令和2年6月

覚りの旅 令和2年6月度 勉強会を終えて

 


三救責任者挨拶

 

令和2年6月度覚りの旅ということで、今回のテーマ1、「中島氏帰幽に関するお言葉」です。

今月で、『主神様とメシヤ様』の昭和25年以降の御教えの学びの区切りとなりました。今回のテーマは先達の帰幽に関する事であるだけに、一般の方と信者とでは、受け止め方も異なってくるのではないかと思います。

テーマ1の概略は、《浄化作用―症状的には脳溢血的であり、翌日には気付くであろう。とのことだったのですが、翌日には亡くなってしまします。大転換期の型の御役目―それで、仏界から神界への大転換期に当たり、仏界を掃除する型となられた。観音様はメシヤとならせられたので厳しくなる。罪や穢れは徹底的に清算される。》となるかと思います。非常に重いテーマでありますが、深く学ばせて頂きたいと思います。

 

それでは、「中島氏帰幽に関するお言葉」、1ページ(天恩地惠6月)ですけど、○○さん読んでもらえますか?

 

参加者

はい。

中島氏帰幽に関するお言葉(昭和二十五年二月) 拝読

 

図―1
2006-1


 

三救責任者

はい、ありがとうございます。

浄化の症状ということで、脳溢血、霊憑りの場合は嘔吐することはないと書いてあります。参考になるかと思います。判別する上でね。脳溢血の場合は普通は右か左かどちらかですけども、この時は両方突張っていた。稀には両方のこともあると書いてありますので、そういう説明があった上で、しかし型だと気付いたと。

型としての浄化だったと。で、この頃ですよね、『メシヤとならせ』と入れたのは。ということは、大変な重要な時期の御教えかと思います。

それから、メシヤ教は余程キリスト教に近くなる。近くなる、ですからね。キリスト教になる、じゃないですから。教えのことじゃ無いんです。例えば、日曜教会っていうのか、皆が日曜日に教会に行って礼拝すると、そういったことを言われてるのではと思うんですよ。庶民の方にも浸透するような世界的な宗教。世界的宗教になるということをキリスト教に近くなると言われたんだと思います。だから、御教えは絶対ですからね。教えがキリスト教に近くなるということではないんだよという風に思って欲しいと思います。

それから、次のページのメシヤ講座から中島一斎先生のことを書かれてるのがありますので。

ここでは 『世界救世(メシヤ)教早わかり』ご発表の背景 ということで書かれています。

読みますと、

 

メシヤ講座・特選集(№85・平成20年2月分)

祭事に臨んで感ずること

メシヤ教 代表  楳木和麿

『世界救世(メシヤ)教早わかり』ご発表の背景

 現在、掲載しております『世界救世(メシヤ)教早わかり』の日付を見ますと、昭和25年の11月20日です。この日付からメシヤ様の『可能な限り全人類を救う』『地上天国を建設する』というご悲願に対するご決意とご情熱を強く感じます。そうして、内外に世界救世(メシヤ)教開教に対する神意の理解を強く願っておられる御心が拝察されます。

 昭和25年2月4日、『開教の辞』において『時期の推移に従って漸次発表する』と述べられており、その出発点として、同年3月11日に『世界救世(メシヤ)教 教義』をご発表になっております。

 ところが2月18日に『救世(メシヤ)教の名に就て』をご発表になっており、名称についてご説明を重ねております。このことから推察されることは、当時「開教」の意味するところを理解できない人が多かったのではないか、ということです。そして、そのことが5月のご法難という形になって現われてしまったのです。

 もっとも、開教直前に不幸な出来事が起きたことも事実です。天国会を主宰していた中島一斎師が開教五日前に他界されたのです。

 中島師は、大本教時代にメシヤ様と出会い「この御方に自分の人生の全てを捧げて付いて行く」という決意を固められ、共に大本教を離れたほどの先達です。また、晩年には、大本教を離れることの出来ない二代様を諌める挙にも出ております。そのような偉大な先達を失ったが故に勃発したご法難であったことを、そのお孫さんと出会ってご帰幽年月日などを再確認する中で整理することができました。

 いかにも人間的な事件であり、「世界救世(メシヤ)教の開教」に対する認識の薄さがもたらした悲しい事件でした。最も残念なことは、ご法難が発端となりメシヤ様が御神業における様々な制約を強いられることになったことです。そのために、『開教の辞』における『未だ種々発表したい事もあるが、時期の推移に従って漸次発表する段取となるので、今は此(この)辺に止めておくのである』という内容のご発表が頓挫してしまったのです。

 しかしながら、様々なご制約の中で同年11月にこうして御論文を発表されているのです。このご論文をそうした背景を鑑みた上で拝読させていただきますと、より肉薄してくるものがあります。

 

これ、世界救世(メシヤ)教の、救世(メシヤ)教の名称についてとか、「世界救世(メシヤ)教早わかり」とかということが出てきますけども、次回7月のテーマの一つが「救世(メシヤ)教とは何ぞや」ということになってきますので、たまたまですけどね。ここの中島一斎先生についてのメシヤ講座をとりあげたのも、中島一斎先生の検索してて出てきたわけですけども、繋がってくるものがあると思います。「救世(メシヤ)教とは何ぞや」というのが次のテーマに繋がってきますので。

そういう事と、順序から行くと中島先生は開教5日前に御帰幽されてます。で、御帰幽されて、開教、御法難に繋がっていくと。経緯の一人を失ったことによって、御法難に繋がっていくんだと。様々なご制約の中でのこの御論文であると。「早わかり」のね。そういう事が書かれています。

 

中島一斎先生ってどういう先生だったかということで、一番身近な事で言えば「布教三訓」。

 

図―2

 

2006-2

布教三訓ということで、ここに書きましたけども、

メシヤ様と共同作業をさせて頂く

恩は着るべし着せるべからず

寝食を忘れてやりなさい


布教三訓を極めていくと、御神業は『遊行観音』の振る舞いの如くであるということが肚におち肩の力が抜けていく。そして、御神業は楽しくて仕方ないものになる。

 

それと、もう一つは「るナ三訓」

ここに出てくるのは、 


威張るな  怒るな  早まるな


よく聞きますよね。


威張るほど人は逃げてしまう。

起こるほど神は離れ去ってしまう。

早まるほど自分の中の自分が分からなくなってしまう。


で、メシヤ講座で先生がどういう風に話されてるかというと

「威張るな」 - たくさんの人を救ったからと言って偉ぶってはいけません。

「怒るな」 - 例えば分からない人は何度でも同じ質問をされます。そんな時にも、「この前言ったじゃないか」と怒ってはいけません。何回でも、同じことでも答えてあげなさい。その人にしみついた癖というものがあります。その癖に対して、いちいち腹を立てていては人を救ってはいけないのです。

「早まるな」 - あせって問題が解決できたと思い込んでしまってはいけません。浄霊で言えば平均浄化ということもあります。左が良くなったからと言って早まって浄霊をやめてしまったのではいけません。

ということが、メシヤ講座に出てきます。

 

それで、まだ読んでないかと思いますが、「中島一斎先生 その信仰と生涯」ということで、最初6月号に入れようと思ったけど、とても入らないので分けました。その中からちょっと・・12ページ(天恩地惠 中嶋一斎先生―その信仰と生涯―)に出てくるんですけども、

 

図―3

 

2006-3

中島先生のお言葉より ということで、

「神を説明する言葉は実に多い。神は光なり。神は相成り。あるいは、幽現界の根本、無始無終が神だとも説明している。しかし、神を本当にわかっている者は、極めてすくない。わからないでも、わかったつもりでいる。そういう者が多い。ではどういう人が、神を本当に分かった人と言えるのだろうか。それは、神は、どんな優れた人間の知恵でも分析したり、解釈したり出来るものではないということを、そのことを知っている人である。神は、体験を通してでなければ、わかって来ない。いくら頭をひねってみても、理屈ではわからない。理屈以上の奇蹟を体験することによって、次第に、神がわかって来る。」

 

ということがこの中に出てきますので、また見ておいて欲しいと思います。

それから、もう一つ12ページに出てきますのは

 

「そもそも、人間意欲の中で、一番魅力を感じることは、神秘を探り当てようという願いである。例えば、信仰に熱を増すのは、神秘を探求したいという意欲のあらわれで、一つの神秘を探り当てると、更に次の神秘を探求したくなる。知れば知るほど、いよいよその奥を探り当てたくなる。ここに、信仰の魅力があり、妙味がある。そして、奇蹟とは神秘の表現化したものであるから、神秘を探求すればするほど奇蹟を体験することになる。信仰に熱を増すのも、言うならば、この奇蹟を多く戴きたいからである。だから、神秘を探り当てたいという願いの強い人ほど多くの奇蹟を戴くことになり、そこで益々信仰に熱を増すということになる。」

 

それと、これは16ページに出てきますけども、メシヤ様のお言葉で

「中島は火、渋井は水。そして、中島は縦、渋井は横だ。この二人は車の両輪なのだ。どっちも重要だ。どっち一つが欠けても、車は動かない。自分は、こういう立派な二人の人間を持つことができた。だから、安心して車の上に乗っていられる。」

ということを。

 

中島先生が火で渋井先生が水。天国会と五六七会。火、水。中島先生が経で渋井先生が緯だよと。車の両輪なんだと。そういうことをメシヤ様が言われたという事です。二人の偉大な先達であったわけです。

神は体験を通してでなければわかって来ない。理屈以上の奇蹟体験。ということをここ(図―3)に書いてあります。

奇蹟とは神秘の表現化なんだよと。ここでキーワードは「奇跡」ということだと思います。

で、最近ちょっと 世界救世(メシヤ)教奇蹟集をまとめてみようかなと思っています。体験集ですね。そこに、メシヤ様の解説が載っていてというのがあるんです。結構膨大なんです。今回、この奇蹟という・・一番気になるのは奇蹟ですよね、ということで、医学革命という事を見ていくと、奇蹟というのが起こらないといけないし、その奇蹟の体験談というのは非常に重要かと思いますので。メシヤ様のお言葉はあるけれども、実際の皆さんの体験記というのはなかなか手元にとって読めないので。全集でもメシヤ様のお言葉は載ってるけども体験談は載ってないかな・・。メシヤ様のお話されたことを書いたのが全集であって、その前段の体験発表というのは載ってないのでね。そういうことがあるので、必要かなと思って。ちょっとまとめているところです。このことを見てからね。

 

で、これ(図―3下部)は、中島先生の「叱りは光り」。

まぁ、よく叱られる人ね、叱りは光りなんだと。役に立つと思うから叱るんだと。叱ってもダメだと思えば叱りはしないよ、という。厳しい先生でしたけども、この人は役に立つと思うから叱ってるんだという事で、話をされています。

 

図―4

 

2006-4

さっきの車の両輪のもう一人の先生で渋井先生。「御用の人」というのが出てきてますけども。

「焦らず 怒らず 怠らず」 ということで。

これは、渋井先生が新米教師の先生にご指導されたお言葉です。その中にですね、新教師への御指導ということで、

 

「御用の人」 (4ページ) 新教師への御指導

「導いた人の浄化を解決するためにお世話をする。それが困難な人ほど前世に関係があった同志で生まれてきて師弟関係になってくる。だから、礼節と順序は厳しいものなんだ。この神様の御用をする人は代々前世の夜の時代の建設者だった。いわば、霊的な意味で罪つくりをたくさんしている。そして今度は昼の世に生まれてきて神様の御用をさせていただいて罪滅ぼしをするようになるのであるから浄化は厳しいよ。その霊を浄めていただきながら、ひとつひとつ浄化を解決していく中で向上していく仕組みになっているのだから浄化も厳しいが、解決したときにその喜びも大きい。辛いこともあるが辛いことだけじゃない。必ずその中には楽しみもあるはず。その辛いこと楽しいことの繰り返しのなかで修行させられていくのだから、浄化に負けないでしっかりやりなさい。そして、そういうことを体験するほど将来のために大きな力となるのです。それには「焦らず、怒らず、怠らず」の三箇条を守っていきなさい。」

 

と、これが渋井先生の信条であったと。

なかなかいい言葉を残されてますよね。

 

中島先生はですね、一番最初は○○電力という電力会社に勤めてみえたらしいです。それから、自動車会社のセールスマンをやって、非常にやり手だったみたいですけども、全部投げ売ってメシヤ様についていかれた。大本教を辞める前もメシヤ様の前に辞めて下準備のようなことをされた先生であります。

 

それで5ぺージ(天恩地惠6月)にですね、上のところで、

 

『中島氏帰幽に関するお言葉 』を学ぶにあたり、メシヤ講座を検索すると、天国会と五六七会の教義を併せたものが、『世界救世(メシヤ)教教義』であり、開教時にメシヤ様がお創りになられた。その教義の内容は『主神様の御経綸を信ずるものが世界救世(メシヤ)教の信者』なのだと、〝彌勒大御神様からの力をいただく”、ということで信仰を組み立てていくのではないのだと、先生が帰幽になられる一年前に岡山で力説されておられます。

先生が旅立つ前に私達に伝えたかったことではなかったかと思わせて頂きました。

 

ここの5ページの真ん中のところ

 

図―5


2006-5
 

「主神様の御経綸を信ずるものが世界救世(メシヤ)教の信者」

これは三重でもね、御教導賜っておりますけども、

 

主神様の御経綸を信ずるものが世界救世(メシヤ)教の信者

先生

そして、この『世界救世(メシヤ)教教義』の冒頭に、

『抑々、世界の創造主たる主之大御神(ヱホバ)は、此地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行はせ給いつつある事を吾等は信ずるのである』とあります。

「吾等は信ずるのである」ですので、この内容を信じる人が世界救世(メシヤ)教の信者さんだということです。ですから、主神様の御経綸を信ずるものが世界救世(メシヤ)教の信者さんであるということです。で、今まで世界救世(キュウセイ)教はですね、彌勒大御神様の御経綸を信じてきましたが、本来、昭和25年の2月4日にメシヤ様が信仰を打ち立てた時には、主神様の御経綸を信ずる教団として開教されたわけです。

それが次の、後継者によって、主神様の御経綸ということを信ずるよりも彌勒大御神様からの力をいただく”、ということで信仰を組み立ててしまいました。ですから人類の歴史を見つめるということを信者さん方にも、十分していただかない形で、ただお蔭信仰だけで今日を迎えてしまった所があります

ですから、どこまでも、信仰に入る時にはですね、御守護いただきたい、あるいは病気が治りたい、自分の不幸を解決したい、もっともっと健康になりたい、仕事が一生懸命出来るようになりたいということで、信仰されるという事は勿論、入口としてはそれで結構なのですけれども、メシヤ様の信仰というのは、

『抑々、世界の創造主たる主之大御神(ヱホバ)は、此地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行はせ給いつつある事を吾等は信ずる』

という信仰なわけです。で、ここへ皆さん方を、お導きしていくのが、実はお世話だということです。そのことを一番最初に我々は信じているのだ。という事をお互いに確認をさせていただきたいと思います。

 

中島先生の話をメシヤ講座とかで調べていくと、一番根本の教義のところに行きましたよ、という事です。

教義自体がね、『抑々、世界の創造主たる主之大御神(ヱホバ)は・・・』から始まってるわけですから。

ややこしくなったんだね、そこの時に、今の話の中島先生が直前に亡くなられるとか。経緯の経が消えてしまったわけですからね。だから、緯に流れていったというところがあるかもしれませんね。経緯を結んで始まった世界救世(メシヤ)教であったわけですけども、その直前に経の先達を亡くしているということが、その後の迷走に繋がっていくし、御法難にも繋がっていったわけですから。

 

さっきの 「吾ら」 というところが、一つのキーワードですね。つながってますけども、「吾等は信ずるのである」というところ。

 

今度はテーマ2のね、『法律と人間の野蛮性』というところに行きますけども。

 

図―6

 

2006-6

まとめると、

 

・主神(エホバ)様から吾らに与えられた浄霊で人間から獣性を抜いていく

・檻を必要としない社会の実現

というのは浄霊実践であり、御教え拝読の徹底により、人格を向上させていくと。ということによって、獣性を除去していくんだと。その獣性除去というのは宗教の使命であるんですよということ。

それと、浄霊とは、今の時代に活き活きとして、嬉々として生きるために取り次ぎ、いただくもの。

ここというのは先生のフレーズというか、よく使われたお言葉ですけども。

「法律と人間の野蛮性」   (栄百十八号  昭和二十六年八月二十二日) は前にやったテーマではありますけども、ちょうど今の時期にもピッタリなことがまた出てきたのかなと。

まとめるとこうなるわけですけども、もう一度6ページ(天恩地惠6月)の(資料①)、手書きしたのを打ちなおしたわけですけど、

 

資料①)

法律と人間の野蛮性

・光明世界の先覚者たれ

・主神(エホバ)様から吾らに与えられた浄霊で人間から獣性を抜いていく

・檻を必要としない社会を実現する。

・来るべき光明世界の先覚者となれ!

・人類を覚醒させるのだ。

 

という事に集約されてくるんですね。色々書いてありますけども。

これは私の見方ですけども。

ちょっと読んでいこうかな。

 

「法律と人間の野蛮性」 で6ページ(天恩地惠6月)の真ん中ですけども。

 

法律と人間の野蛮性   (栄百十八号  昭和二十六年八月二十二日)

現代は法律万能時代で、法規が多く一生かかっても覚えられないが、犯罪は減らないどころか増え続けている。法律だけでは犯罪は無くせないのである。

今、法律を無くせば悪人の天下となってしまうので、宗教と教育に頼るしかないが、それも期待できない。

法律は獣を収容する檻で、法の網を搔い潜ろうとするので、逃げないよう法律を細かくする。人間は、獣と同様の扱いを受けているのだから、人間の恥辱だ。

一日も早く目覚めるべき、人間の形をした獣になってはいけない。

半文明半野蛮の域を脱しなければいけないが、人間扱いをされていい人と獣扱いをされなければならない人の区別はあり、これはまたやむを得ない。

教育は、野蛮時代からみれば人智は進み、政治、社会機構、あらゆる方面に渉って驚くべき進歩発達を遂げたが、精神面即ち魂の改善には、力が足りなかった。

それでは宗教はどうか。

昔から偉い聖者や、卓越せる偉人が幾人も現われ、血の滲むような苦心努力を続けて来た。法を不必要とする迄には到っていない。既成宗教にも多くの期待は持てないでしょう。

 

光明世界の先覚者にならなければならないんですよと。で、7ページの上に行くと、

 

光明世界の先覚者たれ

そこで人間から真に獣性を抜き、檻を必要としない社会を作るには、凡ゆる既成文化を超越した破天荒的な力が現われなくてはならない。其力とは、主の神としてのエホバから吾等に与えられ、今現に発揮しつつある事実で、之が本教の真髄であるから、本教は全く超宗教的大いなる存在であって、やがて来るべき光明世界の先覚者として、第一番に人類の迷蒙を醒ますべき警鐘が此文と思って貰いたいのである。

 

ということで、 吾等に与えられ・・これは浄霊、御教えということですね。

ですから、資料②のところに書いたのが、

浄霊実践で体験を積み重ね、学習を重ね(御教え拝読の徹底ですね)、人格を向上させて獣性を除去していくんだよという事を学ばせて頂いています。

 

図―7

 

2006-7


で、今、コロナで言えばね、コロナ禍。新聞とかでは、こういう字を使ってません?

これ(災)は、主に運命による災害を指すそうです。

こっち(禍)は人間の営みによって引き起こされるものまで含むと。で、神様を表わす「しめすへん」も含む。

コロナ禍、だから、神様の仕組の中かも知れないという事です。そこも含まれてるかもしれない、当然ね。浄化であるわけですから。

薬害禍とかね、そういう言葉。禍というのは一言で・・日本語ってすごいよね、一言で表す。これを話し言葉にすると、「新型コロナウィルス感染拡大の影響で」というのが、「コロナ禍」で終わるわけです。文字数が少なくてすむわけです。○○禍っていうの、結構災害とか使われてますよね。これはちょっと面白いなって思ったので。新聞に出てたんですよ。

 

図―8(省略)

 
今の禍ということでいくと、心言行によって発生するくもりが許容量を超えた人、地域、国、世界の浄化となって表われるんだと。という風に私達は捉えたらいいかなと思います。

 

で、これ、自粛。

 

図―9

 

20200610_194047


自粛しましたよね。この粛ね、辞書で引くと 静まり返っているさま、つつしみかしこまるさまです。自分から進んで行いや態度を慎むことです。で、罰則無しです。日本は自粛の要請ですから。

禁止というとね、してはいけないと差し止める、命令です。だから、罰則付きということがあります。外国はこういう風にして軍隊とか出動しながら、警察とか取り締まっていますよね。

日本は要請ですよね。今の、檻に閉じ込めるかどうかの話です。

 

図―10(省略)



昔も自粛というのがあって、17世紀にね、ペストが流行したんですって。で、疎開した人がいます。疎開したことによって、自粛生活をしたことによって偉大な発見をしました。ニュートンね。万有引力の法則を発見したんです。

17世紀、ニュートンは若者だったんです。20代前半。ロンドンを離れて郷里の村へ避難した。僅か1年半の間に万有引力の法則、微積分とか、光、光学、屈折率。小屋に閉じこもって、穴の隙間から太陽の光が入ってくると白色だったのが壁に当たった時には色が色々ついて、何でだろうと考えてたんだって。自粛してたから考えて、光学、屈折率の研究の論文を書くに至ったという事です。

 

図―11

 

2006-9

自粛することによって、こういう発見もありましたよと。だから、前向きに考えましょうと。今回、前向きに考えて、こういう事になったことによって、各地の拠点の祭典の在り方を自分達でどういう風にしたらいいかというのを考えましたよね。祭典に臨む姿勢づくりをどうしていこうかと。で、世の中のことに、より関心を持つようになったよね。ずっと先生がやって来られたことですけども、自分達もこう世界のことを見るようになりましたよね。ニュースとか注意を払うようになった。私で言えば、資料「天恩地惠」つくりが進みました。こういう二つ(「中島一斎先生 その信仰と生涯」、「地上天国の前提」)を出そうと思ったからね。オンラインの可能性を試行で来たよと。前向きに考えればそういう事がありましたねという話です。

 

図―12(省略)


これは「食の自給へ転換するときだ」という論説が、秋田県立大学教授、日本有機農業学会会長の谷口さんとういう人がみえまして、

〇経済がグローバル化してきてますよと。

〇行き過ぎた大都市への人口集中になってきてるので、便利で快適になった半面ですね、感染症に対しては脆弱になってるよと。

〇食農の自給を見直すべき時ではないかと。

今は海外依存、海外にほとんど食生活を握られているという危うさ。日本は37%の自給率だそうです。輸出国が、自分達の国が大事だから輸出制限をしてくるので、日本の食が危うくなってきますよね。この機会に自給率というのを見直すべきじゃないのという。食生活の見直し。地産地消ですよね。この地域というのは日本全体でとらえればいいかと思いますけども。日本で作ったものを日本で食べるという。特に、無農薬の食料とかもそうですけども。そういうところを見直す、転換するときだという論説がありました。

 

図―13

 

2006-11

法。「法律と人間の野蛮性」の法。これ、さんずいで水だね。水を去る。川は水が流れてるよね。曲がるし、真っ直ぐじゃないよね。水は曲がりますと。で、経が火で、緯が水ですから、水を取ると経だけになるよね。経だけで、真っ直ぐで全く曲げられなくなります。法は曲げられないですよと。

これ、御教えね。御教えをこう書いたんです(笑)。御教えにこんな漫画は描いてませんけど(笑)、言葉を表すとこうなります。

 

図―14

 

2006-12

法とは、乱れさせないこと。間違いはさせないこと。 → 何事にも法があるんですよと。

人間の行い、言葉にも 小さい法があります。言葉はそうだよね、文法とか。それは書き言葉ではあるけども。要は言葉にも小さい法はあるんですよと。人間の行い、道徳的なことになるかもしれませんけども、守らなくてはいけないことはあるんですよと。

神様のことは理屈に合うこと。神律の方につながってきますけども、神様の立法ということにもなりますけども、ちょっとおかしいと思っても根本が理屈に合っていればいいですよと。

じゃぁ、再浄化を考えましょうかと。コロナでも再浄化というのはあるよね。1回かかってもまたかかるとか。残りの毒素が排除される浄化作用ですよと。本来軽いはずです。重いのは理屈に合わないからですよと。本来軽い、段々減っていく。例えば癌とかで、御浄霊で治ったよと。治ったけども、もう治ったと思って浄化を積み重ねるような・・要は、食生活とか運動とかの見直しをしなさいということで、浄霊も勿論ですけども、そういったことを教えられてるにもかかわらず、そういったことをすっかり忘れて、また体に毒素を入れる生活をしてしまうので、もっと重くなってくるんだよという再浄化なわけですから、そこの理屈に合うかどうかを考えなさいよという話。これは法ということで。

 

で、9ページの、さっきの先生の得意なフレーズのところで、下線のところですけども、

人として努力していく時に、〝自分だけやっても・・・〟という思いがむくむくと湧いてきたり、面倒くさくなったり、消極的になったりすることがあったりしますと、薬毒に負けている状態です。また霊の曇りが発生している精神状態です。そのときこそ浄霊をいただいてください。

 浄霊とは、今の時代に活き活きとして、嬉々として生きるために取り次ぎ、いただくものなのです。

だから、「浄霊って何?」と聞かれたら、「今の時代に活き活きとして、嬉々として生きるために取り次ぎ、いただくものなのです。」と、このフレーズを覚えておくと使えますよ、ということですね。

 

今日、用意した内容は以上ですね。

 

それで、6月は、6月15日に地上天国祭があるので、その時には次の12ページの『夜昼転換』のところからのことをもうちょっと軽く行きたいと思います。『夜昼転換』と・・、『夜昼転換』をまとめようと思ってやってたら『地上天国の前提』にいったんだよと。最後のところに載せておきましたけども、『「地上天国の前提」の解説』ということでね、本当はこれもここ(天恩地惠6月)へ入れようと思ったけども、とても無理だったと(笑)。で、ここの22ページの下の方に

 

「地上天国の前提」はどういうふうにして出来上がる―と申しましても「地上天国」の第一段階ですが―明主様がお教え下さったことをまとめたものです。よく研鑽して布教に役立ててください。

 

要は、教会長とか指導者とか、お世話していく時に、未信者さんに対して、「地上天国」とは、とかそういうことの説明が・・。メシヤ教としては「地上天国」というのは、メシヤ様の御教えの中では皆が知っていてのことであって、地上天国建設を目指します、と言ってるんですから、そういう事の説明が出来て行かないといけないので、しっかりこれを読んで話が出来るようにして下さいねって言われたわけです。

 

参加者

そういう意味の「前提」?

 

三救責任者

そういう意味の「前提」ではなくて、地上天国になる為の前提条件としては、まず薬害、薬を失くす、病気を失くすことが大前提ですよと、そういう意味の「前提」で。だから、これをやっていて、「地上天国の前提」だけ載せたんではと思って、『「病気治し」は救いの基本』というのを付け加えたわけです。

『「病気治し」は救いの基本』というのも資料を頂いていたので、セットで学んでいたんですよ。ここをしっかりと分かっておかないといけないと。一時、浄霊は祈りなんだよというような間違った解釈がはびこったらしいです。祈りと浄霊を一緒にした御教えというのは無いそうです。祈りじゃないんですよ。浄霊というのは薬毒を除いていくんだから。

 

(中略) 

参加者

厳しいだけでもダメだし・・。

 

三救責任者

そうそう。上手くミックスしてやっていかないとっていう事なんです。だから、本当言うと、中島先生もおられて、渋井先生もおられて、上手くバランスを取りながら、メシヤ様がその上に乗られてやっていこうとされていたところの直前で亡くなられてしまったということがあったよという捉え方です。

 

参加者

そんな大きなことがねぇ。

 

三救責任者

で、ご法難に繋がっていくわけですから。法だよね。それは全部が全部細かくはメシヤ様も把握できてないところを・・。何でも伸びるところはやられますから。で、檻という。だけど、檻に入ったことによって今度はミクラタナの神様の本当の御神業に繋がっていくということもあるので、何がいい、悪い、というのは分からないよという。全部つながりがあるよ。

ご法難によって取り調べを受けて、脳の拷問を受けたことによって今度はメシヤ様ご自身の大浄化につながって、体を持っていかれるわけですから。でも、その時にはメシヤ様は分かっておられて「何れはあそこが私の終の棲家・・」と言われたのが奥津城の場所だったということで、分かっておられて話しておられた。時期というのは決まっていたわけですね。そういう流れですから。だから、メシヤ降誕本祝典というのもあの時は出来なかったっていう事ですよね。で、今だから出来たんでしょうけども。だから、メシヤ様と共にあった、メシヤ様が現界におられたので、奇蹟というのも凄かったというのがありましたね。ただ、浄霊の力はその時以上に増してるはずなんですよ。だから、今度は浄化の方の、薬で固めるというのが出来なくなってくるので、固められなくなるのでそれが肉体が耐えられないという状況が起きてきているので、だから、どれだけ薬を入れていたかによって、コロナでも基礎疾患がある人は一杯体に薬毒が残っているのでその時には耐えられないという人が出てくる。
インフルエンザで亡くなられる人もおられるということは、元々基礎的疾患があると、結構毒素が入ってて固める力が無くなったということですので、そういう事で説明つくんだと思います。だから、メシヤ様がおられた時は目の前におられてでいいんだけども、今はそのメシヤ様が現界にあらわれてこういう時期に働いて下さってるというのはですね、メシヤ様を認識出来なければ繋がっていかないので、メシヤ様というご存在を認識出来るかどうかという話になって来ると思います。

 

参加者

想念で結べるか結べないかという。

 

三救責任者

そうそう。だから、実際に御守り、物にこだわってというのと、メシヤ様を想って、メシヤ様に直に繋がって、手をかざせば浄霊力を発揮できるんだよという、この比較ですよね。御守りが無ければ自力になるんですよと言ってる人は逆のことを言ってる、ということに気付かないといけないよね。メシヤ様は「なくてもいい」と仰ってるわけですから。そこは人間の都合で印刷するということにしたわけですから。

 

参加者

光を霊界からどれだけでも出すって・・。

 

三救責任者

そういうことを、僕等は事前に学んでこれたので、こうやって今では分かるし、「メシヤ様」と普段から御尊称させて頂いているという、そういう認識が出来てきてるので本当に幸せな事なんですね。

神様の御存在も元々の教義を勉強することによって、なぜ「教義を勉強しなさい、勉強しなさい」といわれたかというと、結局は開教の時から「主神様が主宰神ですよ」ということを言ってるじゃないのということですよね。大光明如来さまにしてもメシヤ様の代理の神霊がかかっているんですということですので。そこが、開教の時にはピシッと正したかったのかも知れないですけど、そこは上手くミロク大御神の御経綸でという風にちょっとずれて解釈がいってしまったというのが・・・。教義を中心にしてとらえればよかったのですね。


(中略) 

 

司会

はい、以上を持ちまして月次祭、並びに一日祭を終わらせていただきます。

ありがとうございました。

 

参加者一同

ありがとうございました。