令和3年2月度 教祖祭を終えて

三救責任者挨拶
本日は教祖祭です。
「ご在世中のメシヤ様は神の座としていらっしゃると同時に“人間としてやるべきことは自分でやる”ことを貫き通され、その御姿がこの上なく魅力的なところで、人間の身として生涯努力されていたメシヤ様の御姿を一つひとつ耳にするごとに、“素晴らしい御方だ”という思いが沸々と沸くと共に、この部分が判っていないと、崇高なご存在の方を信仰している自分だからこそ“生涯努力を積み重ねなければならない”という思いに到らず、実践も出来ない。」とメシヤ講座で学ばせて頂いております。引き続き引用させて頂きますと、 「十二月二十三日にメシヤ様が御肉体を持って神界からご降臨くださり、神として私達に救いの力と方法を授けてくださいました。実は“人間として肉体を持って降りられた”ということが重要であり、身をもって見本を示されたのです。人間の肉体を持って来られたからには、“人間としてやるべきことは全てキチンとやる”という姿勢をご昇天のその時まで貫かれました。」

これは大事な事ですね。
人間としてご肉体を持ってご降臨下さった。

「メシヤ様の余人と異なるところは(一般の人と異なるところは)、どのような境遇であろうとも、一旦ご自分がその使命を自覚したら、それをやり遂げてゆく、しかもどんなに大きくなっても(当時は信徒数30万人)、ご自身の身の周りのことはご自身で始末をされながら生活を送られました。そうしたご生涯を送られたのです。
 私達に指し示された内容は豊富です。
 神の座にありながらも御肉体を持って神界から降臨してくださり、私達に救いの力と方法を授けてくださいました。人としてご苦労を重ねられ、教祖として立たれるご準備をされました。そして、教祖となられた後も、ご苦労の連続でした。
 その苦難のご生涯を閉じられた日が「教祖祭」です。人としてのご苦労に感謝申し上げ、メシヤ様のご悲願達成に全力を注ぐ誓いを捧げたいものです。」
 
ここで、節分祭、立春祭の学びを思い出していただきたいのですが、
三千年前はやっぱり○○の世界。
何の世界でしたか?

参加者
人間の世界

三救責任者
そうです、人間の世界です。
三千年前はやっぱり人間の世界だったのです。国常立尊様は人間の世界を支配しておられたのですから、現身を持って地上に降りて厳しい法律、神律をつくられて、人間をお導き下さったのだと拝察いたします。
ここでつながってるわけですね。
国常立尊様が初めて人間界に降りて来られて世界を支配されたということと、メシヤ様が人間として現身を持って降りて来られて、キング オブ キングスに『このメシヤというのは、世界中で最高の位なんです。西洋では王の王ということになってますが、キングオブキングスと言ってその位をもってるんです。だから、私が出てはじめて人類は救われるのです。』という御教えと。
それで、立春祭の時には時間の関係上、準備していてお話しできなかったことを、ここでお話しさせて頂きますと、節分の御詠にですね、
『常立の神の贖いなかりせば、此天地(あめつち)は滅びしならめ』
という昭和10年4月4日の御詠がございます。この御詠の意味を、メシヤ様に直接お伺いになられた先達がおられます。
その時のお言葉ですけども、『国常立尊様の裏は閻魔大王で、神の律法を作られた方です。大変厳しい方なのでその時分の人間が窮屈なので押し込めた。押し込めた大将は天若彦です。“あがない”というのは、国常立尊様のお嬢さん(稚姫君尊)が天若彦と夫婦になった。ところが、若彦は道楽者の御大であった。稚姫君尊は空閨を満たすため、素戔嗚尊と姦通し、父の国常立尊が背負われたのです。
自分のつくられた律法にふれて押し込められたわけです。押し込められたのは、厳しいため、娘の不行跡のため。
その律法とは夫婦の道を中心に説かれています。だから、大本教の御筆先にも「世の乱れは夫婦の乱れからであるぞよ」とあります。この律法は人民全てに当てはまるもので、今までもこの法律というのは通っていたわけですけども、霊界が暗いので結果がすぐには表れなかった。それが早く通るようになる。悪い事をしても分からないから悪は面白いんですけども、すぐ分かるようになるとつまらなくなります。』
あまり知られてないかと思いますけども、稚姫君尊が姦通の罪を犯したと。国常立尊はおそらく八百万神に娘の不行跡を責められ、律法にそって罪を背負われた。娘の姦淫の贖罪の為と厳しすぎたことが引退させられる直接原因なんだと。だから、神律という、神にも律法と言われてるけども、その中心の教えというのは『夫婦の道』であるということです。そこが元。その律法の元は夫婦の道。娘の不倫の責任を娘婿先導の世論によって御隠退なされたということになるわけです。夫婦の乱れ→家庭の乱れ→世の中の乱れと。そういう風に反映していった、というのをずっと引きずっているということです。この方式を三千年間、癖として引き継いでしまっていることが世の乱れに繋がっている、反映しているよ、ということは、いかにも現代にありがちなことの繰り返しが世の乱れの元だったと。神様を押し込めていたことに繋がっていたということで、私達の御神業というのはまず個人として『夫婦の道』を正して家庭円満にすべての家庭がなって行って欲しい、こういう事を中心に据えるべきであろうと思わせて頂きました。

それで、これもブログにもアップしましたけども、「教祖祭に捧げる感謝の内容」という事を読ませていただきます。メシヤ講座からの引用です。

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メシヤ様はご昇天後の御光についての質問に対して、『霊界から出しますから同じ事です。反ってよく出ます。体があると邪魔になりますから』とお答えになっております。
 そのお言葉から、私達に更に強く御光を出してくださるようになった日でもあります。浄霊を取り次がせていただく身としては『この日を期して御光が強くなる』という意義付けを以て、更に高い次元から信仰的に感謝させていただく日でもあります。
 また、人としての有り様を身を以って示され、そして、地上天国建設の全ての準備を済まされて神界に戻られた日でもあります。準備を済まされたということは、後人に全てを託されたということです。私達は託されたご悲願を達成させていただきたいと願っております。
 それには、より強い御光と御力、叡智を賜りたいことを望みますが、そのためにはメシヤ様のご神格を明確に認識し、太く繋がる想念を確立しなくてはなりません。それが、普段に『メシヤ様』とお呼び申し上げることです。
 メシヤ様は『困ったときは私の名前を呼びなさい』と、仰っております。スッとお呼び申し上げれば良い訳です。そうすれば絶大なる御力を賜ります。
 先程も触れましたが、口ではただただ奉るけれども、中身のない論争が続けられております。メシヤ様は結果第一主義です。どのようにさせていただければ、絶大なる御力をいただけるのか、それさえ考えれば判ることなのです。
 
で、その後にちょっと重要な事になってきますけども、「ご尊影を御神体としない理由」ということを、もうこの頃に先生がお話しくださっております。メシヤ講座を学んでいないとそういったことの先生の思いというのも伝わらずに色んな事が起こってきますけども、ここではですね、

ご尊影を御神体としない理由
 そして、このことは重大な意味を有しています。それは、『体があると邪魔になりますから』というお言葉から、ご尊影を御神体にはしないということに繋がるのです。
 『景仰』には、『わしはまだ人間だなあ』という項があります。引用いたしますと、【私が部屋へはいって行くと、岡田さんはドテラを着て、ふところ手して、部屋の中を歩いておられるのです。と突然、立ち止まって、『ふところ手を出したら、どういうことが起こるか』と岡田さんが言います。で、私は、「そんなことはわかりませんが、手を出せば人間の形になります」と言いました。すると岡田さんは、『わしはまだ人間だなあ』と言いました】
「『景仰』を如何様に拝読するか」のコーナーでは編集のあり方に苦言を呈してきましたが、このように貴重な資料もあります。この文面から、メシヤ様は人間の形にこだわっておられます。このことから、ご尊影は人間の形であるために御神体としてはそのご存在を限定してしまうのです。
 こうした論調を展開すると、メシヤ様の絶対性を否定すると騒ぎ立てる輩が出そうですが、神界にご復帰されたご存在に向かうあり方を求めているのです。そうして、こうした求道の証として日々鮮やかな奇蹟をいただいているのです。
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それから、本日の司会の教祖祭の祭典に臨む姿勢の説明にありましたように、『本来の御神業の推進』ということを、先生は平成24年2月の教祖祭で打ち出されました。この日は三重の月次祭でもありました。
そして、私たちの取り組みから、とにかく、感化を与えていくのだとお話しされました。
感化を与えていくときの中心は「浄霊力」です。メシヤ様が御昇天されて66年になります。昭和30年の2月10日ですからね。66年。本来もっともっと素晴らしい奇蹟に溢れる浄霊ができるはずですので、もっともっと「浄霊力」をみんなに伝授してく活動をして参りましょう。

それでは、教祖とはどのような御存在なのでしょうか。
これは、『入門と奥座敷』に詳しいのでそこから学ばせて頂きます。
私たちは岡田茂吉教祖を『メシヤ様』と尊称します。教祖をメシヤ(救世主)と信ずる信仰です。
私たちは主神様とメシヤ様のご関係を、この御教えに求めて「主之大御神様には、ただひたすらに全宇宙のご経綸に対する感謝と真善美完き恒久平和の理想世界実現の祈りを捧げさせていただき、具体的な祈りをメシヤ様に捧げさせていただく」という姿勢をもちたいものです。
 
メシヤ様に祈りを捧げる時に大切なこととして『入門と奥座敷』では、
1.メシヤ様という御存在
2.メシヤ様からいただくもの
の二点をあげられました。
 
1.メシヤ様という御存在
メシヤ様はどのような御存在なのでしょうかということで、『開教の辞』にですね、
『善悪を立別け、善を育て悪を滅しなければならない事になった、いわゆる悪のトドメである、従って救いの力も決定的でなくてはならない、その力こそメシヤの揮わせらるる大神力である。』
ですから、メシヤ様は生殺与奪、生きるも殺すも与えるも奪うも自由という、一切の権能を有され、全てを救い助ける観音様のお働きと、正邪を立て別けていく国常立尊様のお働きを同時になされてゆくのです。
そのような御存在の方へ祈りを捧げるという自覚をもって祈らせていただくことが大切です。
畏れを抱く必要はありません。
正しい祈りであれば良いのです。
『困った時、助けて欲しい時は、すぐその場で私の名前を呼びなさい』と仰ってくださっておりますので大変ありがたいことです。
メシヤ様はいつも私たちをお守りくださっています。
それだけに、参拝時のみならず、四六時中「メシヤ様の御心を求めて過ごす生活」を心掛けたいものです。

それで、
2.メシヤ様から頂くもの ということの中に、
メシヤ様は病気に対する判釈を持たれていました。例えばですね、風邪、感冒は“万病を免れる因”結核に罹らぬ方法であるというべきである。万病にかからぬもと。風邪は、発熱によって身体に溜まった毒素を溶解させ、咳や痰、鼻汁、汗などによって体外に排泄させる作用です。人間が健康を維持していくために起きる自然整理作用であって、神様の発露でもあります。
風邪は有難いものなのです。
しかし、体力が弱っている場合には注意が必要です。ここに書いてあることですね。体力が大事です。浄化終了まで持続できるだけの体力は必要なのです。早めに体内を清掃しておくという作用であると。
これは、肺結核治癒の過程ということで、『健康状態であれば、浄化作用終了まで体力が充分持続なし得る為全快するのである』。だから、体力は大事という事。食べられるかどうかということが大事です。

それから、「教祖になる人は人を救う言葉を身に着ける準備期間を経ている。」ということで、先生の御教導では、
〇一人でも多くの人を救うことのできる浄霊力を授けてください
〇一人でも多くの人を救うことのできる言葉を身に着けさせてください。
ということを大切にしておられました。

言霊の威力という事で、
信者たるもの、常に魂を磨き、言葉を練り、上魂の人間たることを心掛けるべきである。
という御教えを賜っております。

それでは、『覚りの旅』に入らせて頂きます。
今のは教祖祭の挨拶を引用して挨拶しました。

テーマ1 文明の創造をメシヤ講座で学ぶ 15ページ(天恩地惠)だね。
『結核と精神面』、このシリーズは7回目になります。毎回思うんですけども、ただ順番にやってる、自分達でテーマを決めてやってるように思えて、実はこういう学びを、今、神界からさせられているのだということを真摯に受け止めてまいりたいと思います。感じるところ、感じないかな?感じません?
内容は結核と言うけれども、『コロナと精神面』で捉えてもいいわけです。実際。当時の結核というのは、もう治らない病ということだったわけですよね。そう言う時の、メシヤ様のご対応は、今の状況に当てはめる事も出来るかと思います。
それでは『文明の創造』 102ページ、 『結核と精神面』、読んでいただけますか?

参加者
『結核と精神面』拝読

三救責任者
はい、ありがとうございます。
ここで、『文明の創造』のメシヤ講座の今の『結核と精神面』のことを書いているのは、各所で先生がメシヤ講座をされてきた事の抜粋です。

それで、こっちの方(天恩地惠15ページ)にはですね、どういう話がでてたかというと、
〇『こんなことで薬を飲んでいたらどうしようもない』  と、日本とイギリスの小児科の決定的な違いを学ばせてもらったわけです。今でも、コロナの対応にしても外国色々対応の違いがありますよね。集団免疫を既に獲得して、今はもうマスクも無い状態でずっと普通の生活を送っている国もあるのです。
もともと風邪自体、解明が出来てないですね。これで読んでいけば霊と体と両方、人間の体はあるのに、体の方だけ見てやってるわけですから、少なくとも半分は解明できてない。風邪という病気についても解明出来てないのに、コロナの解明も。結局は体的な面しか見てないということです。そういう風に受け止めればいいかと思います。

それから、これも今の状況にある、
〇心配が新たな病気を作る可能性  ということで、健康診断でわざわざ病気を探すのはいかにも愚かだと。定年退職したら健康診断は受けないという考え方の人が増えてきているという風なことが書いてありましたね。私も早期退職して、強制されることはなくなったので、毎年の心配、これはストレスになってた、そのストレスが大きく軽減出来てきてるかなと思います。受けざるを得なかったからですね。会社との関係上。

参加者
胃カメラとかもしたんですか?

三救責任者
私は、バリュームでした。

『コロナ禍と精神面』として考えてみる事も大事ではないかと思います。
今のPCR検査もですね、さっきの健康診断も今の時に置き換えればPCR検査ですけども、病気を探すことに必死になってるわけですね。というより、病気でない無症状の人まで病人にしてしまっていると言えます。
“陽性”と言われた人は家族をどうしよう、仕事をどうしよう、町の人達はどう思うだろうとか、精神面で打撃を受け、それで病んでしまうこともあるのではないでしょうか?
そこで、このPCR検査ということについて、テレビでは報道されないことを、最近読んだ本から紹介させて頂きます。
テレビや政府の話だけをうのみにすることなく、表に出て来ないが、全く異なった考え方があるという事を知って、どちらがより御教えに近い事を言っているのだろうか?という観点で受け止め、考え、あくまで自分自身の考え方で対応なり、行動をして頂きたいと思います。
誰々が言っていただけでなくて、私はこう思う、なぜならAとBを比べれば、より「自然を尊重」しているからだと。御教えでいくと、次の御教えは『自然を尊重せよ』です。これは、来月の御教えのテーマです。自分の言葉で自分の受け止め方、考え方を伝えていって欲しいと思います。

それで、ブログに「読書中」として、僕は何も書かずに、この本という紹介だけしました。
(話の内容は天恩地惠3月号参照)

これは本の中から話をしましたけども、私達はですね、より御教えに近い、自然な方はどっちだという事をですね、判断していけばいいかと思います。

面白いことに、28ページ(天恩地惠)に今言ってたようなですね、1272行のところに、
「思考停止」「視野狭窄」に陥ってしまってる人が多いと。テレビの情報だけをそのまま信じる、誰々の言うことだけを信じる、片方の意見だけ信じて、それはいいの?って。例えば、自分だけならともかく、他の人達に公平に情報を与えずに、自分の思った何も考えない人達が片方の意見にそのままついていっていいのっていう事。きちんと自分で確認して判断しなくてはいけないんじゃないのと、皆で話し合ってという。
と、これ、僕が話したことだけども、型という事で考えると、宗教が型となって悪しきことも反映してしまっているような気がします。

で、ここでの話では、やっぱり布教三訓を、
布教三訓というのは
◎メシヤ様と共同作業をさせていただく
◎恩は着るべし着せるべからず
◎寝食を忘れてやりなさい
ということと、
「ルナ三訓」
◎威張るな
◎怒るな
◎早まるな
ということを中心に据えて信仰していきましょうという事を書いております。

それと、これも今の話の中と同じ様な、1343行のところに
御神体奉斎してるところというのは、先生からのつながりからして必要なところだったと。他で御神名とかも色々変わってくるかも知れませんが、自分達はその最高位の主神様の御神名を唱えていくという事、そういう人も居なくてはいけないのだと思っています。
さっきの御神名という事で言えばですね、今日話しました、御尊影を御神体としない理由というのを学びました。体があると邪魔になりますから御尊影は人間の形であるために、御神体としてはその存在を限定してしまうという事です。自分達はここのところを先生のお考えがこういうことだったと、僕等もそういうことに納得してこういう形式でやらさせてもらってると、何でって聞かれたら、こういう答えができるかなと。「御尊影でしょ」というお考えの人は、結構出てくると思います。
先生は、全て、答えを用意して下さっておられたのですね。

何かご質問があれば受けたいと思います。

司会
以上をもちまして教祖祭、月次祭を終わらせて頂きます。

参加者一同
ありがとうございました。