令和4年10月10日
令和4年 三救祭
司会
祭典5分前になりました。10月10日は三救のご神業始まりの日であり、結びの月、結びの日です。
3月3日、5月5日の祭典と同じく、10月10日もまた百(もも)の祭典と言えます。
全ての神様が主神様に帰一していくことを認識させて頂く祭典とさせて頂きたいと思います。
⦿(ス)の言霊を認識させて頂く為に大石凝真素美翁の文章を初めに先達が朗読いたしますので心静かにお聞きください。
三救責任者
故(か)れこの霊聲(こゑ)を總(すべ)て一言(ひとこと)にす(素に氣と書く)と言ふなり
故(ゆえ)にす(素に氣と書く)聲(ごえ)の言靈(ことたま)を誠に明細に説き定(さだむる)時は、
世界一切の極元(ごもと)の眞體(しんてい)をも 其(その)成り立ちの秩序をも
億兆万々刧々(こうこう)年度刧大約(こうおほつな)恒々兮(こうこうたる)大造化(だいぞうけ)の眞象をも
遂一明かに、資(と)り得らるるなり。蓋(けだ)し「ス」の言(げん)たるや
⦿(す)にして⦿(す)なるが故に 既に七十五聲(せい)の性靈を全備して、
純乎(じゅんこ)として 各皆其(その)眞位(みくらい)を保ちつつ有るなり、
其(その)眞位(みくらい)と謂(い)ふは 皆兩々相向(りょううりょうあいむか)ひて 遠近皆悉く
反對(はんたい)が純一(じゅんいつ)に 密合の色を保ちて實相(じっそう)しつつ、
至大極乎(しだいきょっこ)として恒々兮(こうこうたり) 活機臨々として點々(てんてん)たり、
所謂至大氤氳(いわゆるしだいいんうん)の氣が聲(こえ)となり起(おき)むと欲して
堪々(たんたん)の中に神機(しんき)を含藏(がんぞう)するの時なり、
故に世に人たる者は先づ第一に此(こ)の
⦿(す)の謂(いわ)れを明かに知らざるべからざるなり、
⦿(す)が皇(すべらぎ)の極元(ごもと)なればなり。
(大石凝眞素美全集・八幡書店)
図1
司会
体験発表をしていただきます。
参加者
『文明の創造 婦人病』を拝読して
先月の『文明の創造』で「婦人病」を学ばせて頂いた際、「その通りだと思いました」と言わせて頂いたのですが、その内容を少しお話しさせて頂きたいと思います。
30年位前に遡るので、あいまいな部分もあることをご了承ください。
勤めだした春、花粉症がヒドイ状態だったので耳鼻科で診察を受け花粉症の期間だけ漢方薬をのむことになりました。それと同時にこれまでほとんど無かった生理痛が起こるようになりました。当時は就職したストレスからだと思っていました。生理痛の薬は飲まなかったのですが、毎月生理痛が続くので婦人科で診察を受けたところ、子宮内膜症だと言われて、漢方薬を処方されて飲み始めました。
飲んでも症状が改善されることはなかったのですが、飲まないともっと酷くなるんじゃないかと思い飲み続けました。この頃、おりものもとても多かったのを覚えています。
生理痛は酷くて、仕事中動けなくなり病院に連れて行ってもらった事もあるほどでした。その時は注射ですぐに治まりました。
その頃結婚し仕事を辞めたので、花粉症の漢方薬は止めました。止めても症状はそれほど変わらず、飲んでいても薬の効き目がなかったことに気付きました。
子宮内膜症が改善しないので、他の病院にも診察を受けたところ、一定期間生理を止める治療をすることになったのですが、治療が終わり、2回目の生理のときにはまた生理痛がおこり症状が改善されることはありませんでした。それ以来、最初の病院だけに通いましたが、薬を増やしても減らしても変わらず、治らず、下腹部に常に鈍痛がある状態でした。(後に、『文明の創造』を学んだ時に鈍痛は漢方薬を飲んだからだと納得しました。)
どうしようもないまま悩んでいる時に御浄霊のことを聞き、通わせて頂くようになりました。
御浄霊をいただくようになって初めての生理の時に、真っ黒な沢山の血の塊が出て驚きましたが、「いい事なんだ」と教えて頂きました。しばらくして、薬が良くないという事も聞き、止めました。生理の度に塊が出て、何時の頃からか下腹部の鈍痛は感じなくなっていました。生理痛はまだ続いていましたが、30歳を過ぎたころ急に楽になりました。その頃、発熱の御浄化も度々頂いたことを覚えています。この時も、御教え通り、熱は出るだけ出たら下がるという事をその度に実感しました。
結婚して数年しても子供に恵まれず、婦人科で診察を受けました。明らかな原因は無いように言われましたが、不妊治療を受けました。数か月続けましたが、年齢も若かったのでやはり自然に任せようと思い、止めました。
37歳ごろ、年齢的にタイムリミットが近づいていることで、薬は良くないと分かっているけど、このままで後悔しないか‥等々とても迷いました。迷いに迷って、聖地参拝させて頂いた時のお話がどちらを選んでもそれぞれの道があるというような話しだったと記憶しています。そして、1年だけ不妊治療を受けることにしました。医師には極力薬は使いたくない事を伝え、相談しながら進めたのですが、それでも沢山の薬を使ったと思います。1年数か月、不妊治療をしました。
その後、メシヤ教に出会い『文明の創造』を学び、これまでの不妊治療や薬のこと等、考えが足りなかったことを痛感し、とてもショックを受けました。その時は、○○さんに寄り添って助けて頂きながら、何とか自分の体験から同じような境遇の人に薬毒のことを伝えていけたらと、出来ることを少しずつでもさせて頂けたらと思えるようになりました。
平均年齢よりかなり早く生理が止まり、その後数年してから、足の内側が腫れて歩けなくなったり、鼠径部が痛くて歩けなくなったり、指先が腫れて変形したり、浮腫み、足が動きにくかったり、重かったり、違和感等々、色々の症状が起きています。
文明の創造『婦人病』に書かれている通り、下におりてきているのだと感じています。
そういう思いが巡って、「その通りだと思いました」と言わせて頂きました。
色んな症状に、不安になることもあるのですが、日々日常生活を送らせて頂けている事に「感謝を忘れてはいけない」と、自分自身に言い聞かせています。
日常生活に問題ないようにして頂けている、すごい御守護をいただいているのかもと思ったりもします。
今回、これを書いていて感じたのですが、当時、生理痛の痛み止め、花粉症の薬等は、身体に良くないと感じて飲まなかったり、止めたりしたのですが、子宮内膜症の時にはそのように思う事なく、治りたい一心で飲んでいました。
どちらも薬なのに別の考え方で捉えて飲んでいたことに改めて気付きました。知人・友人と話をしていて、当時の私のようにとらえている人が多いと感じています。
上手く伝えられなくて自己嫌悪に陥ったりもしますが、学びを続けて、機会があれば少しずつでも話をして、伝えていけたらと思っています。
そして、今日伺う直前に思い出したのですが、乳腺症か乳腺炎かはっきり覚えていないんですが、胸が痛かったり、しこりができたり、というご浄化も何度かただきました。その時、すぐに良くなるというわけではなかったんですけれども、日々ご浄霊をいただき、その都度いつの間にか自然に治っている、という御守護もいただいています。先ほど気づきましたので、ご報告させていただきます。
ありがとうございました。
司会
責任者からご挨拶させて頂きます。
三救責任者
皆様、三救祭おめでとうございます。
ミクラタナの神様は、五十音を並べる言霊のタナだとの説がありますと、「メシヤ様の御神格を求める座談会」に投稿したことがあります。
また、古事記に出てくる神様は一音一音が神様で五十音の言霊と五十の運用方法で百柱(はしら)の神様が登場すると、10月度覚りの旅、コトタマ学の桃太郎伝で学ばせていただきました。
最高の言霊を発せさせて頂けますよう、祭典前に 大石凝真素美翁の『ス』のいわれを朗読させていただきました。
メシヤ講座 覚りの旅で学んできたことをこのように活用して参りたいと思います。
本日は『文明の創造 婦人病』を覚りの旅で学んでいて、婦人病に書かれていることが、そのままご自身の体験した浄化作用だったことで、「その通りだと思いました。」とおっしゃった、その内容を発表していただきました。
あらゆる病気を身を持って体験されたメシヤ様でありますが、それは婦人病以外です。
婦人病については浄霊しつつ聞き取り、あるいは文献を加味しつつご執筆されたのだろうと拝察いたします。それを実体験をもって「その通りだ」と語れることは素晴らしいことです。
〔選択の自由〕
人間には選択の自由が与えられています。医者にかかるもかからないのも、薬を飲むのも飲まないのも自由なのです。
決めるのはあなたなのです。
こちらの選択で良かったのだろうか。あっちを選んでいたらどうなったのだろう。人間とは弱いもので、不安になってしまいます。その時の周りの状況で、多勢の意見を選択してしまいがちです。
そんな時は、国常立尊様を天若彦尊先導に芦別山に押し込めてしまった神々の行動を、見て見ぬふりをした、その夜の時代の癖が出てきてはいないか、思い起こして立ち止まって考えてみましょう。
九千年、三千年前からの歴史、神代氏、人類史に思いを馳せて、信仰を深めれば深める程、選択の場面では自分が選んだようで、神様から選ばされていると感じることが増えてくるのではないかと思います。
三救の発足の頃、美智子前皇后のお歌を紹介しました。
「 かの時に我が取らざれし分去(わかさ)れの片への道はいづこ行きけむ 」
皇后となることを選択され36年、皇后でなかった自分、若き日に自分が選択することで失われた世界に思いを馳せ、歌にされております。
ひるがえって、かの御神名の奉唱が、○○教から三救への分去れの道となりました。
神様が新しい道、三救の道をお示し下さったのだ。そして、今こうして皆様とともに祈りを捧げ、御教えを学び、浄霊を取り次げることが許されています。
色んな分去れの道を選択しつつ、主神様、メシヤ様に帰一する御神業にたどり着いたのです。
「よくぞたどり着いたね」 とおっしゃって下さっていると思わずにはいられません。
〔感謝〕
そのように思いを馳せると、出会ってきた人々、その時々の神様のお働きに感謝の気持ちがフツフツと湧き上がってきます。このフツフツと湧き上がる想いこそ、経津主の働きなのかもしれません。原稿を書いていて、そんなことを思いました。
〔浄化の受け止め方〕
絶えず明るい毎日を送り、子育てに生きがいを、ということで、メシヤ講座浜松26年6月より、
将来の大峠を乗り越えるために少しずつ浄化が許されているのだという理(ことわり)が分かっていくと、毎日毎日感謝ができるようになります。
図2
真(まこと)の理(ことわり) を浄化で身をもって学んでいるのです。
図3
浄化作用、浄化を感謝で受け止めることを、私を例にメシヤ講座で、
「『御教え』を絵にかいたような浄化を頂く!」 これはメシヤ講座出雲 平成28年3月ですけども、
このように清掃作用という事を神様側ではされているので、それによって我々の上にも浄化作用として起きて来ます。この事が分かっていないと浄化は有難く感謝で受け止める事が出来ません。どうしても“又悪くなった、どうしょうか”というような話になってくる。然し神様の御心によって、暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せるから、それを清掃作用として浄化を頂いているのだ、と受け止めると、この三千年の流れの中で今浄化を頂いているという感謝の気持ちが沸々と湧いてきます。繰り返しますが、この事が分かっていないと“どうして、又、こんな痛みが出るのだろうか”という話になってしまいます。
『暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行はれなくてはならない。』という事の上に、浄化が起きているという事を我々は強く認識しておかないと、少々薬を飲んでも良いのだという話が、ベラッと悪魔の囁きが出て来ます。この教えをしっかり肚に入れて置かないとそういう事が出て来ますので、充分心に留めておいて頂きたいと思います。
というメシヤ講座をいただいておりますので紹介させて頂きます。
図4
それから、感謝ということは、言霊を射る、それで、心で感じる、という風に漢字を分解するとなるかと思います。
幸せになりたいと思ったら、感謝することを探そう。
感謝している時は、悪い気分にはならない。
毎日感謝できることを数えてごらん。
無意識に、物事のいい面を見るようになり、幸福感が増します。
持っていないもののことばかり考えて既に持っているもののことを忘れていないかな。
それで、今の言霊を射るという、その「射る」という言葉は、メシヤ様が昭和15年11月9日特別講習会御講話でも用いられておりまして、
霊の曇りは光で取る。人間はこの光をみんな持っているが、出す方法がなく、勿論知らなかった。不思議のようだが、判ってみればなんでもない。光が霊の曇りを射るから溶けていく。
ということで、「光が霊の曇りを射る」という言葉を使っておられますので、この字を見ていて「言霊を射る」ということかな、という風に思いました。
本日は、浜松の月次祭も兼ねておりますので、三救祭を前に三重の月次祭での挨拶の内容を少し復習したいと思います。
10月10日の三救祭を前に、9月に岩戸観音堂への参拝が許されました。
平成27年11月のあるところのメシヤ講座で、「定山渓の伊都能売観音様に、どうして『主之大御神守り給え幸倍給へ』という御神名を唱えたのですか?」という質問がありました。
その時の先生の回答ですけども、
「伊都能売之大御神守り給え幸倍給へ」とずっと唱えて来ましたが、ある時、祭典を執り行う時に、その御神名が私の口からどうしても出ずに、祭典が一時滞った時がありました。それで、どうしてこういうことが起きるのか、御神名について、もう一度深く考え直していきました。
特選集に三重の責任者が所感として(・・その所感の要旨ですけども、定山渓岩戸観音堂にお鎮まりの伊都能売観音様と芦別岳に御隠退なされた国常立尊様は表裏一体であり、メシヤ様と御尊唱申し上げる想念に高まるまで、秘されていたのではないか。だからこそ、当時の本部の御神体になっておりました日之出観音様として御奉斎されているのではないか・・という所感を)書きました。
こういう不可思議な事(・・不可思議な事というのは御神名が出ずに、言霊に発せずに考えさせられた事をさしていると思われます。)がどうしてあるかということを考えていくと、この国常立尊様の絶対的な裁きというお働きと、そして観音様という、全ての人達を救っていくという大慈悲心の固まりのような、そういう御存在が合わさったものがメシヤ様であるわけですので、このメシヤ様という認識をするために北海道の地に、芦別岳と、それから定山渓に伊都能売観音様の絵姿のご描画をかけられたと、そういう観音様が掛けられたのではないかというふうに、三重の責任者は推測をして、ここに書いてくれておりますので、全くその方向で考えていただくのが一番いいかと思います。
そして、主神様の御本体が・・・主神様という御本体の中から地球を救うためにメシヤ様がこうしてお出ましになっておりますので、国常立尊様と伊都能売観音様のお働きが合体したような形がメシヤ様という御存在になります。救いと裁きを同時にされるのがメシヤ様です。
メシヤ様の御存在を認識させていただくために北海道の地に、芦別岳に国常立之尊様と、定山渓に伊都能売観音様の絵姿を描画した観音様を御奉斎されたのではないかということ、そしてその絵姿を「日之出観音様」と名付けられたということは、「日之出観音様」が後に「メシヤ観音様」と呼称されたということと合わせ考えさせて頂くと「善言讃詞」の御神格の出世向上を現界に形としてあらわされていると思います。そう考えていくと更に合点がいくのではないでしょうか。
全ての神様は宇宙、主神様に、 地球、メシヤ様の御手に帰一していくのです。
メシヤ様の御神格を認識させていただく御神業を積み重ねてきたからこそ、主神様の御神名奉唱が許されたのだと拝察できるのではないかと思います。
御神名を認識させていただく、奉唱させていただくことは、このように非常に尊いことなのだと分からせていただけるのではないでしょうか。
私達の執り行う祭典には繋がり、連続性があります。
図5
ということで、2月3日、4日のその節分祭でお詫び、国常立尊様が中心ですね。
6月15日に光が弥増して地上天国祭、心の岩と開きと言えます。
図6
図7
桃というのは3月に咲きます。3月3日に祭典があります。
5月に実ります。5月5日に祭典があります。
10月10日というのは、本日ですね、10×10=100(百)で「もも」と読みます。
3月3日、5月5日、10月10日、縦に足すと18 と 18 になります。
18というのは観音様の数字であり、18と18を合わせた36というのはミロクの数字であります。
一年の祭典の働きに、観音の数字18と ミロクの36が数字に現れているのです。
御神名をお働きであり、御神名を認識させていただくことが重要です。認識して初めて言霊を発することができるのです。
図8(省略)
さて三救祭は平成30年から取り行っておりますので、五度目の三救祭となります。
五の三ですので、伊都能売の数字の年であります。節目でありますので、挨拶の内容を簡単に振り返ってみたいと思います。
平成30年、2018年が初めての三救祭でした。
三救での御神業が始まるということで、この時は『大千三千世界は主神様御一方が主宰され給う』これは『仏滅と五六七の世』昭和27年文明の創造に書かれている御教えですけども、そこのお話をさせていただきました。そして、伊都能売大御神様について、新しい生命の息吹と関係があるのだということをお話しいたしました。
それで、救いの三本柱ということで、Three Pillars of Salvation (TPOS)救いの三本柱、三救ということで御神業を始めました。
令和元年は2019年。
十月十日は結びの月で、結びの日である。
この時は即位の礼が、この月に行われております。皇位の継承を世界中に知らせる時代の節目でありました。
王権のシンボルが皇祖神に受け継がれ、現代にメシヤ様に受け継がれ、すべての神様が主神様に帰一していくことを認識させて頂く
三救 → 加良比乃神社 → 三救 という参拝をさせていただいております。
令和2年、2020年は
『神様はご自分から祭りをしてくれとは決して仰るものではない、信者からどうぞお祭りをさせて頂きたいと申し上げなくてはいけいけないのだ。』ということで、世界救世(メシヤ)教の秋季大祭が始まったのだというお話をさせていただいております。
10月26日というのは、岩戸観音堂の方は、先生がそういうことを認識して始められました。
10月10日は加良比乃神社に関することとして、三救祭として三重で始めております。
ここでは万教帰一、帰一ということで、所属、神様が異なっても元は主神様御一方である。一神にして多神なんですよという話をいたしました。
ミクラタナの神様ということで、王権のシンボルであると。主神様から降る御魂 ゝ(チョン)、 光の玉〇に ゝが入って、⦿ となった時にメシヤ様という御存在になられた。
この王権と言っても、覇権主義では手に出来ない。徳で治めるということが重要です、というお話をさせていただいたかと思います。
令和3年、2021年は
帰一、一とは元の神様、即ち主神の事である。それに帰する、主神に帰することであります。
弥勒出現時には宗教の役割を終えて、すべての神々は主神様に帰一していく。
観音様の御出世、神々の主神様への帰一、この認識をさせていただくことが御神業の本目なんだと。
定山渓で主神様の御神名をこの時は奉唱させて頂いております。
令和4年、2022年
9月に定山渓参拝し、10月に加良比乃神社参拝して、本日を迎えております。
こう見ていきますと、帰一ということを認識させて頂く為の祭典であることがお分かり頂けるのではないかと思います。
それで、ミクラタナの神様と言いますと、五百津美須丸(いほつみすまる)とか麻邇(まに)の玉、如意宝珠で、観音様の神霊(みたま)だと。そういう風な御教えがございます。
そこを紹介させて頂きます。
しからばその力の本源は一体どこにあるかというと、私の腹の中には、以前から知らしてある通り光の玉がある。この玉はそれまでは玉だけの力であったものが、昨年(昭和二十五年)六月十五日、日本で昔から云われているところの麻邇(まに)の玉、または五百津美須麻留(いほつみすまる)の玉、または如意宝珠(にょいほうしゅ)の玉である。玉とは魂であるから、その魂が右の日時に、静岡県清水庵原署の留置所内で、天から降下され、宿られ給うたのである。この事はその当時簡単に発表しておいたが、これを私は結実といったのである。それが段々育つに従って、玉の力も日に月に強力となりつつあるのである。これはその頃から浄霊の力が特に強化された事にみても、信者はよく分るであろう。
ただ現在その神様の御名前を詳しくいう訳にはゆかないが、いずれ時期が来たら発表するつもりである。
この、時期が来たらということで、「ミクラタナの神様」ということを先生が発表なされたということであります。
ここで見ると、観音様の身魂ということであります。観音様が中心でいろんな働きをされて来るということが分かるかと思います。
観音様の身魂ということで行きますと、地上天国12号 昭和25年1月20日で、
(問)麻邇の玉とは。
(答)麻邇の玉は仏教では如意宝珠と言う。観音様のお働きの一つに、如意輪観音というのがそれである。また神道で五百津美須磨琉の玉とも言うが、要するに観音様の身魂ということである。
何が言いたかったかというと、祭典には繋がりがあるということで、
2月3日節分祭でお詫びをすると、光が弥増して6月15日地上天国祭に反映していきますということと、
3月3日、5月5日、10月10日というのも、「もも」という繋がりがあります。百の祭典。
図9(省略)
それから、帰一ということが重要だということで、岩戸観音では伊都能売観音様を日の出観音様と呼んでいた。絵姿が伊都能売観音様。両方出てきますね。観音ということで考えればいいかと思います。
日の出観音様はメシヤ観音様に名前を変更されておりますので、出世ということが分かったと思いますし、メシヤと出てきますので、メシヤ様は主神様と同じ、地球を救うのがメシヤ様ですので、
『⦿』ここで現れていますので、仏滅になって観音様の働きが神様になった時に、先生の口からは伊都能売大御神様の名前が出ずに、・・伊都能売大御神様も神様ですけども、御神名が『主之大御神』様と発せられているということで、加良比乃神社を考えると、
日月 伊都能売大御神様 も居られて、
日 天照大御神様 も居られて、
図10(省略)
ここにミクラタナの神様、ゝ(チョン)ですね、○ に ゝ 、 『⦿』 という事が意識できる神社であると。
古代から用意されていたということで、
ミクラタナの神様の御神名を明かされて、『文明の創造』発刊の御用、御神業に取り組まれ、救い、人類を救う御神業をしてきたからこそ、こういったことの御神業につながっているのだと思わせていただいております。
最後に、『 開教の辞 「世界救世(メシヤ)教の誕生に就て」 』 という昭和25年2月4日を見ると、
先程から観音様が中心だということでお話しましたけど、観音様は化身物であって、その働きが光明如来であり、救世主メシヤであり、弥勒神などということで、『開教の辞』に書かれています。
だから御神名、要は御神霊の活動範囲の拡充によって色々名前を変えて活動している。
ただ、観音様が・・「救世主」、これをメシヤと読むのか、きゅうせいしゅと読むのか、色々あるかと思いますけども・・、きゅうせいしゅ、メシヤの御働きをされるのだと。観音様が。
光明如来様がこういう働きをされるとは言ってません。観音様が救世主(メシヤ)の御働きをされるんだということを言われているんですね。
ですから、
帰一、一とは元の神様則ち主神の事である。それに帰する、主神に帰することであります。
もう一度『開教の辞』のところを読んで、本日の祭典を終えたいと思います。
そうして、祝詞にもあるごとく観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、弥勒神等も、御名は異なれど同一の御神霊である以上根本は変るのではない、いわば時期に応じて御神霊の活動範囲が拡充するのであるから、御神体も御守りもある時期まではそのままで差支えない。
観世音菩薩の御働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのはもちろんである。
それ、というのは御働きです。だから、救世主的、メシヤ的な御働きをされるのは観音様ですよということです。
すなわち化身仏であらせられた観世音菩薩はここに仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給うのである。
観音様が光明如来様にもなられるし、弥勒神様にもなられて、最終的にメシヤにならせの時に、メシヤになられる。救世主の存在になられるのは観音様が元。派遣されたのが観音様。
ということが、この『開教の辞』でお分かりいただけるんじゃないかなと思って紹介させて頂きました。
以上です。
司会
以上持ちまして三救祭を終了させていただきます。ありがとうございました。
参加者一同
ありがとうございました。
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令和四年十月十日
を執り行いました。