2022年12月31日土曜日

覚りの旅  令和4年11月 月次祭を終えて

 令和4年11月1日

   覚りの旅  令和4年11月 月次祭を終えて
三救責任者
皆様、月次祭おめでとうございます。

実は、先月〇日の夜に家内と2人とも突然発熱しまして、私は39.5度まで上がり、家内も39度近くまで上がりました。 頭はガンガン、腰は痛くて、食べるものの味が濃く感じる。丸24時間寝続けました。汗をかかない、こもるというのが特徴かと思います。2人とも同時に浄化すると同時に復帰できるのですが、浄霊をいただけないので、自己浄霊で乗り越えるしかないですね。浄霊力を授かっている、自己浄霊のお許しをいただいていることのありがたさを痛感いたしました。
もう一点報告がございます。令和3年版年報はすでに配布はさせていただきました。
この度、平成30年から令和元年版と令和2年版を作成いたしました。
令和2年版は、図もふんだんに取り入れました。少々見にくいですけども、多数挿入いたしましたので、ちょうど333ページになりました。図を見ながら、しっかり学びを振り返っていただきたいと思います。
宜しくお願いいたします。

それでは、『文明の創造』をですね、今回黒塗りにしましたので、皆さんと共に読みながらここ(黒塗りの部分)を答えていっていただけたらと思います。

○○さん読んでもらえますか?

参加者
はい。

『総論』(文創 昭和二十七年)
私は之迄病気に対し、詳細に直接的解説を与えて来たから、病気なるものの真原因と、既成医学が如何に誤ってゐるかが分ったであろうが、まだ知らなければならない点が種々あるから、之から凡ゆる角度から医学の実体を検討し、解剖してみようと思うのである。

『手術』(文創 昭和二十七年)
近来、医学は大いに進歩したといひ、取り分け手術の進歩を誇称してゐるが、私から見れば之程の間違ひはあるまい。考える迄もなく、手術が進歩したといふ事は、実は医学が進歩しない (進歩しない) といふ事になる。
といふと不思議に思ふであろうが、手術とは言う迄もなく、病に冒された機能 (機能) を除去する手段であって、病其ものを除去する手段ではない。判り易く言えば、病気と其機能とは密接な関係はあるが本質は異ってゐる。
従って真の医術とは病 (病) だけを除って、機能は元の儘でなくてはならない筈である。処が医学が如何に進歩したといっても、病 (病) のみを除り去る事が不可能であるから、止むを得ず二義的手段として、機能  (機能) をも併せて除去して了ふのであるから、此事を考へただけでも、手術の進歩とは、医学の無力 (無力) を表白する以外の何物でもない事が分るであらう。斯んな分り切った理屈でさへ気がつかないとしたら、今日迄の医学者は驚くべき迷蒙に陥っていたのである。従って何としても大いに覚醒して、初めから行り直すより外あるまい。即ち医学の再出発である。処が今日迄其意味を発見した者がなかったが為、盲目的に邪道を驀進して来たのであるから、何年経っても人類は、病気の苦痛から解放されないにみて明かであらう。
以上の意味に於て考へてみる時、手術の進歩とは、医術の進歩ではなく、技術 (技術) の進歩でしかない事が分るであらう。そうして尚深く考へて貰ひたい事は、造物主即ち神が造られた万物中最高傑作品としての人間 (人間) であるとしたら、仮にも神として人体を創造する場合、五臓六腑も、胃も、筋肉も、皮膚も、何も彼も無駄 (無駄) なものは一つも造られてゐない筈である。之は常識で考へても分るであらう。処が驚くべし、二十世紀に入るや、人間の形はしてゐるが、神以上の生物が現はれた。其生物は曰く、人体内には種々な不要物がある。盲腸も、片方の腎臓 (腎臓) も、卵巣 (卵巣) も、扁桃腺もそうであるから、そんな物は切って除って了ふ方がいい。そうすればそれに関した病気は無くなるから安心ではないか、と言って得々として、メスを振っては切り除って了ふのである。何と素晴しい超人的、否超神的存在ではなからうか。処が不思議なる哉、此大胆極まる暴力に対し、現代人は無批判処か、随喜の涙を雫(しずく)してゐる。而も、人民は疎か、各国の政府迄も有難がって、之こそ文化の偉大なる進歩であると心酔し、援助し奨励迄してゐるのであるから、其無智蒙昧さは何と言っていいか言葉はないのである。としたら此現実を見らるる流石の造物主も、呆れて唖然とされ給ふと察せらるるのである。そうして右の超神的生物こそ、誰あらう近代医学者 (近代医学者) といふ人間である。としたら全く彼等の人間を見る眼が強度の近視眼にかかってをり、近くの唯物科学だけが見へて、其先にある黄金の宝物が見えないのであらう。
然し私は、唯物科学を敢えて非難 (非難) する者ではない。人類は之によって、如何に大なる恩恵を蒙り、今後と雖も蒙るかは、最大級の讃辞を捧げても足りない位である。といって何も彼もそう考へる事が早計であって、唯物科学にも自ら分野があり、越えてはならない境界線 (境界線) がある。ではそれは何かといふと、有機物も無機物 (無機物) も同一視する単純な考え方では、駄目であるといふ事である。つまり唯物科学は、生物である人間も他の動物も、無生物である鉱物や植物と混同してゐる錯覚である。といふのは本来動物なるものは無生物ではないから、唯物科学の分野に入れてはならないに拘はらず、どう間違へたものか、入れて了った事である。之が根本的誤謬で、それによって進歩して来た医学であってみれば、手術といふ人体 (人体) を無生物扱ひにする行り方も当然であらう。又斯ういふ点も見逃す事が出来ない。それは唯物科学の進歩が、余りに素晴しかった為、何も彼も之によって解決出来るものと信じて了った科学 (科学) 至上主義である。
処が実際上動物はそうはゆかない。成程医学によって、一時的には効果はあるやうだが、根本が誤ってゐる以上、真の効果が挙らないにも拘はらず、それに気付かず、相変らず邪道を進みつつあるのである。
そうして右の如く私は生物と無生物の関係を大体かいて来たが、今一層掘下げてみれば生物の中でも人間と他の動物とを同一視 (同一視) してはならない事である。といっても之は根本的ではないが、相当の異ひさがある。例えば人間に対って、結核といえば直に神経を起し、悪化したり、死を早めるが、牛の結核を牛に言っても、何等の影響もないのである。従ってモルモットや二十日鼠を研究して、人間に応用しても、決して良い結果は得られないのである。
茲で前に戻って、再び手術に就て筆を進めるが、成程一時手術によって、治ったとしても、それで本当に治ったのではないから、暫くすると必ず何等かの病気が発生するが、医学は其原因に気が付かないのである。そんな訳で手術後の先には余り関心を持たないのである。然し考へても見るがいい。体内の重要機能を除去したとすれば、言はば体内的不具者となるのであるから、全然影響のない筈はない。例えば外的不具者で足一本、手一本処か、指一本、否指の頭だけ欠損しても、其不自由さは一生涯の悩みの種である。況んや内的不具者に於てをやである。而も外的不具者なら、生命に関係はないが、内的のそれは生命に至大の関係があるのは当然である。例えば盲腸の手術で、虫様突起を失ふとすればどうなるであろうか、元来盲腸なるものは、重要な役目をもってゐる。それは人間の背部一面に溜った毒素が、一旦右側背面腎臓部に溜って固結し、少しづつ盲腸部に移行固結するが、或程度に達するや急激な浄化が起り、発熱、痛み等が発生し、溶解された毒素は下痢となって排除され、それで治るのであるから、実に結構に出来てゐる。処が可笑しいのは、此際医師は手遅れになると大変だから、一刻も早く手術せよといふが、此様な事は絶対ないので、手遅れになる程反って治る (治る) 可能性が多くなる。之は理屈ではない。私は何人も其様にしたが、一人の間違ひもなかったのである。寧ろ手術の為不幸になった例は時偶聞くのである。
又盲腸炎潜伏を知るのは訳はない。医学でもいふ通り、臍から右側斜に一、二寸位の辺を指で押すと痛みがあるから直ぐ判る。然し原因は其奥にあるので、盲腸部だけの浄霊では全部の痛みは除れない。盲腸炎の場合、右側腎臓部 (腎臓部) を指で探ると必ず固結があり、押すと痛むからそこを浄霊するや、忽ち無痛となり全治するのである。治る迄に早ければ十数分遅くとも三、 四十分位であって、間もなく下痢があり、それで済んで了ふので、再発などは決してない。としたら何と素晴しい治病法ではなかろうか。処が医学では手術の苦痛も費用も、並大抵ではない。其上不具とされ、運の悪い人は手術の跡の傷が容易に治らず、数年かかる者さへある。稀には手術の為生命を失ふ者さへあるのだから、我浄霊と比較したら、其異ひさは野蛮と文明よりも甚だしいと言へよう。処が手術によって盲腸炎は治ったとしても、それだけでは済まない。前述の如く盲腸なる機能は、背部一面の毒素の排泄 (排泄) 機関であるから、それが失くなった以上、毒素は出口がないから、大部分は腹膜に溜ると共に、腎臓部の固結も大きさを増すから、それが又腎臓を圧迫し、腹膜炎に拍車をかける事になる。之が主なる悪影響であるが、其他の個所にも溜るのみか、手術後腹力や握力が弱り、持久力や粘り強さ等も薄くなり、性欲も減退する。之等は体験者の知る処であらう。
次は腎臓剔出であるが、此手術は腎臓結核の場合であって、痛みや血尿があるので、そう決められ剔出するが、此成績も面白くない。大抵は何かしら故障が起る。その中で一番困るのは、残っている一つの腎臓は二つの負担を負はされるから、病気が起り易いと共に、剔出する事も出来ず、どうしていいか判らないといふ惨めな人もよくある。といふのは誰しも保有毒素が相当あるから、残った腎臓へ溜結するのである。その外全身的には弱体化し、歩行にも困難があり、腰を捻ったり、正坐すら出来ない人もあって、先ず半分廃人である。処が最初から浄霊によれば、手も触れずして簡単に全治するのである。
次は胃癌の手術であるが、之も仲々厄介である。之に就て遺憾に思ふ事は、切開してみると、癌が見当らないといふ過失をよく聞くが、患者は全く災難である。幸ひ予定通り切り除っても、大抵は時日が経つと僅かでも残った癌が広がってゆき、再度の手術をするやうになるが、三度目になると不可能で、最早致命的である。そうして手術が成功しても、縮小した胃と腸と繋ぎ合すので、食物も少しづつ何回も摂らねばならず、而も医学の統計によれば、手術後の寿命は平均二年半とされてゐる。
それに就て医学は斯ういふのである。どうせ半年か一年で死ぬべきものを、手術によって一年でも二年でも延びるとしたら、それだけ有利ではないかと。成程其通りにゆけばいいが、事実は放って置けば三年も五年も生きられるものを、手術の為に縮められる例を、私は幾人となく経験したのである。又医学は癌の治療にラヂュームの放射をするが、之は反って悪化する。といふのはラヂュ―ムは癌を破壊すると共に、組織  (組織) 迄も破壊して了ふからである。
右の解説は真症胃癌に就てであるが、実は真症は少なく、大部分は擬似胃癌 (疑似胃癌) であり、擬似は勿論薬毒が原因である。それは薬の性質にもよるが、一旦吸収された薬は、時を経て毒に変化し胃へ還元し固まる。それが癌とされるのであるから、之は浄霊によれば非常に衰弱していない限り、必ず治るのである。
右の外卵巣除去、乳癌の手術、中耳炎、瘍疔(ヨウチョウ)、眼科、肋膜炎の穿孔、痔疾、横疲(ヨコネ)、睾丸炎、瘭疽(ヒョウソ)、脱疽、整形外科手術等々種々あるが、之等も大同小異であるから略すが、茲に二、三の書き残しをかいてみよう。それは各種の腫物であるが、之は手術をせず放っておけば、腫れるだけ腫れて自然に穴が穿き、そこから血膿が出て完全に治って了ふものである。処が患者は痛みに堪へ兼ねるので、医療は早く治そうとして手術するが、之が大変な誤りである。といふのは手術にも時期がある。充分腫れてからなら左程の事もないが、そうならない内に行ふと、今迄一ヶ所に集中してゐた膿は、其運動を止めて了ひ、他の近接部へ腫れ出すのである。之は手術処か、一寸針で穴を穿けた位でも、ヤハリ集溜が停止されるので、之は知っておくべき重要事である。
之に就て斯ういう例があった。以前私は頼まれて某外科病院へ行った事がある。患者は四十歳位の男子で、よく訊いてみると、初め頚部淋巴腺に鶉(ウズラ)の卵位の腫物が出来た。早速医者へ往って穴を穿け、膿を出して貰うと、間もなくお隣へ同じやうな腫物が出来た、それを切ると又お隣へ出来る、という具合で、遂には反対側の方にも出来、それも次々切ったり出たりする内、遂には腫物の数珠繋ぎとなって、私を招んだのである。そんな訳で外部には腫れる場所がなくなったので、今度は内側へ腫れ出した。恰度其時であったので、私と難もどうする事も出来ず、断って辞したが、其後数日を経て、咽喉が腫れ塞がり、窒息で死んだとの知らせがあった。之等は全く手術の為の犠牲者である。といふのは最初腫物が出来た時、放っておけば段々腫れて、恐らく赤子の頭位に大きくなったであらうが、それでも放っておけば、終には真ッ赤にブヨブヨになって穴が穿き、多量の血膿が出て、完全に治って了ひ、痕跡も残らないのである。
次は、近来一部の医師で、脳の手術をするが、之等は勿論癲癇とか、脳疾患等の場合行ふのであるが、之は何等の効果もない。何故なれば頭脳の機質性病患でなく、精神的のものであるからで、つまり霊的原因である。之に就ては霊の項目に詳記するから、茲では略す事とする。次は近頃流行の結核に関する手術療法で、之は肋骨を切り除ったり、空洞のある患者には、合成樹脂の玉を入れたり、横隔膜を手術したりするが、之等は一時的効果で、反って後は悪いのである。要するに再三言う通り、手術なるものは、如何に有害無益なものであるかは、医学が一層進歩すれば分る筈であるから、最初に述べた如く手術の如き、野蛮的方法は、是非全廃して貰ひたいのである。

三救責任者
はい、ありがとうございました。
「黒塗り個所を書籍で確認して見ましょう」と(天恩地惠に)書いたんだけど。
このやり方、どうですか?
黒塗りにしておいたら、1回は調べてくれるかなと思ったのです。

参加者
勉強します。調べるんですけど、また忘れています。

三救責任者
今日は、ここ(天恩地惠)に掲載のメシヤ講座を続けてやっていきたいと思います。

メシヤ講座・三重 75号(平成26年1月度)ですけども、

○メシヤ様は『医学の再出発を願っておられた』
(先生)今回は『総論』ということで、ここの箇所(タイトル)は文字をもう少し大きくしておいた方が良かったかもしれません。
メシヤ様は『病気に対して詳細に直接的解説を与へて来たから、病気なるものの真原因と、既成医学が如何に誤っているかが判ったであらうが、まだ知らなければならない点が種々あるから、之から凡ゆる角度から医学の実体を検討し、解剖してみようと思ふのである。』ということで『手術』ということに触れたのだということなのです。それで実際『手術』の箇所の冒頭をもう一度確認していただきたいのですが、
『近来、医学は大いに進歩したといひ、取り分け手術の進歩を誇称してゐるが、私から見れば之程の間違ひはあるまい。考へる迄もなく、手術が進歩したといふ事は、実は医学が進歩しないといふ事になる。といふと不思議に思ふであらうが、手術とは言う迄もなく、病に冒された機能を除去する手段であって、病其ものを除去する手段ではない。』これは考えてみればその通りなのですけども、どうしても私たちは医者の言いなりになってしまって、〝これが治療だと思い込んでしまっている″ということがありますので、メシヤ様はまずこのことに気付いて貰いたいということでお書きになっておられるのです。それで次に、『判り易く言えば、病気と其機能とは密接な関係はあるが本質は異ってゐる。従って真の医術とは病だけを除って、機能は元の侭でなくてはならない筈である。処が医学が如何(いか)に進歩したといっても、病のみを除り去る事が不可能であるから、止むを得ず二義的手段として、機能をも併せて除去して了(しま)ふのであるから、此事を考へただけでも、手術の進歩とは、医学の無力を表白(ひょうはく)する以外の何物でもない事が分るであらう。斯(こ)んな分り切った理屈でさへ気がつかないとしたら、今日迄の医学者は驚くべき迷蒙に陥(おちい)ってゐたのである。従って何としても大いに覚醒して、初めから行(や)り直すより外(ほか)あるまい。即ち医学の再出発である。』ですから、メシヤ様は『医学の再出発を願っておられた』ということなのです。
しかも、『斯(こ)んな分り切った理屈でさへ気がつかないとしたら』ということですので、この〝気が付く″ということが大切だということなのです。『文明の創造』だけでなく、御教え全般にわたって私達信者に願っておられることは、〝迷蒙に気が付いて欲しい″と言うことなのです。
私達は何事に直面しても〝迷蒙に気が付いているか″自分に問いかけていただきたいと思います。〝気が付く″ということが実はメシヤ様を信仰していくということなのだ、と言えるのではないかなと思います。

参加者
うーん。

三救責任者
何か気が付いたり、思う事があったら話をして頂いて構いませんので、宜しくお願いします。

参加者
ここがズシンときました。
最後の3行くらい、〝迷蒙に気が付いて欲しい″というところ。

三救責任者
信者全般に対してね、〝迷蒙に気が付いて欲しい″。
『文明の創造』は特にそういう事だと思います。
一般の人向けに書かれた『文明の創造』ですからね。ただ、一般の中には医者、医学者の方も含んでいるわけですからね。
ズシンときますよね。

参加者
はい。

三救責任者
「癌が消えている。」
読んで下さい。

参加者
○癌が消えている
年末年始から休む間もなく電話がかかってきておりまして、ある支部で肝臓癌と医師から宣告を受けたご婦人がおります。浄霊をいただくと楽になるので医者からは手術を勧められたのですけども、「手術したらどうなりますか」と聞きますと、「手術しても来年の4月まで持つかわからない」ということなので、「手術しても来年の4月まで持つかわからないのならもう手術はしません」ということで、浄霊一本でズーッとやってきまして、年末に検査をしましたら、〝癌が消えている″のです。
「4月まで持つかわからないと言ったじゃないですか」と医者に食いつきましたら、「希にそういうこともある」と言うのです。こんないい加減な医者は〝何を考えているのだ″と言いたいくらいです。そのご婦人は今浄霊をいただきつつ元気に過ごして今年の4月までと余命を切られていますので、「4月までは体を養生しながらしっかり浄霊をいただいてください。」と言いまして、支部へ通いつつ自己浄霊と家族からの浄霊をいただくことに取り組んでおります。非常に健康な顔をして生活をしてくださっています。余命を切った医者も医者ですが、浄霊をいただくことによって健康を確保して癌の症状も消えていっていますので大変有難いと思います。
それから、信者さんの母親が70代前半なのですが、乳癌を患って治療をズーッと続けていたのですけども、医者から「効果的な新薬が出たのでぜひ試させていただきたい」とお願いされたのですが、「今は体調も復調しているから、これ以上の抗癌治療はやめてもらいたい」と娘さんが言ったのですが、母親が「お医者さんに親切にしていただいたので、もう一回受けてみる」と言うので治療を受けさせましたら、腕がパンパンに腫れてしまいました。そして脇からリンパ液が出始めたのです。それで治療をした医者が慌てて「この治療はあなたに合わなかったのだ。もうこれ以上する術(すべ)がないので、病院を世話するので緩和ケアに移ってください」と言うのです。
「あなたの治療でこんなに腫れてしまったのにこの腫れたのを治さないで退院させるのか」と言うべきなのですが、とても医者に対してそこまでは言えなかったそうです。それで転院した病院でも「もう片方にも転移しているから治療しましょう」と言われたそうです。それで「これ以上治療したらもう片方の腕もパンパンに腫れて両手が動かなくなるので、充分考えなければいけない」と私はアドバイスをしました。
治療した責任を取ることなくタライ回しで次の病院に送ってしまう〝無責任な医者がいる″という現実に直面すると〝医学とはいい加減なものだ″とやっと気付くのですが、気付いた時には手遅れな状態になってしまうことが多いです。今回メシヤ様がこのように手術について御指摘されておられることは、私たちの日常生活にとっては非常に大切なことですので、そういうことをしっかり受け止めながら繰り返し繰り返し拝読していただきたいと思います。

三救責任者
はい、ありがとうございます。
ありそうな話が2つ載っていますね。実際にそういう事に直面しそうです。
最初の方は、「4月まで持つか分からない」といったのが持ったのだから有難いですよね。
「希にそういうこともある」、医者が分からないからと捉えれば、別に医者に食ってかかることでもないような気がしますけども。
「薬を試させてください」と言われて、試したのは自分ですからね。
こういう事例、何かの時にお話しできることがあるかと思いますので、読んで頭の片隅に入れておいていただければ、と思います。

それから、「僅かの期間で脳梗塞から回復」ということで、これは先生のお兄さんの話ですね。

○僅かの期間で脳梗塞から回復
身内のことですが、私の兄が年末に脳梗塞で倒れてしまいました。比較的軽い脳梗塞で右手右足が痺れている状態で、口が良く話せないので、浄霊をしてみますともう脳梗塞は終わっていまして、そのあとも修復に向かっている状態でした。それで母に「ごはんをしっかり食べさせるのと、酒とタバコをやめさせないと脳梗塞がまた再発するからやめるようにということと、こういう運動をさせるように」と指示をしましたら昨日で大体良くなりましたので、今日から出社する予定です。
ですから徹底的に浄霊をして運動としっかりした食事をとれば脳梗塞というのはこの位の日数で回復するのです。
これを精密検査して治療を始めると長期入院になってしまうので大変なことになります。我々がこの『浄霊力』を授かっているということは大変ありがたいことでありますし、慣れてきますと「このくらいの症状だったら何日間位徹底して浄霊していけば良い」ということが脳血栓とか脳梗塞とかいうのはわりとわかりやすいのです。ですからメシヤ様の『救済力』、『浄霊力』と『御教え』をいただいておけばどういうことが起きても大体対応できるのではないかなと思います。
しかし、残念ながら今までの所属の教団ではそこまで的確な指示ができなかったので、多くの方々が壁にぶつかったまま医療と併用してしまったりということで不幸なことが起きております。どうか、支部責任者を中心に三重支部でメシヤ様が本来お示しくださっている智慧と力を大勢の方々に授けていただきたいと思います。

そうですね。
浄霊力を授かって浄霊に取り組まれる、自己浄霊に取り組まれるという方が増えて来ればいいんですけどね。

参加者
すみません。この、『救済力』というのは、どういう・・?
『浄霊力』も『御教え』も『救済力』かなと思うんですけど、また別の捉え方があるんでしょうか?

三救責任者
メシヤ様が救って下さる力。世界人類を救う力。
御祈願とか、メシヤ様に祈れば、メシヤ様と祈れば救われる とかあるじゃないですか?

参加者
大きなものだね。

三救責任者
そうそう。
『浄霊力』というのは、人間を通じた浄霊力ですね。
そういう事にかかわらず、何か働いているって感じるじゃないですか?それが、メシヤ様の力なのかもしれないし。それがいい方に行けばそれが『救済力』でしょうね。
『救世済民』って、ここ(御神前)にかかっているんですけど、そういう事じゃないかな。衆生を救うということですので。そういうことの意味で、メシヤ様の『救済力』ということを、先生が言われたんじゃないかなと思います。

参加者
今までやってみえた・・。

三救責任者
先生の思いとしては、メシヤ様の救済力。
メシヤ様と唱えてきた私達が感じるメシヤ様の『救済力』。

参加者
ありがとうございます。
今、読んでいただくのを聞きながら、今迄思ったことなかったのに、急に何か「あれっ?」と思って。
『浄霊力』と『御教え』も、両方『救済力』だよなぁって思ったんです。

三救責任者
『御教え』も『救済力』です。『浄霊力』も『救済力』です。どちらも合わせてメシヤ様から与えていただいた。

参加者
はい。

三救責任者
「日常生活で『錯覚』を起こしていないか」
○○さん、読んでもらえますか?

参加者
○日常生活で『錯覚』を起こしていないか
それからもう一つ、メシヤ様は『錯覚』ということを御指摘になられております。
『つまり唯物科学は、生物である人間も他の動物も、無生物である鉱物や植物と混同してゐる錯覚である。といふのは本来動物なるものは無生物ではないから、唯物科学の分野に入れてはならないに拘(かか)はらず、どう間違へたものか、入れて了(しま)った事である。之が根本的誤謬(ごびゅう)で、それによって進歩して来た医学であってみれば、手術といふ人体を無生物扱ひにする行(や)り方も当然であらう。』
医学の陥っている『錯覚』を御指摘くださっているのですが、これは医学だけでなく私達の日常生活の中でも『錯覚』を起こしてはいないか、ということをよくよく自分に問いかけて行っていただきたいと思います。
どうしてもテレビとかから流れてくる情報を中心に捉えて行ってしまったり、インターネットで得た情報を確かなものと思ってしまいます。これが『錯覚』ということに繋(つな)がってしまいます。
さきほど支部責任者が紹介して下さった資料で「生存率」が出てきます。
それで「生存率」というと読んだだけでは手術してから〝ズーッと生きている″と錯覚してしまいます。しかし、医者達がネット上で言っているのは5年間しか生存していないということです。本来生存というのはズーッと寿命まで生きる筈なのですが、癌の生存率はたった5年間で区切っているのです。こんないい加減な表現なのです。恐ろしいことですね。
例えば60歳で手術して成功と言ったら私達は〝80歳くらいまで生きられるのだろう″と思ってしまいますが、この統計上では5年間生きたことを言っているのです。
如何(いか)に皆生きていないかということです。
(支部責任者)それも100%ではないですからね。
(先生)1期、2期、3期となるに連れて段々下がってくるわけですからね。
こんな恐ろしい現状を私達は平気で受け入れているという『錯覚』です。これが『錯覚』なのだということをよくわかっておいていただきたいと思います。
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最終更新 2013年4月7日 (日) 12:12 ウィキペディアより
5年生存率5年生存率(5ねんせいぞんりつ)とは、ある疾患の予後を測るための医学的な指標である。
主として癌について用いられ、診断から5年経過後に生存している患者の比率を示す。治療効果判定のために使われることが多い。あくまでも集団としての患者群を対象とした指標であり、個々の患者の余命として単純に流用することはできない。また、疾患や研究によっては「1年生存率」、あるいは「10年生存率」といった任意の判定期間による統計も存在する。
多くの癌では、治療により癌が消失してから5年経過後までに再発がない場合を「治癒」と見做す。
なお、がんの終生再発率とは直接の関係にはない。あくまで診断後、治療による寛解をみて、その寛解が患者にもたらした余命延長効果を、特定年数後の時点で計測した数値に過ぎない。
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三救責任者
はい、ありがとうございました。

参加者
よろしいですか?
先程の『救済力』ですけど、
苦しむ人を救い、助けること。神仏の側から差し伸べる救い。キリスト教では、人間を罪や悪から解放し、真実の幸福を与えること。救い、手を差し伸べるってこと。

三救責任者
だから、メシヤ様が手を差し伸べてくださる。
メシヤ様の『救済力』。
それは、実際というのは『浄霊力』と『御教え』を与えてくださって・・。
救いの綱に、『文明の創造』で救いの綱につかまれというのは、これを読めば救いの綱につかまることですから、手を差し伸べて下さっているわけですね。

参加者
だから、それに近い私達も手を差し伸べる力をということ?

三救責任者
授かる。
自分なりに答えを導き出してください。

参加者
はい、もう一度考えます。

三救責任者
色々解釈はあると思いますので、私は『救済力』ということをこう考えると。今度のテーマにしてもいいですよ。

参加者
御手足になるということだね。御手足になって、そこで手を差し伸べて、その人に対しての浄霊力をいただいているから、それを・・・

三救責任者
来月までに、自分の考える『救済力』とはどういう事を言うんだろうかと。
ここのところは重要かと思いますので、改めて来月までにもう一度自分なりに考えていただけたらと思います。

参加者
はい。

三救責任者
なかなかいい問題点を提起して頂けたかと思います。
残りの時間で浜松のところをやりましょう。いつも、三重ばかりやってるので。

○「血圧も浄霊で治る」  (674行)
(先生)三重支部で自然農法をやっていて、今日も野菜をここに届けている方が、血圧が140~50あったのですね。しかし薬とか一切やめて、畑と自分の仕事をしながら自己浄霊しているうちに血圧が130台まで下がったそうです。そして今回の月次祭で初めて、「血圧が正常に戻りました。ありがとうございました。」という報告を受けました。
やはりメシヤ様の教えに沿って、そのように取り組めば、自分の健康は維持できるということがよくわかるので、大変ありがたいな、と、そういう年明けを迎えました。

先生に何も言わずにだったんだね。「血圧が高いんだよ」と言うことなく自己浄霊していて、下がってから話をしたんだね。

702行にいきます。

○「日常生活の《気づき》が大変大切である」
(先生)ですから、もう少し進んできますと、『判り易く言えば、病気と其(その)機能とは密接な関係はあるが本質は異ってゐる。従って真の医術とは病だけを除(と)って、機能は元の侭(まま)でなくてはならない筈(はず)である。処が医学が如何(いか)に進歩したといっても、病のみを除(と)り去る事が不可能であるから、止むを得ず二義的手段として、機能をも併せて除去して了(しま)うのであるから、此(この)事を考へただけでも、手術の進歩とは、医学の無力を表白する以外の何物でもない事が分るであらう。斯(こ)んな分り切った理屈でさへ気がつかないとしたら、今日迄の医学者は驚くべき迷蒙に陥ってゐたのである。』 と御指摘しています。
この『斯(こ)んな分り切った理屈でさへ気がつかない』ということが今回、非常に大事なことです。
これは病気だけではなくて、あるいは手術だけではなくて、日常生活でも気づかないことが大変多くあります。
例えば、子供のちょっとした変化に気づかないでいくと、先々いろいろな問題が起きてきます。ですから日常生活のなかで、やはり『気づく』ということが一番大事だということを、この御論文は『手術』について書かれていますけれども、私たちの日常生活でも『気づく』ということが大変大切であるということを読み取りながら、拝読していただけるとありがたいと思います。

同じ事を言ってはいますけども、日常生活の事にまで言及して話をされていますね。

それから、772行

○「手術をした方への浄霊」
(参加者)手術の件ですが、私くらいの年齢になると、周りに結構手術を受けた人がいるのですが、その方に御取次させていただきたいときにはどのようにさせていただけば良いですか?
(先生)切ったところは、あとで消毒液とか、切る前は麻酔液とか使っているので、そういうところに集溜している部分があるのでそれを浄霊するのと、薬を前後使っているので肝臓と腎臓を痛めていてその周辺に薬毒が溜まっているのでそこを浄霊してあげるといいですね。
そして手術をして何かを取り除いている場合には、その取り除いた部分の霊も欠損しているので、霊界にいったときその切ったところがなくなって、ぽっかりと穴があいてしまっているらしいのです。ですから霊界にいったとき霊界生活で非常に不自由な思いをするという報告がずいぶんあるので、死んだあとのことを思って浄霊をしてあげるということが大事になります。
その切り取った霊が元通りになるように、そういう気持ちで浄霊をしてあげれば、その人の霊界生活が何不自由のない霊界生活を送ることができるのです。そういうことも含めて浄霊というのは、非常にありがたいわけです。
そういうふうに話をしてあげてください。
(参加者)おかげさまで私は全部まだあります。
(先生)だから「ありがたい」「ありがたい」とみんなに言っておかないと。「信仰のお蔭でありがたい、ありがたい」と。
私が子供の頃、脱疽になった人がいて、足の付け根から切り落としていました。切り落としてはいるけれど霊は病んだままなので、足の先が痛むのです。「痛いので浄霊もらいたい」というので、浄霊をしてあげると、切ったところを浄霊しても、「いやこの先が痛いのです」と言うのです。ですからもうないのですが、この辺りが足の先だなと思ってそこを浄霊してあげると「楽になりました」というような、こんな話を私は何度も経験しているので、やはり手術で取ってしまうと、それで病気はよくなったようにみんな思っていますが、実は霊の部分がまだ病んでいるから、そこをきちっと浄霊してあげないといけないということがあります。
(参加者)手術で取ったところも、浄霊によって、霊界にいったときにはそこが欠損してない状態になるのですか?
(先生)そう、浄霊を長いことしてあげればね。まあ1回の浄霊でもよくなる場合も、場合によってはあるけれど。できるだけ何回も何回も浄霊をしてあげたほうが良いわけです。
(参加者)そうしたら霊界にいっても不自由な生活をしなくてもよくなるということですか?
(先生)〇〇の一番の罪は、死んだらみんな元気になっているという〈大霊界〉という映画を作ってしまったことです。自殺しても、あの世で天国生活を送れると思っているけれども、自殺した場合は、「殺人」と「事故死」の2つの罪穢を以って霊界に往くので、地獄にいくのです。自分の命だから、人を殺したのと同じ殺人の罪と、それから途中で死んだ事故死の罪を負って霊界にいくのだから、とても天国生活はできません。そういうみんなを勘違いさせるような映画を作ってしまったというのが、最期がよくなかったという最大の理由なわけです。

これは三重では話をしていないことですね。
先程の『救済』という事にもつながりますけども、神幽現とあるわけですから、現界だけじゃなくてね、今の話の場合は霊界に行ってのことを思っての『救済』につながっていくと思います。
そういう事を含めて言うのかな、『救済力』。
色々深く考える事は出来ると思います。
新たな課題を提案して頂いて、次へ向かってのステップになるということで。

ちょうど時間になりましたので、終わらせて頂きます。

司会
以上を持ちまして、11月度月次祭並びに一日祭を終わらせて頂きます。
ありがとうございました。

参加者一同
ありがとうございました。

2022年11月2日水曜日

覚りの旅  令和4年10月 月次祭を終えて

 令和4年10月1日

覚りの旅  令和4年10月 月次祭を終えて
三救責任者
皆様、月次祭おめでとうございます。
早、10月を迎え、今年も残り3か月となりました。今月は神無月ですが、私たちにとっては神有月、神様が大きく働かれ、御神業が動く月であります。10月10日の三救祭を前に、9月に岩戸観音堂への参拝が許されました。
平成27年11月のあるところのメシヤ講座で、「定山渓の伊都能売観音様に、どうして『主之大御神守り給え幸倍給へ』という御神名を唱えたのですか?」という質問がありました。
その時の先生の回答を紹介いたします。

「伊都能売之大御神守り給え幸倍給へ」とずっと唱えて来たのですけれども、ある時、祭典を執り行う時、その御神名が私の口からどうしても出ずに、祭典が一時滞った時がありました。それで、どうしてこういうことが起きるのか、御神名について、もう一度深く考え直していきました。
この時に特選集に三重の責任者が所感として(・・その書簡の内容から要旨として紹介いたしますと、定山渓岩戸観音堂にお鎮まりの伊都能売観音様と芦別岳に隠退なされた国常立尊様は表裏一体であり、メシヤ様と御尊唱申し上げる想念に高まるまで、秘されていたのではないか。だからこそ、当時の本部の御神体になっておりました日之出観音様として御奉斎されているのではないか・・これが、私が書いた書簡の要旨です。)
それで、こういう不可思議な事(・・不可思議な事というのは御神名が出ずに、言霊に出せずに考えさせられた事だと思われます。)がどうしてあるかということを考えていくと、この国常立尊様の絶対的な裁きというお働きと、そして観音様という、全ての人達を救っていくという大慈悲心の固まりのような、そういう御存在が合わさったものがメシヤ様であるわけですので、このメシヤ様という認識をするために北海道の地に、芦別岳と、それから定山渓に伊都能売観音様の絵姿のご描画をかけられたと、そういう観音様が掛けられたのではないかというふうに、三重支部の責任者は推測をして、ここに書いてくれておりますので、全くその方向で考えていただくのが一番いいかと思います。
そして、主神様の御本体が・・・主神様という御本体の中から地球を救うためにメシヤ様がこうしてお出ましになっておりますので、国常立尊様と伊都能売観音様のお働きが合体したような形がメシヤ様という御存在になります。救いと裁きを同時にされるのがメシヤ様です。

メシヤ様の御存在を認識させていただくために北海道の地に、芦別岳、国常立之尊様と、定山渓に伊都能売観音様の絵姿を描画した観音様を御奉斎されたのではないかということ、そしてその絵姿を「日之出観音様」と名付けられたということは、「日之出観音様」が後に「メシヤ観音様」と呼称されたということと合わせ考えさせて頂くと「善言讃詞」の御神格の出世向上を現界に形としてあらわされていると思います。そう考えていくと更に合点がいくのではないでしょうか。
ここは私の話ね。
全ての観音様は宇宙、主神様に帰一していく。地球としてメシヤ様の御手に帰一していくのです。
メシヤ様の御神格を認識させていただく御神業を積み重ねてきたからこそ、主神様の御神名奉唱が許されたと拝察できるのではないかと思います。
御神名を認識させていただく、奉唱させていただくことは、このように非常に尊いことなのだと分からせていただけるのではないでしょうか。
私達の執り行う祭典には繋がり、連続性があります。

図1
zu-1

2月3日の節分祭でお詫び、そうすると光が弥増して、
6月15日の地上天国祭、心の岩戸開きということで、反映されていくと考えられますね。

図2
zu-2

3月3日というのは、桃の祭典です。3月に桃は咲いて、5月に実る。
だから、3月3日の祭典、5月5日の祭典は桃に関係しています。
10月10日というと、10×10=100(百)ですね。「もも」と読みます。
更に、縦に足すと3+5+10=18 と 18 ですね。
観音様とミロクの神が働かれているということが、数字にあらわれてきているんじゃないかと思います。
だから、関連性があるんですよという事です。

図3
zu-3

帰一ということで、岩戸観音堂では伊都能売観音様、伊都能売観音様というのは日之出観音様と掲げられていた。絵としては伊都能売観音様がかかっていたということで、何故違うのかという事を議論されていましたけども、別に回答が出てるわけじゃないですね、自分はこう考えるということで。
後に分かった事が日之出観音様はメシヤ観音様ということで、メシヤ様がお名前を変更されております。だから、出世されるという事ですね。観音様は出世される。色んな働きなので、ここにかけてある絵は伊都能売観音様だけれども、日之出観音様としてかけられたかもしれないし、それぞれの働き。出世という事を認識させるために、この地にという事がわかるかと思います。そういう風に捉えるのがいいかと思いました。
先生がずっと参拝されてきて、ある時観音の働きというのが仏滅とかになってくるとですね、唱えられなくなって、上がった主之大御神様、〇にゝ(チョン)ということで、本部でされているので、ここがそういう形で唱えられるようになったんではないかなと・・これも先生が言われているんじゃない、さっきの話の中でね。
一方、10月10日、加良比乃神社になると、先生が参拝されたわけではないですけども、〇の中のゝ(チョン)なんだということで、ミクラタナの神様の話をされました。
伊都能売大御神様が奉斎されていますという事で、これは日月の働き。
天照大御神様は日の働き。
どちらもメシヤ様と非常に関わりがあるという事で、この〇にゝ(チョン)が、ミクラタナの神様が入った時にメシヤ様の御存在になられるので、御神名としてこれ(主之大御神様)で行けるんじゃないかと僕は拝察しますという事です。
ミクラタナの神様の御神名を明かされ、『文明の創造』発刊の御用、御神業に取り組まれ、人類を救う御神業を積み重ねられたからこそ、こういうことが許されて来たのではないかなと。『文明の創造』を学ぶという事もですね、非常に関わり合いのあることなのかなと思います。

図4
zu-4

それで、 ⦿ 主神様を認識し、御神名を奉唱させて頂ける神社が古代より存在していた。
誰でも参拝できるところです。岩戸観音堂も誰でも参拝できるところです。ということで、関係しているよということと、
結びの月の結びの日、10月10日の三救祭の祭典の前の10月の月次祭だからこそお話しさせて頂きました。

図5
zu-5

三救は、祈り・浄霊・救いの場であり、神社のように開かれたところ であります。
あまり今まで言ってきませんでしたけども、岩戸観音の話も関係あってという事で、させて頂きました。

それでは、『文明の創造』を学ばせて頂きましょう。
今回も少々長いので、読んでいただいてあるものとして、確認していきたいと思います。

図6
zu-6

小児病という事で、消化不良、青便、泡便は母親の毒素が乳に混じって出るんだと。
親の○○が子を通して○○される。
実に○○なのである。

参加者
毒、浄化、結構

図7
zu-7

三救責任者
生後間もなく○○したり、何々の○○とか栄養の為とかいって○○をするが之が又頗る悪い。

参加者
種痘、予防注射、注射

三救責任者
○○が出来ていないから注射などは無理である。

参加者
体力

三救責任者
この為多くは○○の原因となり、首がグラグラ、歩行遅れ、智能低下

参加者
発育の遅れ?

三救責任者
そうです、発育不良の原因。首がグラグラ、歩行遅れ、智能低下はこの為です。

図8
zu-8

生後1、2か月経った頃吐血する幼児は出産前後母親の○○を吞んだのを吐く。

参加者
悪露。

三救責任者
固血。ここの書き方は固血だったんです。
胃潰瘍は○○連続○○の結果。

参加者
・・・

三救責任者
消化薬ね。消化薬を連続的に服用する。胃なので食事をしていて、悪いと思っていても消化するようにと消化薬をのむけども、それを連続で服用するからそれが悪いですよと。胃潰瘍になってしまうんですと。

図9
zu-9

百日咳 出産前母の○○を呑んだ為

参加者
これが悪露だ。

三救責任者
一旦吸収され保有していたものが時を経て○○によって出る。

参加者
浄化によって。

三救責任者
これは信仰していないと言えない言葉ですけど。浄化だね。

図10
zu-10

百日咳の浄霊の急所
➀ ○○  ② 背中  ③ 胃部

参加者
胸、背中・・

三救責任者
胸、背中、胃

百日咳 ○○を起こしやすい。○○を止める。泡が出ず肺の中へ溜り固まる。溶かす為の○○が出る。

参加者
肺炎、咳を止める・・

三救責任者
そうそう、咳を止める。
それで、肺の中へ溜まって固まる。溶かす為にどうするかな、浄化の過程で。

参加者

三救責任者
そうです。高熱。

図11
zu-11

ヂフテリヤ 臨床注射や予防注射は○○的浄化停止。

参加者
・・・

三救責任者
これはちょっと難しいね。一時的ね。

浄霊は 早い 副作用無し 安心 実に○○的。

参加者
実にすばらしい! (笑)

三救責任者
実に 奇蹟的。
浄霊は奇蹟だよと。

次に、脳膜炎の話がありました。

図12
zu-12

頭脳に毒をが集注する。
「集注」 というのもこういう字を使っています、ここでね。

参加者
あぁ、ホントだ。

三救責任者
これはわざと使っていると思います。間違いじゃないと思います。

集注する。前頭部にね。○○は毒素を固めて了う

参加者
氷冷

三救責任者
氷冷 というのをしっかり覚えておかないとね。特に小児の話。
次に、
氷冷すると頭の機能の○○は阻止される。

参加者
活性?

三救責任者
近いね。
活動ね。

図13
zu-13

浄霊  は 毒素が溶け 鼻とか目から血膿が沢山出る。
頭の中の○○が出来、頭脳、学業優良になる。

参加者
掃除じゃなくて?

三救責任者
うん、掃除。頭の中の掃除ができるから、毒素を出して掃除ができる。
麻疹は親から受継いだ○○の排除。実に有難い。

参加者
毒素、毒血

三救責任者
毒血。実に有難い。

図14
zu-14

麻疹に限って慎むべきことは、発病時外出などして○○すること。

参加者

三救責任者
はい、風にあてることね。

毒が○○から出ようとするのを止めるから。

参加者
皮膚?

三救責任者
そうそう、風にあたると皮膚を冷やして止めてしまうということかな?

麻疹が治っても中耳炎や目が悪くなるときがある。
毒の出損なった分が耳や眼から出ようとして固まり、高熱で溶け出して放っておけば日数がかかっても治ります。そういう仕組みです。この仕組みが浄化なので、その仕組みが分からないので、溶け切らないのがまだ残っていてまた出てくることがあるよということを知っておけばいいかと思います。

図15
zu-15

日本脳炎は毒素が延髄部に一旦集結して後頭部に集中する。それで眠くなってくる。目、鼻から血膿となって出てくる。出たら治る。
○○の棒の如き塊、根気よく何回でも ○○
延髄部ね。延髄部に棒のように塊。棒のようになっていたら根気よくするしかないよという事です。何回でも浄霊を。

日本脳炎 原因分からず毒出方法ない むやみに伝染恐れ ○○ 最も悪い

参加者
氷冷

三救責任者
そうです。氷冷は最も悪い。
氷冷の事、何回も出てきているんですね。

図16
zu-16

猩紅熱(しょうこうねつ) 
保有毒結が皮膚から出ようとする。治りかけてカサブタになる。浄霊すると2、3日~1週間で全治します。
どんなのかよく分からないけどね。今もあるのかな?

参加者
ある。

三救責任者
疫痢
欠伸ひんぱん 食欲なくグッタリ 眠りたがる
上半身の毒素が浄化して、胃に来て、上に上がって脳へ。 浄霊で1、2日。

今の人は放っておくという事がなかなか出来ないので。

図17
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小児麻痺
霊的なのは真症、また別項に書きますということで。
体的なのが疑似。

追加事項として、毒の為の浄化熱。腹巻は不要。メシヤ様のお子様も腹巻はしませんでした。
今、する人いるのかな?

参加者
います、います。

三救責任者
(体的の場合) 足の悪くなる人が多い。遺伝薬毒と、生後入れた薬毒が凝結。そういう時は押して痛いところを浄霊する。
押してというのは自分で押してということ。

一通り読むかわりに復習してみました。

それで、(天恩地惠の)タイトルだけ。

図18
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『非常に結構なことだ』
さっきの話ですね。

『テレビの影響』
何が書いてあったか思い起こしながら・・。
パンパースのコマーシャルでは青色の水なので、子供のおしっこの色が青色じゃないけどいいんですかという親がいるよと。
お米を研ぐのに洗剤を使う人がいてビックリしましたとか。

米はササニシキが良い。
コシヒカリというのは元々ササニシキで、品種改良したのがコシヒカリ。そういう事らしいです。
コシヒカリはもちもちしたお米に品種改良しているということで、食べやすいかも知れないけど、米アレルギーとか・・・もちもちの米が米アレルギーになりやすいとか、アレルギー症状をうったえる人も増えているということが、ネットに出てたと娘から情報を得たので。

参加者
ササニシキは作るのが難しい。

三救責任者
少ないと思うよ。

図19
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『浄霊力を身に付けて安心立命の生活』
私達は浄霊力を身に付けて安心立命の生活が送れます。送れています。
子育ての思い込みがありませんか?と。
そういうことに気付いたら、そうじゃないんだよと目を覚まさせてあげるというのが布教なんですよという事があります。

それから、

図20
zu-20

『検診の問題点』
ここに書いてある以外の同じような事で、「検診の問題点 人間ドックが必然的に異常な結果を導き出すカラクリ」ということが、プレジデントに載っていて娘が買ってきたのを見せてもらったんですけど。
「信じてはいけない健康診断、お金がムダになる最新検査」 ということで、
人間ドックは日本特有で海外では行われていないそうです。人間ドックの数字というのは、検査項目が多いんですね。検査項目が多いので異常を指摘されることが多い。だから、カラクリがあって、9割の人が異常と診断される仕組みになっているそうです。分布とかで解説してくれているんですけども、人間ドックが病人を不必要に作り出しているのでは、と指摘する医師もいます。それから、究極的には、お金を払ってまで人間ドックを受けなくても、最低限健康診断をしておけばいいと考えます。この人の話ね。
しかし当然見逃しもありますが、100パーセントを目指しても無駄だということをまず言いたい、と数字的にね。なぜならば、100パーセントを目指すと、結果的に無駄な検査をたくさん受けなくてはいけなくなってしまうからです。

心配して受けて、何等か見つかるとそれに対して心配してしまうので。
検索項目が日本は多すぎて何等か引っかかるんですよ。皆、血圧なんか引っかかるしね。

参加者
お腹周りもね。

三救責任者
腹周りもね。全員メタボだしね。(笑)

健康の健を書く 健診 もあるんですよ。それは、戦前の徴兵検査がベースとなっていて、日本以外で実施しているのは世界で数か国らしいです。
出兵するかどうかというのを決める時の話です。徴兵の時の。
それで、健診によって死亡率が低下するといった明確なエビデンスがなく、リスクのある精密査やムダな医療につながるとして、欧米諸国で実施している国は、皆無なんですと。
それと、高血圧の話で、老若男女問わず一律の判定基準というのは実態にあっていませんという風に指摘しています。
これは何回もメシヤ講座で出てきましたけども、
「高血圧は放置していいって本当?高すぎて不安です。」という質問に対して、この医師が答えている。
「血管というのは加齢とともに柔軟さを失っていきます。そこで心臓はポンプの出力を上げ、全身に血液を循環させようとします。だから年を取れば血圧が上がるのは当たり前。高齢者の場合、検診での血圧が高めでも過度に神経を尖らせる必要はないでしょう。高血圧と正常血圧の間の境界性の場合、運動で肥満を解消したり、塩分を控えたりするといった生活習慣の改善に取り組めば、薬を使わなくても高血圧の進行を予防することは可能です。」

健康診断についてそういう事が書かれていました。

参加者
私、この間話を聞いてきたところでは、塩分はよほどとらないと関係ないですとおっしゃってる方がいらっしゃいました。

三救責任者
血圧の数値自体の設定がいい加減ですので・・。

参加者
そうですよね。

三救責任者
人為的に病院に来て欲しいから、移動させてるだけで。
僕も会社に行ってる頃、180ぐらいあった。

参加者
塩にもよるよね。

参加者
そうそう、精製塩じゃなく天然塩ならいいって。

三救責任者
それと、9ページに『口伝の桃太郎物語』というのがありましたよね。
359行に〝夫婦の道″というのが、

図21
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昔は桃太郎は〝夫婦の道″とか〝性教育″とか〝人間とはどうあるべきか″ということがすべて盛り込まれた長編だったのです。
ということがあって、〝夫婦の道″ということは、解説は少なかったかと思いますけども、教祖祭の時に話をしたんですけども、
『常立の神の贖いなかりせば、此天地(あめつち)は滅びしならめ』
という御詠からですね、
『国常立尊様の裏は閻魔大王で、神の律法を作られた方です。大変厳しい方なのでその時分の人間が窮屈なので押し込めた。押し込めた大将は天若彦です。“あがない”というのは、国常立尊様のお嬢さん(稚姫君尊)が天若彦と夫婦になった。ところが、若彦は道楽者の御大であった。稚姫君尊は空閨を満たすため、素戔嗚尊と姦通し、父の国常立尊が背負われたのです。
自分のつくられた律法にふれて押し込められたわけです。押し込められたのは、厳しいため、娘の不行跡のため。』

という話があって、その時に、神の律法という、 神律 という、この中心が 夫婦の道 ということで、

『その律法とは夫婦の道を中心に説かれています。だから、「世の乱れは夫婦の乱れからであるぞよ」とあります。この律法は人民全てに当てはまるもので、今までもこの法律というのは通っていたわけですけども、霊界が暗いので結果がすぐには表れなかった。それが早く通るようになる。悪い事をしても分からないから悪は面白いんですけども、すぐ分かるようになるとつまらなくなります。』
あまり知られてないかと思いますけども、稚姫君尊が姦通の罪を犯したと。国常立尊はおそらく八百万神に娘の不行跡を責められ、律法にそって罪を背負われた。娘の姦淫の贖罪の為と厳しすぎたことが引退させられる直接原因なんだと。だから、神律という、神にも律法と言われてるけども、その中心の教えというのは『夫婦の道』であるということです。そこが元。その律法の元は夫婦の道。娘の不倫の責任を娘婿先導の世論によって御隠退なされたということになるわけです。
夫婦の乱れ→家庭の乱れ→世の中の乱れと。そういう風に反映していった、というのをずっと引きずっているということです。この方式を三千年間、癖として引き継いでしまっていることが世の乱れに繋がっている、反映しているよ、ということは、いかにも現代にありがちなことの繰り返しが世の乱れの元だったと。神様を押し込めていたことに繋がっていたということで、私達の御神業というのはまず個人として『夫婦の道』を正して家庭円満にすべての家庭がなっていって欲しい、こういう事を中心に据えるべきであろうと思わせて頂きました。

これはブログに投稿してあります。

夫婦の道という事で話をしましたけども、ここに出ているのは、実は桃太郎の話が出ていまして、ここの桃太郎の話はご存知かと思いますので、日本のおとぎ話から行きますと、先生も何かのところから出してきた話ですけども、コトタマ学という本からの『桃太郎』

図22
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日本のおとぎ話
桃太郎の話が出てきました。
コトタマ学 言霊の会 島田正路著より

今から二千年の昔、物質科学文明の進歩を促進するために、精神文明のエッセンスである言霊の原理は日本人の意識の底に隠されてしまった。
崇神天皇によって、三種の神器と天皇との同床共殿(神様を祀ったところに一緒に寝起きする)の制度の廃止が行われたのがその現れである。
同時に将来物質文明が完成に近づいた時、再び言霊の原理が日本人の脳裏によみがえり、物質文明の原理と共に車の両輪となって人類の新しい時代を建設するための準備として、種々の施策が講じられました。
私たちが子供の頃、母親から聞かされたおとぎ話も、その施策の一つであると言ったら驚かれる方も多いことでしょう。
日本に伝わる桃太郎や舌切り雀、花咲爺さんなどのおとぎ話は、実はアイウエオ五十音の言霊の原理を巧みに内容に盛り込んだたとえ話なのです。
そのおとぎ話のいくつかの作者は、平安時代の学者菅原道真だという説があります。今に天神様と尊敬され、学問の神様と讃えられる菅公ならばとうかがい知れます。(菅公とは菅原道真のことです)
因みに「学ぶ」の語源は真名・真奈で五十音言霊のことである。
著者 島田正道氏が、言霊学の師 小笠原孝次氏より教えられたところに基づいて説明しています。
それで、桃太郎だけ要約して話をしますと、

「桃太郎のおとぎ話は文明の創造」 僕がタイトルを付けました。
おじいさんとおばあさんの名前を、伊邪那岐神・伊邪那美神といいます。
創造主であり、言霊の神です。
「山へ柴刈り」とは八間(やま)で人間の知性が現われる大本のリズム。
柴は霊葉(ひば)で人間の霊性を表わす要素の言葉の意味で五十音の言霊のことです。
「川へ洗濯」川の名を築紫の日向の橘の小門の阿波岐原の川の瀬といいます。洗濯とは禊祓(みそぎはら)いのことです。
言霊の数は五十個、その五十個の言霊をどのように並べたら人間精神の完全な鏡が出来るかの操作手順が五十個あり、その手順を禊祓いという。合わせて百の原理があります。
川から桃が流れてくるとは、禊祓いによって百(桃)の原理が出来上がること。正月の鏡餅(百道(もち))も同じことの表徴です。
桃の中から桃太郎が生まれるとは、この百個の原理を理解し、これを運用する人が生まれたということです。

私たちから言えば、メシヤ様ということかな。

百個の人間生命の根本原理で人類の歴史を創造していく実行者である。
古事記に出てくる意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)は、伝説の桃太郎のこと。
大いなる御稜威(みいつ)の身という意味で、言霊の鏡に基づいて歴史を創造する神である天照大御神のことを示している。

メシヤ様はご自分を桃太郎とおっしゃておられるのだから、この神様はメシヤ様のことかなとも思いますね。

鬼の お は言霊の オ のこと ⇒ 物事の関連性(緒・尾)を調べること。

だから、祭典の意義をもとめること、ということに繋がってくるかなと思いました。

鬼の に はその関連性を学問として第二次的にまとめていくこと。

意義を求める過程で関連性をまとめていますね。そういうことにも通じているのかなと。

そこから科学、産業の世界が展開してきます。
それは古事記に示される須佐之男命の支配する世界であり、人類に素晴らしい便利な生活の道具(宝物)を実現したと同時に、権力闘争の道具に使われ、戦争による生命の危険、人心の荒廃、公害の発生をもたらしました。
いつまでもこの宝物を鬼の独専の手に委せておくわけにはいかない。天照大御神の生命の原理の中に取込まなければならない。
おじいさんとおばあさんは、黍(きび)団子を作って桃太郎に持たせました。
きびとは伊邪那岐の岐・伊邪那美の美 の 岐美 である。
古事記で岐美二神の結婚によって生まれてくるのは、三十二の実相の単位であります。言霊子音であり、言霊の玉(団子)百個の言霊によって組織された人間精神の完成体の鏡です。
照らし合わせることによって、初めて科学の成果を人類の福祉に奉仕させることが出来ることになります。桃太郎からきび団子を貰って、犬(言霊  イ)、猿(言霊 ウ)、雉(言霊 オ)、そして熊(言霊 ア)が家来となってお供をしました。現在は、熊が省略されています。
仏教で言えば、仏陀に従う四天王のことである。
この場合、桃太郎は原理(言霊 イ)に基づいて、言霊ウオア(ウは欲望・オは経験知・アは感情)を自由に操作する実戦智である言霊 エ にあたります。
かくて、桃太郎は四天王を従えて、鬼ヶ島に乗り込み鬼たちを征伐します。
物欲と権力闘争に明け暮れしている世の中に姿を現し、言霊の原理を高く掲げて世の矛盾を解消し、鬼ヶ島の宝物である科学文明の利器が人類全体の幸福な生活に役立つ恒久平和の世界を実現させます。桃太郎の凱旋である。めでたしめでたし。

以上桃太郎のおとぎ話は、現代の科学文明が完成に近づいた時、その科学文明と、数千年以前、すでに完成されている精神文明のエッセンスである言霊原理とが相携えて、人類の新しい第三の文明を想像する様相を予言したたとえ話だといえます。

文明の創造の話でしたでしょ?
細かく分からなくてもいいんですよ。
言霊ですよ。五十音で。昔話というのが五十音。古事記に出てくる神様の名前、神様というのは順番に出てくる、それは五十音です。五十音の最後は何でした?五十番目。神様の名前。

参加者
・・・

三救責任者
五十音の最後だから、古事記の物語でいくと、伊邪那岐命と伊邪那美命が最後に生んだ子です。

参加者
火之迦具土神

三救責任者
そうそう。もう生めないでしょ、焼かれてしまったら。
順番に数えていくと五十番目というのは、大祓祝詞の話をしている時に順番にやったことがありましたけども、五十番目が火之迦具土神。その神様が秋葉神社といって浜松にあります。一番最初の言葉、「あ」 とすれば。「す」 というのはまた別に重要な事で出てくるという話も前にしましたけども、古事記の最後の神様、五十番目ですから、言霊ね。
それを今度は運用するというのがまた五十音あって、あわせて百ということがさっき出てきていましたけども。
伊邪那岐・伊邪那美の生んだ五十の神様の最後。五十番目というのがあって、それを運用していくというのがまた五十あって、合わせて百というのが、ここの百にも関わってくるということで。

参加者
運用・・?

三救責任者
分からない世界ですので・・。
分かるところだけ分かればいいんだから。(笑)
ふーんと思っていたのが、また繋がってくるんです。今のこともやった話でしょ?桃太郎のことも違う事でやって、言霊のことも違う事でやって、それがくっつく時が来るので、それがくっついた。
桃太郎のことを読んでいて、島田正路さんの本を昔からあって読んでも分からなかったけれども、こうして桃太郎のことが出てきてもう一度見直していたら・・

参加者
時期が来たらということ?

三救責任者
うん、時期が来るまで分からないということがあるので、頭の片隅にこんなことって、またそこを読みに行けばいいんだから。覚えておけばいいかなと思いました。
だから、言霊というのが大事だよと。朝から言霊の話が出ましたね。

参加者
言われた方からしたら「ん?」って思うから、そこをユーモアを持って。

参加者
叡智とか・・。
・・そう言えば、さっき愚痴言っちゃったなぁって思って(笑)

参加者
いいの。大丈夫。その後でそのあたりちゃんと・・・。

三救責任者
やっぱり話が出てくるわけだ。やっているとね。

参加者
ねぇ。(笑)
出来過ぎくらいな。

三救責任者
全部繋がってくるので。
書いてやってると、色々入ってくるけれども、これ(天恩地惠)が先に作ってあったのに、これにつながった話がくるんですよ。それは面白い、実際。

図23
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あるところから繰出し位牌の質問がありましたと言ったら、これに出ていたし。
そこでは、メシヤ講座をしっかり読まれたらどうですかという回答をされたそうですけども、もう学んでいる人だからね。そう言えば出ていたなと思って。検索すれば出てくるのでね。

それから、言霊の話で言えばここの中にも臓器が複雑に出来てくる元が言霊ですと。色んな学者の捉え方があるので難しく考えなくていいですけども。臓器ね。宇宙のことと、臓器のことと、先生は生命誌のことは何回も話をされているというのは、こういう本を読んでそれに当てはめて、今の桃太郎とか、そういう話も他から持ってきて言霊の事として解説されています。

図24
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それと、『⦿』(す)の御神体をお参りする人が増えていく事によって大転換が行われるということが、言霊の事で探していて。

図25
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大石凝真素美の話の時に「す」に関連する文章、 「純乎(じゅんこ)として・・」というのが出てくると思いますけども、そこは「す」というのを唱える前に読むのが、言霊として発してみるのがいいかなということが書いてありましたね。
大石凝真素美の文章の話です。言霊に出してがいいかなと思って。またスタンドFMに乗せようかと思っています。あれはなかなかスッとは読めないと思うので、あれをスッと読めるようになると、「す」という概念、「す」というのが生れて言霊に発するということが、何となく尊い存在の言葉を発するのだなという風に思えてくるのかなと思います。
大石凝真素美も三重県に関係していたということでね。亀山だったね。
亀山に住まわれたことがある。伊勢神宮が近いのでね。そういう関係で。伊勢神宮が燃えるのを予言して、大石凝が燃やしたのではないかと疑われたこともあった。最後は亀山の・・・探しに行ったけど分からなかったけどね。

5月5日もそうですし、10月10日もそうですけども、言霊を理解する上においてはですね、重要な事かと思います。


仏滅がいよいよ表面化してきたんじゃないかということを最近感じる。
僕も思うのが、最近、 御祈願 とか 救霊 の祈りを捧げることが多くなってきました。
昨今の情勢ということもあるんでしょうけども、祈りの場が失われてきていると感じます。
というのは、誰かがお亡くなりになっても家族葬ですよね。お参りしたくても出来ないということが・・仕方ないですけどね、そういう事になってきています。祈りの場というか、お別れの場というか、そういった場というのが失われてきているんじゃないかなと感じます。
現界から霊界へ旅立つとき、故人の偲ぶ場が失われてきていると思います。
先日、妻が言うには、仏滅の現れではないかと。
そして、何かしら祈りたいという気持ちはあると思うんです。そういう場、未信者さんが祈りを捧げたいと参拝されることも何回かありました。
祈りと言うと、その(部屋に掲げられている御額)「救世済民」ね。
辞書で引くと。
「済民」 とは 民の苦しみを救うこととか、人民の困苦・難儀を救うこと。
「救世」 ということも、乱れた世の人々を救うこと。宗教の力でこの世の苦しみや罪穢れから人々を救うこと。

そういう事とですね、さっきの神社とか誰でも行けるところ、誰でも寄って祈る場、そういうところが必要だなと。
ここは浄霊も出来ます。そういう救いの場です。
ということで、繋がってきました。

参加者
もう一つは、仏の世界が無くなって、その中で縁がない人によってはここへ参拝されるということは、一番尊いメシヤ様のところに行かせて頂けるということで、有難いことだから、目に見えないけど、自然にそうやって来させて頂いているということもあるのかなと。

三救責任者
何らかの霊界での繋がりとかがあって、ここへ寄せてくれているような。
「参拝させてください」って来るから。未信者さんが。

参加者
特に最近多いから。

参加者
多いんですね?

三救責任者
うん、そうそう。

参加者
だから、ふとした時に、やはりそういう感じでみえるということは、仏滅の世になってきたという事なのかなって私は思う。

参加者
その人達は宗教とか全然関係なくて?

三救責任者
していない。

参加者
それで、ここで「参拝させていただきたい」って?

参加者
知り合いだからね。そのつながりであるかも知れないけど。自分達で感じているものもあるだろうし、やはり、そうやっての働きとして、お互いに知らないけどそのように動かされている・・・という。

三救責任者
それで、例えば仏壇のところへ行って手を合わせたけども、それが叶わないからどうしようとか・・。

参加者
子供が少なくて、最終的に自分達は亡くなった後どうしようということで、悩んでくる人もあるし。

参加者
あっ、つい最近、従兄が墓じまいをするって聞いたんです。
コロナ禍で会っていなかった従兄に、お墓参りに行った時に偶然会って。
その時に、墓じまいをするという話を聞いたばかりです。
あぁ、そうかぁ・・・と思って。
どうしたらいいかとか、こちらも言えないし。

参加者
私達の中での気持ちとして、自分の中でさせて頂こうっていうことで。参拝させて頂いて、繋げてもらっていたら、霊界で繋がってもらえたらね。

参加者
うんうん、うんうん。

三救責任者
先程の一番最高の神様に対して、前から、何でああいう風に、浜松でもやったように、そこの場へ行けないという状況になって、行けないけどどうしようということで、色々と考えたのが、ああいう形式だったわけ。
救霊祈願 ということが、あそこでやって、やり始めたらどんどん出てきたと。
そういう人がやっぱり居るんだなと。そういう人は繋がってくるわけですね。
救霊できるというのが分かった。
その場へ行かないといけないという思いがあったかもと思うけど、行って参拝ということが出来ないということが増えてきたということなので、ここで気持ちよく参拝できるのでね。

参加者
そういう風に求める方も一般の方でも増えてきたということですね。
出来る場所として。

参加者
色んな考え方があるでしょうけどね。

三救責任者
無理に宗教という枠組みで捉えるんじゃなくて、祈りの場としてね、それを求めてくる人はそれでいいし、もっと深くメシヤ様を学びたいというのであれば、こういうところに来ればいいし。浄霊だけと言うなら浄霊でいいし。それは色々あるね。

参加者
それぞれの働きで。

三救責任者
そうそう、どういう働きをするかと。

参加者
御用の一つとして。それも陰徳ということだと思うし。

三救責任者
だから、相手によってね。

参加者
その人に本当に気持ちがあればそういう風に繋がってこれるということですよね。

参加者
だから、そうやって耳に入った時は、「どうしたらいいかな」って思った時は、そうやって自分だけで出来るじゃないですか。

三救責任者
そういう場として、御神体のある家というのは、地域の救いの場になるので、霊線もあるし、霊線で繋がるから。

参加者
それで、霊界で働いてもらえるから。
働いていただくための、救霊・・という感じ。

(途中略)

参加者
こういう人もあるのよねって、家でしているんだって言った時に、気づく人もあるから。

三救責任者
こういう話をしていると、霊線がつながっていれば、感じるものがあれば感じるから。
また何等かの話は出るでしょうし。
自分達の学んできたことを出来るだけ。
知ってる事、学んだ事を、話が出来る機会に話をさせてもらえばいいわけで、強制は絶対にダメだから。
何等かの時にはご先祖様が働かれるから。

学ぶことは一通り学んできているわけですから、それをどういう風に応用できるかです。

(途中略)

参加者
子供は今は気付かなくても、母はこうやってしていたなというのが芽生えるから。その時でいいんだと思う。
黙っていても、子供は子供なりに成長してることも多いと思うしね。

三救責任者
ビックリするよ。親が思っているよりも賢い。

参加者
きっと色んなことを言わないけど考えてるし、見てるし、そうなんでしょうね。

参加者
私達の時代と、今の子供たちの時代というのは違うから。基本的なものはあるかも知れないけど。
だけど、昔のものを全部詰め込んじゃうと・・

参加者
そうですね、全然当てはまらないことが一杯ありますもんね。

参加者
だから、それはそれで、こちらも考えながら、お互いだろうね。教えられることも多いだろうし。
少しずつ、ちょっとしたことの会話で。繋がっていたら。

三救責任者
そう、会話できることが大事だね。

参加者
機嫌悪い時には「おはよう!」だけでも言っておいたらいいから。「いってらっしゃい!」だけでも。(笑)
「うるさいなぁ・・」で終わる。(笑)

参加者
「うるさいなぁ」って、「くどい」って言われる。(笑)

参加者
「ええ、くどいです!」って(笑)

参加者
カチン てならずに、認めておいたらいいですね。(笑)
「はいはい!」って。

三救責任者
いいことは諦めないが肝腎って言いましたよね。
悪い事は諦める。
いいことは諦めないが肝腎。

三救責任者
では、終わらせて頂きます。

司会
以上を持ちまして10月度月次祭ならびに一日祭を終わらせて頂きます。

参加者一同
ありがとうございました。

覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて

  令和6年7月1日 覚りの旅  令和6年7月 月年祭を終えて   三救責任者 月次祭おめでとうございます。   参加者一同 おめでとうございます。   三救責任者 令和六年七月度 覚りの旅の資料を最初に拝読していただけますか?   参加者 令和六年七月度 覚りの旅 資料 1 は...