令和4年6月15日、地上天国祭挨拶
令和4年6月15日、地上天国祭
三救責任者
皆様、地上天国祭おめでとうございます。本日のような祭典や、月次祭の時に、「おめでとうございます。」と挨拶しますが、何がおめでたいのでしょうか?
メシヤ講座の説明を引用いたします。
祭りというのは、真に釣り合う祭りと書きます。
何が釣り合うのかと言いますと、神様と人間がまことに真釣り合うのです。
月次祭というのは、人間の都合で決めた日でありますが、一旦そのように神様に御報告させていただくと、神様の側からすると、月次祭に一番光を注いでくださって、みんなに力をくださる訳です。その日に決まった以上、人間の一か月の生活は月次祭に合わせて毎月動いていくような生活をしていって、そして、旅行の計画や法事、結婚式などさまざまなことがあるのだけれども、月次祭の日だけは必ずここへ来ようとみんなで準備を重ねて、諸事情を乗り越えてくることができて、初めて、神様と人間が真に釣り合うことができるのです。神意と、人間のそういう思いが釣り合うことができるのです。
釣り合うことができたので、おめでとうございますと言うのです。
毎月の月次祭は、三重では一日祭並びに月次祭として一日に決め、浜松では一日を過ぎた最初の火曜日と決め、執り行うことが許されております。
大変ありがたく、おめでたいことであります。
一方、本日は「地上天国祭おめでとうございます。」と挨拶させていただきました。それは、6月15日という日に意義があるからなのです。
地上天国祭に臨む思いというのはさまざまでありますが、三救として、どのような姿勢で地上天国祭に参拝させていただくのか、それを司会に祭典前に読んでいただきました。もう一度読ませていただきます。
昭和25年6月15日、ミグラタナの神様がご腹中にお鎮まりになられ、メシヤ様は『メシヤ』の御神格を持ちの御存在となられました。
そして、72年余りの地球上の御生涯において、私達が『最後の審判』を乗り越え、地上天国建設が成るように、救いの智慧と業をお授けくださったのです。
昭和25年より72年、メシヤ様のご生涯と同じ年を経た、意義ある本日、
メシヤ様の御神格の認識を深め、救いの御神業の実践に尽くさせていただきますことをお誓い申し上げ、
主神様へ全宇宙のご経綸に対する感謝を捧げ奉り、メシヤ様から地上天国建設の御力を賜ることを念じ奉ります。
岡田茂吉教祖 メシヤ様は、昭和元年、1926年にご啓示を受けられ、病気に対する判釈などを検証され、
救世主としての任を決意されたのが昭和6年、1931年のことでした。
その御決意があって、昭和6年6月15日夜昼転換の御神事に臨まれます。
千葉県の鋸山で天照皇大御神様をお迎えになり、後日赤坂日枝神社に御鎮座されるのです。
教祖の決意があって夜昼転換はあったのです。
それ故、メシヤという御存在であられるわけです。
箱根神仙郷の完成が昭和28年6月15日でした。箱根地上天国完成記念祭が執行されました。
そして、地上天国の雛型を建設するのは、宗教本来の理想を実現し、日本が神様から与えられた使命を果たす一助とする意図に基づいていることを強調されております。それ故、私達も小さくとも、我が家を地上天国の雛形にする取り組みに努めてまいりたいのです。
と、平成16年6月のメシヤ講座で御教導をいただいております。
そして、昭和29年6月15日、メシヤ降誕仮祝典が執り行われ、
『天照皇大御神様』の御神名を奉唱いたします。
今後は教祖を『明主様』から『メシヤ様』とお呼びするという発表が当時の管長よりありました。
このように6月15日というのは、幾重にもめでたい日である訳です。
昭和25年6月15日に重大な御神事が、静岡の清水でひそやかに執り行われました。『一つの神秘』昭和25年12月20日で、御教え賜っておりますので、読ませていただきます。
『一つの神秘
栄光83号、昭和25(1950)年12月20日発行
先頃、私が入獄中、種々の神秘な事があったが、時期の関係上全部知らせる訳にはゆかないから、追々知らせるとして、今はただ一つだけの事をかいてみよう。
忘れもしない、今度の事件で留置されたのは、昭和二十五年五月二十九日であったが、間もなく留置所にいるのは十八日間という神様からのお知らせがあった。それは数えてみると六月十五日までとなる。ところが当日の二、三日前くらいから一大神秘が起った。これもある程度以上は知らせられないから、その中の差支えない部分だけここにかいてみるが、確か六月十三日であった。朝から何となく腹が痛いので、そのままにしていたところ、午後になると下腹部一面が猛烈な痛みとなって来た。多分急性腹膜炎だろうと思ったのは、何しろ私の身体も、昔の薬毒がまだ相当残っていたから、その塊が溶けはじめたに違いないと思って、自分で浄霊したところ、どうやら我慢出来る程度にはなったが、まだ何となく気持の悪い痛みが続いた。いつもなら二、三十分も浄霊すれば治ってしまうのに、この時ばかりは半日経っても、一日経ってもすっきりしない。とうとう一晩中大した程でもないが、痛み通しで翌朝になってしまった。そこで私も不思議にたえず、神様のお知らせを仰ぐと、これは大きい御経綸のためで、止むを得ないのだから、少しの間我慢せよとの事なので、どうしようもなかった。と共に「そうだ」翌六月十五日はちょうど十八日目に当る。しかも、私の著書にもある通り、昼の世界になる黎明の第一歩が、昭和六年六月十五日である。としたらこれに関連があるに違いない、つまり腹の中を充分清掃するための準備的浄化、という訳がハッキリ判った。
しかも、面白い事には、十四日の朝素晴らしい神夢を見た。それは雪のある富士山の頂上に登ったところ、そこに大して大きくもない宮殿風の家があるので、その家へ入り、座って辺りの雪景色を見ようとすると、目が醒めてしまった。と同時に私は今までにない感激を覚えた。何しろ昔から、一富士、二鷹、三茄子と言ってこの三つのどの夢をみても、非常に縁起がいいとされているからで、しかも一番好い富士山の夢で、その頂上にまで登ったのだから、恐らくこれくらいいい夢はあるまい。私が六十七歳の今日まで、こんな素晴しい夢は見た事がない。という訳で嬉しさが込み上げてくる。そのため少し残っていた腹の痛みもどこへやら忘れてしまった程だ。
いよいよ、六月十五日となった。すると朝まだき、今日の重大な意義がハッキリして来た。というのは以前かいた著書に、私のお腹の中に光の玉があるという事で、これを読んだ人は知っているだろうが、この光の玉には今まで魂がなかった。ところがいよいよ今日○から○ったある高位の神様の魂が宿られた、すなわち右の御魂が現世に生誕された事になるのである。これからこの神御魂(かむみたま)が段々御育ちになり、成人されるに従って、玉の光は漸次輝きを増し、将来大偉徳を発揮さるるに到るのである。
そうして面白い事には、翌十六日には朝から食欲が全然ない。やっと昼頃になって牛乳だけが欲しくなったので、差入屋に頼んで取寄せ、コップに一杯呑んだが、その美味さは格別だった。その時なるほどと思った事は生まれたばかりの赤ン坊だから、乳が呑みたいのは当り前で、確かにこれが型なんだ。という訳でいよいよ大経綸の第一歩を踏み出す時となったのである。すなわち花が散って実を結ぶという、その実の種の中心のポチが、腹の中へ宿ったので、実に人類始まって以来の大慶事である。ところがこのような万人祝福すべき空前の重要神業が、一人の部下もいない陰惨なる牢獄内で行われたという事は、何たる皮肉ではなかろうかと、私はつくづくおもわれたのである。この一事によってみても、神様の経綸なるものは、いかに深遠微妙にして、人智を許さないものたる事を知るであろう。この前後の経路は法難手記にあるからここでは略す事とする。』
(メシヤ様以下、教団関係者の無実が証明されたのは、メシヤ様御昇天以後のことだったそうです。)
『一つの神秘』の御教えにボーっと読み飛ばしてはならないことがある。と気付かせていただきます。
まず、このメシヤ様の御腹中の光の玉に高位の神様の魂が宿られる。
この場所が静岡であり、清水です。
『神様に聞くと、一旦日本の真ん中に行かなくてはならぬと言われた。刑務所は静岡の真ん中にある。』
昭和25年8月1日の御講話がございますが、これは駿府城跡のそばですね。それで、この『一つの神秘』が行なわれたのは庵原です。
庵原地区署ですが、今の、清水区蒲原郵便局の場所、と思われます
蒲原町は静岡県庵原郡に属していて、2006年に静岡市に編入されています。
日本の真ん中ということと、今の蒲原という地名を聞いてハッと思いました。
蒲原というのは、神の腹と書いてカンバラと読めるではありませんか。
そして日本の最高峰富士山は、別名ハラミ山と言います。
ホツマツタヱでは、富士山 蓬莱山の蓬莱の意味はハラミと呼ばれ、食べると千年寿命が延びるというハラミ山に生えていたとされます。
栄菜(はほな)、老菜(らはな)、身草(みくさ)の千代三草の頭文字のは・ら・みを意味していると言われ、
富士山の麓には宮が存在していたとされています。メシヤ様の夢で、頂上の宮殿風の家へ入ってと出てきました。
ホツマの時代では、宮殿は麓にあってスメラミコトが統治されていたのでしょう。あるいはその時代は麓も地上天国だったのではないでしょうか。
昭和29年4月21日発行のハワイ通信 栄光257号に、
「色々宗教的な本を読んでいる人のようですが、世界に出る聖人のうち、8人目の成人が世界を救うという予言があるが、数えてみると、明主様がその8人目に当たられると言い、また東方より光が出るということを読んでいるとも言われて、相当に熱心の様子でございます。」とありまして、それを受けて
メシヤ様が、昭和29年4月7日、の御講話で、
『今の世界を救う聖者が8人目に出るということは伝説にあるのです。仏教の方では、釈迦が8人目だということになっているのですが、それは仏教に都合の良いように作ったものです。釈迦は八ということはないのです。釈迦は七で7人目なのです。
というのは五六七として、釈迦が七の弥勒になるのです。釈迦はどこまでも七の数字で支配される人です。だからつまり、地は七ですからして地の弥勒です。
私は
ですから八という数字を書くと富士山の形になります。
それで私は大和民族の宗家(そうけ)になるのですが、大和民族というのは、今の駿府の付近が発祥地なのです。本当は富士山の上なのですが、富士山の麓なのです。
だから、昔は富士山が本当の神様の山として、あそこの上に今でも木ノ花咲姫が祀ってありますが、そういった意味で私は富士山と非常に因縁があるのです。
静岡の裁判であっちの留置所に入った時に大きな神秘なことがあったということも、そういう因縁なのです。そうして、あの時も話した通り、夢で私が富士山に乗っかって景色を見るという話もしましたが、その時が私が生まれた。
第二の誕生です。そこで出てから、散花結実ということを言いましたが、花が散って実を結ぶで、散花結実ということは種が宿ったということです。それから私の力とかいろんなそういうことが違ってしまった訳です。
それからが本当に開けた訳です。ですから、あの時にメシヤ教というものはすっかり壊れてしまった訳です。もう、これで駄目だというくらいに見えたのですが、それが花が散るという形です。それはその当時よく話しましたが、そういうような訳で、今の8人目ということもあっているのです。
大和民族というのは駿府の付近が発祥地なのです。ということで、同様のことが出てまいります。で、富士山と非常にかかわりがある。
メシヤ様は富士山とかかわり合いがあるということです。
先程の散花結実で最高位の御神格になられたということですね。
種が宿って最高の御神格になられたのです。
昭和25年6月15日に、種が宿って最高位の御神格になられた。
それでこの時は御神名を伏せておられました。
平成22年6月15日に、昭和25年の6月15日の先程の静岡での一つの神秘から60年還暦の型ですね。
60年を経て、平成22年6月15日に、先生がミクラタナの神様の御神名を明かされました。
それと同時に『文明の創造』今私達が学んでいる『文明の創造』当時四分割で編集の一巻目が刊行された訳です。
もうお気づきかと思いますが、神様の名 御神名ということが非常に重要な御神業として影響をしているのです。
⦿の御神体を御奉斎し『主之大御神』様の御神名を奉唱。
地上天国の雛形としての存在を許され地域家庭へ光を間配る。
メシヤ様と御尊称申し上げお光無しの御浄霊実践。
『メシヤ様』とお呼び申し上げるからこそ、直接に御力を賜り、
お光なしで浄霊が許され奇蹟を頂けるのです。
ミクラタナの神様の御神名を明かされ、『文明の創造』刊行
ミクラタナの神様が地球に御生誕されて72年の現在、
その光は地球に限りなく降り注いでいると拝察いたします。
地球上全ての人々がメシヤ様の教えと浄霊で救われ、地上天国建設が成りますように。
『最後の審判』後の新文明を創造していく実践マニュアルが『文明の創造』なのですから私達はワクワクして学ばせて頂きたいと思います。
そして一人でも多くの人に宣べ伝え浄霊の実践に励ませて頂きたいと思います。
心を病まれた人、閉ざされた人の心の岩戸が開かれ、おひとりおひとりの心に天国が建設されることを祈念申し上げまして『地上天国祭』の挨拶とさせて頂きます。
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