覚りの旅  令和6年5月

  今回から5月に開催した『覚りの旅』の内容を要約して掲載していきたいと思います。

原稿作成の重要性

側近奉仕者がメシヤ様から賜ったお言葉に
『原稿を書け。原稿を書くと頭が良くなる。ことにおまえ達は私の事を書けばいいのだ』
とあります。

ぜひ皆さんも、自分の学びや体験を整理して原稿に起こしてみてください。
そして、まだメシヤ様をご存知ない方々に、浄霊の恩恵を享受できていない方々に自分の言葉で話してみてください。

『覚りの旅』の始まりを思う

今月の御教えは、『宗教の根源と救世主の出現』 観音講座 第二講座 昭和十年七月二十五日でした。

『覚りの旅』の始まりを思い出していただき、
読まれた感想とか、覚ったこととか、気付いたこと等を、お話ししていただきました。
 
次に、今回のテーマで私の思ったことを話しをさせて頂きました。

昭和10年(1935年)5月1日の御講話より
昭和10年1月1日に麹町に大日本観音会が発会します。89年前の話です。

 「八年前から観音様が種々な仕組みをなされ、それがみな五月一日から始まっているので、今年も五月から必ずや一大転換するものと期待していたが、一週間ばかり前までは、目に見えるなにものもなかった。Sさんが来たとき、家を探してもらいたいと頼んだ。すると、見つかった。五月一日に契約して五月五日に越すようになった。観音様から御示しがあった。」

昭和10年5月1日より医療士の講習を始める。この『観音講座』だと言えると思います。

5月1日ということ → 今日は5月1日ですね。
8年前から始まった → 2024年の8年前は2016年(平成28年)。
2016年4月にここで仮遷座祭を行いました。ここの御神業のはじまりです。
5という数字でいくと、5ケ月後の平成28年9月に遷座祭を行っております。
昭和と時を超えて共振しているように感じ、このようなお話をさせていただきました。

御教えの続きですが、

 「私が観音力の絶対を信じた、病貧争のない世界、あるいは世界統一くらいなんでもなくできるという確信を得られたんであります。」という御教えを賜っております。
それから、応神堂に対して本部、応神堂がもっと大きくなるともっと大きい本部になると、
「人間のやることではない、観音様のやられること」だから必ずできるんだ、と仰っておられます。
「今度は借りないでも思った通りなものができる。」 
借りというのは借家だったわけです。借りは、仮に通じるのですね。

印 
『観音講座 第二講座』に
『イエス・キリストは礫刑(たっけい)に成ったがこれになる様にと印を付けたのである。』とあります。
ハリツケになるように印をつけた?!・・と書いてあるわけです。
罪のあがない主として印をつけたのだろうか?人類の罪を代表してハリツケになるという印?
 「印」ということで浜松神界通信に記載があることを、思い出して探していただきましたが、内容は(略)させていただきます。

 
昭和28年11月10日(関西巡教御講話)より

「天津金木の起こる前というのは、つまり玉座といって、真四角なのです。その時分は畳か板か分かりませんが、そういったものを作って、それは十文字の形になって、その真ん中に神様が坐るのです。それはつまり 天照大御神様が統治されたときにそこに坐るのです。そこで目をつぶっておられると、その国のいろいろなことが分かるのです。それが天照大御神様がおかくれになって、その代わりとして天津金木というものをかかげたのです。」

この御講話は、「印」と「マーク」についての学びに私たちを誘導してくださったのだと受け止めさせていただきました。以前より気になっておりました、仮祝典の時の後方に(略)の疑問が解けたように思いました。

例えば天津金木を上から見た場合にぐるっと回せばこの形(御神体)になりませんか?想像してみて下さい。
真ん中のゝ(チョン)がメシヤ様です。
仮祝典の話と、それから、5月5日につながる話になってきているわけです。

最初の観音会を発足して、お屋敷が見つかって、それが8年前から始まっていてという話と、5月1日に契約して、5日にもう御遷座されているわけです。
ずっと今までしてきたことを、今回、同じことを思わせてもらったということです。

5月1日の話というのは、昭和10年5月1日の御講話で検索すれば出てくると思います。

皆さんも、御教えを持っておられるので、確認という意味では、検索する癖をつけて欲しいなと思います。確信を持つためには自分で何処に書いてあるのかというのを探してもらうと、より新たな気づきにもつながるかと思います。

 『観音講座』を読むときに、『文明の創造』と、比較しつつ見ていただけたらいいのかなと思います。
タイトルが大事なように思います。
第二講座の方のタイトルとしては、
・ 「宗教の根源と救世主の出現」
・ 「悪の経綸」
・ 「弥勒三会」
・ 「真の大乗、小乗」
・ 「三種の神器の働き」
・ 「道法礼節」
となっています。

最初の 「宗教の根源と救世主の出現」 は 『文明の創造』ではどうなのかとみますと、同じような内容がやはりでてきます。

神幽現三界は主神様御一方が主宰され給ふ ・・・ 「仏滅と五六七の世」(315頁)に出てきます。
観音様の御本尊は伊都能売神である ・・・ 「仏教の起源」(317頁)
仏法の本当の祖は伊都能売神である ・・・ 「伊都能売神」(323頁)
本地垂跡の本地は日本である ・・・ 「伊都能売神」(323、324頁)

今回の『観音講座』 でいう国常立尊様というのは、伊都能売大神様が観音様になって、観音様はお釈迦様に教えられた。素戔嗚尊は西洋へ行ってイスラエル民族、ユダヤ民族の学問の元、学問を発達させた。
あくまでも、主神様の御仕組みとして、素戔嗚尊様は西洋に行かれたということです。そして、物質文化を発展させた。

「過去現在未来三世の利益は元観音一体に帰す」 と出てきますね。これは、『文明の創造』でいう、「神幽現三界は主神様御一方が主宰され給ふ」。

『文明の創造』では、一般の方々に分かりやすくお書きになろうと苦心されたわけですが、信者になろうとしている方々には、『観音講座』の方で、昭和10年の頃から教えて頂いているわけです。

日蓮上人の話では、法華経も観音様が最初の骨子を説かれたということが書かれています。
観音様は元々は伊都能売大神様ということになってきますね。

 「悪の経綸」
というところでいくと、
物質文化発達の為必要なる悪の経綸ということで、悪の経綸も必要だという教えです。
これは『文明の創造』の方でもそういう教えがあります。
タイトルとしては出てきません。「悪の経綸」の中で、第六天魔王とありますね。これは、素戔嗚尊の悪の経綸なんだと。

第六天魔王だと自分で名のった人がいます。織田信長です。

※英雄たちの選択 NHK BS 信長が震えた日 〜血戦!長島一向一揆〜
の放映をたまたま見ました。
信長は「第六天魔王」と名乗っていました。
目に見えない阿弥陀様を信仰する一向宗を非常に恐れるわけです。
阿弥陀様を超える存在、敵対する第六天魔王なのだというわけです。
目にみえるこの世のものを信ぜよ。その頂点が信長だというわけですね。


それから、「弥勒三会」ということが出てきております。
『文明の創造』も「彌勒三会」で333頁に、三身の彌勒が一度に会われること。
日月地の彌勒。十八の数が重要だ。ということが、『文明の創造』に出てきております。

『観音講座』の方では、緯として、キリスト教では、天の父と天の子と聖霊とにて三位一体なんだと書かれております。西洋的な方の説き方もあって、仏教的な方の説き方もある。

メシヤ教というのは、両方包含しているので、西洋も東洋も包含した説き方があるということです。

 「真の大乗、小乗」
という項目の中では、

病気無くば観音様知らず。病気に救われたのであるから、病は永久の大恩人である。
行いは小乗で、観るは大乗の頭で。という、説き方を『観音講座』ではされております。

『文明の創造』の方では、「仏教に於ける大乗小乗」(338頁)ということで、小乗である仏教にも大乗小乗あり。この小乗というのは自力であり、大乗というのは他力の方で、

小乗の自力の中には、禅宗と日蓮宗がある。日蓮宗の根本はバラモン教であって、難行苦行をする。元々、インドはバラモン教が中心でしたので、難行苦行で、その流れをくむのが禅宗と日蓮宗。
達磨というのは苦行ですね。学問もあります。

他力の方でいくと、釈尊の仏教精神というのはこちらの方で、経文を唱えることで悟りを得る。
難行苦行をせずとも、経文を唱えることで悟りを得るんだと。

ただ、日蓮の方は、難行苦行も取り込んでいますが、「吾は法華経の行者なり」と言われ、精神はバラモンで形体は釈尊に学んだ。霊憑りを奨励して修行をしているのも日蓮宗の方だということです。

法華経二十八品の二十五番目に普門品が出てきます。二十五というのは、5×5=25、日出づる、日の出のことであって、月の仏界に日が生れたことになる。夜の最奥世界に黎明の光が射し初めた。

このように、法華経を説く日蓮のことを言っています。

 
「三種の神器の働き」
ということで、
日は璽(たま)で、月は剱、大地は鏡。「日と月」という御教え(地上天国9号昭和24年10月25日)にも出てくる説き方をされています。


「苦集滅道 道法礼節」 

「道」 というのは、通るべき筋、観音行
「法」 は、天地の法に外れねば総て旨く行く。天地の法というのは、造物主が造った法律。
道法 というのは、観音の法律であって、完全無欠の法。
「礼(禮)」 というのは、神は順序なり。礼儀なくば順序たたず。漢字では豊かさを示すと書くので、余裕がなければ禮も出て来ない。
「節」 というのは、節なくば物は進行せず。一時的に止るのは節であって、心配は不要。勢を止めるので一層強くなる。節に合せて行へば旨くいく。

こういう「苦集滅道 道法礼節」を2600年前に御釈迦様が説かれた。
御釈迦様は、観音様から聞かれた、教えてもらった、ということですね。

 
『文明の創造』の「序文」に、

神は何万年前から細大漏(もら)すところなく、慎重綿密なる準備をされていた。

「天国建設の順序と悪の追放」(25頁)には、

悪の期間は限度がある。
それは世界の主宰者たる主神の意図であり、哲学的に言えば絶対者とそうして宇宙意思である。

悪の期間は限度があるということは、世界の終末として、キリストが予言された。

次の時代こそ、天国世界であり、病貧争絶無の真善美の世界であって、ミロクの世である。

今は、善悪切替の境目である。いよいよ悪追放の時が来た。
これは、世界経綸の神のプログラムの現れである。善の勝った世界になっていくんですね、地上天国というのは。善が少しでも勝つ。悪が輪止(りんどま)りして、善の手になった時に地上天国が建設される。

神様のプログラムですので、人間の頭で考えて悪い方向に行っているような事でも、
神様のお仕組であるんだというように考えた方が、御教えにありますので、宜しいかと思います。

これは、人類の決定的運命なんだと書かれています。

それから、

日本の天皇陛下の古代に遡って行くと神様ということになる。
神様がなければ外国と同じになるが日本は天照皇大御神様の御系統である。
神を認めなければ日本の国は成立しないのである。
一有って二つとない日本の天皇である。
現在まで生通しである神様である。

主神様が絶対に有ると認めなければこの説は成立しない。

ということが、『観音講座 第七講座』 に書かれています。

それで、この前の『縄文文明』という小名木善行著によると、「日本では自分の先祖をずっと遡れば神だという考えがあります。」と、言われていることが一緒ですよね、「日本の天皇陛下の古代に遡って行くと神様ということになる」ということと。

「死んだら神様になるという考え。お盆にはお墓参りをしてお祈りをする。」とあります。

自分の父と母がいて2人ですね。その上にいくと、4人。その上にいくと8人。2の20乗は約104万。2の19乗は約50万。このくらいは我が家の先祖と言えるんだということです。

20代遡ると戦国時代、それで50万。27代遡ると、鎌倉時代(700年前)は1億3000万人。
27代遡ると1億3000万人の先祖がおられるのに、鎌倉時代の人口は700万人です。

だから、日本人の先祖はどこかで重なっていますということです。自分の先祖の数よりも、その時の人口が少ないのですから。共通の先祖が居るということです。

だから、日本人皆兄弟です。すべての家に共通した先祖にどこかで交わるんです。

以前、日本人が遡ればみんな藤原になると話をしましたね。藤原氏も遡れば天児屋根命(あめのこやねのみこと)、神様ですね。ずっと遡って行けば皆神様です。そういう考え方が日本にある。

神様の話をすること、そういう概念を、神語りとして代々伝えてきた。

それが戦争に結びついたんだというGHQの考えで、この前に話しましたけれども、神話教育を禁止されたということです。

だけど、日本人は他と違うというのは、こういう概念があるからです。

縄文時代というのは、平和な時代があったということです。

 『虎に翼』の時代背景

朝ドラの『虎に翼』で、父親が逮捕されていました。共亜事件のモデルは帝人事件。
昭和9年です。
これの書かれている時期の時代背景、検察、裁判ということを見て欲しいです。
この時代はこういう感じだったんだなと見て欲しいなと思います。

帝人事件、昭和9年(1934年)です。

モデルとなったのは三淵嘉子さん。実際には父親は逮捕されていないです。これはドラマの中でのことです。

帝人事件というのはありました。株式売買をめぐり、政治家、銀行頭取をも巻き込んだ「疑獄事件」です。テレビでもやっていたように、内閣
<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E8%BE%9E%E8%81%B7
> 総辞職に追い込まれています。これが、第30代齋藤実(まこと)内閣。

(少しそれますが、齋藤内閣というのは、満州の独立を国連が認めなかったので、国際連盟を脱退した内閣です。1936年に2.26事件で銃殺されました。)

内閣総辞職に追い込まれたということです。1927年(昭和2年)の金融恐慌で、鈴木商店というのが倒産して、その子会社に帝人というのがあって(それで、帝人事件という)、台湾銀行が債権者で、帝人の株22万株を所有していた。台湾銀行も日本銀行から特別融通を受けたため、その株は日本銀行に入れられた。

その10~11万株を財界グループが入手。帝人が業績アップし、利益が出た。これは、法的に全然問題は無いんです。普通に取引があって、業績アップして、株が上がった。それが、財界グループが持っていて利益を上げたので・・・。1934年、時事新報という新聞が株取引の口利き政治家がいるのではないかと、株不正取引が行われたのではないかと大スキャンダルになって16人が逮捕・起訴された。それで、自白があったからですけど、物的証拠は全く無い。犯罪の形跡が全く無く、賄賂に使われたとされる帝人株1300株は事件前の1933年(昭和8年)6月19日以来、富国徴兵保険会社の地下の金庫に入ったままになっていて、何も動いていなかった。それで、16人全員無罪となった。結局は最初からこのような事件は無かったというのが判決です。黒幕の目的は齋藤内閣の総辞職であっただろうと。

この帝人事件というのは、裁判所の公正さを象徴する事件であるとネットでは書かれています。

裁判所の公正さを象徴する事件でありますが、検事の自白による強要があった事も事実です。

取り調べの過酷さ。

これは、何を思いますか?『法難手記』を見て下さい。
『法難手記』はメシヤ様がどういう思いで書かれたか。
「何人と難も、現代社会に呼吸している以上、僅かな不注意や思い違い、法に無知なる等の為、思わざる災禍を被る事を、充分知っておかなければならない事を痛感した。
真の民主日本たらしめん為には、司法行政の面にも、改善すべき幾多の課題のある事を、此手記によって感得されたい。
吾等が如何に宗教弘通(ぐつう)に専念し、自由民主主義社会を企図すると雖も、法の運営に当る人達が、それに無理解であるとしたら、之に覚醒を促がし、正しき認識の下に、所期の目的を達せられん事を願望するのである。(中略)

そして、幾多災いの種を蒔いたかも知れなかったので、大難が小難で済んだと思ったのである。」

 この大きい事件を、大難が小難で済んだと仰っておられます。
これは、法難というものの、基督(キリスト)にしろ、日蓮、法然、親鸞、近くは天理教教祖にしろ、其開祖教祖が未だ現行の如き法のない時代であったに拘わらず、法難という言葉を使っています。

この「法」の意味、先程は「道法礼節」でも出てきましたが、「法」の意味は、今日の法律の「法」ではなく、仏教から出た言葉です。

「それは仏教の最初は仏法と呼ばれ、中途から仏教に転化したのであるから、此意味に於て、キリストの如きは法難ではなく、受難というべきであろう。そうして私の今回の事件は、宗教上には何等関係がなく、法難ではなく法律難と言うのが妥当であろう。」

と書かれています。
それと、もう一つ、
「今度の事件発生するや、大抵の新聞紙には、特ダネ扱いに大々的に報道されたが、其記事を読んでみると、随分出鱈目(でたらめ)が多いので、社会を誤るの甚(はなはだ)しきを憂い、一応の弁明をなす必要あるを思うのである。吾等も宗教家として神意を体し、救世済民の聖業に奮励しつつある以上、此際真相を披瀝し、誤解の暗雲を一掃するこそ執るべき喫緊(きっきん)の手段と想い、之をかくのである。」

『法難手記』のはしがきに、こういう言葉を書かれています。

昭和11年にも警察に呼ばれている事件がありました。

これは、もう少し具体的に書かれています。(略)

そういうことが、昭和24年12月30日発行の御教えにあります。

朝ドラからそこまで飛躍しましたが、時代背景を考察し、御教えに照らしていただければありがたく思います。

6月度は『観音講座 第三講座』です。
6月15日は『地上天国祭』です。
『夜昼転換』の御教え研鑽をお願いいたします。