2024年6月5日水曜日

覚りの旅  令和6年6月 月次祭を終えて

令和6年6月1日

   覚りの旅  令和6年6月 月次祭を終えて


 


三救責任者


月次祭おめでとうございます。


参加者一同


おめでとうございます。


 三救責任者


本日は、観音講座第三講座を学ばせていただきます。


はじめに、今までの学びを復習させていただきます。


 


『主神の御目的と天地経綸の真相』


第一講座では、『主神の御目的と天地経綸の真相』を学びました。


主神様は、何のために宗教を作られたのか。


それは弥勒出現までの世界人類を堕落させるための必要限定的経綸だったのです。


だから、悪を許容し、物質文化を開きます。


人傑を出し、宗教を弘通させたのです。


善悪あって、進歩発展してきたのです。


物質文化は素戔嗚尊に命じられ、西洋中心に起こさせます。


今、(昭和9年10月)主神様が伊都能売の神様に命じられて、日本を起点として大光明世界を作らせようとなさっておられます。


善悪結んだ中心が伊都能売の神様なのです。


国常立尊様は善一方で失敗され御引退され、この度の御経綸を伊都能売の神様にお託しになられます。この神様が観音様なのです。


一、いつとは元の神様、主神様のことで、主神様に帰することなのです。


観音様がこの世に現れたため、隠していたことが目に見えてきました。


観音様のことが判った時が光明世界になるということです。


 


『宗教の根源と救世主の出現』


続いて第二講座で、『宗教の根源と救世主の出現』を学びました。


地上の経輪は初め、国常立尊様が善一方で進められたが失敗され、善悪二通りで進むことになります。


素戔嗚尊は学問で、世の中を開発するためユダヤ民族を作られます。


一方、伊都能売大神様はインドへ渡られ、観世音菩薩として仏教を始められます。


これは皆、主神様が準備なされたことなのです。


観音様はお釈迦様に、世界経綸の鍵を教えられます。


「過去現在未来三世の利益は元観音一体に帰す」と南岳大師の記にある通りなのです。


観音様は、御釈迦様73歳の時に、仏滅が来ることも知らされます。


仏教、キリスト教、マホメト教三大宗教は、主神様がお申し付けになって造られたのです。


素戔嗚尊に命じられ、ユダヤ民族が物質文化を始めたのも、主神様の御経綸です。私達は、病気になったから観音様を知ることができました。


ですから、病気に救われたとも言えるわけです。


小乗で導き、追々、大乗に導く。小乗で行い、大乗の頭で観るのが良い。


観音会は霊体偏らない直し方なのです。


観音行というのは道法礼節で行くということ。それが観音行の実践です。


 
それでは、第三講座です。読んでいただけますか?


 
参加者


『観世音菩薩の本体』 観音講座 第三講座  拝読 


 


三救責任者


「施無畏(セムイ)」というところは、わかりましたか?


ローマ字で書くとSEMUI


「セム(SEMU)」を詰めると「ス(SU)」になります。 


「イ」は位ですから、


「スの位」をお持ちの観音様を施無畏観音と言います。


ここには書いていないですが、他の御教えであります。


「施無畏観音」とは、「スの位」を持たれた観音様。


 
『観世音菩薩の本体』『救世主の出現』ということで、一番の根本ですね。


観音様は救世主、即ちメシヤであられるということが、この観音講座で出てきていると思って読んだ方がいいと思います。


メシヤ様は、救世主八大資格をお示しくださっております。


一、病を治すこと、病を治す人を作る。浄霊力伝授のことと言えます。


二、金。これは貧乏をなくすということです。


三、絶対力を有する。


四、新しいこと


五、問題解決


これ(問題解決)は、『入門と奥座敷』のところに出てきています。(24頁 「多くの方の問題解決に寄与」)


メシヤ様が観音講座で八大資格を出されていて、「問題解決」が大事だと説かれていることに基づいて、先生は問題解決をしようと取り組まれてきたということが、この中に出てきますので、読んでおいてください。


問題解決は重要だという事です。


六、霊光を放つこと太陽の如し。


七、最高の神格にて、魔神服(まつろ)わす。


夜叉龍神も解脱なし、という事ですね。


八、一切を自然のままに。これは無為にして化す。ということ。


無為というのは、自然のままにということです。ここで、施無畏(セムイ)という言葉を思い出したので、先程の話をさせていただきました。


 
もう一つ、カミ。 


カミを詰めるとキとなる。キは天地を貫く貴い字だと書いてあります。それで、霊返しはキ。


 


キリスト教


イエスは罪をあがなうために生まれてきたのです。


最後の世にメシヤが現れる。これは、ユダヤ教の予言です。


メシヤは救世主でキリストなのです。


イエスとキリストは違うんですね。


イエスは罪を贖うために生まれてきた、贖罪主の方です。キリストはメシヤの方です。


メシヤとはヘブライ語で救世主ということです。


イエスは贖罪主で、人類のお詫びの代行者なのです。


 


救世主


キリストは人類の罪の赦し主であって、救世主は罪を赦しに現れます。


科学文明は神様を隠します。


天から降る。というのは雲から現れることです。


雲というのは曇り。現代文明は科学の文明で、現代においては現われると言う事が雲から現われるという事です。


 


キリストの再臨


キリストはイエスの父です。


イエスでは世界統一はできません。


国常立尊様が世界統一したことがあります。


観音会の神様は、金剛力を持ち、罪を赦す権力を持っておられます。


 



仏教は月の教えであり、人偏がついているので神ではないのです。


「地」は十一(統一)が「也」成ると書きます。完成することです。


今までは土でなく泥だったのです。だから固まらずにいました。


それで、地震や災難があったのです。(・・・今も固めているという事ですね。地震で。)


完成して地となれば、地震災難は起こらないのです。


それが地上天国なのです。


恐竜は固めるために活動して役目を終えて淘汰されました。


地震も役目を終えたら淘汰されるのだと思います。


まだまだ固める最中ですね。世界中に、固まっていないところにいく。


 


観世音の本体


最高最貴の神様が観音様にお姿を変えられて一切衆生を救われるのです。


 
下段に、「立春の御教え」が出てきていますけども、お分かりでしょうか?タイトルは「立春の御教え」とは書いてありません。


国常立尊様を天之若彦命が押し込めたという事が、「立春の御教え」で、何度も立春祭の前に、節分祭の時にしてきました。特に、三重の方では立春の御教えをしっかり読んでから節分祭にのぞんで下さいということを言ってきました。


これは、京都の先達に学んだ時、節分祭の前にいつも拝読させていただいているこの御教えをご教導賜りました。


京都の先生は、昭和29年2月の時に、メシヤ様は初めてこの内容をお明かしになられたと仰いました。


そのように聞きました。でも、ここ(観音講座)に出ているではないかと。


立春の御教えの内容の話が、すでに観音講座に出ている!ということが言いたいです。


観音講座というのは、入信教習でもあるわけですが、誰も気づかずに・・。
先生は皆が気付いていないので、初めて昭和29年に出されたと仰ったのだと思います。
先生が気付かれていないはずがないので。


観音講座という入信教習で初期の信者は学んではいたのですが、根本を理解してはいなかったため、改めて昭和29年に御教えくださったのだと拝察申し上げます。
それゆえ、立春の御教えを含む『観世音の本体』は最重要事項だと思います。


最高最貴の神様が人類救済のために観音様になられ、観音様は獣や虫類までもお救いになるため、お姿を三十三相に化身され、相手に合わせて喜ばれるようになさいます。


天照皇大御様、天忍穂耳尊様の頃は統治はできませんでした。


これは、皇后さまのことだと思われます。天忍穂耳尊様は熱海の伊豆山神社の御祭神です。


そこで、国常立尊様が天下平定の御経綸を主神様より、申し付けられます。


最初は治りますが、厳しすぎて天之若彦命が中心となり排斥運動を起こします。国常立尊様は、娘の若姫岐美命の不行跡を、咎められ、その責任を取って自らご引退なさいます。


若姫岐美命の夫は天若彦です。この方は女狂いで世の中が乱れたのです。


若姫岐美命は於加良洲明神といいます。それは、朝鮮へカラスとなって素戔嗚尊に会いに行かれたのです。だから素戔嗚尊と若姫岐美命の不倫というわけです。


国常立尊様の御隠退の原因が娘の不倫で、『夫婦の道』を正さねば世の中が乱れることに繋がるのです。


ここで、御教え『夫婦の道』を拝読させていただきます。


 


夫婦の道
『信仰雑話』昭和23年9月5日
 近来、見合結婚が良いか、恋愛結婚が良いかは相当やかましく論じられている。しかしながら、これを霊的に解釈をする時は、どういう訳になるかを説いてみよう。
 わが国は、都会はもとよりいかなる山間僻地といえども、必ず鎮守様、すなわち産土の神様が鎮まりいます産土神社、または氏神様がある。これはちょうど現界における区役所のようなもので、人間社会における冠婚葬祭はもとより、出産等に至るまで、産土の神様が担任されておらるるのである。昔から子が産まれるや、必ずお宮詣りに行く習慣があるが、これは子供を授けて下さった神様にお礼詣りをするのである。これと同様結婚においても産土神が男女を結合させるので、その際恋愛による場合と、見合いによる場合と、いずれも産土神の思召によるのである。しかし、それを知らない人間は、人為的に成立するものと思うため、世間に沢山ある夫婦喧嘩の末「貴様出て行け」などと言うのは、いかに間違っているかという事である。せっかく神様の思召によって結ばれた妻であり、夫であるものを、人間が勝手にどうこういう事は、神様に対してはなはだしい無礼となるではないか。いかに気にいらぬ夫でも、気にいらぬ妻でも、縁があって神様が決めてくださった以上、おろそかに思う事は申しわけない訳で、有難く感謝すべきである。故にその事を知って、感謝の心を持って見直したならば、よい妻であり、よい夫であると思えるようになる事は請け合いである。
 今一つ重要な事があるが、それは子供の死であって、その原因たるや夫の不品行にもとづくのである。例えば妻以外の女との関係がそれで、この罪は重大であって、ほとんど死に価する程のものである。しかも世の中には妾を二人も三人も中には十数人に及ぶものさえあるという事を聞くが、実に恐ろしい事である。これらの罪を霊界における祖霊は非常に怒るばかりか、子孫繁栄の妨げとなり、罪の重さによっては一家断絶の不幸に陥る事さえあるので、祖霊は極力止めようとしてあらゆる手段をつくすが、なかなか目覚めないものである。しかも、罪はますます増大する以上、早くその罪を贖(あがな)わなければならない。それには主人たるべきものが責任を負うべきであるが、そうなると、家族の生活や将来に悪影響を及ぼす事になるから、祖霊は主人の身代りとして子供を犠牲に供するのである。このような事は、世間にあまりに多いものであるから、読者諸士は注意を払われたい。必ず思いあたる事があるはずである。
 そうして夫婦喧嘩の主なる原因は、第一が妻君の嫉妬、第二は生活難であろう。故に、前述のごとき霊的事情を主人が認識するとしたら、嫉妬の原因はなくなる訳で、夫婦は神様の御意志で結ばれた事や、妻以外の婦人関係は重罪にあたる事を認識したならば、良き夫となり、良き妻となり、夫婦円満にならざるを得ないであろう。これは、決して夫婦円満にするための作り話ではない。事実長年にわたり幾多の経験とあいまって、神様から教えられたものである以上、一点の嘘もない事を断言する。
 聖書の中から右に関した教えを左に記してみよう。
 ○神の合わせたるものを、人たるもの離すべからず。
 ○人はその妻に合い、二人の者一体となるべし。
 ○汝の妻をもて足れりとせよ。
 私は、この一文を世の既婚者諸君に呈するものである。


 


観音講座を続けます。


素戔嗚尊の奥様は乙姫で、乙姫は嫉妬深いので、龍神となって海の底の竜宮城に隠れます。これは霊界のことで、実際は海の王様となったのです。


欲深く強い方で、霊的に宝を集められますが、女性であったので天下を取れず、盤古神王、大自在天を援(たす)けます。


娘の若姫岐美命は後に春日明神となります。


ですから、国常立尊様は自ら定めた神律に従って御隠退なされたわけです。


 
観音様は丸くて完全であるので、円満具足です。真丸です。まんまるです。


観音様の三十二相が化身で、聖観音様が本体です。


聖観音様は決して化けません。


麻邇の玉、如意宝珠、神とは真丸な円満具足になることです。


玉の点を上に持ってくると、主の文字になります。玉は尊いのです。


伊都能売とは円満滑脱です。観音行に近い人ほど丸いのです。


怒るのは真丸ではない。突っかかるのは角です。


角を取れ、丸くなれ、湿っぽくてはダメです。笑いなさい。


天国の状態が笑っていることです。世界の平和とは争いがなくなることです。


神とは真丸な円満具足になることで、丸いから転がります。


自由無碍に転がるということです。


 


これは、観音講座を読みながら、重要語句を抜粋していって、それを自分なりに繋げていきました。
そういう読み方をさせていただきました。


そうするとよく分かるし、話の流れがつかめると思います。


 


6月15日が地上天国祭なので、検索していてヒットしたのですが、以前に配布した「御神書による信仰」の中に書かれていることですが、


「うかつに人の意見を信じないで御神書を基準に判断して下さい」、ということがあります。


少し読みます。


 人からいろんなことを聞きますが、それを正面(まとも)に信ずるということが、これがまた危ないですね。だからいろんなことを聞いても、なるほど良い、しかしこれは神様の御趣旨に合っているかどうかということをまず考えてみて、どうも神様の御趣旨に合わない点もあるようだという場合 には、御神書を見るんです――読むんです。そうするとたいていなことはどこかにありますから、それで判断をするということにしなければならない。そういうことで聞違えることがよくありますからね。(昭和27年)


 
「大抵なことはどこかにあります」というのは、


「信仰上のことは摂理によって、必ず御神書のどこかに教えられている」と信じ、(祈りつつ)探求すべきであるということを、ここに教えられている。『新伝導の手引き』


 


それから、


 


メシヤ教は天国を造るんで、家庭も天国にしなければならない。
そうするとお金は、つまり余ってからあげる。あげても経済的に差し障りがないだけの金をあげる。
そうすれば金の苦しみがないから、それが本当のやり方だ。苦しんで金をあげるということは、やはり一つの苦しみを作るのだから、それは神様の御趣旨に合わない。
昔からいう「信心は徳の余り」というわけですね。それを聞いて、ある信者は感心したんですよ。
それがだんだん広がって――苦しんで金をあげるから、だから家庭が天国にならないんだということにまでなった。
そうするとまた一方神様は今非常にお金が御入用だ。人間は少しは苦労をしても神様の方にあげなければならない。という両方の説が対立した。しかしどうも後の説が負けるんですよ。
最初の方が勝っていくんですね。どうもゴタゴタしているので、私が呼んでよく話してやった。
家庭 が困らないようにするということも合っている。確かにそれに違いない。
それから、神様はお金はたくさん必要だから――はやく地上天国を造って救わなければならないので、どんなことをしても金をあげなければならない――どんなに苦しんでもあげなければならない、ということも合っている。両方とも合っているんだ。ただ大乗と小乗だ。最初の方は小乗的考え方ですね。
後の方は大乗的考え方ですね。じゃ、後の方は金をあげて苦しむかというと、決して苦しまない。
金をあげてそんな苦しむような神様だったら拝むのを止めたらいい。だから試しにあげてご覧なさい。十倍になって返ってきます。 苦しむどころじゃない。たいへんな金にだぶついてくる。そう言ってやったので、両方とも――小乗的の方はよく解って、ついこの間、謝りに来ましたがね。そういうことがあるんですよ。ですからそういうことも心得ておかなければならないということを、今話したんですがね。


 
これについては、『新伝導の手引き』に、


「信仰上のことはすべて“神の言葉”である御神書に基づく」というのが根本原則である。この原則を貫かないと、人の意見に振り回され、知らず知らず信仰の本筋から外れる場合が少なくないことをこの御教えは示している。また、すべて御神書に基づきなさい、ということはこの項の基本方針ともいえる。
メシヤ様は昭和25年、某大幹部の帰幽後「指導者は私一人だ」、だから「御神書の拝読を徹底するよう」繰り返し教えられました。



自分の所属しているところの大先生がお亡くなりになられると、みんな路頭に迷ってしまう。
御神書を読みましょう。


 
では、終わらせて頂きます。


 
司会


以上をもちまして、6月度月次祭ならびに一日祭を終わらせて頂きます。


ありがとうございました。


 
参加者一同


ありがとうございました。






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