料1010-16(メシヤ様が御降誕なされた認識を持つ)

 16(メシヤ様が御降誕なされた認識を持つ)


それから、メシヤ様が御降誕なされた認識を持つということで、

『いと高き御位を後に御救の為に弥勒は下生しませり』という御歌をですね、この時に『下生ましませり』って直されています。文法的には良く分かりませんけども、感覚的に「下生しませり」っていうと、下生するんだよっていう風に僕は受け止めたんですね。「下生ましませり」って、もう下生されてもうおわしますと、いう風なことを知らせたいが為にわざわざこういう風に直されたんじゃないかと受け止めました。だから、弥勒下生もなったんだよということです。

それから、7月25日、メシヤ様は『30年3月3日にメシヤ降誕祭を執り行う』とお決めになられた。

この時の話を言われてたんですね、30年3月3日ということは。昭和30年の3月3日には出来なかったので、平成30年3月3日にやらせて頂くという、認識を持ってやらせて頂く。認識を持っていたかどうかは分かりませんけども、ということです。だから、その時に降りてもらうんじゃなくて、もう降誕されていて、御働きされていたんだよ、だけども呼び方自体を、メシヤ様と呼ぶこと自体を幹部の方から取り下げを言ってるわけですから、それのやり直しということで、させて頂いた。自分達はずっとメシヤ様って御呼び申し上げてるわけで、そういう認識を出来てる人がもっと増えていけばいいと。

それから、7月26日に、昭和29年6月15日から本当の世界歴史が始まったのである、ということを言われてます。

そして、8月1日に、現在の体の状態では、まだメシヤとしての活動を十分に尽されない感があるから従来通り明主の言葉にて唱えるように、ということを、幹部からの話をこういう風に戻されたということです。

それから、12月14日、これはね、樋口先生に、ハワイに行かれた樋口先生に・・(本当のギリギリでハワイに行かれてるんですね、世界布教という、アメリカを救うということで行かれてる)・・アメリカ行きが早くなった。お前は神様がついて行くから身体だけ行けばよい、ということを言われてます。で、今までは考えて物をするということもあったが、メシヤとなってからは全くそれがなくなった。メシヤの都合で予定が急に変更することがあり、まるで分らぬ、ということを言われてます。

12月22日、日月地大御神(みろくおおみかみ)、日月地(じつげつち)のね、守り給へ幸倍賜へ、という御神名で参拝されてるようです。メシヤ様が参拝されるというのじゃないですからね、メシヤ様に対してだと思います。

12月23日、メシヤ様に御祝詞を申し上げてからね、御祝申し上げますということを言って、御神床の千手観音様、この時も御神床には千手観音様がかけられてたよということで、千手観音様の働きをしていくというあらわれだったと思いますけども、千手観音守り給へ幸倍賜へと言ったわけではないです。多分、ミロク大御神守り給へ幸倍賜へだったと思います。だから、これも形として御神床に千手観音様ですけども、千手観音様の働きをしていくということで、メシヤ様に対してだと思います。型をしているんですね、色んな。千手観音様の型であり、ミロク大御神様の型であり、そういう型をされている。

で、12月31日、『1月1日の午前零時に千手観音を救世会館にかけなさい』ということで、最後の時にかかってたのが、千手観音だったというのはここから来てるわけです。初めからやりなさいって事かもしれないしね。千の手を持って衆生済度を救っていく、そこからやろうってことかも知れませんし、全ての型をなされていった昭和29年ね。で、重要なのが、明主に戻したけども、メシヤ降誕されてるわけですから、メシヤ様になられてるわけで、幹部がメシヤ様と御尊称できなくて取り下げを申し出たけども、認識の不足であって、結局メシヤ様となられて御神業されてることに変わりないということですね。だから、メシヤ様はメシヤ様です。自分達が呼べないだけであって、メシヤ様になられてるんですよと、その認識があるかどうか、そこの認識だと思います。これを見てると、本当に色んな型をされてますからね。一気にされていったんです、昭和29年、この時もうすぐ御昇天されることが御自分ではわかっておられるのでね。

 

これからは想念が大事

資料1010-17(これからは想念が大事)

17(これからは想念が大事)
 


それから、これからは想念が大事。

私にしっかりお祈りし御守護をお願いして御浄霊をすれば大抵な浄化は治せるよと。

2月10日、午後3時33分御昇天。

2月11日のお通夜で、御神体、これは御尊体と書いてありましたので、メシヤ様ですね。それから、御尊影があって、二代様が先達で、主之大御神守り給へ幸倍賜へ、日月地大御神守り給へ幸倍賜へと、この時に唱えてます。分かっていてかどうか分かりません。唱えさせられたのかも知れませんし、これは大本教の関係の方でも主之神、主神ということが出てきますので、ここはちょっとあれですけども、だけど分かってる幹部もいたんでしょうね。現界ではミロク大御神様ですけども、主神様、全ては主神様。この御神名は別にこれでいいかと思いますけども。そういうことだと思います。

で、初めから昭和25年ごろから知らせてあっただろうという事があって、

「和光同塵の 衣をかなぐりすつる時 いよよ来にけり 心せよみな」

というのは、メシヤ様御昇天、御神業を終えて御昇天していくということは、歌に残してきたんだということで、どの歌がと探した時にですね、幹部の方がこの歌だろうと。

 

幸福への扉

資料1010-18(幸福への扉)


18(幸福への扉)

 

で、幸福への扉ということで、先生の書かれてる、『使命に基づいて知らされたのだ』ということで、メシヤ様の御神格を認識さえすれば絶大なる御力をいただくことができる。幸福への扉は自らの認識と行動によって一段と開かれるんだよ、ということが書かれています。これ、いいフレーズだなと思って書いたんだけども、『幸福への扉』ね。先生、詩人だよね。

 

で、ここまでなんだけど、ちょっと余談になりますけども、10月ということで関係してるのでね、これは去年作った資料ですけども、

 

岩戸観音堂の立て札は何故日の出観音様?

資料1010-19(岩戸観音堂の立て札は何故日の出観音様?)

19(立て札)

 

岩戸観音堂の伊都能売観音様のところ

.に書いてあるのが日の出観音と書いてあるんですね。行かれた方はご存知かと思いますけども、ここで、なぜかな?って思った時にね、

昭和9年11月3日、地崎宇三郎さんが福島へ用で行き、旭日昇天の様を拝し見てメシヤ様からお話のあった観音様は「日の出観音」と名付くべし。肝銘を得申し候。・・肝銘というのは感銘するとか、深く感じるということですね。メシヤ様からお話のあったのは、名付くべしって、ここだけを読むと自分で朝日が昇って来たのを見て日の出観音だって決めたようにみえますね。ここだけ見ると。その次のところで、

御神体の命名は既に地崎氏が準備されていたので岩戸観音堂宇としての名となった。岩戸観音堂としたと。だから、ここに地崎氏の考えが大分入ってるね。で、本堂にはメシヤ様直筆の日の出観音様を御本尊としたと。御諭示に基づき『日の出観音』と白木の掛札をかけた。御諭示というのは、文書で諭し示すことですから、命令されたというのと一緒ですね。だから、直接メシヤ様かどうか分かりませんけども、教団の方からね、この時まだ観音教団、話されたのが、日の出観音としなさいと。僕はメシヤ様と思いますけどね。で、両方合わせ考えてみるに、自分で感動して日之出観音と名付けたのではなく、メシヤ様からのお話で日之出観世音と名付けた。メシヤ様から掛札のご指示あり。メシヤ様から掛札に対して御指示があったんだと思われます。だから、メシヤ様が「日之出観世音」と名付けたんですよ、と受け止める方がやっぱり良いかなと思います。

 

メシヤ様は日之出観音様をメシヤ観音様と名称を変更された

資料1010-20(メシヤ様は日之出観音様をメシヤ観音様と名称を変更された)

20(メシヤ観音様)

 

じゃぁ、それを自分なりに考えてみますと、メシヤ様は後年、日之出観音様をメシヤ観音様と名称を変更されましたと、箱根美術館に行った時にこの話が書いてあったんですね。日の出観音様であり、後々メシヤ観音様という名称になったと。これ、非常に名前に意味があると思いまして、最初命名した時は「日之出観音」様と命名したわけですね。でも、実際の絵姿というのは「伊都能売神観」様だったと。で、「日之出観音」としての御神名の変更は「メシヤ観音」ということで、後々されてるわけですね。そういう事を考えるとですね、最初の命名の「日之出観音」というのは「日」ということですね。絵姿は「日月」ですね。「メシヤ観音」というのは「日月地」になります。ここで、すべては一神、主神様御一方に帰一していくんだよということを、ここの「日之出観音」の掛札の名前と伊都能売観音様の絵姿だけ捉えてもですね、そういうことを何も分からない信者でない方、ここは信者でない方も参拝されますので、知らせたかったんじゃないかと、これは僕の考えです。要は絵姿ではない、形ではない、御神名が大切なんですよ、言霊がね大切なんですよ、ということを思いました。

 

組織にとらわれず誰でも参拝の許される神社

資料1010-21(組織にとらわれず誰でも参拝の許される神社)

 21(誰でも参拝)

で、ここは、組織にとらわれず誰でも参拝の許される神社ですと。同じように加良比乃神社も誰でも参拝できる。そういうことに、大きな意味があるんじゃないかなと。いついつじゃないといけないとか、誰と誰が来ないといけないとか、そういうのではなくて、自分の気持ちで参拝すればいいところでありますよ、という事が言いたくてですね。だから、組織で固まってという所じゃないじゃないですか?○○教団が持ってるわけでもないし、○○教が持ってるところでもないわけですから、そこが分からないと。誰が来てとか、どうとかという所ではないと。自由に参拝してくださいという事です。

 

一般の人にもわかるように 何を?(資料の中央)  ということで、

日の出観音様ね、名前だけ見ると、太陽が元の神様ですよって、それだけで分かりますよね。

それから、菩薩の位から。観音っていうのは菩薩ですよね。菩薩の位からキング オブ キングス 、メシヤ観音と言うのは、メシヤと言うのは キング オブ キングス になりますので、キング オブ キングスの位まで上がられるんですよという、暗黙ではないですけども、そういうことの意図があったんじゃないかなと。

で、伊都能売観音というのはですね、イという字、人偏がついてますよね、これは人間であって、日の出観音の意味合いが分かる為に伊都能売のお働きをされるんだよと。イズノメ神ことメシヤでありけれということが、神界通信で出てますよね。メシヤというのは人間の名前です、ということも言われてます。

 

 『⦿』 の言霊

図―1

図ー1

 

ここに出てきてないけど、最後、伊都能売観音様のところもですね、先生は口をついてでてきたというのは、「主之大御神」の御神名が出てきたというのは、ハッキリ言われてますので、「ス」の言霊というのはどれだけ尊くスゴイのかを教えて下さっています。「ス」の言霊を発することが許されるよう学び続けているんだと言えます。学ばせて頂ければ頂くほど御神名に異議をさしはさむ余地などないのではないでしょうか?

意味合いとしては全てが帰一していくわけですから、何て呼んでようと主神様ですので、自分が認識してそう思った御神名であればいいわけで、こういう御神名でないといけないというものでもないですよと。だけど、私達はこの ⦿ まるにチョンの御神体が許されて、主之大御神様と気持ちよく御神名を唱えることが出来るじゃないですかという事ですね。また、加良比乃神社の方ではきちんとミクラタナの神様、伊都能売の神様として天照大御神様として、普通にその御神名が言えるところを用意して下さっているということに感謝してですね、意義を求めるというのがいいのではないかなと私は思います。

 

何か質問がありましたら・・。よろしいですか?

 

では、終わらせて頂きます。

 

司会

以上で三救祭を終わらせて頂きます。

 

参加者一同

ありがとうございました。