stand.fmで音声配信しましたが、ブログでの掲載を忘れておりました。
遅くなりましたが、掲載いたします。

令和5年3月3日
  覚りの旅  令和5年 メシヤ降誕本祝典記念祭を終えて

三救責任者
皆様、メシヤ降誕本祝典記念祭、おめでとうございます。

昭和25年6月15日、メシヤ様の御腹中の光の玉に、ミクラタナの神様が宿られ、『メシヤ様』という御位になられます。
そこからお光がなくても、浄霊の光が出るということにつながっていきます。
この御位ということを、『文明の創造』を拝読させていただくことで確認できますので、御位が上がられたということを認識するために、来年から3月3日に『メシヤ降誕本祝典祭行予定記念祭典』のような形で執り行いたいと思います。

ということを、平成26年11月のメシヤ講座三重で先生がお話しされました。
このような、想いを持って『メシヤ降誕本祝典記念祭』は平成27年3月3日より始まりました。
本日の祭典の意義は、メシヤ様という最高最貴の御位に上がられたということを認識させていただく、一人でも多くの人にこの認識が広がっていくことです。
『文明の創造』の科学篇の学びも3月の「種痘」で終え、宗教編・「最後の審判」から4月度の学びが始まります。『主神様とメシヤ様』の音声配信も始めております。
ここでメシヤ様の御神格を認識させていただくために、「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」への先生の13年前の投稿文を、ご紹介させていただきます。

天上の王権のシンボルである御頚珠(みくびたま)は装身具的なものではなく、『ミクラタナの神様』と申し上げて主神様の神御魂そのものであります。だからこそ、メシヤ様は『最高最貴』と敢えて仰せられたのです。このことを知り得てこそ、勘違いや取り違いを起こすことのない信仰ができるのです。
さて、ここでいよいよ、昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」に何故「仮」を付けられたのかという推論に臨みたいと思います。
解答を得るために、時系列をもう一度整理いたしますと、昭和元年の御啓示によってメシヤ様は御自らの腹中に光の玉が存在することを御自覚されました。大本教時代から他の誰よりも奇蹟が顕著であった理由を再確認されたことと拝されます。
それ以後、御啓示の検証を重ねられると共に光の玉が絶対的な救済力を発揮されるという確証をお持ちになります。救世主の任を担う御決心を固められたメシヤ様は、昭和6年6月15日『夜昼転換』の御神事に臨まれます。この際、天照皇大御神様を迎えられて日枝神社に御鎮座申し上げました。
この御神事を契機にして絶対的な救済力は浄霊法という形に整えられます。そして、浄霊力の伝授方法を確立されて昭和10年御立教になられます。
御立教後も御苦労を重ねられますが、その極みである御法難に見舞われた際の昭和25年6月15日、光の玉に神御魂が御宿りになられます。この神界の秘儀により、それまで神示をいただきつつ御神業を推進される御立場から神人合一の御境地に立たれます。
その過程で信徒が浄霊を取り次いで、いただいた奇蹟の数々は、それ等一連の繋がりが真実であることを裏付けするものです。それなのにです、昭和29年6月15日の「メシヤ降誕仮祝典」に「仮」を付けなければならなかった。この式典は、本来昭和25年に執り行うべきものです。しかし準備が整わなかったために4年もずれ込んでしまった、と受け止めなければ理解のしようがありません。この最大の理由は、『御神格に異論を差し挟む』という一言に帰する訳です。
「仮」を付けられ「本祝典」への思いが高まれば・・・、と考える推論です。昭和30年3月3日の「メシヤ会館」の竣工に併せて「メシヤ降誕本祝典」を執り行う予定になっていた訳ですから。「メシヤ様とお呼び申し上げさせてください。」と弟子達一同平身低頭でお願い申し上げれば・・・、と考える推論です。
私達が現在ただ今『メシヤ様』とお呼び申し上げて絶大なる奇蹟を日々いただいていることの幸せを改めて噛み締めるところです。この度、奇蹟の背景を深く認識することができましたことは、求道者としての宝をいただいたことであり、自らが更なる探求に努めつつ御縁のある方々へ宣べ伝えてゆかねばならない使命を有するものです。一段と堅い誓約を胸に膨らませました。
 
ミクラタナの神様がメシヤ様の御腹中に御宿りになられて神人合一の御境地に立たれます。「仮」を付けられ、「本祝典」への信者の思いが高まれば・・・と推論された先生の当時の境地に想いを馳せる時、『メシヤ様』とお呼び申し上げて、メシヤ降誕本祝典記念祭にのぞむ信者さんがどれだけおられるのだろう、と思います。そういった意味で3月3日は、メシヤ様の御神格を求め続け、認識を許される人が増えていくために毎年毎年執り行わせていただくべきであると思わせて頂いております。
それぞれの置かれた立場、持ち場で参拝のあり方も異なって当然だと思います。
それぞれに与えられた環境で一人でも多くの人に、メシヤ様の御教えを宣べ伝え、浄霊を取り次がせて頂きましょう。

今拝読しました内容で私が一番重要だと思うのは、メシヤ様の御神格の認識ということです。私も皆さんと同様、先生に導かれ、メシヤ教とご縁を頂いて、『メシヤ様』とお呼び申し上げることの重要性を知り、以来ずっとお呼び申し上げて参りました。そして『主神様とメシヤ様』の編纂作業に携わってメシヤ様の御神格を求め続け、学び続けてきているわけです。そしてまた、この本を手にして研鑽をされる方々やホームページやブログを通して、多くの人が御神格を求めて学び続けているのだと思います。
メシヤ講座で先生がよく教えてくださったように、周囲の意見や言動、心ない発言に思考を止めてしまってはいけないのです。自らの頭で考えてみてください。私たちは何事も御神書を基準において考える、行動する、回答を得る、ということを積み重ねてまいりました。その具体的な方法を示してくださっているのがメシヤ講座であるわけです。
本日の「メシヤ降誕本祝典記念祭」という祭典の意義ということも、メシヤ様が「メシヤ降誕仮祝典」で「仮」を何故おつけになられたのか、各支部各出張所の皆さんで話し合って祭典に臨んで頂きたいと先生はご教導くださいました。
しかし先生は推論を既に2010年6月、今から13年前に我々に、いや「メシヤ様の御精神を現代に求める座談会」の投稿ですからネットを見ることのできる全ての人々に向け、示して下さっておられたわけです。
メシヤ様がお出ましとか、メシヤ降誕本祝典と、さらには『メシヤ様』と普段から御尊称を申し上げていても、そのメシヤ様とは。メシヤ様はどのような御神格をお持ちになられて、この地上に人類をお救いになられるために現れてくださったのか。というと、神人合一であられました。その神人合一であられたことの認識を持たれる、認識していく人が増えていく、そういうことの祭典であると言えるのではないかと思います。
すでに昭和25年にメシヤ様の御腹中の光の玉に、ゝ(チョン)、ミクラタナの神様、最高最貴の神様が御宿りになられて、その魂が地球大にまで大きくなられ、地球上どこにいてもメシヤ様と思えば、つながれば、浄霊の力が授かるんだと、そういう時代を迎えているんだ、素晴らしい事なんだと教えて下さっておられるわけです。
さらに言えば、もう、人類の作った科学の技術で、宇宙の遥か彼方まで行って砂を回収してきました。アメリカも火星の物質の回収に成功しています。そして生命の起源に迫ろうとしています。
そうすると光の玉は地球大から宇宙大にまで広がっていると考えて良いのではないかと思います。
地球上どこにいてもメシヤ様と認識すれば浄霊が出来るのです。地球人であれば浄霊の力が授かるのです。ということは、お光とかの物ではなくて、あるいは聖地や御神体御奉斎箇所という限定する場所ではないと思われます。しかしながら、私たちはより丁寧に御神前でご報告をさせて頂いております。
しかし『祈りの栞によせて』『入門と奥座敷』を手にして見よう見まねで浄霊をしてみたら体調が良くなったという報告や、まだ書籍は読んでいないが手をかざしたら光がビームとなって相手、浄化者の急所、患部に当たっているというのが見えたりします。光が発射されているのがわかったという子供の報告があったりするわけです。
相手を思って「メシヤ様、お願いします」と、念じて手をかざせば奇跡という恩恵にあずかることができるのです。危急の場合や最初は、ただ「メシヤ様」と手をかざして浄霊をしてみて」と言えば良いのです。そして奇跡が出て、もっとこの道のことを知りたい、メシヤ様のことが知りたいとなったときに、聖地や信仰拠点や御神体御奉斎家庭にご案内すれば良いのだと、そういう新たな救いの展開の時代を迎えているのだと思います。
そしてメシヤ様の御神格を認識させていただくために研鑽を続けていくということが大切なのです。
この認識ということを今日から頭において信仰生活を送っていただければ大変ありがたいと思います。

そして、平成28年3月のメシヤ降誕本祝典記念祭での先生の挨拶において、教義について触れられております。教義と言いましても、御神体を何故御奉斎していただきたいか、ということに言及しておられます。

『世界救世(メシヤ)教教義』は『日本観音教団教義』と『五六七教教義』を合わせたものである、とお話ししました。既に拝読をした方もいらっしゃるかと思いますが、拝読されていない方もおられると思いますので、今から司会に拝読していただきます。

ということで、平成28年3月の本祝典の時ですけども、
メシヤ様の御腹中の光の玉に神御魂、ゝ(チョン)が宿られた。その形が『 ⦿ 』、この御神体の形であります。このことについて、教義をもとに想いを語られました。
先程、『世界救世(メシヤ)教教義』を拝読していただきましたけども、冒頭は「抑々、世界の創造主たる主之大御神(エホバ)は、・・・」ということであります。そこを念頭に置いてお聞き願いたいと思います。

日本観音教団教義
◇…大宇宙を創造され給ひし造物主たる主の大神は、此の地上に天国を顕現すべく太初から大経綸を行 はせ給ひつつあるのである、之が為神の代行者として人間が造られ、又万物は人間の為に造られたる事を信ずると共に今日迄の歴史はその為の準備工作であり、其時代々々に必要なる人間を顕はし給ひ 夫々の使命を遂行させ御目的を達成され給ふのである。
◇…主神の御分霊たる聖観世音菩薩は仏界に下られ給ひし御名であって専ら救世済民の為三十三相に変現化身せられ、或時は光明如来と現じ、又或時は応身彌勒と化し、実に応変自在自由無碍の御活動をされ給ふのである、茲に世界の大転換期に際し、神幽現三界の救済の為無限の力を発揮され給う事になったのである、其暁病貧争絶無の世界は樹立され、人類の理想たる真善美の完き光明世界は、茲に実現するのである。
◇…本教顧問岡田自観先生には、観世音菩薩が人類救済の為の代行者として選ばれたる力徳者たる事を信じ、吾等は其聖業に参加を許されたる光栄を感謝すると共に、全力を尽して神意に添ひ奉らん事を期するのである。(光号外  昭和二十四年五月三十日)

立教が昭和二十五年二月四日ですから、その一年前、わずか一年前の日本観音教団の教義です。
さらに、もう一つ、五六七教会の五六七教教義。

五六七教教義
◇…無限絶対無始無終、宇宙の主宰神たる主の大神は、理想世界顕現の御目的を以て、各時代、各地域に聖物賢哲を出し、救世の経綸を行はせ給ふ事を信ず。
◇…主の大神とは、泰西に於てはヱホバ、ゴット、ジュウス、ロゴス等々、中国に於ては天帝又は無極、亜細亜に於ては梵天、大自在天、アラーの神又は天之御中主の神と称え奉る。
◇…主神の分霊たる観世音菩薩は、大光明如来又は応身彌勒の御名によって千変万化の御活動をなし給ひ、末法濁世を浄め三界万霊を救はせ給ふ事を信ず。
◇…観世音菩薩は最後に五六七の御力を揮はせ給ひ病貧争を根絶し、地上天国出現の聖業を完成し給ふ、其大偉業に参加を許されたる吾等は、無上の光栄と信ず。
◇…地上天国とは、人類待望の真善美を完全に具現せる世界にして、万民和楽の永遠なる平和世界たるを信ず。 (光号外  昭和二十四年五月三十日)

この二つの教義を昭和25年2月4日にまとめて、『世界救世(メシヤ)教教義』をメシヤ様はお作りになられたわけであります。
メシヤ様を教祖と仰ぐ各教団はこの教義に基づいてやったのかどうか、この中にメシヤ様が込められた御意図ということをもっと求めて行かなければ『御神業の本筋』というところには繋がっていきません。
メシヤ様が二つの教団を纏めて教主として立たれて、そして『世界救世(メシヤ)教教義』に基づいて神観を・・・、私達が御神業として取り組む内容を明らかにしていただきましたので、それに基づいてより一層御神業を進めさせていただきたいと思います。

ということを、御教導下さっております。
それで、御神業の本筋ということで、『メシヤ様』と御呼び申し上げていく、認識していくことによってですね、非常に厳しさ、立て分けが出てまいります。

メシヤ様の『本筋の御神業』というのは厳しい面もございます。
取り分け、観音様の御働きだけではなくて国常立尊様の御働きも加わってきますので、『メシヤ様』と唱えた時には絶大なる御光を賜ると共に『立て分け』の厳しさが表面に出てきます。自分自身の魂自体が浄玻璃(じょうはり)の鏡に照らし出されるような状態になってきます。上に立つ者程、そういった想念を以て御神業に臨まなければいけないということが一つあります。
そうした意味からも、本日こうして本祝典の記念大祭をさせていただくということは大変有難いと共に、厳しい面も出てくるということであります。
しかし、先達の方々が悪いことばかりではないのは当然でありまして、メシヤ様の御神業を進めていく数々の教団を作ってくださった訳であります。その方々が布教において大事にされた「るナ三訓」と「布教三訓」というのがございます。これは布教していく上においては大変重要なものでありまして、そのことを実践することができれば、それぞれの拠点がより発展することが許されていきますし、先達に対して“本祝典を開くことが出来なかったということだけで批判して行きますと、我々も大きな御神業を担うことが出来ない”ということに陥ってしまいます。

「るナ三訓」は何度もメシヤ講座で出てきておりますね。
「布教三訓」と「るナ三訓」ですけども、改めて言いますと、

「布教三訓」 というのは、
◎メシヤ様と共同作業をさせていただく
◎恩は着るべし着せるべからず
◎寝食を忘れてやりなさい

「ルナ三訓」 というのは、
◎威張るな
◎怒るな
◎早まるな
ということであります。

威張るほど人は逃げてしまう。
怒るほど神は離れ去ってしまう。
早まるほど自分の中の自分が分からなくなってしまう。
ということを、教えて下さっております。

威張るな ― たくさんの人を救ったからと言って偉ぶってはいけません。
怒るな ― 例えば分からない人は何度でも同じ質問をされます。そんな時にも、「この前言ったじゃないか」と怒ってはいけません。何回でも、同じことでも答えてあげなさい。その人にしみついた癖というものがあります。その癖に対して、いちいち腹を立てていては人を救ってはいけないのです。
早まるな ― あせって問題が解決できたと思い込んでしまってはいけません。浄霊で言えば、平均浄化ということもあります。左が良くなったからと言って、早まって浄霊をやめてしまったのではいけません。
ということが、メシヤ講座に出てまいります。

観音教団と五六七教会の話をしましたけども、一方の長であった○○先生のよくおっしゃっておられたのが、前にも学びましたけども、
「叱りは光り」と。
よく叱られる人がおりますけども、「叱りは光り」なんだと。役に立つと思うから叱るんだと。叱ってもダメだと思えば叱りはしないよ、という。厳しい先生でしたけども、この人は役に立つと思うから叱ってるんだという事を、話をされています。
「叱りは光り」

それで、もう一方の△△先生の方はですね、
「焦らず、怒らず、怠たらず」という三箇条。
「焦らず、怒らず、怠らず」ということで、『御用の人』の中に、
「導いた人の浄化を解決するためにお世話をする。それが困難な人ほど前世に関係があった同志で生まれてきて師弟関係になってくる。だから、礼節と順序は厳しいものなんだ。この神様の御用をする人は代々前世の夜の時代の建設者だった。いわば、霊的な意味で罪つくりをたくさんしている。そして今度は昼の世に生まれてきて神様の御用をさせていただいて罪滅ぼしをするようになるのであるから浄化は厳しいよ。その霊を浄めていただきながら、ひとつひとつ浄化を解決していく中で向上していく仕組みになっているのだから浄化も厳しいが、解決したときにその喜びも大きい。辛いこともあるが辛いことだけじゃない。必ずその中には楽しみもあるはず。その辛いこと楽しいことの繰り返しのなかで修行させられていくのだから、浄化に負けないでしっかりやりなさい。そして、そういうことを体験するほど将来のために大きな力となるのです。それには「焦らず、怒らず、怠らず」の三箇条を守っていきなさい。」
これが△△先生の信条であったと。
なかなかいい言葉を残されていると思います。

最後になりますけども、
世界中どこにいても、宗教宗派を問わず、(お守りに頼らずとも)、『メシヤ様御浄霊をお取次ぎさせて頂きます。』とメシヤ様に祈って『浄霊』の手を翳すことが人類の『救い』に繋がっていくのです。
 『メシヤ様の御神格』を求め続けて、学びを継続しているからこそ、『メシヤ様』と御尊称申し上げ、『浄霊』のお取次ぎが許されているのです。
この素晴らしき『浄霊』の恩恵に与れる人々を増やしていこうではありませんか。
メシヤ教に世界を冠して昭和25年に開教されたことによって、どのような言語でもメシヤ様にお祈りを捧げることにより『浄霊力』が授かって行く時代を迎えてもう73年になります。今後それを一人でも多くの世界の方々にお伝えしていくというのが私達のお役であろうかと思いますので、こうして『メシヤ降誕本祝典記念祭』を執り行わせていただいた皆様方一人一人と手を携えて御神業を進めさせていただきたいと思います。どうか宜しくお願いいたします。
本日はおめでとうございました。

司会
以上をもちましてメシヤ降誕本祝典記念祭を終わらせていただきます。
ありがとうございました。

参加者一同
ありがとうございました。



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