令和元年十月度『覚りの旅』御教え
令和元年十月度『覚りの旅』御教えは、
「神仙郷完成兼美術館開館記念祝賀式典御講話」
「最後の審判」文明の創造
です。
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「神仙郷完成兼美術館開館記念祝賀式典御講話」昭和二七年六月十六日
神様の御経綸というものは面白いもので、丁度果物の種の様なものでして、まあ梅なり桃なりが、実そのものは世界なんですが、種がつまり中心になる訳です。中心という事は、今はっきり言う事は出来ませんが、種の中心に又種の元があるんです。
そういう工合でして、そうして世界を色々するには、一番小さい種が変るんです。そうすると、丁度池に石を拠り込んだ様なもので波紋を起します。そういう様なもので、世界を天国にするには、極く中心の中心の小さい・・そこを色々に変えるんです。色々変えるというのは、天国を造るんです。天国を造るその本尊様がつまり私なんです。
ですから、私というものは、世界の極く中心なんです。その中心というものはポチ(ヽ)なんです。で、丸(○)にチョン(ヽ)ですね。之が宇宙の形なんです。丸(○)が宇宙でして、チョン(ヽ)が肝腎なのであります。それが私の救いの仕事になる訳なんです。それは非常に神秘ですから、精しく話すると面白いんですが、未だ時期がそこ迄行っていませんから、時期を待って居るのです。
見らるる通り地上天国の、大体箱根の模型はできたわけなんです。特にあの通り美術館も思い通りできたので、私は非常に満足しているわけです。大体メシヤ教というものは、地上天国を造るという意味で、最初の――つまり地上天国の模型を造るんです。で、世界の経綸は、すなわち神様の御経綸というものはおもしろいもので、ちょうど果物の種のようなものでして、まあ梅なり桃なりが、実そのものは世界なんですが、種がつまり中心になるわけです。中心ということは、今はっきり言うことはできませんが、種の中心にまた種の元があるんです。そういう具合でして、そうして世界をいろいろするには、一番小さい種が変わるんです。そうすると、ちょうど池に石をほおり込んだようなもので波紋を起します。そういうようなもので、世界を天国にするには、ごく中心の中心の小さい――そこをいろいろに変えるんです。いろいろ変えるというのは、天国を造るんです。で、天国を造るその本尊様がつまり私なんです。ですから私というものは、世界のごく中心なんです。その中心というものはポチ(ヽ)なんです。で、丸(○)にチョン(ヽ)ですね。これが宇宙の形なんです。丸(○)が宇宙でして、チョ ン(ヽ)が肝腎なのであります。それが私の救いの仕事になるわけなんです。それは非常に神秘ですから、精しく話するとおもしろいんですが、まだ時期がそこまで行っていませんから、時期を待っているのです。なかなか、神様のことは深いんです。そこで地上天国を造るということは、それがちょうど石を投げて波紋 を起すように、だんだん広がって行って世界が天国になるということになるんです。ですから、小さくても――単にこれだけのものでいても、これが非常に大きな意味になるんです。ですから六月十五日――これが過ぎると同時に変わるんです。箱根は、いつも言う通り霊界になるんです。熱海は現界になる。ですからこれが過ぎると、今度は熱海の地上天国の方が非常に捗ってまいります。それで熱海の地上天国ができると今度は世界的に変わります。それは目に見えるような変わり方になります。今のところは霊の方ですから、はっきり――著しくは見えないが、なんとなく変わっていきますよ。それは確かです。
昨夜、今度アメリカから来た宗教研究家というか、宗教調査と言いますか、これは新聞にも出てましたが、ブレーデンという人ですが、日本における神仏両方 ――既成宗教を一週間ばかり前に簡単に調べたそうです。新興宗教も調べて、昨日はメシヤ教を調べた。その時のいろんな質問応答がありましたが、アメリカは ――これはこの間話しましたが、緯の棒の中心であり、日本は経の棒の中心である。それを結ばなければならない。それを結んで初めて真の文明が生まれるという話をしたんで、非常に喜ばれていたようです。だからしてあなたがここにお見えになったということは、つまりそのきっかけだというようなお話をしたんです。ですからそういう意味において、昨日は六月十五日ですから、十五日にアメリカの人が宗教的の意味で私とそういう話をしたことは、やはり今言う緯と経が結ぶごく最初の――まあ、画き始めになるという意味なんです。この間京都に行った時にも、名古屋で講和記念日に中教会で私は話をしました が、その時に今日は経緯の結びの日だ。講和記念日というのは、そういう大きな意味が含まれている。それは名古屋という土地が、関東と大阪、京都――関西の間です。その中間が名古屋です。ですから中京というのは、ちょうど十字の結び目になるんだから、今日の日ここに立ち寄った。その話もしましたし、講和記念日とそういう関連があるという話をしました。それがだんだん現われるというのは昨夜がそうです。現われのごく初めです。そういうような具合で、地上天国は だんだん時期が進むに従って具体的になっていくんです。それは世界の動きを良く注目すると分かります。なかなか興味もあるんですよ。
しかし良い方の話ばかりして嬉しがっても、なかなかそこまで行っていませんから――まだ油断はできないです。というのは要するに浄化です。人間の身体の 病気ばかりでなく、世界の浄化があります。今われわれの方は天国建設の方の仕事をやってますが、世界的には大破壊の仕事をやっているんです。これは毎日の 新聞に出ている通り、いかに破壊すべきや、という大仕掛けな計画をしている面もあるんです。で、破壊と創造です。これを世界でみると、創造されつつ破壊さ れていくんです。ちょうど花と同じで、花の髓が出かかって同時に花弁が散っていくんです。ですから花が散る方が破壊で、髓ができる方が創造の方で す。そうして髓がだんだん大きくなっていく。やっぱり散花結実です。そういう頭をもって、これからのいろんな出来事を注目すると、大体分かります。(後略)
「最後の審判」文明の創造 昭和二十七年
時機の到来と共に、主神(エホバ)の神意の発動は、之以上の遷延は許されないからであり、最後の審判は目睫に迫りつつあるからである。そこで神は先ず第一番に医学に対し、審判を開始されたのであって、此事が先ず私に命ぜられた使命である。というのは曩に述べた如く人間生命の解決こそ、文明の根本条件であるからである。従って此問題を解らせるためには、今日の人間に解し得らるべく、時代即応の説き方でなければならないのである。而も前人未開の真理であってみれば、猶更そうでなければならないので、之を以てみても此著は、有史以来の偉大なる文献であって、此大任を負わされた私としても、責任の重大なる、到底筆舌に表わす事は出来ないのである。@
私は之迄、現代医学の誤謬と、真の医学の在り方とを、微に入り細に亘って、徹底的にかいて来たので、大体分ったであらうが、然し之だけでは全部ではない。といふのは今迄説いて来たものは、体的即ち唯物面の方を主としたのであるから、謂はば半分である。従って残りの半分の面が、根本的に分らなければ、真の医学としての全部は分らないのである。
尤も今迄説いた中にも、霊の実在と霊の本質と、霊の作用影響等は、相当かいたつもりであるが、それは病気そのものに就ての直接的解説であって、之から説く処のものは人体の内面である霊に関する一切である。従って宗教とは離れられない霊に関する以上、結局は宗教に迄発展し、神霊の本体に迄及ぶのである。
然し此所説が最後に到って、宗教とはなるが、既成宗教のそれの如き、信仰一点張りの独善的のものではない。言う迄もなく経文、聖書、御筆先の如き、神秘幽幻な説き方ではない。飽く迄論理的、実證的であって、寧ろ科学的、哲学的といってもいい程のものであるから、現代人と雖も之を精読すれば、理解し共鳴しない訳はあるまい。換言すれば今日迄何人も説き得なかった処の、高遠にして人間が触るる事を恐れてゐた、深い微妙なる謎の本体とも言ふべきものであって、之を徹底的に開明するのである。といふのは現在迄の世界は宗教的、形而上的の殆んどは神秘の幕に閉され、其実体が明かにされなかったからで、それが為神といふものの本質は分り得ない為、神の実在なども一部の人を除いては、信ずる者が殆んどなかったのである。其結果唯物科学が絶対的信仰の的となり、遂に真理ならざるものを真理と錯覚して了ひ、物の正邪の区別さへ分らなくなり、折角苦心して成し遂げた人類の幸福に役立つ処の、発見発明と雖も邪神に利用され、本来の目的とは反対に不幸を生むべき道具にされて了ったのである。其結果病気の氾濫となり、経済的苦悩を生み、戦争の原因を作ったのであるから、斯うみてくると、此苦難に充ちた世界人類を救はうとするには、何よりも先づ可笑しな言ひ方だが本当の真理を開明し、世界人類特に文化民族の智識人に、自覚させなければならないのである。之が真文明を生むべき根本要素であって、之以外決してない事を私は断言するのである。此意味に於て、私は先づ医学の誤謬から明白にすべく、真理の鏡に照して、鏡面に映るままの真実をかくのであるから、絶対誤りはないのであって、私としても別段医学に対し、怨恨などある訳はないが、人類救済の必要上、止む事を得ないのである。従ってよしんば私が之を行はないとしても、誰かが神命によって行ふのは当然である。といふのは再三言う通り、時期の到来と共に、主神(エホバ)の神意の発動は、之以上の遷延は許されないからであり、最後の審判は目捷に迫りつつあるからである。そこで神は先づ第一番に医学に対し、審判を開始されたのであって、此事が先づ私に命ぜられた使命である。といふのは曩に述べた如く人間生命の解決こそ、文明の根本条件であるからである。従って此問題を解らせる為には、今日の人間に解し得らるべく、時代即応の説き方でなければならないのである。而も前人未開の真理であってみれば、猶更そうでなければならないので、之を以てみても此著は、有史以来の偉大なる文献であって、此大任を負はされた私としても、責任の重大なる到底筆舌に表はす事は出来ないのである。
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