覚りの旅 令和3年1月度 勉強会を終えて
令和3年1月
覚りの旅 令和3年1月度 勉強会を終えて
三救責任者挨拶
新年祭おめでとうございます。
参加者一同
おめでとうございます。
三救責任者
初めに昭和25年年頭のメシヤ様のお言葉を拝読させて頂きます。
『地上天国』12号、昭和25(1950)年1月20日
いよいよ一九五○年、昭和二十五年の年になった。というだけならいつもの年と変りはないが、
それを具体的にくわしく言いたいが、遺憾ながら発表は許されないのである。したがってここでは、差支えない点だけを発表してみるが、夜昼転換とは言うまでもなく、暗黒世界が光明世界に移るのであり、悪が滅び善が栄える時代となるのである。濁が清となり、害あるものは滅し益あるものが残るのである。キリストの唱えた天国も、釈尊の言われた弥勒の世も、この事でなくて何であろう。とすれば何と喜ばしい一大慶事ではなかろうか、といってもそれは善人に対しての事で、悪人に対してはまことに気の毒というの外はない。こういう事をいうと、よく宗教家の言う、都合のいいお題目と見る人もあるかも知れないが、今度は断然違うので、今年こそは右の萌芽が表われるから何人にも見えるであろう事を今から警告したいのである。
資料1-1
昭和25年というのは1950年です。夜昼転換の節であると。
それから、地上天国、弥勒の世というのが・・そういう兆しがあるということですね。
暗黒が光明になり、悪が滅し善が栄える。そういう萌芽が表われる。
萌芽というのは物事の起こる兆しだということです。
資料1-2
その次に、これは昭和25年の年頭の挨拶であって、昭和25年は世界救世(メシヤ)教の創立と。
世界救世(メシヤ)教創立があって、御法難が起こって、6月15日にはミクラタナの神様がメシヤ様の御腹中に宿られると。そういう年ですので、誰にも見えるであろう事を今から警告したいのであるという所がですね、御法難というのは誰にでも分かりますよね、そういう事が本当に起こってきたと、そういう事が言えるかと思います。
そうした場合にですね、30行目のところですね、
『地上天国』23号、昭和26(1951)年4月25日
昭和六年六月十五日の黎明期が、十年後の十六年六月十五日で、この時も一大神秘があったが、本年は二十年目に当るので、六月十五日以後は、いよいよ現界に物質的大変化が起るであろう事も想像され得るのである。
この昭和六年を起点として、今年は九十年目になります。大きな節目の年であるわけです。
と書いたんですけども、
資料1-3
昭和6年、鋸山で夜昼転換。これを起点と書いてあるのでね。で、10年後というと昭和16年、20年後が昭和26年、30年後は昭和36年。
これ(資料1-3 昭和26年 を指して)は昭和25年の翌年に当たります。大きな節であるわけです。
昭和36年、これは30年ひとくくりというのがあるので、その時に地上天国・・この時に兆しが表れているので、そういうことを思われてたわけですけども、昭和30年にメシヤ様はお亡くなりになられて上手くはいかなかったというのがありますね、昭和36年というのは。だけど、大きなことが起こってるわけです。
で、今、言いたかったのは平成3年が60年になるんですね、で、90年が今年なわけです。これを言いたいのね。
夜昼転換、昭和6年を起点とした90年。節目節目に色んな事が起こってくるというか、発展の兆しがあったり、まぁ、発展の兆しとともに破壊と創造ということで起こってくるので、この前後というのは今年から含めてですね、当然色んな事があるだろうと。まぁ今回はコロナということがありますけども。そういう事であります。
資料1-4
で、今年はご存知のように 「辛丑(かのとうし)」 なんですね。
「辛(かのと)」 というのは、痛みを伴う幕引き。
「丑(うし)」 というのは、殻を破ろうとする命の息吹。
これは辞書で調べれば出てきます。そういう年であります。
「殻を破る」って何だと思うでしょ? ご存知です?
参加者
いえ
三救責任者
これは新聞に載ってたわけですけど、60年ぶりの年。当然60年ぶりですよね。60年をひとくくりとして回ってるわけですから。
謹賀新年、辛丑の年が明けた。辛は痛みを伴う幕引きを、丑は殻を破ろうとする命の息吹を意味するということだそうです。それで、それを調べるとですね、この字、「辛」はですね、からい、つらい といった身体的な苦痛を伴う感覚を表している、ということで、だから痛みを伴うと。で、これは十干と言って生命のサイクルを「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」と十で表している八番目になるんですね。そうすると、季節で言うと秋の終わりごろ、植物なら枯れた状態にあり、実は腐って地面に落ち、次世代のタネを大地に還す途中というくらいの感じ。この漢字自体がね。それで、この字は、前も同じような事を書いたけども、刺青をする針を表した象形文字で、針で刺すことから身体的な苦痛を表わす言葉に当てられ、ツライ、カライ、ヒドイなどの意味を持つと。そういう事を考え合わせると、この字は思い悩みながら、ゆっくりと衰退していくことや、痛みを伴う幕引きを意味するんだ、ということで、ここが出てくるわけですね。
で、「丑」というのは子、丑、寅・・・でいくと二番目に位置しますということで、これは生命のサイクル十二段階で表すと二番目ということで、「丑」というのは発芽直前の曲がった芽が趣旨の硬い殻を破ろうとしている状態で、命の息吹を表していると。種の中に今にもはち切れそうなくらい生命エネルギーが充満している状況と言えば分かりやすい、ということで、だから、動物のうし というよりも十二のサイクルの二番目ということで殻を破ると、そういう事だそうです。
だから、何かを始めるとか、辛いことが終わって始まるとか、そういう事が言えるかと思います。
昭和36年、1961年、この頃というのは3年後の東京五輪に向け・・よく似た状況ですねぇ・・、経済は活気づき、坂本九さんの歌「上を向いて歩こう」が流行した。ソ連のガガーリン飛行士が有人衛星の地球1周に初成功した年。しかし、一方では東ドイツで起きた冷戦の危機ということでベルリンの壁を構築された年でもあると。
で、そこに関して言えばですね、ベルリンの壁というのは平成元年(89年)に壊されたということと、坂本九さんは85年、御巣鷹山の日航機墜落事故でお亡くなりになったと。ガガーリンは68年、飛行訓練中の墜落事故で亡くなられています。
節目の年ということを言いたいんですけど。
資料1-5
それで、30年後の昭和36年に関して、53行のところで、
本来昭和36年の6月15日で一段落ついていないといけなかった・・さっきの昭和36年ですね・・だけど、メシヤ様が御昇天されてしまったために一段落つかないまま、それでメシヤ教の御神業というのはこの一段落をつけるために進めているんだということを先生はお話されておりまして、だから、主神様に真向かう、メシヤ様に真向かう姿勢を整えるということで、祝詞の奏上と御神名奉誦の違いを〇〇教の方は教えてこなかったので、そういう事を御神名、祝詞、今の祭典の方式ですね、ここを大事に、先生された理由というのを学んできたのに、この節目の5月5日の祭典においては昔ながらの〇〇教の祝詞の奏上の仕方であったよ、ということで、ブログ(5月6日)に投稿した。
それが言いたいというよりも、祝詞の奏上ということについて、きちんと参拝の形式を整えて来られたんですよ、そういう事を継承していきたいですよね、という話ですね。
それから、90年後が令和3年にあたりますよと。これについても、29年6月の時にメシヤ講座で話をしておりまして、81行のところね、
その次の30年は何かというと2021年6月15日なんです。これは平成33年になるんです。あればですけど平成が。
ということで。平成33年にあたるわけですね。令和3年ですけどね。そういうことで、数字でも表われてるよという事ですね。
資料1-6
それから、「激動の令和三年のスタート」ということで、94行目から書かせて頂いております。
ここでは、 「世界救世(メシヤ)教教義」を出発点に~太初よりの御経綸を信ずるのが信者~ ということで、「経綸」。言いたいのが、これね、メシヤ様は観音講座も重要視されて、入会教習に観音講座という話をされておられましたけども、浜松のメシヤ講座の中で、教団改革の原動力となった観音講座ということでお話をされておるのがですね、
観音講座第一講座というのがあります。昭和10年の7月15日なんですね。これはメシヤ様が当時入会してくる人のためにお話をした内容ですが、ここには主神の御目的と天地経綸の真相が書かれております。
そういうタイトルで観音講座があるわけですけども、 主神の って書いてあるね。主神様の目的と天地経綸の真相、この経綸っていうことね。ここをちょっと読むとですね、
主神が何の為に宗教を造られたかと言うと、宗教は彌勒出現迄の世界人類をして、或程度以上の堕落をなさざらしめんが為の必要的限定的の経綸であって、主神は一方悪の活動を許容され、物質文化を開き、一方其の悪に因る弊害を甚しくせざらんが為に諸々の人傑を出し、宗教なるものを弘通せしめ、善悪を巧妙に織られたのである。故に今日迄の経綸は善悪、明暗、美醜、相交じりつつ流転活動し、進歩し発達し来たのである。
ということで、主神がとか、主神のとか、主神様は・・主語が主神様ということで、観音講座といえども天照大御神様じゃないよと。全部主神様が元ですよということが書かれているわけです。
で、先生も「ああ、メシヤ様は昭和10年から主神様の御経綸を御説きになられたのだ。」ということを、この時に御論文を読んでですね、この経綸の意味も全部主神様の御経綸だということを覚られたというか、解釈、理解をされたわけです。だから、当時先生方が主神様の経綸ということが十分に認識出来なかった為に観音様から始まってミロク大御神様という信仰をずーっとして行くようにメシヤ様はせざるを得なかったんだと、そういう捉え方ですので。
資料1-7
そういうことで、今度は「教義」ということで、171行のところへ行くとですね、
『世界の創造主たる主之大御神(エホバ)は、此(この)地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行はせ給いつつある』ということで、経綸と言えばここでも主語というのは、これがね、元々は主の神(エホバ)だっていうことの問題では無いわけですよ。主の神であれ、それは丁寧に言えば、メシヤ様が言われてるから主の神、主神っていう言葉を使われるわけであって、元々丁寧に私達がいう時には主之大御神様と言うんだよということで。ここは改ざんじゃないのでね、そこを間違えてはいけないなと思います。
資料1-8
主神様のことを『表現し奉る言辞もない』と、それほど大きい御存在なんだということが書かれております。
だから、ここもですね、先生も救世(きゅうせい)教の教団の偉い先生方からも言われたらしいですけども、そう言いながら主神はって言うんですね、そういう先生方。主神は表現し奉る・・こういうとこを捉えてね。だけど、分かった上で出されていると。そういう御神名を唱えさせて頂く参拝の精神を整えてきたんだということが分ってないと、全然先生のやられてきたことが何も分かってないということになりますので。
だから、「宗教と科学の一致」という、ここに書かれているのも、我々の遺伝子は二重螺旋構造ですと。これはだから、二重螺旋があったから生命が生れてくるんだと。生命を繋いで行くと。だからこれは、ある意味科学を解明してくると分かってくるということで、「宗教と科学の一致」という。だから、この科学ということもですね、現代の科学の発展というのが段々と宗教に追いついてくるんだということで、そこのところも重要視されて、メシヤ講座でお話下さったということが分っていかないといけないと思います。
資料1-9
「世界救世(メシヤ)教 教義」を自分たちに置き換えて捉える ということで、171行からですね。
分かりやすくお話下さっておられるのが、自分の身に置き換えて捉えましょうということで、御経綸というのは地上天国を造っていくんだと、まず家庭に、家庭を天国にしていこうと、地上天国を造る家庭造りということをやっていきましょうということで、ここに書いてありますけども、202行のところからちょっと読みますと、
そういうふうに捉えて頂くと二重に捉えて頂くことができます。ですから地球が出来てきてから今日までの御経綸のすべては、この地球上に地上天国を作るという御経綸がずーっと有るのだ、と。それで我家を天国にするためにはこういう考え方を持っていかないと天国にはなって行かないのだ、と。自分自身が天国を造っていく主体である、と自覚して頂くためにこの教義というものがあるのだ、というふうに受け止めて頂いて、しっかりと地上天国の家庭造りをして頂きたいと思います。
こういう話ありましたよね。例えば、
○○家で譬えますと「そもそも〇〇家の主(あるじ)であるHは、この〇〇家を天国にするべくYと結婚した時から懸命に働いてきたのである、ということを私は信ずるのである。」
そういう風に置き換えると分かりやすいんじゃないですかということをお話下さっております。
資料1-10
次に 「令和2年1月 覚りの旅を終えて」
ここではですね、御教え『人間とは』、『神格を頂く道』、ここのことを、1月の挨拶として書いたわけですけども。繰り返しになりますけども、先月話したかな? 神憑り宗教の話。『「祈りの栞」に寄せて』 『入門と奥座敷』の中に出てくるですね、『神格を頂く道』というのは、元々のタイトルは『神憑り宗教』であると。
毎朝『神格を頂く道』を拝読させて頂いていますが、この御教えのタイトルは『神懸り宗教』です。
全文を拝読させて頂きますと、メシヤ様は『神憑り式や、奇妙なる言動を非常に嫌はれ』『常識』を非常に重んじられたことがわかります。
『神格を頂く道』は『神憑り式や、奇妙なる言動』の対極に、位置するわけです。
ともすれば神懸り、霊懸りに傾倒しがちな弱い人間に対しての大いなる警告と受け止めて、毎朝『神格を頂く道』を拝読させていただきたいものです。
だから、タイトルを『神格を頂く道』とされたけども、元々のタイトルというのは『神憑り宗教』であると。だから、『神憑り宗教』と聞くと、『神憑り宗教』がいいんだなって思ってしまうので、毎朝ここをタイトルも『神格を頂く道』として変えてそこに載せられたんだよということを分かっておかないと、「あぁ、神様が降りられた・・」なんとかって、ずっと神様の事をしてるのに、メシヤ様の書かれた事をしているのに、そういう・・。霊は信じないといけないですよ。だけども、いい霊も悪い霊もあるとか・・。尊い本当の神様は降りられるとかそういうものではない。メシヤ様にだから。そこのところが分かっていかないとですね、邪神に振り回されるということになってきますよね。そういう意味で、毎朝そこをきちんと拝読しなさいということだったんだと僕は受け止めております。
資料1-11
で、テーマが『文明の創造 科学篇』をメシヤ講座で読む ということで、 御教え『肺患と薬毒』
ここは、『文明の創造』というのは1回は学んでおりますので、タイトルだけいきますと、
自然に放置しておけば全治する
浄霊は『薬毒を除(と)る』ことがメイン
自分の体を汚さない生活を心がける!
現代医療は根本的療法でない
そういう事が大まかには書かれています。
これ、『肺患と薬毒』ということは、コロナも肺患ではありますので、そういうことで、メシヤ様はどういう事をお説きになられたかという事はしっかりと拝読しておいていただければ迷うことは無いのかなと思いますけども。
資料1-12
それから癌については 『肺臓癌は肉食多量が原因』 だと。
病気の原因は菜食不足、こればかりじゃないですけどね。そういう事なんだよと。
で、対症療法を続けているのが医療で、それは 恐ろしい錯誤 なんだよと。
霊体一致ということで、霊と体、霊主体従、霊を全然見てないということがあるよと。
最後のところだけまとめると、545行のところね、『恐ろしい錯誤』ということで、
『恐ろしい錯誤』
と書かれております。だから対症療法をずうっと続けていくということが、大きい病気を作っていくので、これ自体が今の日本全体を覆っている恐ろしい錯誤なんだと、皆勘違いをしているということを、メシヤ様がご指摘しておりますので、その勘違いを皆に気付いてもらいたいというのが我々の本来の御神業であります。
で、そこに薬を併用していく取り組みをしていきますと、この錯誤がさらにおかしな状態になっていきますので、どうかその点をですね、今回は短い御論文の中に我々が受け止めておくべきことだと思います。
これは岡山でですけども、同じことをずっと先生は説かれておりますということです。というか、メシヤ様が説かれてることを先生から教わっております。
もう、今の状態がそういう事です。本当に恐ろしい錯誤状態だと思います。
だけども、この前からブログにアップしてますように、問題を起こすことが一番悪いんだと。そこを本当に上手くいかないと・・。あれは、お世話する人に対しての話ですからね。そこの辺を間違う人がいるので・・。だから、布教師に対してメシヤ様は厳しく仰ってるという話をこの前から紹介させてもらってるわけです。
メシヤ様の根本のお話は浄霊が根本ですので。この『文明の創造』に書かれてるように、自然に行きなさいという事と、薬を入れないという事、手術をしないとかそういう事が根本であって。ただ、お世話してて重症とかスラスラ行かないとか、周りに反対者が居るとか、そういう場合はですね医者にかけなさいと。問題を起こす方が悪いですよという事を言われてるわけなので、そこを分かっておかないと。あまり周りが言うのに突っ撥ねてですね、それこそ命を落とすとかそういう状態になった場合にはですね、全くこの宗教自体が問題に取り上げられることになりますので、そこは分かりながらやらないといけないと思います。
資料1―13
それから555行のところね、テーマ2 『本教と文化革命』 ということで、
病なき世界を造る。
メシヤ教の本来の仕事は病なき世界を造るんだよということです。
で、それには奇蹟を起こして、浄霊で奇蹟を起こす、奇蹟が起こる、それは世界の文化革命になるんですよと。ということは、世界救世(メシヤ)教はどういう事をするのかというと、霊の存在を教えるんだと。これは浄霊でですよね。で、これが文化革命になる。だから、文化革命と言っても、文化革命と書いてあるけども、根本は医学革命なんですよと。浄霊ですからね。・・これは平成31年3月のことです。
ということで、サーッと来ましたけども。読んで来てもらってあるものとして話をしましたので。
今のサーッというのをまとめると、
まとめ
本日は新年祭ということもありまして、昭和25年のメシヤ様の挨拶文を最初に学ばせて頂きました。
昭和25年が夜昼転換の節であり、暗黒から光明へ転換し、地上天国、弥勒の世が建設される兆しがある。
そして、その挨拶の通り、世界救世(メシヤ)教が創立されましたが、御法難が起こり、結果としてメシヤ様の御腹中にミクラタナの神様が宿られるという正しく夜昼転換の節となったわけです。
そして、その夜昼転換というのは、昭和6年の鋸山が起点であり、今年、令和3年は90年目に当たる節目の年である。
30年目であった昭和36年に色々なことがありました。
60年目が平成3年。平成3年の9年後が平成12年。平成12年に先生はメシヤ教を立教された。
3・6・9でかけてるわけですけども・・。
先生のつくられたメシヤ教としては、主神様、メシヤ様に真向う姿勢を整えてきたんだという話。
で、祝詞奏上、御神名奉唱を正して『祈りの栞』を発刊。
こういう学びを、コツコツ続けていれば先生が伝えたかったことがハッキリと見えてきますので、神がかりや霊がかりに惑わされることは無いはずです。
先生は観音講座で主神様の御経綸を昭和10年よりメシヤ様はお説きになられた、と、読み解かれたわけです。そして、教義に明確にメシヤ様が御示し下さった主神様の御経綸を信じて、まず、家庭から地上天国建設を目指そうと、『人間とは』『神格を頂く道』『天国的生活』の御教えを日々、或いは慰霊での拝読させて頂く御教えとして『「祈りの栞」に寄せて』 『入門と奥座敷』にまとめられたわけです。
テーマ1で学んだのは『肺患と薬毒』の御教えですけども、今の状況は肺患でもあるわけですから、御教えと時代がマッチしているわけです。
自然ということ、浄霊は薬毒をとる方法だということ、自分の体を汚さない、が根本だという事。
それから、現代医療は根本でないというのは対症療法だからであるという事。それが恐ろしい錯誤であるのだと。
そして、テーマ2の『本教と文化革命』では、病なき世界を造るのがメシヤ教の本来の仕事で、奇蹟を起こす、奇蹟が出る。それは浄霊で奇蹟を起こし、霊の存在を教えていく。それが文化革命であり、文化革命の根本というのは医学革命なんだと。
それで、
資料1-14
夜昼転換節目90年
浄霊で文化革命を!
ということを、今年のスローガンにして御神業に取り組ませて頂きたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
新年祭、おめでとうございました。
参加者一同
おめでとうございました。
司会
新年祭を終わらせていただきます。
参加者一同
ありがとうございました。
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