令和二年二月四日
立春祭挨拶・二月度『覚りの旅』
三救責任者




202002資料-2
皆様、立春祭おめでとうございます。
昨日は厳粛に節分祭を執り行わせていただき、謹んで『大祓祝詞』を奏上させていただきました。そして、人類の罪をお詫び申し上げました。そのことによって本日より御神威弥増す訳です。そして、①救済力 ②浄化力 ③真理の具現 となって現れます。
さきほどは、弥増す御神威のもと地上天国建設の御力を賜りますよう主神様(メシヤ様)にお祈り申し上げました。
このように、三救において立春祭を執り行わせていただきますことを改めて心から感謝を申し上げたいと思います。

初めに、平成29年の立春祭での先生の挨拶文がメシヤ講座に掲載されておりますので、振り返ってみたいと思います。
三千年前の罪穢れの出発点について、
〇人類はどこまでもお詫びをしなければ天国というのは到来しない。
〇人類を代表して、三千年来の罪穢れを祓うことを求められている。
〇まだまだ浅いお詫びだった。
〇三千年前に素戔嗚尊が武力をもって押し寄せてきた。
〇伊都能売神皇様の皇位を奪おうとした。
〇大和民族は伊都能売神皇様の盾にはならなかった。
伊都能売神皇様は、日本人の命を慮って急遽皇位を天照天皇に御譲りになり、インドへ下られて行かれた。
〇しかし、二十八部衆しか付いて行かなかった。
〇大半の大和民族は武力に屈して、トップを護らずに、その武力に従ってしまった。
〇瓊瓊杵尊は、素戔嗚尊に付いてきた。
〇宮崎県の高千穂峡に潜んで、素戔嗚尊の失政するのを待っていた。
〇素戔嗚尊が癖で政治をやって行くと必ず失敗するだろうというのを見越した。
〇その失敗を待つこと3代、愈々治世が乱れた。
〇瓊瓊杵尊のお孫(神武天皇)が高千穂から出て東征。
〇東征時には飴と鞭、武力で当時の権力を撃破し、庶民に米の美味しさを伝えた。
〇鞭と飴で日本全土を制覇していった。
〇飴と鞭に大和民族は慣らされて行った。

三民族の特徴
〇元々出雲民族だった人の武力によって人を圧していく姿勢
〇天孫民族の人の失敗に乗じて全てを支配していく性格。
〇元々徳によって治める素晴らしい考え方を持ちながら、武力とかに屈していく
〇どの民族にしても、大きな、良い面と悪い面を持っている。
〇三千年間の中で我々は、様々なものを、生き方として、私たちの魂の中に沁み付いている〇平均的に、約10回生まれ変わっている。
〇三千年間の中の生き方で、我々にはずっと癖が付いてきている。
と御教導賜りました。覚えておいでですか。
そして、そのようなお詫びが昨夜出来たでしょうか。

資料に沿って、復習してみますと、

立春-1

〇出雲族
出雲族を考える時は、古事記に出てくる素戔嗚尊の行動とかを考えればわかるように、武力によって人を圧していきます。

〇天孫族
天孫族は人の失敗に乗じて全てを支配していきます。

〇土匪
土匪というのはコーカサス地方に起源があると教わりました。

立春-2

「全体的に山がちな地形で、山あいには様々な言語、文化、宗教をもった民族集団が複雑に入り組んで暮らしており、地球上でもっとも民族的に多様な地域であると言われる。」
ロシアだけではなく人種が多様に入り混じった地域なんですね。
土匪の性格としては、「反抗的、逃避的、下積み」ということを御教え下さっております。

〇大和民族
そして、元々の日本人の祖先である大和民族ですが、
立春-3
「徳によって治める良い面を持ちつつ武力に屈してしまう。
伊都能売神皇に従ってお伴したのは28部衆のみだった。
ここでは、素戔嗚尊に追われ、天照天皇に皇位を譲られてインドへおくだりになられる、伊都能売神皇の話ですが、ブログで何度も取り上げました『立春の御教え』にありますように、国常立尊様が治めていた時代も徳によって治められ、間違いは絶対に許さないという厳しい政治でした。それでは堪らないと天若彦は民衆をあおり失脚させてしまいます。その天若彦は、現代では天邪鬼という性格に受け継がれているのです。

【御教え】地上天国29号、昭和26年10月25日
二十八部衆
『「観自在菩薩は補陀洛山上柔らかき草地の上に、二十八部衆を随え、金剛宝座に結跏趺坐(けっかふざ)して説教をされた云々」』

参考
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2019年12月31日 (火) 15:56
「仏教では人間の煩悩を表す象徴として、四天王や執金剛神に踏みつけられている悪鬼」
「日本古来の天邪鬼は、記紀にある天稚彦(アメノワカヒコ)や女神天探女(アメノサグメ)に由来する。天稚彦は葦原中国を平定するために天照大神によって遣わされたが、務めを忘れて大国主神の娘を妻として8年も経って戻らなかった。そこで次に雉名鳴女(きぎしのななきめ)を使者として天稚彦の下へ遣わすが、天稚彦は仕えていた天探女(アメノサグメ)から告げられて雉名鳴女(きぎしのななきめ)を矢で射殺する。しかし、その矢が天から射返され、天稚彦自身も死んでしまう。」

〇霊統と系統
霊統と系統ということでメシヤ様は御教えくださいました。霊統というのは魂の繋がりで永久不変です。系統というのは変わりますし混血していきます。

〇混血するほど良い
立春-4
混血で種々の性格が混じるということは、色々な苦労をし、世の中の経験を多く積んだのと同様で聡明になります。
経糸は霊的で動きません。これが霊統ですね。
緯糸は左右へ動くのですこれが系統です。体的です。

『日本人種の霊的考察』の御教えから説明させて頂いているわけですが、メシヤ様は人数としては ①天孫族 ②出雲族 ③コーカサス ④大和民族 で、大和民族は1/100だということです。
そして、『日本人種の霊的考察』というタイトルですので、渡来人も日本人なのですよ。
四種とも日本人なのです。そして誰もが皆、それぞれの或いは複数の性格という癖を持って生まれてきているのです。自分は違う。というのは自分だけ蚊帳の外において傍観しているという事です。それもまた、「見て見ぬふりをする」という癖であるのですね。
そういう民族を代表して、人類を代表してというのは日本人が霊的に言えば人類を代表している、世界の型だからなんですね。
ですから、祈りを捧げる人の想念次第で、個人に限定してしまった祈りとなったり、人類を代表した祈りとなったりするのだと思います。
御神縁、因縁ということをどこまで膨らませて祭典に臨ませて頂けたのかだと思います。

伊邪諾(いざなぎ)尊が主神の代表神」御教え集十六号・・・158
が、今月のテーマです。そこで、伊邪諾尊様について調べていたのです。
先月の学びについて思い出してください。

 立春-5


伊弉諾尊の仕事ということで、
それから『今私がやっている仕事は伊弉諾尊の仕事なのです。』という箇所ですが、先ほどは『私が光明如来様としてのその働きをする』と出て来ましたね。先月は「仕事」ということにスポットを当ててお話ししました。御神名は神様のお働きを表しています。神様の仕事を表してもいるわけですね。
それで伊弉諾尊様の仕事ということで、古事記を例に御教えくださいました。
天の御柱の回り方ですね、妻の方が先に右回りをして失敗した、それで伊弉諾尊様の方から先に左回りをしたら天下が治まった。これは、右進左退ではだめで左進右退が本当のやり方なんだと、体主霊従ではだめだ、霊主体従が本当のやり方なんだということを古事記を通じて古代から教えてくださっているわけですけども人間は、分からなかったんですね。それで、霊主体従の一番わかりやすいのが『浄霊』なんだと。医学で治すのは体主霊従で、浄霊で治すのが霊主体従で本当のやり方なんだと、古事記に出てくる伊弉諾尊様の仕事を通じて御教え下さったわけです。
という内容でしたね。
伊弉諾尊様は『浄霊』『霊主体従』のお働きをされるわけです。
浄めの業ですね。朝拝で奏上させていただく『天津祝詞』は主人公は伊弉諾尊様ですね。
『皇御祖神伊邪諾尊 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 御禊祓ひ給ふ時に生ませる祓戸大神等』この『御禊祓ひ』というのも祓い浄める『浄霊』と受け止めさせて頂くならば、伊弉諾尊様は太古より現代に至るまで『霊主体従』の法則を連綿と繋ぎ続けて下さっておられるのではないでしょうか。そのように想いを致せば祝詞の奏上というのも深みが増して、神様にお聞き届けいただけるのではないかと思います。

古事記の神様
立春-6

先月に予習の意味でお話しさせて頂きましたこの図ですが、
古事記に出てくる神様を順番に書きだしました。
伊弉諾尊様は、国之常立尊の神様から神代七代(かみよななよ)と言って、七代目になるんですよ。
図の天之御中主の神から豊雲野の神までが独り神です。図の3から7までが、男女ペアの神になるわけです。それで、「このただよえる国を修理(おさ)め固め成せ」と。古事記の言葉ね。整え固めて完成せよということ。で、淤能碁呂島(おのころじま)という、日本の国ができてくるという。最初から数えると、17柱になります。
立春-7


立春-8

それで、天上の神々から国を整え固めて完成させよ。との命を受けて地上に降りて国造り、子造りをなされた。失敗しても改めてやり直し治められた。
ここが、体主霊従→霊主体従 に改められたから成功したのだと。御教えにあります。
それから水蛭子というのは葦船に乗せて流してしまいます。
子の数に含めないとわざわざ断っています。この葦というのが邪気を払うということで、ここに大祓いの思想性が現れていると古事記に注釈書きがありました。
水子というのもここから来ているのかもしれないですね。

それから、最初から数えて50柱目の神様が『火之加具土の神様』になります。
「神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神である。火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまう。その後、怒ったイザナギに十拳剣「天之尾羽張(アメノオハバリ)」で殺された。」
伊弉冉尊様は、火之加具土の神様を御生みになって、陰門を焼かれてお亡くなりになり、黄泉の国へ行きます。火之加具土の神様というのは、夫婦共同で御生みになられた最後の神様なのですね。ここから現界と幽界(黄泉の国)の記述が古事記では出てくるのです。
火之加具土の神様というのは現界と幽界の境界の神様であるわけですね。この神様を祭る総本山が浜松にある秋葉神社です。火の神様、火防の神様として祭られています。

名前の由来
火之=火 迦具=輝く 土=超自然的なものをあらわす
つまり、火の輝く神となるのです。

火之迦具土神(カグツチ)の鎮座

立春-9

本当に余談になりますが、火之迦具土神の主な鎮座地は、三重・別府・浜松 なのだそうです。別府の鶴見岳は、初めて玖珠に参拝させていただいた、主神様の御神体御奉斎9周年の時に、先生がご案内くださったことを思い出します。

話が横道にそれてしまいましたので戻しますが、
火之迦具土の神様が伊弉冉尊様を死に至らしめたとして怒った伊弉諾尊様は首を切って殺してしまいます。生まれて直ぐ父によって殺されてしまう悲運な神様です。

そして、伊弉諾尊様は黄泉の国へ伊弉冉尊様に会いに行かれます。
しかし、「見てはならない」というタブーを犯し、魔物に追われ逃げます。黄泉津比良坂を逃げるのです。後ろ手に刀を振りながら逃げます。「しりので」と言って、相手を困らせる呪術なのだそうです。
立春-10
立春-11
 

今の話は先月お話しさせて頂いた内容ですので、詳しくは先月の『覚りの旅』をお読み願います。

立春-12


黄泉の国から逃げかえった伊弉諾尊様は祝詞にあるように禊祓いをするわけです。
そして、三貴神と言われる天照大神、月読尊、素戔嗚尊 様を御生みになり、どこを統治するかをお決めになるのです。そして御頸玉(御倉板挙神様)を天照大神様にお授けになられるのも伊弉諾尊様です。
「伊邪諾(いざなぎ)尊が主神の代表神」という意味合いが国造り、子造りの主人公の仕事をなされたことから合点がいくのではないでしょうか。
宣長さんと大祓祝詞
先日、本居宣長記念館へ行きまして、いろいろ考えることがありました。
昨年も大祓祝詞を奏上させていただくにあたり、同様のことを思考していたのです。

宣長さんは言います。
「古への祝詞を読み申すとても、古の言をあやまたず、つとめてその読みを正しくして、かりにも後の音便にすたれたる言などをまじへず、清(す)み濁りなどをも厳(おごそ)かに守りて、ゆめゆめなほざりに読むべきにあらず」
そして、たとえ心がこもっていても、麗しくない言葉で綴った祝詞では、祈りも神に通じない、聞いて下さらない。相手に恋い焦がれていても、相手に渡す恋歌が感動を与える良い歌でなければ恋心は相手によく通じない、それは神様に申し上げる祈り言においても同じだ。と言うのです。
祝詞の始まりは、日本書紀に、天照大神が天の岩屋にお隠(こも)りになったとき、天児屋命(あめのこやねのみこと)は「広く厚く称え辞(ごと)を祈(の)み啓(まを)し」たとあります。祝詞を奏上されたのです。すると天照大神は「いまだかく言の麗美(うるわ)しきあらず。と仰せられ、磐戸を少しお開けになりました。それはまさしく天児屋命(あめのこやねのみこと)が「申す詞の麗美(うるわ)しきに(天照大神が)感賞給(めでたま)」うたからであります。だからこそ、正しく麗しい言葉を選んだ祝詞を作るように努めよ、と宣長さんは主張したのです。

そもそも「大祓詞」とは祓えの行法を行って、その後に祓えの行法を行ったことを改めて神様に申し上げる詞です。それを祓えの行法を省略して「大祓詞」だけ読み上げるのは、かえって神様を欺き申し上げるもので、たとえ詞が麗しくても、ただ読み上げるだけでは、罪穢れは清まらない、と宣長さんは語気強く注意したのです。

これを私達に置き換えてみるならば、祓えの行法とは、『浄霊』であり『御教えを宣べ伝える』ことではないかと思うのです。

それがお詫びの御神業なのです。
「三千年前に正しい神様を押し込めた人間側はお詫びをし続けなければ神威というのは弥増してはいけない訳です。そして、お詫びの御神業に取り組まなければお詫びした事にはなりません。それでより一層私達はお詫びの御神業に取り組ませていただくのです。」
と昨夜挨拶させていただいた内容に繋がっているのです。

纏めますと、日本の民族の殆どは、出雲族、天孫族、大和民族の別れである。
三千年間の歴史を振り返れば、武力によって人を圧していく出雲族、人の失敗に乗じて全てを支配していく天孫族、徳によって治める良い面を持ちつつ武力などに屈してしまう大和族に分けられ、何度も生まれ変わる間に癖が沁みついてしまっている。
その癖をしっかり把握して2月3日の節分祭で主神様にお詫びを申し上げる。
そうすることで、地上天国建設の在り方、私達のこれからの活動の在り方、信仰姿勢というものが明確になってくるのだということです。

自分は大和民族だからと思っている人も、権力に屈して、見て見ぬふりをしてしまうとか、情報を得る努力をしないで、知らなかったから仕方がない。私は悪くはないと自己防衛し、仏教的な諦めの思想に陥っていませんか。

そういう自分たちの癖をしっかり把握して節分祭で主神様にお詫び・・・主神様にお詫びを申し上げるのですよ。
ホツマに登場する神々も、古事記に登場する神々も、善の役、悪の役を担ってきました。
善悪を司る、主神様の命によるものであります。ですから、主神様にお詫び申し上げるのです。伊都能売神皇様や国常立尊様のお話をズーっとさせて頂いているわけですが、主神様の御神前で主神様にお詫び申し上げるのです。

お詫びできた人も出来なかった人も、さらにこれから1年間ずっと自分をしっかり見つめさせて頂いて、自分の中に色濃く残っている三千年間の癖をしっかり把握して、それを来年の2月3日に主神様にお詫びを申し上げ、地上天国建設の在り方を明確にさせて頂くのだとの思いで、これからの1年間に取り組んでまいりましょう。

祝詞のことで伊邪諾尊様のことを中心にお話しさせて頂きました。
本日は、三救の月次祭『覚りの旅』も兼ねておりますので、今月のテーマに入らさせて頂きます。
伊邪諾(いざなぎ)尊が主神の代表神」御教え集十六号・・・158
「天国篇」・・・66

立春-13
イランとアメリカの応酬を見ていて、「52カ所と言うなら、こちらは300カ所を攻撃する。」という記事がありました。

古事記に伊弉諾尊様と伊弉冉尊様の応酬があります。

「愛しい私のイザナギ。こんなことをするのならば、あなたの国の人民を 毎日1000人を締め殺してしまいましょう」 と言いました。
するとイザナギは 「愛しき私のイザナミ。 あなたがそうするならば、 一日に1500の産屋を立てましょう」 と言いました。

破壊されたら破壊するという思想では戦争になってしまいます。
その点、伊弉諾尊様のお仕事は、破壊するならそれ以上に創造すると言っています。
破壊と創造、文明の創造の在り方ですね。
善と思っている伊弉諾尊様の人民にも、悪の心を多く持つ、自然淘汰される人間がいるのだという事ではないでしょうか。
ユダヤ文化が推し進めた、物質文化、石油文化を見直す大転換期に来ているのだと思います。

伊邪諾尊様については、御教えの主なところを挙げてみますと、
〇天照大御神様もお祝いに来られたのです。それから月読尊、伊邪諾尊などです。
秋季大祭御講話(S27年9月27日)
主神様(メシヤ様)にお祝いに来られたのですから主神様ではないわけです。
〇比良坂の戦で、伊邪諾尊が桃の実を取って、敵をめがけて打つける、それで鬼共は敵わぬと逃げたというのでありますが、その桃の実が桃太郎になるのであります。
聖王母 光明世界5号、昭和11年1月25日
〇【問】分霊と化身について。
【答】分霊とはわけみたまと言い、人間にはないが神様はいくつにも霊を分けられる。しかし神社で同じ神様をほうぼうで祀る場合、神の分霊と言うが本当を言うと、家来の直系とか傍系などの神様もある。しかし天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とか高皇産霊(たかみむすび)、神皇産霊神(かむみむすびのかみ)とかはそうでないが、伊邪諾尊、伊邪冊尊、天照大御神などは人体をもって一度この世に現われ給うた神であるから、爪や頭髪を分けて祭られたのである。
化身で一番重要なことは、仏は全部神の化身であって、夜の世界の間は仏の世であるから神々は全部仏に化身された。天照皇大神が大日如来、月読尊が阿弥陀如来、稚姫君尊が釈迦如来というようにである。従って、仏滅ということは仏がみな元の神格に還り給うことである。善言讃詞に「観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明加来と現じ 応身弥勒と化し」とあるが、観音は伊都能売の神であり、ミロク神の化身である。従って、いずれは観音という御名もなくなる時が来る。霊界ではすでにほとんどなくなっている。
地上天国4号、昭和24年5月25日
〇皇御祖神伊邪諾尊  天津祝詞・救世(メシヤ)教版

〇私がやっている仕事は伊邪諾尊の仕事なのです。それで古事記にある“天の御柱を両方の神様が廻り合った”ということがありますが、最初伊邪冊尊すなわち妻神様の方が右まわりをした。そうしたところが世の中がうまく行かなかったので、要するに失敗したのです。そこで伊邪諾尊が「そうらみろ、オレが最初右まわりはいかんと言ったのに、お前が右まわりをしたからそうなったのだ。」  御講話(S27年11月17日)

左進右退という霊主体従の仕事で『浄霊』ということに代表されます。
祝詞にある禊と祓いそして浄霊という仕事ですから、主神様のお仕事を人間界で行う代表の神様であるわけです。
しかし、メシヤ様のように主神として生まれたというわけではないのです。
人間界で主神様とお呼びできるのはメシヤ様だけなのだという事になりますね。

『天国篇』
立春-14

『天国篇』をお書きになられている目的についてメシヤ様は次のように御教えくださいました。
【御教え】御教え集5号、昭和27年1月15日
それから、五六七の世について、「文明の創造」の天国篇を書き始めたですが、天国篇の最初の――大体基礎的の意味ですね。そういう事を書いたんですが、今読ませます。
(御論文「天国篇」)【栄光 第一三七号】
 これから、色々――経済、教育、芸術、社会機構ですね。そういうものも、私が書いていくつもりです。人類世界というのは、こうなるべきものだ。こうすべきものだ。こうすれば、戦争とか病気とか貧乏とか言う――色んなそういう苦しい事はなくなると言う説明書ですね。で、これを、出来あがったら、英文に訳して世界中の主な識者ですね。そういう方面に読ませるんです。要するに、新しい文明ですね。新しい文明の教育ですね。それをして、そうしてなるほどこういうやり方は本当だという――昔から――西洋の学者の言う――つまりユートピア的な理想や、色々書いたのがあるにはあるようですが、つまり徹底しなかったものを――今度は、はっきりと、こうだ。というように書いていくんですね。私はあんまり見ないけれども、そういうふうに思われるんです。そうして、つまり、やる事が――設計書というのが、これが天国の福音なんです。聖書にある「天国の福音を普く述べ伝えらるべし」というのは、これなんですね。「しかる後末期至る」というんですね。そうして、浄化力が強くなる。浄化力が強くなって、一番現れるのは病気ですね。人類が、病気が起こって、どんどん死んじゃうんです。 そうすると、医学で治そうとして、ちょっと触ると、ころっと死んじゃうというんです。注射したら、即座に死ぬ。つまり浄化力が強いから、固まっている時間がないから、医学じゃ駄目です。で、メシヤ教が言ったあれに違いないというので、ワーッと来て、頭を下げるんです。そう単純に――すぐにはいかないですが、結局そこにいくんです。そうして五六七の世が出来るんです。今読んだのは、世の中の――世界の組織ですね。その根本ですね――そういうものを書いたんですがね。「文明の創造」という本は、天国の福音と――その「天国の福音を普く述べ伝えらるべし」と言ったところで、これは世界人類に知らせなければならない。それを信じないで亡びるのは、自業自得なんですからね。神様の方は、ちゃんとやるだけの事はやって、世界中にたくさん、つかまるように綱を出している。つかまらないのは、つかまらないものが悪いんだから、亡びるよりしようがないですね。そういう根本は、意味があるんです。段々メシヤ教の動きと、世界的に浄化が段々強くなるという事や何かも、それから色んなことがありますけれども、結局段々そこにいくと、大体解る訳ですね。




「人間が幸せになっていく道」
三重支部 です。
「文明の創造」を仕上げていくという壮大な構想をお聞きしそれではどのように?と思いをめぐらせておりました。
「文明の創造 天国篇」には天国篇の説明と「ミロクの世の実相」の御論文しか残されておりません。しかしここにヒントがあるように思いました。メシヤ様は、天国篇について『文明世界設計の根幹となるものである。』そして、『主神の御目的である地上天国を建設する基本条件としては、何よりも大自然の実相そのままを表す事である』と御教えくださっておられます。『之迄の世界は一切に調和が欠けていた』『本来宇宙の原則としては、日月地の三段階が正しい順序である』とお述べになられ、「ミロクの世の実相」でミロクの世になった時の国際状勢として『国境は現在のままであるが、実質的には撤廃されたと同様になる』『隣国に対する権利は平等になる』世界議会があって『如何なる問題でも慎重審議の上可決する』各国の国会もあるが『議員の素質も立派で自利的観念を棄て何事も世界的人類愛的に解決する』『法律は善人に必要ないから非常に少なくなる』『世界各国に武力はなくなる』とお書きになられました。

そして、「文明の創造 既成文化の謬点」に『文明の創造は現代文明に対する原子爆弾で宗教、思想、哲学、教育、科学、芸術 悉く包含されている。』とありますが、芸術、教育、自然農法に関する御論文の掲載が少ないように思います。

地上天国建設の基本条件である大自然の実相をそのまま表し調和できるようにするには、そして、「ミロクの世の実相」の世界になっていくには、どのようにしていくのか、個人個人としてはどのような生活を営んでいったら良いのかを具体的に天国篇でお示しになられるおつもりではなかったのでは?と思わせて頂きました。そしてそのことが、これから私達が研鑽し仕上げていくことなのではと思います。

そういったことからも「人間が幸せになっていく道」というのは適切なテーマではないかと思いました。
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2010-02-11 10年前のメシヤ様のご精神を現代に求める座談会 のタイトルを皆で決めている頃の投稿です。
この後、『文明の創造』の発刊は許されました。
そして、『天国の福音書 続編』を次々と出していく予定でおられました。
頓挫している様相でありますが、三救として何が出来るのか、どういう形が望ましいのか、模索しつつ前進してまいりたいと思っております。
最後のメシヤ講座
「『天国篇』文明の創造」は平成29年3月に拝読し学び合う御論文でした。
ですから本部(当時)でのみ先生のメシヤ講座がありました。
最後のメシヤ講座が『天国篇』であったわけです。

メシヤ講座no.193本部(平成29年3月)
<今月の御教え>「『天国篇』文明の創造」(昭和二十七年)

本来の人間の体の使い方

先生
例えていえば、そういうように人間の体というものは本来の使い道があるにも関わらず、自分が正しいと思うが故にそのようなこともしてきたということがあるので、その一つ一つを今私は痛みに耐えながら考えて、人類が犯して来た「本来の『主神様』が御造りになられた内容」と自分達が良いと思ってしてきたことのあいだの、その罪穢れなどを充分見つめながら今取り組ませて頂いております

そうしたことをある程度自覚できて、これから人類を救済して行く為には、そうした一つ一つの細かいことまで御取り次していかなくてはならないという、そういうことが分かった上で神様に更に御詫びをして、お誓いをする中で痛みの方は段々と取れてきました。しかしながら、出張から帰ってからずーっと寝た状態でいるので、なんせ腰が痛いので皆様の前で不恰好な姿勢で祭典に臨まなければいけなかったことを大変申し訳なく思っております。

しかしこの浄化を乗り越えて行って、そして御神業に臨ませて頂ければ、きっと人類の為、将来の地球の為、将来の宇宙の為に、そういう動きが出来ていくのではないかと思いますので、どうか今後も皆さん方には支えて頂いて御神業を共々に担って頂ければ大変有難いと思います。

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天国篇をテーマにメシヤ講座で最後に先生が残されたお言葉ですので迫るものがあります。
〇主神様の御意図を求め罪穢れを見つめる。
〇自覚して、細かいお取次ぎをさせていただく。
〇更にお詫びしてお誓いする。
この繰り返しの中で、浄化を乗り越え御神業に臨ませていただく。

きっと人類の為、将来の地球の為、将来の宇宙の為に、そういう動き・・・
『天国篇』地上天国建設の動きが高まってくる。
支えて頂いて御神業を共々に担って・・・『メシヤ様の御教えを伝える』『浄霊実践』
そして、メシヤ講座の学びを現代に伝えていくことなのです。
本日は立春祭おめでとうございました。