2019年7月12日金曜日

令和元年7月度『覚りの旅』を終えて

覚りの旅 令和元年7月度 勉強会を終えて

三救責任者
今日は、126頁ですね。お願いします。
結論。

参加者
結 論   世界救世教奇蹟集  昭和二十八年九月十日

 私は以上の如く百二十に上る色々な奇蹟の実例を載せたが、これを見たら如何なる人でも驚異の眼を瞠らない訳にはゆくまい。一言にしていえば、これこそ最高神威の表現であり、空前の救世的福音である。成程小奇蹟は昔からその時代々々の宗教によって示されている事は文献等によっても明らかであるが、これ程超奇蹟が数多く、然も普通人でも短時日の修得によってその力を与えらるるとしたら、この事自体が已に大なる奇蹟である。即ち凡人であり乍らキリストと同様の奇蹟を顕わし得たり、何等医学の素養のない者でも、医学博士以上の治病力を発揮出来るとしたら、到底真実とは思えないであろう。只私が憂慮する点は私という人間を通じて行われる以上、余りの不可解さに反って一種の疑問が起り、躊躇逡巡する人もなきにしも非ずと思うからである。
 次にこの著を読んだ人々が、最も知りたいと思う事は私という人間の本体であろう。私と雖もこれを詳しく知らしたいのは山々だが、時期尚早の為今暫くは発表出来ないのが遺憾である。そうして特に言わねばならない事は客観的にみてこれ程偉大な神力を発揮されるとしたら、救世主以外にない事は推察されるであろう。これに就いては昔から俺は救世主也と自分自身そう思うのかも知れないが、堂々と名乗りを挙げた者も幾人かはあったが、何れも一時的でいつしか消えてしまったのは知る人は知っているであろう。然もキリストの予言にもある通り、後世偽キリストが現われるから注意せよとの警告さえあった程で、今日では最早それに惑わされる者は一人もあるまいから今更自分は救世主などと言ったところで仕方がないであろう。
 然も文化の進歩した今日智性の発達した現代人に向っては、只嘲笑を買うのみに過ぎまい。併し乍ら厳乎たる事実を見せられるとしたら、何人と雖も信じない訳にはゆくまいし、私が現わす奇蹟そのものは、如何に冷静に見てもメシヤ的価値は充分認め得る筈である。この意味に於て私を以て救世主又は再臨のキリスト、下生の彌勒としても敢えて不思議はないと思うが、それはその人の自由に委せるとしても、最後に至れば万人に分る筈である。それは世界人類は私の救いによって真の幸福を得られ欣喜雀躍は勿論、既成文明は百八十度の転換となり、病貧争絶無の地上天国は愈々出現の順序となるからである。         


三救責任者
はい、ありがとうございます。

改めまして、月次祭おめでとうございます。

参加者一同
おめでとうございます。

三救責任者
令和になって5月6月7月と567ですから、みろく、完成の月ですね。
月次祭ということで、おめでとうございます。
6月の最後の日、昨日、トランプ米大統領が軍事境界線を越えて米朝が非核化教義再会の糸口をつかんだ歴史的な日となりました。
大阪サミット後、日本から朝鮮へ向かったことに私は御神意を感じます。
朝鮮は素戔嗚尊様が治めていた出身地ともいえる地です。
一方、アメリカはキリスト教の価値観が政治と分かちがたく結びついている国です。支持基盤の福音派というのは特定の教派をさすのではなく、聖書の信仰に目覚めた保守的なプロテスタントの総称だそうです。
政教分離と言っても特定の教会と国家の分離を求めたものであり、宗教と国家の分離を求めたものではないのだそうです。
宗教を持っていることが当たり前の世の中なのです。
話を戻しますが、キリスト教はキリストによって世界宗教となりました。日本を追われ罪の償いとして素戔嗚尊様がキリストになってキリスト教を広めたと御教えにあります。
キリストの再臨というとさっきの話で、メシヤ様のことですけども、一方では素戔嗚尊の話が出てきます。
朝鮮もアメリカもキリストつながり、キリスト・素戔嗚にとって日本は母国です。その母国での世界会議を行い、かつて素戔嗚として治めていた朝鮮の地を踏み、対話を開始することになったわけですから、神様がやられることは非常に面白いと思いました。

まず、つかみはそこにしておいて・・(笑)
つかまってないかも分からないけど・・(笑)

参加者
うん、思うことがあります、一つ。

結論

三救責任者
ということで。
『結論』、前は序文をやりましたね。
今日は『結論』ということで、奇蹟ということについて書かれていました。

図ー1


1-7-1

三救責任者
奇蹟は最高神意の表現だと。
空前の救世的福音だと。さっき、福音派というのが出てきましたけども。
救世的福音。
メシヤ様とは(私という人間)、
偉大な信力の発揮、可能なのは救世主以外にない、救世主・再臨のキリスト・下生の弥勒、要はメシヤ様はどういう御神格かと言ったら救世主であり再臨のキリストであり下生の弥勒とも言えるんですよと。
最後に至れば、仏滅の時、最後の審判、この時になったら分かるでしょうと。
何を?
世界人類はメシヤ様の救いによって真の幸福を得られるんだと。
病貧争絶無の地上天国が出現するんだということですね。


図―2

1-7-2

奇蹟とは、最高の御神格、要はメシヤの御神格、救世主の御神格をお持ちのメシヤ様による救世的福音であると。

図―A



















救世的福音って言われたので、救世的って他にどういう御教えがあるのかと思って調べました。
感銘直截に天地の真理を把握。迷いがない、そういう経典。真の救世的大威力なんだと。経典が大威力なんだと。ですから、簡潔明瞭な真理・・だから御教えのことでしたね。
救世的活動を仁斎の肉体を通して行わされる。メシヤ様がやっておられるのは救世的活動ということ。救世的私の使命、メシヤ様の使命。この時はメシヤ様の使命ですけど、今はその弟子たちの使命でもあると思います。

今のをまとめるとこの位になりますけども。

本教の誕生

図―3

1-7-3

「本教の誕生」っていうのは、これは初めから学びたいという声がありましたのでやらせて頂きます。

参加者
復習みたいな感じですね。

三救責任者
うん。今のところを中心にしてやるけども、前のところも入れていけば、自分達も復習にもなりますので。

参加者
予習復習ってことですね。

三救責任者
そうそう。

で、『本教の誕生』っていうと
『本来魂なるものは一種の発光体であって』・・これは一回やってるので、まとめたものだけでいきますけども。
この、『発光体』ってことがこの文章では重要かなと思います。
私達の日常生活は『発光体である魂』がさらに発光体となっていくことを目指すんですよと。副守護霊(動物霊)の影響を受けなくなる。発光体が輝いていけばということですね。
御教えとメシヤ講座と混ぜて話をしていきますけども。
『』(かぎかっこ)で書いてあるのは御教えですね。
『第一に宿った魂こそ本守護霊と言ひ、神性そのものであり、之こそ良心である』ということで、神性そのものというのはですね、三千年間夜の時代の癖の影響を受けてきました。で、この神性がうすれてしまったんですよと。
発光体・魂を輝かせる取組み、要は神性を蘇らせる取組みが、みんなが幸せになっていくようにという願いであります。ということが、メシヤ講座に懸かれています。

皆さん、これ(令和元年7月度『覚りの旅』資料)は読んできてもらった?

参加者一同
はい。

三救責任者
発光体の中で、ここ(令和元年7月度『覚りの旅』資料)に書きましたけども、“空飛ぶ円盤”の話が御教えを調べていたら出てきまして、ちょっと紹介しますと

(お伺)
 “空飛ぶ円盤”について、お伺い申し上げさせていただきます。
 空飛ぶ円盤の話題が新聞を賑わしてから一年以上になりますが、まだ正体が分からないらしく、本年八月一日、日本人の実見者の話を総合すると、水色がかった光のかたまりが、長い尾をひいて南から北に走りアッと思った瞬間二つに割れて消えた。大きさは月齢五日くらいで、ダイダイ色の光だ。突然青光りするような閃光体が現われ、高さは成層圏ではないかと思われるくらいの高度で、目撃された大きさはレコード盤ぐらいで厚みあり、進行速度はゆるやかで灼熱の発光体からだんだん赤みを帯びて海上の上空に消え去った。と言っております。
 この空飛ぶ円盤はアメリカ上空に多く出没して騒がれているとのことでございます。新兵器という説、そんなものとは考えられないという反説、流星という説、流星ではないという説等々、諸説紛々としております。この正体について御垂示のほどお願い申し上げます。

ということで、メシヤ様が

(御垂示)
 これについては、世間で考えるようなものではない。非常に神秘的なものであるから、いずれ詳しく書いて、栄光に載せるはずである。

要は発光体というのは非常に神秘的なものですよと。
「UFOが現れました」「何ですか?」とメシヤ様に聞いてるわけですね。
世間で考えてるようなものではないと。発光体というのは神秘なものなんだ、ということで、御教えで出てくる発光体というのは数としては少ないものですから。ここの文章と、今の『魂』ということ。
魂ということだと思いますけども。
ということで、そういう御教えからしますと、
この発光体ということでは、『本教の誕生』の『本来魂なるものは一種の発光体であって』と先ほどの『非常に神秘的なもの』以外探せませんでした。
そうすると、メシヤ講座で学ばせて頂いたように、『魂』とか『神魂』ということを示しておられるように思われます。みなさんはどう思われますか?と書いたんですけども。
で、この『魂』を輝かせていくにはということで、掃除についての話がメシヤ講座で出ています。
掃除をしっかりしましょうという話ですけどね。
魂を輝かせていくために掃除をしっかりしましょうねという話が出てきています。

で、『信者は常に魂を磨き』ということで、これは出雲のメシヤ講座ですけども、
この発光体が光を放っていれば、動物霊である副守護霊が顔を出して来ないので、だから問題を起こすような行動とか言葉も発しないので、問題が起きない訳なのですけれど、この発光体が曇って来ると、動物霊がウーッと顔を出して、好きな事を言ったり、行なったりして来る為に、問題が起きてくる訳なのです。その順序を今少し間違ったという事は、正しい事をやったのだけども、動物霊が未だ前に出ているという事なのです。順序が狂っているという事は・・・。未だ自分の発光体が弱いのだ、と。
だから、“もっともっと、自分の、この魂が輝くようにして行くのだ”という思いを持って、月次祭に来てお参りする時には、神様から『光』をスーッと入れて頂いて、魂が光って行くように、それを月次祭の大目標にして行かないと月次祭に来る意義が・・・。昔ながらの「行かないといけないから、行くわ。」とか、そういう様な程度で行くと、神様から頂く光も『そういう心掛けで来たのだったら、之くらい入れてやるわ。』という感じでしか入れてくれないのではないでしょうか。しかし“発光体を取り戻して、更に光り続ける様な光を頂きに来るのだ”という意気込みで来ると、神様の方も『お前、それだけの意気込みで来るのだったら、ウンと入れてやらないといけないな~。』と思し召す。之が、メシヤ様が『神様にも感情がある。』と仰った理由の一つですので、人間の想念次第だという事です。
ということで、 『発光体』。
なかなかいいメシヤ講座だなぁと思って。

図―4

1-7-41-7-4

洗練ということで取り上げてます。
前にやったと思うんですけども。
怒りを克服するということで、“淘宮術(とうきゅうじゅつ)”というのは、御教えに出てくる言葉でした。
“淘”という字は、洗い清める。
“宮”というのは、心の宿るところ・人体
ということがあります。
Wikipediaで調べると、人は生まれつきの癖を洗練することにより、本心が顕れ生まれつきの運命を改善できる。気質の偏りを矯正して幸福な人生を過ごすよう修養する。
こういうのを“淘宮術”というそうで、すごい意味が合ってるなと。浄霊とかとね。
「真に効果のあるものなし」
これも取り上げてね、浄霊以外のことは、「真に効果のあるものなし」とメシヤ様は言われてるわけですけども、これ自体を調べるとすごいなと思ったんですよ。
三位一体総合であって、みぞおちへの浄霊。
怒りを克服するということで。怒りを克服する浄霊というのはみぞおちへの浄霊。どっちもOK。要は浄霊というのは自分でも人でも出来ますよと。勇気・胆力・決断力が意志の中心だから。前頭部が理性、後頭部が感情だと。そういう御教えですので。
怒りを克服するには浄霊がありますねと。色々な淘宮術とかありますけども、浄霊がありますよということ。

図―5

1-7-5

どうも思うようにいかないとか、困ることが多い。
これは、霊籍が上がればつながってる人も引っぱり上げられるんですよと。
自分の霊籍が上がれば・・これ(図―5の絵を見ながら)、自分が木で元だとしたら枝葉がこうあるけども枝も上がっていくんですよという意味で書きました。

参加者
分かりやすい。

三救責任者
分からない人はウッチャラかしておけと。急って早く信仰に入れようと考えてはいけませんと。神様にお任せするんだと。お任せというのはそういうことね。一人でも多くの人を助けて神様のお役に立つ。そうすると、霊が向上して、枝葉も向上していくと。黙っていてもわかるようになる。周りに言うのはくどくど言わずに、ちょっと言ってわからなければ放っておけと。自分が向上していけば上がってくるからという意味です。


図―6

1-7-6


要は根本は自分の魂の居所にあるんですよと。
(図―6の絵を見ながら)魂をハートで書きましたけど。
自分が向上するんですね。向上すると、ここまで行くんだけども、体が追いつかないんです。体が追いつかないとこの差が浄化になって現れるんですよと。
こういう場合は浄化が早く終了する。迷わなくてよい、苦しまなくてよい浄化になるそうです。こういう浄化を頂いていくのがありがたいですねという話です。ありがたい浄化です。
こういうことを覚るのが、浄化の意味を覚るのが真理です。
ですから、組織という枠にとらわれず霊性が高まった人・物同志どこに居ても共振を起こす。
古事記で言う「御頸珠玉の緒もゆらに取りゆらかして」。ミクラタナの神様、五百津之美須麻流(いおつのみすまる)とか・・ゆらに取りゆらかして。ということは、共振を励起せよという意味が込められてるんじゃないかなと、古事記からこう思いました。


図―7

1-7-7


ですから、自分の浄化というのは霊性の向上のためであって、つながっている人を引き上げていくためですと。
学んで向上して地上天国実現を目指していこう。ということで、『主神様とメシヤ様』この本はですね、神様から作らされたんだと。神様からのお導きなんだと。
主神様、メシヤ様の御神格を求めるという意味で、先生の御教導の元で、共に作り上げてきたわけですけども、そういう、自分達がやったように見えてそういう風に神様に思わされてる。そういうことだそうです。
だから、“思う”とか“思わされる”というのは神様から思わされるのです。
これはだから霊主体従ですね。思って行動するということで、霊主体従。
で、神様から霊に来て体に来ると。


図―8



だから、こういうものを作ろうとしてスラスラ行くときは神様の御意図のもと、と受けとめて作っていきたいということで、この前の「天恩地惠の観音講座」、今まで全然上手くいかなかったのが、今回スラスラいったので、今回やりなさいということだったのかなと思いました。


図―10
































これおまけ。(笑)

参加者
これ、載ってないですよねぇ。

三救責任者
載ってない。載ってない。
これ、娘がたまたま買った本。
いい事書いてあるよって。
八木龍平『成功している人は、なぜ神社に行くのか』という本から。一昨日見てて、いい事書いてあるというので、それを書いてみました。
「神社という場所には秘密がある」ということで、神社の基本的なつくりというのは御神体があって本殿があるね。で、前に拝殿がありますね。拝殿が無いところは本殿と一緒になってるところもありますけども。で、参道があります。鳥居があって、鳥居からこっちが外界、こっちが神界へ、こうつながっていくという意味合いのつくり。これ、基本的なつくりですね。
ここで、言ってるのが、神社というのは「あの世の私」と「この世の私」の情報共有の場だそうです。

参加者
分かりやすいです。

三救責任者
そうそう。一般的な本は分かりやすいんですよ。
だいたい天照大御神様って鏡とかじゃないですか。
御神体が鏡。
本殿が子宮。
要は、参道は・・・日本語というのは後から漢字につけてるけども、言霊、読み方に意味もあるので、参道は産道に通じますよということで。そうするとね、この生まれる前の私がこの鏡に映るんだそうです。生まれる、前世というか・・この鏡がね。そこに会いに行くんだって、自分が。自分に会いに行く、もっと以前の自分っていうか。天から見てて私はあの家に生まれてく・・って、前に話したけど、その時の自分と会えるみたいな。生まれる前の自分に戻っていく、そういうことの対面の場みたいな感じ、神社というのは。この(本の)考え方ですよ。
鏡というのは神様スクリーンといって、あの世の私を映す鏡であって、これは御神体でもあり、神社の御祭神でもあると。この世の私がここに行って対面するんだよと。あの世で決めてきた「この世の使命」というのがあるらしくって、これを無意識に自覚するためにここで対面するんだって。で、神様も営業するらしくって、他人の口やマスメディアの力を借りて「神社に会いに来てよ~」って言ってくるんですって。

参加者一同
(笑)

参加者
いいですねぇ。わかりやすいですねぇ。

三救責任者
そうすると、テレビとか見てて、「あぁ!呼んでる!」って感じる人は感じて行くんだって。あれ、営業してるんだって。神様の営業らしいです。
敏感な人は「○○神社によばれてる~」っていう感覚を覚えて行くらしいです。
神様営業。
だから、僕も、前に波切不動明王って書いてあるので、アッと思って行ったけど、呼ばれたんだね、そこへ。
この考え方を御教えに当てはめてみた場合にですね、御神体とかお軸・お額がありますよね、この御神体・お軸・お額は想念。要はこういう神様だという想念。御神名が大事だという話で。この神様に会いたいとか、ここでもあの世の私に会いたいというのがあると思うんですけども、色んな事が働きかけてくるので。
だから、この僕たちはこの音霊とか言霊とかで想念の世界を作るじゃないですか。
この想念の世界と、こっちからの想念の世界のつなぐ媒体的な。
神籬(ひもろぎ)ではあるけれども神籬(ひもろぎ)ではないとか。
要は神様も想念じゃないですか。こういう神様。素戔嗚尊様、主之大御神様、想像も出来ないような神様が主神様ですけども、自分の頭の中でイメージするじゃないですか。そのイメージする入り口的なもの。だから、僕が思うにも御神体には主神様はおかかりにならないって、これは御教えにあるので、だけど祈る的っていうのが要るわけで、この想念を形作るのに一番いい自分達の、主之大御神様とお唱え出来る御神体はといえばこれ以外にない。
ちょうど今の御神体云々の話と良いのがピッタリ出てきたので・・営業してるんだなと思って、神様。(笑)

参加者
してますねぇ。

図―11




三救責任者
これは、この本に書いてあったことで、「親がその存在を認識した瞬間にあなたというスピリットが創造されます」と。要は、あの世の私。
認識。よく御神名とか認識とか言いますよね。こういう神様に会いたいとか。「今回の御神名は・・」と言ってるのと同じようなことなんですよ、結局は。簡単に言うと。スピリットが創造されてます。
「あの世の私」というのは、これは僕が書いた「幽魂」って。「あの世の私」っていうのは「幽魂」であるわけですね。「あの世の私に会いたい」というのは、「あの世の幽魂に会いたい」。
物理的には出産とか受精とかの瞬間が生命の誕生かもしれないですけど、この話の中では認識した瞬間が出生。認識した瞬間、想念で形作られた瞬間が生まれたということ。神様であっても何であってもね。
だから、言霊も大事ですし、音霊も大事でしょうし。想念のことをずっと言ってきてるのはそういうことでしょう。
何が言いたいかといったら、唱える御神名というのがそういうことで、唱えたような御神格ですから。それなら、一番尊い御神名を唱えられるのに、「主之大御神様」と唱えることが許されているのに、他の御神名を唱えることは無いよねと言いたいですけど。

参加者
そこに幽魂があるからじゃないですか。その人にね。

三救責任者
そうそう。そうでしょ。その人はそういうことでしょ。

参加者
そうそう。

三救責任者
違うんですよ、だから。
自分達は主神様の御神名をずっと唱えてきて、そこに焦点を合わせていってるわけであって、後からポッと御教えで1回か2回しかないけども、大弥勒様もそうですね、別にそれはそれでいいんですよ。いいんですけども、こういう認識というのがあるのかなと思って。認識出来なければそれはそれでね。
英語のことでよく分かりませんけども、Spirit(スピリット)が出てきたので調べてみました。「精神・情熱・根性」とか「霊・霊魂・心霊・亡霊」「感情・性質・信念」とか出てくるんですね。日本語ってめちゃくちゃ表現豊かじゃないですか。これ、英語で言うとスピリット。(笑)
英語でSpiritって出てきても、どういう状況が、どういうことで、どういう風に思ってこの人がしゃべってるのかというのは、日本語に表現するとこんなにありますよということです。これが言いたかったので。今、たまたまこれが出てきたのでね。
そうすると、これの語源というのがラテン語らしくて、Spiritus(スピリタス)で息とか呼吸とか魂とか勇気とか活気とかいう言葉。
そしてもっと・・Soul(ソウル)、魂というとSoul。Soulは人の生命そのものをいう。魂に働きかける精神とかもSoul。
これはWEBの意識解説ノートに書いてありました。

図―12





























続きになりますけど。
拝殿でお祈りするまでに、神社はさまざまなしかけで参拝客の「罪・けがれ」をキレイにします。これを「祓い」といいます。
だから、スピリット、魂のお掃除です。
不要なものを捨てて収納整理できる空きスペースを作るんだって。ここ、参道を歩いていく時に。浄めていくという、罪穢れを。
さっきの読み方によるということで、おさいせん払います、というのと、この「祓い」。要はお金も大切ですよね。祓いになるんですよと。実は穢れを取っていただくことの意味もあるわけです。おさいせんというのはね。
祓って祓って神様からの情報をしまう、受け止める、要は感じることのできる・・。神様の情報、神様から何か言ってもらうのを感じることの出来る空きスペースを作るんですよと。この参拝によって。
あの世の私とこの世の私の間にスキマがあれば、人生の使命を達成するための情報をスムーズに共有できますよと。
「祈り」とは「祓い」でもあるんですよと。
面白かったんでね。内容がね。

参加者
「祈り」とは「祓い」・・。

三救責任者
「祈り」とは「祓い」でもあるんだと。罪穢れをとるということの行為でもある。

参加者
お詫びをするっていうことで。

三救責任者
お詫びお詫び、というよりもこうやって話をされる方がまだ分かるかなと思った。
何のお詫びって、スキマを作る為に。心に余裕を作る為に、そういうことでもあるのかなと。一杯一杯になってくるじゃないですか。一杯一杯になってる時はそういう神様からの色んな何か通信があったって分からないってことです。情報を入れる、要はUSBの容量が一杯になってて入りませんってキャンセルされるみたいなもので。整理するじゃないですか、ゴミ箱へ捨てるじゃないですか、データを。(笑)
そういう心の余裕が要りますよっていうことですね。

参加者
うん。

三救責任者
用意した話は以上です。

参加者
どういう方が書いてるのかちょっと著者の方のご紹介をいただけると有難いです。
八木さん?

三救責任者
八木龍平という・・京都市生まれ。学位を持つ、科学者にして触覚型の霊能者。霊能者であって科学者。
博士論文の執筆で追い込まれていた深夜、寮の自室に仏様の映像が現われてメッセージを聞く神秘体験をする。以来、見えない気に敏感になり霊的な能力が開花する。
富士通研究所シニアリサーチャー北陸先端科学技術大学院大学客員准教授を歴任した後、現在は青山学院大学でインターネットマーケティングの教鞭をとる。
龍博士として、ブログやセミナーで見えない世界について心理学統計学の視点と自身の霊能力の視点を合わせた今までにない解説が好評を得ている。
だから、科学者が・・・

参加者
やっと追いついてきましたね。

三救責任者
そういう感じ。
これ、娘が持ってくるって・・(笑)

参加者
この本は阿由多神社にかけてあったんです。
何ページか抜粋してコピーしてあって、持って行って下さいねって。で、持ってきて。
たまたま娘がお産の時に時間があって、コンビニに行って見たら面白かったから買ってきて読んで。
私も読みたいなと思ってたんだけど、探せなくて。
お母さん好きそうだからあげるって。
誰でも分かるような感じで。

参加者
でも、それがちゃんと売れてるってことは、現代が求めてるってことですよね。

参加者
そうよねぇ。

三救責任者
そうそう。その神社にかかってるというのはね。
前にも紹介したけど、この中の「感じる」っていうこと。

参加者
そうそう。
神様を感じることの。
神社に行って神様を感じるっていう・・。

三救責任者
それはどういうことかというのをね。
気配を感じるとかあるじゃないですか。
風が来て・・例えば伊勢神宮でビューっと(白幕が)上がったので祈っていて神様を感じたとかっていうような話のことが書いてあるので一般の人に非常に分かりやすいし、今、皆さん段々スキマがなくなってきてるといけないから(笑)。

参加者
今日、話を聞いて特に思いました。
無くなってるーって。(笑)

参加者
でも、今すごいよねぇ。
神社仏閣行って。
御朱印がすごいねぇ。

参加者
流行ってますねぇ。

参加者
それこそ、神様の営業だよね。(笑)

三救責任者
神様営業だね。

参加者
順番まで決めてくれてますもんね、八十八か所とかだったらね。
熊野もですね。

三救責任者
自分の感じたところに行けばいいでしょうし。
ただ基本はね、御神体があるわけで・・。
働きたい神様も一杯居られると思うんで。
営業してるってことですね。
なかなか面白いね。

参加者
なぜ神社に行くのかって、答えまで?

三救責任者
呼ばれてるんです。

参加者
へぇー。

参加者
トランプ大統領のお話で・・ユダヤ教に改宗されましたよね、トランプ大統領。

三救責任者
改宗したんですか?

参加者
改宗しました。
それもあるのかなぁと思って。
イヴァンカさんの御主人がユダヤ教だから、ユダヤ教じゃないと結婚が出来ないというので、色んなランクがあるみたいなんですけど、本当に正統派ユダヤ教からランクあるところの一番下から二つ目くらいのランクのところに皆入りました。
というようなことが、この間ちょうど話題に上ってみていたので、ユダヤ教もかと思って。

三救責任者
もともとユダヤ教だもんね。キリスト教はだからユダヤ教まで戻ったんだね。

参加者
そう。だから、ユダヤの祖であり、朝鮮であり、キリストでありというところで結びついたのかなぁというので、さっき「あぁ、そうだなぁ」って。

三救責任者
結局、前の時はイスラムの話が出たけど、イスラムもキリストも一緒ですから元は、お前たちの信仰してる神と同じなんだという話で・・天の父とか、エホバとか一緒になってくるので、そう考えたら全部。そこへ仏教も入って来たんだね。仏教も一緒じゃないですか。素戔嗚尊の関係で。すごい働きなんですね、素戔嗚尊様は。
「みろく」って仏教の言葉じゃないですか、結局は。
だから、今の時代両方、「みろく」も「キリスト教系」も、東洋と西洋と両方の働きなんで、一生懸命みろく、みろくと言ってるのとありますけども、結局最後の働きというのはメシヤ様はメシヤとして働くということですから。メシヤというのはキリストでいうメシヤだけじゃなくて、救世的働きみたいな感じですね、今読んでると。
そういうことを言われてるんだと思いますけども。
で、あまり偏ってないよということですね。もとは伊都能売ですからね。

図―13










(黒板に書きながら)
これ、もともと六が三つだから、三つの六で「みろく」って、これは読めますよね。
それをこの上の六から一を引いて下の六に一を足して567で「みろく」としたのは、大本教の時の考え方を踏襲してきてるわけです。
結局もともとの「みろく」というのはここから来てますよということ。そうしないとこれ(567)、みろくと読めないですよね。

参加者
私もずっと思ってたんです。そうだったんだぁと思って。
そっかぁ、三つの六だから「みろく」で、それが一つ下がって、567になって。

三救責任者
これが大事なんですよね。一厘の御魂とか、神様一人降りるとか、メシヤ降誕のメシヤとか、みろく下生、現界にみろく下生したのでみろくの世になるんだよという意味で、こうなっていくんだよと。
だけど、「文明の創造」とかでは本当にみろくの世になったら今度は「三六九」に、全部333で三六九、三に三を足して六、もう一回三を足したら九になるという、そういう「三六九(みろく)」になって行くんだよという、世の中の構成が。小中高も三年、三年、三年とか、社会の構造がそうなってきますよという。
そういう考えで見ていくと面白いなっと思って。

参加者
今回、ここで勉強させていただくのに、三年前の八月ですよね、同じ勉強(「本教の誕生」)をされてるの。
それを、昨日読んできたんですけど・・その時も濵口さん、同じことを仰ってたし、その時よりも私理解が深まってるような気がする!っていう風に思わせてもらえたので、すごくこの復習することの大切さを自分の位置、いつも動いてはいるんですけれども、ここに居たのにちゃんと自分が成長しているのではないかと、何とかさせてもらってるのじゃないかなっていうのを思わせてもらうのにも、何かそういう実感って大事じゃないですか。だから、良かったなぁと思って。すごい大事だなと。
三年前にねどういう風にとか・・濵口節だったんですけど、その時もね(笑)。
でも、同じことをやっぱりまとめて仰っていて・・。

三救責任者
そうそう、さっきの淘宮術の話はそこから・・。

参加者
来てますよねぇ。

三救責任者
そうそう。
で、今のまとめ方というのは、前にやったメシヤ講座、覚りの旅から出してきて、浜松のと両方見て。ただ、これ(『主神様とメシヤ様』)をやったのは最近じゃないですか。
先生は『文明の創造』をずっとやっておられて、これ(『主神様とメシヤ様』)に入ってすぐだったんですよね。
自分達はこの順番でずっときてるけども、これは一項目ずつだから、別に一からといっても、先にこっち(三重の項目)をやってもそれはいいわけであって、だから、自分達の流れに応じてやった上で復習の意味でやって、一方では、先に予習しながら、一緒のことやるんですからね。予習と本題と両方やるので、結局今回でも「本教の誕生」の方が多かったもんね。

参加者
うんうん、そうですね。

三救責任者
ネタが多いから。
そんな話になってくんだよね。
これ、ある意味いいかなと思って。
本当にメシヤ様の御神格を知ることが力を頂けるという話の中で、自分達はこの“主神様”と“メシヤ様”の単語を絞ってやったらこんな風な立派な本になったということは、本当に御神意だったなということを感じますし。

参加者
先程の想念の話と、あと、認識の話、それを高めていくのにも、具体化するにもすごく大切ですよね。

三救責任者
やる順番としてはこれをやっていくというのはいいかなと思って。
ただ、先生の『文明の創造』自体は前にもやられてるんですね。僕等が先生のメシヤ講座を受ける前にも『文明の創造』というのはメシヤ講座を読んでるとやっておられますね。
だから、『文明の創造』の大切さというのは分かっていて、それは当然英文にしていくという、そういう、他の人に知らせていくためにはいい本なんですね。『文明の創造』自体は。
結局は浄霊云々のことよりも、何もしなくて放っておけばいいということの方が多いけども、そこはなかなか分からないわけなので、そういうことも、医学との摩擦があるけども、そこを摩擦とせずに発信していくにはということを考えると、やっぱりメシヤ様は考えられたんじゃないかなぁと。文明の創造として。
何か医学革命の話をされてたけどなぁ・・。

参加者
はい。
あのぉ、「結ノ和」では別の角度で楳木先生のメシヤ講座を新たにサイトにアップしてるんですけど、やっぱりねシンクロしてくるんですよね。両方をやっていて。
今、イメージとしていつも○○さんと言っているのは、点だったものを線にして、線を面にして、今立体にする。それには、それぞれの皆さんの役割があるから、皆が同じことをするのではなくて、そういう思いをしている人達、役割を担う、同じことではないけどそれが全部で世界の色の話とかもそうですよね・・かなぁってことも、今日は感じながら勉強させてもらってました。

三救責任者
共振していくってことだね。

参加者
そうですねぇ。
共振してますねぇ。

三救責任者
復習してるようであって、また新しい発見があるからね。

参加者
そうです。そうなんです。

三救責任者
ポイントに置くところが違ってくる。

参加者
変わってきますね。

三救責任者
その時の状勢によって変わってくるので。
だから、今度、『文明の創造』の科学篇の方も、もう一度やり始めています。
特選集の方にはピックアップして入れてもらってあるので。
あまり個人的な内容のところは入れていけないので、それを省くのがなかなか難しくて・・(笑)。繋げていかないといけないから。文章繋げていくの難しいよ。
文章は質問はあの作り方はメシヤ講座の科学篇をまとめてるみたいな感じですから、それは質問があって先生が回答するじゃないですか、その内容の同じものは三重が中心でいけばそれで分かるんですけど、三重に出てないのは、質問、回答じゃなくて質問も含めた上の回答にしていかないと出来ない。

参加者
なるほど。

三救責任者
それは改ざんとは言われたくないけども。
先生の話されてるメシヤ講座の要約版みたいな感じです。

参加者
ちょうど三年前の八月のメシヤ講座の中で、楳木先生が、ちょうどサイトが変わってその頃他に特選集から特選○○講座になったじゃないですか。三重とか岡山とか大阪とか、何でこんなになっちゃっただろうなって自分で思ったって書いてあったんですよ。(笑)
私が楳木先生にご提案して実現したのですが。(笑)
でも、そうすることによって、私がその時思ったのは、それぞれの場所で同じことを勉強しても違う、今仰ったようなことが、質問がでるし、そこの状況に応じたことを伝えてるはずなので、それをまた私達が知ることは大切。ピックアップするのではなくて、今までの特選集はその中で楳木先生が思われたところをピックアップしてられたけれども、そうじゃなくて、それを皆が見れるようなことをシステムに出来るわけじゃないですか、今は。
だから、それは大切だなぁと思って、私はさせていただいたんですけど、楳木先生はその事よりも自身の覚りの動きが一個ずつ、前回の講座ではここは知らなかったけれども、ここでこういう情報が入って次のところからこういう風に話をしてますとかいうことの変遷が見えてきてそれが、こういうことが見えるってことが大切だったのかなぁと思わせてもらいましたみたいなのが書いてあったんですよねぇ。

三救責任者
先生の覚りの旅でもあるわけなんですよね。
だから、私の思考を探るには、要は特選集で順番に来てるものを読んでいけば。
出雲が最後にあるわけじゃないですか、最後っていうのは一つのテーマにおいてはね。
だけどそこまでの間に状勢が変化し・・例えば今のトランプ大統領の話じゃないけど、そういったのが入ってきて話されているから、全部読んでいくと、それはいいんですよという話ですけども。
これは、まとめ方としては漏らすところなく内容の違うことはそれで。だけど、その講座の雰囲気はホームページでは実現できますけど、振り返って本として見ようと思う場合にはそれなりの文章になるわけで、言ってる内容は一緒だけども、こっちで言ったのとあっちで言ったのと意味合い的に合体する時があるよね。
結局、メシヤ講座からって。最初、何々のメシヤ講座よりって書いてたんですけども、そのままじゃない時があるので、語尾とかね、なかなかその表現が難しくて。
本当に内部資料しか出来ないけども、何らかの形でまとめてみないといけないなと思って。

参加者
うーん。

三救責任者
皆が使えるようにしていけばいいなぁ・・と思います。

司会
以上をもちまして月次祭を終わらせて頂きます。

参加者一同
ありがとうございました。


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