2021年10月20日水曜日

覚りの旅  令和3年10月 三救祭を終えて

   覚りの旅  令和3年10月 三救祭を終えて

皆様、三救祭、おめでとうございます。

参加者一同
おめでとうございます。

三救責任者
本日の祭典に先立ちまして、加良比乃神社を参拝させていただきました。
加良比乃神社の御祭神をはじめ、すべての神々は主神様に帰一していくのです。
ということで、『主神様とメシヤ様』198ページ記載の御教えを確認させていただきます。
読んでいただけますか。

図1
1-sankyuusai



図2
2-sankyuusai




参加者
主神が何の為に宗教を造られたかと言うと、宗教は彌勒出現迄の世界人類をして、或程度以上の堕落をなさざらしめんが為の必要的限定的の経綸であって、主神は一方悪の活動を許容され、物質文化を開き、一方其の悪に因る弊害を甚しくせざらんが為に諸々の人傑を出し、宗教なるものを弘通せしめ、善悪を巧妙に織られたのである。故に今日迄の経綸は善悪、明暗、美醜、相交りつつ流転活動し、進歩し発達し来たのである。(中略)
所が主神が今回伊都能売大神に命ぜられて日本を基点として、大光明世界を作らせようとなさって居られるのである。(中略)
帰一、一とは元の神様、即ち主神の事である。それに帰する、主神に帰することであります。

三救責任者
はいありがとうございます。
今日のテーマかとも言えるかと思います。
今は彌勒出現までのという事とですね、必要的限定的の経綸だと、それから伊都能売大御神様に命ぜられて 、この時は昭和10年ですから、観音会を発足して大光明世界を作らせようとなされたということです。だから、伊都能売神様に命ぜられて観音会ですから、伊都能売神様が観音様となられて活動なされたのだということが、もうこの時に分からせていただけるかと思います。
これは、昭和10年の観音会発足後すぐに宗教の目的としてですね、今の内容ですけども、伊都能売大御神様、観音様、そして彌勒出現という最高位の神様が観音菩薩まで位を落とされて、大光明世界を作られると、そういう目的を明かされております。
それから、彌勒出現時には宗教の役割を終えて、すべての神々は主神様に帰一していくんだと、そういう壮大な目的と、観音様の『ご出世』、神々の主神様への帰一の御神業の本目を御教え下さっているわけです。
メシヤ様に関わる信者の使命というのは、最も大きく、尊く、素晴らしく、有難いものだと言えます。

次に十月ですので、10月26日のメシヤ教時代の祭典と比較しながらお話しさせていただきたいと思います 。
天恩地恵の20ページに
「定山渓の伊都能売観音様に、どうして『主之大御神守り給え幸倍給へ』という御神名を唱えたのですか?」という・・、これは岡山での質問に対してですね・・・この内容は読んでいただけましたか?

参加者
はい。

三救責任者
拝読していただければお分かり頂けると思いますけども、間違えたとしてもですね、間違えたり、口を突いて出てきたり、或いは言葉が出てこないというのも、理由があって人間の意志にかかわらず神様が操っておられるということがあると思います。
全ての神々は主神様に帰一していく、その一番手だったと思うのです。伊都能売神様、定山渓の話をしています。
ずっとメシヤ様と御尊称申し上げてきた事、それから、この 〇ゝ の主神様の御神体を世の中にお出ししたこと、それから、御光無しの浄霊を広めてきたこと、それからですね、〇ゝの意識づけ、が光背でが白毫だと、そういうことの関連性を、(私達が仏教講座で聞いてきたことであっても)、それを明らかにされて、さらにはミクラタナの神様の御神名を明らかにされたと、こういう御神業をなされたからこその御神名奉唱が許されてきたんだと思わせていただくのが一番いいんじゃないかなと思います。

それで、ブログの方に、資料としてアップした内容を、話していきます。 

図3
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定山渓と三救の方とその対比ということで、
9000年前、3000年前という話があると思います。
9000年前に国常立尊様が芦別山に後引退なされたと。
これは2月の時にお話ししましたように、ここでは、国常立尊様の娘さんが若姫岐美命様で、ご主人が天若彦であったと。若姫岐美命は素戔嗚尊と不倫、不実をはたらいたという事で、天若彦はですね、「厳格な神様なのにいいのか?」ということで、世論を煽ってですね、自分の作った法律、神律によって国常立尊様は芦別山に後引退なされたと。これは自らのご意志であったわけです。
よく力のある神様が、力によって押し込められたということではなくてですね、厳格な法律を作ったにもかかわらず、娘の不行跡を咎められて、自ら御隠退なされたということが一つとですね、
一方、この素戔嗚尊というのは何回も関わってきますけども、天岩戸隠れということで、天照皇大神様、天皇と皇后とございますけども、天皇の方を素戔嗚尊がおそらく殺害されたと。それで皇后の方には暴挙を働いて、たまりかねて天岩戸隠れがあったと。
ということで、その天照皇大御神様が先程の加良比乃神社の方には御祭神として祀られておりますという事と、それから、伊都能売大御神様というのは三救、加良比乃神社の方でも定山渓の方でもお祀りされているということです。
それから三重の方はミクラタナの大御神様というのがですね、この神様はおそらく三重だけだと思うんですけども。この神様の御神名を明らかにされたのがですね、N先生が〇〇の〇〇先生に明かされた、教えられたと。
それを、楳木先生が御神名を発表なされたという事があります。
その発表する、明らかにするということ、今まで隠されていた、知らなかったことを明らかにしていくということをなされたということがあります。 

図4
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この両方を対比して考えられるのが、テーマとして、定山渓の方では出世、神様の御出世。
観音様が御位を上げられてメシヤ様に御出世され世界を救われる。
メシヤ様を世に御出し申し上げると。そういう御神業というか、働きのところであると思います。
というのは、伊都能売大御神様の絵姿ではありますけども、「日之出観音様」と立て札があります。 
ご存知かな?
それは何故かということがずっと推測とか、話を色々されておりましたが、私が考えるに、日之出観音様というのはですね、後々メシヤ様がメシヤ観音とお呼びになっておられます。
これは、日の神様がメシヤの位に出世されるんだよと、ということの暗示的な、隠されていたというかですね、そういったことがあるかと、そういう事を考えさせようとされたのかもしれませんし、要は絵姿が伊都能売観音様の絵姿であって、立て札は日之出観音様なのです。
だから皆一般の人は日之出観音様として拝んでおられたかと思います。
そういう御出世ということの意義があったのかなと。 
観音様が出世されて、メシヤ様になられて、世界を救われるんだと、そういうことかなと思います。
 一方、加良比乃神社の方で行きますと、
メシヤ様は鋸山で天照皇大御神様、天照天皇をお迎えなされて、赤坂の日枝神社に御鎮座されたと。
そういうことがありますね。 
それでもう一つは、皇后の方ですね。
これもメシヤ様が元伊勢の方に参拝されまして、お迎えされて、伊勢神宮ですね、伊勢神宮に行かれて、この時までは素戔嗚尊が入れ替わって、すり替わっていたということがあって、その時に天照大御神様(天照皇后)に入れ替えが行われた、そういう神事が行われております。
だからこちらのテーマは、 迎えて鎮座 ということですので、 主神様に帰一 していく、帰一に繋がっていくんだと思います。
そういう古の時代の話があって、これが何を言わんとするかと言うと、国常立尊様を天若彦が煽って押し込めたということは今までも学んできましたように、事なかれ主義とか、見て見ぬふりとか、権力になびくとか、横車を押すとか、天の邪鬼とか、そういった性格を日本人には受け継いで、ずっと夜の時代の癖が染み付いているのだと。
そしてまた、素戔嗚尊も天岩戸隠れの方でいくと、すり替わったわけですから、すり替えとか、ごまかしとか、そういったことの癖も引き継いできてしまっているのだと。
そういう事をメシヤ講座の方でもですね、先生から御教導賜って、ずっと夜の時代の染み付いた癖を取っていくんだという御神業をしていくんだということを教わってきたわけです。 
こちらのテーマとしては、帰一ということで、
全ての神々は主神様御一方に帰一していく
そういうことが、対比してみると考えられるかと思います。

図5
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図6

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それでもう一つ、20ページの 787行目から加良比乃神社の御祭神を書かせてもらってあります。
今まで 御倉板挙(みくらたな)神様 伊豆能売神様 天照皇大御神様 についてですね、ずっと着目してきました。
あと、配祀されている、ご一緒におられる神様について書いてはいましたけど、僕もあまり意識が少なかったかと思うのです。この神様の御神名をしっかり見ていくとですね、五男三女の神なんですよ。 
ここに丸がふってあるのが、配祀されている神様です。
だから、全部。全部の神様が、須佐之男命様もありますよね。建速須佐之男命となっていますが。
天照大御神は5人の男の神様を産みました。
天之忍穗耳(あめのおしほみみ)尊、 天之穗日(あめのほひ)命、 天津日子根(あまつひこね)命、 活津日子根(いくつひこね)命、 熊野久須毘(くまのくすび)命。
全部ここに書いてありますよね。
それから、素戔嗚尊は三女。
多紀理毘売(たぎりひめ)命、 多岐都比売(たぎつひめ)命、 市杵島比売(いちきしまひめ)命。
それからですね、大山祇(おおやまくい)神。
この神様がですね、先日○○さんが浜松の日枝神社に参拝されますという話をしていましたよね、お迎えに行ってという話ね。それで気になって、大山祇(おおやまくい)神が日枝神社の御祭神でありますので、その日枝神社の御祭神が、浜松にも日枝神社がありますよということで、日枝神社というのは先程の鋸山でメシヤ様が天照天皇を御迎えして御鎮座されたところです。
実際の先ほどの立て札みたいな関係もあると思うんですよね。
実際の看板に書かれてるのは、天照皇大御神様居りませんね。
メシヤ様が知っておられるだけですから。メシヤ様が御迎えしてされたわけですから。
日之出観音様の立て札に伊都能売観音様の絵姿とか、同じような感じですよね、実際にはね。
それで、大山祇(おおやまくい)神が日枝神社の御祭神であるという事と、この神様も非常に関わりがあるんだなと思って。
この神様は比叡山の麓の日吉大社、滋賀県大津市が大山咋(おおやまくい)神を祀る全国の日枝神社の総本社であります。日吉大社には後に大物主神が御勧請(ごかんじょう)されて、大物主神を大比叡、大山咋(おおやまくい)神を小比叡と呼ぶそうです。これは Wikipediaの説明です。
それで、山王はこの二神の総称。山王社とか言うじゃないですか。
日枝神社はね、山の王って言うんですよ。
そして、大物主は西本宮に、大山咋神は東本宮に祀られると。
東の方が僕等は上だと思うけどね。
ここでは大物主の方が上にしていて、同時に大物主大神と書いてありますね。790行のところに、大物主も居られると。
だから、この大山咋(おおやまくい)と大物主の神様が一体のような感じなのです。
そのように日枝神社が関係してましたよというのね。
だから私たちの御神業に関わる神様が居られるよという事。
それからもう一つ、ここには水波能売(みずはのめ)神、水の神様ですね。 
火之迦具土、秋葉神社が総本山の。火之迦具土の神様を産んで陰部を火傷して苦しんでいた伊邪那美がした尿から和久産巣日(わくむすび)神と共に生まれたのが水波能売(みずはのめ)神だそうです。
それから、宇迦之御魂神はよく調べていません。
建速須佐之男命が出てきます。須佐之男命は三代居られたという事で、神須佐之男命・速須佐之男命・建速須佐之男命。この建速須佐之男命は三代目だそうです。
一代の神須佐之男命は御教えでいきますと、朝鮮から渡来して日本を占領した。奥さんは乙姫であると。この初代の神須佐之男命は西洋へ行って大日如来にもなっていると。で、阿弥陀にもなってるという事です。
それから、二代の速須佐之男命は大蛇を殺して櫛名田姫と結婚した。出雲大社に奥さんを囲う神社を建ててという話の。
三代が建速須佐之男命。その子供が後継者として大国主命。出雲の方ですよね、結局。
因みに、大国主命の長男が事代主で、神武が攻めて来た時に「参った」と言ってすぐに降参した。その弟が建御名方命と言って、最後まで抵抗して、相手がやっぱり強かったので諏訪湖まで行って飛び込んで龍神になったと。神武に征伐されたというのが弟の建御名方ということだそうです。
で、五男三女神というのが、先程出てきた神様。この五男三女神は、伊都能売神皇が観音様になって、印度へ渡られる時に「行きたくない」と言って八大龍王になって、今は人間になって光明世界建設の為に活動しているんだという御教えがあります。龍神になって時を待っていたという事ですね。
それから、応神天皇。メシヤ様の前世。メシヤ様は御教えで 『私は天皇にもなったことがある。それは応神天皇で、最初、麹町で治療所を作った時「応神堂」と称した』と。昭和23年9月28日の御教えです。
大和民族であられるわけですね、応神天皇も。
そういう神様方がですね、加良比乃神社の方にも居られたんだよと。
調べていて気付きましたので、紹介させていただきました。 

因みに先程、日枝神社の御祭神の大山咋神って出てきましたけども、『天恩地惠』の22ページの889行の所に、文字起こしの奉仕を担わせていただいての所感 ということで以前書いた中にですね、こういうニュースがあったと。

世の中は「建物を支える杭の工事のデータが流用される」という、地中の杭という目に見えない箇所の不正が次々と明らかになり大騒ぎです。これからも、善悪の立て分けが顕著に表れてくるのではないでしょうか。
改めてメシヤ様を真っ直ぐに見つめて御神業に取り組まさせて戴かねばならない、と思わせていただきました。

ということで書きましたけども、この大山咋神というのは 、大山に杭を打つ神。咋(くい)は杭と同じらしくて、大きな山の所有者を意味するそうです。山の地主の神とか、農耕を司る、これは鍬にも通じるそうで農耕を司る神だそうです。で、また一方、国土開発の神とかも言われているそうです。大山咋神ね。

図7
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それで、善言讃詞の
一天四海観音の仁愛(メシヤ)の御手に帰一され仁慈の御胸に抱かれん 
とありますよね。
先生から教わったのはですね、「一天四海観音の」のところで黙って唱えるのが、
「世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ光明如来と現じ應身彌勒と化し救世主(メシヤ)とならせ」 と、メシヤまで上がっていくんだという事を想念で思ったうえで、
「仁愛(メシヤ)の御手に帰一され」 という事を学びました。
そうするとですね、もう一つの御教えとしてこの『主神様とメシヤ様』で、以前学ばせてもらった中で、 
「メシヤというのは人間の名前です。神様は、主の神・・・エホバですね。」 と。
これは『主神様とメシヤ様』の179ページにありますけども、読まれましたよね。
メシヤというのは人間の名前です。神様は主神様です。
そうすると、これはちょっと私の見解になりますが、
「一天四海観音の」で、人間はメシヤの御手に、神々は主神様に帰一じゃないかなと。
今回のテーマは 帰一です。そう思うんですよ。
だから、文面からして「一天四海観音のミロク・・」だと戻るじゃないですか。「救世主(メシヤ)とならせ」だから、やっぱりその時はここというのは、「仁愛(じんあい)の御手に」とは言い難いので、これはやっぱり「仁愛(メシヤ)の御手に」 が正解で、人間ですからね、人間の最高位がメシヤという位ですから、救世主でもある。そこに、そこの御手に帰一されていく、人間としてはね。
で、神々もいるので、その全て、主神様に帰一していくんだと。
だから、メシヤ様は主神様でもあられるわけで、それは、人間界を救われるという。 
そういう意味合いでとらえれば、善言讃詞のところの、改ざんしたんじゃないかというのはですね、自分達が想念をきちんとこういう風に持っていればですね、全然、これが正解だと思えばいいわけで、そういう事かなと思います。

ということで、
本日は「御出世」、「帰一」ということを中心に学ばせていただきました。
日々の祝詞奏上においても観音様がメシヤ様にまでお働きを変えつつ、御出世なされて、
主神様に帰一していく、全ての神々も帰一していくという想念を持って、
日本から世界に言霊を響かせてまいりましょう。

本日はおめでとうございました。

司会
以上をもちまして三救祭を終わらせていただきます。

参加者一同
ありがとうございました。

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