2022年12月31日土曜日

令和4年 三救祭

 令和41010

   令和4年 三救祭

司会

祭典5分前になりました。10月10日は三救のご神業始まりの日であり、結びの月、結びの日です。
3月3日、5月5日の祭典と同じく、10月10日もまた百(もも)の祭典と言えます。
全ての神様が主神様に帰一していくことを認識させて頂く祭典とさせて頂きたいと思います。
⦿(ス)の言霊を認識させて頂く為に大石凝真素美翁の文章を初めに先達が朗読いたしますので心静かにお聞きください。

三救責任者

 

故(か)れこの霊聲(こゑ)を總(すべ)て一言(ひとこと)にす(素に氣と書く)と言ふなり

故(ゆえ)にす(素に氣と書く)聲(ごえ)の言靈(ことたま)を誠に明細に説き定(さだむる)時は、

世界一切の極元(ごもと)の眞體(しんてい)をも 其(その)成り立ちの秩序をも

億兆万々刧々(こうこう)年度刧大約(こうおほつな)恒々兮(こうこうたる)大造化(だいぞうけ)の眞象をも

遂一明かに、資(と)り得らるるなり。蓋(けだ)し「ス」の言(げん)たるや

⦿(す)にして⦿(す)なるが故に  既に七十五聲(せい)の性靈を全備して、

純乎(じゅんこ)として 各皆其(その)眞位(みくらい)を保ちつつ有るなり、

其(その)眞位(みくらい)と謂(い)ふは 皆兩々相向(りょううりょうあいむか)ひて  遠近皆悉く

反對(はんたい)が純一(じゅんいつ)に  密合の色を保ちて實相(じっそう)しつつ、

至大極乎(しだいきょっこ)として恒々兮(こうこうたり) 活機臨々として點々(てんてん)たり、

所謂至大氤氳(いわゆるしだいいんうん)の氣が聲(こえ)となり起(おき)むと欲して

堪々(たんたん)の中に神機(しんき)を含藏(がんぞう)するの時なり、

故に世に人たる者は先づ第一に此(こ)の

⦿(す)の謂(いわ)れを明かに知らざるべからざるなり、

⦿(す)が皇(すべらぎ)の極元(ごもと)なればなり。

(大石凝眞素美全集・八幡書店)

 

図1

 

zu-1

 

 

 

 

司会

体験発表をしていただきます。

参加者

『文明の創造 婦人病』を拝読して

先月の『文明の創造』で「婦人病」を学ばせて頂いた際、「その通りだと思いました」と言わせて頂いたのですが、その内容を少しお話しさせて頂きたいと思います。

30年位前に遡るので、あいまいな部分もあることをご了承ください。

 

勤めだした春、花粉症がヒドイ状態だったので耳鼻科で診察を受け花粉症の期間だけ漢方薬をのむことになりました。それと同時にこれまでほとんど無かった生理痛が起こるようになりました。当時は就職したストレスからだと思っていました。生理痛の薬は飲まなかったのですが、毎月生理痛が続くので婦人科で診察を受けたところ、子宮内膜症だと言われて、漢方薬を処方されて飲み始めました。

飲んでも症状が改善されることはなかったのですが、飲まないともっと酷くなるんじゃないかと思い飲み続けました。この頃、おりものもとても多かったのを覚えています。

生理痛は酷くて、仕事中動けなくなり病院に連れて行ってもらった事もあるほどでした。その時は注射ですぐに治まりました。

その頃結婚し仕事を辞めたので、花粉症の漢方薬は止めました。止めても症状はそれほど変わらず、飲んでいても薬の効き目がなかったことに気付きました。

子宮内膜症が改善しないので、他の病院にも診察を受けたところ、一定期間生理を止める治療をすることになったのですが、治療が終わり、2回目の生理のときにはまた生理痛がおこり症状が改善されることはありませんでした。それ以来、最初の病院だけに通いましたが、薬を増やしても減らしても変わらず、治らず、下腹部に常に鈍痛がある状態でした。(後に、『文明の創造』を学んだ時に鈍痛は漢方薬を飲んだからだと納得しました。)

どうしようもないまま悩んでいる時に御浄霊のことを聞き、通わせて頂くようになりました。

御浄霊をいただくようになって初めての生理の時に、真っ黒な沢山の血の塊が出て驚きましたが、「いい事なんだ」と教えて頂きました。しばらくして、薬が良くないという事も聞き、止めました。生理の度に塊が出て、何時の頃からか下腹部の鈍痛は感じなくなっていました。生理痛はまだ続いていましたが、30歳を過ぎたころ急に楽になりました。その頃、発熱の御浄化も度々頂いたことを覚えています。この時も、御教え通り、熱は出るだけ出たら下がるという事をその度に実感しました。

結婚して数年しても子供に恵まれず、婦人科で診察を受けました。明らかな原因は無いように言われましたが、不妊治療を受けました。数か月続けましたが、年齢も若かったのでやはり自然に任せようと思い、止めました。

37歳ごろ、年齢的にタイムリミットが近づいていることで、薬は良くないと分かっているけど、このままで後悔しないか‥等々とても迷いました。迷いに迷って、聖地参拝させて頂いた時のお話がどちらを選んでもそれぞれの道があるというような話しだったと記憶しています。そして、1年だけ不妊治療を受けることにしました。医師には極力薬は使いたくない事を伝え、相談しながら進めたのですが、それでも沢山の薬を使ったと思います。1年数か月、不妊治療をしました。

その後、メシヤ教に出会い『文明の創造』を学び、これまでの不妊治療や薬のこと等、考えが足りなかったことを痛感し、とてもショックを受けました。その時は、○○さんに寄り添って助けて頂きながら、何とか自分の体験から同じような境遇の人に薬毒のことを伝えていけたらと、出来ることを少しずつでもさせて頂けたらと思えるようになりました。

平均年齢よりかなり早く生理が止まり、その後数年してから、足の内側が腫れて歩けなくなったり、鼠径部が痛くて歩けなくなったり、指先が腫れて変形したり、浮腫み、足が動きにくかったり、重かったり、違和感等々、色々の症状が起きています。

文明の創造『婦人病』に書かれている通り、下におりてきているのだと感じています。

そういう思いが巡って、「その通りだと思いました」と言わせて頂きました。

 

色んな症状に、不安になることもあるのですが、日々日常生活を送らせて頂けている事に「感謝を忘れてはいけない」と、自分自身に言い聞かせています。

日常生活に問題ないようにして頂けている、すごい御守護をいただいているのかもと思ったりもします。

 

今回、これを書いていて感じたのですが、当時、生理痛の痛み止め、花粉症の薬等は、身体に良くないと感じて飲まなかったり、止めたりしたのですが、子宮内膜症の時にはそのように思う事なく、治りたい一心で飲んでいました。

どちらも薬なのに別の考え方で捉えて飲んでいたことに改めて気付きました。知人・友人と話をしていて、当時の私のようにとらえている人が多いと感じています。

上手く伝えられなくて自己嫌悪に陥ったりもしますが、学びを続けて、機会があれば少しずつでも話をして、伝えていけたらと思っています。

 

そして、今日伺う直前に思い出したのですが、乳腺症か乳腺炎かはっきり覚えていないんですが、胸が痛かったり、しこりができたり、というご浄化も何度かただきました。その時、すぐに良くなるというわけではなかったんですけれども、日々ご浄霊をいただき、その都度いつの間にか自然に治っている、という御守護もいただいています。先ほど気づきましたので、ご報告させていただきます。

ありがとうございました。

司会

責任者からご挨拶させて頂きます。

 

三救責任者

皆様、三救祭おめでとうございます。
ミクラタナの神様は、五十音を並べる言霊のタナだとの説がありますと、「メシヤ様の御神格を求める座談会」に投稿したことがあります。
また、古事記に出てくる神様は一音一音が神様で五十音の言霊と五十の運用方法で百柱(はしら)の神様が登場すると、10月度覚りの旅、コトタマ学の桃太郎伝で学ばせていただきました。
最高の言霊を発せさせて頂けますよう、祭典前に 大石凝真素美翁の『ス』のいわれを朗読させていただきました。
メシヤ講座 覚りの旅で学んできたことをこのように活用して参りたいと思います。
本日は『文明の創造 婦人病』を覚りの旅で学んでいて、婦人病に書かれていることが、そのままご自身の体験した浄化作用だったことで、「その通りだと思いました。」とおっしゃった、その内容を発表していただきました。
あらゆる病気を身を持って体験されたメシヤ様でありますが、それは婦人病以外です。

婦人病については浄霊しつつ聞き取り、あるいは文献を加味しつつご執筆されたのだろうと拝察いたします。それを実体験をもって「その通りだ」と語れることは素晴らしいことです。

〔選択の自由〕
人間には選択の自由が与えられています。医者にかかるもかからないのも、薬を飲むのも飲まないのも自由なのです。
決めるのはあなたなのです。
こちらの選択で良かったのだろうか。あっちを選んでいたらどうなったのだろう。人間とは弱いもので、不安になってしまいます。その時の周りの状況で、多勢の意見を選択してしまいがちです。
そんな時は、国常立尊様を天若彦尊先導に芦別山に押し込めてしまった神々の行動を、見て見ぬふりをした、その夜の時代の癖が出てきてはいないか、思い起こして立ち止まって考えてみましょう。
九千年、三千年前からの歴史、神代氏、人類史に思いを馳せて、信仰を深めれば深める程、選択の場面では自分が選んだようで、神様から選ばされていると感じることが増えてくるのではないかと思います。
三救の発足の頃、美智子前皇后のお歌を紹介しました。

「 かの時に我が取らざれし分去(わかさ)れの片への道はいづこ行きけむ 」

皇后となることを選択され36年、皇后でなかった自分、若き日に自分が選択することで失われた世界に思いを馳せ、歌にされております。
ひるがえって、かの御神名の奉唱が、○○教から三救への分去れの道となりました。

神様が新しい道、三救の道をお示し下さったのだ。そして、今こうして皆様とともに祈りを捧げ、御教えを学び、浄霊を取り次げることが許されています。

色んな分去れの道を選択しつつ、主神様、メシヤ様に帰一する御神業にたどり着いたのです。
「よくぞたどり着いたね」 とおっしゃって下さっていると思わずにはいられません。

〔感謝〕

そのように思いを馳せると、出会ってきた人々、その時々の神様のお働きに感謝の気持ちがフツフツと湧き上がってきます。このフツフツと湧き上がる想いこそ、経津主の働きなのかもしれません。原稿を書いていて、そんなことを思いました。

〔浄化の受け止め方〕

絶えず明るい毎日を送り、子育てに生きがいを、ということで、メシヤ講座浜松26年6月より、

将来の大峠を乗り越えるために少しずつ浄化が許されているのだという理(ことわり)が分かっていくと、毎日毎日感謝ができるようになります。

 

図2


zu-2
 

真(まこと)の理(ことわり) を浄化で身をもって学んでいるのです。

図3

zu-3
 

浄化作用、浄化を感謝で受け止めることを、私を例にメシヤ講座で、

「『御教え』を絵にかいたような浄化を頂く!」  これはメシヤ講座出雲 平成28年3月ですけども、

このように清掃作用という事を神様側ではされているので、それによって我々の上にも浄化作用として起きて来ます。この事が分かっていないと浄化は有難く感謝で受け止める事が出来ません。どうしても“又悪くなった、どうしょうか”というような話になってくる。然し神様の御心によって、暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せるから、それを清掃作用として浄化を頂いているのだ、と受け止めると、この三千年の流れの中で今浄化を頂いているという感謝の気持ちが沸々と湧いてきます。繰り返しますが、この事が分かっていないと“どうして、又、こんな痛みが出るのだろうか”という話になってしまいます。

『暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行はれなくてはならない。』という事の上に、浄化が起きているという事を我々は強く認識しておかないと、少々薬を飲んでも良いのだという話が、ベラッと悪魔の囁きが出て来ます。この教えをしっかり肚に入れて置かないとそういう事が出て来ますので、充分心に留めておいて頂きたいと思います。

 

というメシヤ講座をいただいておりますので紹介させて頂きます。

図4

zu-4
 

それから、感謝ということは、言霊を射る、それで、心で感じる、という風に漢字を分解するとなるかと思います。

幸せになりたいと思ったら、感謝することを探そう。

感謝している時は、悪い気分にはならない。
毎日感謝できることを数えてごらん。

無意識に、物事のいい面を見るようになり、幸福感が増します。

持っていないもののことばかり考えて既に持っているもののことを忘れていないかな。
それで、今の言霊を射るという、その「射る」という言葉は、メシヤ様が昭和15年11月9日特別講習会御講話でも用いられておりまして、

 

霊の曇りは光で取る。人間はこの光をみんな持っているが、出す方法がなく、勿論知らなかった。不思議のようだが、判ってみればなんでもない。光が霊の曇りを射るから溶けていく。

 

ということで、「光が霊の曇りを射る」という言葉を使っておられますので、この字を見ていて「言霊を射る」ということかな、という風に思いました。

本日は、浜松の月次祭も兼ねておりますので、三救祭を前に三重の月次祭での挨拶の内容を少し復習したいと思います。


10月10日の三救祭を前に、9月に岩戸観音堂への参拝が許されました。

平成27年11月のあるところのメシヤ講座で、「定山渓の伊都能売観音様に、どうして『主之大御神守り給え幸倍給へ』という御神名を唱えたのですか?」という質問がありました。

その時の先生の回答ですけども、

「伊都能売之大御神守り給え幸倍給へ」とずっと唱えて来ましたが、ある時、祭典を執り行う時に、その御神名が私の口からどうしても出ずに、祭典が一時滞った時がありました。それで、どうしてこういうことが起きるのか、御神名について、もう一度深く考え直していきました。

特選集に三重の責任者が所感として(・・その所感の要旨ですけども、定山渓岩戸観音堂にお鎮まりの伊都能売観音様と芦別岳に御隠退なされた国常立尊様は表裏一体であり、メシヤ様と御尊唱申し上げる想念に高まるまで、秘されていたのではないか。だからこそ、当時の本部の御神体になっておりました日之出観音様として御奉斎されているのではないか・・という所感を)書きました。

こういう不可思議な事(・・不可思議な事というのは御神名が出ずに、言霊に発せずに考えさせられた事をさしていると思われます。)がどうしてあるかということを考えていくと、この国常立尊様の絶対的な裁きというお働きと、そして観音様という、全ての人達を救っていくという大慈悲心の固まりのような、そういう御存在が合わさったものがメシヤ様であるわけですので、このメシヤ様という認識をするために北海道の地に、芦別岳と、それから定山渓に伊都能売観音様の絵姿のご描画をかけられたと、そういう観音様が掛けられたのではないかというふうに、三重の責任者は推測をして、ここに書いてくれておりますので、全くその方向で考えていただくのが一番いいかと思います。

そして、主神様の御本体が・・・主神様という御本体の中から地球を救うためにメシヤ様がこうしてお出ましになっておりますので、国常立尊様と伊都能売観音様のお働きが合体したような形がメシヤ様という御存在になります。救いと裁きを同時にされるのがメシヤ様です。

メシヤ様の御存在を認識させていただくために北海道の地に、芦別岳に国常立之尊様と、定山渓に伊都能売観音様の絵姿を描画した観音様を御奉斎されたのではないかということ、そしてその絵姿を「日之出観音様」と名付けられたということは、「日之出観音様」が後に「メシヤ観音様」と呼称されたということと合わせ考えさせて頂くと「善言讃詞」の御神格の出世向上を現界に形としてあらわされていると思います。そう考えていくと更に合点がいくのではないでしょうか。

全ての神様は宇宙、主神様に、 地球、メシヤ様の御手に帰一していくのです。
メシヤ様の御神格を認識させていただく御神業を積み重ねてきたからこそ、主神様の御神名奉唱が許されたのだと拝察できるのではないかと思います。

御神名を認識させていただく、奉唱させていただくことは、このように非常に尊いことなのだと分からせていただけるのではないでしょうか。

私達の執り行う祭典には繋がり、連続性があります。

 

図5

zu-5
 

ということで、2月3日、4日のその節分祭でお詫び、国常立尊様が中心ですね。

6月15日に光が弥増して地上天国祭、心の岩と開きと言えます。

 

図6

図7

zu-6
zu-7
 

桃というのは3月に咲きます。3月3日に祭典があります。

5月に実ります。5月5日に祭典があります。

10月10日というのは、本日ですね、10×10=100(百)で「もも」と読みます。

3月3日、5月5日、10月10日、縦に足すと18 と 18 になります。

18というのは観音様の数字であり、18と18を合わせた36というのはミロクの数字であります。

一年の祭典の働きに、観音の数字18と ミロクの36が数字に現れているのです。

御神名をお働きであり、御神名を認識させていただくことが重要です。認識して初めて言霊を発することができるのです。

図8(省略)


さて三救祭は平成30年から取り行っておりますので、五度目の三救祭となります。

五の三ですので、伊都能売の数字の年であります。節目でありますので、挨拶の内容を簡単に振り返ってみたいと思います。

 

平成30年、2018年が初めての三救祭でした。

三救での御神業が始まるということで、この時は『大千三千世界は主神様御一方が主宰され給う』これは『仏滅と五六七の世』昭和27年文明の創造に書かれている御教えですけども、そこのお話をさせていただきました。そして、伊都能売大御神様について、新しい生命の息吹と関係があるのだということをお話しいたしました。

それで、救いの三本柱ということで、Three Pillars of Salvation (TPOS)救いの三本柱、三救ということで御神業を始めました。

 

令和元年は2019年。

十月十日は結びの月で、結びの日である。
この時は即位の礼が、この月に行われております。皇位の継承を世界中に知らせる時代の節目でありました。

王権のシンボルが皇祖神に受け継がれ、現代にメシヤ様に受け継がれ、すべての神様が主神様に帰一していくことを認識させて頂く

三救 → 加良比乃神社 → 三救 という参拝をさせていただいております。

 

令和2年、2020年は

『神様はご自分から祭りをしてくれとは決して仰るものではない、信者からどうぞお祭りをさせて頂きたいと申し上げなくてはいけいけないのだ。』ということで、世界救世(メシヤ)教の秋季大祭が始まったのだというお話をさせていただいております。

10月26日というのは、岩戸観音堂の方は、先生がそういうことを認識して始められました。

10月10日は加良比乃神社に関することとして、三救祭として三重で始めております。

ここでは万教帰一、帰一ということで、所属、神様が異なっても元は主神様御一方である。一神にして多神なんですよという話をいたしました。

ミクラタナの神様ということで、王権のシンボルであると。主神様から降る御魂 ゝ(チョン)、 光の玉〇に ゝが入って、⦿ となった時にメシヤ様という御存在になられた。
この王権と言っても、覇権主義では手に出来ない。徳で治めるということが重要です、というお話をさせていただいたかと思います。

 

令和3年、2021年は

帰一、一とは元の神様、即ち主神の事である。それに帰する、主神に帰することであります。
弥勒出現時には宗教の役割を終えて、すべての神々は主神様に帰一していく。

観音様の御出世、神々の主神様への帰一、この認識をさせていただくことが御神業の本目なんだと。

定山渓で主神様の御神名をこの時は奉唱させて頂いております。

 

令和4年、2022年

9月に定山渓参拝し、10月に加良比乃神社参拝して、本日を迎えております。

こう見ていきますと、帰一ということを認識させて頂く為の祭典であることがお分かり頂けるのではないかと思います。

 

それで、ミクラタナの神様と言いますと、五百津美須丸(いほつみすまる)とか麻邇(まに)の玉、如意宝珠で、観音様の神霊(みたま)だと。そういう風な御教えがございます。

そこを紹介させて頂きます。

 

しからばその力の本源は一体どこにあるかというと、私の腹の中には、以前から知らしてある通り光の玉がある。この玉はそれまでは玉だけの力であったものが、昨年(昭和二十五年)六月十五日、日本で昔から云われているところの麻邇(まに)の玉、または五百津美須麻留(いほつみすまる)の玉、または如意宝珠(にょいほうしゅ)の玉である。玉とは魂であるから、その魂が右の日時に、静岡県清水庵原署の留置所内で、天から降下され、宿られ給うたのである。この事はその当時簡単に発表しておいたが、これを私は結実といったのである。それが段々育つに従って、玉の力も日に月に強力となりつつあるのである。これはその頃から浄霊の力が特に強化された事にみても、信者はよく分るであろう。

ただ現在その神様の御名前を詳しくいう訳にはゆかないが、いずれ時期が来たら発表するつもりである。

 

この、時期が来たらということで、「ミクラタナの神様」ということを先生が発表なされたということであります。

ここで見ると、観音様の身魂ということであります。観音様が中心でいろんな働きをされて来るということが分かるかと思います。
観音様の身魂ということで行きますと、地上天国12号 昭和25年1月20日で、

(問)麻邇の玉とは。

(答)麻邇の玉は仏教では如意宝珠と言う。観音様のお働きの一つに、如意輪観音というのがそれである。また神道で五百津美須磨琉の玉とも言うが、要するに観音様の身魂ということである。

 

何が言いたかったかというと、祭典には繋がりがあるということで、

2月3日節分祭でお詫びをすると、光が弥増して6月15日地上天国祭に反映していきますということと、

3月3日、5月5日、10月10日というのも、「もも」という繋がりがあります。百の祭典。

 

図9(省略)

 

それから、帰一ということが重要だということで、岩戸観音では伊都能売観音様を日の出観音様と呼んでいた。絵姿が伊都能売観音様。両方出てきますね。観音ということで考えればいいかと思います。

日の出観音様はメシヤ観音様に名前を変更されておりますので、出世ということが分かったと思いますし、メシヤと出てきますので、メシヤ様は主神様と同じ、地球を救うのがメシヤ様ですので、

『⦿』ここで現れていますので、仏滅になって観音様の働きが神様になった時に、先生の口からは伊都能売大御神様の名前が出ずに、・・伊都能売大御神様も神様ですけども、御神名が『主之大御神』様と発せられているということで、加良比乃神社を考えると、

日月 伊都能売大御神様 も居られて、

日 天照大御神様 も居られて、

 

図10(省略)

 

ここにミクラタナの神様、ゝ(チョン)ですね、○ に ゝ 、 『⦿』 という事が意識できる神社であると。

古代から用意されていたということで、

ミクラタナの神様の御神名を明かされて、『文明の創造』発刊の御用、御神業に取り組まれ、救い、人類を救う御神業をしてきたからこそ、こういったことの御神業につながっているのだと思わせていただいております。


最後に、『 開教の辞 「世界救世(メシヤ)教の誕生に就て」 』 という昭和25年2月4日を見ると、

先程から観音様が中心だということでお話しましたけど、観音様は化身物であって、その働きが光明如来であり、救世主メシヤであり、弥勒神などということで、『開教の辞』に書かれています。

だから御神名、要は御神霊の活動範囲の拡充によって色々名前を変えて活動している。

ただ、観音様が・・「救世主」、これをメシヤと読むのか、きゅうせいしゅと読むのか、色々あるかと思いますけども・・、きゅうせいしゅ、メシヤの御働きをされるのだと。観音様が。

光明如来様がこういう働きをされるとは言ってません。観音様が救世主(メシヤ)の御働きをされるんだということを言われているんですね。

ですから、

帰一、一とは元の神様則ち主神の事である。それに帰する、主神に帰することであります。

 

もう一度『開教の辞』のところを読んで、本日の祭典を終えたいと思います。

 

そうして、祝詞にもあるごとく観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、弥勒神等も、御名は異なれど同一の御神霊である以上根本は変るのではない、いわば時期に応じて御神霊の活動範囲が拡充するのであるから、御神体も御守りもある時期まではそのままで差支えない。

観世音菩薩の御働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのはもちろんである。

 

それ、というのは御働きです。だから、救世主的、メシヤ的な御働きをされるのは観音様ですよということです。

 

すなわち化身仏であらせられた観世音菩薩はここに仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給うのである。

 

観音様が光明如来様にもなられるし、弥勒神様にもなられて、最終的にメシヤにならせの時に、メシヤになられる。救世主の存在になられるのは観音様が元。派遣されたのが観音様。

ということが、この『開教の辞』でお分かりいただけるんじゃないかなと思って紹介させて頂きました。

以上です。

 

司会

以上持ちまして三救祭を終了させていただきます。ありがとうございました。

 

参加者一同

ありがとうございました。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
 
令和四年十月十日 

三救祭  を執り行いました。

覚りの旅  令和4年12月 月次祭を終えて

 令和4年12月1日

   覚りの旅  令和4年12月 月次祭を終えて

三救責任者
皆様、月次祭おめでとうございます。
メシヤ様は私達に、人類救済の術としての御教えと、浄霊を授けてくださいました。
そして、地上天国建設の実現に邁進され、私達に託されました。
メシヤ様の唱えられた救済とは、かくも壮大なことなのです。
人類救済、救済ですね。
一方、最近新聞紙上を賑わせているのが、日本政府が進めている救済新法です。
宗教被害からの救済、霊感商法からの救済、マインドコントロールからの救済、宗教が人類を救うのか、宗教被害者を国が救うのか、救済という言葉が先月話題に上がり、考えてみますと、世界人類を救うという大目標を為すには、まず個人が救われ、家族が救われ、団体、会社、地域が救われ、国が救われ、そして世界を救っていく。そうすると、個人である私達は家族を救っていくことが第一目標だと思いませんか?
救済新法、家族に黙って献金してしまうとか、霊感商法に引っかかってしまうとか、「大丈夫か?この宗教」と家族が心配し、家族から被害者だと心配される。
家族との会話が圧倒的に足りていないのではないでしょうか。

さて、家族ということで考えますと、10月から家族の仕事を手伝っております。
仕事を通じて、毎日のように話をするようになりました。
安定安心の未来のために一生懸命仕事をして、一生懸命に子育てをしている 様子を伺い知ることができました。
退職してから社会との関わり度合いが減ってきていました。
改めて社会勉強をさせていただいています。
私の本来の天職使命の遂行に影響がないよう調整をしてまいりますので、ご理解いただけましたら幸いです。
メシヤ様の願われた、壮大な目標、人類の救済という救済を考えると
個人の救済
家族の救済
地域の救済
国の救済
世界の救済
人類の救済
となるわけですから、まずは家庭を地上天国にしていくことが第一の目標だと思いました。

ということで、今月の『文明の創造』に入ってまいりたいと思います。
拝読をお願いいたします。

参加者
『薬毒の種々相』(文創 昭和二十七年) 拝読

三救責任者
はい、ありがとうございます。
緩徐(かんじょ)的 と出てきましたけども、どういうことだと思います?

参加者
緩い

三救責任者
そうだね、字が緩くとなってる。
病気の進行する速さ、ゆっくりと病気が進行することを緩徐(かんじょ)的という。
これはまあ辞書からですけどね、そういうこと。
それから、膏薬。膏薬ってどんなのです?
今は言わないかな?

参加者
うん。 軟膏かな?

三救責任者
これね、くっつけるという意味があるので、塗り薬、張り薬。くっつけるという材料に薬を加えたのを膏薬という。
一方、湿布というのは、 ある程度の水分を含んだ布。だから、湿布、湿った布。そういう湿布薬という薬を使うんでしょうけども、膏薬と湿布は若干違うね。
くっつけるという材料に薬を加えたのが膏薬。湿った布が湿布。

これを見ていて思うのが、『薬毒の種々相』ということで、いろんな薬の怖さということが出てきますけども、最後の所、157行、

私は何よりもまず薬毒の恐るべき事を、専門家に自覚させたいので、これだけでも人類に与える福祉は蓋(けだ)し計り知れないものがあろう。

こういうところに集約されてくるかと思います。
あまり気付かないというか・・、
皮膚、あらゆる体の穴から中へ入っていく。穴から出てくるし、穴から入る。だから粘膜、目薬をさしたら目の粘膜から浸透していくということであるし、逆に、入った悪いものが目脂として出てくるということ。口でもそうですよ、うがい薬でも。鼻でもそうですし、穴というのを使っている。特に皮膚というのは毛穴があるし、穴があって浸透していくので、そこがあまり気付かないというか、湿布だったらいいだろうとか、塗り薬だったらいいだろうとか、そういうことが逆に怖いなと思った。気付いていないので。

参加者
薬だという概念が無いから。

三救責任者
そうそう、それも薬だよと。
ここに出てきますけども、78行のところ、薬入り歯磨ね。歯磨にもよく見ないとその薬が入っていて、それは毎日使うことですから、そういった事が歯を弱めることはなはだしいと。入っている成分によってはね、いろんな症状が出てくるかもしれません。
もう1つ、85行のところから見ていると、書いてある内容が今でいうアトピー的な症状。
この頃の薬がどういう薬なのか分かりませんが、ステロイドとかを使ったら、こういう症状になってきますよね。
メシヤ様でさえ、薬を大量に使ってからだとお断りになっている。量によるということですね。浄霊で薬を出していけるけども、実際には薬は50年は残ってくるので、急激に出そうとしたら、命を落とすこともあるので、そういったことを見極めながら、どれだけの薬が入っているか、特に薬として強いのが消毒薬であるということがここに書いてあるかと思います。
だから今のアトピー的症状、当時はやった疥癬というのは、先祖からのものであって、出てくる。然毒かな。アトピーと疥癬とはまた違うのかもしれないと思って見ていました。
薬をあまり入れてなければ治る可能性が高いんだよと。一方、大量に薬を使っていれば、まずその薬を出さないといけないので。自分の症状と比べてみてもですね、ここに書かれていることというのは合ってくるのかなと、ピッタリしているのかなと思いました。
それで、色んな人から話を聞いた場合に、「薬を飲んでいますか?」と聞いても、薬でもこういったように色々あって、歯磨きでも薬が入ってたりするわけですから、そういったことに気付いてなくて、「薬は飲んでないよ」という・・。手術をしたとか、薬とか、色んな所にあってですね、添加物も薬みたいなものですから、そういったことを知らず知らず入れてるということを自覚していない人が多いなというのを感じています。だから聞くと、「飲んでないよ」、「手術していないよ」と言って、もうそこから話がなかなか進んでいかないわけですけども、こういった勉強で「あっ、これ該当しているわ!」という風に気付いていかないと。
今の話でも経皮毒というのもあるんだよと。
自覚していないから、毒の溜まりやすい場所が自分で分からずに・・分からないから、浄霊の急所的なことを自分でなかなか考えられない。そのことを分かる為にもこうして勉強しているわけですので、そういった意味合いで学んでいっていただければと思います。

それで、メシヤ講座の方に行きますと、
161行のところにいくと、
「凡ゆる病原が薬毒である事が、充分納得できたか?」 と
病の元は薬だということですね。何度も何度も出てきていることですけども、
病原が薬毒であるということを充分納得できた上で、更にメシヤ様が御説明してくださっているところを見つめてまいりたいと思います。
という風に166行のところに書かれています。

それと 、「痛みの種類」 ということで、
洋薬はキリキリした痛み、漢方の方は、鈍痛ということ。
“これは、いつの薬が溶けたのか”という事を掌握して、その前に使った薬はどこに使ってそれはどこに溜まりやすいかということを想定して浄霊をしていただきたいと思います。
という風に学んでおります。
“溜まりやすい場所はどこか”ということは、この『文明の創造』の前半で学んできたことをしっかり拝読していけば、察しがつくんじゃないかという事が書かれておりますね。

それで、「病気を治しうる薬は一つもない」 
これは御教えにはっきりと出てきておりますので、“薬というのは、病気を治すものではない”。
痛みを和らげることはあっても、それがまた溜まっていて、病気の元になるんだと。

それでね、ちょっと飛ばして浜松のところにいくと。
483行のところ、「薬の種類で痛みの出方がわかる」
同じことではありますけども、
(先生)『面白い事には洋薬による苦痛は鋭い痛み、痒(かゆ)み、高熱、麻痺など凡(すべ)てが強烈であるが、漢薬の苦痛は鈍痛、重懈(だる)さ、微熱等で緩除(かんじょ)的である』と書かれておりますので、その痛みの出方によって、過去使用した薬の種類がわかるということです。あるいは溶けている薬の種類がわかるということです。
今、○○さんには非常に痒みが出ているので、洋薬の部類です。洋薬は化学物質もほとんど洋薬に近いものだから、そういうものが出ているのだというように解釈したら良いと思います。
薬が溶けるときの痛みの鋭さとか鈍さとかで洋薬か漢方かというのが理解できるというふうに見ておいていただきたい、と思います。 

「メシヤ様は幅広い情報を集められていた」 ということで、
(先生)便秘について、『以前或(ある)婦人雑誌に出てゐたが、二ヵ年もの人があったそうだが、何共(なんとも)なかったという事である。之で見ても便秘は心配ないのである。』
と書かれておりますが、メシヤ様は『或婦人雑誌』というものまで人々の健康に関するものを調査されていた、情報を集めていたということがここでよくわかりますね。メシヤ様が婦人雑誌を定期購入されていたかどうかはわからないけれども、奥様が読んでいた婦人雑誌をたまたま御覧になっていたらこういうものが出ていた、あるいは奥様が「ねえねえ(先生)、こんなことらしいわよ」とお見せしたのかわからないけれど、メシヤ様が幅広く情報を集めておられたということであります。
メシヤ様は『或婦人雑誌』と書かれておりますけれど、ある週刊雑誌、週刊ポストですが、昨年の暮れに発売された《薬剤師は薬を飲まない》という本が出ております。薬剤師の話なので、非常にわかりやすい書き方をしております。
わかりやすい書き方の中でいくつか読んでいきますと・・・

ということで、続いていきますけども、色んな雑誌等、婦人雑誌からも情報を集めて、書かれていたりするんだなということがお分かりになるかと思います。だからそういったものからも自分たちも幅広く情報を集めていければ、と思っています。

612行のところに 「利尿剤について」。
622行ね、今後どのようにすれば・・・。
(先生)利尿剤については、一つは、今、週刊ポストの中から読んだ薬剤師の説明が良くわかると思うんですね。要するに腎臓に働きかける薬だけれども、他のところに働きかけた場合は悪影響が出てくるということですね。それから体にとっては毒成分なので、酵素を全部奪われているので全体的に体力の低下に繋がってくるということが、薬全般については言えるということなのです。
そしてさらに、利尿剤とは一体どういう成分かということです。利尿剤というのは血液中の水分やそれから老廃物のその濃さに応じて、それが濃い場合は腎臓が判断をしておしっこを出さずに、もう一回おしっこの中の水分を血液の中に送り込むためにおしっこが出にくくなるわけですね。で、その時に利尿剤を飲むと、このおしっこの水分を血液に送り込むところに壁を作って血液に水分が流れ込まないようにするわけです。こういう成分なので、これが他所に行ったときには同じようなことをやってしまうわけです。腎臓まで必ず行きますよという薬というのはありえないわけなので、全体的にその水分の出入りをブロックするという働きをあちこちでしていくので、これが各所に痛みを起こしたり変な症状を起こしたりしてしまうわけです。だからその働き方は何かっていうと、もう一度腎臓の中から水分を血液に流し込むところをブロックするために、その分おしっことして外へ出ていくのが利尿剤の働き方なので、このブロックするということは体にとっては非常にダメージを与えてしまうので各所でいろんな影響が出てくるということですので、利尿剤はできるだけ早く止めたほうがいいですね。 

それで、658行。
(先生)ただ単におしっこの出が悪いという事で利尿剤とかを使ってしまうと、その人にとっては大変な負担を起こしてしまうということです。だから腎臓に影響を及ぼす薬というのは、その全身の事が分からない医者が使用してしまうと大きなダメージを与えてしまうということが言えるのではないかと思います。

そうすると、医者でも小さい医者の何でも見てくれる、内科でも何でも見てくれる医者の方が全体的なことを把握している可能性があるね。大学病院とかだと、専門的すぎて自分の専門のところは詳しいけども、全体的なところというのは、会議とか何回も繰り返さないとわからないっていうような状況なのかな?
ここでも出てきていますけども、682行

テレビドラマでバチスタとか医龍とかなんか色々やっている、喧々諤々(けんけんがくがく)と話し合いながら、医療には取り掛かろうとはしているけれども、しかし肉体全体を見つめてその悪いところをどうするかということを考えている医者が非常に少ないということ。そのために薬の悪影響がそういう形で起きてくるということ。

という風に書かれています。
浜松では学んだということで、私どもも参考にしていければと思います。

691行、ちょっとテーマは離れていますけども。
(先生)怒るということは、この怒る、腹を立てるというのは実は人間の中では幼児性なのですよ。子供の部分なのです。要するに勉強してないことに対して問われると怒る、これは子供なのです。だからいくら白衣を着て私は医者ですと言っても勉強してないところは子供の程度しかないということなのです。まあ子供と言っても、高校生、大学の教養学部の1、2年ぐらいの教養はあるけれども、自分の専門外については非常に知識がない。だから子供の部分がそこへ出てきて腹を立ててくるということ。だから家庭生活でも怒るというのは、もう全く子供の部分が怒っているわけです。夫婦でも夫婦喧嘩するでしょ。夫婦喧嘩で腹立てているというのは子供の部分が腹を立てているわけです。大人は全部総合的に判断できるので腹立たないんですよ。
しかし子供は、判断はできないから、「うーーん」って言って怒ってくるわけなんです。
(参加者)そう思うと気楽です。私もそう思うようにしてます。
(先生)うん。だからさっき誰かが、朝、喧嘩したのでというような(一同爆笑)、それはたまたま子供の部分が出てしまったということ、自分の中から。
(先生)だから、今日喧嘩した人は「今朝は大人気なかったわね」って言わんと・・・。「大人気ないことを言ってごめんなさいね」って帰って謝っとけばね、まあ丸く収まっていくので。「まだまだ私、子供の部分があったわ」と。でも最後に「その分かわいいでしょ」ぐらい言っとけば。(一同爆笑)はーっははは。そして「その可愛いところが好きなんでしょ」とか、それぐらい言うとまた腹立てるから。(一同爆笑)はーっははは。

参加者一同
(笑)

三救責任者
まとめとして、721行のこころは、
(先生)今日拝読した洋薬がそうやって排泄されているということですので、体に不要なものはもう極力入れていかないように心がけてください。

ということで、締めておられます。こういう話をしてたんだね。
僕もよく怒るけども、子供ねっていう事ですね。(笑)

参加者
私も赤線引いてあります。(笑)  

三救責任者
ちょうどそういう部分が出てくるんですね。
それで御教えとして、薬剤の毒(一)、薬剤の毒(二)、尿毒、三毒ということを今回つけておきましたので、また御教え拝読をしていただければと思います。

それで、今日の新聞から、
C国では、ゼロコロナ政策ということで、P〇〇検査の拒否が相次いでるということが書かれていまして、P〇〇検査は私達から見れば科学的にも信じられないものですね。
開発者が検査に使うなと言っていたので、科学的にも信じられないものですけども、新聞を読むとC国では経費削減のために、数十人分のサンプルをまとめて検査して、検査を終えていないのに全てを陰性と報告した会社があったと。10社ぐらいが処分されている。
市民の訴えによると、「P〇〇検査でもうけ続けるために、検査会社と役人が結託して偽の陽性結果を出している」と。これはP市の女性40歳の方がそういう訴えをしているそうです。
だから、科学的にも人為的にも信じられないのがP〇〇検査だということだと思います。
C国は締め付けで大変な方向へ向かっていると・・。

社会情勢の話ですけども、ヘルパーが高齢化していると。
ヘルパーで60代はまだ若い、70代、80代が『老々介護』でやっていると。
なぜなのか。若い人が生計を維持できない低賃金だから。
ヘルパーという仕事は安すぎて、だから若い人はやらない。
生活的には余裕のある人しかできていかないというような低賃金だということが問題点として定義されたと。
だから、この人の言うには、「若い人に、きつくて嫌な仕事と思ってほしくない。やりがいも魅力もある。一定の水準の固定給があれば、ヘルパーはきっと増えます」と。お金の問題なんだということを。

もう1つ、日経の方ですけども、「犬の感情としっぽを振る向き」。
全然違う話なんだけど、左脳が関係しているんじゃないかという事をAIで分析したと。中国科学院の研究チームがね。
例えば初対面の人、初日、しっぽはどっちにむいているか?(笑)
これね、左方向なんだって。

参加者
へぇー!

三救責任者
緊張など、後ろ向きな感情を表すときが左向きにしっぽを振って、嬉しい時、喜びなど、前向きな感情を表すときは右向き、という研究結果ね。
なかなか面白いかなと思いましたので、紹介いたしました。
脳との関係でいくと、運動量が少ない犬は活動的な犬よりも、認知機能の低下割合が約6.4倍高かったと。だから、ちゃんと散歩して運動してる犬というのは認知症になりにくい。
人間も運動をしっかりした方が、散歩した方が、ということです。
一方犬が飼い主に与える影響に関する研究も進んでいるということで、過去に一度も犬と暮らしたことがない高齢者の介護や死亡のリスクを1とした場合、飼っている人は0.54と半分程度と判明した。
日常的な散歩などの運動により、病気のリスクが下がっているという風に見ていると。
だから、犬と一緒にいて運動ということで。犬のために一緒に散歩するもんね。

参加者
癒されますしね。可愛いから。

参加者
そうね。動物はね。

三救責任者
これは前に挨拶文を書こうと思っていて・・・救済力のこと。
さっきも救済力の話をしましたけども、浄霊というのは浄霊力伝授の冊子の方に、
絶対的救済力である浄霊力は誰でも今すぐ身につけることができます。
『絶対的救済力というのが浄霊力』。

メシヤ様のご存在を認識すると、メシヤ様との霊線が太くなって強く光が流れてきますと書かれていますね。この光が救済力を発揮するんだと。
『メシヤ様の御存在を認識=救済力』につながると。

それで、全てが世界的になっていく。そうすると、世界的救済力の顕現。 現われてくる。
昭和6年6月15日に夜昼転換の御神事をなされて鋸山から日枝神社ということで、絶対的な救済力の浄霊法を編み出されて、この力を体現されるのがメシヤ様でした。

もう一つ、普遍的救済力をもつ○○は、 普遍的救済力をもつ神様、なんていう神様?
これはね、主神様。
普遍的救済力をもつ主神様は多くの救世神を世に送ります。世の中を救う神を世に送ります。
西洋ではエホバ、 日本では観世音菩薩 と書かれているんですね。

それで、最後の審判の時に、今度は絶対的救済力が必要になると。 火水土の三位一体の力であり、観音力、信徒の体を通じて浄化力となるということで、観音力というのもあるけども、最後の審判の時に絶対的救済力、これが 『メシヤ様の 浄霊力』 ということになってくるかと思います。
神様としては観音様を送られて・・・観音様が元だよね、化けるんだから。観音様がミロクと化した時にはミロクに化けて・・・元が観音様で化けて、だんだん上がっていくけども・・・

参加者
善言讃詞のようにね

三救責任者
そうそう。最後に「なる」というときには、メシヤ様です。
元は観音様ということが、救済力という事を調べていて気付いたことです。
それで、何か気づかれたことありましたら。この前から救済の話をしていましたよね。
 1ヶ月の課題ですという話を先月させていただいて、僕はこのように救済力ということをずっと念頭において今日に向かって考えてきたんだけども、何か考えられました?

参加者
読み直して、先生がおっしゃっていたのは、『救済力』であるところの『浄霊力』と『御教え』という風におっしゃったんだなって思ったんですけど、でも、あの時に『救済力』と『浄霊力』と『御教え』というのが、3つ別々のものに聞こえたんですよ。だから、『救済力』って何か考える時なのかなと思って考えてたんですけど、『救済力』というのが『浄霊力』と『御教え』。
勿論そうなんですけど、なんかメシヤ様御存在そのもの、全てかなっていう風に思ったんです。
美術館にしても、おっしゃってることにしても、景仰とかにしても、全てが、その時にそれぞれの救済力になったりする。すみません、分かり難いかもしれないですけど。

参加者
その人にとっての、その場所、その場所での救済っていうことでしょ?

参加者
うん、だから、メシヤ様全てかな・・みたいに。

三救責任者
自分の中で咀嚼されればそれでいいんですよ。

参加者
はい。

三救責任者
僕は『救済』という、そういう定義があって、考えさせられるきっかけを与えてくれたら、『救済新法』という全く全然次元の違う話が出てきて、言葉としては救済でもかくも違うものかと。この次元の違い。
一方では、世界人類を救うんだっていうメシヤ様と、一方では宗教によって被害を被った人を救うんだっていうことと、それはどちらも大切なことでしょうけども、こんなにも次元が違うものなんだなと。
メシヤ様の視点というのと、国の視点というのと。
こういうことで、考える。新聞紙上を賑わせてきたのでね、あれから。

参加者
そうでしたね。

三救責任者
そういう話があってから賑わしてきたということは、私たちの学んでることと、その時に発した言葉というのがですね、いろんな形で、こう良くも悪くも反映していくということがあるのかなと思って世の中の動きを見ていたと。

参加者
さっきの話。観音講座の中の、ピラミッドの三角の・・が分かればというので、その救済力って主神様の、さっき言われてたそれぞれの救済の、海外とかではメシヤとか日本では観音という・・この事を言ってみえたのかなって今思ったんだけどね。

三救責任者
色々神様の名前は違っても全部。
ここでは、主神様が派遣されたと。それぞれの国にそれぞれの必要な神様を派遣されて、それぞれに働かれておられるわけですから。

参加者
だから、ピラミッドのこれが分かればっていうことは、そういう事なんだなと。世界に派遣されるのは・・。

三救責任者
国によってそれぞれ。
日本は世界の中心的な役割があるでしょうし、世界の地上天国的な、世界公園的な、そういう役割もある。
そういうのは御教えに出てくるということで、それぞれの国はそれぞれの役割があって、霊的中心というのは日本になってくる。だからこそ、メシヤ様が日本にお生まれになられたのだと。
それで、こういうことを日本語で書かれて、私たち日本語の理解できる人に一番理解できるように書かれている。それはいろんな国で、いろんな言語に直されて、世界に広まっていくんでしょうけども、そういったことの世界に広めていく、メシヤ様のことを伝えていくという、そういう使命というのが、特に日本人にはあるのかなと思います。

参加者
うん。

参加者
言葉は通じなくても、これ(浄霊)でいけるからね。

参加者
そうですよね。

三救責任者
そうそう。それはそうですよ。

参加者
一番の方法が。

三救責任者
それでね、最近社会勉強していて思うのが、外国人だから日本語がわからないだろうと思うのは自分たちの誤りで、認識不足で、大体、ほとんどの方は日本語ペラペラなんですよ。日本人より上手な人がいる。非常にご理解してみえる。日本の若者の言葉足らずな人よりも、ものすごくしっかりしてる。

では時間になりましたので終わらせて頂きます。

司会
以上をもちまして12月度月次祭ならびに一日祭を終わらせて頂きます。

参加者一同
ありがとうございました。

覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて

  令和6年7月1日 覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて   三救責任者 月次祭おめでとうございます。   参加者一同 おめでとうございます。   三救責任者 令和六年七月度 覚りの旅の資料を最初に拝読していただけますか?   参加者 令和六年七月度 覚りの旅 資料 1 は...