2023年6月30日金曜日

覚りの旅  令和5年 地上天国祭

 令和5年6月15日

覚りの旅  令和5年 地上天国祭


三救責任者

皆様、地上天国祭おめでとうございます。

 

参加者一同

おめでとうございます。

 

三救責任者

今年は三救として5回目の地上天国祭です。

浜松の皆様と一宮の皆様はリモートで参拝されておられます。一宮の皆様、お帰りなさい。そして、おめでとうございます。

本日は昨年度令和4年の地上天国祭の挨拶と2010年の地上天国祭の楳木先生の挨拶内容を引用させていただいて、お話させていただきます。

本日のような祭典や月次祭の時に、「おめでとうございます。」と挨拶しますが、何がおめでたいのでしょうか?

メシヤ講座の説明を引用します。

 

真釣り

祭りというのは、真に釣り合うと書いて「まつり」と読めます。

何が釣り合うのかと言いますと、神様と人間がまことに真釣り合うのです。

月次祭というのは、人間の都合で決めた日でありますが、一旦そのように神様に御報告させていただくと、神様の側からすると、月次祭に一番光を注いでくださって、みんなに力をくださる訳です。その日に決まった以上、人間の一か月の生活は月次祭に合わせて毎月動いていくような生活をしていって、そして、旅行の計画や法事、結婚式などさまざまなことがあるのだけれども、月次祭の日だけは必ずここへ来ようとみんなで準備を重ねて、諸事情を乗り越えてくることができて、初めて、神様と人間が真に釣り合うことができるのです。神意と、人間のそういう思いが釣り合うことができるのです。

釣り合うことができたので、「おめでとうございます」と言うのです。

毎月の月次祭は、三重では一日祭並びに月次祭として一日に決め、浜松では一日を過ぎた最初の火曜日と決め、執り行うことが許されております。

大変ありがたく、おめでたいことであります。

一方、本日は「地上天国祭おめでとうございます。」と挨拶させていただきました。それは、6月15日という日に意義があるからなのです。

 

重大意義

メシヤ様は昭和25年6月15日の重大意義を次のように御教え下さっております。

 

いよいよ6月15日となった。すると、朝まだき、今日の重大な意義がハッキリして来た。というのは以前書いた著書に私のお腹の中に光の玉があるという事で、これを読んだ人は知っているだろうが、この光の玉には今まで魂がなかった。ところが、いよいよ今日、○から〇ったある高位の神様の魂が宿られた。すなわち、右の御魂が現世に生誕された事になるのである。

これから、この神御魂が段々御育ちになり、成人されるに従って、玉の光は漸次輝きを増し、将来大威徳を発揮さるるに至るのである。

 

この〇から〇ったという事を、巷では例えば「天から降った」と入れるんじゃないかとか・・そうすると、伏字にする必要がないですよね。

ここを先生はメシヤ講座で古事記にある文を引用されて「伊邪那岐命様から賜った」と解釈されております。

賜ったのはどなたでしょうか?天照皇大御神様ですね。それが、仮祝典での御神名。「天照皇大御神様」と御神名を唱えたことに繋がっていきます。

これについては、先生がメシヤ講座をしている時から、先生の解釈としてお話しくださっていたわけです。先生の晩年、宿題として “なぜ「天照皇大御神」と唱えたのか、各支部で考えて下さい” という話がありましたよね。その時、考えました? その話が既にメシヤ講座の中でされていたという事です。

 

ですから、昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」の際に、メシヤ様ご自身に『天照皇大御神守り給へ幸倍へ給へ』と御唱えしたのは「ミクラタナ」の神様の神御魂が宿られた本体としてお参りしたというように拝し捉えることができると思うのです。

 

そういうことで、既に回答していただいていたことを、私達はまた“考えなさい”と言われて、どこまで考えたかという事ですけども・・。そういう中で今日の祭典ということに繋がってくるわけです。

 

生誕の型

それから、 
生誕の型 ということで、先程の意義という事ね、重大な意義という事に就いても、メシヤ様もその日の起きてきた出来事から意義を考えて・・、留置場でお腹が痛くなって何事かと神様に伺うけれども、しばらく我慢せよと、重大な意義があるんだということで、意義を考えていて、生誕の型ということを言われております。

 

そうして面白いことには、翌16日には朝から食欲が全然ない。やっと昼頃になって牛乳だけが欲しくなったので、 差入屋に頼んで取り寄せコップに一杯呑んだが、その美味さは格別だった。その時、なるほどと思ったことは、生まれたばかりの赤ん坊だから乳が吞みたいのは当たり前で、確かにこれが型なんだ。

 

そういう風に、型と受けとめて教えてくださっているわけです。

この時には夢も見てるわけですね、富士山の夢というのも。

夢とか型とか、そういう風な考えでもって、これが神人合一ということに繋がっていくということです。

 

散花結実

もう一つ、 「散花結実」 ということも言われております。

 

という訳で、いよいよ大経綸の第一歩を踏み出す時となったのである。すなわち、花が散って実を結ぶという、その実の種の中心のポチが腹の中へ宿ったので、実に人類始まって以来の大慶事である。

ところが、このような万人祝福すべき空前の重大神業が、一人の部下もいない陰惨なる牢獄内で行われたということは、何たる皮肉ではなかろうかと私はつくづく思われたのである。この一事によってみても、神様の経綸なるものは、いかに深遠微妙にして、人智を許さないものたる事を知るであろう。

 

とメシヤ様のお言葉で、昭和25年6月15日の重大な意義を御教えてくださっております。

 

5W1H

英語で5W1H。 

When (いつ)  Where (どこで)  Who (誰が)  What (何を) Why (なぜ) How (どのように) 

これを5W1Hと言って、情報を整理するのに、こういうふうにまとめる、こういうことが伝わるように話をすると分かりやすいですよということを言われております。それで、今の情報を整理しますと、

When (いつ)  昭和25年6月

Where (どこで)  富士山のふもと、静岡、清水の牢獄

Who (誰が) メシヤ様

What (何を) ミクラタナの神様

ちょっと Why (なぜ) を飛ばして、

How (どのように) メシヤ様の御腹中に生誕されたということですね

今の5W1Hの一つ残ったのが、Why (なぜ)。

ここが重要になってくるかと思うんですよ。ここが色んな解釈があるでしょうし、先達の皆様も知り得た人が、今の御神業となかなか繋がってこないので発表するということがされてこなかった。そういうふうに受け止めたらいいんじゃないかと思います。

これは、色々な解釈あるでしょうけども、メシヤ様の御神格が上がったんだと。 これは、ハッキリと出てるので分かりやすいと思います。だけどミクラタナの神様との関係が繋がってこないので発表できなかったと。 それを、先生は繋がったので発表したということです。

だから『○』に『・』のこの御神体が出現することを知らせるためにと、多分受け止められたんじゃないかなと、僕は拝察します。

ミクラタナの神様
散花結実
文明の創造

先生は2010年の地上天国祭で発表されました、ミクラタナの神様の話が発表された年に『文明の創造』の分冊の第一冊目が出された。だから、『文明の創造』も繋がってきているということです。

「神様と私との関係」という御教えによると、メシヤ様は国常立尊という神様が時折御憑かりになる。

 

その神様は崇高な威厳と厳しい霊感のあった事は今でも覚えている。しかし一番憑られたのは何と言っても観音様で、絶え間なしにというぐらいでありました。 何ともいえない和やかさで、大慈大悲の御心が溢れていました。

 

もう一つは、伊都能売金龍と申す神様が憑られたことがあった。

これは琵琶湖での赤龍との戦いの話をされておられますね。


「神様と私との関係」という御教えの中で、

 

ここで言いたいことは現在の私である。それは静岡事件の際、留置場の中ですこぶる神秘な御神業が行われたことは、いつか話したことがあるが、その時私の体内に入られたのが最高最貴の〇〇〇〇○の神様であって、出所早々「散花結実」の書を千枚書いて、主なる信者に頒かち与えたのも、その時の経綸によったのである。

 

「散花結実」の御軸と御額の御写真を前もってラインで送らせて頂いたのは、こういう意味からです。

 

ところがその時から後の私は、以前のように神様に伺う事は必要がない事になったのである。というのは神霊は私の体内に在(おわ)す以上、以前のように神と人との隔てが撤去され、神人合一の境地になったからである。つまり神即人である以上、私の行う事は神直接であるから、私の思うままを行(や)ればいい事になったのである。』

 

これは、「神様と私との関係」で、神人合一になったということがハッキリと。とういうことは、ミクラタナの神様が御腹に宿られたので神人合一になった。そういう認識で良いかと思います。

 

それで、メシヤ講座の方で、先程の続きになりますけども、

我々の信仰はこの光の玉に御宿りになられた「ミクラタナ」の神様という御存在、その総体から御力をいただいて、そして地上天国を建設してゆく、そういう御力と智慧という尊いものをいただいてゆくというふうになっていると思います。その源ということを今回示されたというように受け取っていただければ有り難いと思います。

 

という話の続きの中でですね、

 

それから、この「ミクラタナ」の神様のことをいろいろ三重支部の方で調べてくださった内容の中には、例えば私達のしゃべっている、母音と子音によって日本語というのは構成されておりますが、「ミクラタナ」というのはその言霊を全部のせる棚(御倉板擧)のことなのだというような説明もあります。そうすると私達が物事を考える原点は言葉です。言葉がないと思考することができません。何か考えると言っても言葉で考えている訳です。その言葉の一番基が日本人は母音と子音の構成によって出来上がっていると。それが一番根源的なものであります。

ですから古代の日本で使われていた文字では、この『○』に『・』という文字は「ア」になります。母音と子音の最初の言葉としての「ア」ということになってくるということに繋がってゆきますので、一回で聞いてもわからないと思いますが、根源中の根源を示されたという訳です。

 

という風にメシヤ講座でありました。

何回も古代文字、『○』に『・』、「ア」ということについてはお話し下さっておりますけども、これは、Where (どこで)にも繋がっていきます。富士山の麓で日本の文明が始まっているわけですね。ホツマ文字、「ア」という文字、静岡の富士山の周辺が大和民族の発生。メシヤ様は大和民族の宗家。一番元として御生まれになっておられますので、それは御教えでハッキリとありますので、そこでミクラタナの神様が・・という御神業が行われたのはものすごく意義があることであって、その静岡に、浜松も静岡ですから、意義のある所に住んでおられるのだという風に考えて頂ければ良いかと思います。

 

「知る」ことは「使命」が共存する

こういうことを、「私達はそのことを知ることを許された人間なんだ」と受け止めておられるんですね、先生も。「知る」ということは「使命」が共存してきます。だから、ここに集まっている人達は、この許される人間を一人でも多く増やしてゆくということが実は本来の布教ということになる訳です。そういう神代のことまで解ってゆくということが願いとしてはあります。

 

という、2010年の地上天国祭の内容だったわけです。

 

それで、「神界の秘儀を知った上での御神業」ということで、

我々の信仰というのは単発的な御蔭をいただきたいとか、急場を良くしていただきたい、ということのみではなくて、神代の時代から継続してきて、いよいよこの地上に天国を樹立するという御神業なのだと、継続性のあるものだと捉えて、気持ちをより一層高めていただきたい。

 

という話もあった訳です。

それで、夜の時代に染みついた精神の癖を取り除く生活をしていこうということで、色々浄化が起こってきますけども、浄化作用と考えられること自体が救いなんだという話。これは、三好基晴先生の話を引用してあったわけですけども、悪化作用と考えるから、病気で悩み苦しまないといけないわけですけども、浄化作用と捉えることで、全てを感謝して受けとめることができます。

感謝というのは、「感謝が感謝を生み 不平が不平を呼ぶとは正に真理だ」という生活に根差した御教えにつながっていきます。

浄化作用というのは薬毒排出、もう一つは、夜の時代に染み付いた精神の癖、あるいはその既成宗教的、カルト教団的な信仰形態を引きずっている信仰に身を置いたことのある者の心の中に根付いてしまった心の癖、そういうものの改善。

例えば、「全ては自分の罪だから、その罪を許されるために献金しなさい」と繋げていくやり方。こういう中で信仰していると自分の中に答えがなくても、「まだ罪が許されないんだ」という諦め方になってしまいます。

メシヤ様の御教えに基づいて心の癖というものを取り除いていくのが救いにつながる御神業の一つなのです。

 

「因縁の人が因縁の人を導く」

ということで、

出会った時に、気になった人に気になったような話をしたという体験談がこの地上天国祭の前にありまして、

 

気になった人には必ず声をかけることが肝心なのです。

誰々の魂がメシヤ様につながることを求めている、救いを求めている、と我々の感性を豊かにしながら、敏感にしながら、魂の訴えとか魂の叫びというものを察知して、そしてメシヤ様の御光を届けていけるような日常生活を互いに送らせていただきたいものです。

 

そういうふうにメシヤ講座で教えてくださっております。

 

因縁の人が因縁の人を導くということで、一宮においても御神体御奉斎という縁で繋がっておりますし、 浜松の縁というのも前々から色々やってきましたけども、一宮の事も調べてみました。

今月の月次祭の覚りの旅で、「回天」という言葉が出ました。

天を巡らす、時勢を一変すること、衰えた勢いを盛り返すこと。

今回取り上げた特選集の中で、教団のゴタゴタ、当時の世界○○教の浄霊力をいただいて御教えを手にしている以上は必ず回心してメシヤ様に再度太くつながってくることを期待しても遅くなるから新たな気持ちで取り組みましょうと。そういう風な話をされております。

一宮の皆様は、今月の月次祭終了直後に連絡を下さいまして、三救で共に学び合うことになったわけです。
ずっと三救のブログを見て学んで下さっておられたことに感激いたしました。発信していて良かったと思わせていただきました。大なり小なり所属教団に不信を募らせ離脱して孤立しておられる方が全国には多数おられるのだろうと思います。継続して伝えていくことが地上天国建設に繋がっていくんだと思います。 一つの組織ではないわけです。メシヤ様に繋がり、その恩恵に授かる人が増えていくことが地上天国に繋がっていく。一人一人の心に地上天国はできていくのだと思っております。

それで先程一宮の話で、人間と人間の繋がりができる前に、神様の繋がりということもあろうかと思いまして、神様と地の因縁ということで。

一宮という地名は・・、平安時代に国司がその国の神社を参拝して回る時に最初に出かける神社を「一の宮」といいます。尾張の国の「一の宮」が真清田(ますみだ)神社であったことから、その門前町であるこの地域がいつしか「いちのみや」と呼ばれるようになりました。

全国に「一宮」はあるわけですけども、1市6町で、市は一宮市だけです。だから、一宮というのは、一の宮の型でもあるわけです。

調べていて私達の御神業と非常に関係あるなと思ったのは、真清田神社の由緒を調べると、創建が神武天皇(初代天皇)33年3月3日ですね。ご存知でした?

 

参加者

桃花祭(とうかさい)とか・・。

 

三救責任者

桃の花と書いて、桃花祭って言うんですね 桃の花につながってくるので3月3日としたんだろうということもありますけども、決めたということに御神縁があるわけですから、神武天皇33年3月3日、333ということですね。

私たちの「メシヤ降誕本祝典」30年3月3日で333ですから、非常に関係がある。神様の御鎮祭日がすごいなということを感じております。

それと、ここの真清田神社の御祭神というのは、天火明命(あめのほあかりのみこと)です。そして、神様の名前に本名がありまして、本名を調べると、天照国照彦天火明神命(あまてらすくにてらすひこあめのほあかりのみこと)。

だから、今日の祭典の天照大御神、太陽神とも非常に関係がある。太陽神である天照大御神様の孫にあたります。太陽エネルギーが神格化された神様であります。

「ますみだ」の言霊に注目してみますと・・「ますみの鏡」はご存知ですか?「ますみの鏡」とか「まそかがみ」というのは、よく澄んでくもりのない鏡。鏡というのは内宮の御神体です。これは八咫鏡(やたのかがみ)。外宮も鏡です。鏡が御神体であって、元々天皇陛下と同床同殿であったのが、いつしか別々になってきた、そこから政治が乱れてきたというようなことを言われております。

「田」という字がついていますよね、○に十ですけども、これにも意味があるわけで、「田」という事で言えば「主基田(すきでん)」「悠紀田(ゆきでん)」と言いまして、神様に食べて頂くお米を作る田んぼで、その中心の所が東日本、西日本でそれぞれ決めたところを言うんです。物質的にはそういう事ですけども、その「田」という言葉自体が先程の言霊に繋がっていく。

「悠紀田(ゆきでん)」はハマヤラワ、「主基田(すきでん)」はアカサタナという事があって、「真清田」の「田」というのは色んな意味があります。神様に非常につながることがあります。

 

言霊の原理

天照大御神に授かった御頸珠である言霊の原理・・これは言霊の本で調べた内容です。

この原理は崇神天皇の同床共殿の制度の廃止以来、天皇の、そして日本民族の自覚から忘れられてしまった。

この時より、人類の文明の創造のコントロールの力は失われ、世は弱肉強食の生存競争の時代となった。

この時代の精神の構図を言霊図によって表すと、我々が幼い時から教わったアイウエオの五十音図になって、この図のことを天津金木図と言います。天津金木というのは、そういう解釈の仕方によっては。天津金木とは何かというような話は色々出てきたわけですけども、そういうことが・・。

そういったところに、色々と一宮から調べていったら言霊と関係ある、太陽神と関係あるということが分かってきて、繋がるべくしてそういうふうに何かを知らせたくてということがあるのかなと思いました。

 

黙々として救いの業に精進

地上天国24号で「巻頭言」という御教えがありまして、ここにまとめのような話が書いてありましたので、それを引用して本日の挨拶を終わらせてもらいたいと思います。

 

世界人類を救い、病貧争絶無の地上天国をおつくりになると宣言なさる、ドエライ神様のことだから、その通り実現するのは絶対間違いないのである。しかし物には順序がある。順序は神成(かみなり)であるから、 例えば果物が生(な)っても、急には大きくならない、月日を経、雨風に当って、段々大きく美味(うま)いものになる。また寒さに震え、雪霜を凌いでこそ、春が来れば四方に匂う梅花が開くのである。これが天地自然の理法であるとしたら、いくら立派な本教でも、時を待たなければ、花は咲かないのである。

その代わり時来くれば、全人類ことごとくが歓喜の声を放って、地上天国建設に協力するであろうという事も、一点の疑ないところである。従ってこの夢を楽しみつつ、今は黙々として、救いの業に精進していればいいのである。

 

世界人類を救って病貧争絶無の地上天国をおつくりになるということ、これが実現するというのは絶対間違いがないとメシヤ様は仰っておられます。

今は黙々として救いの業に精進させて頂きたいと思います。

本日は地上天国祭、おめでとうございました。

 

参加者一同

おめでとうございました。

ありがとうございました。

 

司会

以上を持ちまして三救

地上天国祭を終わらせていただきます。

 

参加者一同

ありがとうございました。

覚りの旅  令和5年5月 月次祭を終えて

 令和5年5月1日

   覚りの旅  令和5年5月 月次祭を終えて

三救責任者

皆様、月次祭おめでとうございます。

今日は、『文明の創造 霊的病気』 276頁、お願いします。


参加者


『文明の創造 宗教篇 霊的病気』 拝読


三救責任者

はい、ありがとうございます。

霊的病気ということで、まず胃癌が上がっております。

胃癌といっても多いのは何癌?


参加者

疑似胃癌。


三救責任者


疑似胃癌。少ないのが真症胃癌。

疑似胃癌の原因は?


参加者

薬毒


三救責任者

病気の原因は薬。ここを見たときに、153頁の『胃病』に学んだことなんですけども、ここを読んでいくとですね、158頁に


次に胃癌であるが、これには凝似と真症とあるが、実際上凝似の方がズッと多いものである。そうして真症の胃癌は霊的であり、宗教的になるから、茲では凝似胃癌のみに就て説明するが、勿論之は薬毒が原因で、前述の如く一旦背部に固結し、胃に還元した際、医療は排泄を止める結果再固結する。之は普通の固結よりも悪性である。なぜなれば毒素に変化したものが、再び固まるからで、之が即ち癌である。然し之は薬の性質にもよるので、どの薬もそうであるとは言へない。之も放任しておいても長くは掛るが、必ず治るものである。


そういうふうに学びました。

疑似胃癌の方は、薬毒が原因で一旦背部に固結し・・固まるんですね、それで、胃に還元した際、薬を使って止めようとするので、浄化というのは排泄するように、固まった固結を排泄、浄霊などで排泄しようとするんだけども、自然に放っておいても出ていくんだけども、それを薬を使って止めるので、それがまた固まってしまう。再固結すると、普通より悪性になると。毒素に変化したものが再び固まるから悪性になる。それで、これが癌になっていくんだと。それも薬の性質によりますよと。放任しておいても長くはかかるが、必ず治る。疑似胃癌の場合は必ず治る。薬を出せば。だけど、薬を使い続けていれば治りませんよね、ということが分かりますよね。それで、ここで「性質」ということが出てくるのでこの「性質」って覚えておいて欲しいんですけども、『天国の福音書』、昭和22年2月ですけども、2月5日、ここに何が書いてあるかというと、


およそ人間がこの世に生を受くるや、遺伝黴毒や最初に述べた天然痘毒素を主なるものとして、種々の毒素を保有している事は前項に述べた通りである。そうしてこれらの毒素の支障によって健康が完全に保持出来得ないから、生理的に体外に排泄せらるべく、絶えず自然浄化作用が行われるよう造られているのが人体である。しかしながら自然浄化作用が行われる場合ある程度の苦痛が伴うので、その苦痛の過程を称して病気というのである。


だから、浄化作用ですね。ちょっと癌からは外れていますけれども、『病気の真因』ということで。

それで、


まず浄化作用とはいかなるものであるか、私はこれを大別して第一と第二に分類する。第一浄化作用とは血液中にある種々の毒素が身体各局所に集留固結するのである。


さっきも出てきましたけども、固結して凝りになる。


集留すべき局所としては、すべて神経を集中する局所及び人体静止の場合の下部である。そうして集留毒素は時日を経るに従い、漸次硬化する。俗に凝りと名づくるのもそれである。この場合、苦痛は全然無い事もあり、ありとするも肩の凝り位の程度である。


これが第一浄化作用。それで、第二浄化作用というのは、その固まったものが液体化するということで、


次に、第二浄化作用であるが、これは第一浄化作用である固結がある程度を超ゆる場合、自然排除作用が発生する。その際排除しやすからしめんがため液体化せんとする作用がすなわち発熱である。発熱の高下は固結毒素の性質 (・・ここで先程の「性質」がでてくるんですけども・・) と硬軟と量と患者の体質とによるのである。


運動すると、疲れるので疲労になって発熱すると。これは、運動中の浄化促進の役目もするので、浄化促進、だから毒素が液体化するんです。そうすると液体になって、汗とか喀痰とか鼻汁。それで、痰の場合はポンプ作用で外へ出る。鼻汁の場合はくしゃみで外へ出す。これで、体外へ排泄するということです。食欲不振というのも発熱とか吐痰、服薬のためです。それで、例えば、病気は痛みを伴うことで、頭痛とか節々の痛みとかも毒素を溶解し、液体となって排除するときに神経を刺激するので痛い、ということがこの『病気の真因』に書かれています。


この「性質」という言葉が出てきたということ、疑似胃癌を今説明している。真症胃癌の前に疑似胃癌を説明しました。

キーワードとして、「性質」という言葉が出てきました。

先ほどの霊的のところにいくと、今度は言葉は何でしたでしょう?


参加者

執着。


三救責任者

執着。今度は「執着」ということで、体的の方では「性質」、霊的の方では「執着」。

真症胃癌という場合は霊的であって憑霊なんだと。

では、何の霊が憑きますか?

ほとんどが蛇の霊です。蛇の霊が怨霊となってかかって苦しめる。

何で蛇の霊が?というと、自分の前世とか祖霊が蛇を殺した、その蛇の怨霊ですよと。蛇というのは、性格は執着が強い。だからその性格。人間が前々世における執着が強いという罪、その執着が強いので性格上執着が強いと、今度は前々世の話だけども、今世まで追求して復讐しようとするのが蛇の性格です。それで、人間が前々世において執着が強いというその罪によって畜生界に落ちて蛇となって再生する。その蛇となって再生した時に生き物を飲み込むと、今度はその飲み込まれた生き物の怨霊が固まって凝って、蛇の腹の中に宿る。蛇の腹の中に宿ったまんま、人間に再生する。これが本当の真症胃癌で、非常に悪性であって、執着、執着の塊みたいなものですね。

蛇も執着が強いけどもその蛇に飲み込まれた生き物の怨霊が人間に、蛇に再生したその蛇が人間にかかって人間となって再生してくると、丸々腹の中蛇みたいなものですね。

それが真症胃癌の原因だと書かれています。


「執着」ということで見ていきますと、『医学革命の書』 序文昭和28年に


人間生の執着程強いものはなく、此執着から離れられないのが人間の特性である。といってもそれを免れる事の不可能なるが為、今日迄は諦めてゐたに過ぎないのであって、若し此解決可能な方法が発見されたとしたら、之こそ人類にとっての最大福音であり、大問題である。処が喜ぶべし、その欲求は完全に達せられたのである。


浄霊のことですね。


何しろ人類から病を無くし生命の延長も可能になった。

私は叫ぶ(・・メシヤ様は叫ぶ・・)、最早人類最大の悩みである病は茲に完全に解決されたのである。故に此著を読んで信じ得られる人は天国の門に入ったのであり、之を信ぜず躊躇逡巡、何だ彼んだといって見過す人は、折角天の与へた幸福のチャンスを自ら逃して了ひ、何れは臍を噛む時の来るのは、断言して憚らないのである。


昭和28年。『文明の創造』 の後の『医学革命の書』にそのように書かれております。

それから 「我と執着」 ということで、『信仰雑話』は昭和23年ですけれども、

いろんな執着、例えば政治家が地位に執着するとか、実業家が金銭に執着して利益に執着するとか、男女関係においても執着する方が嫌われる。問題を起こすのも執着が強すぎるから。信仰の主要目的は我と執着をとることである。「取越苦労と過越苦労をするな」という事があるが、良い言葉ですねと。

我執を捨てるということは、「取越苦労と過越苦労をするな」という事ですね。我執を捨てると。


そうして霊界における修行の最大目標は執着を除(と)る事で、執着の除れるに従い地位が向上する事になっている。


霊界においてもそうですよと。


霊界においては夫婦同棲する事は、普通はほとんどないのである。それは夫と妻との霊的地位が異(ちが)っているからで、夫婦同棲は天国か極楽人とならなければ許されない。


ということは、天国とか極楽人の場合は夫婦同棲も許されているということですね。


しかしながら、ある程度修行の出来た者は許されるが、それも一時の間である。その場合、その界の監督神に願って許されるのであるが、許されて夫婦相逢うや、懐かしさのあまり相擁するような事は決して許されない。いささかの邪念を起こすや、身体が硬直し、自由にならなくなる。そのくらい執着がいけないのである。故に霊界の修行によって執着心が除去されるに従って地位は向上し、向上されるに従って夫婦の邂逅も容易になるので、現界と如何に違うかが想像されるであろう。そうしてさきに述べたごとく、執着の権化は蛇霊となるのであるから恐るべきである。人霊が蛇霊となる際は、足部から漸次上方へ向かって、相当の年月を経て蛇霊化するもので、私は以前首が人間で身体が蛇という患者を取り扱った事があるが、これは半蛇霊となったものである。

 従って信仰を勧める上においても、執念深く説得する事は熱心のようではあるが、結果は良くない。これは信仰の押し売りとなり、神仏を冒涜する事となるからである。すべて信仰を勧める場合、ちょっと話して相手が乗気になるようなれば話を続けるもよいが、先方にその気のない場合は、話を続けるのを差し控え、 機の到るを待つべきである。


だから、追うな、機を待てということですね。

それと、またこれも執着で、


病人でも、これを治したら宣伝力もあるし、ぜひ治したいと思うが治らない。そんなことをぜんぜん考えないで、なーに、とやっていると治る。それは、ぜひ治したい治したいと言うと、執着ですから人間の働きばかり出る。そんなことを考えずに神様にお任せしようと、執着を取るでしょう。すると神様のほうからくる。人間の執着が――想念がそこにいくから、神様のほうを邪魔する。病人でも、こんな病気に負けるものか、俺の精神力で治して見せると言うのは、たいてい死んじゃいます。そうでなく、神様の御意のままだ。とあきらめると、助かります。だから、よくもう駄目だ。あきらめなさいといってから、治るのがたくさんあります。面倒なものは、なんでも神様に任せてしまえと言うんです。そうすると、案外うまくいくんです。私なんか、始終ややこしいことがありますが、ええい。と、神様にお任せする。ややこしいのがあって、あっちを立てればこっちが立たない。という場合に――お任せすると、うまくいきます。思ったよりかうまくいく。よく、「惟神の大道」と言ってね。惟神と言う言葉は良いです。「カミナガラ」ですね。神様の思し召しのままに進んで行くというので、非常に良い言葉ですね。


メシヤ講座でも執着ということで、平成28年1月です。


世の中は、夜叉龍神はメシヤ様によって解脱しているのですけれど、その配下である者たちがまだしつこく、ずっとこの世の中に執着をもってはびこっております。それをひとつひとつ同じように改心させていかないといけないので、これからより一層朝夕のお参りは勿論、この月次祭を通して浄めていくという取組みを続けていかないといけないし、そういう浄めるという場がもっともっと拡がっていかないといけないと思わせて頂いております。ひとつよろしくお願いしたいと思います。


もう一つ、遺言について


祀ってない霊がありますが、盆とか彼岸に祀るべきでしょうか。

 一日も早く祀らなくてはいけない。霊は霊界へ行っても気になるからである。よく死ぬ時遺言したりなどするが、これは出来るだけ執着のないようという意味で、いわゆる浮ばれるためである。執着がなければ早い。(S23.11.25)


観音講座の方でも、昭和10年です。


又死ぬ時に想念で一人々々が余程違うのである。生の執着の多少にて非常に違う。早く死んで極楽に行きたいと思って死ぬ人は早く生れ変ってこない。なぜならば、自分の思った所へ行けた為、再び人として生れ変って来よう等と思わないからである。これに反して生の執着の強い人は早く生れ変ってくる。脳溢血等にて急に死んだ人は特に供養しなければならん。生の執着の為に身寄りに懸って病気をさしたり等するのはこの様な霊に多い。


執着の話で、メシヤ講座平成24年6月。

霊界の修行は何と言っても「我と執着」を取ること、ということで。



霊界の修行は何と言っても「我と執着」を取ることですから、何時までも恨んでいたり、心配していたら執着が取れないので、結局何時まで経っても救われないことになります。私は「救霊」を心掛けていくことが宗教の使命の一つだと思います。それから「慰霊祭」というのも人任せにせぬ方が良いですね。それぞれの宗教で、慰霊祭の斎行方法を知り得たならば、自分の霊性を高めつつ真心を込めて自分で取り組んでいく事も大切です。


救霊ということですね。

もう一つ、慰霊祭に関する話で、メシヤ講座浜松、平成26年3月ですけども。


だから救いを求めて来た人が憑かった場合も、やっぱり気持ちがいいからずーっといたいわけ。しかし、そのうち光をいただくと浄まっていくので、ああ自分はここにいつも留まっちゃいかんなーと自覚するので、スーッと帰るわけ。これがメシヤ様と繋がったところの一番の素晴らしさ。浄霊で浄まって元津御蔵へ帰るので全然執着が残らない。

しかし、祈祷(きとう)してしまうと、祓(はら)っていくと、無理やり帰されるから腹立ってくるから、今度はその人じゃなくて祓った方に怨んでくるわけ。だから祈祷師は不幸になっていく。だから昔の祈祷師は最期が悪かったわけ。

メシヤ様の浄霊というのは無理やりじゃないから。浄めて、そして本人が救われて帰っていくわけだから、感謝していくわけ。恨みじゃなくて感謝をしていくわけだからね。だから素晴らしいと。

だから我々はメシヤ様と繋がっているということはどれだけ幸せなことかと。

そして特別な地位を持たなくても、家族同士で浄霊できるわけだから、こんな素晴らしい、救いはないわけ。


それと、矛盾と思える出来事も、全て御神業に必要な事なのだ ということで、特選集の平成22年3月に、

「メシヤ様お出ましの夢物語をどう解釈するか」ということで、これは先生の夢のお話ですけれども、

呪術具というので、人々のムクムクと沸き起こる執着をとろうとするのですが、際限なく沸き起こるので、主神様にお願いし、最上天国から御光を呪術具に注いで頂くと、それを使用しようとした瞬間に人々の執着が消滅したそうです。夢の中で。それでそのことを報告しようとすると、メシヤ様が『私も知っている』と御答えになられたそうで、この時「矛盾に思える学習内容でも全て開拓布教に必要なことなのだ」と解釈されたと載っておりました。

矛盾と思えることがどんどん膨らんで執着になってしまいます。メシヤ様は何でも知っておられるのですから、私たちは矛盾と思える出来事も、全て御神業に必要な事なのだと受け止めて前向きに御神業に励み、自分の執着、人々の執着を取って行こうではありませんか!


執着ということで、結構な内容になったかと思いますけども。

霊的な胃癌の話から、そういうこと・・。

今の内容に何か思うところございましたら。


参加者

今回の真症胃癌のところで、この執着が課題になっていると伺って、『文明の創造』を読んだ時に執着が課題になっていることに全然私は気づかなくて、この資料をいただいてそういうことだというのが分かったんですけど、その後から、本当に「我と執着」ということを考えないといけないんだな、ということがいろいろ起こってきて、今まで「我」は意識してきてたつもりだったけど、「執着」はあまり意識がなかったなと思って、この資料を読ませていただいていたら今まで自分に起きてきていたことと応用して考えていくと、これも執着かな?これも執着かな?(笑)というようなことがいろいろ考える機会になりました。

まとめられないですけど、そういう機会をいただいて今、考えている状況かなと思って。


三救責任者

あまり一つのことをずっと考えすぎても。


参加者

そうですね。それがまた執着にもなるし。(笑)

前は言葉通りにしか取っていなかったかなと思って。今、いろんなことをちょっと応用して、これもそういうふうに当てはまるのかな、というふうな考え方ができるようになったかなと・・。


三救責任者

なるほど。


前にもちょっと話しましたけども、ある本の中で、例えば我の話でね、「僕がやります」と、自力で頑張っている間は「他力」が入る余地がないと。自分ができる、自分がやるんだと自力で頑張っている間は他力が入る余地がない。

本当は「自力」より「他力」の方が何万倍もパワーがある。自分が、というこの「が」をなくした途端に他力がわーっと集まってくる。他力が信じられないと自分の「が」を捨てられないので他力が増えません。

そういうバランス関係にあると。

自分が信じられないから、他力を頼れないと。

自分の「が」が増えると他力が減る。自分の「が」を減らすと他力が増える。簡単なバランスゲームですよと。


参加者

すみません、さっきのところですが、自分が信じられないと・・他力が・・?


三救責任者

だから任せられないとということね。自分ができる、自分が何でもできる、自分がやるんだって人を受け付けずに全部やろうとする、それよりも人の力を借りた方が物事は出来るでしょと。


参加者

助けてって?


三救責任者

助けてって言えるかどうかですね。


参加者

そこで、何でも出来るという思いじゃなく、頼ると悪いかな・・という思いであっても「我」になるということですか?


三救責任者

うん。その人を信じていないということ。だけど・・


参加者

信じていないって言うことになるのかなぁ?


三救責任者

頼ったらいいんだよということ。


参加者

ああ、そうですね。


三救責任者

頼れば、「助けて」って


参加者

物事によるということでしょ?


三救責任者

それはそうです。


参加者

何もかもじゃないけど。


参加者

何もかもじゃないけど、頼れるときは甘えて頼っても・・頑なにならなくてもっていうことですね。


参加者

強情ってやつだね。(笑)


三救責任者

頑張るということで、例えば、

ハードルは超えるのではなく、そもそも必要なかったんじゃないのという考え方もあるよということね。

なぜ頑張らないと自分は価値がないと思ってしまったのか。


参加者

思う思う。


三救責任者

小さい頃、親や先生や周りの人にそう言われ続けたからじゃないの?と。

大人は子供に「頑張りなさい」「楽するな」「世の中は厳しいんだ」と言います。子供の心には頑張れば褒めてもらえる。頑張れば認めてもらえる。褒めてもらいたくて頑張る。親に悲しい顔をさせたくなくて頑張る。ハードルが高ければ高いほどたくさん褒めてもらえる。次はもっと高いハードルを、次々とハードルを上げていく。頑張り屋さんになっていく。そもそもそのハードル、必要ですか?脇を通ってもよかったんじゃないの?と。

それを、ズルだと思うから、あなたには最初から脇を通る道は見えてなかったでしょう。脇を通るのをズルだと思ってしまうから見えてないでしょ?その道は。道があるのに見えない。それはあなたが拒否しているからです。試練という、ハードルを越えなくても価値ある自分を・・だから、自分を認めるってことね。


参加者

自己肯定感みたいな。


三救責任者

自分はここまでしなきゃいけないしなきゃいけないと思うんですけども、自分で作った目標ですよね。でも、今の自分も素晴らしいんじゃないのと、そういう価値ある自分を認めたらどう?と、ハードルなんてなかったんだと、超える必要なんてなかったんだよと、ハードルなんていらないんだと気づくことが、本当の自分の価値を見つけることじゃないですかと、頑張りすぎてる人に対しての言葉ですね。


参加者

頑張りすぎてる人にね。


三救責任者

何でも放り投げよと言うわけではないんですよ。


参加者

それをそのまま受け止めてしまうと怠惰にもなりますよね。(笑)


三救責任者

それは怠惰なのか、人が見たらズルやってるって思われるのが嫌なのか、別に思われてもいいじゃないかっていうのも、そういう自分は自分が好きなことをこれだけやって、その価値があるんだよっていうことを・・。自分をいつも卑下してしまうので、そうじゃなくて、自分が自分を認めなかったら誰にも認めてもらえないのと同じようなことで、それなら好きなことをすぐやってみたらと、「いつやる?」 「今でしょう」と。今、好きなことができない人はどこに行っても好きなことができません。まだまだ、こんなちっぽけなことじゃない自分がやりたかったことは、と自分でハードルを高く作ってしまって、いつまでたっても好きなことをしているという満足感が得られない。今ある好きなことができる人は、本当に好きなことが出てきたときも、「あ、やろう」とフットワーク軽く動くことができる。普段から体を動かしていないと体は急に動きません。そういうことと同じじゃないですかと。

だから好きなことをするには・・、これがねここの本の中ではね・・、好きなことをするには、一番嫌なことをする。


参加者

うーん。


三救責任者

好きなことをしたいと思ったら、安定を手放す。収入をなくす。築いてきた地位や立場を捨てる。恐ろしくてあり得ないいところに飛び込まないと好きなことをして生きていけません。

好きなことをするには一番嫌なことをしなければいけない。上手に嫌われないことばかり選んで逃げ回っていくのが楽な生き方で、この生き方はいつも周りに振り回されてしまう。

この人のことばかりを考えて逃げているというのは楽な生き方を選んでいる。この生き方は、いつも周りに振り回されている。人を見ているから。自分を見失ってしまう。だから好きなことができない。楽な生き方ではなく、好きなことをして生きていきたいと思うなら、「嫌われてもいい」、「非難されてもいい」と、「他人軸」のハードルを超えなくてはいけません。

「ああしたらあの人どう思うかな?」、という気配りのように見えるけれども、自分をずっと押し殺してしまっているんじゃないですかと。本の話ですよ。(笑)


参加者

痛い(笑)


三救責任者

みんな好きなことをして生きていきたいと思うのに、それができないのは、目の前の「嫌われる」という一番大きな問題が乗り越えられないからです。

手前で、「これでいいや」と我慢して生きているからなんじゃないですか?と。

家族を幸せにしたいから働いているのに、いつの間にか働くことに一生懸命になりすぎて、家族を犠牲にしてしまっていませんかと。

日本人の、頑張りすぎの人に対しての。

ちょっといい言葉かな、というふうに思ったので。


参加者

自分の好きなことをやるっていうのが、人良かれとか、そういうのにもつながる?


三救責任者

自分の好きなことをやって人が幸せになるのが一番いいじゃないですか。自分も幸せになって、人も幸せになるって。考え方の・・・。


参加者

考え方ね。


参加者

程ですね。程々というやつだね。


参加者

大分前になるんですけど、仕事を辞めて、色んな迷いもある時に、周りの人に恩返しというか、これからどうさせてもらうといいのかなぁというのを考えてる・・みたいなことをある人に話したら、「あなたが好きなことをやったらいいのよ。笑っていれば周りも楽しくなるから」って言われたのを、今ちょっと、これを伺っていて思い出しました。


三救責任者

だから人の言うことにも耳を傾けるということですね。

だけど、その、自分でハードルを上げて、自分の目標としてはいけども、自分が人によく思われたいという目標じゃなくて、自分が好きなことをしていくための目標だったらいいでしょうけども、それで、好きなことやって人も楽しくなればいいんじゃないという、これはそういう考え方。

メシヤ様もね、「朝起きると先づ家族の者の御機嫌がどうかという事に関心をもつのであるが、一人でも御機嫌が悪いと私も気持ちが悪い」という、『私というもの』にも出てきますし。


参加者

はい。


三救責任者

目標は世界人類を救うという非常に高い目標ですけども、まず自分の・・。


参加者

本当に。そうだなぁっと思って。

あんなにずっと読んできてたのに・・(笑)。

この間も言いましたけど、『○○の礎』。○○光教団の時にあった『○○の礎』の「私というもの」には、「執着」という言葉が無かったから、何でだったんだろうと思って。


参加者

ん?


三救責任者

え?


参加者

「どこまでも平和的幸福的で執着を嫌う」って書いてあるじゃないですか。


三救責任者

そこが抜けているの?


参加者

「執着を嫌う」が無いんです。

あれっと思って。『○○え抄』に「執着」が書かれていないなって気付いたんですけど・・。


三救責任者

それ、今回見つかったの?そういうことが分ったの?この「執着」の話から。


参加者

そうそう、今回。

「執着を嫌う」というところが、何でここにこれが入っているんだろうと思って、これはスゴイ言葉だよなと思って、今までなんで気付かなかったんだろうって、『○○え抄』にあったはずだからと見てみたら、無かったんです。


三救責任者

でも、「一つ事を繰り返し聞かされることも随分辛い」っていうのは?


参加者

ありました。それはありました。

「どこまでも平和的幸福的で、それが私の本性である」になっていた。


三救責任者

ほう。


参加者

『○○え抄』は抜粋されてるから、ところどころ編集というか、部分的に抜かれてたりするじゃないですか。だからそうかなと思って今朝『○○の礎』の方も見たら、その部分は無かった。

何かの間違いとか・・?


三救責任者

そのまま出していないっていうことだね。そういうことは他にもあるでしょうけど。色んな手が入って、それこそ人の目を気にしているというか、社会の目を気にしているという。

だから薬はダメだとか、そういう部分のメシヤ様が言われている部分をカットしてるということがあるわけですから・・。


参加者

時代背景かもしれないしね、その時代。


三救責任者

本として出すには出せなかったということでしょ。だから、本とか原文で読まないといけないというのはそういうこと。


参加者

だから、60年前の時代と今の時代、厳しい時代もあっただろうから。


三救責任者

それは発見ですね。


ちょっと話は変わりますけども、先日の岸田首相の演説会場は和歌山県の和歌山市雑賀崎。

ここはね、雑賀衆(さいかしゅう)は、中世戦国最強の鉄砲傭兵・地侍集団の場所。

何でここかなと思ったんですけども、信長とも対立して・・三好三人衆と対立していたり、秀吉とも対立して秀吉が紀州征伐をしてあの辺を滅ぼしていますけども。水軍で言えば信長、秀吉の方は九鬼水軍、毛利方は村上水軍、雑賀水軍という、いろいろな歴史のその舞台の傭兵、鉄砲傭兵。一杯鉄砲があったらしい。そういうところだったと。

それともう一つは武内宿禰、これは知ってますね? 三百歳ぐらいまで生きたんじゃないかという、メシヤ様のお話の中でも、長寿だったということの確かな文献を見たことがあるということが出てきますけども、この武内宿禰というのが神功皇后(じんぐうこうごう)の時に・・新羅遠征、三韓征伐という話を昔にしましたよね。それに従軍した、一緒について行って三韓(百済・高句麗・新羅)征伐に従軍したのが武内宿禰らしいです。それで神功皇后というと?三韓征伐に行くのに神功皇后は妊娠していました。お腹の中に誰がいたでしょう?


参加者

・・・(笑)


三救責任者

応神天皇。応神天皇はメシヤ様の前世。

そういう武内宿禰の神社がここにあるんですよ。

安原八幡宮奥宮に武内神社というのがある。武内宿禰が産湯を使ったとされる武内宿禰誕生井があるらしいです。武内氏は後に紀(き)氏・巨勢(こせ)氏・平群(へぐり)氏・葛城氏・蘇我氏というその共通の祖先であるので、武内氏から日本のほとんどの有力豪族に分かれていく。その元のところ。だから、家臣団の主力みたいなところでもあって、鉄砲の使い手が沢山いた、そういうところでもあったという。場所を調べるとね。

伝説ではあるけども、武内宿禰というのは、この前の大河ドラマの鎌倉の北条義時に生まれ変わったという生まれ変わり説もあります。ちょっとネットで調べたら・・(笑)。そんなことはよく分からないけども・・。

そういうことをこの前の場所から。

安倍さんの時に調べても、いろいろと。


参加者

ありましたね。衝撃的でした。


三救責任者

定かではないけど、場所として、雑賀崎に何かあるかなと思って見ていたらそういうことがあって、何かいろいろ動きがあるんだろうなと思いながら。

今度はまたサミット。サミットということは、原爆だね。広島でやるから。使わずに済むようにという。原爆といえども、戦争を止めるために神様が作られたものであると御教えに出てくるので、悪も善も主神様が握っておられて、人間を動かしているので、そういうことが分かると、一方的に悪いというよりも、必要があって、戦争を止めるために神様が作らせたものであるという御教えがあるので、そういうことも自分たちは意識しておかなければいけないかなと思います。

物事の見方として、今まで一方的に善の側にだけ立ってずっと来ていたのが、御釈迦様とかキリストとかそういう先人の宗教ですけども、こちらのメシヤ様の宗教というのは両方、善があって、悪があって、繰り返しながら科学を進めてきたんだと。それで、最後に悪を転覆させるのが「一厘の御霊」であるということがはっきりと書かれているのがこれ。これが、最後の時に出るということですので、これを学んでいるということはやっぱりすごいことですね。

ちょっと霊的な話に入ってきましたので、そういう話もさせてもらいました。


司会

以上を持ちまして、5月度月次祭、並びに一日祭を終わらせていただきます。

ありがとうございました。


参加者一同

ありがとうございました。

2023年4月13日木曜日

   覚りの旅  令和5年4月 月次祭を終えて

 令和5年4月1日

   覚りの旅  令和5年4月 月次祭を終えて

三救責任者
皆様、月次祭おめでとうございます。

今日、新聞を読んでいましたら・・・リバースメンタリングってご存知です?

参加者
リバースメンタリング? 知らないです。

三救責任者
上意下達組織の見直しということで。
下意上達、経営者層が若手社員に教えを乞う、リバースメンタリング。次世代を担う若年層の発想に耳を傾ける狙いがあるそうで、例を挙げると、
・一つの会社に長く勤めようとは僕等の周りは思っていない。
・不本意な転勤に応じるくらいなら転職を選ぶ。
これは住友化学の常務が2019年入社の若年層男性社員の主張に耳を傾けているということ。
コロナ禍で2020年以降、在宅勤務で経営層と若手が互いを良く知る機会を作りたかったと、そういうようなこともあって、今、こういうリバースメンタリングが見直されてきているそうです。

なぜこういう話をするかというと、上意下達、下意上達ということは、何度も聞きましたよね。
メシヤ講座にも出てきました。
「下意上達のあるべき姿」
平成29年1月、覚えているかなぁ? 平成29年だから、メシヤ講座のほぼ終わりの方。

御教えにかなわないことは、いくら上司の指示であっても従わないようにというような・・。
20代の先生が当時の幹部に向かって・・そういう話がありましたよね。
今までの教団は上意下達でしか進んでこなかったんだと。上の意図を下に伝えるだけだった。そして信者を動かしていたんだということで、本来、メシヤ様の御教えを信者全員がいただいて、信者さんが御教えに基づいて御神業を進める。そういう気持ちが湧き上がってくる、そういう教団を目指すのが本来なんだということで、メシヤ様が願われている取り組みというのが、自主性を重んじて、あるいは下意上達を重んじて、メシヤ様と直に繋がらせていただいて、御教えを拝読する中で自分の魂が揺り動きながら立ち上がっていく、というのが下意上達の姿です。そういうところを課題にして取り組んでいただければ御神業が一層進んでいくのではないかと思う、ということをこの機会に思い出していただけたらと思います。

先日WBⅭがありましたよね。日本優勝14年ぶり、2009年、平成21年以来だそうです。メジャーリーガー揃いのアメリカに勝って優勝、感動を与えてくれました。
前に勝ったのが14年前ということで、14年前の世界の10大ニュースを調べますと、
1位 新型インフルWHOがパンディック宣言。
2位 GM、クライスラーが相次ぎ破綻。
3位 オバマ大統領、ノーベル平和賞。
4位 北朝鮮ミサイル発射、2回目核実験も
6位 ウイグル自治区で大規模暴動。
7位 イスラエル軍ガザ侵攻で1300人死亡。
9位 イチローと松井が米大リーグで大活躍。
10位 アフガン戦況泥沼化、米が3万人増派。

似ていると思いませんか?
一方、日本の10大ニュース

1位 民主圧勝 政権交代 
55年体制は知っていますか。昭和30年。政権のことを言うんだけど、自民党が3分の2で社会党が3分の1。3分の1というのは憲法改正措置に必要な議席数が3分の1。それが55年体制といって、約40年続いてきた。
憲法改正反対、非武装中立のことを革新勢力と呼ぶそうです。それが55年体制。
何で55年というと、昭和30年なので、メシヤ様がお亡くなりになった年で、そこから55年体制が始まったんだなと思って見ていたんです。

2位 新型インフルの感染拡がる。
対比するならば、新型インフル と コロナ

3位 裁判員裁判始まる
裁判、審判・・・何となくこういう時代を遡ってみてもその状況というのが、現在の状況というのは過去にも同じようにあったんだな、と繰り返しているんだなということが言えるかと思います。

4位 世界同時不況。
電気自動車が巨額な赤字。今現在でいうとアメリカのフォードがEV事業で3900億赤字を出しています。アメリカのテスラも2020年に黒字化するまでに10年以上赤字だったそうです。

6位 足利事件の菅家利和さん「無実」。17年半ぶり釈放。
今年、ありましたよね。袴田事件。袴田事件が1966年6月30日の事件だそうです。これは清水市。冤罪。メシヤ様も冤罪・・。

10位 政府デフレを宣言。
日本は1990年代半ばよりデフレだそうです。デフレ宣言しているんですね。その前年に何があったかと言うと、前年はリーマンショック。それで、混乱が一段落して、民主政権が誕生して、デフレ宣言をしております。民主、自民に日銀総裁が追い詰められた。そういう状況だったそうです。
前年がリーマンショック、今はコロナショックです。
今は物の価格は上昇している。サービスの価格は下落が続いております。ロシアのウクライナ侵攻に伴う化石燃料や穀物などの一次産品価格上昇が食料やエネルギーの価格を押し上げているという状況が現在ですね。
14年前の状況と比較をしてみました。

それで、14年前というと、メシヤ講座3年目かな。
この時に我々の御神業はメシヤ様のお言葉の継承と実現なんだと。
メシヤ講座で対談記をやっていましたね。
・御在世中に世界中の病人を無くす。
・病人が無くなれば悪人も無くなる。
・悪人がなくなるから、宗教の必要がなくなる。
・病気には原因があり、今までの間違った原因をメシヤ様が明かされる。
・今書いている本を世界中に御配りになる。
・人間はみんな百歳以上生きるようになる。
が、実現しないまま御昇天になられてしまいました。
我々の御神業はその言葉を継承し、その内容を実現することにあるのです。
生きている間にこの世から病気をなくそうとの気概を持ってください、というお話がありました。

インフルエンザのワクチンということで、流行っていたということで、取り上げられています。
インフルエンザのワクチンがなぜ効かないのかと言いますと、人間が1万年くらいかかるところをワクチンは1年で変化してしまうのだそうです。どんどん変化するので、ワクチンを作っても効かない。まったく無駄なことなのです。また、ワクチンそのものは劇薬指定に入るそうで、なんて恐ろしいものを与えようとしているのかと思います。病気のことは医者自体にもさっぱり分かっていないのです。
私たちはメシヤ様の御教えをしっかり学んで浄霊に取り組めば病気になることを防ぐことができますし、仮に罹病したとしても浄霊がありますから安心して生活ができます。
という14年前を振り返ってみました。

それでは『最後の審判』の拝読をお願いします。

参加者
『文明の創造 宗教篇 最後の審判』 拝読

三救責任者
はい、ありがとうございます。
「前人未開の真理」。後ろから4行目、「前人未開の真理」。ここで開くという字が出てきますよね。真理はまだ開かれていないということですよね。それで、274ページの前から5行目、「本当の真理を開明し」、これ、対応しているんですね。「開明」という字は、これを編纂している時に、この字でいいんだろうかという話題がありましたよね。辞書で調べるとこれは多分出てこないと思うんですよ。だけど、文書を読んでいると「未開の真理」と対応していたということで、この字で間違いなかったということですね。そう思いました、今。
これでいいのかって、チェックしていましたよね。多分、この「開明」という字はメシヤ様の造語だと思うんですよ。だけど、この『文明の創造』の中では、きっちりと対応しているということですね。
それで、「最後の審判」については、色々と御教えをアップしておきましたけども、何か気づいたとか、ご意見があればですね、お話ししてください。
ここの中で、「最後の審判」という言葉が出てくるのは、275ページの1行目。「最後の審判は目標に迫りつつあるからである。」という、ここに「最後の審判」が出てくるだけですね。でもタイトルは「最後の審判」になっている。

参加者
「最後の審判」の詳説というか、詳しいことがアップしていただいてあったので、これを読めばこういうことなんだと、いろんな取り方が分からせていただけたなと思っています。

三救責任者
「最後の審判」に入る前に、この医学的な話のことは、「物」の方をね、これだけの部分において、最初の部分、医学の誤謬(ごびゅう)と、真の医学の在り方とを、微に入り細に亘(わた)って、徹底的にかいて来たけども、これは全部ではなくて半分なんだと、体的の面だけ書いたんだと。唯物面の方を主としたのであると。謂(い)はば半分である。従って残りの半分が霊の部分になるので、これから霊の部分を書いていくと。ということは、もう宗教に及んでいかないといけないので宗教篇になっていくんだということで、一番最初に書いてもらっていますね。
それで、いろんな御教えを見ていくとですね、「最後の審判」ということで、人類に危機が迫ると、先ほども目捷(もくしょう)に迫りつつある、目の前にもう来ているんだよということで、今はもう入っていると言えるかもしれませんが、

 それは驚くべき神示であって、人類は近き将来断崖から転落する如き危機が迫りつつある事である。これを救うべく神の大愛は世界至る所に救いの綱を準備されており、早晩これを握らざるを得ない時が来るのはすでに決定的である。
これは、栄光234号  昭和28年11月11日 「ジャーナリストと本教」 というところにあります。

それから、悪主善従による罪穢れの堆積である。悪が主で善が従だったのが今までで、罪穢れが堆積してきたんだと。体的には薬毒であり、霊的には悪による曇りである。霊界における火素の増量によって、浄化作用も旺盛となり、最後は決定的清算が行われるのである。これが、キリストの言った最後の審判であると。
昭和29年2月10日 栄光247号 「浄霊は化学療法なり」。
これは『神示の健康』にも出ていると思います。

それから、現在、世界は夜昼転換(最後の審判)の時である。罪穢れの多い人は浄化に耐えられず、この世を去らなければならないが、善なる人は審判後に来る天国の幸せを享受できるのである。

それから、本教出現の目的というのは、救世的ノアの方舟ということで、審判を無事に切り抜ける人間を一人でも多く作ること。それが神の大愛であって、メシヤ様に課せられた大使命である。
それによる唯一の方法というのは浄霊なんだと。
浄霊とは病気を治すのみではなく、来るべき審判を無事に切り抜け得る資格者を作るんだと。
昭和26年6月27日 栄光110号 「最後の審判とは」 にそういう風に出ております。

ここに、救世的ノアの方舟と出てきましたので・・・救世的ノアの方舟、浄化に際し自らの罪穢に気付き、改心して初めて浄霊の効果が表れる。浄霊(効果)が、悔い改めて神の救いを頂ける信仰へ導いて下さる。浄霊が、悔い改めて神の救いをいただける信仰へ導いてくださる。
これは京都の先生の書かれた本に。

それから、医学の誤謬の根本ということで、
医学を科学の分野に入れたこと。これは今読みましたね。
それから、万有の構成原理として、人間と人間以外の一切を立て別けるのが構成原理。万有の原理なんだと。本質は違うんですよと。人間と人間以外は。人間が主人で、人間以外が家来なので、人間の作った科学によって思いのままに変化させ、進行させることができるのは当然。
それが文明の構成なんですよということが、 栄光225号 「神と硝子玉」に出ております。
だから人間は人間以外のものを支配できるけども、自由にできるけども、人間が人間をというのは、それは神の領分に入っているということです。
人間と人間以外は違うんですよということです。

正しい信仰によって心を浄く、魂を浄め、審判を乗り越える、ということで、
「聖書」の審判を基礎とし、御筆先の意味を検討する時、こういう結論になろう。
「すなわち大危機が迫っており、それを乗り越すには心が浄くなければならない。
悪人は転落して永遠に滅びる」という意味である。
とすれば、どうしても正しい信仰によって魂を浄め、無事に乗り越させなければならないのである。
昭和25年1月20日、地上天国12号 「最後の審判」。
「最後の審判」という題だけでも結構あるということですね。

それから、仏から神の働きということで、
神様は御理想である真善美の完き地上天国を造らるる以上、心の穢れた間違った者を徹底的に是正されなければならないからである。
昭和25年3月20日 地上天国14号 「何故救世(メシヤ)教となったか」。

メシヤ教になって立て別けが厳しくなる。
日本観音教団と日本五六七教会が合体して世界メシヤ教に変わるのは、観音という仏の働きが神(メシヤ)の働きに変わることである。
「メシヤ」は最後の審判と密接な関係がある。
ところで観世音菩薩が神の御働きとなるとすればどういう変わり方になるか。
善悪無差別的救いが無差別ではなくなり、善悪をはっきり立て別けられるのである。ということは、善の護守護はますます厚くなり、悪には今までと違い、いよいよ厳しく裁かれ給うのである。
善悪をはっきり立て分けられる。善には護守護をいよいよ厚く、悪には厳しく裁かれる。
この点を深く肝に銘じて進むべきである。
それには何よりもできるだけ御神書を拝読する事である。神様は御理想である真善美完き地上天国をつくらるる以上、心の穢れた間違ったものを徹底的に是正されなければならないからである。
昭和25年3月8日、「何故救世(メシヤ)教となったか」。

メシヤ教と名乗って、世界救世(メシヤ)教もそうですけども、立て別けが厳しくなっていくというのは必然のことであって、メシヤ様と呼ばせてもらっている以上、厳しいということです。
だから、救われるように魂を浄めていかないといけないということですね。

ざっとまとめるとこうなりました。
これは僕のまとめであるので、読んでいただいて何か今のことでもあれば言ってくださいね。

こちらの 『主神(エホバ)様』直接の御啓示 の上梓にあたり で、先生が書かれたことですね。

『文明の創造』は、最後の審判を前に普く人類に伝えようとされて執筆されたものです。
『文明の創造』だけは「昼間、ちょっとでも時間が空くと筆を執られた」ということでした。教祖は、一人でも多くの方々が『最後の審判』を乗り越えられるように完成を急がれたものと拝察されます。また、夜ではなく昼に執筆することを通して『昼の時代』到来を意識付けたとも拝察されます。

と、この『文明の創造』のことを、先生は書かれました。

用意した資料というのは以上なんですけども・・・、何も無いですか?

参加者
繰り返されてるなっていうか、今と本当に重なっているというか・・。

三救責任者
そうそう、コロナ、コロナって言うけど、前にもあったということです。呼び方が違うだけで。ワクチンのこともそうですし・・。盤古氏が薬を作ってからずっとですから。今まで繰り返してる。それに気づいてないよという。

参加者
何が出来るだろうって考えてた時に、御教えを拝読することを何度も何度も繰り返していけば変わってくるってことも書かれてあって、それも思って今までも読んできてたつもりだったけど、まだまだ足りないなということを改めてこれを読んで、また思いました。

三救責任者
御教えばかり読んでる人には偏るなと、雑誌も読みなさいよということがあって、色んな方向から、新聞とかも見て、メディアによって操作させてることも考えつつ、どういう状況で報道されているのかということを見極めていかないといけないかなという風には思います。
最初に先生の話をしたように、御教えに基づいて話をしない、誰が、とても偉い立場の人がいようとも、それは御教えに・・・、これは京都の先生も同じことを言われていたわけです。
教団の幹部が離脱した背景として、御教えをかき集めて、御教えを封鎖されたから、5%しか出さない、『天国の礎』しか読めないような状況というのはおかしな話であって、御教えを学ぶのがメシヤ様の信仰ですから、それをさせてもらえないということで、それはおかしな方向に行ってしまうということの思いがあったということと、先生の下意上達の話、同じですよね、御教えに基づいてきちんと話をしてくれたら分かるのを、そうじゃない方向に幹部の意見だけで進んでいくからおかしな方向に走っていくんだと。
それに対して先生は徹底的に戦おうとしたわけです。

参加者
重要な御教えは一番手元にあるような気がするけどね。
5%しか出てなかったけど、今現在の『文明の創造』とか『主神様とメシヤ様』。

三救責任者
これが出てなかったわけだね。

参加者
そう。そう考えたら有難い事だね。

三救責任者
私達は読めるわけですよ。
これも、ネットとかで読めるわけですけども。
これが本になって出来ているということは素晴らしいことですし。

参加者
そうですよね。海外でも読めるし。ここ(資料)に書かれていたように、「『文明の創造』の著書完成して世界中に配られ」 ということも始まって、その後、「最後の審判」が始まるって、正しくその通りなんだなぁと思って。

三救責任者
御教えに間違いはないんだよということです。

参加者
今まで読んできているのに、何でそれ気づいてなかったんだろうと思って・・。(笑)

参加者
時期じゃない?

参加者
やっぱり⁉ 本当にもっと読みたい、読まないとって思うようになって。

三救責任者
むさぼるように読みたくなるんですよ、ある時期に。

参加者
全然足りない・・。

三救責任者
足りないんじゃなくて、自分の沸き上がってくる気持ちがいつかということ。それ、今でしょ!って言われてると思ったら、それはむさぼるように読めばいい話であって。
何か大きい浄化をした時に、何だろうと思ってずっと読んでいたらパッと気づくことがあるということもあるでしょうし、それをむさぼるように読んでるよね、何か求めて。
そういう時はパッと開いたところが、神様に選ばされているっていうのが、手に取ったものが。これを置いていても全然見向きもしない人もいれば、「何だろう」と思ってパーっと見る人もいる。図書館にも寄贈してあるわけですから、求めてくる人がいれば読めるわけですから、それはもう世界に頒布したのも一緒だよね。

参加者
そうですよね。

三救責任者
並んでいたって手に取れるかどうか・・。これ、光ってくるっていうのもありません?(笑)

参加者
(笑)

三救責任者
読みたいとか。フッと目につく、タイトルが目につくということが。それは、これ読むと何かあるかなと思って感じるものがあったりするじゃないですか。それは、選ばされているんだよね、その本を。何かの目に見えない意図によって。だから、目に見えないものも大事ですよということ。

参加者
あと、一つ思ったのが、今までは善悪両方必要があって存在する。だから悪よりも善が勝てばいいという風にもおっしゃってみえたし、そういう風に悪の部分は自分で気づきながら自分で認めつつ、善の方が勝つようにしていけばいいのかなと思ってたんですけど、これを読んでいるとその悪の部分をちゃんと正していかなきゃいけない、そこを無くしていかないといけないってことを書いてあったから、より一層厳しい感じというか、ちゃんと悪を認めてそれをちゃんと正すようにっていう努力をしつつ、いかないといけないんだなって・・・うまく言えてない?(苦笑)

三救責任者
いけないというのは何もないんですよ。善が50%超えればいいっていうのも御教えにあって、ここにも出てきてますね。自分の中の善と悪があるのであれば50%を割らないように、善の方が多い人間が全部になったら、世界中の人が皆50%を超えて善だったら、それは善が勝つということだから、そういう風になっていくということですよね。
一部分の人、全く悪が多い人は完全にそういう人を是正していくという話ですから。人間には長所、短所があるので、短所というのも一面をひっくり返せば善にもなるので、いい面にもなるので、いい面を見つけて伸ばしていけばいい話であって、自分の見方と神様の見方が違うんで、自分がこれはダメだと思っていてもいいかもしれないしね。何かの役に立っているかもしれないでしょ。
それは御教えにも、金遣いの荒い息子ができたけれども、それは先祖の罪穢れを償ってくれているんだというのがありましたよね。
だから、見方というのは全然人間ごときの目で見てるなよという話です。(笑)

参加者
そうするとここに書いてあるように、この自分の中の悪を直していく、直していかないといけないみたいに書いてあるのは、それはでも、自分でしか感じられないですもんね。自分で悪いと思っている部分。

三救責任者
思っているんだったらね。
だから、いい面かも知れないし、誰から見ても、自分がこう思っている部分を、その逆に。細かいことを気にしすぎるように思っていても、それは人から見ればいいかもしれないじゃないですか。
分からない。いい方向に向いていくように。

参加者
いい方向にむいていくように、あぁ、そうね、そういうことですね。そうか。

三救責任者
これは・・・と考えていくとそれは落ち込んでいくから。

参加者
我、我。

参加者
我、我。(笑)
そうですねぇ。(笑)

三救責任者
ここを伸ばそうというのかもしれないよね。よりよく気付く。それが、『文明の創造』を編纂している時には点の位置とか空白の人の気付かないような所に気づけるわけですから、こういうことをやる時には長所に変わるわけです。だけど、自分が、ここがここが・・って思っているとそれが短所になってしまう。
だから、やる作業によっても違うし。

参加者
そうそう。それ、先生にも言われた。(笑)

三救責任者
置かれる環境によっても違うし、自分の長所として生かせる、何かの癖があるのであれば、それが夜の時代の癖として引きずるのでなくて、それを天国に向かえる長所として生かせるような動き、働きをしていくにはどうしたらいいか、ということで。直せることは直していけばいいよ、それは。
どう捉えるか、捉え方だと思う、何でも。物事の見方。

参加者
そうですね。そうそう。

三救責任者
何か起こってきたときには自分でどういうふうにそれを考えるかという、そういう考え方を学んでいるわけ。 今までのメシヤ講座でもずっと学んできたわけ。何か当てはまるものが出てくるかもしれないし。

参加者
一人で考えててもやっぱり偏っちゃうんで、こういうふうに伺って話をさせていただくと。

三救責任者
そうそう。いろんな人の意見を聞いて、物事の見方というのは色々あるんだなと。

参加者
そうですね。ずっとそう思ってたけど、またこうやって言われて改めて。

三救責任者
それで、最初にちょうど出たけども、下意上達の話の中で、もう教団じゃなくても、大きい会社の幹部でさえ、入社1、2年目の社員と面談して、その子たちから教わる姿勢に変わりつつあるということですから。
長いこと勤めてきている経験値が経験値でなくなってきているんです、今、技術の進歩が早いので。それは僕たちの時もそうだった。会社でも長いこと同じことばかりをずっとやっていたら、細かいことを知ってるから、あの人に聞けば何でもわかるという時代でも、通信業界だったので、そこは全然変わっていて、頭の柔らかい若い子、技術がどんどん入ってくる、昔の機械はどんどん無くなっていく、それで若い子の方が知るわけですよ。それで、今度は若い子に聞かないといけなくなってくる。同じような感じです。
それが今、他の会社でも起こっているということです。
技術の進歩を伴って、いつまでも「俺の時代はこうだった」と言っていたのでは全然ダメですね。
だから一つの会社に長いこと勤めるんだっていう時代はもう終わって、社会全体が変わってきているので。

参加者
そこを受け入れて。

三救責任者
今の若い子の、さっきの考え方じゃないけど、嫌なところに転勤させられるんだったら転職するという考え方に変わってきているわけだよね。

参加者
今までは「そんな考え方、今まではなかったよね」って言っていたところが、そうじゃなくて、「今はそういう考え方だから、じゃあどうしていこうか」という。お互いに歩みよる。

三救責任者
大学でも会社に入るにしてもそういう選択の時に、いい会社の基準が変わってくるわけですよ。いい会社に入ったらいいっていう、そのいい会社のいいという意味合いが変わってきているわけだから。
そこは従業員を大事にするところなのかどうかという見方でみないと、大きければいい、資本が大きければいいっていうのも違うよね。

参加者
うんうん。

三救責任者
自分の意見も認めてもらえるような、こじんまりとした方が逆に働きがいがあるということも言えるし、その人が、もう上から言われたことだけやればいいという考え方の人であれば、それは大きいところに入ってそうする方がいいかもしれないけど。いろいろ自分の人生をいかに開いていくかだと思うけど。

参加者
十人十色です。

三救責任者
そうそう。誰にとってどの会社に入るのがいいかとか、どの学校に入るのがいいかというのはそれは違うので、自分の与えられた環境の中で一つ一つ選んでくるわけだから、学校にしろ会社にしろ、選んで入ってくるわけだから。

参加者
今は、やり直せないってことはないから。

参加者
そうですね。

三救責任者
何か目標を決めて、ここに入りたいのに浪人になったとして、一年ものすごく大きいように見えるけど、長い人生の中では全然だよ。すぐ逆転するよ、それは。人生経験を積んだ人のほうが。

参加者
かえってそれがプラスになってたりしますよね。

参加者
だから自分の苦しさだったところを持っているからそれを。

参加者
そうですね。その経験値ですよね。

参加者
いい言葉があるじゃないですか。
可愛い子には旅をさせよって。(笑)

三救責任者
いつも子どもは親のいいなりになりませんので。

参加者
思いっきり反抗されて、本当にそれは。(笑)
ようやくいろんなことが分かってきたというか、よく反抗してくれててって思います。
その時に気づいていたことと、違うんですよね。前はそれに気づいてなかったなということが後になってどんどん分かってきて、それでもまだまだなのかもしれないです。

三救責任者
こうやって皆さんの話を聞く時間が取れる方がいいね。
今まで詰め込み過ぎたというのがあったので、今回はこのくらいにしようかなと。あまりにばーっと一杯言ってもね。

参加者
それはそれで。(笑)
後から考えさせてもらうことが一杯出てくるから。

三救責任者
自分がこう考えたということを持ってきてもらった方が話が拡がる。そう思った。
自分はある程度、最近の情勢とか出来事のことも最初に言って、この中の話をまとめて、御教え。
こちらの話はメシヤ講座でやってきたことだから、来る前にこのくらいはまとめてあった話であって、それを自分のやり方で話して、ずっと今まで来ていたんだけども、皆さんも色々考え方があるだろうから、御教えを読んで思ったことを自分なりに頭を整理することをやってもらった方がいいかなとは思います。

参加者
自分で考えようとすると自分のレベルでしか考えられてないんですけど、でもそれを聞いてもらうと・・・

三救責任者
それを口に出して言わないと全然気づきも何もないじゃないですか。

参加者
こんなこと言っていいかなとか思ってるとね。(笑)

三救責任者
言っていいじゃないですか。

参加者
別に悪いことじゃないし、それをもとにいろんなことでお互いも勉強できるし。

参加者
そうですよね。(笑)

参加者
そうそう。

三救責任者
そうそう。
ずっとしーんとした状態がずっと続いていたわけだから、直会みたいにしないと話が出来ないというのもおかしいし・・あれはあれで良かったんでしょうけども。
今は、そういうのよりも、こういう学びの時間なんだから、何か思っていることは何でもこういうことじゃなくても、言って、みんなで話して気づきを、皆が気づいていったらいいかと思う。
僕も分からないし。

参加者
色んな考えの人がいるし。

(途中略)

三救責任者
それは不思議なところがあります。
だから見えない人の導きがあって来てる可能性もあるし、分からないけどね。
色々、学びです。どういう風に捉えるかということ。

参加者
その時の捉え方と、これを基本に全うに進んでいく。

三救責任者
だから、人間生活そのものが宗教であるということですので、そこにこういう「最後の審判」の大きな話を学びつつも、やっぱりこのメシヤ講座で学んできたというのは、その御教えを現代におとすにはどうしたらいいかということを学んできたわけであって、今やってる、自分の行動がどういう風に御神業につながって、何でもやっていることが、人間生活していることが、御神業につながっているわけなので、それを意識するのかしないのかということだと思います。

参加者
そうですね。
はい、ありがとうございます。

三救責任者
あまり偉そうなことは言えませんので・・。(笑)

参加者
本当に、有難い事! ありがとうございます。今日も。

三救責任者
それでは終わらせていただきます。

司会
以上をもちまして月次祭、並びに一日祭を終わらせていただきます。

参加者一同
ありがとうございました。

覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて

  令和6年7月1日 覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて   三救責任者 月次祭おめでとうございます。   参加者一同 おめでとうございます。   三救責任者 令和六年七月度 覚りの旅の資料を最初に拝読していただけますか?   参加者 令和六年七月度 覚りの旅 資料 1 は...