令和4年2月1日


優しくしてもらいたいということが、自分の防御のために喘息を引き起こすこともあるんですよ、ということです。
病気でもないのに熱を出したりって、ありませんでした?








〝あれは信仰不熱心なのだ″と思っておかねばいけません。






興味を持たれた方は本を購入されて読まれてはどうでしょうか。
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ようこそ。Three Pillars of Salvation 『三救』へ。 メシヤ様のご精神である御教えを中心において、⦿浄霊⦿自然農法⦿芸術による救いを、現代に伝える取り組みを進め、その恩恵を享受できる人々が一人でも多く集える世界、地上天国建設を目指してまいりたいと思います。ご愛読いただければ幸いです。
令和4年2月1日
立春祭 意義。令和四年二月四日
全ての神々は、メシヤ様の御手を通して
創造主、主神様御一方に帰一していきます。
主神様からメシヤ様を通して出られた御教えをいかに実践して普遍化していくのかをメシヤ様は私達に問われているのだと拝察申し上げます。
実践するのは人間なのです。私たちなのです。そう自分自身なのです。
メシヤ様の御事を述べ伝え、御教え・浄霊を実践するという、私たちの使命が果たせますよう、念じ奉ります。
(祭典)
天津祝詞・善言讃詞 奏上
御浄霊
御教え拝読 開教の辞 世界救世(メシヤ)教教義
三救責任者 立春祭 挨拶。
昨日の節分祭では神言を奏上致しました。
メシヤ教時代の節分祭のテープを確認しておりましたら、
「メシヤ様の御教えに基づき、節分祭を執り行います。」との司会の言葉に気づきました。
メシヤ様は節分祭を執り行うよう仰ったわけではありませんが、
それは、審判をなされるお立場、赦す立場であるからで、
私達人間は、人類史を鑑み、夜の時代に染みついた癖を、
悔い改め、メシヤ様に赦しを請わねばなりません。
毎年毎年、その認識をもって節分祭を執り行う必要があるのです。
そういう内容でございました。
それで「メシヤ様の御教えに基づき」という言霊を発していただいたわけです。
はじめに『天恩地惠』13P~20Pから選んで 学ぶ。
このように振り返ってまいりますと、素戔嗚尊が天照皇大御神様を押し込めたこと、アマカヒコノミコトが国常立尊様を引退に追い込んだことに想念を持ち、お詫びの祭典を積み重ねてまいりました。
今まで学ばせていただいた『ご神名は、神様のお働きである。』『すべての神々は主神様、ただお一方に帰一していく』ということについて合わせ考えます時、畏れながらメシヤ降誕本祝典を斎行させて頂き、メシヤ降誕が成ったと。
メシヤ様のご存在を認識させていただいた。と思わせていただきますと、
国常立尊様のご神名で、霊界の審判をなされ、いよいよ現界に現れて。
というのは、観音様のお働きばかりでなく、現界を審判し、赦す。
権能をお持ちになって、観音様と国常立尊様のお働きを合わせ持たれた、
メシヤ様の御名で現界の建て替え、立ち直しをされ、地上天国建設を私たち人間に任されておられるのだという想いに至りました。
現状を見てください。確実に存在する目に見えない霊の存在を信じず、目に見えないコロナウイルスを恐れ、人間が作り上げたパンデミックに振り回されております。
地上天国を建設しようと悪を容認し、物質文化を極限にまで高められた
主神様の御意図や如何に。と考えさせられます。
人流を抑制し、物流を抑制し、孤独を生み、そして経済をどん底に落とし、
医者にはかかりたい人がいてもかかれない。
と考えてくると、ハッと気づかせていただけます。
そうです。医学革命です。
この道を知らずとも、通常、風邪で病院に行く必要はないのです。
医学革命を起こし、霊の存在を認識させるのが目的ではないかと思うのです。
最後の審判というのは精神の病でくると学びました。
令和に入ってからの異常な事件を思い出してください。
令和元年5月25日、名古屋メッタ刺し死亡事件。服役中に交際女性を取られ、金取られ、恨みが募る。
5月28日、川崎殺傷事件。路上で児童ら19人殺傷自殺。1人で死ぬのが嫌だったため、そしてsnsのアップが問題になる。
令和3年、大阪メンタルクリニック放火事件。
また、駅列車襲撃事件が多発しました。
8月24日、地下鉄白金高輪駅構内硫酸のような液体をかけた重傷傷害事件。
「勝ち組の女殺したくなる。」
小田急線刺傷容疑者。サークルで馬鹿にされ、出会い系で断られ、幸せなカップルを見ると殺したくなる。
10月31日、京王線車内で火災発生。乗客が切りつけられ、車両放火17人重軽傷ジョーカー仮装男、孤立孤独化。
11月8日、熊本九州新幹線。床に火をつけた。
中学校で男子生徒刺され死亡。
妬みとか、ソネミとか孤独化など、精神的なものが、随分影響しているようです。
これは、最後の審判というのは精神の病でくると学んだ、その通りだと思います。
ところで、日本で1番平和な平和だった時代というのは、縄文時代、争いはなかったのです。
弥生時代になって、稲作が入って、貧富の差が生まれたことで、争いを生んだということだそうです。精神世界における地上天国というのは人類は経験しているわけです。
今度は物質文化の発展を伴った地上天国ですが、物質文化が発展しすぎて精神文化が顧みられなかったために現在のように荒廃してしまったと思わされます。
新年祭、節分祭に出て来ました御詠の
『若しも吾』の吾とはメシヤ様のことです。
『出でずば』とは、現界に現身をお持ちになられて、人間としての最高位に昇られ、人類に(因縁の人に)、救世の業をお与えくださいました。御教えと浄霊で、人を救う方法と力を既に私達は賜っているのです。
このことより多くの人が認識できなければ、罪の重みに耐えかね、人類が滅びてしまうと受け止めたいと思います。メシヤ様の御神格を認識させていただくことの一点に尽きるのだと思います。
メシヤ様は、伊弉諾尊様、国常立尊様、観音様、ミロク大御神様、伊都能売大御神様、天照皇大御神様、光明如来様。
私たちが、世界メシヤ教に関わりある神様として学んできた全ての神様のお働きをなされてこられたのです。
御神名は、お働きであるからです。
なぜそのように、種々のお偉大な神様のお働きができたのでしょうか。
主神様から、直接観音様として遣わされ、現界で、善言讃詞で、御教え賜っているように、神様の御出世を体現なされたのだと拝察いたします。
人類に仏滅を示されたのです。
ミロク下生、キリストの再臨、メシヤ降誕を顕現され、全ては主神様に帰一していく。
現界で、メシヤ様に帰一していく。認識せよ!
と警鐘を鳴らしているのです。
祭典を積み重ね、『覚りの旅』で学んで、
メシヤ様の御神格を認識させていただきましょう。
そして、覚らせていただいたことを因縁ある人々に伝えてまいりましょう。
本日は立春祭おめでとうございました。
吾とはメシヤ様のことです。
罪を背負った神々をも、全人類をも赦す権能をお持ちになられたメシヤ様が地球に、お顕れくださったからこそ、救いの道も開けているのです。
罪の根元は、
神様を押し込めたこと、
薬を用いたこと と御教え賜っています。
薬信奉の世の中を憂い、お詫びし、
メシヤ様の御教えが、
全世界に拡がる事を念じ奉ります。
もしもわれ このどにいでずばぜんじんるい ほろびはてなんつみのおもにに
若しも吾 この土に出でずば全人類 滅び果てなん罪の重荷に
『栄光』246号、昭和29(1954)年2月3日発行 より
以上のごとく霊界の籍通りが体に移り、運命となるとしたら、霊の地位向上こそ幸運の根本である事が余りにも明らかである。何よりも事実を見ても分る通り、世間よく出世をして人から羨(うらや)まれるようになり、自分もいい気持になって、いつまでも続くと思っていると、豈(あに)計らんやいつしか失敗転落、元の木阿弥(もくあみ)となる例もよくある。というのはこの理を知らず、人力にのみ頼りすぎるからで、しかも人を苦しめ、無理をする結果、形だけは成功しても、霊は地獄に堕ちているので、霊主体従の法則によりその通りの運命となるのである。そうして霊にも物質と同様重量があり、重ければ地獄に堕ち、軽ければ天国に上る。昔から罪の重荷というが、その通りで、悪の行為は霊が曇り重くなるに反し、善の行為は軽くなり上へ昇るのである。故に人間は悪を慎み、罪を作らないようにする事で、出来るだけ善を行い、霊を軽くする事こそ幸運の秘訣である。これが真理である以上、これ以外方法のない事は断言するのである。といってもなるほど理屈は分るが、さて実行となると中々難かしいものである。ところが容易に出来る方法がある。これこそ信仰であるから、幸運を得たい人は何をおいても、まず信仰に入る事である。
御講話 未発表、年代不詳
観音様はとても大きくくださる。なんとなれば観音様は主神で、全世界を自由にし得る神で、金持ちでいえば日本一の金持ちだし、否世界一の金持ち、同じ金持ちでも中位のと小位のと違う。
同じ番頭でも、同じ働いてもたいへん違う。要するに観音様は、世界一の所有者で、なんでも持っておられる。観音様にいただくということは、どんな大きなことになるか判らないのであります。
その人は徳がつくから、善いこともたくさん出てくる、思わぬ良いことが出てくる。家は栄える。よくなるなど、徳を積んだ報いは、仏教のほうなどで説いてあるから……。言うまでもなく、特に観音様は全世界を救われることを始められた。
で、治るのは、罪の重荷を観音様がとってくださる。一般では、その罪をお医者や薬がとってくれると思うから違う。顕微鏡みたようなものなど、そんなもので罪はとれぬ。それは罪をとるためにできたものではない。肉体に現われたものを消滅しようとする。
観音会では、人間に観音光を与える。すると子孫が祖先から受けた罪は解消し、この人の魂が光り、光が放射して祖先の罪は許されて天国へ行く。天国ではみな観音様のお側へ行く。ですから祀るより早く行く、根本的であります。
御講話 未発表、年代不詳
どういう形で祖先の罪は子孫へ来るかというと、多く脊髄へ来る。御自分の犯した罪は外へ来る。
頭と脊髄へ来る、これはなにか、祖先から子孫へ流れる形は経である。祖先の霊線は頭へ来ている、目の上へ来る。
よく頭が重いというが、これは祖先が霊界で苦しんでる証拠で、頭へ来てオッかぶさってるわけで、頭へ重荷を負ってるわけである。首筋から脊髄へ来、よく脊髄カリエスになる。これは罪が直接流れて来て膿になってくる。
肺など脊髄から膿が出て肺に入るのが非常に多い。そういうわけであるからして、祖先の罪穢ということによって病気発生し、それにより早く死ぬ。これが根本原則である。
霊統というのは、霊線といい霊に線があり、これはたくさんあって、いままで霊的事実にぶつかって霊統というものは争えないことをたくさん経験していますが、よく霊が乗り憑ったり、死霊が祟ることがあるが、ぜんぜん縁もゆかりもない所へはできない。善いにつけ悪いにつけ、必ず霊統のものに祟ったりなどする。
どんな方でも、祖先の霊線は何百本、何千本、霊の巣のごとく引かれている、総合されてる。これは切っても切れない、どうしても繋がってゆく。草木とすれば、種が落ち実がなり、また、種ができ、実がなると……そうなって、どこまでもその種の霊統が繋がっている。
米なら米として、どこまでも米は米で、多少の変化はあっても、麦はどこまでも麦である。粟はどこまでも粟である。どうしてもそれだけの特色をもって続く。これが何種何億にもなる。
自分自身は霊線により繋がってる。ぜんぜん関係なく繋がっているものでない。
祖先がまるっきり罪なく往生することもない、めったにない。なにでそれは証拠立てるかというと、寿命でないのに死ぬことがある。なぜ死ぬかというと、罪の重荷に堪えきれずに死ぬ。病気はすべて罪の重荷に堪えきれず死ぬのである。
御講話(S27年4月1日)『御垂示録』8号、昭和27(1952)年4月25日発行
それから、みんな罪の重荷をいっぱい背負ってますからね。病人を助けるのも結構だし、金の御用をして、早く地上天国を造るというのも結構ですし、そこが ちょうど良いところですね。なかなか難しいですがその人なりに、自分はこのくらいが良い、こうすべきだ。と言う程度にやれば良いんです。それで、そういった信仰の関係や理屈は、御神書を読んで、教師は私の話を、質問したり聞いたりすることそれから普段、先輩の先生――資格者から聞いたり、質問したりして、だんだん磨いていくんです。
一番いけないのは、あの人はああやっちゃいけない。あの人は間違っている。と言うことがいけないんですよ。人の良いとか悪いとか言うことは、人間には解らないんだからね。神様以外には解らないんだからね。あの人は邪神だとか、邪神が憑いているとか言うことは、神様のなさるべきことを冒しているので、たい へんなことです。だから、人を見ないで自分を見るんです。自分は間違っているかいないかと見るんです。それが本当の誠です。人の悪いことを諌める――注意 するのが良いことと思っているが、それがたいへんな間違いです。一般社会ならそれで良いですが、この教団の信者になった以上はいけないんです。もしその人 が間違っていれば、神様が捻(ひね)っちゃいますよ。何でもないです。もしそうでないなら、人間が神様の力より上になっちゃうことになりますよ。それで、 今度書きましたから、新聞に出します。そういう点において、世の中とよほど違いますからね。それが、信仰の妙諦(みょうてい)なんですよ。
結局、何でも決めるのがいけない。決めると間違う。決められないこともあるんだからね。だから、だいたい決めてはいけないということにして、それから決 めなければならないことは決める。それは、事と次第によっていろいろあるんだから――決めないと決めるようにするのもいけない。そこが千変万化、幽玄微妙 の境地なんです。だから、それに少しでも近寄って行けば、その人は本当に身魂が磨けているんです。これは今までの信仰にはないんです。これは高い信仰なんです。そういう人の信仰は間違いないんです。それが真理なんだからね。
自観叢書第3編『霊界叢談』、昭和24(1949)年8月25日発行
霊層界のより上段に霊魂の籍をおく事が幸運者たり得る唯一の方法である。元来霊魂の位置は一定してはいないもので常に昇降している。なぜかというと軽い程上方に昇り、重い程下向するのであって、この軽重の原因はいかなる訳かというと、人間の行為の善悪によるもので、善事を行ない徳行を重ねれば罪穢が減少するから軽くなり、悪事を行ない罪を重ねれば罪穢が増すから重くなるという訳で、昔から罪の重荷とはよく言ったものである。故に善悪の心言行そのままが霊線によって神へ直通するのであるから、この理を知ったならどうしても善徳者にならざるを得ないのである。
前述のごとく人間は神の命によって、運命は疎か生死までも決定するのであるから、人間の生命の命の字は命令の命の字である。故に死とは神よりの命令解除である。それは世の中に害毒を与えたり生存の価値なきためであるから、人間は命令を解除されぬよう神に愛され社会有用なる人間にならなければ、長寿と幸福は得られる筈がないのである。
明主様と御対談(二) 『栄光』267号、昭和29(1954)年7月28日発行
明主様 魂の罪が減ればよいのです。つまり、罪の重荷と言いますが、その罪を取れば軽くなるから上がるのです。
真山氏 どういたしましたらその罪が取れましょうか。
明主様 浄霊によることと私の本を読むとかすることです。それは光が出るからです。私の方で発行する新聞の活字から光が出るので、それを見る人があります。
真山氏 そうしますと私どもは当分の間は貧から救われないわけですね。
明主様 あなたしだいです。救われたいと思えば信者になればよいのです。そうすればドンドン良くなります。しかし、うまいことを言って信仰させようとするのだろうと思うでしょうが、思っても思わなくても、「信じろ」と言うのは嘘です。ものは試しだ瞞されたと思ってやって「なるほど、これだな」と思えばよいし、思わなければ御守りは捨ててもよいのです。
真山氏 私も救われたいとは思いますが……それはやはり罪が多いわけでしょうか。
明主様 人を苦しめるというのは罪になりますが、自分が仕合せになろうというのは本当の欲求です。人をいじめてオレだけというのはいけませんが、人も良くなりオレも良くなるというのは良いです。共存主義です。
『結核信仰療法』昭和27(1952)年12月1日発行
さてこの世界なるものは、霊界と物質界との構成であるから、人間も同様霊と体とで成立っており、両者密接不離の関係にあって、霊体一致が原則である。という訳で霊の曇りが体に映れば濁血となり、濁血が霊に映れば曇りとなる。これが最も重点であるから、そのつもりで読んで貰いたい。そうして今それを霊の方から説いてみると、人間が悪の行為をするやその罪が霊の曇りとなり、この曇りの溜積がある程度に達するや、ここに浄化作用が発生する。これが病気、災害、または法による刑罰であって、これに洩れた分が神の律法によって霊的刑罰を受けるのである。しかしこの刑罰をいかに巧妙に免れ得たとしても、神のそれは絶対である以上、体に移写して大きな苦悩となる。もちろんこの際の病気は悪性で、多くは生命にまで及ぶのである。そうして悪の刑罰は、早ければ早い程軽く済むもので、ちょうど借金と同様、返えさずにおくと利子が溜るようなものである。しかし悪人によっては、人と神との両刑罰を巧く免れる者も稀にはあるが、それらは死と共に霊界に往くや、罪の重荷によって地獄のドン底に堕ちてしまうので、いかなる悪人も悔悟せざるを得ない事になる。
『光』42号、昭和24(1949)年12月31日発行
以上の意味において、大審判が今や全人類の頭上に蔽い被らんとするこの秋(とき)一人でも多くの人間を救い給うのが神の大愛である以上大審判の執行者であり人間の生命を握られ給うのであるから神の御手に縋って罪を許されるより外にこの難関を切り抜ける方法は絶対ないのである、すなわち人類が負える罪の重荷を神の御手によって取除かれ清められる以外救われる道はないからである。
私はこの最後の救いの執行者として、神の委任のままに責任を遂行すべくここに一大警鐘を鳴らすのである以上、耳を塞ぎ聞くを欲せざる人は自ら滅びの運命を選ぶ人と言うより外に言葉はない、いよいよの時になって悔改むるも最早取返しのつかない事を警告して筆をおくのである。
令和6年7月1日 覚りの旅 令和6年7月 月年祭を終えて 三救責任者 月次祭おめでとうございます。 参加者一同 おめでとうございます。 三救責任者 令和六年七月度 覚りの旅の資料を最初に拝読していただけますか? 参加者 令和六年七月度 覚りの旅 資料 1 は...