覚りの旅 令和3年 7月 月次祭を終えて
三救責任者
月次祭おめでとうございます。
それでは、『文明の創造 科学篇』をメシヤ講座で読む。12回目になりましたね。
では
参加者
『文明の創造』 の 『無機質界』 拝読。
三救責任者
はい、ありがとうございます。
『天恩地惠』の1ページに書きましたように、6月、7月、8月のテーマ、
先月の『人間と病気』
今月の『無機質界』
来月の『霊主体従』
というのは密接に関連している御論文だと思います。三つまとめての論文の構成になっていると、そういう風に思いました。
『人間と病気』というのは、先月のテーマでした。
病原の殆どは細菌で目に見えませんが、人間に必要があるから存在しています。宇宙も人間も万物一切は、主神様がおつくりになられました。
その御目的は人間をお使いになられて、真善美完き理想世界を造り無限に向上発達せしめることです。私達が最も問題とする病気も、人間の健康を保つための、神様の最大の恩恵だったのです。
数行で要約するとこういうことになるかと思います。
今月の、今、読んだところですが、『無機質界』ということで、
細菌は有機物であり補足に限度がありますが、科学の進歩は、超微生物を補足できるようになってきます。科学は無機質界の一歩手前まで来ているのです。そして、『物質界と霊界の世界の中間を充填する』のが、この御論文なのです。
来月、『霊主体従』になりますので、詳しくは書きませんが、
無機質界と物質界の関係を『霊主体従』の御論文でご説明されております。
だから、『霊主体従』ということ、霊の世界と、体の物理的な世界、そういうことの、今は中間的なところの御論文が『無機質界』であるんだよという、そういう内容かと思います。
だから、三部作みたいな感じということですね。
それで18行目の『病原と浄霊の原理・無機から有機へ』
ということで、関連している御教えかと思いますので、そこのところを読んでもらえますか。
参加者
『病原と浄霊の原理・無機から有機へ』
別の御論文の『病原と浄霊の原理・無機から有機へ』S26.8.25で、次のように分かりやすく御教えくださいました。
『曇りの濃度化が進むと、人間の体温の助長により、無から有を生じ、超微粒子が発生します。天空の広さが無限大とすれば、反対の無限小で、これが宇宙の真理なのです。無限微粒子が、漸次(ぜんじ)生育すると、無数の微粒子が生まれ、それは生命を有し、運動性もあり、時の進むに従って、発育し動物化してしまいます。
これを、無機質が有機質化するといいます。そしてこれが、最初の黴菌(ヴィールス)となります。生物(有機質化)となった黴菌は、互いに食い合いを始めます。
病原になった黴菌は、黴菌中の大きなものであるというのはこの事なのです。
病気の根本原因こそ全く黴菌の発生源である無機質に等しい霊の曇りなのです。』
無限大の宇宙から無限小の微粒子まで、無機質(霊)も有機質(体)も一切は主神様からその存在を許されているのです。
三救責任者
はい、ありがとうございます。
で、35行にいくと、
そして、『無機質界』の関連記事を調べました。 ということで、
〇太陽系の天体である小惑星「イトカワ」とか「リュウグウ」、あるいは地球という天体は今から46億年前に誕生したと考えられている。地球のような大きな惑星は生まれた時に一旦溶けてしまって、それが冷えて固まって現在の惑星になった。小惑星のような小さな天体では溶けていないので、46億年前の物質がそのまま残っていると考えられ、特に『リュウグウ』という小惑星には有機物があると考えられている。有機物というのはもちろん地球の生命の元になった材料です。
宇宙と有機物と人間の生命の元に科学は迫っています。
もう一歩進んで無機質(霊)を解明するに至った時、漸くメシヤ様が御教え下さった、『宗教と科学の一致』となるのだと思います。
私達には『浄霊』の奇蹟で無機質界(霊)の存在を明かし、『霊主体従』をはじめとするメシヤ様の御教えを、人々に伝えていく使命があると思います。
無限大といくと、天空とか宇宙とかそういうところまで広がっていって、無限小となってくると微粒子、目に見えない世界になってくると、そういう無限大も無限小も全て主神様がお作りになられたものであるよ、ということが分かるかと思います。ですから、霊と体というのはですね、『霊主体従』という御教えは、一番この浄霊の元でもあるし、根本的原理っていうことであるかと思います。
『無機質界』(昭和二十七年)をもう一度要約するとですね、
科学の進歩は科学界と神霊界との中間にある空白を充填したと。
この先は神秘の世界、目に見えない霊の世界、霊と体の関係、霊主体従を明かさなければならないんだと。これは一宗教家のメシヤ様が発見されたんだと。そういうことが書かれていました。
で、こういう原理を活用することで病患の九十パーセント、要は浄霊をすることで病気になった患者の九十パーセント以上は治癒し、寿命も延びるんだと。だから人類の福祉にものすごく貢献するんだよということ、役立つんだよと、そういう大きな意義がありますということで、人類への恩恵は大ですよということが書かれておりました。
それで、偖て愈々無機質界と物質界との関係に移るとしよう。ということで、次回の『霊主体従』という所になっていくわけです。
さらに確認で、地上天国27号、昭和26年の御教えがありますので、
『病原と浄霊の原理・無機から有機へ』ということで、ここも読んでもらえますか? 99行。
参加者
病原と浄霊の原理・無機から有機へ 『地上天国』27号、昭和26(1951)年8月25日発行
本教信者になって、御守を懐へ入れ、ただ手を振り翳しただけで、医者に見離された大病人でも、一生涯治らないと宣告された難病も長い間患って医療でも民間療法でも、信仰でも治らず、進退きわまって自殺を決心するようになった者でも、浄霊によってたちまち快復に向い、驚異的偉効を現わすこの不思議さは、実地体験者でなくては分らないと共にこれを目の辺り見た人達も、心境一変今日まで散々疑ったり、非難した事などが恥しくなったり、カチカチの無神論者も頭を下げ、兜を脱ぐという例は、数え切れない程あるのである。だからといって、この実際をいくら口で話したところで、仲々納得は出来ないもので、吾々は常に遺憾に思っているのであるが、そういう場合決って言う言葉は、そんな簡単な方法で難病が治るとしたら、医者も薬も要らないじゃないかというのであるが、全く仰言(おっしゃ)る通り、吾々からいえば医者も薬も要らないどころか、むしろない方がいいとさえ思うのである。これについてその根本的理由をここに詳しくかいてみるが、これは信者としても大いに知りおくべき事で、説明の必要上目下執筆中の文明の創造中の一文を、左に転載する事とする。
三救責任者
はい。
ここで、無機から有機へということで書かれていますけども、これで見ると、『文明の創造』の一文を紹介するよということで、無機から有機へ ということで、有機無機質界、実際には『文明の創造』の『無機質界』になったところがですね、こういう書き方になっているよということで、また見ておいてもらえればいいかと。
下線だけど読みますと、125行のところから。
この微粒子こそ実に言語に絶する程の無限微粒子であって、ちょうど天空の広さが無限大であるように、これはまた反対の無限小であり、これが宇宙の真理である。
ということ。それから、133行の
と、先程書かれていましたよね。
それから、144行で、
病気の根本原因こそ全く黴菌の発生源である無機質に等しい霊の曇りである。
今、細かいことをやっているようですけども、目に見えない霊の曇りについての話を科学的な湯川博士の例も捉えつつですね、科学的なことと絡めてメシヤ様は御論文として出されているということです。
それで152行のところ、
霊の曇りが決定的病原なんだということが書かれています。
この目に見えない無限小であるところの霊の曇りというのが病気の原因ですよということ、それを知ってほしいということですね。細かいことが色々書いてありますけども、そういうことだと思います。
それから結構重要なことがこの御論文に書かれていまして、6ページの205行のところに行きますとですね、
そもそも私という者は、世界の終末に際し、全人類を救い、病貧争絶無の地上天国を造るべく最高神の御経綸の下に、主脳者としての大任を負わされたのであるから、神は私に対して絶大な救いの力を与え給うたのである。その力というのは病貧争絶無の中心であるところの病の解決であって、それに対する智識と力である。前者は私が今日まで解説して来た医学の誤謬や病理その他であり、後者は浄霊による治病の力である。すなわち信者の懐に入れてある御守の文字と、私と霊線によって繋がれており(・・この霊線というのが大事ですね。今はメシヤ様と直接霊線によって繋がれており・・)、私から発揮する霊光は霊線を通じて、絶えず(・・皆様の体ですね。霊線を通じて皆様の体に到って・・)施術者の肉体を通じて、掌から放射されるのである。一言にしていえば、仲介者として、私が間接に病人を治すのである。
だから、メシヤ様が人間をお使いになられて治しているんだと。そういう事がここに書かれていると思って頂ければ良いかと思います。
で、その次がまた重要で、215行のとこね。
その力の本源は一体どこにあるかというと、私の腹の中には、以前から知らしてある通り光の玉がある。この玉はそれまでは玉だけの力であったものが、昨年六月十五日、日本で昔から云われているところの麻邇(まに)の玉、または五百津美須麻留(いほつみすまる)の玉、または如意宝珠(にょいほうしゅ)の玉である。玉とは魂であるから、その魂が右の日時に、静岡県清水庵原署の留置所内で、天から降下され、宿られ給うたのである。この事はその当時簡単に発表しておいたが、これを私は結実といったのである。それが段々育つに従って、玉の力も日に月に強力となりつつあるのである。これはその頃から浄霊の力が特に強化された事にみても、信者はよく分るであろう。
ただ現在その神様の御名前を詳しくいう訳にはゆかないが、いずれ時期が来たら発表するつもりである。しかし釈尊、キリストをはじめ幾多の聖者の予言を、よく考えてみればおよその見当がつく訳である。
この、およその見当がつくのは例えば釈尊だったら弥勒下生と言われてるので、弥勒下生の神様でしょうと。キリストだったら、メシヤ降誕と言われているので、メシヤですよねと。そういう事になるよね。
日本というか、実際に I先生にお話しされたのは ミクラタナの神様 であると。
ミクラタナの神様が天から降下されてメシヤ様の御腹中の光の玉に御宿り給うたのだと、これを結実。
散花結実の結実の方と仰せられたんだよということです。
重要かと思います。今までの事が集約されてるような御教えになっていますね。
『病原としての細菌』ということで、232行のところで、
何となれば無に等しい世界であるからで、私はこれを名付けて無機質界という。
無機質界というのは無に等しい世界ですよという。
で、『宗教、哲学、科学の一致』 これは、8ページの262行のところ。
これを一言にしていえば、宗教も哲学も科学も、神霊界の一歩手前に来て、行き悩んでいる以上、今日のごとき暗黒無明の時代となっているのである。ここにおいて神は、私をしてその障壁否岩戸を押開き、光明世界に導かんとする、その大愛が本教の出現となったのである。いわゆる、世界の岩戸開きといってもよかろう。
だから、宗教と科学の一致というところがですね、世界の岩戸開きになってくるんだと。
日本の岩戸開きじゃなくて、今は世界の岩戸開き。
ということで、それではですね、それについてメシヤ講座で習ったことですが、
8ページの288行。読んでいただけますか。
参加者
物質界と霊界の世界の中間を充填する
(先生)今月はタイトルが『無機質界』ですが、この御論文をお書きになられた昭和27年当時というのは、顕微鏡は6万倍でした。
ここに湯川博士の中間子の事が書かれています。
中間子と素粒子の違いですが、湯川博士が発見したころの素粒子と言うのは中間子とか電子とか陽子とか回っている世界の素粒子です。その素粒子を拡大した時に17の素粒子があるというのが、今回平成24年に確認できた世界なのです。
愈々(いよいよ)メシヤ様が、『物質界と霊界の世界の中間を充填(じゅうてん)する』という話が、〝より霊の方へ近づいた″という認識で今回これを拝読させていただくと、より一層メシヤ様が何にご注目なされていたのかということが、お解かりになるのではないかなと思います。
〇『理論神霊学』に沿って生活すれば御守護に溢れる。
(先生)私たちが浄霊をさせていただくときに〝お陰をいただく″という世界をメシヤ様は『実験神霊学』と呼ばれていたということですね。
それから、この世の中はすべて『霊主体従の法則』に沿って動いています。だから、〝見える世界″の原因は〝霊の世界″に原因があります。これは次回に拝読する『霊主体従』に繋(つな)がっていきます。それが『理論神霊学』の世界ですので、その『理論神霊学』に沿って生活をさせていただくと〝御守護に溢れる。″・・・そういう生活が許されますよ、ということですので、この『理論神霊学』と『実験神霊学』というメシヤ様のお言葉を自分の中で解釈をしておいていただきたいと思います。
〇毎日一ヶ月『無機質界』を拝読する
(先生)『人類の福祉に役立つ』ということ、役立っていくためには、大勢の人に浄霊のことを教えて差し上げて、そして浄霊を大勢の人が取り次ぐことによってみんな健康で豊かで平和な世の中に導いて行くことが大切なわけですので、そういうところを目指す拠り所に今回の御論文をさせていただければ有難いと思います。
メシヤ講座no.140浜松(平成24年9月)
そして、この御論文はどこまでも昭和27年にメシヤ様がお書きになったのだけれども、そのお書きになったことが平成24年によって科学的には極点に達しているのだということです。それから新紀元というのは21世紀になったときに、宗教宗派を超えて浄霊力を授けられるようになったということですので、“これからいよいよ一大転換を迎えていくときを迎えているのだ”というふうに受け止めていただいて、今日のこの『無機質界』というのを毎日1回は読んでいただきたいと思います。
三救責任者
毎日1回読んでもらわないといけないね、本当に。
新紀元ということが出てまいります。
こういう風に今世紀、21世紀になった時に、先生が御光無し(御守り無し)の御浄霊ということで、お話しされてですね、浄霊力というのが誰でも宗教宗派を超えて出来るようになったと、そういう事を新紀元と捉えるのであればですね、メシヤ教が始まった時だよね。浄霊力伝授が出来るようになった時、これからもっと広めていくんだということで、起点とするのであればそれはそれで良いかと思います。
そういう気持ちでなくただ新紀元と言うとですね、それは神武天皇の東征の話になってしまうので、それがイメージされてしまうのではないかと思います。
ここで言う新紀元というのは、そういう先生は受け止め方をされておるよと。21世紀になって先生が浄霊力伝授、御守り無しでもできるようにということで広めていったと、これは画期的なことです。
参加者
うんうん。
三救責任者
ずっと思ってるわけですから、御守りがなければだめだよと、救世教の方々は。だけど、自分達もそう思ったけども、実際無しでこういう風にやってこられてるわけであって、そういうことを・・メシヤ教に集った人たちには広がりましたよね。それ自体を広めていくのがですね、自分達の使命でもあるかと思います。そういう意味での新紀元ではあるかと思います。
次に、山中教授の話が書いてあって、その次に『誠』の不足を直視せよ、ということで344行から選んでもらえますか。
参加者
『誠』の不足を直視せよ
メシヤ講座・特選集no.140(平成24年9月分)
多くの問い合わせのうち、メシヤ様を教祖と仰ぐ教団所属者から「組織の違いによって何故浄霊力に差が出るのですか」という疑問が多く寄せられます。これは、三重支部中の『善言讃詞』に詠み込まれた内容に繋げて考えると頷けるのではないかと思います。また、日常的に慣れ親しんだように錯覚している御教えや祝詞の文言の意味に対して思考停止状態に陥っていることに関連します。
様々な施策を展開しようとしているようですが、神の座にある御方が御詠みになり、御書きになった内容を求め続けなければ形骸化してしまい、意味を成さないのです。先程の信仰姿勢を問う内容と相まって充分考慮を要することです。
そして、『無機質界』を拝読して判るように、メシヤ様は最新の科学に注視されながら時代の最先端を歩まれていたのです。その御姿に照らして考えてゆけば、自ずから答えも見えてくるものですが、見えてこないという人は、これはこれで仕方がないところでもあります。何にもまして『身魂相応でしか御教えは理解できない』と言われてきましたので。
それにしましても、『文明の創造』が如何に現代の私達の信仰姿勢に対してお導きをいただけているかが身に染みてまいります。大変に有り難いことです。
一方、組織の問題に言及すると、「全ては明主様(メシヤ様)がやっておられる」ということで“事無かれ主義”を通そうとする方も見受けられます。しかし、その方々が見落としているのは、その後の『御教え通り』ということなのです。
そこでよく考えていただきたいことは、慣れ親しんでいる御教えとも言える短い御論文『誠』の内容です。
誠 (昭和二十四年一月二十五日)
世界も、国家も、個人も、凡ゆる問題を解決する鍵は『誠』の一字である。
政治の貧困は誠が貧困だからである。物資の不足は誠が不足してゐるからである。
道義の頽廃も誠のない為である。秩序の紊乱も、誠のない所に発生する。
凡ゆる忌わしき問題は誠の不足が原因である。
宗教も学問も芸術も、中心に誠がなければそれは形骸でしかない。
嗚呼、誠なるかな誠なる哉、人類よ、問題解決の鍵は、ただ誠あるのみである。
教団裏面史をつぶさに検証すると、メシヤ様の御寿命を縮めてしまった『御法難』の原因も『誠』の不足からでした。その『誠』の無さの後人に果たしてどれ程の影響が出るのかは、現代生じていることの多くを見れば一目瞭然ではないでしょうか。
この他、面談した人の中では様々な分野で研究を深めている方もいました。想念の持ち方で病気症状を誘発することは学究の明かすところまで来ています。そのため、日々の生活姿勢(心・言・行)によって病気症状を改善することができる広報をしている人もいました。これに対して、例えば〇L教団などは“天に対して不平を言うと頭痛持ちになる”ということで心の営みの大切さなどを説いてきました。
浄霊を取り次ぐ教団は、そうした想念面、行動面の営みを疎かにしてきたきらいがあります。御教えに具体例が満載されているにもかかわらずにです。
今月拝読する『霊主体従』は、改めて深い示唆をいただけるものです。拝読を重ねると“『文明の創造』の出版に踏み切ることができて本当に良かった”と更に思えてまいります。そして発刊後の御神業の進展ぶりを拝すると、御神慮の深さにただただ感謝の念を深くするものです。
三救責任者
はい、ありがとうございます。
浄霊だけでいいんだ と言っているところはですね、想念面とか行動面の営みを疎かにしていませんかという事を、先生は御指摘されてます。
『誠』という御論文は『天国の礎』に載っていましたよね。
その次のところ、12ページね。リュウグウの砂に有機物という事がありました。
だから、宇宙へ行って広大な・・、無限大な方の宇宙へ行って、そこに有機質を発見したと。
というこいとで、
JAXAは昨年12月にはやぶさ2が持ち帰った小惑星「リュウグウ」の砂を大きさや色、形などごとにカタログ化してきた。採取した砂から水分子を構成していたとみられる水素原子が大量に見つかったと。有機物もあったが、「どんな有機物か、具体的な種類については今後の論文で明らかにする。」という記事が6月18日の朝日新聞に出ていました。
432行のところで、
〇太陽系の天体である小惑星「イトカワ」とか「リュウグウ」、あるいは地球という天体は今から46億年前に誕生したと考えられている。地球のような大きな惑星は生まれた時に一旦溶けてしまって、それが冷えて固まって現在の惑星になった。
〇「地球のような大きな惑星を調べても、46億年前の物質については情報が得られないが、小惑星のような小さな天体では溶けていないので、46億年前の物質がそのまま残っていると考えらる。
特に『リュウグウ』という小惑星には有機物があると考えられている。有機物というのはもちろん地球の生命の元になった材料ですので、我々はこの有機物を調べるということを一番大きな目標としています」。
という、これはこの記事の中村さんという方が言ってる事です。
〇現在、地球生命の起源についてはまだ謎が多い。
「我々は特にアミノ酸に注目しています。2つの同じアミノ酸でも、2つの立体構造があります。地球の生命は左手型のアミノ酸を使ってできています。その理由はまだ分かっていません。『リュウグウ』にアミノ酸があれば、その立体構造を調べることによって地球の生命との関係がわかるかもしれません」。
〇アミノ酸には左手型と右手型があるのに、地球生物は左手型のみを使うようになったのは、何らかの原因で両者に僅かな差が生じたからと考えられている。(中略)宇宙において円偏光の作用により左手型のアミノ酸の割合がわずかに多くなり、それをもとに地球生命が誕生した可能性を示唆している。
〇地球生物の「左利き」の起源が宇宙からきたものである可能性を示唆。
左手型。左手に注目したというか。左の方が多いんですって。物質ね。物質が左手型、右手型があるそうです。
同じだったものが、宇宙の揺らぎによって何らかの物質、片方の物質が増えることによって地球誕生とか、そういうことになって行ったんだよという事を言いたいだけね。
人間は元々左利きだというのがあるよね。それと関係しているかどうか知らないよ。これの言う左利き右利きというのは分からないよね。アミノ酸の結合の仕方ですから。物質の。
で、それから発想して、「左巻」という御教えがあるので、それを読むと、
左巻
大光明世界の建設 『光明世界』創刊号、昭和10(1935)年2月4日発行
『千手観音様は別名、千手千眼観世音と申しまして、千の手を以て、あらゆるものに生命を与え甦(よみがえ)らせ、千の御眼から放たれる御光に浴さしめて救われるのであります。西方文明が九分九厘になって行詰った時、一厘の力が出て生かすという事は、ちょうど螺旋(らせん)にたとえると能く判ります。今までは右巻きに西洋文明が進んで来たのでありますが九分九厘の瀬戸際で俄然、左巻きに変るのであります。右進左退即ち右巻は必ず破壊するもので、例えば炭団(たどん)を練っても団子を捏(こ)ねても左進右退なれば纏(まとま)って、巧くゆくが右進左退でやると崩れてしまいます。又鍵も左様であって、閉める時は右進左退、開ける時は左進右退であってこの理屈で当てはめれば能く判ると思います。ツマリ西洋文明は右進左退の破壊文明であります。時計のゼンマイも同じであります。』
ということで、ねじが右進左退だとハッキリ書いてある。右進左退。
時計の話もありましたので、前から色々上から見たり下から見たり、人間の左回り右回りという言い方自体がおかしいんだよという話をしましたよね。見方によって違うので、天から見るのと、下から見るのと違うよねというのと一緒で。
だけど、メシヤ様が考えておられたのは、ねじは昔から右へ巻くと閉まりますから。右へ向かって巻くと閉まるのを右進左退というと。左へ巻くと開く。だから、広がっていくのを左巻という。これからは左巻でないといけないよと。物理的には無いですよ。
今まで色々の見方があってやっていたけども、ここに出てきたので、左進右退、右進左退の・・メシヤ様がどう考えておられたかということね。
参加者
左から始まるということなんだね。
三救責任者
左に向かってという。これだとね。
時計のゼンマイを巻くのも右に巻くと。これも右進左退。
この御論文でいくとね。
だから、どこからとか、どこへ向かってとか、どこから見てとか、そういうのがあるので、御論文を読むときには注意して欲しいなと思います。
新盆が7月で旧盆が8月ということですので、盆についての御教えとメシヤ講座を後半部分には掲載させてもらいました。これをやっていてもうちょっとまとめようかなと思って、168ページになったので、特別編の 『慰霊・救霊』について作りました。
ここまでで、何かありましたら。
三救責任者
大人の週刊現代 というのがあって、意外と面白いです。また読んでみたらどうですかと思いました。
何か紹介しましょうか。
・日本の牛乳が嫌われる。
・パンは脳梗塞を招く。副腎がどんどん弱ってく。ふわふわのやつね。種類によってグルテンの量が変わってくると。それは、自ら脳を傷つけているんだって。極端にパン食ばかりの人いるでしょ。そういうのは怖いよ、自ら脳を傷つけているよということが書いてあります。
・風呂に10分以上入ってはいけない。熱中症になる可能性があると。
参加者
水分をとって入らないといけないって事ですよね?
三救責任者
そうそう。
体温が普段の平均体温より1度以上上がってしまうと、風呂の中で熱中症になる、そういうことでなくなる人もいるのでちょっと要注意。ヒートショック、熱中症が原因だったっていうことがあるという。
参加者
41度以上になると血液は固まるから・・
三救責任者
それで血栓できるよね。だから、ぬるま湯の方がいい。
基礎疾患がなくても危険なんですよということが書かれている。
・ウォッシュレットの話があります。先生も言ってましたね。洗いすぎに注意。細菌を噴射しているみたいなものです。タンクにね・・
参加者
タンクからとる水って事でしょ?
三救責任者
そうそう。
参加者
2種類あるじゃないですか。タンクから引き込むウォッシュレットと水道管というか直接蛇口からとるのと。
三救責任者
緑膿菌というのが検出された。
参加者
それにも勝つほどの菌を持ってたらいいけどね。(笑)
三救責任者
洗いすぎのリスク。
皮脂が取れてしまい肛門の周りがカサカサに乾燥してしまうという症例が報告されています。
だから人間には常在菌があるのでそれも取ってしまうんですという。皮膚炎、そういったところになるよと。
参加者
洗いすぎに注意ってことだね。
三救責任者
そうそう。海外では普及していない。日本で清潔を求める意識が高すぎてかえって悪影響を及ぼしていることもあるんですってこと。
それから、長生きしたいなら使ってはいけない日用品として
・うがい薬で喉頭癌になる可能性がありますよと。
・柔軟剤や香料の匂いで頭痛が起きるということもありますと。
化学物質過敏症という病気があるのかな。
参加者
多いみたいだね。
三救責任者
危険物質が使われているのね、うがい薬というのは。
イソジンうがい薬の箱に記載されている成分の中にはサッカリンナトリウム。これは歯磨き粉にも使われています。それから、歯磨き粉を選ぶときにはフッ素入りのものも避けた方が良いと。フッ素を口から摂取すると血液中のカルシウムやカリウムの濃度が下がってしまいますよと。結果、中枢神経や心臓に障害が出て頭痛や動悸といった症状が出ますと。
メシヤ講座でも昔の初期のには調べている人がいました。昔のを見るとあるよ。ある特選集の最初の方にも書いてある。
参加者
シャンプーの話とか。
三救責任者
そうそう、そういう話。
シャンプーは洗剤といっしょですと。
シャンプーのメリット買おうかこれポリオキシエチレンラウリルエーテル硫酸アンモニウムという合成界面活性剤が含まれています。だから洗剤を頭にかけてるのと一緒ですよという。
だから、ボディソープの代わりに安全添加物のない石鹸を使うのもお勧めですとは書いてありますね。
年取ったら、60代を越えればお湯だけで頭を洗えばいいんだって書いてある。
要は皮質を全部取ってしまう、洗いすぎると。顔もそう。洗顔、洗顔と言って、こんな洗顔をするのは日本人くらい。皮質をとるからだって。皮質をとっておいてまた塗る。外国ではではそういう皮質も大事にしてるよという。そういうことが書いてある。
そういうリスクも考えながら日用品を・・。
大人の週刊現代、参考になるかなと思って、紹介させていただきました。
何かありましたら。
参加者
『誠』の不足を直視せよ(344行~)の、ここの(日常的に慣れ親しんだように錯覚・・・)ところが難しいなぁと思って。
御魂相応に受け取れるんでしょうけど。
三救責任者
ここの『誠』の不足って、善言讃詞からきてるので・・・。
参加者
日常的に慣れ親しんだように錯覚している御教えや祝詞の文言の意味に対して思考停止状態に陥っている・・・って?
三救責任者
先生も奥津城で参拝して祝詞を奏上していて思い浮かんだのが、善言讃詞の中で無医薬にと出てくるのに、何で善言讃詞出てきて皆、無医薬に、無医薬にと何回もやってるのに無医薬になって行かないんだろうなぁっていうことを思ったよと、そういうところから来てると思うよ。そういう話をこの頃されてたからね。
参加者
あぁ・・。
三救責任者
もっと言えば、善言讃詞に「救世主(メシヤ)とならせ・・」という言葉を入れられたのに、何で素直にメシヤ様と御呼びしないの?と。そこ、おかしいんじゃないの?もうちょっと、ボーッとしてないで、メシヤ様が整えられたことを求め続けなければいけないんじゃないのと。
参加者
あぁ!分かりました。(笑)
それが、思考停止状態にって。はい、はい。
三救責任者
当時の幹部にしても「御光はなくてもいいんだよ」っていうのをきちんと伝えてくれればいいのに、「印刷してもいいでしょうか?」って聞いて、「それでもいい」って・・メシヤ様の言い方というのはそういう言い方で、選ぶのは自由ですよと。だけど、「なくてもいいんだけどな」というのが本心なわけであって、そちらの方を選択せずに、印刷する方を幹部は選んだのですね。だからきちんと考えなさいよということを先生はずっと考えておられたわけです。
参加者
意を汲んでいないということ。
三救責任者
「御光なしでいいんですよ」、「メシヤ様に繋がればいいんですよ」 と先生が言ったら、メシヤ教に入らなければ御光無しの浄霊が出来ないわけじゃない。そういう風に考える人がいるけど、違うじゃないですか。別にどこにいてもいいんですよ、という話でしたから。メシヤ様の前で住所氏名年齢を報告させていただけば浄霊ができますよ、メシヤ様と唱えれば浄霊が出来ますよ、という事を教えて下さってるのです。教団運営にこだわっていくと、そういったところが広がっていかないのだと思います。
これは『誠』につながるよね。
『誠』を持って、なぜやれないの?
参加者
御玉串にしてもそうじゃないですか?
感謝献金、本当に有難いと思ってあげさせて頂くのが誠じゃないですか。言われたからあげるのは違うじゃないですか。
三救責任者
私の玉串どうなった?とかってずっと言ってる人がいるじゃないですか。
それ、誠あるの?って思いません?神様にお捧げしたのでは?って。
参加者
それこそ、この間読ませてもらったような、借金してまでしてる人ならそういう感覚にもなっちゃいますよね。
三救責任者
そうですね。上の人の言い方・・。
だけど、その時に自分が「何故?」「おかしいんじゃないの、これは?」って考えなかった自分がいるわけじゃないですか。上の人に言われたからやったという。普通、考えておかしいと思いません?家の財産全部教団に寄付したら救われるって、入信したら救われるとか、御神体を奉斎したら救われるというのはやめておけという話です。
だから、神様と取引をするなという話です。
御神体を奉斎したら治してもらえますかとか、そういうものじゃないよと。入信したら、この病気を治してもらえますかっていうもんじゃない。治ったから有難いと言ってするのが本来であって、そこのところ。
これが、全部『誠』に通じてくる。
参加者
色々体験談が書いてある中で、それぞれの捉え方でしょうけど、浄化してる方に、そこは御神体を御奉斎しているのかとか、活動しているのかとか、そういうことを仰ってみえるじゃないですか。で、してるとかしてないとか答えて。そうすると、その事を読んで、例えば先生からそういう事を言われたら、自分で「あぁ、御神体を御奉斎した方が御守護頂けるんだな」っていう思いにかられてしまう事もあり得ますよねぇと思っちゃいました。そういう風に捉える人もいる。
三救責任者
『誠』ということについて考える機会にしていただければありがたいです。
(省略)
司会
以上をもちまして7月度月次祭、並びに一日祭を終わらせていただきます。
参加者一同
ありがとうございました。
『誠』の不足を直視せよ
メシヤ講座・特選集no.140(平成24年9月分)
多くの問い合わせのうち、メシヤ様を教祖と仰ぐ教団所属者から「組織の違いによって何故浄霊力に差が出るのですか」という疑問が多く寄せられます。これは、三重支部中の『善言讃詞』に詠み込まれた内容に繋げて考えると頷けるのではないかと思います。また、日常的に慣れ親しんだように錯覚している御教えや祝詞の文言の意味に対して思考停止状態に陥っていることに関連します。
様々な施策を展開しようとしているようですが、神の座にある御方が御詠みになり、御書きになった内容を求め続けなければ形骸化してしまい、意味を成さないのです。先程の信仰姿勢を問う内容と相まって充分考慮を要することです。
そして、『無機質界』を拝読して判るように、メシヤ様は最新の科学に注視されながら時代の最先端を歩まれていたのです。その御姿に照らして考えてゆけば、自ずから答えも見えてくるものですが、見えてこないという人は、これはこれで仕方がないところでもあります。何にもまして『身魂相応でしか御教えは理解できない』と言われてきましたので。
それにしましても、『文明の創造』が如何に現代の私達の信仰姿勢に対してお導きをいただけているかが身に染みてまいります。大変に有り難いことです。
一方、組織の問題に言及すると、「全ては明主様(メシヤ様)がやっておられる」ということで“事無かれ主義”を通そうとする方も見受けられます。しかし、その方々が見落としているのは、その後の『御教え通り』ということなのです。
そこでよく考えていただきたいことは、慣れ親しんでいる御教えとも言える短い御論文『誠』の内容です。
誠 (昭和二十四年一月二十五日)
世界も、国家も、個人も、凡ゆる問題を解決する鍵は『誠』の一字である。
政治の貧困は誠が貧困だからである。物資の不足は誠が不足してゐるからである。
道義の頽廃も誠のない為である。秩序の紊乱も、誠のない所に発生する。
凡ゆる忌わしき問題は誠の不足が原因である。
宗教も学問も芸術も、中心に誠がなければそれは形骸でしかない。
嗚呼、誠なるかな誠なる哉、人類よ、問題解決の鍵は、ただ誠あるのみである。
教団裏面史をつぶさに検証すると、メシヤ様の御寿命を縮めてしまった『御法難』の原因も『誠』の不足からでした。その『誠』の無さの後人に果たしてどれ程の影響が出るのかは、現代生じていることの多くを見れば一目瞭然ではないでしょうか。
この他、面談した人の中では様々な分野で研究を深めている方もいました。想念の持ち方で病気症状を誘発することは学究の明かすところまで来ています。そのため、日々の生活姿勢(心・言・行)によって病気症状を改善することができる広報をしている人もいました。これに対して、例えば〇〇教団などは“天に対して不平を言うと頭痛持ちになる”ということで心の営みの大切さなどを説いてきました。
浄霊を取り次ぐ教団は、そうした想念面、行動面の営みを疎かにしてきたきらいがあります。御教えに具体例が満載されているにもかかわらずにです。
今月拝読する『霊主体従』は、改めて深い示唆をいただけるものです。拝読を重ねると“『文明の創造』の出版に踏み切ることができて本当に良かった”と更に思えてまいります。そして発刊後の御神業の進展ぶりを拝すると、御神慮の深さにただただ感謝の念を深くするものです。
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