2023年6月30日金曜日

覚りの旅  令和5年 地上天国祭

 令和5年6月15日

覚りの旅  令和5年 地上天国祭


三救責任者

皆様、地上天国祭おめでとうございます。

 

参加者一同

おめでとうございます。

 

三救責任者

今年は三救として5回目の地上天国祭です。

浜松の皆様と一宮の皆様はリモートで参拝されておられます。一宮の皆様、お帰りなさい。そして、おめでとうございます。

本日は昨年度令和4年の地上天国祭の挨拶と2010年の地上天国祭の楳木先生の挨拶内容を引用させていただいて、お話させていただきます。

本日のような祭典や月次祭の時に、「おめでとうございます。」と挨拶しますが、何がおめでたいのでしょうか?

メシヤ講座の説明を引用します。

 

真釣り

祭りというのは、真に釣り合うと書いて「まつり」と読めます。

何が釣り合うのかと言いますと、神様と人間がまことに真釣り合うのです。

月次祭というのは、人間の都合で決めた日でありますが、一旦そのように神様に御報告させていただくと、神様の側からすると、月次祭に一番光を注いでくださって、みんなに力をくださる訳です。その日に決まった以上、人間の一か月の生活は月次祭に合わせて毎月動いていくような生活をしていって、そして、旅行の計画や法事、結婚式などさまざまなことがあるのだけれども、月次祭の日だけは必ずここへ来ようとみんなで準備を重ねて、諸事情を乗り越えてくることができて、初めて、神様と人間が真に釣り合うことができるのです。神意と、人間のそういう思いが釣り合うことができるのです。

釣り合うことができたので、「おめでとうございます」と言うのです。

毎月の月次祭は、三重では一日祭並びに月次祭として一日に決め、浜松では一日を過ぎた最初の火曜日と決め、執り行うことが許されております。

大変ありがたく、おめでたいことであります。

一方、本日は「地上天国祭おめでとうございます。」と挨拶させていただきました。それは、6月15日という日に意義があるからなのです。

 

重大意義

メシヤ様は昭和25年6月15日の重大意義を次のように御教え下さっております。

 

いよいよ6月15日となった。すると、朝まだき、今日の重大な意義がハッキリして来た。というのは以前書いた著書に私のお腹の中に光の玉があるという事で、これを読んだ人は知っているだろうが、この光の玉には今まで魂がなかった。ところが、いよいよ今日、○から〇ったある高位の神様の魂が宿られた。すなわち、右の御魂が現世に生誕された事になるのである。

これから、この神御魂が段々御育ちになり、成人されるに従って、玉の光は漸次輝きを増し、将来大威徳を発揮さるるに至るのである。

 

この〇から〇ったという事を、巷では例えば「天から降った」と入れるんじゃないかとか・・そうすると、伏字にする必要がないですよね。

ここを先生はメシヤ講座で古事記にある文を引用されて「伊邪那岐命様から賜った」と解釈されております。

賜ったのはどなたでしょうか?天照皇大御神様ですね。それが、仮祝典での御神名。「天照皇大御神様」と御神名を唱えたことに繋がっていきます。

これについては、先生がメシヤ講座をしている時から、先生の解釈としてお話しくださっていたわけです。先生の晩年、宿題として “なぜ「天照皇大御神」と唱えたのか、各支部で考えて下さい” という話がありましたよね。その時、考えました? その話が既にメシヤ講座の中でされていたという事です。

 

ですから、昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」の際に、メシヤ様ご自身に『天照皇大御神守り給へ幸倍へ給へ』と御唱えしたのは「ミクラタナ」の神様の神御魂が宿られた本体としてお参りしたというように拝し捉えることができると思うのです。

 

そういうことで、既に回答していただいていたことを、私達はまた“考えなさい”と言われて、どこまで考えたかという事ですけども・・。そういう中で今日の祭典ということに繋がってくるわけです。

 

生誕の型

それから、 
生誕の型 ということで、先程の意義という事ね、重大な意義という事に就いても、メシヤ様もその日の起きてきた出来事から意義を考えて・・、留置場でお腹が痛くなって何事かと神様に伺うけれども、しばらく我慢せよと、重大な意義があるんだということで、意義を考えていて、生誕の型ということを言われております。

 

そうして面白いことには、翌16日には朝から食欲が全然ない。やっと昼頃になって牛乳だけが欲しくなったので、 差入屋に頼んで取り寄せコップに一杯呑んだが、その美味さは格別だった。その時、なるほどと思ったことは、生まれたばかりの赤ん坊だから乳が吞みたいのは当たり前で、確かにこれが型なんだ。

 

そういう風に、型と受けとめて教えてくださっているわけです。

この時には夢も見てるわけですね、富士山の夢というのも。

夢とか型とか、そういう風な考えでもって、これが神人合一ということに繋がっていくということです。

 

散花結実

もう一つ、 「散花結実」 ということも言われております。

 

という訳で、いよいよ大経綸の第一歩を踏み出す時となったのである。すなわち、花が散って実を結ぶという、その実の種の中心のポチが腹の中へ宿ったので、実に人類始まって以来の大慶事である。

ところが、このような万人祝福すべき空前の重大神業が、一人の部下もいない陰惨なる牢獄内で行われたということは、何たる皮肉ではなかろうかと私はつくづく思われたのである。この一事によってみても、神様の経綸なるものは、いかに深遠微妙にして、人智を許さないものたる事を知るであろう。

 

とメシヤ様のお言葉で、昭和25年6月15日の重大な意義を御教えてくださっております。

 

5W1H

英語で5W1H。 

When (いつ)  Where (どこで)  Who (誰が)  What (何を) Why (なぜ) How (どのように) 

これを5W1Hと言って、情報を整理するのに、こういうふうにまとめる、こういうことが伝わるように話をすると分かりやすいですよということを言われております。それで、今の情報を整理しますと、

When (いつ)  昭和256

Where (どこで)  富士山のふもと、静岡、清水の牢獄

Who (誰が) メシヤ様

What (何を) ミクラタナの神様

ちょっと Why (なぜ) を飛ばして、

How (どのように) メシヤ様の御腹中に生誕されたということですね

今の5W1Hの一つ残ったのが、Why (なぜ)。

ここが重要になってくるかと思うんですよ。ここが色んな解釈があるでしょうし、先達の皆様も知り得た人が、今の御神業となかなか繋がってこないので発表するということがされてこなかった。そういうふうに受け止めたらいいんじゃないかと思います。

これは、色々な解釈あるでしょうけども、メシヤ様の御神格が上がったんだと。 これは、ハッキリと出てるので分かりやすいと思います。だけどミクラタナの神様との関係が繋がってこないので発表できなかったと。 それを、先生は繋がったので発表したということです。

だから『』に『・』のこの御神体が出現することを知らせるためにと、多分受け止められたんじゃないかなと、僕は拝察します。

ミクラタナの神様
散花結実
文明の創造

先生は2010年の地上天国祭で発表されました、ミクラタナの神様の話が発表された年に『文明の創造』の分冊の第一冊目が出された。だから、『文明の創造』も繋がってきているということです。

「神様と私との関係」という御教えによると、メシヤ様は国常立尊という神様が時折御憑かりになる。

 

その神様は崇高な威厳と厳しい霊感のあった事は今でも覚えている。しかし一番憑られたのは何と言っても観音様で、絶え間なしにというぐらいでありました。 何ともいえない和やかさで、大慈大悲の御心が溢れていました。

 

もう一つは、伊都能売金龍と申す神様が憑られたことがあった。

これは琵琶湖での赤龍との戦いの話をされておられますね。


「神様と私との関係」という御教えの中で、

 

ここで言いたいことは現在の私である。それは静岡事件の際、留置場の中ですこぶる神秘な御神業が行われたことは、いつか話したことがあるが、その時私の体内に入られたのが最高最貴の〇〇〇〇○の神様であって、出所早々「散花結実」の書を千枚書いて、主なる信者に頒かち与えたのも、その時の経綸によったのである。

 

「散花結実」の御軸と御額の御写真を前もってラインで送らせて頂いたのは、こういう意味からです。

 

ところがその時から後の私は、以前のように神様に伺う事は必要がない事になったのである。というのは神霊は私の体内に在(おわ)す以上、以前のように神と人との隔てが撤去され、神人合一の境地になったからである。つまり神即人である以上、私の行う事は神直接であるから、私の思うままを行(や)ればいい事になったのである。』

 

これは、「神様と私との関係」で、神人合一になったということがハッキリと。とういうことは、ミクラタナの神様が御腹に宿られたので神人合一になった。そういう認識で良いかと思います。

 

それで、メシヤ講座の方で、先程の続きになりますけども、

我々の信仰はこの光の玉に御宿りになられた「ミクラタナ」の神様という御存在、その総体から御力をいただいて、そして地上天国を建設してゆく、そういう御力と智慧という尊いものをいただいてゆくというふうになっていると思います。その源ということを今回示されたというように受け取っていただければ有り難いと思います。

 

という話の続きの中でですね、

 

それから、この「ミクラタナ」の神様のことをいろいろ三重支部の方で調べてくださった内容の中には、例えば私達のしゃべっている、母音と子音によって日本語というのは構成されておりますが、「ミクラタナ」というのはその言霊を全部のせる棚(御倉板擧)のことなのだというような説明もあります。そうすると私達が物事を考える原点は言葉です。言葉がないと思考することができません。何か考えると言っても言葉で考えている訳です。その言葉の一番基が日本人は母音と子音の構成によって出来上がっていると。それが一番根源的なものであります。

ですから古代の日本で使われていた文字では、この『』に『・』という文字は「ア」になります。母音と子音の最初の言葉としての「ア」ということになってくるということに繋がってゆきますので、一回で聞いてもわからないと思いますが、根源中の根源を示されたという訳です。

 

という風にメシヤ講座でありました。

何回も古代文字、『』に『・』、「ア」ということについてはお話し下さっておりますけども、これは、Where (どこで)にも繋がっていきます。富士山の麓で日本の文明が始まっているわけですね。ホツマ文字、「ア」という文字、静岡の富士山の周辺が大和民族の発生。メシヤ様は大和民族の宗家。一番元として御生まれになっておられますので、それは御教えでハッキリとありますので、そこでミクラタナの神様が・・という御神業が行われたのはものすごく意義があることであって、その静岡に、浜松も静岡ですから、意義のある所に住んでおられるのだという風に考えて頂ければ良いかと思います。

 

「知る」ことは「使命」が共存する

こういうことを、「私達はそのことを知ることを許された人間なんだ」と受け止めておられるんですね、先生も。「知る」ということは「使命」が共存してきます。だから、ここに集まっている人達は、この許される人間を一人でも多く増やしてゆくということが実は本来の布教ということになる訳です。そういう神代のことまで解ってゆくということが願いとしてはあります。

 

という、2010年の地上天国祭の内容だったわけです。

 

それで、「神界の秘儀を知った上での御神業」ということで、

我々の信仰というのは単発的な御蔭をいただきたいとか、急場を良くしていただきたい、ということのみではなくて、神代の時代から継続してきて、いよいよこの地上に天国を樹立するという御神業なのだと、継続性のあるものだと捉えて、気持ちをより一層高めていただきたい。

 

という話もあった訳です。

それで、夜の時代に染みついた精神の癖を取り除く生活をしていこうということで、色々浄化が起こってきますけども、浄化作用と考えられること自体が救いなんだという話。これは、三好基晴先生の話を引用してあったわけですけども、悪化作用と考えるから、病気で悩み苦しまないといけないわけですけども、浄化作用と捉えることで、全てを感謝して受けとめることができます。

感謝というのは、「感謝が感謝を生み 不平が不平を呼ぶとは正に真理だ」という生活に根差した御教えにつながっていきます。

浄化作用というのは薬毒排出、もう一つは、夜の時代に染み付いた精神の癖、あるいはその既成宗教的、カルト教団的な信仰形態を引きずっている信仰に身を置いたことのある者の心の中に根付いてしまった心の癖、そういうものの改善。

例えば、「全ては自分の罪だから、その罪を許されるために献金しなさい」と繋げていくやり方。こういう中で信仰していると自分の中に答えがなくても、「まだ罪が許されないんだ」という諦め方になってしまいます。

メシヤ様の御教えに基づいて心の癖というものを取り除いていくのが救いにつながる御神業の一つなのです。

 

「因縁の人が因縁の人を導く」

ということで、

出会った時に、気になった人に気になったような話をしたという体験談がこの地上天国祭の前にありまして、

 

気になった人には必ず声をかけることが肝心なのです。

誰々の魂がメシヤ様につながることを求めている、救いを求めている、と我々の感性を豊かにしながら、敏感にしながら、魂の訴えとか魂の叫びというものを察知して、そしてメシヤ様の御光を届けていけるような日常生活を互いに送らせていただきたいものです。

 

そういうふうにメシヤ講座で教えてくださっております。

 

因縁の人が因縁の人を導くということで、一宮においても御神体御奉斎という縁で繋がっておりますし、 浜松の縁というのも前々から色々やってきましたけども、一宮の事も調べてみました。

今月の月次祭の覚りの旅で、「回天」という言葉が出ました。

天を巡らす、時勢を一変すること、衰えた勢いを盛り返すこと。

今回取り上げた特選集の中で、教団のゴタゴタ、当時の世界○○教の浄霊力をいただいて御教えを手にしている以上は必ず回心してメシヤ様に再度太くつながってくることを期待しても遅くなるから新たな気持ちで取り組みましょうと。そういう風な話をされております。

一宮の皆様は、今月の月次祭終了直後に連絡を下さいまして、三救で共に学び合うことになったわけです。
ずっと三救のブログを見て学んで下さっておられたことに感激いたしました。発信していて良かったと思わせていただきました。大なり小なり所属教団に不信を募らせ離脱して孤立しておられる方が全国には多数おられるのだろうと思います。継続して伝えていくことが地上天国建設に繋がっていくんだと思います。 一つの組織ではないわけです。メシヤ様に繋がり、その恩恵に授かる人が増えていくことが地上天国に繋がっていく。一人一人の心に地上天国はできていくのだと思っております。

それで先程一宮の話で、人間と人間の繋がりができる前に、神様の繋がりということもあろうかと思いまして、神様と地の因縁ということで。

一宮という地名は・・、平安時代に国司がその国の神社を参拝して回る時に最初に出かける神社を「一の宮」といいます。尾張の国の「一の宮」が真清田(ますみだ)神社であったことから、その門前町であるこの地域がいつしか「いちのみや」と呼ばれるようになりました。

全国に「一宮」はあるわけですけども、1市6町で、市は一宮市だけです。だから、一宮というのは、一の宮の型でもあるわけです。

調べていて私達の御神業と非常に関係あるなと思ったのは、真清田神社の由緒を調べると、創建が神武天皇(初代天皇)33年3月3日ですね。ご存知でした?

 

参加者

桃花祭(とうかさい)とか・・。

 

三救責任者

桃の花と書いて、桃花祭って言うんですね 桃の花につながってくるので3月3日としたんだろうということもありますけども、決めたということに御神縁があるわけですから、神武天皇33年3月3日、333ということですね。

私たちの「メシヤ降誕本祝典」30年3月3日で333ですから、非常に関係がある。神様の御鎮祭日がすごいなということを感じております。

それと、ここの真清田神社の御祭神というのは、天火明命(あめのほあかりのみこと)です。そして、神様の名前に本名がありまして、本名を調べると、天照国照彦天火明神命(あまてらすくにてらすひこあめのほあかりのみこと)。

だから、今日の祭典の天照大御神、太陽神とも非常に関係がある。太陽神である天照大御神様の孫にあたります。太陽エネルギーが神格化された神様であります。

「ますみだ」の言霊に注目してみますと・・「ますみの鏡」はご存知ですか?「ますみの鏡」とか「まそかがみ」というのは、よく澄んでくもりのない鏡。鏡というのは内宮の御神体です。これは八咫鏡(やたのかがみ)。外宮も鏡です。鏡が御神体であって、元々天皇陛下と同床同殿であったのが、いつしか別々になってきた、そこから政治が乱れてきたというようなことを言われております。

「田」という字がついていますよね、○に十ですけども、これにも意味があるわけで、「田」という事で言えば「主基田(すきでん)」「悠紀田(ゆきでん)」と言いまして、神様に食べて頂くお米を作る田んぼで、その中心の所が東日本、西日本でそれぞれ決めたところを言うんです。物質的にはそういう事ですけども、その「田」という言葉自体が先程の言霊に繋がっていく。

「悠紀田(ゆきでん)」はハマヤラワ、「主基田(すきでん)」はアカサタナという事があって、「真清田」の「田」というのは色んな意味があります。神様に非常につながることがあります。

 

言霊の原理

天照大御神に授かった御頸珠である言霊の原理・・これは言霊の本で調べた内容です。

この原理は崇神天皇の同床共殿の制度の廃止以来、天皇の、そして日本民族の自覚から忘れられてしまった。

この時より、人類の文明の創造のコントロールの力は失われ、世は弱肉強食の生存競争の時代となった。

この時代の精神の構図を言霊図によって表すと、我々が幼い時から教わったアイウエオの五十音図になって、この図のことを天津金木図と言います。天津金木というのは、そういう解釈の仕方によっては。天津金木とは何かというような話は色々出てきたわけですけども、そういうことが・・。

そういったところに、色々と一宮から調べていったら言霊と関係ある、太陽神と関係あるということが分かってきて、繋がるべくしてそういうふうに何かを知らせたくてということがあるのかなと思いました。

 

黙々として救いの業に精進

地上天国24号で「巻頭言」という御教えがありまして、ここにまとめのような話が書いてありましたので、それを引用して本日の挨拶を終わらせてもらいたいと思います。

 

世界人類を救い、病貧争絶無の地上天国をおつくりになると宣言なさる、ドエライ神様のことだから、その通り実現するのは絶対間違いないのである。しかし物には順序がある。順序は神成(かみなり)であるから、 例えば果物が生(な)っても、急には大きくならない、月日を経、雨風に当って、段々大きく美味(うま)いものになる。また寒さに震え、雪霜を凌いでこそ、春が来れば四方に匂う梅花が開くのである。これが天地自然の理法であるとしたら、いくら立派な本教でも、時を待たなければ、花は咲かないのである。

その代わり時来くれば、全人類ことごとくが歓喜の声を放って、地上天国建設に協力するであろうという事も、一点の疑ないところである。従ってこの夢を楽しみつつ、今は黙々として、救いの業に精進していればいいのである。

 

世界人類を救って病貧争絶無の地上天国をおつくりになるということ、これが実現するというのは絶対間違いがないとメシヤ様は仰っておられます。

今は黙々として救いの業に精進させて頂きたいと思います。

本日は地上天国祭、おめでとうございました。

 

参加者一同

おめでとうございました。

ありがとうございました。

 

司会

以上を持ちまして三救

地上天国祭を終わらせていただきます。

 

参加者一同

ありがとうございました。

0 件のコメント:

コメントを投稿

令和6年覚りの旅 令和6年4月 月次祭を終えて

 2024年04月09日 令和6年覚りの旅 令和6年4月 月次祭を終えて 三救責任者 月次祭おめでとうございます。 参加者一同 おめでとうございます。 三救責任者 いよいよ本日から『観音講座』を、1~7口座まであるわけですけども、7カ月かけて学ばせて頂きます。 『主神様とメシヤ様...